日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和8年度は4月(坂)5月(ぬ)6月(岡)7月(す)8月(堀)9月(坂)10月(ぬ)11月(岡)12月(す)1月(堀)2月(坂)3月(ぬ)の順です。

564声 夏の影

2009年07月17日

「素麺なんかで、さらっと」
だとか、
「あぁ、鰻の蒲焼きで活力を」
揚げ句には、
「ついでに、良く冷えた麦酒で一杯」
などと、往来の飯屋が目に入ると、考えてしまう。
と言う事は、大分、先の胃腸炎の病状も回復してきたと言う事だろう。
飯屋の看板よりも目に付いたのが、本日、終業式を終え、
嬉々として夏休みに突入して行く、学生等である。
ランドセルを揺らし、飛び跳ねながら帰る小学生。
県大会優勝を目指し、仲間と一緒に走って帰る中学生。
受験の瀬戸際に立ち、小難しい顔をして足早に行く高校生。
中には、就職の内定が決まらず、項垂れながら歩く大学生なんてのもいる。
皆、それぞれの夏が来る。
翻って考えるに、青白い顔して、力弱く素麺を啜っている私には、
どんな夏がくるのだろうか。
そう言えば明日、伊勢崎市は七夕祭り。
夏の願を短冊に認めてこようかしら。
しかし、私の事だからきっと、相川考古館で川柳でも作っている方が性に合う。
ともあれ、夏の病は始末が悪い。
なんだか、夏は影が濃いから。

563声 ウイルス様への嘆願書

2009年07月16日

七転八倒。
まさに、身を持って体験した状態である。
「畜生!未だ断続的に腹が痛てぇ」
などと、悪態がつけるまでに回復したが、昨日などは一日中、
便所に籠って半べそかきながら、悲痛な呻き声を上げていた。
便所から、這いつくばって寝床へ戻る。
途中でまた、冷汗かいて便所へ引き返すと言う始末。
やっと寝床へ戻って、徐にテレビなんぞ付ければ、
かき氷の早食いなんかやってやがって、それでまた、腹がご機嫌斜めになる。
しょうがねぇ、ってんで、蒲団を引っ被って寝よう、ったて、熱が39度も出て、
目が回って寝れやしねぇ。
全く、「ウイルス性胃腸炎」って事だが、一遍で良いから、
そのウイルスとやらの面を拝んで見たいものである。
面拝んだんだら、どうしても一言だけ言ってやらないと気が済まない。
「どうかひとつ、その、お手柔らかに、お願い致します」

562声 絆創膏レシート 後編

2009年07月15日

一昨日の続き。
直ぐに思い当たった。
飲み屋のレシートである。
それも、キャッシュレジスターから発行された売上明細書では無く、
スナックバーなどで見る、絆創膏サイズの紙に、手書きで金額が記載されたレシート。
そう言えば、コンビニなどで貰うレシートは、レジ横の回収箱に入れてくるのだが、
あの絆創膏レシートは、金額を確認すると、ぐしゃっと丸めて、ポケットに捩じ込む。
だから、店を出た後も、忘れてポケットの中で丸まっている事が、度々ある。
思い返せば、あれも面白い光景である。
会計を頼むと、店のママが絆創膏レシートを出す。
カウンターの男は、そのレシートに書かれている金額を「チラッ」と見る。
ここは皆、必ずチラ見である。
眉間に皺寄せ、まじまじと見る人は見掛けない。
そして内心の、「あれ、結構いくなぁ、何がそんなにどうして…」、
などと煮え切らない気持ちは露も見せず、
澄まし顔で、二、三、静に小さく頷き、素直に財布から札を引っ張り出す。
会計を済ませ、思ったよりふら付く足取りを悟られない様に、そそくさと店を出る。
少し歩いて電信柱の薄明かりの下、ポケットからまたレシートを出し、まじまじと眺める。
また、ぐしゃっと丸めて、ポケットに捩じ込み、歩道の小石を蹴りながら帰る。
洗濯を終えたジーンズ。
どうやら、絆創膏レシートが何枚も入ってた様で、未だ、紙屑まみれである。

561声 ウイルス性胃腸炎

2009年07月14日

と言う診断が私に下ったのが、本日の昼下がり。
今は病床に臥せっている。
なので、昨日の続きは、また明晩。
これ以上書いてると、読者にうつるかもしないので、これにて。

560声 絆創膏レシート 前編

2009年07月13日

伊勢崎市では、本日の最高気温37.2度を観測。
永田町では、麻生首相が衆院解散を遂に決断。
そして此処、高崎市の外れで、私は今宵も煩悶。

いくら煩悶しても、半熱中症気味の頭では良い内容など思いつきそうにも無いので、
恥を忍びつつ、今朝の愚行をひとつ。

こう暑いに日に、洗濯機の蓋を開けて、ぐるぐる回る洗濯槽を眺めていると、
思わず、自らも洗濯物と一緒にジャブジャブと戯れたくなる。
「はっ」と我に返り、悔恨の念を込めた哀しい視線を、洗濯槽から外す。

極単純な不注意で、ジーンズのポケットに紙切れを入れたまま、洗濯機で洗ってしまった。
仕出かした事のある人なら、察しが付くと思うが、これは豪い目にあう。
脱水が終わった洗濯機の蓋を開けると、異変に気付いた。
洗濯槽にへばり付いて縮じんでいるジーンズに、びっしり、
紙屑がこびり付いているではないか。
紙屑を一つづつ取って、確認すると、どうやらレシートの様である。

さて、何のレシートだったかは、また明日。
暑い夏は、小まめに水分、小まめに更新。

559声 ふぐりと淑女

2009年07月12日

「梅雨の雨音は、夏本番前のドラムロールであろうか」
などと、きざっぽい事を書いて、苦笑。
然しながら、この日刊「鶴のひとこえ」にも、時折、詩的な部分を覗かせねば、
数少ない読者諸氏も、飽きてしまうのではないか。
と言う危惧が、そこはかとなく、私を急くのである。
何故、その打開策が詩的に至ったかは、指摘しないで欲しい。

この様に、毎度、安直なギャグで得意気になり、うらぶれた飲み屋のカウンターで、
背を丸めながら焼き鳥など突いて、瓶麦酒をチビリチビリ。
この様な、矮小かつしみったれた男と言う著者像が、
幾度と無く読者に刷り込まれている。
これでは、チト上手くない。

先日、有楽町のガード下を通った時などは、未だ夕方の浅い時刻だと言うのに、
銀座を闊歩していそうな、所謂、妙齢の淑女が、ガード下の飲み屋で一杯やっていた。
焼き鳥屋の煙渦巻く店内で、ジョッキの取っ手を掴んでいるではないか。
その三越あたりで買ったであろう、ブランドのバッグに、醤油染みでも出来たらと、
見ている此方が気を揉む始末。
その光景を今思い出し、このインターネット界において、場末サイトのコンテンツであるが、
「もしや」、と言う淡い期待の表れ。
それが、冒頭文に反映されている。
煙で匂いの付く心配も無ければ、醤油が飛ぶ心配も無い。
ガード下の焼き鳥屋よりは、気軽に立ち寄れる筈なのだ。

思い立って、裏の田圃の畦道を散歩。
道端に群生するコバルトブルーの可憐な花。
もう初夏であるのに、春の花が健気に頑張って咲いているではないか。
上手い具合に見付けた、牧歌的であり、かつまた詩的なその情景を写真に収め、
早速自宅に戻り、図鑑と照らし合わせる。
「おおいぬのふぐり(ごまのはぐさ科)」
犬のふぐリを想像したら、何だか馬鹿馬鹿しくなり、牧歌も詩的も、
妙齢の淑女も、直ぐに辞めちまった。

558声 中山道中膝栗毛

2009年07月11日

今日は、何の用事がある訳でないのだが、埼玉県に行ってみた。
埼玉と言うと、群馬からは隣の県で、馴染みの深い県と言える。
地理情報も知らない訳では無いので、別段目的地は定めず、出発した。

交通手段は、電車で行きたい所だったが、偶には気分を変えて、車で行く事にした。
私は道路事情に疎いので、国道17号線を東京方面へと上る、非常に単純な経路をとる。
住んでいる高崎市を出て、上里町、本庄市と、車を駆って国道17号沿いの街を、
次々通過して行く。
順調に走行して、北本市、桶川市も通過。
車窓の外は、徐々に都会風景になってゆく、沿道風景。
風景は良いのだが、はて、途中で見るべき所を発見出来ぬ儘、
随分と上って来てしまった。
考えている間にも車は進んで、上尾市を通過して、
さいたま市に差し掛かろうかと言う所。
是はちと不味い展開、脳裏には怪しい雲の気配漂う。
更に進めば川口市、その先はもう、東京都北区ではないか。
別に、行っても良いのだが、外は夕暮れ時、日帰りが困難になる。
其れより何より、先程から交通渋滞で、甚だしい混雑に巻き込まれている。

目的地も定まらぬまま、さいたま市まで来てしまった。
出て来た道路の分岐は、大宮駅方面と東京方面を示す。
咄嗟に、駅方面へ左折し、大宮駅前ロータリーでUターン。
とうとう、目的地を見付けられぬまま、帰路に着く破目になってしまった。
寄ったのは、途中のコンビニだけである。
しかし、目的地が自宅に定まった事で、皮肉だが、
妙な安心感を覚えつつ、渋滞の中を進む。
戻って来る途中、前橋市街地の交差点で信号待ちをする、夥しい人数の青年男女たち。
中には浴衣を着ている者も多数、見受けられる。
「そうか、前橋は、七夕祭り、だったか」
呟いて、通過、夜半に帰宅。

557声 一日の執行猶予

2009年07月10日

さて、夕焼けは綺麗だし、丁度仕事も終わったし、酒場に出掛けるとするか。
そう思い立って足取りも軽く玄関へ行き、サンダルを履いて「よっこらしょ」。
ってな瞬間に、間が悪い事に、記憶の片隅にある引出しから、
「ぽろっ」と小さな用事が転がる。
その用事には、「日刊鶴のひとこえ」と、刻まれている。

刹那、サンダル履きの足に幻影。
鉄の足枷がしっかりと嵌めてあり、枷から伸びている鉄の鎖は、
しっかりと部屋のパソコンに結ばれているではないか。
「万事休す」
今度は足取りも重く、玄関から部屋へ戻り、背中を丸めてパソコンへ向かう。
如何にかこの足枷を外して、束の間の自由を味わいたいのである。
煩悶しながらも何某かの文章を書き殴り、もとい、キーボードを叩き殴り、
やっとの思いで一日分を更新する。
そして、逃げる様な心持で、そそくさと家から出て酒場に転がり込む。
一日の執行猶予を肴に、いかさしか何かで、一杯やる。

556声 2009年のカンカン帽

2009年07月09日

服飾の流行には、近年めっきり疎くなってしまった。
雑誌やテレビなども、関心が薄れているので、服飾関連は流し見ている。
今年の流行色も知らない様な有様なので、当然、服など季節毎には購入しない。
仮に購入しても、場当たり的に錆びついたセンスで選んで、
頓珍漢な物を選んでしまう傾向が強い。
そんな私でも、稀に、と言うより偶然、流行を先取りしたファッションを、
取り入れる事もある。

つい先日、いつもの様に流し見ていたテレビは、朝の情報番組である。
立て続けに短いコーナーが続き、偶さかにファッションのコーナーになった。
若い女性ファッションモデルが、今夏の流行を紹介している。
次の瞬間、朝食のパンを千切る私の手が止まってしまった。
モデルが被っているのは、今夏に流行間違いないと紹介されている、麦藁帽子。
それはまさに、「カンカン帽」ではないか。

何故、今夏にカンカン帽が流行ると、私が驚かねばならないのか。
それは、とこの調子で、のんべんだらりと説明していると、
陽が昇って来て仕舞いそうなので、詳細は省く。
兎も角、私は去年の夏、中之条町役場公式HPにある「なかのじょうタイムス」やら、
中之条町歴史民俗資料館のポスターやらで、「地蔵峠とカンカン帽」と言うものをやった。
「やった」と言うのは、作・演出・出演であるが、急ぎ足で先へ進む。
この、「地蔵峠」と「カンカン帽」とは、そう言う呼称の二人なのだが、
私はその「カンカン帽」の方で出演した。
当然、いつもカンカン帽を被っているから、カンカン帽と呼ばれている。
そう、今夏流行間違いなしと太鼓判が押されている、カンカン帽である。

その企画以降も、私はこのカンカン帽を気に入って、プライベートでも頻繁に被っていた。
計らずとも、流行を先取っていた事になる。
Tシャツとジーンズにカンカン帽と言う、或る種奇抜な格好に、
去年から今年にかけて、街ではいささか冷やかな視線を感じていた。
したがって今夏、流行最先端であるこのカンカン帽を被り、大手を振って、
街の目抜き通りを闊歩するつもりである。

「地蔵峠とカンカン帽」

http://www.town.nakanojo.gunma.jp/~nakanojo-times/200906/kitetokusyu.htm

555声 ナメクジとの関係

2009年07月08日

今日はゾロ目。
それはさて置き。
古今亭志ん生じゃないが、この時期になると、奴と出くわす機会が増える。
それも、自宅の中での事。
どうせ、宵闇に紛れて迷い込んでしまい、自棄を起こしているのだろう。
洗面台や、玄関のタイル壁などに、大威張で踏ん反り返っている。
その姿ときたら、ふてぶてしくも一寸ひょうきんである。
まったく、ナメクジって奴は。
中には、見つけ次第、即刻、塩振りかけの刑に処する。
なんて判決を下す、無慈悲な人も多いと聞くが、それではあまりに可哀想ではないか。
思えばつくづく可哀想な奴で、田畑で人間に見付かろうものなら、
目の敵にされ、即刻死刑執行。
民家の家屋内で見付かっても、同じ。
ましてや、人の目を掻い潜ったとて、陽の高くなる頃には行き倒れているのが関の山。
なかんずく、子供等に見付かった奴などは、
火あぶりや、水攻め、炭酸攻めなどの拷問刑に処せられ、惨たらしい死を迎える事も多い。
しかしながら私、どうも、ナメクジに対しては、
嫌悪感と言うよりもむしろ、親近感を覚える。
それは、私と言う人間が、ナメクジに対し、何処か通ずる部分があるからだろう。
確かに、この梅雨季節、朝の寝床で目が覚めてからも、もぞもぞやって、
中々夜具を剥げない様は、或る種、ナメクジに通ずる部分があるのでは。
などと、雨振りの朝に考えている節があるのだ。
では、そんなナメクジの気持ちが分かる私が、
自宅の、例えば、深夜の洗面台で、出くわしたらどう対処するか。
答えは簡単、箸で摘んで外へポイ。
後は野となれ山となれ。
しかし、朝の寝床で私の体を、箸で摘んでポイと外へ出してくれる存在は無い。
この点では、私よりも、ナメクジの方に歩があると言う事になる。

554声 路上のハイカラ女子

2009年07月07日

夕暮れ、勤め先からの帰り道。
十字路で信号に捉まり、車列で信号待ち。
何気無く、前歩の歩道に視線を移すと、歩道に徒然と立っている、
年頃20代前半と思われる、ハイカラな女子。
徐に腰を落とし、前の車に近付いたかと思うと、ニコリと白い歯をこぼして、
運転席のドライバーにペコリと会釈。
釣られて、ドライバーが助手席の窓を下げると、そのハイカラ女子、
何やらA5判程の小さなチラシを渡している。
そして、2言3言喋ったかと思うと、また例の如く、ニコリ、ペコリ。
やがて、信号も青に変わり、車列が進む。
そのハイカラ女子、当然、私にはチラシも一瞥すらも、くれない。

以下、私の勝手なる推測。
彼女は、最近、近所に出来た、新規美容室チェーン店の従業員。
この春、美容専門学校を出て、その美容室に勤めている、新米美容師。
その美容室の営業方針に則り、当番の時には、往来で一生懸命、
クーポン券付きのチラシを配っている。
とまぁ、こんな具合かと思う。

駅に近い市街地などでは、良く見掛ける光景だが、
信号待ちの車に配るってのが、自家用車保有台数の多い、群馬県らしい。
私は子供時分から床屋、俗に言う理容室で頭を刈っており、未だに、
美容室で調髪した経験が無い。
そんな調子なので、美容的髪型関係の話は分からないのだが、
往来でチラシを配る大変さは、一寸分かる。
浅き我人生を振り返ると、駅でイベントのチラシを配ったり、
店舗入口で商品を売ったりした経験が、少ないながらも思い出せる。

そのハイカラ女子の一心な、ニコリ、ペコリを思い出しつつ、
現在、ささやかな願を認めている。
本日は、七夕。
短冊に走る筆、「幸あれ」と記す。

553声 酔句ing

2009年07月06日

「第8回ワルノリ俳句ing」から一夜明け、昨夜とは打って変わって、
穏やかな夜を過ごしている。
明晩の「クレインダンス情報」に載せるべく、
机上に散乱している短冊を整理しているのだが、
自ら詠んだ句で、いささか不甲斐ない句も散見され、気が萎えている。

ところで当世では、デジタルカメラやケータイカメラの普及により、
場所選ばず、手軽に写真撮影できる。
それに伴って、一寸した宴席などで、記念写真やスナップを撮られる機会も、
自然と多くなる。
飲んでいる時に撮った、酔っ払いの自分が写っている写真を、
後日、素面でまじまじと眺める恥ずかしさと言ったら無い。

俳句も同じ。
今回の吟行に出掛け、陽の高い間は、眉間に皺寄せ、句を吟じている。
そして陽も傾き、なかなか句も出揃い、冷たい麦酒などで、気も解れてくると、
危うい。
眉間にあった皺が伸び、目尻はだらしなく下がり、表情が全体的に弛緩して来る。
良い心持で、なんだか秀句が浮かんだつもりになって、一瞬、尤もらしい顔に戻り、
句を認める。
「酔句」とでも言おうか、そう言う類の句は、決まって駄句。
翌日、素面で見返した時には、酔っていた時よりも更に、赤面させられる。

そう言えば、「ドランクモンキー酔拳」と言う映画。
主人公は修行の賜物で、「酔えば酔うほど強くなる」と言う、
奥義「酔拳」を体得するではないか。
ならば、私も修行を積んで、「酔えば酔うほど良くなる」と言う、
奥義「酔句」の体得を目指すべきではないのか。

と言うのは冗談で、私、至って真剣に俳句に臨む所存で御座います。
ワルノリもまた、御愛嬌。

552声 汽水域の料簡

2009年07月05日

日曜日の昼間である。
網戸越しに見る空は、薄曇り。
「夕方まで持つかしら」
などと、机に肩肘ついて、徒然と天候の事を気に掛けている。
「年寄り染みた野郎だ」
などと、思う事無かれ、今日は、「第8回ワルノリ俳句ing」の開催日。
天候と言うのも、多分に句作の影響になるのである。
この料簡、やはり、ちと、年寄り染みているのであろうか。

一重に「年寄り」ったって、近頃では様々な様相があると思う。
街外れのうらぶれた蕎麦屋で見掛ける客中に、思わず、「旦那」と呼びたくなる位の、
恰幅と物腰で、影も薄く淡々と、ざる蕎麦などを啜っている若者がいる。
はたまた、何処町に出来た、其処なる店が大繁盛していると聞きつけては、
根気良く行列に並び、何某の土産を買って来て、近所に配り歩いている快活な年配もいる。
寄席なんかを観に行っても、近頃は、随分年若な者と、随分年を食った者で、
客席が極端に二分されていたりする。

その様な世相に在って、40、50代の言わば、団塊ジュニア世代の身の振り方に、
興味が沸く。
若くも老けてもいない、汽水域の状態なのだから。
と、偉そうに述べている私も、鞄に短冊やらペンやら、手拭いやらを詰め込んで、
さて今から一つ、俳句と銭湯でもってんだから、自らの行く末が思いやられる。
淡水の河川から、気が付けば汽水域も通過せず、
海の深みに流れ着れついているのではなかろうか。

551声 財布の軽みと胃袋の重み 後編

2009年07月04日

昨日の続き

愛想の良い、快活なおばちゃんに食券番号を呼ばれ、取りに行く。
厨房から出てきたカレーは、洗面器大の皿に御飯をよそう、と言うより、
盛り固める、と著した方が適切な様相。
その上には、これでもかと、ルーが溢れて垂れ落ちんばかりにかけてあり、
もう、何だかやけくその意気込みを感じる。
途端に、先程までの食欲、気概は雲散霧消し、夕方の入道雲の如く、不安が湧いてくる。
兎も角、逃げる様にお盆を持って、カウンター席へ移動する。

「全部食えるのかい」
と書いた短冊が、擦れ違う人たちの目尻にぶら下がっている。
自問自答、それはこっちのセリフである。
節目がちにその場を通り過ぎ、カウンターテーブルの一等隅に座り、
完全に舞い上がりつつ、カレーライスの山を急いで崩して行く。
味わう余裕も無いと言う、お粗末。
もうこうなりゃ、こっちもやけくそである。
一心不乱にスプーンを往復させ、その佇まいたるや、
ゼンマイ仕掛けの人形と見紛うばかり。

最後の一口を口へ運び、かろうじて食べ切ったのだが、気力体力、共に摩耗して虚脱。
おまけに、私一人が水を被ったかの如く汗だく。
カウンターテーブルを見渡せば、先程、嘲笑の薄笑みを浮かべつつ、
私に一瞥をくれた、サラリーマン諸氏が、一人も居ない。
どうやら、戦いが長引きすぎた様である。
勝敗も見ずに去るとは、浅はか、笑止千万。
胃袋が膨らんだついでに、被害妄想も大いに膨らませつつ、食堂から辞す。
不細工に膨らんでいるであろう、自らの胃袋の重みを感じつつ、駐車場の車へ戻る。
結局、行きも帰りも足どりは重い。
結果、軽くなったのは財布だけであった。

550声 財布の軽みと胃袋の重み 前編

2009年07月03日

本日、時刻は正午過ぎ。
中々シュートの決まらぬサッカーの試合の如く、煮え切ら無い様相の梅雨空の下、
私は関越高速自動車道を、群馬方面へと北上していた。
大分腹も減ったので、パーキングエリアで飯でも食おうと、成り行きで寄ったのが、
寄居パーキングエリア。

車を停めて、財布を手に取ると、ズシッと重みを感じる。
重たい財布は景気が悪い。
札が入っている財布は、それが束になっていようと、左程重みは感じない。
砂利銭ばかり食い過ぎて、不細工に胃袋を膨らませている財布が重たいのである。
自らの金欠を思い、胃袋は軽くとも足取り重く、パーキングエリア店内自動ドアを跨ぐ。

食堂は混雑。
昼時なので、無理も無い。
食事券販売機の前、壁に貼ってあるメニュー見上げつつ、煩悶。
後に並ぶ輩の無言の圧力と、空腹が相まって、半ば理性を欠いた決断を下す。
腹が減っている時、すべからく、自らの胃袋の許容量を超えた注文をしてしまうのが、
常である。
意中のメニューボタンを押すと、食券の紙切れと、十円玉が二つ、
無愛想に釣銭入れに落ちて来た。
「カラン、カラン」と、なんだか情けなくなる様な、乾いた金属音が響く。
それでも、こちとら、砂利銭を工面して買った食券だ。
ってんで、大威張りの態度で、カウンターのおばちゃんに、
その「スーパージャンボカレー」と、誠に浅はかな商品名が書いてある食券を差し出した。

明日へ続く

549声 次なる目標へ展開

2009年07月02日

一年に少し足が出る期間を費やし、群馬県内の銭湯を回り、写真に収めて来た。
本サイトのコンテンツである、「とっておき探訪」に掲載する為である。
確認し得る県内の銭湯は全て掲載し終え、未だ数軒、
浴室内の写真等が撮れていない銭湯もあるのだが、一先ず完結。

PC画面上で撮り溜めた写真を眺めていると、それぞれ感慨深い名銭湯ばかり。
そして、この写真やら、路地裏銭湯記の顛末をどうにか活かせないものかと、思案に暮れている。
数少ない、このコンテンツの読者の声なども、少なからず、思案要因の一旦を担っている。
先日会った方(30代女性)などは、銭湯と言う場所には、
生まれてこの方行った事が無し、これからもおそらく行く事は無いと言う。
此処で言う「銭湯」とは、もちろん、スーパー銭湯で無く、路地裏の伝統銭湯だ。
そんな縁遠い場所だが、非常に興味が有って、本コンテンツを読んでいる言う。

銭湯の料金、システム、内部構造、人間模様。
それは全てが、自らの日常生活圏とは、一線を隠す、未知の世界。
しかし、日頃通勤で通い慣れた往来から、一歩路地裏へ入って見れば、
手拭いを首から下げた親父が洗面器を小脇に抱え、夕暮れの路地を歩いて行く。
そんな光景に出会えるのだ。
私たちの生活圏内などは、麦酒の泡の様なもので、その下には、未知の世界、
つまり黄金色に輝く麦酒本体がある。
本体を知らずに、麦酒の醍醐味は語れない。

なんだか、麦酒の文字を見たら、無性に虫が騒ぎだして来た。
尻切れ的結びだが、是にて失敬。
また明日。

548声 傘も差さずに

2009年07月01日

未だ、列島の上空で愚図っている梅雨前線。
その影響で、連日、どんよりと雨模様の天気が続く。
毎年の事ながら、なんだか此方の気分まで愚図ついて来る。
梅雨で愚図ついた思考回路が割り出した、今日のテーマは傘である。
外出時には傘が手放せないこの時期、街を傘さしで歩いて行く人も多い。
黒や赤、青に黄色と言った、色彩に富んだ傘が、往来に溢れている。
しかしそれは、どうも都市部のみに顕著な光景だと思う。
では、地方部、つまりは田舎で顕著な雨降り光景とは、どんなものか。
それは、傘も差さず、ずぶ濡れになって、
日暮れの街を自転車で走り行く中、高校生たちだ。
中にはビニール傘での片手走行や、キチンと合羽を着て走行している学生もいるが、
目に付くのは傘を差さずに、濡れながら帰る学生諸氏なのだ。
お洒落なニューヨーカーも、傘を差さないと言うが、彼等は制服。
お洒落もへったくれも無い。
「水も滴るなんとやら」ってのは、彼らにはいささか古風過ぎる例えである。
では、一体。
車の前を傘も差さずに、颯爽と自転車で走り抜けて行く、男子、女子。
私は、信号待ちの運転席から、そんな事を考えつつ、
ぼんやりと彼等を行方を眺めていた。
そこに、「青春」と言う言葉では、片付けたくない、自分が居た。
信号の点滅に慌てて、自転車で走って来た女子高生が、勢い良く、水溜りを撥ねた。

547声 夜風に夏笛

2009年06月30日

今宵、左程蒸し暑く感じない。
心地良い夜風が、時折、カーテンを揺らしているからだ。
私が手に持って眺めているのは、近所のお寺で開催される夏祭りのチラシである。
先日、行き付けの日帰り温泉で貰って来た。

チラシデザインから、紙面の祭り内容企画まで、片田舎特有の大らかさが出ており、
非常に好感が持てる。
例えば、「生ヒール」だとかの誤植は御愛嬌。
ステージ企画の項目には、こんな注意書き、
「※気分により内容が変更される場合があります。」
その時の気分次第と言う、「ゆるさ」が良いではないか。
そしてその横には、恒例の企画である、「ちびっ子コンテスト」の紹介。
また、キャッチコピーが良い。
「今年も品良くいつものイッキ飲み!イッキ食い!」
大人でも、品良く、イッキ飲みやイッキ食いするのは、至難の技である。
しかも、「いつもの」って箇所に、仄かな歴史の匂いを感じる。

さて、明日からは7月。
そろそろ、祭りに向けて、お囃子を練習する音が、田圃の向こうのお寺から、
夜風に乗って聞こえて来る筈である。
私は、南向きの窓から微かに聞こえる祭り囃子に耳を傾け、
ゆっくりと風呂に浸かるの時間が、今から楽しみだ。

夏祭り 夜店の人並み 誰探す