日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和6年度は4月(ぬ)5月(岡)6月(す)7月(堀)8月(坂)9月(ぬ)10月(岡)11月(す)12月(堀)1月(坂)2月(ぬ)3月(岡)の順です。

203声 車内、たまさかの夏

2008年07月21日

本日夕方、高崎線の鈍行車内。
駅に電車が着くと、近くで夏祭りにでもあるのか、浴衣を着た少女等がわさわさ。
どっかの量販店で買った、安モンの浴衣を着た中学生位の連中。
車内は直ぐに中学校の廊下状態。

フト視界に入った、斜め前に立っている、浴衣三人娘。
その横に、微妙な間隔を置いて立っている、
と言うか固まっている、まだ折り皺の目立つTシャツを着た中学生男子。
さしづめズッコケ三人組。

このサイトを読んでいる諸君に告ぐ。
季節は全くもって、「夏」なのである。

202声 第200声記念特別企画「尾瀬の寅さん真実一路」後編

2008年07月20日

昨日の続き

 原田さんが活動の中で感じる、一番の「うれしい」はどんな時ですか。

一緒に旅をした人が、嬉しくて感動しているのを見ている時です。
中でも最高だったのは、宮崎市の夜の繁華街。
旅の別れを惜しみ、makiboさんと小諸の寅さんを中心に、
タクシーの運転手やら、私の地元の友人やら、飲み屋のお姉さんやら、
通りすがりの酔っ払いやらを巻き込んで涙の輪ができた時です。
今まで見た賞を獲っている映画の、どんな素晴らしい感動的なシーンなんかより、
何十倍も嬉しくて感動して泣けましたよ。

 では最後に、今後の抱負をお願いします。

障害を持った人達と健常者とが一緒に助け合って旅をして、
感動を分かち合い、喜びの多い人生を一緒に作って行く仲間の輪を広げて行きたいと思います。
『寅さん』の格好をしているとそのイメージが強すぎて、
私の「伝えたい事」がなかなか伝わりにくいんです。
寅さんの格好をしての活動が、ちょうど丸三年になる今年の十月を境に、
『尾瀬の寅さん』としての露出を少なくして行き、
『原田』と言う個人の活動に切り替えて行きたいと考えています。

インタビュー:抜井諒一

お忙しい中、インタビューにお答え下さった原田さん、ありがとうございました。
原田さんの活動の模様は、ご自身のブログ『尾瀬の寅さん』でも随時掲載されております。

そして報告。
渥美清こもろ寅さん会館では、7月26日(土)に渥美清さんの13回忌が行われます。
当日は、山田洋次監督や第40作に出演した三田佳子さん、笹野高史さんを招いてのトークショー。
そして、第40作小諸ロケ地めぐりバスツアーの開催も予定。
もちろん、『尾瀬の寅さん』も参加されます。

詳しくは、原田さんのブログ『尾瀬の寅さん』

201声 第200声記念特別企画「尾瀬の寅さん真実一路」中編

2008年07月19日

昨日からの続き

 外見だけでなく、私生活も『寅さん』と共通する部分があったとか。

実家が自営業だったのですが、その仕事を手伝っていた事が多く、しょちゅう親子喧嘩でした。
「出てけ」「ああ、出てってやらあ」って事が多く、
だんだん遠くに長期間出て行く様になりました。
おかげさまで、沖縄以外日本中を旅することができ、日本中にお友達ができました。
仕事は家業以外にも色々しましたが、専門はセールスです。

 日本各地を旅されていて、印象に残った場所はどこでしたか。

北海道から九州まで沢山あるのですが…。
一番はやっぱり、自然の美しさに行く度に最も感動の多かった、
今でも人を沢山案内して連れて行く『尾瀬』です。

 『尾瀬の寅さん』になられてから、色々な有名人にお会いしたとか。

山田監督、蛾次郎さん、露木さん、笹野さん。
山口留美さん、西川女医、小倉さんなどなど。
あと、オリエンタルラジオのヒゲの人ですね。

 中でも印象深い人はどなたでしたか。

山口留美さんです。
演歌好きになってしまいました。

 さて、現在は『尾瀬の寅さん』として、どんな活動をされているんですか。

障害を持った方々の夢や希望をかなえる為に、西に東に飛び回っています。
とは言っても、身銭を切っての活動ですから沢山はできません。
相棒の源チャンにいつも力になってもらっています。

 それまでの生活と、何か変わった点はありましたか。

生活はそんなに変わってないと思います。
もともとふらふらしてる事が多かったですから。
今までのそのまんまで、映画の中の寅さんとあんまり生活が変わらないですから。

「旅から旅へ」
基本スタイルは『寅さん』と変わらぬ青春時代。
『尾瀬の寅さん』としての活動を通し、思いを形にして行く日々。
その目指す先とは…。

さて明日は、「尾瀬の寅さん真実一路」いよいよ後編。

200声 第200声記念特別企画「尾瀬の寅さん真実一路」前編

2008年07月18日

さて今回は、日刊「鶴のひとこえ」第200声記念特別企画。
現在、日本列島所狭しと活躍されている、
上州の色男『尾瀬の寅さん』こと『原田直文』さんにインタビュー。
原田さんの腹巻の下に隠された、真実一路な思いとは。

[プロフィール]
2005年秋、『第一回尾瀬の森映画祭』をキッカケに、
『尾瀬の寅さん』としての活動を開始。
以降、「障害を持った人たちに夢と希望を」を指針にとし、
勢力的にボランティア活動や福祉活動を行う。
2008年6月、車椅子の方3人を含めた6人で、念願だった北海道旅行を実現。
自身のブログ『尾瀬の寅さん』を連載中。

 まず、原田さんが『尾瀬の寅さん』として活動するキッカケは、どの様なものだったのですか。

きっかけは、『第一回尾瀬の森映画祭』のスタッフだったのですが、
その映画祭に山田洋次監督が来る事になったからです。
昔から「寅さん」って皆から言われていたので、ちょっとやってみちゃいました。

 その、『第一回尾瀬の森映画祭』のスタッフになったのは、どの様な経緯だったのですか。

尾瀬の山小屋で働いていた時にお世話になっていた、
岡本さん(NPO役員の方)に誘われて、面白そうだったので遊びに行くようになりました。
成り行きです。

 それまで『男はつらいよ』シリーズは観ていたんですか。

ほとんど見ていません。
見たのは、20年位前東京の上野で忘年会で飲みすぎ最終に乗り遅れ、
泊まる所が無くてしょうがなく入った映画館で上映していたのをうとうとと…。
それと、15年くらい前に九州などてんてんとしていて、
久々に(一年ぶり位)実家に帰って来た時にテレビに映っていたシーンを見て、
「あれ、俺が行って来た所だ」って見たのが『男はつらいよ』でした。

人生、何がキッカケになるか分からないものだ。
そしてそれは、いつ自分に訪れるか分からない。
しかしどこかで、自分と繋がっている事は確か。

さて明日、「尾瀬の寅さん真実一路」中編へと続く。

199声 ミイラ取りが蚊取りに

2008年07月17日

案の定である。
喉の奥、鼻と喉の分岐点辺りに違和感。
そんでもって全身倦怠感。
おまけに寂寥感。

ちゅうのは昨日の事。
部屋を飛び回る蚊を退治しようと、
設定温度20℃冷房強風で部屋を冷したのである。
室温が下がれば蚊の動きも鈍くなるので、
涼しい部屋で快適に蚊の野郎を一網打尽にしようって算段。

部屋もそろそろキンキンに冷えて、
さぁいざ勝負って時に蚊の野郎、中々姿を現さない。
それもその筈、寒い部屋でわざわざ飛び回る事も無い、
どっかの壁際にくっ付いて、じっとしているのだろう。
役者が居ないんじゃ仕様が無い。
ってんで、クーラー止めて窓開けてふて寝。
そしたら耳元、「ふぃ〜〜〜ん」。

一晩苦しんで、翌朝起きたらこの様である。
冷房に一番やられたのは、どうやら己であった。
明日は記念すべき200声、やられてる場合じゃない。
今日はこの辺りで煙に巻いて、さっさと寝よう。
渦巻きが燃えて行く。

198声 汗水から鼻水に至るまで

2008年07月16日

今日、ちょっと体を動かしたら、もう額からは滝のような汗。
そんでもって、腕に光ってんのは玉のような汗。

脈絡も無く汗の話。
しかし、「汗水垂らして働いてる」って事が伝われば幸。
いや、むしろ伝えたいのである。
昼間、色褪せた夏空の下、額に汗して働いているのだ。

そして現在。
背骨の芯が冷たくなる位、部屋でクーラーをキンキンに利かせている。
これは昼間の反動。
ではなくて、作戦。

部屋が暑いとどうも調子が良いらしく、縦横無尽に飛び回ってやがる蚊。
気力体力共に充実した蚊の野郎。
コイツは厄介で、叩こうとしても中々当たらず。
かと言って見逃すと、寝る時に五月蠅い。

そこで考えた作戦が、部屋を出来るだけ冷やし、
奴さんの動きが鈍ってきた所を一網打尽。
「さぁ、きやがれってんだモスキート野郎」
って、鼻水垂らして待っている。

197声 木になる友達、タロウ君

2008年07月15日

ようやく冷奴とビールにありついて、恍惚感。
浸っていると引っかかるのが、眼性疲労感。
瞼が重たい。
原因はおそらく日焼け。

今日は一日中、取材撮影仕事で高崎市観音山周辺をウロウロ。
青空下、撮影中容赦なく直射する、凶暴な夏の太陽がギラギラ。
丘の上の公園、だだっ広い芝生の上を彷徨い歩いてバテバテ。

ちゅう様な、紫外線のフルコースを堪能して来たのである。
顔や腕の皮膚だけでなく、どうやら目玉も日焼けしてしまった様。
言ってみれば、「タロウ」のせいでもあるのだ。

この「タロウ」ってのは、実はケヤキの事。
そう、「木」のケヤキ。

今日、お伺いした「観音山ファミリーパーク」。
職員の方に園内を案内して頂いてる最中、
芝生の上にスクッと伸びた枝振りの良い木があったので、おもむろに撮影。
すると職員さん、「タロウって言うんです、この子」。
瞬間、反射的に無表情でその職員さんの目の色を窺ってしまった。

どうやら聞く所によると、園内の目立った木には、
「タロウ」「ジロウ」「サブロウ」と名前が付いているらしい。
待ち合わせする時なんかは、「タロウの前で3時ね」って。
職員の方々は皆、愛木家なのだ。

じゃあ私もってんで。
「よし撮るぞタロウ」
「おっ、良いねぇタロウ、今の良いぞ」
「流石だなタロウ、右上三段目の枝なんか最高だよ」
「この色樹木」
「じゃあ今度は、その左の下向いてる枝の葉っぱをアップで撮るから」
っな事をやってたら、お天道様にきついお言葉じゃなくて、
きつい紫外線を浴びせられて目玉が日焼け。
でも、タロウは終始ご機嫌な様子だった。

196声 淑女帝国占領下

2008年07月14日

今日の群馬西毛地区は、夕立も来ず夜が蒸す。
などと、身辺雑記も板について、
とうとう天気の話から書き出す様になってしまった。
ババァの井戸端会議じゃあるまいし。

おっと、失言。
で思い出したけど、出現。
湧いた様に現れて来るものである、
昼のファミレスのババァ、いや淑女軍団ってのは。

郊外のちょっとしたファミレスの昼、ランチタイムが丁度終わった頃。
何処からともなく集まって来る。
マイカー大国の群馬だけに、駐車場は満車。
店内を占領、ドリンクバーで粘るお上品な淑女の方々。
店内に響く、お上品な淑女の方々の濁点付きの笑い声。

ドリンクコーナーに来た、その中の一人。
飲み残しのアイスコーヒーか何かを、ベンディングマシーンに流し捨て。
そんでもって、アイスコーヒーのボタンを押して、
「ガシューッ」っと表面張力が出るまで。
上澄みをマシーンにちょこっと溢してから、お席にお戻りあそばせた。

195声 無益押売

2008年07月13日

薄暑。
なんてのを通り越して、厚暑な本日。
だもんで、熱々な飯も流石に喉を通らず、茶漬けでサラッとやっつけちまいたい。

私はクーラーの効いた部屋で冷えたビールを飲んでるから問題なし。
ってな方は、「クレインダンス情報」なんて如何でしょうか。
そして、当店一押し「とっておき探訪」なんてもの御座います。
お客様お目が高い、「名店のしきたり」に目をつけるとは。
いえいえ、もちろんお代は頂いておりません。
私も頂いておりませんので。

日曜日も夕方に近づくにつれ、口数が少なくなる人に送る「クレインダンス情報」

194声 涼の渇望

2008年07月12日

夕風に揺れる、笹飾りの色とりどりな短冊。
軒先で鳴る硝子の江戸風鈴が、涼を演出。
蚊遣りの煙を、団扇で扇ぐ浴衣のご婦人。
江戸切子の小鉢の中でたゆたう、素麺。

などと、この蒸し暑い独り部屋。
暑さによって、脳が失敗した茶碗蒸し。
つまり、グズグズになってしまったのである。
このタリン化した脳が映し出す映像を書いてみた。

しかし、私は装いもなく至って平静である。
でも何故だろ、体が勝手に素麺を啜る真似。

193声 ジメジメなトコのヌメヌメなヤツ

2008年07月11日

本日は高崎、染料植物園の辺りを歩いていて出くわす。
沢山出くわす。
何匹も出くわす。
ってのは、トカゲなのである。

梅雨がまだ土俵際で踏ん張っている為、非常に蒸し暑い今日。
染料植物園の周辺は森。
染料に使う植物が数多く植わっており、控えめなジャングルってな様相。
そんな蒸し暑いジャングルを歩いていると、
戦争映画のベトナム物が脳裏を過ぎる。
瞬間、「チョロッ」。
気配、見るとトカゲである、丸々太ってる。

15分程歩いて、出くわした数はおよそ6匹。
茶色いヤツもいれば、青光りしてるヤツ、縦に縞模様の入っているヤツ。
青光りして縞が入ってヌメッとしてるヤツは、特に不気味であった。
ともかく、様々な種類のトカゲやらカナヘビやらの爬虫類に出くわしたのである。

風通りの悪いジメジメした所には、
ヌメヌメした爬虫類系のヤツが多く棲息しているのだろう。
想像しただけで、いささか背筋が寒くなる。
しかしそう考えると、人間社会もまた然りである。

192声 企画構想で東奔西走、ついでに逃走

2008年07月10日

なんと、もう192声であったのか、「鶴のひとこえ」も。
間近に迫る200声。
と言う事は、「200声記念特別企画」を考えなければならない。
何にしよ。

この日ばかりは、いつもの様な私のヨレヨレな文章でなく、
時代を捉えたキラっと光る様な内容を載せたい。
そうなれば、やはり誰かゲストを迎えるのが得策。

時代の風に吹かれていて、キラっと光っている人物なんて、
そうそう見つかるものでも、いや、一人いらっしゃった。
現在、時代の風に乗って日本を駆け回り、
目映いばかりに輝きを放っている上州人がお一方。

お願いしてみよう。
でも、確実にこの時期は超多忙。
各方面でもって、「注目の男」だからである。
しかし、「記念」で「特別」な「企画」であるから、
なんとかお願いしてみよう。
乞うご期待。

191声 麦酒オンザロック普及構想

2008年07月09日

夕方のTVニュース映像、浅草寺のほおずき市に思いを馳せつつ、ビール。
では、突然に。

日本人で最初にビールを飲んだのは、幕府第一回遣米使節一行の一人、
仙台藩士の玉虫左大夫だと言われている。
そして、幕府派遣の第一回オランダ留学生たちは、
文久二年(1862年)にバタビアのホテルで、オンザロックのビールを飲んでいるのだ。
カリフォルニアより仕入れた氷を落として飲んでいる。
この時の事を、一行の西周助は自叙伝「西家譜略」で、「快甚シ」と表現。

これを読んで、「うわ、不味そ」と思うかも知れない。
いや、私も実際そう感じた。
しかし、日本の世間一般を席巻している、
あの黄金ピルスナータイプであるラガービールを想像するからいけない。
ビールの中には、アルコール度数14.4%ってなへヴィー級なヤツや、
熟成期間25年なんて風変わりなヤツもいる。
現に、ドイツのビアスタイルにおいて最強のアルコール度数を誇る、
「アイスボック」なんてヤツは、その製造工程で一回凍らせる。
そして、出来た氷を除去し、アルコール度数を高めるのである。
甘みが強く、口当たりはウイスキーさながら。

こんなヤツは、オンザロックが良くお似合い。
いやむしろ、こんなへヴィー級なヤツには、氷で薄めないと太刀打ちできない。
ジョッキで生中飲んだ後、ビールのオンザロックに移行。
しかし、飲める店が無いか。
良いと思うのだが。

190声 昼下がりの「むむむ」

2008年07月08日

平日の昼間、仕事で極たまに県内の温泉場へ行く事がある。
今日は、所用があり伊香保温泉へ。
平日の温泉場はやはり閑散としているが、静かで趣ある風情を感じる。

空気まどろむ午後の昼下がり。
人気の無い通り、温泉街の坂道を、
意味有り気な妙齢の男女が浴衣姿で歩いて来る。
すれ違い様に感じる、二人の空気感。
私、二人の後姿に流し目。

「むむむ」

であった。

189声 商店街&七夕&蕁麻疹

2008年07月07日

今日は七夕である。
と言っても、毎年何をするでもなく、
ニュース番組で流れる、各地の七夕行事映像で気付く事もしばしば。
しかし今年は、ちゃんと笹飾りに短冊を結んできたのである。

先週、高崎中心市街地を取材撮影に訪れた時の事。
中央銀座通り商店街(地元民は略して「ちゅうぎん」と呼ぶ)に通りかかると、
アーケード商店街の中に、綺麗な七夕の笹飾り。
「ナントカ保育園」だとかの名札がぶら下がっていたので、地域ぐるみのイベントなのだろう。
懐古的雰囲気が郷愁を誘う商店街に、笹飾りに付いている彩色の短冊が風になびく。
ってな光景は、非常に風流である。

しかし、「綺麗だ」と感慨に浸りつつも、短冊に書いてある文字を無意識に読んでしまう。
「大学に受かりますように」
「健康で長生き出来ますように」
なんてのは、率直で正統派な願いである。
中には、
「ずっと一緒に居られますように ○男と○子」
「(ハート型の中に)○男&○子&PEACE」
なんて、いささか読んでいるだけで、蕁麻疹が出そうな短冊。
そして意味深な、
「お父さんが帰ってきますように」
「来年は大丈夫になりますように」
など、背景を考えさせられる短冊もある。
まぁ、意味深なモノに興味を魅かれるのだけれど。

さて、私の書いた願いはと言うと。
もちろん、「鶴のひとこえ」を毎日読んで下さっている方々の、健康とご多幸。
あれ、なぜか蕁麻疹が。

188声 断続駅

2008年07月06日

夜半過ぎ。
断続的に降り続く雨。
片腹痛し。
しかしこれは、嘲笑的見地では無く、
単純に、ビール及びたこ焼きの過剰飲食によるものと推察される。

断続的に降り続く雨。
断続的に鳴き続く蛙。

耳の奥に残る笑い声がはじける。
やはり断続的に。

187声 第三回ワルノリ俳句ing終了と相成り

2008年07月05日

第三回ワルノリ俳句ingも本日無事に終了。
まず結果、特選は私が防衛。
ワルノリ賞は、堀澤氏が奪取。
当日の模様は、クレインダンス情報に後日掲載予定。

今回は、前橋、渋川、赤城町と、非常に内容の濃い俳句ingと相成り。
途中昼食は、渋川市街地路地裏の食堂「ニコニコ亭」。
丼から、大ぶりなカツがはみ出してるソースカツ丼と、
五臓六腑に万遍なく染み渡る、冷えたビール。
俳句ing参加者一同、しばし五・七・五を忘れ食・飲・食。
テーブルの端、麦わら帽子が折り重なって積んであって。

186声 放置民氏(ホーチミン市)

2008年07月04日

「家族向飲食店陥落セリ」
って、電報を打たねばならぬと感じた、正午過ぎのファミレス店内。

主婦なのである。
それも、少人数ではなく店内の席を埋め尽くさんばかりの数。
もはや、ファミレスを占拠した主婦連合軍と言った光景。

正午過ぎは、比較的若年主婦が多い。
その大半が子連れ。
とくれば、繰り広げられる惨劇は大体察しがつくであろう。

来年小学生ってな小僧兄弟共が、店内を喚きながら走り回り、
しまいにゃ、テーブルのグラスを倒しちゃって母親から大目玉。
しかし、最近の若い主婦ってのは、と言っても、
おそらく私と同年代と見受けられるので20代後半。
その位の主婦ってのは、おしなべて行動及び言動が稚拙なのである。

まず目に付くのが、ながら食い症候群。
なんたらハンバーグランチをつつきながら、携帯電話をいじりながら、友達と喋りながら。
時折、素っ頓狂な笑い声をあげて、シンバルを叩くチンパンジーの玩具の様になってるお母さん。
子供にも影響して、携帯型ゲームに熱中しながら、お子様ランチのチキンライスを一口。
こんな風に、ダラダラとながら食いする親子の図ってのは異様である。

そして、好きな物だけある程度食べ終わった小僧共は、店内鬼ごっこ開始。
一方お母さん連中は、旦那の愚痴か昼ドラの話か、益々駄弁りに花を咲かせて子供に関せず。
そんで、まだハンバーグをつついてる。

「子供そっちのけで駄弁っているママさん」とかけて、「ベトナム最大の都市」と解く。
その心は。