日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和8年度は4月(坂)5月(ぬ)6月(岡)7月(す)8月(堀)9月(坂)10月(ぬ)11月(岡)12月(す)1月(堀)2月(坂)3月(ぬ)の順です。

1050声 ストーブの料簡

2010年11月15日

つい今し方であるが、やけに部屋の中が寒い、と感じていた。
俳句歳時記を読みながら、鼻の頭を触ると、冷たいのだ。
夜寒ってのは、大抵、鼻の頭からやって来る。

ふと、机の脇に目をやると、先程まで、煌々と灯っていた部屋のストーブが、ついてない。
席を立って、確認すると、目盛りはキチンと「入」になっている。
つまりは、壊れたのであろう。
目盛りを、「切」から「入」、その反対へと、幾度も動かしているのだが、
ウンともスンとも言わない。

私の部屋にあるのは、石油ストーブで無く、電気ストーブ。
なんだか、その形状が珍妙で、扇風機そっくりなのである。
扇風機のプロペラが無く、その芯の部分に電熱線が巻き付いている。
暖房効果は、あまりよくない。

現代でも、古風な銭湯へ行くと、脱衣場に火鉢が置いてある。
火鉢の温かみってのは、そこはかとなくまろやかで、よいものである。
陶磁器の丸い火鉢なんてのは、一寸オツな雰囲気で、
心までほっこりさせてくれる。
そう言えば、ほのじにも、ひとつ良い火鉢があったっけ。

ともあれ、私の部屋のこのストーブである。
まず、暖房器具に扇風機の形状を用いるってな料簡が、気に入らない。
見ていて、心がほっこりするどころか、寒々しい心持ちがする。
またひとつ、買う物ができたと考えると、余計に寒々しく、
鼻の頭も、いよいよ寒えてきた。

【天候】
朝から昼にかけて、快晴。
午後から雲が垂れ込め、一時雨。
夜半にはまた晴れ、雨が気温を一気に下げた所為か、街に透明感。

1049声 高崎湯銭値上騒動

2010年11月14日

今朝、車に乗って向かったのは、「群馬県立図書館」である。
目的は、群馬県の銭湯史に関する資料を、閲覧する為。

実は、県立図書館へ足を踏み入れるのは、
我が人生において、今日が初であった。
若干、緊張しつつも館内へ入り、検索端末で書籍を検索する。

まず、タイトル名の箇所に、「銭湯」と入れて検索してみた。
出て来たのは、350数件。
その一番最初の頁に、何やら見覚えのある、タイトル。
「群馬伝統銭湯大全」
って、まさか自分の本が出て来るとは、思ってもみなかった。
しかも、禁貸出。

いくつか資料を集めて、気になる個所を書き写してきた。
やはり、東京の公衆浴場の資料は容易に見つかるのだが、
こと地方、それも群馬県ともなると、資料自体があまり無い。
それでも、「公衆浴場史」なんてのは、中々、面白かった。
発行は、「全国公衆浴場業環境衛生同業組合連合会」。
お経と言うのは不謹慎かもしれないが、お経みたいな長い名前のこの団体は、
早い話、「全浴組合」である。

面白いところは、公衆浴場史の略年表にある。
その中で、一番古い、群馬県の公衆浴場に関する記述が、下記の様な内容。

・明治十二(1879)年十月
上州高崎前の風呂屋、東京と同じ湯銭とし、芸妓一銭五厘と張り出し、
その反対により元の八厘に復す。

つまり、高崎の銭湯が、或る日、「今日からうちは、東京と同じ湯銭でやりますよ。
したがって、ご常連の芸妓の方々は、一銭五厘になります」
と言う、告知を出したのであろう。
明治時代の高崎と言えば、「お江戸見たけりゃ高崎田町、紺の暖簾がひらひらと」
なんて詠われるくらいの活況が、未だ十分に残っていたのだろう。
したがって、花柳界も華やかで、芸妓の数も多い。
芸妓の方は、商売柄、銭湯とは切っても切れない縁である。
地方から高崎の花柳界に来た新人は、先輩からまず、銭湯の入り方を習ったらしい。
ってのを、何かで読んだ気がする。
芸妓の方々も、黙っちゃいない。
即日、徒党を組んで問題の湯屋へ、押しかけ、抗議に行ったのだろう。
まさに、上州の気質がうかがえる一幕だ。

では、この値上げの一銭五厘が、当時の貨幣価値でどの程度なのか。
この年に創刊した、「朝日新聞」の一部一銭、と言う値段と比較すれば、
200円から300円ってところではないだろうか。
因みに、東京と同じ湯銭ってのは、大人一銭で子供五厘。
芸妓の方々は、白粉を塗ったり髪が長い為か、随分と割高である。

静かな日曜日の朝の図書館。
三味線の音色に合わせ、芸妓と戯れている、私。
そんな光景を妄想していたら、「ガタン」と向かいの席のお嬢さん。
席を立ってどこかへ行ってしまった。

【天候】
朝から薄曇り。
正午過ぎには薄日射し、日の暮れる頃にはスッキリとした晴れ。

1048声 土産話

2010年11月13日

同じ酒の量を飲んでも、飲み干す時間が早い程、翌日に残る。
とは分かっていながらも、ついつい、
ペースの抑制が利かない日も、ある。
昨夜がそうで、今日は終日、昨日の酒の残党と戦う羽目になってしまった。

体内のアセトアルデヒドを分解し代謝するのに、
エネルギーを使い果たしたか、夕方となった現在でも、思考が判然としない。
句作をしようと、風景などを見て着想を得ようと試みるのだが、
一向に句が浮かばない。
想像力の欠如が甚だしいのである。

気分転換に、ちと、外の風に当たろうと思い立ち、外出。
したのだが、直ぐに、寒風が骨身に沁みる。
元来、寒がりなので、気分転換どころか、徐々に気分が沈んできた。
暖を取ろうと、道中の自動販売機で缶珈琲のホットを買い求め、
飲みながら家路に着いた。
これがまた、宿酔人には当然甘過ぎて、飲んだ直後に、強烈な胸やけ。

この様な取りとめもない内容の中にも、何か一つくらい、
言うなれば、「読者への御土産」のようなものを、盛り込まなくては。
とは思えども、肝心の「何か一つ」が、一向に思い浮かばない。
そんな訳で、今日は(もっともそれは、いつものことではあるが)、
読者諸氏を手ぶらで帰らせてしまう。
と言う、不本意な次第であります。

【天候】
終日、煙が充満している様な曇り。

1047声 ひねくれの妙味

2010年11月12日

今日、知り合いに大根をひと山、頂いた。
見た瞬間に、内心思ったのが、
「随分ひねくれて育ったヤツ等だな」
と言う事。
どれもこれも、歪なのである、形が。

それとはなしに、大根の造形を問うてみると、意外な回答。
これはどうも、「辛味大根」と言う種類の大根で、
この歪な形がむしろ、辛味大根らしさ、なのだと言う。
私が記憶の中で描いている大根は、
スーパーの青果コーナーに並んでいる、上から下まで太さが均等な、大根。
聞くところによると、あれは「青首大根」と言う種類で、
巷に流通する大半の大根が、今ではこの青首一派に牛耳られているらしい。
私も、「大根」と言えば、あの寸胴な青首大根を思い浮かべてしまう。
そして、この辛味大根の様な所謂、「地大根」の活躍の場が減っている。
と言う市場の状況がある。

この辛味大根。
大根おろしにして食べると、とても美味い。
こんなに辛くて美味いのなら、もっとひねくれろ、とも思う。
この味を知ってしまったら、あの優等生の青首大根が、
ちと物足りなく感じてしまう。
しかし、子供たちからは、「辛いすぎ」と言う評価を得るだろう。
思えば、私も子供時分、あまりに辛すぎる大根に、苦戦していた経験がある。
この、「ひねれくの妙味」が分かると言うのは、もう若くない証拠なのかも知れない。

【天候】
日中、曇り。
昼ごろ、通り雨。
その後、夜半にかけて晴れ。

1046声 俳句と、衝撃と、興奮と

2010年11月11日

「ファミコン」
と言えば、現在は死語になっており、
直ぐに年齢が推察される単語である。
「ファミコン」、正式名称は、任天堂の家庭用ゲーム機、
「ファミリーコンピューター」。

私が初めて、このファミコンに触れたのは、保育所時代だったと記憶している。
無論、我が人生において、小学校に上がる前の時代である。
保育所から自宅へ帰ると、親父がテレビに張り付いて、一心不乱にやっていた。
ソフトは確か、「スーパーマリオ」だった。

夢中になった、あるいはそれを通り越して、虜になっていた。
小学校へ上がる前には、同級生は皆、
いっぱしにファミコンを使いこなしていた。
学校へ行けば、友達とファミコンの話。
学校から帰れば、友達の家へ集まって、ファミコンに興じる。
当時は、テレビゲーム全般が社会問題として、
しばしば槍玉にあげられていたので、それを禁止している家庭も多くあった。
学校の先生も、どうやってそれを抑制させるべきかに、頭を悩ましていた。

あれから20年以上を経た今、ファミコンに夢中になっていた子供は、
俳句に夢中になっている大人となった。
現代風に言えば、俳句にハマっている、と言うべきか。
当時と違う点は、同級生いや同世代ではあまり、俳句に興じている人がいない。
しかし、何故か、「似ている」、と感じている。
それは、私が俳句を作り始め、おぼろげながら、初めて良い句が詠めた、と感じた瞬間。
あの日、親父がやっていた「スーパーマリオ」のテレビ画面を、
初めて見た時の、衝撃と、興奮と。

【天候】
風も雲もなく、穏やかな冬晴れの一日。

1045声 群馬と七五三

2010年11月10日

今週は街中で、両親と連れ立って歩いて行く着物の子供を、
やたらと目にしている。
と思っていたら、来週の15日が、七五三の日なのである。

七五三と言えば、私もつい先程知ったのだが、群馬県と深い関わりがあるらしい。
今を遡る事、江戸時代。
天和元(1681)年11月15日。
三代将軍家光が、時の館林城主である、徳川徳松の健康祈願の為、
袴着の儀式を執り行ったのが、七五三の始まり。
と言う説が、数ある起源説の中で有力らしい。
この「徳松」と言う殿様は、かの有名な「生類憐みの令」を発布した、五代将軍綱吉の長男。
しかしながら、数え年5歳で夭折している。

現代は、七五三と言えど、神社へお参りした祭に、デジカメで撮って終わり。
わざわざ写真館に出向いて撮影してもらう家族が、減っていると言う。
しかし、記憶を喚起するだけの記念写真でなく、家族の記録としての記念写真は重要である。
それも、写真技術が発達した現代では、捉え方次第なのだが、
写真館での記念写真は、その出来栄えを見て、やはり価値があると思う。

七五三は群馬県に由来がある、とされている事をダシに、
県内の写真館は記念写真撮影を、大いに売り出したらどうだろうかと思う。
徳川家だって、当時に写真技術があったら、きっと最高の一枚を撮っていた筈である。
とまれ、自分自身に七五三の写真があったか、疑わしい。

【天候】
雲多くも冬晴れの一日。
日中北風が強く吹いたが、夕方には止む。

1044声 クローバーの物語

2010年11月09日

今日、帰路の途中に寄ったのが、古本屋。
狭い店内に、本棚が天井すれすれに配置されている。
その間に挟まりつつ、目当ての本の背表紙を、丹念に探して行く。
今、震度6以上の地震が発生したら、おそらく生きては返れないだろう。
と言う事は、出来るだけ考えないようにして、蟹歩きで移動する。

目に止まった一冊の詩集を本棚から抜き取り、
パラパラと頁を捲った。
その流れを止ましめたのは、頁に入っていた、栞。
栞を摘んで眺めてみる。
ドライフラワー状になった、四つ葉のクローバー、である。

気取り腐った男が、女性にプレゼントしたか。
あるいは、文学少女が思いを馳せたか。
何れにせよ、この本の前所有者は、「物語」を求めていた人だろう。
頁を閉じて、そっと本棚に戻した。

【天候】
雲多くも冬晴れの一日。
午後より風が強なったが、夜半の冷えはそれほどでもなし。

1043声 給食の思ひ出

2010年11月08日

立冬から一日過ぎ、日を追う毎に、寒さが厳しくなっている。
なんて、校長先生の朝礼でもあるまいし、
時候の挨拶ってのは、おしなべて芸が無い。

芸が無いと言えば、学校の給食。
こっちは、くじらの方の「鯨」だが、最近、
都内で給食のメニューで提供している居酒屋が、
反響を呼んでいるらしい。
返って来る声は、「懐かしい」と言うもの。

中でも、「揚げパン」と「鯨の竜田揚げ」が人気らしい。
給食のメニューで酒を飲む。
ってところが、いかにも「禁じ手」と言う雰囲気で、魅かれるものがある。
しかし、私に至っては、「揚げパン」と「鯨の竜田揚げ」、
両方給食で食べた憶えがない。
憶えが無い、と言う事は、給食に出ていなかった。
と思う。

私が小学校に入学した年は、昭和64年。
つまり、平成元年の年だが、昭和と平成を境に、
何か給食メニューの変更があったのだろうか。
あるいは、住んでいる地域。
ともかく、「鯨の竜田揚げ」と言うもの自体、
食べる機会を得なかったので、一度食べてみたい気がする。

4、5年前、仕事で高崎市の小学校へ取材に行ったのだが、
その時の給食の献立に、驚いた。
近年は「食育」ってんで、地場産の野菜や食材を使用した、
献立が登場しているのである。
給食に、そこはかとなく高級感が漂っていた。
その一品がどれもまた、たいそう美味そうで、
もう一度学校に通いたくなった事を、憶えている。

【天候】
千切れ雲が浮かぶ、穏やかな冬晴れの一日。

1042声 波郷を訪ねて砂町へ

2010年11月07日

安宿の今朝は、冬。
昨夜の湯河原から、懸念していたように、真っ直ぐ帰っては来れなかった。

端的に顛末をば。
「ピルスナーウルケル」ってなチェコの麦酒があって、
それを日本で飲める店は少ない。
少ない中で見つけたのが、池袋にある一軒のビアバー。
行って、飲んで、店を出て、別の店で、飲んで。

と言う事で、折角都心にいるから、ってんで、今日出掛けたのは、江東区。
その「砂町文化センター」にある、「石田波郷記念館」。
波郷俳句の世界を観たかった事もあるし、砂町にある「砂町銀座」へも、
一度行きたかった。

総武線「亀戸駅」からバスに乗って、まずは砂町銀座へ。
商店街は、元気である。
狭い露地には、肩が触れ合うぐらいの人出。
商店の売り子たちの活気。
物と人が溢れる、猥雑さ。
市中に一軒の、老舗おでん屋。
湯気の向こうには、おでん種を作っている、おばあちゃん。
その店の前を通った時には、昼食を食べたばかりの満腹を、疎ましく思った。

砂町文化センターは、砂町銀座の脇に在る。
石田波郷記念館は、その2階に在るのだが、
入場料が無料と言うのがありがたい。
ひとしきり見学を終え、館外へ出ると、もう日暮。
近所に在る砂町小学校の子供たちだろうか、笑みを全身でこぼしつつ、
公園内を駆け回っている。
私もこの子供たちも、平和な日本の一日を過している。
波郷の句を噛み締めらながら、商店街の雑踏の中を行く。

はこべらや焦土の色の雀ども (波郷)

【天候】
終日、冬晴れの一日。
立冬だが、寒気は緩んでいる。

1041声 湯河原で、一寸、赤面

2010年11月06日

どうにかこうにか、行って来た。
湯河原へ、である。

未だ夜の明けきらぬ高崎を出て、湘南新宿ラインは一路、首都東京を目指す。
寝ぼけていてどこでどう乗り換えたかもおぼろげな状態で、
乗車しているのは東海道線。
小田原駅を過ぎたあたり、秋晴れの空に、浮かぶ富士山を見て、目が覚めた。
淡い空の色と相まって、まさに、銭湯のペンキ絵。

湯河原へ着き、一通り、吟行会スケジュールに則る。
沢の小径を、黛まどかさんと一緒に吟行して行く。
その参加者は、ざっと百数十名。
秋気が澄んでいて、とても心地好い。

吟行会の表彰の後、雪崩式に、「第10回湯河原文学賞俳句の部」の表彰式。
名前を呼ばれて、表情を受け取る。
ってのは、最後を遡れば、高校の卒業式以来ではないか。
その時は校長先生、今日は湯河原町長。
旧式ロボットの如く、ぎこちない動作で表情を受け取り、席へ着く。
表彰式。
って事で、学生諸氏は制服。
一般の受賞者の方は、ややフォーマルな装い。
その中、私だけが、ジーンズにウィンドブレーカーの遊山スタイル。
一寸、赤面。

宿泊はせずに帰路へとついてしまったが、
老舗の湯宿へ泊まってみたいものだ、と思った。
温泉街自体は、やはり寂れているのだが、海が近いだけに、
鮮魚店や海鮮居酒屋等が目立ち、群馬県人にとっては、新鮮である。
漱石に藤村に芥川、その他、文学界の巨匠たちも訪れている。
ってのは、正直、或る程度の規模の温泉場なら、何処でも耳にする話。
しかし、そう聞くと、やはり湯気の向こうに思いを馳せてしまう。
湯河原の街で感じたのは、あたたかさ。
それは勿論、気候だけでない。

【天候】
終日、秋晴れの一日。

1040声 遅寝早起

2010年11月05日

明日は、やはり「第10回湯河原文学賞」の表彰式に出席しよう。
と言う決意を持ったのは、今晩である。
実はまだ、自分でもその参加を危ぶんでいる。

理由は、出発の時間にある。
早朝に自宅を出ねば、時間まで間に合わないのである。
当日は、表彰式の前に、「黛まどかさんと歩く湯河原吟行会」が開催され、
その吟行会参加の集合時間が、朝10時なのである。
朝10時までに、湯河原町に到着するには、
未だ朝日が昇る前に起床し、家を発たなければならないのだ。
もっとも、これを書いている現在時刻は、限りなく日付変更線の近きにある。

今回。
私は、おまけで入選したようなものだが、入選でも副賞が出る。
その副賞が、この吟行会の無料参加券なので、
意地でも吟行会に出てやろうと言う気構えは、ある。

しかし明日、寝不足ぼんやり頭を抱えて吟行した所で、
まともな句が詠めるかと言えば、甚だ不安である。
いっその事、午後から始まる表彰式だけに参加して、
観光がてら、ゆっくり温泉にでも浸かってくれば良い。
とも思うのだが、その案は我が心の中で採用されない。

明日参加する為に、断腸の思いで欠席の連絡をした予定が、
2つ3つあるからである。
予め決まっていた予定もあるし、飛び込みの予定もある。
それらの予定を断り、私が、ゆったりと湯河原温泉で一杯やっていたら、
明日の予定に出席する人たちに、後日合わせる顔が無い。
だから明日の私は、辛酸を舐めてでも、彼の地へ赴かなくてはならぬのだ。
けれども、当日の予定が全て終了したら、大いにゆったりと、
一杯やるつもりである。
欠席した予定がどれも、「銭湯」に関連するものだったので、
せめて、銭湯へ入ってこようと思う。

【天候】
朝は雲ひとつ無い秋晴れ。
午後になって、風と雲が出て来る。
朝、新潟方面の山並みに雲があると、午後、必ず風が吹く。

1039声 食卓の配役

2010年11月04日

いよいよ、秋の暮である。
秋気も日を追う毎に、強くなってきており、
吹く木枯らしに冬の気配を感じる。

季節が変わってくれば、やはり、食卓に並ぶ食材も変わって来る。
っても、旬の味覚とは縁遠い食生活を、送っているので、
容易にその食材を列挙し得ない。
その中でも、今日の夕餉において、
食材からではないが、深まる秋を感じた一幕があった。

夕餉に並んだのは、スーパーの値切り寿司、いや、にぎり寿司。
割引シールが貼ってあったので、つい。
私は、寿司が好きなので、喜々として箸を進めていた。
進めて行くのだが、いまいち、速度が出ない。
寿司が美味しくない訳ではない。
それは、冷たい、からなのである。

スーパーのにぎり寿司ってのは、握ってから時間が経っているので、
当然、冷たくなっている。
秋の半ば頃までは、それが少しも気にならなったが、晩秋の今は、気になる。
あまり冷たいと、舌が味の輪郭を掴めない様な、ぼんやりとした味覚になるので、
大いに損をした様な心持がする。

しかし、その合間に飲む、熱いお茶が、とても美味く感じる。
お茶ばかりガブガブ飲むので、お腹が一杯になってしまい、
やはり、損をした様な心持である。
これとは逆の原理で、おでんを食べている時は、
冷たい麦酒が美味く感じる。
麦酒の方は、ガブガブ飲むと、次第に好い心持になってくるので、
こちらの方が問題ない。
どうやら、寒い時期の食卓の主役は、温かいものに譲っておく方が、
理にかなっている。

【天候】
雲一つない秋晴れの一日。

1038声 深谷の湯と本庄の祭

2010年11月03日

つい今し方、目を覚ました。
と言っても、現在時刻はもう夜の9時であるから、
うたた寝をしてしまったのである。

最近、昼寝やうたた寝の類はめったにしなかったが、
今日はどう言う訳か、急激な倦怠感と眠気に襲われた。
それもこれも、夕方に入った湯が起因していると推察される。

今日は、文化の日であった。
文化の日なので、たまには文化的な一日を送ろう。
と思い立ち、以前から誘われていたオカリナのコンサートを観に行こうと、
車を走らせた。
走らせたのだが、天高い秋晴れの空に旅情を誘われ、
途中の駅で車を止めて、電車に乗ってしまった。

降りたのは、埼玉県は深谷駅。
駅からの徒歩圏内に、2軒の銭湯があって、両方を目指して歩く。
2軒とも確認したが、どうやら、1軒しか開いていない様子。
じゃあ、ってんで、開いている方の「姫の湯」の暖簾をくぐる。

常連さんで賑わっており、写真撮影等は自粛して帰って来た。
浴室に、半ば剥げているが、大きなペンキ絵のある、古風な銭湯だった。
私が湯船の縁に腰掛けて、熱湯に苦戦していると、
「どんどん埋めていいよ」
って、常連の方が水をジャバジャバ出すので、快適に入れた。

姫の湯を辞してから、時間が有ったので、はしご湯をしようと、
本庄駅で途中下車。
本庄には、「藤の湯」って銭湯が、市内に1軒残っている。
駅北口から市街地へ歩いて行くと、祭囃子が聞こえてきた。
銀座通りまで来ると、往来に立ち並ぶ屋台と、埋め尽くさんばかりの人。
山車も数台出ており、たいそう、賑やかな祭りである。
この様な見知らぬ土地での予期せぬ出会いが、旅の醍醐味である。

昨日今日と、「本庄祭り」の開催日らしい。
その所為もあってか、臨時で休みか、藤の湯はお休みだった。
とぼとぼと駅へ戻り、帰路へ着いたが、日が沈んで気温が下がり、
風が一層身に沁みてきた。
それによって体が冷えてしまったのか、家へ着くと、
すぐストーブの前で丸くなって、猫の如く寝てしまった。
起きて今、一向に書く気力などないのだが、習慣が体を動かしめている。

【天候】
終日、雲一つない秋晴れ。

1037声 秋の思いの三味の音

2010年11月03日

今日、仕事で訪れた磯部温泉を、しばしそぞろ歩いた。
閑散とした温泉街には廃屋なども目立ち、秋風が身に沁みた。
ふらふらと歩を進めていると、往来脇。
名物である磯辺煎餅の店から、煎餅を焼く香ばしい匂い。
無意識に物欲しそうな目を向けてしまったのか、焼いている御主人。
硝子窓を開けて、「はい」って、焼き立ての磯辺煎餅を数枚くれた。
特有の風味と軽い歯触りが相まって、美味い。

未だ温かい煎餅を、ぱりぱりやりつつ、うら寂しい路地へ入る。
道すがら目に止まった一軒の廃屋。
蔦紅葉の這う壁にかけている、表札。
風雨に晒され、墨の筆文字がかすれて消えかかっていたが、
何とか、読む事が出来た。

「義太夫稽古場」
と、書いてある。
今は昔、ここで、磯部温泉の芸者さんたちに、
義太夫節を指南していたのだろう。
義太夫三味線の音色に合わせて、義太夫節の声音が聞こえてくる。
なんてオツな夜が、磯部温泉に、確かにあった証であろう。
今その光景は、秋の思いの中だけにある。
そこから踵を返して、温泉街へと戻った。

【天候】
終日、雲多くも秋晴れの一日。
寒さも、近日はしばし緩んでいる。

1036声 浴場における文化と文明

2010年11月01日

先日の酒席で、公衆浴場における、入浴マナーの話になった。
話題は、「マナーの乱れ」、であった。

そのマナーの乱れを憂いていたのだが、私は、こと巷の伝統的な銭湯に関して、
マナーの秩序は保たれていると感じている。
反面、日帰り温泉やスーパー銭湯、それも近年できた大型の施設ほど、
マナーの秩序が乱れていると感じるのだ。

例えば。
これは若者に多いが、浴室の中にバスタオル巻いて入っている。
湯船に漬けなければ、別段、衛生的に悪いところもなさそうだが、
タオルがビチョビチョのまま、脱衣場へあがる人が多い様である。
そして、最近多いのが、サウナで携帯。
防水機能つき携帯電話の普及が、如実に表れている。
この人たちは、自宅の風呂でも、電話しながら入っているのだろう。
文明の利器は、入浴作法をも凌駕する。

しかしながら、風呂に入っている時くらい、文明と言うか、
現代社会から解放されても良いのではないかと思う。
私などに至っては、現代社会から逃げる様な心持で、銭湯へ行く。
そして、一度暖簾をくぐって、真っ裸で湯に浸かっていると、
しばし社会の仕組みから解放されたようで、非常に心持が好い。

技術の進歩により、携帯電話に留まらず、
情報端末やゲーム機の類は確実に、公衆浴場文化の中へ流入してくるだろう。
流入して氾濫し、そして定着してしまうのだろうか。
電車内の携帯電話や化粧のように。

【天候】
朝より強い雨。
午前10時頃には上がり、晴れて、暖かな一日となる。

1035声 ダークかつソリッド

2010年10月31日

昨日は、台風圏の中で右往左往していた一日だった。
まずは、群馬県立女子大学へ向かった。
目的は、「群馬学リサーチフェロー」として研究活動の一である、「ゼミ活動」。
昨日は、その初回のゼミ活動日だった。

このゼミ活動ってのは、一般的に大学で行われているゼミのようなもの。
つまり、少人数のクラスで、テーマに関した発表、それに基づいた議論などを行う。
第1回目の昨日は、リサーチフェロー各々の「研究計画」の発表。
それに対して、意見交換及び議論などを行う。

異業種交流。
ではないが、やはり、分野の違う方々の意見と言うのは、
思わぬ観点で捉えられており、新鮮であった。
そう感じたのはもとより、私の研究計画が浅はかだった事も、多分にある。
私は、「温泉」と「銭湯」を、全く乖離させて調査及び研究をしようと考えていたが、
やはりそれは不自然である。
と言う事が、意見交換の中で分かった。
特に、ここ群馬県では。

その後は、台風による豪雨の中を、一路、中之条町へ。
向かうのは、「旧廣盛酒造」にて開催されている、「酒」をテーマにした16人展。
そのオープニングセレモニー。
初めて会う方、見慣れた方、久しぶりに会う方、思わぬところで会う方。
様々な方々と、酒を酌み交わす事ができ、
本当に素晴らしい作品の数々を見学できた。

その中、挨拶されたひとりの木工作家さんが言葉が印象的だった。
要約すると、
「今回の開催場所であるこの、旧廣盛酒造から、私は無機質で暗い印象を受けました。
この会場に合う木工作品を考えた結果、『ダークかつソリッド』なもの、と言う考えに至りました。
それはつまり、木工作品のもつ、『木の温かみを消す事』。
木の温かみを消した、新しい感覚の作品を是非、観て行って下さい」
と言うもの。
かなり意訳してしまったが、確かにその作品からは「ダークかつソリッド」な、「作家魂」を感じた。
しかし、その作家さん自身は、温かみが滲みだしたような、気さくな人柄なのだ。
秋灯の下、心地好い酔いと共に、なかんじょうの夜は更けゆく。

【天候】
台風一過。
の筈が、終日、曇天。
夕方頃より、小雨がしとしと。

1034声 台風圏のなかんじょう

2010年10月30日

夕方から夜半にかけて、台風14号が関東地方に接近する。
と言う予報が出ていながら、中之条町へ行こうとしている。

目的は「旧廣盛酒造」で開催されている、16人展。
「酒」をテーマにした展示会なので、会場では勿論、酒を飲む事になる。
台風圏の中で酔っ払っていて、帰路、氾濫した川に流されはしないか。
自分の事ながら、いささか心配である。

晩秋の雨ってのは、身に沁みて体に堪える。
昨今の異常気象が体に堪えているのは、どうやら人間だけではない。
我家の庭に植わっている、柿の木。
昨年は鈴なりに実っていたが、今年はどうしたことだろう。
実っている柿は、僅かに、3つ。

【天候】
台風14号の接近により、大雨。
夕方より徐々に小雨、夜半には雨上がる。

1033声 ふるさとの場所

2010年10月29日

こうやって、かなり酔っている時に更新する事を、自ら禁じて来た。
しかし、どう言う訳か、今宵は更新作業に取り掛かってしまっている。

つい先程、梯子酒の最後に寄ったのが牛丼チェーン店。
所謂、「締め」ってやつだが、その選定理由は、価格を考慮しての結果である。
300円でお釣りが来るってのは、非常に安価で締められて、助かる。

カウンターで食べていると、後の席の若者。
推定年齢20代前半の男女。
会話に出ている小学校の名前が、母校なので、一瞬「ギクッ」としてしまった。
しかし、考えてみれば、彼らは私の随分年下なのである。
お互いに面識がある筈もない。
故郷に住んでいると、この様な例が多々あって、世間の狭さと言うおうか、
地域社会の「近さ」を感じる。

ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
ってのは、室生犀星だが、確かにそうだと思う。
近くて疎んじている悲しさは、到底、うたにはならない。
「ふるさと」ってのは、何も生まれ育った街だけではない筈。
そして、誰にでも、一寸飲んだ時なんかにふと思い出す、
ふるさとがある筈である。

【天候】
終日、鰯雲のたなびく秋晴れの一日。
冷気も緩み、束の間に平穏な気候。