日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和6年度は4月(ぬ)5月(岡)6月(す)7月(堀)8月(坂)9月(ぬ)10月(岡)11月(す)12月(堀)1月(坂)2月(ぬ)3月(岡)の順です。

871声 夏蛙

2010年05月20日

今宵。
部屋が蒸し暑いので窓を開けると、網戸の向こう、遠くの方で微かに、懐かしい声。
「ケコッケコッケコッケコッ」
小気味良く鳴いているのは、雨蛙。
もうそんな季節かと、四季の移ろいの早さを実感すると共に、
その美しい声音に懐かしさを感じる。
その懐かしさは、
切なるものと言う感覚で無く、例えば、バスの車窓から眺める往来の通行人の中、
偶然、旧知の友人を発見。
そんな時に感じる、淡い懐かしさである。
その声は、しとしとと降る小雨に掻き消される様に、微かながら断続的に、
聴こえてくる。
この風流を、一句。
と思い、筆立てに手を伸ばそうとした瞬間。
突如、飛び込んで来た、パトカーのサイレン音。
筆立てに運んだ手は、ペンで無く耳かきを取って、戻って来た。

870声 音頭に焦がれる

2010年05月19日

観光情報は、常に事前周知が鉄則。
なので今日も、仕事の打ち合わせで顔を出すのは、夏祭りの話である。
夏祭りと言うのは花火大会も相まって、行われる年間の祭礼では最大規模、
と言う自治体も多い。
ここ2年ほど、夏祭りは桐生市の桐生八木節まつりへ出掛けている。
当日は、市街地の目抜き通りである本町通りの一部が歩行者天国になる。
そこに群れ集まる人たちが、本町交差点の櫓から演奏される八木節に合わせて、
舞い踊るのだ。
それが、3昼夜続く。
桐生八木節祭りの公式HPにアクセスすると、八木節が流れる。
それを聞くだけでもう、己が身の内で、静かに血が滾ってくる気配がある。
桐生の銭湯は、本町通りから左程離れていないところが多いので、
湯に浸かりながら、風に乗って漂う八木節音頭を聴くのも、一興である。
その後、路地の焼き鳥屋などで、開け放ったから、祭りの熱気と共に、
聴こえてくる八木節。
なんてのはまた、一興も二興もある。
それを思うと、今から夏が待ち遠しく思える。

869声 瓶の向こうに思い描く

2010年05月18日

昨夜は、高崎市街地に、この度目出度く開店する、知人の店へ御邪魔していた。
レンガ調の壁や、舶来の調度品が並ぶ、そのカフェ・レストランの店内。
開店を祝う人たちで賑わっている中、私も麦酒などを片手に歓談。
非常に心魅かれたのが、店内の或る設備。
それは、瓶麦酒が冷やしてある保冷庫。
保冷庫なのだが、なんと表現すればよいか、蓋が無く、中には水と氷が入っており、
その中に瓶麦酒が沈んでいるのだ。
丁度、小さなバスタブを思わせる設えで、チェーン付きの水抜栓など、
まさしくバスタブのそれである。
こそこそと、その保冷庫に忍びよっては、羨望の熱い眼差しで眺め、
麦酒を一本手に取る。
と言う行動を、繰り返していた。
麦酒を取る為に、氷水の中に手を入れた際の、心地好く冷たい刺激、
良く冷えたその麦酒の味も、何だか瑞々しく、新鮮に感じた。
「欲しい」
ったって、家に置く場所がある筈もないし、かと言って、
家の浴槽に水と氷を入れたのでは、洒落た雰囲気に欠ける。
だから、羨望の眼差しなのである。
私が手に取るこの緑色した瓶の麦酒は、ハートランド。
このビール、多くの人が舶来品と思っているが、実はキリン。
しかし、この爽やかなピルスナービールを飲みつつ、想い馳せるのは、遥かなる異国。
そして、思い描くのは、夜毎の繁盛に活気づいている、この素敵な店。

868声 俳句の四季

2010年05月17日

本日、所用があって、群馬県庁へ出掛けた。
1階ロビーに、何やらパネル展示があったので、一寸、見学。
群馬県「看護の日」記念行事
一日まちの保健室
と銘打った展示で、各施設の紹介が、まさに学校の保健室前に貼ってある掲示物の如く、
模造紙に写真と文章で描かれている。
その中、俳句の展示が目に止まった。
色紙に達筆な筆文字で書かれ、紙面の隅には水彩絵の具で描かれた花が添えられている。
その俳句の制作風景も、写真で紹介されており、Y先生と言う方が、
施設の人たちに俳句の手解きをされているらしい。
写真には、笑顔で筆を手に取るY先生の姿もある。
俳句は四季を詠む。
そう、俳句とは人生の四季を詠む。
のかも知れない。

867声 ソーダアイス

2010年05月16日

夕涼みを兼ねて、自転車に乗ってふらふらと、
近所のコンビニまで、出掛けた。
コンビニで買ったのは、ソーダのアイスキャンディ。
アイスを齧りながら、自転車に乗ってふらふらと、
自宅まで帰って来た。
いつかだったか、こんな風に、私がアイスを齧りながら、
自転車でふらふら走っていると、ばったり会ったのが、同級の友人。
「しかし、変わらないもんだねぇ」
と、彼は言った。
どうやら私、子供時分から、アイスを齧りながら自転車に乗っていたらしい。
風に吹かれて、水稲がざわめく季節になると、私はこれからも、
アイスを齧りながら、自転車でふらふらと走っていると思う。
ソーダのアイス片手に。

866声 水路の脇の道祖神

2010年05月15日

知らない土地
鄙びた田舎の一本道を
かく寂しいこころを持って歩いている
夕焼け
なびく水稲
畦道のあばら家
四辻になっている往来
水路の脇に古めかしい双体道祖神
近づいて顔を覗いてみると
笑っていたのだ
ふたりとも
知らない土地
鄙びた田舎の一本道を
かく寂しいこころを持って歩いている

865声 カモメとえびせん

2010年05月14日

「じゃーねー」
と言ってカモメは飛んで行きました。
私は船の甲板から、小さくなって行くその後ろ姿を見送っていました。
僅かに残ったかっぱえびせんをつまみながら、思いました。
カルビー「かっぱえびせん」の宣伝コピー、「やめられないとまらない」。
と言うのはどうやら、人間のみならず、カモメにも通用するようです。
宮城県松島の遊覧船では、カモメの餌、と言う事で、
このかっぱえびせんを売っています。
私も一つ購入し、甲板へ出て、袋を開けるや否や、目ざといカモメが寄って来ました。
「得たり」と思い、一つえびせんを放り投げました。
しかし、強い潮風にあおられ、えびせんの飛距離が出ません。
逆巻きながら、風に揉まれて宙に浮いていたところを、瞬間、
矢の如く鋭角的に飛行して来たカモメが、嘴で捉えました。
何と言う動体視力と反射神経の持ち主でしょうか。
面白がって私は、何度もえびせんを放り投げました。
その都度、カモメは芸術的に捉えて行きました。
中には、私が投げる前に、指から直に捉えて行く、はしっこい奴も居ます。
このカモメ連中は、まさに「やめられないとまらない」状態に陥っていました。
ひとしきり食べ終えると、連中はそっけなく、空の彼方へ飛び去って行きました。
やはり、海鳥。
物事の潮時を見極めるのが、とても上手です。

864声 食べるラー油で飲むビール

2010年05月13日

晴れているが風が強い。
そんな、得なのか損なのか、判断に困る天気だった。
私などはどうも、未だ花粉症を引きずっていて、油断していると「ツーッ」と、
鼻水が垂れて来る始末。
今日みたいな日は、一層、症状が顕著になる。
一日、何か、ここに書くべき目新しい事柄はなかっただろうか。
などと考えていると、自らの日常が、如何に変化に富んでいないかを思い知る。
変わっている事と言えば、朝、夕の食膳の内容くらいなもので、
時にそれさえも怪しい。
では、先程済ませた食膳の内容から、着想を得る事にする。
巷では、「食べるラー油」なる関連商品が、爆発的に流行しているらしい。
「江戸むらさき」で有名な、桃屋の「辛そうで辛くない少し辛いラー油」、
と言う商品がこの市場の火付け役。
江戸むらさきの様に瓶詰になっており、食べ方も一緒でご飯の上にかけて食べる。
この食べるラー油市場が沸騰するや、次々に関連商品が乱出し、
3月から4月にかけては、市場で品薄状態が続いていた。
そして今夕、私が食べ終えたのは、この食べるラー油であった。
私が食べていたのは、桃屋と人気を二分する、
ヱスビー食品の「ぶっかけ!おかずラー油」と言う商品。
丁度、一月前くらいに、心ある人から頂いたのだ。
その時分は、品薄状態だったろうから、その人は骨を折って入手されたのだと思い、
感謝しながら箸を進めた。
桃屋の商品の味は、私には分かり得ないが、このラー油は美味しい。
美味しい、と素っ気無い表現だが、味に関するボキャブラリーが少ないので、
勘弁願いたい。
と同時に、この商品の流行から「丼」隆盛の予感を感じた。
この商品の醍醐味である、「ともかく飯にぶっかけて食う」と言う点は、
まさに丼料理の本義である。
この商品で手軽に作る「ラー油丼」が、広く人気を得ていると言う事は、
丼料理が広く人気を得ていると言う事になる。
それを裏付ける様に、牛丼チェーンの「すき家」などは、低迷する外食産業の中で、
大いに繁盛している。
巷の飲食店では、猫も杓子も丼料理。
そう言う苛烈な丼の流行は、酒飲みには酷な流行である。
現に私は、この食べるラー油をかけていたのは、あつあつのご飯、でなく冷奴。
それで麦酒を一杯、やるのが至福だった。

863声 逃げの五月

2010年05月12日

巷ではそろそろ、流行の兆しが顕著になってくるのではあるまいか。
それは毎年猛威をふるう、季節性の病。
五月病である。
この病の特徴として、GW明けから、症状に悩まされる人が続出する。
その症状は、倦怠感や無気力、食欲不振や不眠と、不明確かつ不明瞭な状態で現れる為、
明確な医学的診断が難しいとされている。
主な要因と挙げられるのは、4月からの新環境に適応する為にかかったストレス。
それが、大型の連休時期に噴出し、連休明けの5月初旬に顕在化してくるのだ。
思い当たる節がある人も、今まさに症状に悩まされている人も、いるであろう。
そして、中には古参の五月病患者もいて、この病気との付き合い方が、
手慣れた人だっているだろう。
未だ、五月病との付き合い方及び対処法に要領を得ない私は、目下、
「逃げ」の姿勢をとろうかと思っている。
つまりは差し当たり、映画館のスクリーンの中に、小説の行間の中に逃げ込んで、
巷に五月病のほとぼりが冷めた頃、ひょっこりと戻って来ようと、目論んでいる。
今年は遠くまで逃げないと、追い付かれそうである。

862声 雨にけぶる山並み

2010年05月11日

仕事で西上州、下仁田町、南牧村、上野村へ出掛けた。
今日は朝から雨降り。
久しぶりの、まとまった雨である。
そして、久々に見る山間渓谷の風景からは以前にも増して、
緑が生い茂っている印象を受けた。
一雨ごとに、山の緑も濃くなり、てらてらと艶めかしい生命力の充満を感じた。
その山間の道。
車を走らせていると、窓の向こうの山肌から、立ちのぼる湯気が見えた。
雨に降られ、山がけぶるっているのである。
その光景は何だか、風呂上がり、腰巻タオルのおやっさんを連想させた。
そう思うと、雨に濡れた艶めかしい山々も親しみやすく見え、軽く苦笑い。
小糠雨に降られている山は、何だか、気持良さそうであった。
晴耕雨読。
の生活と聞けば、悠々自適ながらも、雨の日、屋内に逼塞し晴れの日を待ちながら、
本を読んでいる印象を持っていた。
しかし、雨にけぶる山を見て、その解釈を新しくした。
晴耕が叶わない、雨読の日。
屋内に居ながらも、窓を開け、雨にけぶる山並みを眺めながら、本を読む。
軒先から落ちる雨音が奏でる調べを、BGMとしながら。

861声 ささやかな支援者

2010年05月10日

「次回作は、まだかい」
それまで溜まっていたものが、一気に押し出されたかの様な、
圧の強い声が、私に刺さる。
ラーメンを啜る手を止めて、見ると、テーブル一つ離れて対角線上に座っている、常連のおやっさんであった。
麺を嚥下してから、曖昧に頷きながら答えた。
「はぁ、先ずはどっさりある在庫が減ってからじゃないと、なんとも、どうも」
「一冊だけじゃよぉ、勿体ねぇからな、まぁ、頑張れよ」
くゆる煙草の紫煙で目が染みるのか、眉間にしわを寄せながら、
おやっさんは笑った。
私も、なんだか嬉しい様な可笑しい様な、温かな心持になり、一寸返事に困って、
「はい」
と、笑いながら答えた。
おやっさんとは、この食堂で以前から面識があったのだが、
常連の多くがそうであるように、顔見知りだが親しく話す様な間柄ではなかった。
それが先日、先頃出版した私の本に興味を持ってくれ、
(食堂のおばちゃんが宣伝した影響が強いが)
一冊、購入してもらったのだ。
話を聞けば、並々ならぬ銭湯フリークなおやっさん。
私などとは比にならない位、銭湯に掛ける思い入れが強かった。
しかも、現役の銭湯ヘビーユーザーでもある。
ホームグランドは高崎市。
ささやかなる支援者を得た私は、ひとしきりラーメンを啜り終えると、
額に滲んだ汗を、ハンカチでそっと拭った。

860声 南中時刻の庭

2010年05月09日

今日は爽快な五月晴れであった。
ふた昔前くらいだろうか、今日みたいな休日の良く晴れた日には頻繁に、
セスナ機が飛んでいた。
中古自動車販売会社の宣伝を流しながら、広域を旋回飛行している機体である。
未だ、学校も週休二日制でなかった頃の土曜日。
午前で放課になった学校の帰り道、青空から響く、
セスナ機のエンジン音と、その宣伝文句が思い出に刻まれている。
南中時刻の自宅前。
猫の額ほどの庭で、庭木たちに水をくれていた。
じょうろを傾けながら歩いていると、芝生の上に蠢いている一匹のミミズ。
半ば干からびており、その生命の灯火も、今まさに燃え尽きようかと言った具合。
行き場の無いミミズに、せめてもの死水と、じょうろの水をかけてやる。
向いの家のブロック塀。
その上を、何処かの家猫が、暢気な顔して歩いて行く。
ミミズに目を落とすと、コロリ、往生。
青空の彼方から、何処かのジェット機、やって来て。
「シューッ」と、切り裂くようなエンジン音。
音だけ残して、行ってしまった。

859声 万事急須

2010年05月08日

休日。
のんべんだらりと日を送っていると、
夕暮。
のらりくらりと生活の波に揺られていると、
急須。
蓋を開けて、中に入れたものは茶葉、でなくインスタントの、
珈琲。
気付いたのだが、ポットから湯を出し、軽く回して注ぎ入れた、
湯呑。

858声 雨の日のジンクス

2010年05月07日

雨の日、古本屋へ行くと、思わぬ掘り出し物に出会える。
ジンクスと言う訳でもないが、結果からみるに、そう思っている。
勤め先から帰宅途中、黄昏の街は雨上がりだった。
寄り道して、チェーン店の古本屋。
「105円」の棚、「あ」行の作家から、背表紙を刷毛でペンキでも塗るかの如く、
顔を近づけて、丁寧に物色して行った。
すると文庫本、みるみる、私の手に高く積まれる。
つまりは、掘り出し物が多く見つかったのだ。
購入できずにいた本が、次々に現れ、雨の日のジンクスが、
私の中で一層強固なものとなった。
「井伏鱒二」に「海音寺潮五郎」と来たところで、ふと、手が止まった。
思考に横やりを入れてきたのは、昔読んだ、エッセイ。
井伏鱒二作品の「文士の風貌(福武書店)」の中にある、「入隊当日のこと」。
その中、井伏さんが戦争中の陸軍徴用で、大阪市の兵隊屋敷に入隊した時に出会った、
戦友、海音寺さんの描写が出てくる。
釣師の服装をして、細身の軍刀を入れた竿袋を持って入隊した井伏さん。
その井伏さんが見た、海音寺さんの風貌が強烈である。
抜粋すると、
「朱鞘の大刀を眞田紐で普断着の背中へぶら下げていた」
まさに、海音寺さんの小説に登場する、激動の時代を駆け抜けた歴史上の人物。
著者自身が地で行っている。
そんな姿が茫漠と頭に浮かび、一瞬怯んだが、恐る恐る本棚から抜き取り、
しっかりと手の中へ納めた。

857声 午後の並木道

2010年05月06日

伊香保か草津か、それとも四万か。
高崎から前橋へ抜ける国道には、温泉地にでも行くのだろう、
県外ナンバーの車が、未だ多く見られる。
今週までは未だ、ゴールデンウイークの余波が続くと思われる。
それにしても、5月に入った途端に、この暑さや如何に。
連休中などは、列島各地で、軒並み夏日を観測。
今日も、関東地方などに至っては、30℃手前あたりまで、気温が上昇。
水ばかりがぶ飲みしている私などは、早くも、夏を前にして夏バテ気味である。
倦怠を引き摺りながら、前橋市街を、だらだらと歩いていた。
往来で信号待ち。
午後の日盛りから逃れるべく、路面の影に、体を入れる。
風が一筋吹いて、影が揺れ、日光が射す。
見上げると、並木の欅。
その新樹から、時折、太陽の光が洩れ、まるで万華鏡の如くきらきらと輝いている。
信号が青になって、私は歩く。
なんだか嬉しくなって、少し駆けた。

856声 地元の湯屋で

2010年05月05日

菖蒲湯や坊主頭の子がひとり

855声 広瀬川の畔で

2010年05月04日

故郷や杜の都の五月川

854声 そして、仙台へ

2010年05月03日

松島やゴールデンウィークの松島や