日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和6年度は4月(ぬ)5月(岡)6月(す)7月(堀)8月(坂)9月(ぬ)10月(岡)11月(す)12月(堀)1月(坂)2月(ぬ)3月(岡)の順です。

260声 浮世離れのもんじゃ街道

2008年09月16日

先日行った東京は月島。
月島ったら勿論もんじゃ。

三連休中日の正午の少し手前。
月島のアーケード商店街に入ると、全体的にシャッター店が多く、
閑散とした雰囲気。
しかし、軒先に置いてある椅子には、腰掛けて開店を待っている人たち。
その光景が、商店街でまばらに見られる。
皆一様に、派手な表紙の旅行雑誌を小脇に抱えて、今か今かと。
中には、15人程の列になってる店もある。

若干圧倒されつつ、既に開店している店に入店。
当然、空いてそうな店を当てずっぽうで選んだ。
観光客相手の割高なもんじゃを堪能。
入店してから徐々に混みはじめ、直ぐに満員。
昼だっつぅのに店内には、
「生中三つ!」だとか「ウーロンハイおかわり!」なんて声が飛び交う。
その声に急き立てられる様に、自分もやはりビールを過剰飲酒。
旅行雑誌に、「もんじゃ一つに対して、ビール2杯が目安です」
なんて書いてあるのかもしれん。
そうだとすれば、非常に的を得た記事だと思う。

ひとしきり呑んで食って、店を出る。
すると、店先には長蛇とまでは行かないが、旅行雑誌小脇組が列をなす。
歩いて見ると、店先に何某かの芸能人の写真が貼ってある店はやはり人気な様子。
ふと商店街脇の路地に目をやると、メイン通りの洒落た店とは打って変わって、
味わいの深い佇まいの店もある。

「この手の店が良かったかなぁ」
と思ってもまぁ、一見観光客なのでしかたない。
趣ある路地の向こうには、高層ビルがそびえ立っている。
酔眼の為か、なんだか玩具のビルの様な、妙に浮世離れした異様な光景に映った。

259声 変節

2008年09月15日

未読の本の山を毎晩、睡眠時間と引き換えに少しづつ崩してゆく。
床で本を読んでいると、悩まされるのが蚊である。
もう9月も半ばだと言うのに、毎晩、蚊が耳障りなのだ。
しかし、別に血を吸うでもなく、ふらふらと所在無さ気に飛び回っている。
季節の変り目が物悲しく思える、刹那。

258声 本日の出目

2008年09月14日

時にいい加減であったり。
時に真面目腐っていたり。
時にキザであったり。
時に野暮であったり。

と言う毎日の更新内容を、良しとしている。
賽の出目が毎回一定と言う試合を、良しとしないからである。

257声 その了見を遺産に

2008年09月13日

今年の4月頃から、私は県内の銭湯を回っている。
まずは住んでいる周辺からと思いたち、高崎次いで前橋市内の各銭湯を訪ねている。
自らの視点で捉えた、「群馬遺産」を紹介してゆくコンテンツ【とっおき探訪】に、
「路地裏銭湯記」として載せる為である。
なぜ、日々の生活とは馴染みの無い、「銭湯」なんてモノに目を向けているのか。
いや其処には、「向けている」なんて能動的な手法ではなく、
「魅かれる」と言った受動的な力が働いている。

目を魅かれる。
銭湯の何処に。

・桐生浴場同業組合が敬老の日に銭湯寄席
おいでよ! おふろやへ−。
桐生浴場同業組合は敬老の日の十五日、市内の四軒の銭湯で初めて銭湯寄席を開く。
群馬大落語研究会の会員が、三人一組となって各銭湯で午後の一時間、
自慢の話をたっぷり聞かせる。同組合には七軒の銭湯が加盟しており、
これまでも敬老の日には七十歳以上のお年寄りの入湯料を無料にしてきた。
今年は各銭湯が指定した時間帯は、六十五歳以上のお客が無料でお湯を楽しめる。
※上毛新聞ニュースより抜粋

銭湯の持っている、こう言う了見に魅かれるってのは確か。

※上毛新聞ニュース

256声 薄まってゆく

2008年09月12日

それはまだ消費税が3%だった時代。
幼少の時分、父と出かけた東京。
夏の暑さを凌ぐ為、上野駅の地下レストラン街で初めて入る喫茶店。
私はコーラを注文。
その時にした、父への質問を今でも覚えている。

「とーさん、なんでココはさぁ、コーラが300円もして、外の自動販売機では110円なん」
「そりゃ、ショバダイ。場所の代金だな。」
「だから、お姉さんがコーラ持って来てくれて、
こんなにクーラーが効いた部屋で、ゆっくり飲めるんだよ」

私は曖昧な返事を打って、氷をストローで突付いた。
納得したかしなかったかは忘れてしまった。
何だか妙な気持ちが、小さな塊の様にして心に残った事だけは覚えている。
成長するにつれ、その小さな塊は氷の様に溶けていったのだろう。
肝心なモノを薄めながら。

255声 衝動があるだけ

2008年09月11日

「書く」と言う行為に対する自らの執着は、一体何処から来るのか。
それは単に、一つの表現方法としての問題では無い。
根本的欲求の代理行為。
だとしたら、いや、自分で書いていて何だか良く分からん。
って、投げ出して拾ってはまた書く。
分かっているのは、「書きたい」と言う衝動があるだけ。
その内容が、虚実混ぜこぜ、あるいは嘘で塗り固めた虚構だと分かっていても、
やはり。

254声 減量に苦しむ候補者達

2008年09月10日

日々の更新内容。
こんなにも社会性の無い内容で良いのだろうか。
などと、唐突に翻って再考。

日刊で更新はしているが、時事の内容が極めて少ない。
現在だったら、総裁選あたりが時事問題としては旬。
テレビをつければ、自民5候補なんてのが丁度、生出演中である。

どの先生方も、キャスターの質問に対し真剣な面持ちで答弁。
各人、お互いの腹を探り中と言った具合。
映像を見ていると、なんだかボクシングの計量会場の様な印象。

計量会場ではもちろん、規定内に収まっているかお互いの体重を量る。
と同時に、相手の肉体、眼光、雰囲気等を見て、各陣営が試合直前の対戦相手の状態を探る、
最後の機会なのである。
つまり、自らのコンディションを相手陣営に晒すわけである。
そう、或る本で昔読んだ事があった。

きっと、体の筋肉の付き方やハリなど見て、
「コイツはパンチが無いな」
とか、眼光の鋭さ、醸し出す雰囲気等から、
「コイツは相当今回の減量に苦しんだな」
など、相手のコンディションを探り、試合展開を考えるのだろう。

そう考えながら見ると、小難しい政策論争も、案外興味深く聞いて居られる。
さて、手の内を探られまいと、火花を散らせている各候補者たち。
中には、相当減量に苦しんだであろうと思われる先生も見受けられる。
その勢いの良いビッグマウスが、逆説的に自らの政策不振を物語っていなければ良いのだが。

253声 活中患者狂乱の秋

2008年09月09日

極私的世論調査の集計結果が先程発表された。
それによれば、やはり秋は、活中患者が一番多くなる季節。

「甲冑」の打ち間違いじゃなく、「活中」で正しい。
漫画の「稲中」の間違いでもない。
「活中」とは、「活字中毒者」の略である。

Wikipediaによると『活字中毒(かつじちゅうどく)とは、活字(文章)への「依存症」で、
活字に常に接していないと気分が悪くなるなどの症状が出る。
このような症状を呈する人間は、「活字中毒者」と呼ばれる。
内容ではなく本それ自体に愛着する「ビブリオマニア」(書痴、愛書狂)とは区別される。』

私も、今こうして書いている間にも、読みかけの小説が読みたくて読みたくて堪らない。
そして、書きたくて書きたくて堪らない。
と言う、都合の良い症状は出ないみたいである。

「雑誌を読みながらじゃないと飯が食えない」
「朝のトイレは新聞読みながらじゃないとダメ」

ってな人達も、立派な活中予備軍である。
そう考えると、私などまだまだひよっ子。
そう言えば、逆の症状の人なら何人か知ってるなぁ。

252声 叙情的な夜はどこで更けるか

2008年09月08日

読書の秋である。
これまた、ベタで古典的な随筆文章の出だしであるが、
スポーツでも食欲でもなく、やはり読書の秋なのである。
と、私は感じている。

私も一応社会人の端くれなので、
昼日中から木陰で読書なんて時間は作り難い。(と言う事にしておく)
本腰を入れて本を読むのは、床に就いてからである。

秋虫の風流な声を聞きながら、古典文学の頁をめくる。
叙情的な夜は、ゆっくりと静かに更けてゆく。

ってな感じで綺麗にまとめたいのだが、実際はそう上手く行かない。
出だしから追って見る。
秋虫の風流な声を聞きながら、ここまでは良い。
地方都市生活者の情感が出ている。
古典文学の頁をめくる。
これが出来ない。

近松門左衛門の『曾根崎心中』あたりを読みたいが、
秋の夜更けに心中を考えても、精神衛生上よろしくない。
どちらかと言えば、井原西鶴『好色一代男』 なんてのが良い。
しかしながら、原文を読み解く読解力を持ち合わせていないのが難点。

では、一気に明治・大正時代までやってくる。
田山花袋の『蒲団』なんてのはどうか。
しかし、実際に布団に包まりながら読むのも、いささか悲しい。
口語自由詩なんかも持ってきて、
群馬つながりで萩原朔太郎の『月に吠える』。
これは、月に向って吠えたくなってしまうので、
叙情的な夜がゆっくりと静かに更けない。

やはり上手く行かない。
叙情的な夜は、ゆっくりと静かに更ける。
そもそもここが違う。
夜は普通に、いつもながら慌しく更ける。
そんで、床に就いて漫画でも読みつつ、いつの間にか朝である。
ハヨネヨ。

251声 路地裏に娘 後編

2008年09月07日

《昨日の続き》

「はい」
やや呆然と聞き返した。
「質屋です。この近くに質屋ってありますか」
くっきりと、薄紫のアイラインが引いてある大きな目が問いかける。
表情は柔らかく、丁寧な口調。
「いや、分かんないですね」
左手の手拭いを少し隠しながら、曖昧な表情で答えた。
「そうですか。ありがとうございました」
軽く会釈して、車は前進。
加速しながら、滑らかに閉まってゆくパワーウィンドウ。
以前呆然としたまま、ブレーキランプの点滅を見ている。

「質屋」
と、歩きながらわざと口に出してみる。
質屋探しの娘の背景物語を、出鱈目に想像。
想像上の物語は、風呂屋を探す男と質屋を探す女が、
偶然路地裏で出くわす部分まで差し掛かった。

不意に顔をあげる。
並ぶ住宅の瓦屋根の向こうに、大儀そうに煙を吐く古びた煙突が見える。
行ってみると、やはり土地の銭湯。
色が褪せ、生地の痛んだ紺暖簾が無愛想に揺れている。
番台のおじいちゃんに、360円を払って脱衣場へ入ると、先客は無し。
「この近くに質屋ってありますか」
と聞くと、
「ないね」
映りの悪いテレビの声に紛れて、搾り出す様な声が返ってきた。

浴室へ入り、赤い取っ手のカランから桶に湯を出す。
カランの上に備え付けてある鏡の脇には、
土地の店の屋号と電話番号が印字してある。
その中には、「質店」の屋号もあった。

250声 路地裏に娘 前編

2008年09月06日

先日終日、前橋市内をグルグルと走り回っていた。
目的は銭湯探索。

銭湯残存地域と言うのは大抵旧市街にあたるので、
一方通行の多い、入り組んだ路地の中から探し出さねばならない。
半ば当てずっぽうで、路地を彷徨う。
手拭い片手に、キョロキョロ屋根を見回しながら歩く(煙突を探しているのである)様は、
非常に怪しい。

そんな怪しげな様子で、午後三時の空地まどろむ路地裏を歩いていた私。
フト前方に目をやると、こちらへ近づいてくる一台の黒い日産マーチ。
若干驚きつつ足を止め、手拭いを握る左手に自然と力が入る。
すると、私の真横に着けたマーチの運転席側のパワーウィンドウが、
億劫そうに開いた。
車内の運転席から斜めにこちらへ向く顔。
目が合う。
綺麗にセットされた茶色の巻き髪が似合う、上品そうなお嬢さんではないか。
「ややや」
手拭いをさらに強く握りつぶす私。

《明日へつづく》

249声 サン坊マー坊二人合わせてサンマーだ

2008年09月05日

日々近づく秋の足音、それに比例して生活の中で「秋刀魚」に出会う機会も多くなる。
家は食卓で街では大衆食堂。
夜は飲み屋で止めは寿司屋。
秋刀魚づくしにも程がある。

それじゃあってんで、ついでに食っておきたいのがサンマーメンである。
駄洒落的展開にも程がある。
でもまぁ、それも良しとして。

群馬ではあまり見かける機会も少ないが、県内でも一、二回食べた経験がある。
発祥は横浜中華街辺りと言われており、漢字で表記すると、「生碼麺」やら「生馬麺」になる。
一言で言い表すと、「もやし主体型野菜あんかけラーメン(細麺)」って具合。
もちろん、「秋刀魚」とは関係なし。

怖いもの見たさで食べたのだが、中華丼の「あん」をゆで麺にかけた様な印象で、非常に美味く感じた。
値段も安く大衆的であり、一目置いている麺料理なのである。

しかし、随分と前の事で当時食った店が思い出せない。
そして、広東麺との相違点はドコなのか探し出せない。

248声 気付いてほしいお年頃 学校「ほのじ」開講中

2008年09月04日

「気付いた?えっ、何かいつもと違うトコロがあるでしょ」
なんて、年頃の女子じゃあるまいし、と言いつつも気付いてほしいのである。

「何だよ」
ってな方は、今すぐ表に出るが良い。
表に出て、「めっかった群馬」のTOPページを見てほしい。
学校「ほのじ」ってコンテンツをリニューアルしたのである。

コンテンツ内に、「ほのじ通信」ってなページが新たにできた。
これは言わば、「学校からのお知らせ」の様なページ。
ほら、小学生時分に「学校だより」って紙っぺらを月に一回家に持って帰っていた筈。
先生に、「持って帰ったらお家の人に見せましょう」なんて言われて、
ランドセルに入れて3歩歩いたら忘れちゃって。
「なんでアンタは見せないのまったく!授業参観の日にちが分かんなかったじゃないの!」
なんて、後で親からこっぴどく怒られた方も少なくない筈。
ずる賢い奴は確信犯だったりもする。

さてはともかく。
学校「ほのじ」の情報が、これからもっと見れるのである。
まずは、学校「ほのじ」校長の挨拶なんてモノがあるので、
これを読み終わってからちょいと読んで頂きたい。
そして万が一、興味なんて湧いてきたなら、「お問い合わせ」ってトコロから、
遠慮なく1通送信してみたら良し。
でもって、せっかちな方や行動派方面の方は、一度学校「ほのじ」に行って見てきたら良い。
JR伊勢崎駅を出て、南へ歩く事およそ3分。
往来の左手に、何やら古臭い、いやいや、古風で趣のある古民家が見えてくる筈。
そこが学校「ほのじ」。
詳しい場所、時間や日にちは、ページにある「所在地」ってトコロで確認できる。

尚、私への講座申し込みは、飲み屋のカウンターで出くわした時に直接と言う事にしている。
授業料はそうだな、サービスして焼き鳥一本。
名前は学校「ほろ酔い」。
受講生は皆「二日酔い」。
言ってる場合かっ!

247声 奇襲!チャバネゴキブリゲリラ部隊

2008年09月03日

毎日毎日、こうやって何某かの文章を書いていると、
次第に内容も日常瑣末化してゆく(もう完全にそうなっているのだが)。
そんな枝葉末節にこだわった文章を、のんべんだらりと書き綴る生活。
その弛んだ生活に、刺激をくれたヤツの事を書かねばなるまい。

ヤツが現れたのは、つい先程なのである。
残暑で蒸し暑い本日。
仕事から帰り、自室にて読みかけの小説を捲りながらビールを飲んでいた。
束の間の至福の時間である。
そんな小さな幸せを射抜く様に、ヤツは音も無く不気味かつ怪しげに、
私の前に姿を見せた。

見慣れないその姿に、一瞬面食らってしまったが、
じわじわとヤツの発する不穏な空気が伝わって来た。
まじまじ見ると、やはり猟奇的な風体をしていると実感。
丸々太った体。
脂ぎって黒光りしてる顔。
そして、手足を小刻みに動かしながら素早く神経質そうに移動している。

そう、ヤツの正体は体長4.5cmはあろうかと言う、丸々太ったチャバネゴキブリ。
舌を噛みそうな語感からして、厄介なヤツなのである。
眺めていてもしょうがないので、新聞紙を丸めて「エイ!」。
「あっ、しくじった。ヤローまちやがれ。コンチクショーくたばれ。ざまぁみやがれ!」
って、今し方お亡くなりになったゴキちゃんを供養。
闘いは終わったのだ。

しかし、本棚の間、机の脇、テレビの後ろと言った部屋全体から、
邪悪な視線を感じるのは気のせいではない筈。
どうやら今夜は、チャバネゴキブリゲリラ部隊と徹底抗戦になる事だろう。
なんだか、書いているだけで気持ち悪くなってきた。

246声 「崖の上のポニョ」が鼓膜から侵入して三半規管を回遊

2008年09月02日

先日、本屋で立ち読みをしていた。
熱心に週刊誌を読んでいると、後方の本棚より、
何やら子供の唄い声が聞こえてきた。
気が散って、記事に集中出来ない。
「私の熱中立ち読み時間をジャマすんのはどこのガキだ!」
って、本棚の向こうをチラッと覗いたら、液晶テレビが一台。
映っていた画面には、「崖の上のポニョ」。
ふふふ。

245声 工程管理におけるベテランの作業時間 後編

2008年09月01日

昨日の続き。

いざ注文。
ここでは、無駄なく一気に食べる総数を注文したいところだが、ベテランは違う。
総数が6品だったら、3品3品。
10品だったら3品、3品、2品、2品で、小刻みにリズム良く注文する。
これは、一気に注文する事によって生じる受けて側の混雑を防ぐ為と、
一気に注文の品が流れてきて、自分のカウンターの前が皿だらけになってしまうのを防ぐ為。
たまに自分のカウンターの前に、皿を目一杯並べて食べている人を見かけるけれど、
「食べ放題の店じゃないんだから、誰もとりゃしないよ」と思ってしまう。
最近では、「一度のご注文は3品まででお願いします」なんて店も少なくない。

やはり、3品の内、2品食べ終えたら次の3品を注文、それが流れて来る間に、
残りの1品を食べ終えてガリを摘みながら悠然と待つ。
このリズムで軽快に注文して行くのが、ベテランと言える。

そして最後の注文を食べ終えたら、直ぐにお勘定。
たまに、「あともう一皿イケルかな、どうかな」なんて悩んでいる人がいるが、
これも、「食べ放題の店じゃないんだから、大食いに挑戦しなくても」と思う。
入店してからお勘定まで、徹底した工程管理における一定のリズムで作業を進め、
無駄のない作業時間で食事をこなすのが、回転寿司のベテランなのである。
そして、私の様な一本芯の通った新のベテランは、
食べ終わって100円皿だけが積んであっても、別に負い目なんて感じないのだ。

244声 工程管理におけるベテランの作業時間 中編

2008年08月31日

昨日の続き。

まず入店してカウンターへ座る。
この時点で、ベテランは回転している寿司をキョロキョロ物色しない。
カウンターへ座ったら、真っ先に注文するのである。
注文方法は、タッチパネル端末式だか口頭注文式だか店舗によって違う。
そして注文時、ベテランなら当然、左程考えずとも注文するネタは既に決まっている。
カウンターに座るまでに目に入った、
店内に貼ってある「旬のネタ」を、注文する否かを考える程度なのだ。

もし旬のネタを注文する事になっても、
注文構成を直ぐに割り出せる事が、ベテランをベテランたらしめる条件なのだ。
予め決まっている注文ネタリスト、仮にマグロ、イカ、ハマチ、ホタテ、エビだとする。
旬のネタを入れて、マグロ、イカ、旬のサンマ、旬のコハダ、エビ。
ってな具合に、合計枚数は変わらずに注文構成のみ変える。
それが、席に座って注文するまでに、割り出されていなければならないのである。

今日もエスカレート式に興奮してしまって、書き過ぎてしまった。
こんな事では到底、文章構成におけるベテランとは言いがたいが、
私は回転寿司のベテランなのでこれで良いのだ。
ではまた明日。

243声 工程管理におけるベテランの作業時間 前編

2008年08月30日

私にはもはや、ベテランの域に達している事がある。
それは悲しい事に、仕事関連の事ではない。
趣味でやっている事でもない。
生活の中の一部である食事関連の事。
と言っても、料理を作るのが美味い訳でもなく、
ましてや食通と言われる部類の人間でもない。
むしろ、その二点からは対極の人間と言える。
では何か、「回転寿司」なのである。

散々もったいぶった割に、答えが貧相。
どうしても、泡の多いビールの様な文章展開癖が抜けない。
それはさて置き、私は「回転寿司」に関して、
ベテランの域に達していると自負している。

それは、入店してから勘定を払うまでの流れで、
私の一挙手一投足の無駄の無さが象徴している。
少々大袈裟だが、ベテランなので良いのである。

まずは、と店内のでの流れをじっくりと説明して行きたいのだが、
それは明日にしよう。
怠けている様だけれど、これもベテランなので良し。