日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和6年度は4月(ぬ)5月(岡)6月(す)7月(堀)8月(坂)9月(ぬ)10月(岡)11月(す)12月(堀)1月(坂)2月(ぬ)3月(岡)の順です。

249声 サン坊マー坊二人合わせてサンマーだ

2008年09月05日

日々近づく秋の足音、それに比例して生活の中で「秋刀魚」に出会う機会も多くなる。
家は食卓で街では大衆食堂。
夜は飲み屋で止めは寿司屋。
秋刀魚づくしにも程がある。

それじゃあってんで、ついでに食っておきたいのがサンマーメンである。
駄洒落的展開にも程がある。
でもまぁ、それも良しとして。

群馬ではあまり見かける機会も少ないが、県内でも一、二回食べた経験がある。
発祥は横浜中華街辺りと言われており、漢字で表記すると、「生碼麺」やら「生馬麺」になる。
一言で言い表すと、「もやし主体型野菜あんかけラーメン(細麺)」って具合。
もちろん、「秋刀魚」とは関係なし。

怖いもの見たさで食べたのだが、中華丼の「あん」をゆで麺にかけた様な印象で、非常に美味く感じた。
値段も安く大衆的であり、一目置いている麺料理なのである。

しかし、随分と前の事で当時食った店が思い出せない。
そして、広東麺との相違点はドコなのか探し出せない。

248声 気付いてほしいお年頃 学校「ほのじ」開講中

2008年09月04日

「気付いた?えっ、何かいつもと違うトコロがあるでしょ」
なんて、年頃の女子じゃあるまいし、と言いつつも気付いてほしいのである。

「何だよ」
ってな方は、今すぐ表に出るが良い。
表に出て、「めっかった群馬」のTOPページを見てほしい。
学校「ほのじ」ってコンテンツをリニューアルしたのである。

コンテンツ内に、「ほのじ通信」ってなページが新たにできた。
これは言わば、「学校からのお知らせ」の様なページ。
ほら、小学生時分に「学校だより」って紙っぺらを月に一回家に持って帰っていた筈。
先生に、「持って帰ったらお家の人に見せましょう」なんて言われて、
ランドセルに入れて3歩歩いたら忘れちゃって。
「なんでアンタは見せないのまったく!授業参観の日にちが分かんなかったじゃないの!」
なんて、後で親からこっぴどく怒られた方も少なくない筈。
ずる賢い奴は確信犯だったりもする。

さてはともかく。
学校「ほのじ」の情報が、これからもっと見れるのである。
まずは、学校「ほのじ」校長の挨拶なんてモノがあるので、
これを読み終わってからちょいと読んで頂きたい。
そして万が一、興味なんて湧いてきたなら、「お問い合わせ」ってトコロから、
遠慮なく1通送信してみたら良し。
でもって、せっかちな方や行動派方面の方は、一度学校「ほのじ」に行って見てきたら良い。
JR伊勢崎駅を出て、南へ歩く事およそ3分。
往来の左手に、何やら古臭い、いやいや、古風で趣のある古民家が見えてくる筈。
そこが学校「ほのじ」。
詳しい場所、時間や日にちは、ページにある「所在地」ってトコロで確認できる。

尚、私への講座申し込みは、飲み屋のカウンターで出くわした時に直接と言う事にしている。
授業料はそうだな、サービスして焼き鳥一本。
名前は学校「ほろ酔い」。
受講生は皆「二日酔い」。
言ってる場合かっ!

247声 奇襲!チャバネゴキブリゲリラ部隊

2008年09月03日

毎日毎日、こうやって何某かの文章を書いていると、
次第に内容も日常瑣末化してゆく(もう完全にそうなっているのだが)。
そんな枝葉末節にこだわった文章を、のんべんだらりと書き綴る生活。
その弛んだ生活に、刺激をくれたヤツの事を書かねばなるまい。

ヤツが現れたのは、つい先程なのである。
残暑で蒸し暑い本日。
仕事から帰り、自室にて読みかけの小説を捲りながらビールを飲んでいた。
束の間の至福の時間である。
そんな小さな幸せを射抜く様に、ヤツは音も無く不気味かつ怪しげに、
私の前に姿を見せた。

見慣れないその姿に、一瞬面食らってしまったが、
じわじわとヤツの発する不穏な空気が伝わって来た。
まじまじ見ると、やはり猟奇的な風体をしていると実感。
丸々太った体。
脂ぎって黒光りしてる顔。
そして、手足を小刻みに動かしながら素早く神経質そうに移動している。

そう、ヤツの正体は体長4.5cmはあろうかと言う、丸々太ったチャバネゴキブリ。
舌を噛みそうな語感からして、厄介なヤツなのである。
眺めていてもしょうがないので、新聞紙を丸めて「エイ!」。
「あっ、しくじった。ヤローまちやがれ。コンチクショーくたばれ。ざまぁみやがれ!」
って、今し方お亡くなりになったゴキちゃんを供養。
闘いは終わったのだ。

しかし、本棚の間、机の脇、テレビの後ろと言った部屋全体から、
邪悪な視線を感じるのは気のせいではない筈。
どうやら今夜は、チャバネゴキブリゲリラ部隊と徹底抗戦になる事だろう。
なんだか、書いているだけで気持ち悪くなってきた。

246声 「崖の上のポニョ」が鼓膜から侵入して三半規管を回遊

2008年09月02日

先日、本屋で立ち読みをしていた。
熱心に週刊誌を読んでいると、後方の本棚より、
何やら子供の唄い声が聞こえてきた。
気が散って、記事に集中出来ない。
「私の熱中立ち読み時間をジャマすんのはどこのガキだ!」
って、本棚の向こうをチラッと覗いたら、液晶テレビが一台。
映っていた画面には、「崖の上のポニョ」。
ふふふ。

245声 工程管理におけるベテランの作業時間 後編

2008年09月01日

昨日の続き。

いざ注文。
ここでは、無駄なく一気に食べる総数を注文したいところだが、ベテランは違う。
総数が6品だったら、3品3品。
10品だったら3品、3品、2品、2品で、小刻みにリズム良く注文する。
これは、一気に注文する事によって生じる受けて側の混雑を防ぐ為と、
一気に注文の品が流れてきて、自分のカウンターの前が皿だらけになってしまうのを防ぐ為。
たまに自分のカウンターの前に、皿を目一杯並べて食べている人を見かけるけれど、
「食べ放題の店じゃないんだから、誰もとりゃしないよ」と思ってしまう。
最近では、「一度のご注文は3品まででお願いします」なんて店も少なくない。

やはり、3品の内、2品食べ終えたら次の3品を注文、それが流れて来る間に、
残りの1品を食べ終えてガリを摘みながら悠然と待つ。
このリズムで軽快に注文して行くのが、ベテランと言える。

そして最後の注文を食べ終えたら、直ぐにお勘定。
たまに、「あともう一皿イケルかな、どうかな」なんて悩んでいる人がいるが、
これも、「食べ放題の店じゃないんだから、大食いに挑戦しなくても」と思う。
入店してからお勘定まで、徹底した工程管理における一定のリズムで作業を進め、
無駄のない作業時間で食事をこなすのが、回転寿司のベテランなのである。
そして、私の様な一本芯の通った新のベテランは、
食べ終わって100円皿だけが積んであっても、別に負い目なんて感じないのだ。

244声 工程管理におけるベテランの作業時間 中編

2008年08月31日

昨日の続き。

まず入店してカウンターへ座る。
この時点で、ベテランは回転している寿司をキョロキョロ物色しない。
カウンターへ座ったら、真っ先に注文するのである。
注文方法は、タッチパネル端末式だか口頭注文式だか店舗によって違う。
そして注文時、ベテランなら当然、左程考えずとも注文するネタは既に決まっている。
カウンターに座るまでに目に入った、
店内に貼ってある「旬のネタ」を、注文する否かを考える程度なのだ。

もし旬のネタを注文する事になっても、
注文構成を直ぐに割り出せる事が、ベテランをベテランたらしめる条件なのだ。
予め決まっている注文ネタリスト、仮にマグロ、イカ、ハマチ、ホタテ、エビだとする。
旬のネタを入れて、マグロ、イカ、旬のサンマ、旬のコハダ、エビ。
ってな具合に、合計枚数は変わらずに注文構成のみ変える。
それが、席に座って注文するまでに、割り出されていなければならないのである。

今日もエスカレート式に興奮してしまって、書き過ぎてしまった。
こんな事では到底、文章構成におけるベテランとは言いがたいが、
私は回転寿司のベテランなのでこれで良いのだ。
ではまた明日。

243声 工程管理におけるベテランの作業時間 前編

2008年08月30日

私にはもはや、ベテランの域に達している事がある。
それは悲しい事に、仕事関連の事ではない。
趣味でやっている事でもない。
生活の中の一部である食事関連の事。
と言っても、料理を作るのが美味い訳でもなく、
ましてや食通と言われる部類の人間でもない。
むしろ、その二点からは対極の人間と言える。
では何か、「回転寿司」なのである。

散々もったいぶった割に、答えが貧相。
どうしても、泡の多いビールの様な文章展開癖が抜けない。
それはさて置き、私は「回転寿司」に関して、
ベテランの域に達していると自負している。

それは、入店してから勘定を払うまでの流れで、
私の一挙手一投足の無駄の無さが象徴している。
少々大袈裟だが、ベテランなので良いのである。

まずは、と店内のでの流れをじっくりと説明して行きたいのだが、
それは明日にしよう。
怠けている様だけれど、これもベテランなので良し。

242声 カウンターに居たのは西毛訛りのある男でした

2008年08月29日

今日は音を立てて雨が降る秋の夜。
TVの災害情報によると、目下大雨洪水注意報下にある群馬県南部。
「ここ高崎市は群馬県南部だよなぁ」と、一瞬迷ってしまった。

と言うのも、県内の人間が群馬県をエリア別に分けて呼ぶ時は、
大抵、「西毛、東毛、北毛」の三つを使うからである。
その伝で分けると、高崎市は西毛エリアで前橋市は東毛エリア、
北毛エリアは渋川市から上方面になる。
そして各地の方言は、「上州弁」と呼ばれる。
現在でも県内には、「上毛・上州イズム」は脈々と受け継がれている様である。

このイズムを強く体感できるのが、各エリアでも奥地の方の、定食屋とか飲み屋だろう。
店内で聞こえてくる客の話に耳を傾けていると、面白いのである。
特に、俗に言う団塊の世代以上の方々が居たら要チェック。
その世代クラスであれば、方言濃度が濃いので、分かりやすいのだ。
カウンターの片隅で、「やはりここは北毛訛りだな」などと感じつつお新香をつまむ。
アメリカ映画で目にする、「南部訛りの男」的な土着感で、聞いていて非常に面白い。

翻って私の場合。
酒の席などで、「元々群馬の人?」なんて言われてる様では未だ未熟な証拠。
「西毛訛りのある男」と相手に思われる位になりたい。
しかしそうなるには、なっからよいじゃあねぇだんべ。

241声 秋の夜。スイッチョンと交信。

2008年08月28日

しっとりと雨が降る秋の夜。
庭先から聞こえる秋虫の声。
机の前で頬杖をついてる私。
遠くへ消え入る救急車の音。

その様な詩的情景の中にいても、一向に気の利いた文章が思い浮かばない。
なので、状況を散文的に情景描写するだけで精一杯。
机の前に座っていると、一日の疲労感と共に、睡魔が体全体に押し寄せてくる。
まるで、金メダルを獲ったスイマーの如き猛烈な勢いで。

北京五輪も先週終わったと言うのに、強引に金メダルなどと、
「旬感」を出そうとしている辺りが悲しい。
そして、もっと悲しい事に、現在私が寝巻きに着ているTシャツは、
アトランタ五輪のTシャツなのである。
1996年開催なので、現在を遡る事12年前。
当時私は中学3年生で、その時分からずっと来ている。
これはもはや、「鈍感」と言える。

しかし、Tシャツを眺めていると、当時の思い出が断片的であるが俄かに脳裏に浮かび、
しばし感慨に浸る。
感慨に浸ってる間に、どうやらスイマーがゴール。
記録更新。
ネムイノデネル。

240声 小さなポケットの中入っていたのが大きな価値だったって話 後編

2008年08月27日

昨日の続き。

ココにジーンズが一本ある。
「なんでジーンズ」って眉をしかめた方々、話は続いてるのでご安心。
さて、ジーンズの右ポケットを見ると、ポケットの中に小さいポケットがある。
「えっ無いよ」って人は、リーバイスを買いなさい。
その小さいポケットは、その昔ウォッチポケットと呼ばれていて、
懐中時計入れに重宝していたのである。

やがて20世紀初頭、腕時計の普及によって、
ウォッチポケットはコインポケットと呼ばれる様になり、
文字通りコイン入れに変わって行った。
煙草飲みの人はジッポー入れに、ギター弾きの人はピック入れに使う様になり、
そして現代では、ipodを入れてる人だっているのだ。
「ウォッチポケット」なんて言って懐中時計を入れてた時代から、
携帯音楽プレーヤーを入れる時代まで利用されてきた。
つまり、時代は移ろいファッションが多様化した現代でも、
ジーンズに付いているウォッチポケットは、100年以上も必要とされ残されてきた歴史がある。
時折、「別に無くても良いじゃん」なんて囁かれているあのジーンズの小さいポケットは、
「残す」事の可能性を雄弁に語っているのである。

ジーンズに懐中時計を入れてた人が、まさかこのポケットにipodが入るとは思わなかった様に、
明治時代に商をやっていた家の人が、まさかこの家に「ほのじ」なんて言う、
洒落だか真剣なんだかってなカルチャースクールができるとは、思っても見なかった筈。

人工物が存在する理由は価値である。
価値があるから必要とされる。
価値観が多様化している現代社会の中で、その価値を見出す為には。
どうすりゃえーんか、教えてエラい人。

239声 小さなポケットの中入っていたのが大きな価値だったって話 前編

2008年08月26日

古民家を改装して暮らす。
古い蔵などを改装して、作品展示ギャラリーやイベントスペースにする。
と言った、古い建物を再生させて再利用している人達がいる。
考えてみると、サイトの「ほのじ」も、古い商家を改装して造った、
和のカルチャースクールとランチの店である。

それは、かつてのバブル期に盛んに行われたスクラップ&ビルドに象徴される様な…。
なんて、今日みたいな一日中雨降りで気分もどんよりしてる日にゃあ、
書いている文章の方も景気が悪い。
どうやら、心の奥の方がナメクジ化しているらしい。
焼き鳥はタレで、ナメクジは塩で。
何を言っておるのか。

つまりはじゃあ、古い建物ぶっ壊して新しい建物を造っちゃダメ、ゼッタイ。
って話ではなくて。
新しい建物を造って行かなきゃ、経済の方がダメになる事ぐらいは分かる。
でも、古い建物を「残す」ってのは、非常に可能性のある事だと思う。

いささか白熱して書き過ぎて、更新可能な文字数も睡眠可能な時間も超過してしまった様。
なので、続きはまた明日。

238声 雨降り秋夜は読書で早寝

2008年08月25日

月曜から雨降り。
気候は涼しくなって助かるのだが、気分まで涼しくなってしまう。
当然日中やる気も起きず、いささか鬱屈した気分で帰宅。
しかし、こう言う時こそ読書だ。
ってんで、部屋の未読の本を漁る。
買った良いが、読んでない本が結構積んである。
特に夏はたまる傾向にある。

決めた。
今日は、はせちゅうシリーズ第2弾「汚れなき選手たち」。
この「はせ ちゅうシリーズ」の、「はせ ちゅう」ってのは著者の名前で、
本名の長谷川 忠(ただし)に由来している。
以前から気になっていた著者の本で、先日古本屋で見つけて即買。
気になっていた理由は、著者のはせちゅうさんが高崎市生まれであり、
現在でも高崎市柳川町のタバコ店を自営されていると言う、濃い郷土色にある。
私も高崎市在住。
非常に身近なのである。

第3段には「柳川町花街物語」なんて言う著作もある。
これはもう、タイトルだけで上州人は買って損はない気もする。
それはまぁともかく、先ずは手元の本。
では、読む時間が減っちゃうので。

237声 休日は試合放棄の白タオル

2008年08月24日

「休日は何してんの」って質問。
明確に答えられる人を尊敬している。
「フットサルですね」とか、「主に家族サービスと、ドライブによく行ってます」など。
こう言うのに憧れているのである。
私も、「ドライブによく行くのは榛名山、これからの時期は赤城山なんか良いですよ」なんて、
爽やかな秋風に乗せて答えてみたいのである。

答えたいのだが、そう容易くいかない。
容易くない理由は明白。
人に言うには忍びない、何か後ろめたい理由があるからである。
だからと言って、別に悪い事をしている訳ではない。

「休日ですかぁ、そうですねぇ、まぁ、大した事はしてないんですけどね」
なんてシドロモドロ化して、相手を辟易させるのが関の山。
もう面倒になって、「寝てます」って試合放棄の白タオルを、
自ら放り込んでしまう事もしばしば。

ではどうだろう、「ドライブによく行くのは銭湯、これからの時期は道祖神なんか良いですよ」
なんて言っても、爽やかな秋風が乗車拒否で、答えを届けてくれない気がする。
相手に届いたとしても、心の窓がピシャっと閉まる確率を考えれば、
むしろ届かない方が良い。

そう、今日は日曜日で私は休日。
つまりは、白タオルなのである。

236声 ビール街道まっしぐら

2008年08月23日

観光の情報ってのは常に先追い。
なので、本日私が書いていた原稿の中にも、
「秋の味覚」だとか「豊穣の秋」の文句が踊っている。

高崎市榛名の国道406号線は、通称「フルーツ街道」と呼ばれていて、
街道脇に果樹農園がひしめき合っている。
「里見の梨」なんて、聞いた事がある人も少なくない筈。
その梨が、今時期から最盛を向える。
最盛期の梨は、驚くほど甘くて瑞々しい。

その梨が最盛を向える頃に、最盛を終える物もある。
ビールである。
まぁビールフリークは一年中飲むのだが、やはり、
肌寒い秋風に吹かれながら飲むより、カラッと晴れた空の下で熱風を感じながら飲みたい。
ビールの最盛期は揺ぎ無く、真夏なのである。
最盛期のビールは、驚くほど甘くて瑞々しい。
ってな位に美味く感じる。

そろそろビール業界でも、「秋味」ってのが発売されて、
TVなんかでは秋刀魚でビールをがぶ飲みしてるCMが流れる頃。
秋刀魚やまいたけ、しいたけで一杯も悪くない。
鍋やおでんで一杯も悪くは無い。
悪くはないが、しかしそりゃやっぱり、ねぇ。

いっそ、「ビール街道」なんて作ってみたらどうだろう。
往来の脇に、生ビールを提供する飲み屋がひしめき合っている。
いや、横丁辺りに行けば何処でもあるか。
安心安心。

235声 日付感覚混乱日乗

2008年08月22日

「あれぇ、デジャブ」
いやいや、紛れも無く本日は8月22日金曜日である。
毎日、同じ時間にこうやって同じカップで同じ味のコーヒーを飲みながら、
同じPC(当たり前だが)に向っている。
なので一瞬、日付感覚が混乱してしまった様である。

ここ何年か、自宅で過ごす時間の大半はPCに向っている。
仕事柄、と言いたい所だが、実際は好きでやっているおぼろげな仕事が大半。
PCに向って原稿仕事などもしている時は、一応TVは消しておく。
なので、最近はめっきりTVを見る時間が減ってしまった。
と言うかほとんど見ない。
それが、日付感覚の歯車を崩す大きな要因なのである。

日付感覚混乱人間に不都合な事は何か。
まぁ、行きつけの店の定休日を間違えてしまう位。
取るに足らん。

234声 夏の朝の『むむむ』な人達

2008年08月21日

「車大国群馬」なんて良く言われる、ここ群馬県。
運転免許保有率全国一位が示す様に、群馬では生活の中心に車がある。
おそらく、コレを読んでいる群馬在住の成人の方で、
運転免許を持っていない人はごくまれであろう。
通勤するのにも車、食事に行くのにも車、徒歩2.3分のコンビにまで行くのにも車。
まさに車社会。
生活していると、つくづく実感する。
そして、本日出合った光景からはしみじみと実感。

本日朝10時前後、安中市にあるホテル街。
その前を車で走行中、丁度ホテルから出ようと待っている一台の高級ドイツ車。
車道に大きくフロントが出ていたので、自分が止まって本線へ入れてあげた。
その際、コクッとお辞儀をした助手席の女の人は、おそらく自分よりも若かった。
いや、ありゃ完全に二十歳そこそこの娘さん。
などと、お節介な詮索オヤジ化してしまうが、その時の『むむむ』感と言ったらなかった。
なんとなく夏を感じた。
と同時に、そのワックスの効いた高級ドイツ車の後ろを走りながら、
車社会の地方都市ならではの光景だなと感じていた。
同じ様な光景を何度も見たが、都会ではいささか悲惨だった。

まだ私が東京に住んでいた時の話。
本日と同じく平日の朝10時頃、場所はホテル街。
具体的に言えば、鶯谷駅周辺など。
私はもちろん仕事で、その辺りのお店に納品があったので、店が開くまで車で待機していた。
すると、周囲のホテルから出てくる『昨夜の人達』。
若いカップルもいれば、少し年嵩のいった良い連れ合いまで。
そして悲惨なのは、ネクタイを締めたおやっさんと、十代後半と思しき娘さんの連れ合い。
おやっさんのいかにも『人目を憚る』って様が、悲惨と言うか悲愴と言うか。
徒歩ってのは、やはり無防備なのだ。
群馬みたいに、車でサングラスかけてって訳にはいかない。

そんな光景を見ていると、今度は携帯電話片手に一人でホテルに入って行く、
露出は高めメイクはキツめの、『いかにも』風な娘さん。
が、結構いるのにも驚く。
朝日に照らされ白じむホテル街と言うのは、どうも全体的に『むむむ』な場所である。
もう今から4.5年前。
その時も、路上の季節は夏であった。

233声 煩悶の秋

2008年08月20日

昨日の記事を書いていて、キーボードを打つ手が一瞬止まってしまった。
それは、はて『リックサック』だったっけな、それとも『リュックサック』だったけな。
正しくは『リュックサック』なのだが、自分の親などは確か、『リックサック』と言っていた。
似た様なので、『ナップザック』か『ナップサック』か。
これはどうやら、『ナップサック』の方が一般的。

そう言えば、自分の祖母は近所のコンビニの事をこう呼んでいた。
「ほら諒一、100円やるからそこのセブンオン行ってジュースでも買ってき」
『セブンオン』である。
おそらく、『セーブオン』と『セブンイレブン』が混ざったてしまったのだろう。
「おばあちゃん、あそこセーブオンだよ」
って、何度言い直しても、祖母の中では『セブンオン』が接着されている様。
あれから20年程経った現在でも、直っていない。

話を戻して、『リュックサック』やら『ナップサック』。
日常瑣末的な事だが、改めて考えると迷ってしまう。
小さく煩悶している夜に、直ぐそこで秋虫の鳴き声。

232声 その少年のリュックサックはなぜパンパンだったのか 後編

2008年08月19日

「何よ、アンタそれ」
カナキリ声に近いその声に、周囲の空気は一瞬凍結。視線一集。
こーすけの両手に抱きかかえられいたのは、何やら黄色い物体。
「ピカチュウだよ」
って、臆面も無く平然と答えるこーすけ。
「ピ、ピカチュウって、アンタまさかそれだけ持って来たの」
呆気に取られて、目玉の輪郭をハッキリさせるお母さん。
「そうだよ、ピカチュウと一緒に行くんだ」
今度はどもらずに、ぬいぐるみのピカチュウを抱きしめながらお母さんを見据え、
やや力を込めて明瞭に答えるこーすけ。

すると、堰を切った様に前に座っていた姉二人が爆笑。
「アンタ、ははは、バカ、っははは、じゃないの、ははは」
って、椅子からずり落ちそうになりながら、泪目で腹を抱える右のお姉ちゃん。
もう椅子からずり落ちて、床に膝を付いて笑い転げる左のお姉ちゃん。
引きつり顔で口をポカンと空けて、肩で笑ってるお母さん。

私を含めた周り一同、視線を逸らしながら笑いを堪えるのに必死。
加速する車内の空気が、一気に和む。
その光景を不思議そうに見つめてる、こーすけとピカチュウ。
その横、中身空っぽのバックまで、大きく口を開けて笑っていた。

旅の最中、最初の電車内での一幕。