日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和6年度は4月(ぬ)5月(岡)6月(す)7月(堀)8月(坂)9月(ぬ)10月(岡)11月(す)12月(堀)1月(坂)2月(ぬ)3月(岡)の順です。

331声 高崎線車内読書

2008年11月26日

移動する時間が退屈ゆえに本を読む。
のではなくて。
本を読む時間を取りたくて移動する。
のかもしれん。

乗車券は1850円。
優雅な読書時間。

特に夜間の電車。
車内読書が捗る。

内容が面白く、思わずニヤリ。
ふと、前席の乗客と目が合う。

慌てて真顔で目を逸らす、私。
残像、焦点がぼやけている眼。

330声 柚子湯

2008年11月25日

明日は26日。
と言う事は、「フロの日」。

冬至に柚子を入れた湯に入浴する、日本古来の習慣を大切にし、
12月には柚子湯を実施している銭湯がある。
暦に習って、伝統を重んじる風流なトコロも銭湯の魅力。

5月は菖蒲湯、12月は柚子湯。
湯のまつわる日本の伝統を意識し始めたのも、銭湯を回り始めてから。
銭湯は学ぶ場所でもある。
と、実感。

菖蒲湯と柚子湯は、夏と冬の季語。
香り良い湯に浸かりながら、句を吟じる。
これも銭湯の醍醐味。

銭湯はエンターテイメントになりえるだろうか。

329声 時蕎麦

2008年11月24日

寄席に行くと、帰りに蕎麦が食いたくなる。

328声 Season in the 酔っ払い

2008年11月23日

巷は三連休の中日。
日本各地でイベントやらなんやらが、目白押しである。
県内でも、郊外大型ショッピングモールのオープンなどで、周辺道路は大混雑。
幹線道路は戦々恐々とした雰囲気が漂う。

それに比べて、地元中心商店街なんてのは、そりゃもう落ち着いてしまっている。
しかしこの時期、地元商店街が俄かに活気付くのは、日が落ちてから。
早い人はたちがぼちぼち、忘年会を開いているからだ。
11月の忘年会ってのも、忘年できない事がまだ山積みでは無かろうかと、
余計な気を回してしまう。
しかし、閑散としていた商店街が、この時期の夜だけではあるが活気付く。
往来に人が流れ、楽しげな声が響いている、その光景は明るい。
煌々とした人ごみのショッピングセンターよりも、明かるい。

程好く酔って、千鳥足往来。
人並みに流され、はしご酒。

これから年末、年明けにかけて、何かと酒量が増える、酔っ払いのシーズン。
かく言う私も、どっかの商店街の夜に沈み込んでいる筈である。

327声 温めの癇

2008年11月22日

景気対策。

以前より声高に叫ばれている、早急なる抜本的改革。
なんて、本当は必要だと思っていないのではないか。

中央省庁。

白黒はっきりさせるのが苦手な人種。
「お酒は温めの燗が良い〜♪」
なんて言ってる人種ですもの日本人。

要するに。

肴は炙った烏賊で良い。

326声 はしゃぐ

2008年11月22日

師走の初雪 隣の家の犬大興奮

326声 のり弁人生

2008年11月21日

からあげ弁当。
を食べると、贅沢な気分になる。
様になったのは、いつ頃からだったろうか。

そして、幕の内弁当が高根の花になった。
のはもう、昔々の事でした。

325声 御不浄物語 後編

2008年11月20日

僕も男である。
男なら男らしく、堂々と出て行こう。
そうすれば、事態は丸く収まる。
訳ゃないのである。

ここは女子便所。
今、男らしくドアの外に出て行ったら、入口で確実にひっ捕らえられる。
おまけに僕には、一部始終を説明できる自身が皆無である。
しかし状況は、タイムリミット、時間制限目一杯。
男らしく出るべきか、それとも、いや、待てよ。
男らしく、出る。
から、問題なのかもしれない。
思考内に一筋の糸。
手繰り寄せ、いざ、尋常に。

僕は、いや、アタイはゆっくりとドアを開け、伏し目がちで一気に入口へと駆け抜けた。
もちろん、右手の甲を頬に当て、クネクネッと内股気味に小走り。  
一人かわし二人かわし、迅速に便所入口のドアまですり抜け、ドアを開ける。
「助かった」
と思って、入口ドアを押し開けると、そこにはなんと、未だ見ぬ三人目。
並んでいた、そのおばちゃんと、瞬時に目が合う。
「おとこ」
っと、そのおばちゃんは驚きながらも、確かにつぶやいた。
その声を聞いた瞬間、すれ違いざま横目に見た、若妻二人の仰天した表情と、
ドアを開けた瞬間の、おばちゃんの丸い眼球。
脳内カメラのシャッターが下りて、目の前が一瞬暗くなって、その光景が、脳裏に焼き付いた。

息が止まった。
アタイはそれでも、「すみません」と、蚊の泣く様な声を出して、振り返らずに風の如く走り去った。
もちろん、右手の甲を頬に当て、クネクネッと内股気味に小走り。

「アタイ」から「僕」に戻った僕は帰宅し、そのまま寝込んだ。

324声 御不浄物語 中編

2008年11月19日

安堵感に浸りつつ、口半開きの表情は、極度に弛緩。
深い溜息を一つついて、トイレットペーパーに手を伸ばす。
「なんと、紙が無い」
なんて言う、三文筋書きの様にはならず、どっさりと巻いてある。
悠々と、再度訪れた平和的社会生活を噛み締めつつ、
トイレットペーパーを手に巻き取っていた、その瞬間。

「ガタン」
っと、入口。
瞬時に表情は硬直。
平和社会は一瞬にして崩壊し、便所内は厳戒態勢。
僕は、和式の情けない体勢。
息を殺して、一先ず一連の作業を終え、
ベルトから鳴る金属音に注意しながら、ゆっくりとズボンを上げる。
そして、先ずはこの目で事実確認せねばと思い、恐る恐る、ドアの上から顔を出す。
僕は背が高い方なので、幸い上から覗く事が出来たのだ。

若妻。
ドアのすぐ前に立って居たのは、若奥さん風の女性が一人。
乾きかけた冷汗が、息を吹き返す。
天国から地獄。
御不浄様は僕を御見捨てになられたのか。
などと、便所の隅で嘆いていたら、またドアの開く音。
「帰った」
と、希望的観測にすがりつき、例の如く覗いて見る。

若妻。
が一人増えていた。
僕は一気に老けた。
様な心持になって、頭を掻きむしって、うずくまって、自暴自棄になって、取り合えず水を流した。
そのローテーションを繰り返す事、三回。
相当時間が経過し、三度目の水を流した時には、ドア越しに、
会場(女子便所)のボルテージが、最高潮に達している空気感。
解決策も出ないまま。
半径1mを右往左往。
「女子便所の変質者は高校生」
なんて言う、明日の朝刊が、言わば、最悪の事態が、想定される。
ドアがドンドン。
心臓がバクバク。
もはや万事休す。

323声 御不浄物語 前編

2008年11月18日

今を遡る事、僕が高校二年生時分。
今回は一人称を、「僕」にしてみる。
「私」でも、「西山日出男」なんて仮名でも良いのだが、
これから書く間の抜けた男には、僕が合う様な気がする。
さて、話を戻す。

春の放課後である。
修学旅行を直前に控えていた。
修学旅行の学生ってのは、大抵、新しい下着を身に付けて行く。
要は、そう言う年頃なのである。
多分に洩れず僕も、その日の放課後、家路から足を延ばして、
学校の近くにあった衣料品店に立ち寄った。

店内でパンツを選んでいる、制服の学生。
店員の視線を背中に浴びつつ、焦って選んでいた、その瞬間。
下腹部に電流一線。
ハードパンチャーのボディブロー。
突然の鈍痛である。

「うっ」
っと、反射的に体が、くの字型に折曲がる。
肛門括約筋の収縮率から算出する、余時間は、一刻の猶予も無し。
つまりは、最悪の状態。
平たく言うと、「もれそー」なのである。

全身の血が、一気に下降して行くのが分かる。
「ヒッ、ヒッ、フー」
と、気が動転して何故かラマーズ法で呼吸しつつ、
内股ヨチヨチ歩きで店の外へ出る。
「フー」の部分で、括約筋が弛緩したのか、状態は土砂崩れ寸前。
自動ドアを出た瞬間、「ダメだな、こりゃ、しかし」と絶望的観測。
直ぐそこに駐輪してある自転車までの道のりも、困難。
虚ろな視界に映ったのは、「WC」の文字。
トイレが外に付いている店舗だったのだ。
「神様、仏様、御不浄様」って、蜘蛛の糸を掴むが如く、男子便所へ。

赤。
ドアノブの色は絶望を表していた。
便所の入り口で放心。
白眼が徐々に黒眼を侵食。
「無念」
と、勝負を投げ出す寸前、脳裏に過る。
「女子便所だ」

もはや考える余地なし。
「ほんの2.3分」
色即是空。
南無阿弥陀仏。
九死に一生。
女子便所で恍惚。

322声 失敗の親玉

2008年11月17日

自動販売機でカップコーヒーを買う際、
ホットとコールドを押し間違えてしまった。
冬の朝から、アイスコーヒーを啜る破目に。
そのカップコーヒーを持ちながら、階段を下る。
階段を踏み外して、体勢を崩し、カップコーヒーがYシャツに、ドバッ。

「ハンカチ、出てますよ」
と指摘を受け、
「こりゃどうも」
って、ズボンの後ろのポケットに手をやって、ハンカチをしまう。
けれどもそれは、ハンカチじゃなくて、実はポケットの裏地。

ポケット裏地の一軒は、まさに本日の失敗であるが、取るに足らず。
この手の失敗などは、年に数えきれない程ある。
言うならば失敗の下っ端、三下も良いところである。

しかしその失敗も、親玉辺りになってくると、一筋縄では行かない。
私は以前、失敗の親玉と隣り合わせの、絶体絶命状況に陥った事がある。
その状況を打破する為、人間と言うのは、かくも不思議な行動を取ってしまうものである。
明日は、そんな話を一つ。

まくら、と言うか。
前フリ、と言うか。
つかみ、と言うか。
つまり、そ言う事。

321声 音に聞こえし上州八木節

2008年11月16日

「音に聞こえし国定村のぉ〜♪博徒忠治の生い立ちこそはぁ〜♪」
未だに頭ん中で鳴り響いている、八木節ビート。

昨日、今日と、上州八木節会の八木節生演奏を体感。
昨日は「和のカルチャースクールほのじ」に、代表の加藤さんがお越しになり、
国定忠治にまつわる話と、八木節の実演。
「れぇでぃ〜すえんじぇんとるめ〜ん♪」なんて節回しの、貴重な英語版八木節も聞けた。
なんと上州八木節会、2004年の国賓であった、デンマーク王国女王夫妻の御来県で、
八木節を披露した事が縁となり、翌年にデンマーク王国の古城で、八木節を演奏した経験があるのだ。
しかし昨日は、それらを押しのけて、加藤さんの身の上話が上演時間の倍以上。
いやはや、博徒忠治の生い立ちよりも、加藤さんの生い立ちの印象の方が強く残っている。

そして今日は、伊勢崎市文化会館で行われた、「第2回郷土芸能大会」を観覧。
演奏チームは全部で33団体。
伊勢崎市にも、これだけ多くの郷土芸能の火が灯っているのかと、感嘆。
その演目は、やはり八木節が一番多く、他にも、どじょうすくいの安来節や、
獅子舞、祭礼囃子などが好演。
さて、上州八木節会、他を圧倒する気迫あふれる八木節を披露。

演奏中の加藤さん、時折見せる満面の笑み。
加藤さんの吹く笛は、八木節に賭けた男の魂を奏でている。
あのメロディー、あの「ピ〜ヒャラ」具合が、加藤さんの八木節人生を語っていた。

320声 気質

2008年11月15日

さて、土曜日。
もう、午前中を無為に過ごしてしまいました。
今日は、朝から天気が良くないからでしょうか。
何だか、気分が優れないような心地が致します。

おいでになられたのに、何もお構いしませんで、申し訳なく思います。
珈琲の一杯でもお出しして、お話でも出来れば宜しいのですが、
生憎、出掛ける用事がひとつ。

大した用事ではないのですが、既に、予定の時間を過ぎておりまして。
いえ、お気になさらずに、如何です、一杯。

319声 通過列車

2008年11月14日

煩悶は良いが懊悩は良くない。
つまりは、気にせず悩めとでも言おうか。
まぁ、私の場合。

会社において部長あたりから面罵される。
「んーな事じゃ、テメェの給料なんて出さねーぞ、この、こんこんちき」
すると私、おもむろかつ冷静沈着に、右手人差指と中指を立て、
ゆっくりと左右を指差し確認する。
この行為は、浴びせられる叱責を列車に見立て、今まさに駅(脳)を通過しましたよ、
と言う、ユーモアに富んだ皮肉のつもりである。
駅係員として、切符の一つでも切ってあげたい様な心持でいる。

しかし、ユーモアとユーフォーの区別もつかない、茹ダコ人間化した人から見れば、突然の奇行。
さてはいよいよ、コイツ気でも違えたかと思い、事態は一気に沈静化の様相を得るのである。

列車が通過する際は、くれぐれも、白線の内側に下がって待つ事。

318声 鋭敏であれ

2008年11月13日

視界前方の風景を眺める。
行ったん視線を逸らしてから、膝を曲げて中腰になる。
そしてまた、同じ風景を眺める。
そこにあるのは、同じ風景であるが、見え方が違う。

11月14日の試み。
朝、いつもは、食パンを焼いてからマーガリンを塗るのだが、
今日は、塗ってから焼いた。
夜、いつもは専用のグラスでビールを飲むのだが、
今日は、湯のみで飲んだ。
同じ物が違う味。

その試みが、感覚を養う。

317声 風の子

2008年11月12日

車通勤の私は、朝、通勤ラッシュがある時間には家を出る。
信号待ちの長い車列の中、車窓から毎朝見る光景がある。
それは、車道の脇を登校する小学生たちである。

ランドセルを背負った四、五人の小学生たちが、列を成して登校して行く。
この地区で登校の際に決められている、登校班と言う制度だ。
「班長」と言う黄色い腕章をランドセルに付け、一番前を歩いているのが、上級生。
黄色の帽子を被って、心許な気について行くチビッ子が一年生であろう。
そんな光景を見ていて、気付く事が二つ。

まず、大人しい。
皆一様に黙々と、中には浮かない表情で、億劫そうに歩いて行く子供も見受けられる。
年寄りのハイキングじゃあるまいし。
「子供は風の子」なんて表現を使うと、年寄りだと言われそうだが、
私が子供時分には耳蛸な言葉であった。
実際、毎朝、笑顔と大声を撒き散らしながら、風と戯れる様にして、登校していた様な記憶がある。
その中には絶対にいつも、どこで拾って来たのか、
棒っ切れなんか持って、振り回してる奴がいたものだ。

そして、小綺麗。
皆、身に付けている衣服が小綺麗、お洒落である。
男子も女子も、小生意気に凝った刺繍が施されている、
どこぞのキッズブランドやら、と見受けられる服装が多い。
私の時分には、特に男子は皆、体操着で登校してくる子が多かった。
その子らの体操着の肘や膝には、大抵、擦り切れを隠す為の、
継ぎはぎやアップリケが見えていた。
私も経験があるが、親が膝などの目立つ場所に、幼稚で派手なアップリケをしてしまい、
非常に恥ずかしい思いをした事がある。

大人しくて小綺麗な子供たちが、黙々と登校して行く光景。
そんな光景を、毎朝、車窓から眺めていると、すこし寂しい心持になる。
私の胸中を駆け回る言葉は、
「もっと笑顔と大声で元気よく」
「服なんか擦り切れるまで遊べ」
そして、年寄りだと思われても、やはり言いたい。
「子供は風の子」
さぁ、鼻たれ小僧、棒っ切れ持って突っ走れ!

316声 楽屋裏

2008年11月11日

本日は高崎市街地を転々。
映画館に美術館、ラジオ局。
「取材」と言う状況にあやかって、
各所の言わば「楽屋裏」を覗かせてもらった。
そこは究極を生み出す場所。
さて、「めっかった群馬」の楽屋裏って、
どこなのかしら。

315声 路上の月

2008年11月10日

酔って路上。

仄暗い電信柱に問う。

答えず三日月。

今宵は冷える。