日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和6年度は4月(ぬ)5月(岡)6月(す)7月(堀)8月(坂)9月(ぬ)10月(岡)11月(す)12月(堀)1月(坂)2月(ぬ)3月(岡)の順です。

377声 湯船の目

2009年01月11日

天竺を見ている。
かの様に見える。
朧なる視線。
悠久の目線。
くたびれた銭湯。
隣の湯船の御爺さん。

376声 緑石鹸

2009年01月10日

本日、銭湯にて入浴。
洗い場で体を洗おうと、洗面用具に手を伸ばすと、石鹸がない。
「忘れた」って、思うと同時に、そこらに落っこちてないかと、
反射的に探してしまう、さもしい神経回路。

斜め横の鏡前に、ちびた緑色の石鹸が一つ。
時間も遅く、おそらく私で最後の客と推測される現在時刻。
となれば、忘れ物。

その緑石鹸を手に取って、両手を揉んで泡立てる。
順調に体を洗い進めて行くと、「ん」、と気付く。
匂いである。
カメムシを踏みつぶした、あるいは、腐った香草。
なんとも形容のしがたい、異臭。

おそらく、薬用の石鹸かなんかだろう。
その後、長めに湯船に浸かって、風呂から上がった。
瓶牛乳を飲みながら、手の平を嗅ぐ。
なんともいやはや。

375声 吝嗇問答

2009年01月09日

雪の降る日は、寒い。
寒いと恋しくなるのが、鍋。

先日参加した、新年会。
大人数での、居酒屋飲み会。
2時間飲み放題コースと言う、妥当な進行。
2階の大部屋に通されて、鍋に火付けたと思ったら、てんやわんやでお会計。
生ビールなんかはもう、ピッチャーで置いてあったり。
ってな、濃い時間が駆け抜ける。

すると、残されるのが、コース料理の残骸。
つまりは、食べ残しである。
時間が来て、そそくさと店を出際に、どうもテーブルの上が気になってしまう。
鍋にはまだ、〆に入れたうどんが残っており、しかも、具の牡蠣が所々見え隠れ。
刺身にから揚げ、ポテトフライ。

しかしながら、後ろ髪引かれつつも、さらに深く、酔街の夜へと沈んで行く。
沈没寸前。
救難ボートで岸まで辿り着き、どうにかこうにか、自宅の煎餅布団の上に倒れ込む。
目を閉じて、明日と今日の境目に垣間見るのは、光景。
刺身にから揚げ、ポテトフライ。
そして、あの鍋の牡蠣。
全部、ぶちゃっちゃうんだろうかと、気をもみつつ、就寝。

吝嗇故の自戒問答。
日頃、エコライフ生活を実践する、日本人の精神。
甚だ脆弱なり。

374声 ベジタブリズム

2009年01月08日

本日、取材撮影に訪れた、倉渕町のログハウス。
冬のログハウス。
と来たら、大抵、料理は鍋ってのが相場。
なので、地場産野菜を使って、寄せ鍋を作った。

取材撮影が一通り終わり、数人で鍋を囲む。
昼間だったが、辺りを包む森閑とした雰囲気も相まって、終始穏やかに食事。
野菜のみの料理で、一献傾ける。
と言うのも、穏やかかつ和やかな酒が楽しめそうである。
野菜を摂取する事で、影響が及ぶのであろう。
バイオリズムっちゅうモノ辺りに。

373声 存在に気付く

2009年01月07日

あらゆる物で埋めてきた空虚。
空虚を空虚として受け止め、状況を把握しようと努める。
そして気付く。
それを埋めてようとしていた行為。
その行為自体に気を取られ、一瞬目を逸らしていただけだった。
けっして埋まる事のない。
ないであろう、空虚が、存在している。

372声 手紙の温度

2009年01月06日

来た者に対し、年賀状を書いている。
不精な性格ゆえ、今年(否、ここ数年)は返送でしか年賀状を書いていない。
書き始めると、自らの字が、非常に稚拙で閉口。
私の手元にある年賀状は、その大半がプリントアウトである。
今年の干支である丑が、綺麗なデザインで定型の挨拶と共にプリントされている。
写真入りの物や、非常に凝ったデザインの物、様々。
どれも、非常に綺麗で見やすい。

それに比べ、私が書いた年賀状。
まさに、小学校低学年生が書いたかのように、
のたくった、墨文字一色の新年の挨拶。

そう言えば、私の友人にも、大人になっても字が下手な者がいる。
中学生時分の年賀状と、二十歳を超えてからの年賀状の字が、
全く成長していない、歩きながら書いた様な、ヨレヨレ文字。
思えばここ数年、あのヨレヨレ文字を見ていない。

そして、今までもらってきた年賀状で、特に印象に残っているのは、そんな年賀状。
バランスが悪く、不格好で、幼稚な文字が並んでいる、味があって温かみのある年賀状たちだ。
タイトルが付いていなければ分からない様な、手書きの干支のイラストを見て、
元日に一笑い。
大切なのは、手紙の温度である。
手書きの絵が沢山ある、稚拙だが、相手を思いやる文章の入った手書きの年賀状は、温かい。

だからと言って、この年になってもまだ、ミミズがのたくった様な文字を書いている自分は、
どうかと思ったりもする。

371声 朝湯

2009年01月05日

窓から射し込む朝日は、直線的な陰影を落とし、
湯船にたゆたう小波を輝かせている。
出しっ放しのシャワー。
立ち上る湯気が煙る。
曇った据え付けの鏡を擦ると、歯を磨いている、血色の悪い顔。
耳の奥に残る、昨夜の残骸。
悔恨になって、浸透。

370声 鶴のひとこえ一周年記念企画 〜実録・鶴の対談〜 後編

2009年01月04日

昨日の続き

■クレインダンス
堀澤宏之(ほりさわ・ひろゆき)=学校「ほのじ」校長
抜井諒一(ぬくい・りょういち)=「めっかった群馬」編集長

20:30:瓶ビール、レモンサワーなどが到着し乾杯

20:35:抜井、高崎の銭湯の話(3度目)

20:40:堀沢、自己において何が障害になるかの話

20:45:田村氏、フィギュアスケートの話

20:50:堀沢、「各スケート選手における芸者の資質と恋愛」の話

20:55:「芸は所作、お茶は所作」

21:00:堀沢、「ミキティの恋への考察」の話

21:15:田村氏から、「あわじオレンジスティック」を頂く

21:20:堀沢父から電話が入る
    「お釜の中に御飯が半分残っているから、それを出しておいてくれ」

21:30:「まだ最期じゃない…」

21:40:堀沢、「破たん」の話

21:50:田村氏、「迷い」の話

22:00:「物事にのっとれる女性」の話

22:15:抜井、「日本酒の良し悪しへの問い」の話

22:30:「反省しない」話

23:00:ここで対談を終了 会計を済ませ店を後にする
    抜井、「田村さん、ちょっとお金貸して下さい」

「テーマ」
っちゅう物が全く見当たらず、5分10分おきに話が飛んでいる、節操のない座談。
そして、「対談」になっているのかどうかも怪しげだが、
23:00で鶴の対談は終了。
ノートの文字も、大幅に罫線からはみ出しのたくってきたところで、実録を終了。
一同、満足気な表情を浮かべて、浮かんでいるような足取りで、
高崎のさらに深い夜へと向う。
ツルヨハバタケ

369声 鶴のひとこえ一周年記念企画 〜実録・鶴の対談〜 中編

2009年01月03日

昨日の続き

■クレインダンス
堀澤宏之(ほりさわ・ひろゆき)=学校「ほのじ」校長
抜井諒一(ぬくい・りょういち)=「めっかった群馬」編集長

18:45:「準備が出来ていないと旅に出れない」
    旅する準備の話

18:50:「第6回ワルノリ俳句ingが浅草になった理由から、浅草芸者」の話

19:10:抜井、「銭湯の良さ」の話(2度目)

19:15:渡辺氏、「成田湯」の話(2度目)

19:20:田村氏、来店

19:25:生ビール、熱燗などが到着し、改めて乾杯

19:35:渡辺氏、「目尻に皺がねぇと女じゃねぇ」(2度目)

19:40:「2つ年上の恋愛」の話

19:45:田村氏「隣保班」の話

19:55:「ほのじの料理にミラクルを」

20:00:堀沢、「攻めないで攻めたい」

20:05:「もっきり」の話

20:10:会計を済まし、店を出る

    店の前にて、渡辺氏と次回再会を楽しみに、別れる
    「ゴロゴロゴロ」っと、バッグに付いているキャスターの音と共に、
    夜の高崎に消えて行く、渡辺氏に感謝

20:15:高崎の街中へ足を向ける

20:20:堀沢、歩きながらデジカメのシャッターを切りまくる

20:25:おでん屋に入店

中編の今日はここまで。
さて、明日はいよいよ後編。
同じ話が再来、熱気が増す座談。
渡辺氏と別れ、新たなゲストである田村氏と河岸を変えて、
はしご酒及びはしご対談。
乞うご期待。

368声 鶴のひとこえ一周年記念企画 〜実録・鶴の対談〜 前編

2009年01月02日

年の瀬迫った、夕暮れの高崎。
クレインダンスの忘年会を兼ねて行われた、「鶴の対談」。
合縁奇縁、(偶然会った)ゲストの方々を迎え、
飲み屋の喧騒に溶けてゆく、一夜の酔話。
天下国家を論じる事も、社会情勢を憂う事もなく、
小さな店の、小さなテーブルの上に飛び交った、酒酒落落とした話の数々。
それでは、実録・鶴の対談、はじまりはじまり。

■クレインダンス
堀澤宏之(ほりさわ・ひろゆき)=学校「ほのじ」校長
抜井諒一(ぬくい・りょういち)=「めっかった群馬」編集長

17:00:高崎駅改札口、堀沢、知人の渡辺氏と偶然、出くわす

17:10:抜井、10分遅れて合流、3人で駅の外へ向かう

17:20:大衆割烹の店に入店

17:25:3人分の生ビールが到着し、乾杯

17:30:名古屋の旅から帰って来た渡辺氏、旅の話が始まる

17:35:渡辺氏、「寝袋マン」と「大須観音」の素晴らしさについての話
    深い詠嘆を込めて、「電車の旅は素晴らしい」

17:40:井上さんのギャグセンスへのダメだし

17:45:「九州の女」の話

17:50:目的達成の困難 「あんじゅとずし王」の話

17:55:家賃滞納、前向きな借金の話

18:05:渡辺氏、前橋時代「成田湯」の思い出の話

18:10:抜井、県内の銭湯事情から路地裏銭湯記の話

18:15:堀沢、行ったり来たりの思考回路の話

18:25:「端唄と都々逸から、柳家三亀松の素晴らしさ」の話

18:30:渡辺氏、湯豆腐をつまみながら熱燗を飲みつつ
    「目尻に皺がねぇと女じゃねぇ」(一同爆笑)

18:35:「最近の失恋」の話

18:40:「恋愛対象の許容範囲から、年齢のタガが外れた事への、驚きと希望」の話
    「愛と恋との相違」の話

今日はここまで。
まだまだ、高崎の夜は長い。
酒もじんわりと浸透し、徐々に色っぽくなってくる酔話。
明日は新たなゲストが登場。
乞うご期待。

第6回ワルノリ俳句ingから、自宅に戻り、更新。

367声 謹賀新年2009

2009年01月01日

気持ち良い、快晴の朝です。
あけましておめでとうございます。
今年もひとつ、「めっかった群馬」をよろしくお願いいたします。

明日の368声から370声の3声に渡り、
「祝・日刊鶴のひとこえ一周年記念企画」を、お送りいたします。
そして明日は、第6回ワルノリ俳句ingの日でもあります。
初詣がてら、新年の一句に一年の慶を願って、浅草へ吟行に向かいます。

一富士二鷹三茄子。
その後に、
四扇五煙草六座頭。
なんて言われている、初夢。
普段は全く夢を見ない私。
それが今朝、夢を見たんです。
大晦日から元旦にかけてだけれど、
強引に初夢にカウント。

舞台の上に呼ばれる私。
マイクの前まで歩いて行って、一言。
が、出てこない。
「あれ、何で此処に呼ばれたんだろう」
って、脳天から血の気が引いてくる瞬間。
に、目が覚めた。

さてさて、丑年の今年はどんな年になるやら。
夢占いが出来る方、どうぞ、【お問い合わせ】からお便り下さい。
それでは、読者皆様のご健康とご多幸を、心よりお祈り申し上げます。

2009.1.1 am11:11 抜井 諒一

366声 365粒の生活の水滴

2008年12月31日

大晦日。
紅白を見ながら、年越し蕎麦。
ってのが、昭和時代における伝統的な慣例。
なのだが、平成も21年に向かう今、その伝統が寒冷。
して来ている模様。

現在は私、自宅にて、テレビには紅白歌合戦が映っている。
そして、テーブルの上には、年越し蕎麦。
じゃなく、トムヤムクン。

今月、タイに行って来た、友人からのお土産である。
年越しトムヤムクン蕎麦。
に、してしまえ、いっその事。

どうやらこの、「鶴のひとこえ」も一周年。
毎日見て下さった方にも、時々見て下さった方にも、初めて見て下さった方にも、
平に感謝。

齢26歳、高崎市在住三角野郎の、生活の水滴。
毎日此処に、集めて綴る、心象風景。

365声 タガが緩む

2008年12月30日

今年は例年になく、湯豆腐を沢山食った。
と、昨夜、大衆割烹店のテーブルの上、湯豆腐の湯気を眺めつつ思った。
そして、湯豆腐ってのは、「実に付き合いやすく、良い奴だ」とも。

しかし私、子供時分には、湯豆腐なんて物に目もくれていなかった。
ご飯のおかずにするなら、断然、冷奴だった。
大人になり、一杯嗜む様になってからも然り。

それが今。
湯豆腐と自分は、実に良い関係を築いている。
しかも、部屋のテレビから流れてくる、数々の演歌。
なぜだか、実に、心を打たれる。

と言う事は、私も、徐々にタガが外れて来たと言う事。
そう言えば昨日も、私よりも人生の先輩諸氏曰く。
「年齢のタガが外れてきた、いや、完全に外れた」
と、自らの恋愛対象における実体験に口角泡。

今年も残るところあと一日。
何のお構いも出来ませんが、
どうぞ、暖まって行ってください。

364声  今宵

2008年12月29日

クレインダンス忘年会。
酔眼甚だし、明日に期待。

363声 プラスチックな正月

2008年12月28日

ラスト3声。
と言っても、また来年は366声から始まるのである。
そう言っちゃっちゃあ、芸がない。
雰囲気も出ない。
ので、いよいよ残すところ、今年もあと3声。

息を吹きかけると、脈を取り戻したかの如く、ボーッと赤く灯る炭の燃えカス。
心許無い活気を呈する、年末の街中商店街を歩いていると、そんな印象を受ける。
人気もまばらな商店街の魚屋の店頭。
網目が粗い、エンジ色の毛糸のセーターを着たおばあちゃんが、
新巻鮭を買っている。
年の瀬風物詩の模範的な光景である。

対照的に、郊外の大型ショッピングセンターは、満員御礼の盛況ぶり。
駐車場待ちの長い車列は、もはや年末における、県内恒例の光景。
クリスマスから一転、店内に響き渡る、箏曲「春の海」。
そして、ショッピングカートが押し合いへし合いの、食品売り場。
あらゆる日本の正月が詰め込まれている。
プラスチックケースの中。

362声 烏のひとこえ

2008年12月27日

よし、今日こそは、自部屋の大掃除。
と、一念発起して、朝から雑巾片手に取り掛かる。

まず目に付いたのは、ギターである。
ろくに手入れもしないから、弦は錆びてるし、ネックは手垢だらけだし、
おまけに全体が埃まみれである。
それじゃあって、一年の敬意を表して、掃除に取り掛かる。

弦を新品に張り替え、ネックを丹念に掃除し、全体を磨き上げる。
見違えるほど綺麗になったギターを、惚れ惚れと眺めていると、
銀色に輝く六本の弦が、「俺を弾け」と、言っている。
様な気がして、しばし、錆びついた腕で新鮮な音を体感。

「はっ」
と、気付いたら正午。
結局、午前中はギターに手を取られて何も片付かなかった。
しかしまぁ、まだ午後がある。

午後に取り掛かったのは、まず、本の整理。
今回の自部屋大掃除における、最大の難局である。
手強い箇所から、片付ける作戦を実行。

床の上に平積みされて、埃まみれになっている本類。
それを雑巾で拭いて、本棚に移す。
どんどん移す。
一度入れたら、奥の本がもう取り出せない。
と思いつつも、どんどん移す。
あれ、この本、さっき文庫本で同じのがあったな。
と思いつつも、どんどん移す。
ところで、本棚に入っている、夥しい数の空ビール瓶は最終的に、どうしよう。
と思いつつも、どんどん移す。

「疲れた」
と、まだ読んでない本でも読みつつ、少し休憩。
これが、いけなかった。
胡坐を書いて読んでたのが、いつの間にか、寝ころんで読む。
そして、終りまで一気に読破。

「よし、やるか」
って、本を閉じたら、射し込む西日に染まった、橙色の部屋。
おまけに、やけに肌寒くなってきた。
遠くで聞こえる烏の声。
一目散に失せて行く、ヤル気。
積まれた本の上に、まだ大分、綺麗な雑巾。

361声 体裁を笑い飛ばす

2008年12月26日

年の瀬の夜半。
こうして推敲しながら文章を書いていると、
自然と思考が一年を振り返っている。

「よく一年続いたなぁ」
と思う。
この、日刊鶴のひとこえ。
振り返れば、こうやって毎晩、PCの前で腕を組みつつ試行錯誤。
費やした時間を思えば、いささか気が遠くなって来る。
毎晩、私は、読者に、何を訴えたかったのだろう。
と、また、そんな無用問答を始める。(半ば答えは分かっているのだ)
そんな、「体裁」を整えてしまう。

現在、部屋のテレビが「8時だョ!全員集合 年末スぺシャル」を、映している。
ドリフのコントはシンプルである。
体裁を吹き飛ばす、力強さがある。
その原始的な力が、今宵も私に、麦酒を噴出させる。
あー笑った笑った。

360声 年越し怠惰

2008年12月25日

晩酌のビールで拍車がかかる、怠惰。
風呂から上がって一杯、で板に付く、怠惰。
年の瀬も押し迫ったクリスマスの夜に、怠惰。

いっその事、年越し蕎麦と一緒に、「手打ち」にして、食ってみようかしら。
新たな年を、新たな自分で迎えられるかも知れん。
蕎麦食って、腹が一杯になって、直ぐ横になって、しまいに眠ちゃって、怠惰。
これじゃあ、蕎麦食ってんだか、怠惰を食ってんだか。
まぁ、食った後、すぐ横になるのも仕様が無い。
だって来年は、丑年なのだ。