日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和6年度は4月(ぬ)5月(岡)6月(す)7月(堀)8月(坂)9月(ぬ)10月(岡)11月(す)12月(堀)1月(坂)2月(ぬ)3月(岡)の順です。

1467声 里山から焦土へ

2012年01月07日

一月も、はや七草の頃である。
年明けから酷使してきた消化器官を中心とする各臓器。
それらがいよいよ悲鳴を上げているし、早急にやらねばならぬ用事も、
ぼちぼち息を吹き返してきた。
そんなこんなで、口内炎は中々癒えぬし。
人生の中で七草がゆを食べる機会に恵まれず、それを口にした事は無いが、
いま、せつに食べてみたいと思っている。

こう言う時は、自然味溢れるエッセイなど読みながら、早めに寝るに限る。
部屋の床に転がっている本から見繕えば、飯田龍太などうってつけである。
俳句に親しみのある人ならば、即座に頷けると思う。
俳人の書く随筆と言うのは、これが中々面白い。
観念と写実の配合を心得ているからだろうか。

しかしながら、寝床に就いてあれこれと本を変え、最終的にじっくり読んでいる本が、
坂口安吾だったりする。
龍太から安吾へ。
春爛漫の里山に居たはずが、冬ざれの焦土を彷徨い歩いているのである。

【天候】
終日、快晴。
もう幾日も雨が降っておらず、乾燥甚だしい。

1466声 風物の中の以降以前

2012年01月06日

明日までは松の内だが、正月の雰囲気は早くも町に薄い。
左義長、所謂どんど焼きも、明日には多く見られる。
しかし今年は、「本来なら」、と付け加えねばならない。

今日、こんな話を聞いた。
今年は、どんど焼きが中止になっている地域が、
私の住んでいる高崎市にも、随分あるらしい。
「にも」と言う事は、特に東日本に多いのだろうが、その原因が「放射能」なのである。

「どんど焼き」
私も子供の頃に毎年、地域のどんど焼きに参加していた。
三角形に竹を組んで、大量の藁で覆い、門松や注連飾り、書き初めなどを入れて燃やす。
そして、私の地域では、「まゆだま」おそらく、「繭玉」から来ているのだろうが、
そう言う名前の三色団子を、一緒に焼いて食べた。

放射能に汚染されているかもしれない。
その最たるものが藁だろうが、そう言うのが、中止の原因らしい。
やはりこんな地方の一風物の中にも、2011年以降以前があるのだと、しみじみ感じた。

【天候】
終日、快晴。

1465声 踏み外さざるを得ない

2012年01月05日

今年初の。
と言っても、正月空けてからまだ5日目であるが、初の二日酔いである。
それも、強烈な。

梯子酒の最後に寄った焼き鳥屋。
それ以降、どこかに置き忘れて来た記憶は探さない事にして、
重たい頭を引きずったまま、一日を過す。

目的のある酒は、あまり良くないと言う。
例えば、寝る為に飲むとか、むしゃくしゃした気持を紛らわす為に飲むとか。
そう言う酒には、中毒性が強くあるらしい。
一歩づつ、確かめながら歩くようにして杯を重ねているつもりが、
一寸した拍子に、足を踏み外して、泥酔まで転がり落ちてしまう事がある。
そう言う時を振り返ると、大抵、何か荷物を背負っている。
昨夜も。
私は、中毒やらなんやらにはならないと踏んでいる。
そこまで強くない、体が。
それをいま、中々戻らぬ体調に、実感している。

【天候】
終日、快晴。

1464声 正月の影

2012年01月04日

待てど暮らせど、来ない。
バスが、である。
まさか、正月4日から休業と言うこともあるまい。
そう思って、寒風吹きすさぶバス停で、首をすくめつつ坂道の彼方を眺めていた。

呼吸気管を病んでいるかのように、「ゼーハー」言いながら、坂道を上がって来て、
妙なブザー音と共にバスがドアを開けた時には、予定時刻を15分も超過していた。
そのまま乗車し、えらく焦っている荒い運転に揺られつつ、北上して行く。

終着のバス停がある駅までは、旧街道をひたすらに上る。
赤錆の浮き出たバス停。
大きな商家の崩れかけた土蔵。
暖簾を下ろして久しい商店の数々。
西日に照らされる車窓風景は、正月と言えど陰鬱な影があった。

途中のバス停で、手押し車を押した御婆ちゃんが乗って来た。
3つバス停を越すと、御婆ちゃんは4つ目のバス停で、
寂しそうな場所へ降りて行った。
上州弁で言うなら、足を引きずりながらの乗り降りは、「おおごと」そうだった。
胸の奥が、微かに、いや軽い動機を伴って、ふるえた。

【天候】
終日、快晴。

1463声 角打ちの流儀

2012年01月03日

正午から終日。
お天道様の高い内から、往来で酒を飲む。
そんな事をやっていても、白い目で見られない。
と言う事だけでも、お正月はいいものだと思う。

西新井大師の参道には一軒、古めかしい角打ちの酒屋がある。
聞けば、創業もう100年はくだらないと言う。
ビールケースをひっくり返して往来の脇に座り、樽酒を升で酌む。
置いてある塩を、升の角の縁に一つまみ盛り、
それをアテにして飲むのが「通」である。
と言う角打ちの流儀は聞いた事があったが、この升飲みを実践したのは、
昨日、この西新井大師参道の店が初めてだった。
近所のおやっさん連中は慣れたもので、破魔矢なんか片手にふらりと来て、
この樽酒を二三杯ひっかけて、またふらりと帰って行く。
滞在時間、およそ30分。
見ていて、清々しい飲み方である。
ここでもやはり、群馬県との文化の違いを、大きく感じてしまった。

【天候】
終日、雲多くも晴れ。

1462声 平成24年新春俳句ing

2012年01月02日

「いまどこ」
目的地の伊勢崎駅まであと一駅と言うところで、メールが入った。
やきもきしながら、私の到着を待っているのであろう。
伊勢崎駅へ列車が到着するや否や、ホームへ飛び出して、
東武線改札を目指す。

今日は、毎年恒例の「新春わるのり俳句ing」の開催日。
今回は、伊勢崎駅から東武線へ乗って、西新井大師を目指す。
太田駅から特急りょうもう号へ乗車して行くので、快適な鉄道の旅である。
全車両座席指定のりょうもう号だが、この日乗車した車両は満席。
座り切れずに、ラウンジに立っている人もチラホラ居るくらいの、盛況ぶり。
窓側の席へ座って、参加者一同、車窓俳句を量産しつつ、
思い思いに二日の晴天を眺める。

「西新井大師前」
と言う、まさに大師様の前にある駅へ着き、参道から境内へ足を向ける。
途中、丁度昼時と言うこともあり、角打ち、所謂立ち飲み屋で、
おでんや湯豆腐を囲み皆で年酒を酌む。
そうなりゃもう、正月を楽しもうてぇんで、参道にずらりと並んだ屋台で一杯。
長蛇の列で参拝して、また一杯。

日も暮れかかる頃、当てずっぽうに入った店で句会。
皆の投句を見れば、吟行序盤、行きの列車の中で作った句ばかり、
やけに多かったのはお正月の御愛嬌。
今年も、無事にめでたくい初句会と相成りまして、
一年慶を願うばかりでございます。

【天候】
晴れたが午後より風強く、一次的に御下がり。

1461声 謹賀新年 2012

2012年01月01日

2012、辰年。
本年もひとつ、宜しくお願い致します。

今年の元旦、いつになく穏やかな日和でした。
朝から近所の神社に初詣に行くと、福引きをやっており、
みかんとノートが当たりました。
まぁ、それがハズレの景品なのでしょうがね。
近所の年寄衆は、境内で一杯やっており、そこはかとなく、
お目出度い雰囲気を味わえました。

その後は、祖母の墓参りなど済ませ、すっきりとした気持で、
新年の淑気を感じております。
いま、自宅のテレビに映っている「笑点」も、本年で46年目だそうで、
歌丸師匠が元気に口上を述べ、一同で鏡開きをしたところ。
さて私も、はや一杯やりたくなって参りました。

明日は、毎年恒例の「新春俳句ing」として、「西新井大師」へ出掛けてきます。
そう言えば昨年、「投稿」で俳句を募集したところ、以外にも多くの方に、
ご参加いただけた記憶が御座います。
そこでどうでしょう。
今年も、昨年に引き続いて、句を募集致します。

句が思い付いた方は、是非、Topページにある【お問いあわせ】から送って下さい。
「俳句」と「名前」(下の名前だけでも可)。
「俳号」がある方は、是非、号をお忘れなく。

「わるのり」俳句。
なんて言って、周囲の俳句愛好者の方々から「けしからん」と怒られているくらいですから、
どうぞ、お気軽にご投稿下さい。
そうですねぇ、1月3日あたりを、締め切りとさせて頂きます。
「新年詠」
と言う事で、特に私の選は加えず、独断と偏見を駆使して、掲載句を絞ります。

そして、クレインダンスへの年賀のお便りも、【お問い合わせ】から、お待ちしております。
それでは、全ての読者皆様のご健康とご多幸を、心よりお祈り申し上げます。
では、乾杯!

2012.1.1 夕方  「めっかった群馬」編集長   抜井 諒一

【天候】
日本晴れ。

1460声 昼寝日和

2011年12月31日

週の初めの天気予報では大荒れ。
その予報に反して、穏やかなる快晴の大晦日である。

焦点の吸いこまれそうな青空を眺めながら、テレビを点けっ放して、
いま部屋でぼんやりと過ごしている。
年越し蕎麦は、インスタントが買ってある。
今年は祖母が他界してしまったので、
腕まくりしておせち料理を作る人がいなくなってしまった。
なので、スーパーで出来合いのお節を買ってくれば済んでしまう。

さて、今日は特に昼寝日和なので、そろそろ一年の挨拶でもし、
座布団を折りたたんで、もうひと眠りするつもりである。
毎日、読んでくれた人、時々、読んでくれた人、今日初めて、読んでくれた人。
全ての読者諸氏に、感謝の言葉をおくります。

「一年間、ありがとうございました」

「めっかった群馬」へのメールは、大晦日も元旦も受け付けております。
是非、お便り下さい。
それでは、来年もよろしくおねがいいたします。

【天候】
終日、よい天気。

1459声 数え日の中の宿酔

2011年12月30日

棒に振った。
一日を、である。

朝から、と言っても起床したのがもう午後を回っていた。
そして、正午過ぎから夜半の現在まで、宿酔と戦っていた。
年の瀬のここへ来て、宿酔で一日をおそろかにすると言うのは、とても残念である。
しかし、気の緩みから生じたことなので、甘んじて湧き上がる悔恨を受け入れ、
終日、反省していた。
しかし、いまはもう調子が戻っていて、湯上がりの麦酒でも飲みたい心持である。

明日は大晦日。
天気も良いらしいので、今日の分を取り返すべく、朝から散歩でもしてみようと思う。
年末に買った俳句関連の月刊誌では、新年特集が組まれており、
俳人のお歴々が新年詠を載せている。
新年の句、と言うのは、やはり新年を迎えてから鑑賞した方がよい、と感じた。
新年の句と言うのは、それまでの四季とはまた違った味わいがある。

元日や手を洗ひをる夕ごころ  芥川我鬼

こんな微妙な黄昏風味、年末には合わない。
新年の駘蕩とした雰囲気の中で、味わっていたい。

【天候】
終日、冬日和。
風もなく穏やか。

1458声 同類相憐れむ

2011年12月29日

年賀状を出し終えて、ひとつ胸のつかえが下ろせた。
私は特に年賀状に凝るタイプでもないので、
ちょっとしたポストカードに、郵便局の干支スタンプを押して済ましてしまう。
恐ろしく字が下手なのだが、一応、印刷ではなく手書きしている。
同類相憐れむ。
自分も、あまり上手でない、いやまわりくどい言い方はやめて、
へたっぴな字の年賀状を頂くと、とてもうれしく、安心する。

そして、毎年新年二日に開催している「新春俳句ing」の手配を、大方済ませた。
「手配」たって、今年は特に事前予約関連はないので、簡単だった。
事前予約が無いので、二日の当日でもこれを読んでいて思い付いた方は、
伊勢崎駅に十時に来てもらえれば、間に合う。
今回は、西新井大師に参拝して句会、と言う分かり易い初句会である。
ここ数年、二日のこの日は、雲一つない快晴になっていると言う、
とてもめでたいお日柄なので、是非。

【天候】
終日、冬日和。

1457声 荒れ模様

2011年12月28日

28日を終え、ようやく、一年も終わるような気がしてきた。
今日の空は、まるで新春の初空のようなまろやかさ且つ穏かさが、あった。
しかし、今朝の天気予報を見るに、大晦日から元旦にかけて、天候は荒れ模様らしい。
東北、北陸では大雪の懸念まであり、交通機関の乱れが心配である。
毎年、初日の出を見るため、登山をする人がいるが、警戒するべきであろう。 

家の中にはいま、何ひとつとして正月らしい雰囲気を醸し出すものがないが、
大晦日までの残り二日で、年越しの餅を買う予定である。
私などは独り身なので、「年越し」たって、別に何を用意するでもなく、気楽なものである。
独り身でない友人知人などは、帰省やら旅行やら、正月が一大イベントらしく、
暮れから忙しく奔走している。
大掃除の済んでいない私の部屋は、依然として荒れ模様。
転がっている句帖を開けば、書き散らかして整理していない句ばかり。
大きくため息をついて。
せめて、部屋の中だけでも、すっきりさせて、新年を迎えたいと思う。

【天候】
終日、冬日和。

1456声 寝ながら数え日

2011年12月27日

今日は12月27日である。
世間一般、と言ってもあやふやだが、明日の28日で仕事納め。
と言う勤め人が多いのであろう。
私は29日が仕事納めなので、まだ何もかも、納まりそうな気がしていない。

「数え日」
と言う、俳句の季題がある。
「もういくつ寝るとお正月」の唱歌の文句にもあるように、
正確にいく日から数えるのかが規定されていないが、概ねクリスマス明けからであろう。
まさに今時期で、ここから雪崩式に大晦日へ向かう。

数え日の例句として、富安風生の句が多くの歳時記にひかれているようである。

数へ日の欠かしもならぬ義理ひとつ  風生

数へ日の盆梅凛と二輪かな  風生

年の内に欠かしてはならぬ義理を、ひとつくらい胸に抱けるような。
そして、盆栽の梅に咲いた、清浄なる二輪の花を眺めて新春を感じれるような。
そういう心持で日を数えたいが、中々、そうもいかない。
そうもいかない、てぇのは、推測の域を出ないが、当時の風生も同じだと思う。
それを思うのは、昨日、俳句界一月号(文学の森刊)の鼎談を読んだからである。
その一節、「童子」の辻桃子主宰の発言をひく。

「力を入れないで寝ていて作るような俳句がいいって自分で思えるようになったら、
とっても楽になりました。」

「はっ」と思った。
自分の句は、「寝ながら」作っているような句ばかりだった。

【天候】
終日、冬日和。

1455声 一夜にして

2011年12月26日

自動ドアが空いて、驚いた。
一夜城だって、こんな鮮やかに構築されない。
と言うくらい一夜にして、新年の設えが構築されている、コンビニ店内。
昨夜の煌びやかな、クリスマス装飾から一転。
レジ横に小型鏡餅が陳列され、本棚には新年号の雑誌が並んでいる。
そして天井には、サンタクロースに代わり、来年の干支である辰の、
手作りPOPが吊ってある。

昨日まで、サンタクロースの衣装を着ていた店員さんも、
すっかり普段着に戻り、いささか疲労の色が顔に滲んでいる。
冬休みで、部活動の遠征に来たのか、中学生男子が店内に十名ほど。
皆、「郡山~」と背中に大きくプリントされたジャージを着ており、言わずもがな、元気である。
それに引き換え、店員さん然り、本棚の前で立ち読みしている私を含めたおっさん連中然り、
大人は例外無く、疲れ切った顔をしている。

コンビニの店先で、温かな缶珈琲で束の間の暖をとっていると、先程の中学生軍団が出て来た。
高崎市街地のビジネスホテルにでも帰るのか、皆、手にはペットボトルやらが入った、
ビニール袋を持っている。
寒風吹きすさんでいると言うのに、彼らはジャージ一枚で、元気に飛び跳ねながら日暮の街を行く。
ゴミ箱に空缶を捨てると、「コン」と、情けない金属音が暗闇の中にこだました。

【天候】
終日、冬日和。
連日の乾燥注意報。

1454声 夕方のモンブラン

2011年12月25日

「クリスマス寒波」
と言うのがまさしく的中し、クリスマスの今日、朝から冷え込みが強い。

マフラーをぐるぐる首に巻き付け、鼻水を垂らしながら、高崎駅周辺をうろついていた。
三連休最後の日曜日とあって、駅構内にはやはり、若いカップルが目立っていた。
駅を出て、往来の脇に、なにやら人だかりしている店を見つけた。
近づいて覗いてみると、洋菓子店、である。
クリスマスも夕方になって、クリスマス用ケーキのセールが開催されていた。

店頭に並んでいるケーキを見ると、確かに安い。
箱に入ったクリスマスケーキのホールなど、全品半額。
人だかりに入り込み、揉まれ、また往来にはじき出されると、
私は手に、大きなモンブランケーキを持っていた。
ポケットにねじ込んであるレシートには、500円と印字されている。
今日ばかりは、麦酒でなく何かインチキな洋酒でも買って帰ろうと思った。

【天候】
晴れて風強く、とっても寒い一日。

1453声 プレ大掃除

2011年12月24日

このままでは、年を越す前に肺炎になってしまう。
そう思い立って、師走も押し迫った今日、部屋のプレ大掃除をした。
本番は、大晦日前日くらいにやろうと思っている。

一番の敵は「埃」。
本棚に入りきらない本が、部屋の隅に積んである。
積んで、あればまだ良い方で、一部地帯では崩れたままに折り重なっている。
そこに、埃が層になって積もってしまっているのである。

マスクを掛け、埃まみれになりつつ、作業する事三時間。
結局、本は一冊も処分していない。
折り重なっている本を、作者別に整理する、と言う作業だけに終わってしまった。
それでも、本置き場と化していた机の上は、机が見えるまで片付けられた。
雑巾で埃を拭いて綺麗になると、随分と机の木目が新しく見えた。

これでなんとか、机で年賀状を書く事が出来る。
文章を書く作業の大半がパソコンに移行してから、机の上が片付かなくなってしまった。
これには、ペンで紙に文字を書く事が習慣になっていない事が、大きく起因していると思う。
来年は、なるべく日記形式で俳句など残して行こうかと、思っている。
思っているのだが、まず、年賀状を書き終えるまで綺麗になっているかが、問題である。

【天候】
終日、冬日和。
雲も風も無く、穏やか。

1452声 丘の風花

2011年12月23日

風花舞う一面のすすき原で、茅を刈っていた。
いや、正確に言えば、刈る係の人が刈った茅を束ねていた。
目の前の丘の先には、夕日差す榛名山。
ここは、中之条町の山奥である。

ほのじ氏が、茅葺屋根の家を建てようとしている。
その手伝いとして、茅を刈っている。
もう、一年ほど定期的に刈っている。
大人が幾人も集まって刈っているので、それほど、
膨大な量の茅が必要なのである。

丘の上には、一面。
金色の夕日に輝く枯れ芒。
その中を、風花が舞って行くと言う、俳句を作る構図としては最高であった。
作業の手を止めて、一、二句書こうとしたが、どうしても、
ボールペンのインクがかすれてしまう。
それほど、寒い。
日が沈むと、更に深刻な寒さを、風が連れて来た。

【天候】
終日、冬日和。

1451声 魂胆

2011年12月22日

「クリスマス寒波」
誰が呼んだか、知らぬ間にいま日本列島に訪れている寒波が、
耳する各メディアそう呼ばれていた。
その影響で、日本海側から東北にかけては大荒れ。
関東地方でも極寒は免れず、群馬県山間部は大雪。
こう寒いと、なんだか視野が狭まって行くような感覚を覚え、
全てのやる気をそがれる。

それでも、句会やら忘年会やらには、顔を出している。
今時期の句会に顔を出せば、「今年の詠み納め」となるが、
俳句を作っている「個」にとって、詠み納めは無い。
大晦日に句を作って、元旦も句も作る。
それは良いのだが、クリスマスまで句を作ろう。
てぇんだから、俳人という人種はおしなべて貪欲だと思う。
かく言う私も、もちろん、「クリスマス」やら「聖夜」で、昨年散々作った。
いま見返すと、どれも世間を斜めから見ているような句ばかりである。
それだけでも、自身のクリスマスに対する姿勢が顕著に出ている。
今年はせめて、真っ直ぐ見つめたいものだが、中々、難しそうである。

もしかしたら、クリスマスをも、ひとつの句にしようと言う魂胆が、
いけないのかも知れない。
しかしながら、俳句にでもしがみ付いていないと、
あのイルミネーション輝く街の雰囲気に飲み込まれてしまいそうである。

【天候】
日中、曇天で寒し。
夜半に雲晴れて、星がたくさん見えた。

1450声 チャンス

2011年12月21日

「冬至は22日ですよ」
昨日書いた「鶴のひとこえ」の中で、すっかり冬至を一日勘違いしていた。
読者から指摘を受けて、気が付いた次第。
まさにいま、師走のてんやわんやを露呈してしまった。

郊外のスーパー、である。
その駐車場の隅にある小屋の前。
寒風吹きすさぶ中、何やら列をなしている人。
見れば、小屋の屋根には、大きく派手な看板。

「チャンスセンター」
つまり、宝くじ売り場で、売り場の宣伝文句を読むと、
数年前にジャンボくじの一等前後賞が出た、ジンクスのある売り場らしい。
販売終了間近とあっての、掛け込み需要なのであろう。
並んでまで買う気がしないので、そのまま通り過ぎてしまった。

「えっ、すごい、いくら当たったの」
「いやいや、宝くじじゃなくて宝づか、が当たったんだよ」
その人先日、宝くじでなく、宝塚歌劇団の観覧券が当たったと言う由。

【天候】
終日、雲多くも冬日和。
冷たい風が吹く。