日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和6年度は4月(ぬ)5月(岡)6月(す)7月(堀)8月(坂)9月(ぬ)10月(岡)11月(す)12月(堀)1月(坂)2月(ぬ)3月(岡)の順です。

291声 ささやかな信仰

2008年10月17日

今日は、終日、高崎市倉渕町を東奔西走。
あっちの道祖神から、こっちの道祖神。

細い路地。住宅の脇。
江戸時代中期ごろの双体道祖神が、ひっそりと安置されている。
薄日が差し込んで照らす、道祖神の前に、野の花が数本置いてある。
垣間見える、地元の人たちの、ささやかな信仰。

290声 坩堝で混ぜろ「創作と捏造」

2008年10月16日

創作。
が、したいと思う。
けれど、できるのは、せいぜい、捏造。
ぐらいなもので。
しかし、それも、おぼつかない。

捏造。
は、聞こえが悪い。
けれど、大切なのは、微量なる、脚色。
偽造でない程度。
しかし、それも、容易ではない。

創作と捏造。
混ぜてつくると、どんなモノになる。

289声 通り雨、ひとしきり

2008年10月15日

本日日中、高崎市内。
私服の、学生を多く見かけた。
近頃導入された、「秋休み」っちゅう制度らしい。

正午過ぎ。
踏切待ちの、運転席車窓から見える、中学生位とおぼしき男女二組。
後ろの泥よけに、学校の監察シールを貼った自転車。
後ろの男女は、親しげに会話。
前の男女の間には、微妙な距離。

長い踏切。
前の二人。
自転車の距離が、少しずつ、ほんの少しずつ、縮じんでゆく。
電車が行って、踏切が開いて、走り出す。
その顔、少し寂しげ。
通り雨、ひとしきり。

288声 上等な思い出だし笑い

2008年10月14日

いやはや、混んでた。
先の連休、横浜オクトーバーフェストの翌日行ったのが、寄席。
場所は、上野鈴本演芸場。
近年、にわかに落語ブームとやらで、都内四つ、どの寄席も、
土日祝日は立ち見が出る程の盛況ぶり。

念を入れて開場一時間前に行ったのだが、もう列。
並んで、待つ事半刻。
私を長蛇の、ちょうど腹あたりにして、後ろへズラリ。
開場し、どうにか、良い席が取れ、ひと安心。
会場で、若干割高価格の缶麦酒と、
神田志乃多寿司の海苔巻詰め合わせを買って、ひと息。
やはり、若い人もチラホラ見受けられる。

さて、高座。
前座は春風亭ぽっぽ。
「ちゃん」を付けたい位の、佇まいと声色。
家帰って、ちょっと見たら、私と同年代。

ひとしきり笑って、幕引き。
鈴本から、アメ横。
そぞろ歩いて、夕方。

飲み屋のカウンター。
少し見栄張って頼んだ、かんぱちの刺身を突きながら、麦酒をチビリ。
虚ろに、壁に貼ってある、黄ばんだメニュー札を眺めながる。
ふと、思い出し笑い。
あした順子・ひろしの漫才。
若手から名人まで、芸が煌く落語。
それらが、徐々に回り始めた酔いと共に、脳内を回遊。
ゆるやかに、自然と、表情が和らぐ。

すると、カウンターの斜向かい。
徳利を片手に、ニヤついてる赤ら顔のおっさんと、瞬間、目が合う。
慌てて、真顔を装う。
しかし、私の胸中より、おっさんに投げ打つ、言葉。
「俺のは上等な思い出し笑いだかんな」
瓶麦酒、もう一本。

287声 赤煉瓦倉庫における麦酒狂乱節 後編

2008年10月13日

赤レンガ倉庫は、佃煮にして売れる程、人がごったがえし。
ビールや食事の販売ブールには、長蛇の列。
用意されたテーブルと椅子に座れない人たちが、地べたに大胡坐。
その会場の倉庫からもあふれた人たち、赤レンガ倉庫周辺の地面に、
へばりついたガムの様に散在。
全員に共通している事は、顔の表情を弛緩させて、
腰の括れたビールグラスで、ビールをウマそうに飲んでいると言う事。

知らない人が見たら(当然通行人の人は見るだろうが)、
ビール狂信者の集い阿鼻叫喚絵図。
会場から鳴り響くドイツ民謡。
踊り念仏の如く、グラス片手に犇めき蠢く会場の人。
もう何杯目かも忘れた来場者が、
ビールグラス片手に薄笑いを浮かべながら、そこらをうろうろ。
虚空を見つめながら、ひたすらがぶ飲みしている、妙齢の女子。
その顔、猿の尻の如し。

人工照明に浮かぶ、幻想的な赤レンガ倉庫。
笑い声が弾けて混ざる、熱気ある会場。
もちろんビールは、本場ドイツの生を直送。
価格はチト高めだが、ウマい旨い美味い。
夏のビアガーデンなんかとは、また興が違って良い。
そして、歴史的建造物の趣ある赤レンガ倉庫で、ドイツビールとドイツ料理。
ってもの、非常に良い。

群馬でも開催したらどうだろうか。
なんて、帰りのみなとみらい線車内で、よろめきつつ一考。
赤城にある、ドイツ村「クローネンベルク」では、
やはりオクトーバーフェストにちなんだ、地ビール祭りが開催されているらしい。
しかしながら、桐生の有鄰館あたりだとかで、八木節を聞きながら。
どかーんと、ドイツビールと群馬地ビールの祭り。

286声 赤煉瓦倉庫における麦酒狂乱節 前編

2008年10月12日

世界最大のビール祭りと称される、「オクトーバーフェスト」。
ビールの本場、ドイツのミュンヘンで毎年開催されている、伝統的な祭り。
10月上旬の16日間に渡って連日繰り広げられる、飲めや歌えの狂乱節。

1999年に開催されたオクトーバーフェストでは、
来場者延べ650万人、ビール消費量は580万リットル。
想像を絶すとは、まさにこの状態。

さて、私も連休中に行って来た、オクトーバーフェスト。
しかし、ドイツではない。
ビール愛飲国の日本でも、近年、本家に習った、
小規模なオクトーバーフェストが、各県で開催される様になったのだ。
その中、私が行ったのは横浜。
オクトーバーフェストin赤レンガ倉庫。

このオクトーバーフェストは、本家とほぼ同時期に開催され、
毎年、約50万人の来場者が訪れ、ビールカブ飲み。
歴史的建造物の赤レンガ倉庫で一杯ってのが、これまた、おつである。

行ったら、まーこれがまた、混んでやがんのなんのって。
なんて、管を巻くのはまた明日。

285声 出掛け際の焦燥

2008年10月11日

出掛ける間際に書いている。
待ち合わせ時刻を守れない、よく遅刻する人間と言うのは、
出掛ける間際まで、何某かの事に手をつけている。
そして、遅れる。

さりとて、本日は待ち合わせ時間に捉われずとも良いのだが、
焦燥感を感じつつ、PCの前に向かっている。
待ち合わせ場所に行くまでの時間を侵食しても、
やはり、家でグズついてしまうのはなぜか。
どうやらこれは、待ち合わせの時刻が影響しているのではなく、
出掛けると言う行為自体が影響している様だ。

「出掛けたくない」と言う心が内在。
それが引き金になって、遅刻する人間と言うのはこの様に、
「今、やる必要がない」
事に、手をつけてしまうのである。
さて。

284声 ヨナヨナイガキューッ

2008年10月10日

人生行路を夜な夜な千鳥足で歩行。
ってのも、本日締め切りの原稿を、悪戦苦闘の末、どうにか書き上げた。
文従事順には程遠い出来栄えだが、一応の終了。
そして、慣例に従順に従って、自室で打ち上げ。
独りで飲んでいると、すべからく、酔いが早い。
自転車で、近所の日帰り温泉施設に行く気力も無く、断念。
そう言えば、自転車と言えど、立派な飲酒運転。

そう言えばついでに、今日は10月10日。
1010で、銭湯の日。
群馬にも、歴史ある銭湯が未だ沢山残っている。
高崎、前橋、桐生ってのは、県内の三大銭湯残存地域である。
県内銭湯を紹介している、「路地裏銭湯記」でも、
まだまだ靴底を減らす事になりそうだ。

どうやら世の中は、明日から三連休の様相。
どうやらついでに、秋の行楽シーズンとやらで、
遊山客の方々が大量発生だとか。
遊山ついでに、「ほのじ」に寄ってランチでも食してみたら。

と、「ほのじ通信」のコンテンツに掲載されている、
「人気のおかずランキング」を見ていたら、無性に腹減り。
なので、ついつい紹介。
ビールグラスを置いて、指を舐める。
付着している、都こんぶの、甘酸っぱい白い粉の味。
胃がキューッ。

283声 スタンディング・オデン

2008年10月09日

秋もだいぶ落ち着いてきて、そろそろおでんの季節。
静岡おでんも良いけど、東京あたりの立ち飲みのおでんも良い。

東京にいた時分。
「君、学生さん」って聞かれる位の年の頃から、
よく最寄り駅のおでん屋で立ち飲んでいた。
どれも、100円を超さない品々。
味の染みたおでんに、からしをたっぷり付けて食う。
冷えた瓶ビールをグラスで飲んでいると、沁みた。

そう言えば、群馬には立ち飲みのおでん屋なんてあるのだろうか。
そもそも、立ち飲み文化自体が、伝播しているのか、あやしい。

282声 無用問答反芻中

2008年10月08日

ふと、見ると、もう281声。
とすれば、今月末には、遂に300声に到達する予定。
ぼちぼち、300声記念の特別企画を考えねば。

ダウ平均株価が、過去20年で最大の下げ幅を記録し、
資本主義制度の危うさが、世界規模で叫ばれている昨今。
缶麦酒片手に、都こんぶを食いながら、
記念企画なんて考えている場合なのだろうか、私。

ノーベル物理学賞や化学賞を、日本人が次々と受賞している近日。
眠い目を擦りながら、PCの前に座って、
湿気た柿の種を食っている場合なのだろうか、己。

そしてもう、281声から282声の段に足を掛けている。
階段は何処まで続くのであろうか。
しかし、その答えは求めざる、問。

281声 10月の存在感

2008年10月07日

なんだか年末。
の様な、雰囲気漂う街中。
恐らく、薄曇りの天気のせい。
夏の煌きが、遠い昔だっかかの様に、生気なく横たわる、路上。

帰宅して、晩酌。
テレビが映していたのは、石川さゆり。
歌っている曲は、津軽海峡・冬景色。
ここでも年末。
感が漂っているではないか。
しかも、私が飲んでいる麦酒の銘柄、既に冬物語。

深秋の10月よ。
存在主張せよ。 

280声 夕暮れのカーディガン

2008年10月06日

さてと。
って、古い日本文学の短編集を出して、頁を送る。
興が乗らず、直ぐ閉じる。
その近く、焼き増し方式で書かれた、エッセイ集を出す。
これもダメで、また戻す。
この一連の動作を、きっかり三度繰り返して、時刻は午前零時。

学生通りの群れ。
学生通りの夕暮れ。
気づけば10月。
気づけばカーディガン。

本日見た景色が、脳裏に幻燈。
そして、四度目。

279声 零れ落ちる、瞬間

2008年10月05日

素人も素人。
故に、俳句に関しては、煩わしさを感じる時がある。
しかし、瞬間、の面白みもある。

それが、ルールに基づいて楽しむゲームだと、分っている。
分っていながらも、悩む。
風景や心象を詠む際に、当然、七五調に合わせ、季語を確認する。
そうやって、俳句サイズに削ぎ落とし、条件が満たされ、
やっと一つの作品となる。
その作業が、時に煩わしくなる。
そして、削ぎ落とされた風景や心象が、気にかかってしまうのである。

そんな事を考えつつ、車窓。
ローカル線の、無人駅に停車し、ドアが開きまた閉まる。
乗降客も無く、秋の西陽が射す、無言の駅を通り過ぎる。
線路際に生えているススキが、列車から生じた風に揺れる。
そんな、走り去る風景を眺めていると、ポタッ。
水滴が落ちるかの様に、俳句が零れ落ちる、瞬間。

それを書き留めて、ほんの少し、ほんの少しだけ、微笑む。

278声 秋晴れや 車内に響く 七五調

2008年10月04日

只今、第四回ワルノリ俳句ingから戻り、コレを書いている。
今回の結果は、明日、「クレインダンス情報」に掲載予定。

今日は、朝から晩まで、七五調でブツブツ。
そして、もちろん、今回の俳句の特選は…。
ってな事は、また明日。

来てくれた人に、感謝。

277声 可能性を生む現実

2008年10月03日

作家であり僧侶である、瀬戸内寂聴さんが、ケータイ小説を発表していた。
と言う、新聞記事を先日目にした。
紫式部にちなんだ、「ぱーぷる」と言うペンネームで、
ケータイ小説サイト「野いちご」に、今年5月から掲載されていたとの事。

「稚拙な文章表現」や「安直な展開」、「既存恋愛小説などからの盗用が多く見られる」等々。
文学としての脆弱性について、昨今、批判的な意見が目立っていたケータイ小説。

しかしながら、寂聴さんの「行動力」には恐れ入った。
「まず、自分で書いてみる」
と言う姿勢。
真贋を見極めるのはそれから。

そしてこの、「明日の虹」というタイトルの寂聴さんのケータイ小説。
「源氏物語」の翻訳者である筆者は、その内容に源氏物語の要素を織り込み、
若者向けの恋愛小説に仕上げた。

このケータイ小説を読んで、紫式部に興味を持ったり、
11世紀の文化に興味を持つ人だって、必ず居るはずだろう。
新しい可能性は、一方向の現実から生まれるとは限らない。
美術館で見た、芸術的な絵画に感動するのも、一つの現実。
WEBサイトで見た、CGの画に感動するのも、また一つの現実。

年齢の話ってのは、少し野暮だが、寂聴さん、86歳である。
しかし、若者を凌駕するそのアヴァンギャルドな感覚には、改めて舌を巻く。

どの現実が真で、どの現実が贋か。
考えてたら、眠くなってきた。
ってのが、私の現実。

276声 日常巡行

2008年10月02日

本日、雲一つ無き秋晴れ。
空高く感ぜられ、空気透く。
いつもの定食屋に行き、ラーメン定食(800円)を食す。
晩、仕事より帰宅し、麒麟麦酒社の麦酒、秋味を飲む。
香り甘みは控えめ、ホップの苦味が際立って強い。
夜、読みかけであった、志賀直哉の短編集を読む。

いつに無く随筆調である、本日のひとこえ。
日常性に埋没しない程度に、抑揚の無い日常を送る。
これ、とても重要。
な事だと思う。
いつもの定食屋のいつものラーメン。
この、日常が重要。

275声 空っ風のゴング

2008年10月01日

今日から10月。
気の早い人は、もう来年のカレンダー買ったり、
忘年会の日取りを決めている。
どうやら、じわりじわりと、地の底から湧いてきている様、年末の焦燥。

こうなってくると、もういっその事、「早く終わってしまえ」。
なんて、乱暴な考えを持ってしまう。
生命力に満ち溢れ、景色の全てが鮮やかだった、夏。
その余韻を、少しでも残しつつ、春を迎えたいのである。

寒風に吹き晒され、鼻水を垂らしながら、正月のモチの心配をする日々。
想像するだけで、背筋が寒くなる。
私が住んでいるのは、前橋に限りなく近い高崎。
強烈な赤城颪の洗礼を、受けなくてはならない。
想像するだけで、耳鼻が痛くなる。

いよいよ、空っ風の季節到来である。
隙間風が鳴らすゴングで、後半戦、スタートってトコだろうか。

274声 Like a 南高梅

2008年09月30日

高崎市箕郷地区を彷徨っていた、本日終日。
観光の情報を、取材と撮影。
その最中、に立ち寄った直売所、で買った梅干。

箕郷ったら、その名を馳せるのが、箕郷梅林。
秋間、榛名、箕郷ってのは、群馬の三大梅林。
日本における梅の生産量も、和歌山県に次いで、全国第2位。
もちろん、その品質は折り紙つきなのである。

そして、本日買った梅干。
15cm四方のプラケースに、直径3cm程の肉厚な梅干。
ぎっしり詰めてあって、400円。
安いし、美味い。
なんでも、南高梅って種類。
丁度、プルーンと似通った、肉厚な梅の様相。

メタボリック。
に、なればなる程、梅の世界ではありがたく扱われる。
つまり、「果肉」が付けば付くほど、美味しい梅になるのだ。
人間の世界とは、基準が逆。
南高梅気味の、不穏な腹部。