日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和8年度は4月(坂)5月(ぬ)6月(岡)7月(す)8月(堀)9月(坂)10月(ぬ)11月(岡)12月(す)1月(堀)2月(坂)3月(ぬ)の順です。

469声 新人公演初舞台雑感

2009年04月13日

ここ数年、文明的なモノから文化的なモノに、自らの興味が移っている。
特に、この「めっかった群馬」と言うサイトなど、その最たるモノだ。

文明とは、誰もがその利便性を享受できる、
言わばグローバルスタンダード的なモノ、あるいは社会。

例えば舞台。
スポットライトが当たっている、主演の演技は素晴らしい。
誰もが、拍手喝采を惜しみなく送っている。
しかし、その舞台を構成しているのは主役だけではない。
そこには、助演しいては脇役、端役の存在がある。
スポットライトは当たっていない、拍手喝采も無い。
しかし、そのいぶし銀の演技に、私は深い感銘を受ける。
舞台を引き立てている、その脇役、端役の存在こそが文化なのである。

文化とは、その価値を共有できる人を限定する、
言わば、ローカルスタンダードである。

このサイトにある様な、各コンテンツを作る。
そして、それを読む。
と言う行為は、観覧席の隅っこに集まって、
主演そっちのけで、助演や脇役、端役の良さを語り合っている。
その様な状況だと思う。
それは、極めて異質な行為であると同時に、
価値観の共有によって、安心感を得られる行為である。

しかし、インターネットと言う、彗星の如く現れた新人の主演舞台上で、
こそこそと演技させてもらっている事を、忘れてはならない。

468声 露天の桜

2009年04月12日

いつも行っている、近所の日帰り温泉から帰って来て、
二缶目の麦酒に手を伸ばしたところ。

今日の露天風呂は良かった。
敷地内に植えてある、満開の桜を眺めながらの月光浴。
散り始めた桜の花が一ひら、舞い落ちて湯にたゆたう光景は風情豊かである。

桜は、潔く散る。
自らの鄙びた姿を、見られまいとしているかの如く。
美の絶頂で、儚くも花びらを舞い落とす。
気高くある事は孤高である。

その姿は、見る者の精神の働きにも影響する。
だから人は、桜を見ながら想いを馳せるのだ。
そう言えば、先日のワルノリ俳゛句ingでも、
その影響を体現しているワルノリ俳句があった。
たしか、「本当よ 桜が散ったら ダイエット」。

二缶目が飲み終わる。

467声 質疑応答中の回想風景

2009年04月11日

本日、和のカルチャースクール「ほのじ」にて、
堀澤さんと一緒に、新聞社の方に取材を受けた。
主な内容は、ワルノリ俳句ingに関する事である。

次回で第八回を数える、ワルノリ俳句ing。
真夏の渋川市街地、麦酒片手に流れ落ちる汗を拭きながら。
真冬のみどり市大間々、銭湯から出て熱燗と湯豆腐をつつきながら。
質疑応答中、過去に訪れた俳句ingの場所とワルノリ俳句が、
鮮明に思い出される。
心象を五・七・五で表現する行為は、見ている風景まで心に活写する。
と言う事を、改めて実感した。

現在、次回のワルノリ俳句ingは何処にしようか、思案に暮れている。
来月、5月初旬。
まずは、第2回ワルノリ俳゛句ingの開催を開催しようかと思う。
それはまた、近日中の「クレインダンス情報」で。

466声 夕刻散歩広瀬川

2009年04月10日

今日は、春風も凪いでしまって、少し街中を歩くと汗ばむ陽気。
早くも、押入れを漁って、団扇の在処を探している。

前橋市の広瀬川河畔では、現在、「光の街まえばしプロジェクト」
ってんで、飾り付けられた無数のシルクランプが点灯している。
そんな事を、ふと思い出した、午後18時30分。
一寸、涼みに出掛けてみようか。
自転車に空気入ってたかな。

雲一つ無い青空が広がった、本日。
西に傾いて橙色に滲み出す、夕日。
振り子細工の様に繰り返す、日日。

465声 日々を受け入れる

2009年04月09日

本日、前橋地方気象台で、最高気温が25℃が観測された。
夏日である。

濃い日差しが降り注ぐ昼下がり。
信号待ちの車中でまどろんでいると、ふと、大脳新皮質に響き渡る、
「ポン、トクトクトク」
と言う、瓶からコップに注ぐ音。
つまりは、良く冷えた瓶麦酒の事を考えてしまう。

信号が変わって、動きした風景の中、
公園の桜の下で花見に興じる一群が目に入る。
美味しそうに、缶麦酒を傾けている人。
気持ち良さそうに、昼寝をしている人。

羨む気持ちを欺きつつ、仕事を終えて帰宅。
瓶麦酒の栓を抜いて、ようやく焦燥が一段落。
繰り返す何気ない日々を、何気なく受け入れる。

464声 故郷の桜

2009年04月08日

「艶やかな花衣を纏ったかの様に」
などと、まだ桜も蕾の頃から、大袈裟な形容で桜の名所を紹介する文章を書いていた。
しかし本日、その形容が、あながち大袈裟でも無かったと実感した。

山間を除けば、今、群馬県内では桜が満開。
ほちぼち散り始めてくる頃だろう。
県内の桜の名所である、里山や公園。
いくつか固有名詞を列挙すれば、前橋の敷島公園、高崎の観音山公園、
伊勢崎の華蔵寺公園、藤岡の桜山森林公園など。
まさに、花衣を纏ったかの様に、艶やかな彩りを見せている。

群馬県だけでなく、全国的に満開を迎え、多くの花見遊山客の目を楽しませている。
確かに国内には、「桜の名所100選」に象徴される様な、桜の見所は数限りなくある。
私も、一二度、県外にある国内でも有数の、桜の名所で花見をした事があるが、
どれも、郷土で観る桜には敵わない。
それが、どこがどう敵わないのか、的確に書き現す事が出来ない。
出来ないのだが、一日何千人と訪れる公園よりも、近所の古刹の桜に、
えも言われぬ風情を感じる。
そんな風情を感じた時に、自らの故郷を漠然と意識する。

463声 呆然と春窓

2009年04月07日

春眠暁を覚えず。
って程の事でも無いが、この時期は終日、断続的に眠い。
となると危ういのが運転で、注意も散漫になる。
ましてや、街を彩るのは、春爛漫の桜風景。
気を取られない様に、注意を心掛けたい。
ましてや、春の交通安全運動でもある。

本日、注意しつつ街を運転中、注意を引いたのが、詰襟の学生たちである。
入学式を終えた新入生であろう、その少し大き目の制服と、
真新しい靴のぎこちない足取りを見れば、一目瞭然。
新中学生と言うと、まだ稚児めいて見えるが、これが夏休みを終える頃になると、
格段に大人びてくる。

少年老い易く学成り難し
もっと言うと、
一寸の光陰軽んずべからず
未だ覚めず池塘春草の夢
階前の梧葉已に秋声
学に身の入らなかった、自らの学生時分を思う。

とりとめも無く、在り来たりの漢詩などを思い出す、信号待ち。
窓の先に見える母校の校庭を、呆然と眺めている。
そう言えば、十数年前のこの日も、教室の窓から呆然と校庭を眺めていた。
とかく春は、私を呆然とさせる。

462声 桐生お銭湯七福神巡り

2009年04月06日

遂に私は、巡礼を終えた。
最後に立ち寄った「桜湯」で、景品を貰い、帰路へ就く。
振り返れば、長く、険しい表情で浸かっていた、熱い湯の中。

そう、先日私が終えた巡礼ってのは、「桐生お銭湯七福神巡り」。
簡単に説明すると、「第7回有鄰館芸術祭」に際して行われた、
市内銭湯のスタンプラリー。
市内に現存する七つの各銭湯には七福神が居り、
それを、スタンプを押しながら巡って行く。
最後に訪れた銭湯で、記念の景品が貰えると言う企画なのである。
各銭湯には、スタンプ台帳となる、A3判の和紙に手書きの市内銭湯マップが描かれた、
「桐生お銭湯七福神巡りマップ」が、一つ300円で販売されている。
何処からでもスタートでき、何処からでもゴールできる。
まさに、銭湯フリークの心をくすぐる企画なのだ。

直ぐに飛びついた私は、早速、マップを一つ購入してスタート。
紆余曲折を経て(行程細部に至ってはここでは一先ず省く)、
先日、記念の景品を手にしたのである。
今、自宅の机の前、味のある手書き市内銭湯マップを眺めながら、感慨に浸っている。
「あそこの湯は熱かったな、あそこのペンキ画は立派だったな」
しかし、こうして感慨に浸っているよりも、銭湯の湯船に浸かっている方が良い。
それが、銭湯フリークではないか。
さて、もうひと巡り。

461声 最後の一杯

2009年04月05日

今日は、栃木県は足利市へと足を伸ばして、ふらふらと街中をそぞろ歩き。
群馬県桐生市から直ぐ隣の市なのだが、「県外の街」と言う意識だけで、
自然と背筋も伸びる思いだ。
満開の桜が華やぎを添える、風情豊かな古刹や、
路地裏に垣間見える、街の歴史を訪ねながら行く。

週末へ向かって、加速度を増す生活進行。
それは、乾杯のビールから始まって、千鳥足で飲んでいる3軒目の水割りの如し。
ようやく店を出て、最後に一杯、冷たい麦酒が飲みたくなる。
「その冷麦酒を、探しに来たのだろうか」
桜咲く公園の古ベンチに座り、ラムネを飲みつつ、思索を巡らせる。

結局、更に酔う事になる冷麦酒。
それでも、最後に飲みたくなる。
のはやっぱり、一杯の冷麦酒。

460声 寝床の悔恨

2009年04月04日

夜半、静かである。
外は、しっとりと冷たい雨が降っている。

花見俳句会を昨夜にして、正解だった。
過日を振り返って、主催で物事を進めている時は、当日、必ず忘れ物をする。
一昨夜は写真機。
我が愛用の写真機、GR DIGITAL2の活躍が水の泡になってしまった。
結局、写真は一枚も撮れず仕舞い。

思えば、「就寝前に明日の用意をする」と言う生活様式が、
一度も定着しない人生を歩んで来た。
小学生時分から、授業で使う教科書を前の晩にランドセルに入れておけば、
翌朝慌てる心配も、忘れる心配も無いのである。

しかし、それが出来ない。
どうしても、「明日の朝出来る」と言う、根拠のない自信を拠り所にして、
布団に潜り込んでしまう。
それは、大人になった現在でも変わらない。
問題は、どうしたら「朝出来る」ようになるかではなく、
どうしたら「前晩に出来る」ようになるか。

「こんばんは」
と、睡魔に挨拶。
そもそもコイツが、私の自信を確信に変える張本人。
睡魔の口車に乗って、いつもの如く、目覚まし時計に手を伸ばす。
そして朝、カメラには手を伸ばさずに、慌ただしく出掛けて行ってしまう。

嗚呼悔恨。
夜半の雨が、過日を振り返らせる。

459声 七五調の三次会

2009年04月03日

本日、高崎市は姉妹都市公園で開催された、
「第1回ワルノリ俳゛句ing」も無事終了。
現在時刻、23時30分。
ようやく自宅に戻って来て、酔眼を擦りつつ書いている。

桜も、今回の俳句会に合わせて咲いてくれた様で、綺麗な八分咲き。
ブルーシートの上、並んだ群馬の郷土料理と、地酒地麦酒。
風流な夜桜を見物しながら、句をひねる、参加者の顔、さくら色。
と、未だに七五調の余韻が顔を出す。

高崎城址のお濠端、水面に移る夜桜は、浮世離れした風雅を写す。
なんだか私は、終始、浮足立っていた様に思う。
そして、楽しい時間を共有出来た参加者たちに、平に感謝。
「いやいや、ありがとう」
などと呟きつつ、机の上、残った地麦酒で、精も魂も付き果てた男が、
独りだけの三次会。
では、乾杯。

458声 街が躍動

2009年04月02日

明日は、初に試みる「第1回ワルノリ俳゛句ing(バイキング)」の日である。
会場は高崎市街地。
今日、会場となる公園へ下見に出かけた。
高崎城址からお濠端の桜は、3分咲きと言った具合。
しかし、公園内だけは6分咲き。

午後のまどろみ時間、ブルーシートを敷いた花見客が一組。
公園内は桜で彩られ、春のうららかな日差しが、ブルーシートに反射して、輝く。
自転車で公園横を颯爽と走り抜ける、束ねた髪に化粧っ気の無い、
新入社員と思しき娘。
新品のパンプスが、黒光りして、輝く。
公園全体が、光り輝いている。
春は街を輝かせ、躍動させる。

私は、少し跳ぶ様な足取りで帰った。

457声 街に吹くゆく

2009年04月01日

「フライング気味のエイプリールフールか」
と思ったのは昨日、前橋市内の食堂での事。

昨日の夜半、4月3日の金曜日に開催する、
「第1回ワルノリ俳゛句ing」の打ち合わせに出掛けた。
場所は、前橋市内の伝統的大衆食堂。
店内に入り、メニューを見た瞬間、自分の目を疑った。
「イカ刺し230円、焼き魚230円、ハムカツ180円」
などなど、驚異の価格安。
冗談では無く良心価格だと言う事は、
料理を一口食べれば、火を見るより明らか。
伝統食堂の素晴らしい料簡に感動しつつ、
打ち合わせそっちのけで、瓶麦酒を差しつつしたたかに酔った。

前橋の街中は、歓送迎会だろうか、花束を持った人等が闊歩し、
酔街に局部的な賑わいを見せていた。
一夜明けて、本日。
街中には、未だ折皺の目立つスーツに身を包んだ新社会人が、
黒光りした靴で颯爽と歩み行く。

昔から変わっていないであろう、伝統食堂。
古びたテーブルで一杯やっている間に、
どうやら街では、新しい風が吹いた様子。
私は、テーブル横の冷蔵庫から、新しい瓶麦酒を一本出す。

456声 刺激的商店街

2009年03月31日

「上うな重 2,100円」
の文字を見つめつつ、ショーケースの前で煩悶する事、10分。
後ろ髪を鷲掴みにされつつ、さらに深い路地へと歩を進める。
結局は、丁度手頃な中華料理屋の暖簾をくぐる。
注文した、餃子250円、ラーメン550円を食べ始める頃には、
うなぎの未練も雲散霧消していた。

活気ある商店街は、刺激的である。
私が刺激されるのは、主に食欲。
そぞろに歩けば、何処からともなく良い匂いが漂ってくる。
煎餅に団子、おでんに焼き鳥。
行く先々で、財布から小銭が消えて行く。
商店街を出る頃には、腹と財布が反比例している。

うな重が食えなくても、商店街は満腹かつ満足感を与えてくれる。
県内商店街よ刺激的であれ。

455声 浅草エレジー

2009年03月30日

演芸でも音楽でも舞台でも、ライブで観た芸術の素晴らしさを伝えるのは難しい。
音に形が無い様に、自分の心を震わせるものにもまた、形はない。
形は無いが、其処には在る。
私の感性が、感動の源が其処に存在する事を証明している。

昨日出掛けて来たのは、東京は葛飾柴又。
そして、浅草。
柴又「寅さん記念館」に立ち寄った後、親しい知人に連れて行ってもらった先は、
浅草にある、ミュージックラウンジ「待合室」。

親しい知人の旧知の友人、道化師でコメディアン「プッチャリン」さんの、
ステージを観に行ったのである。
月に一度、多彩な芸能でステージを行っているプッチャリンさん。
などと、真面目に書いても、
「プッチャリン」と言葉に出すだけで、口元が綻んでしまう。
ともかく、楽しいショーをやってるのだ。

さて、昨日私が観覧したショー。
冒頭からの及び腰を引きずって、素晴らしいのではあるが、
何が素晴らしいのかを、伝えるのが非常に難しい。
一つは、「あたたかさ」が素晴らしい。
それは、浅草と言う街のあたたかさにも繋がる。
「昭和」を残し得た浅草と言う街の温度を、大衆芸能からも感じる。

観客と演者、街と人。
血の通ったあたたかさを感じられ、何よりも可笑しいひとときを過ごした。
そしてまた、寒い街中に襟を立てながら消え行く。

454声 丑三つ時のちと手前

2009年03月30日

事実は小説より奇なり。
浅草は大衆芸能で喜なり。

先週は上野で落語。
今週は浅草で演芸。
と、なんだか芸能色の濃い週末生活を送っている。
それもこれも、巡り合わせなので、仕様がない。

そして、本日観賞して来た浅草の大衆芸能は濃い。
仲見世の煮込み屋で飲んだ麦酒の比にならぬ程、濃かった。
明日以降、氷で割りながら、丁度良い濃さで書こうと思う。

現在時刻は、丑三つ時のちと手前。
風呂上がり、蛇口から直に飲む、冷たい水がやけに美味い。

453声 最良の焼き鳥

2009年03月28日

「花冷え」
って言葉を痛感する日々が続く、ここ数日。
近所のスーパーなんかに行くと、鼻先に漂ってくる匂いに、
入口で思わず足を止めてしまう。

匂いの出所は、軽トラ屋台の焼き鳥屋さんである。
煙と共に漂って来るのは、焼き鳥が焼ける香ばしい匂い。
スーパーに行く時ってのは、大概空腹の時が多い。
空腹時に、あの官能的な匂いを嗅がされようものなら、
私などは一発でKOされてしまう。

その場で数本焼いてもらい、急いで家に帰って缶麦酒を開ける。
舌は鼓を打ち鳴らし、気分は贅沢感に満たされ、余は満足じゃ。
とは、ならない。
さて、どうしてか。
屋台の前で盛り上がっていた気持ちも、家に帰って、小汚いテーブルの上で、
軽くチンした焼き鳥を食べる頃には、沈静化しているから。
焼き鳥と一緒に、狐に摘まれた様なやり切れなさを、
ビールで流し込むの破目になる。

やはり屋台の焼き鳥は、焼けたその場で勝負を付けないと駄目なのだ。
とすると、屋台の前で缶麦酒片手に焼けるのを待っていて、
焼けたら直ぐその場で食べる。
そして、鼻水と缶麦酒を勢い良く啜る。
これが屋台焼き鳥を楽しむ為の、最良の方法。
実行の際に必要なのは、少々の勇気と、近所の評判を気にしない心構え。
それさえ用意できれば、最良の焼き鳥が味わえるのだ。

さてと、もう一回レンジであっため直そ。

452声 花冷えの朝

2009年03月27日

今朝、目が覚めると、季節を一月巻き戻したかと思う程、冷え込んでいた。
やっと布団から這い出て、カーテンを開ける。
目に飛び込んで来たのは、白。
庭先に、薄く雪が積もっていたのだ。

降っているのは霙で、夜半に積もった雪を流し始めていた。
ふと、昨日、路上に横たわっていた三毛猫の事が気に掛った。
雪夜にあの場所で、横たわったままだったのだろうか。

慌ただしく身支度を済ませて、家を出る。
外はもう、雲の切れ間から射す薄日で、
朝の色合いが濃くなっていた。
なんだか、あの三毛猫は、もうあの場所には居ない様な気がした。