日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和7年度は4月(す)5月(堀)6月(坂)7月(ぬ)8月(岡)9月(す)10月(堀)11月(坂)12月(ぬ)1月(岡)2月(す)3月(堀)の順です。

5964声 分岐点はどこに

2024年10月05日

3日、仕事を終え渋川のマックで僕が関わる映画祭のシナリオ読みをしていたら、高崎の金井さんから「19時半から新前橋ね 覚えてる?」とメッセージ。・・全く覚えてない。いつの間にか約束したんかなと、近い距離ではあったので向かった。いつもの新前橋駅前のオアシス「Bento261」かなと思ったら閉まっている。また連絡を取ると、そのオアシスの店主・カヤさんと共に「いか焼き 剣々」にいるとのことだった。それからは急遽、飲みタイム。

高崎の金井さんとはもう古い仲で、記憶にあるのは東日本大震災後に中之条町で行った支援イベント近辺での出会い。金井さんは「すもの食堂」という変わった八百屋を経営していた時期があったり、「タカサキエキビレッジ」というマルシェを主宰していた時期があったり、現在は家業の不動産業をしながら能登の震災支援にも出向くゴーイングマイウェイな人生を送っている。

その日は「Bento261」の隣の空き地で営業している「SHINMAE-BASE」にも初めて立ち寄った。たくさんの種類のウイスキーが飲めるこの屋台、経営している杉野さんは旧知の仲である。「せっかくだから煙たいやつください」と伝えてお勧めをハイボールにしてもらい、そばにいるということで、杉野さんは嫁さんのなほちゃんを呼んでくれた。なほちゃんに会うのは記憶にないくらいぶり。下里見の果樹園「富久樹園」で活発に働いていた彼女は、今は介護施設の偉い役回りをしているらしい。一目みて、少し話して「いい年の取り方をしているなぁ」と思った。

久しぶりの人、ずいぶん久しぶりの人に会って、その場にはいない共通の知人の近況なども聞いた。僕も、彼らとよく会っていた時は仕事で独立するとも思っていなかったし、実際の今よりはもうちょっとましな未来になっているような気がしていた。僕らの分岐点はどこにあったのか。秋が訪れ始めた新前橋の夜だった。

5963声 大きなこども

2024年10月04日

群馬県庁で行われた「タイムカプセルプロジェクトトーク」に参加した。このプロジェクトは元々は前橋市の美術館・アーツ前橋が「表現の森」という名でアーティストと市内施設等の協働を進めていく幾つかのプロジェクトの中の1つだった(僕は当時は、別プロジェクトの撮影者として参加していた)。アーツ前橋が離れた今も、企業からの支援などを得て活動を続けている。なんで県庁でやるのかなと思っていたが、アーツカウンシル前橋の支援を受けるようになったゆえの報告会と冒頭で聞き、なるほどと理解した。

市内に「のぞみの家」という母子支援施設がある。夫のDVなどにより家で暮らせない母子が、自分らしく生きていくための支援を行う施設だ。ここに、イタリアを拠点とするアーティスト・廣瀬智央さんと、前橋で多くの作品を発表してきた後藤朋美さん2人が(現在も)年に数回訪れている。施設で暮らすこどもたちと接し、イタリアと前橋とで空の写真を撮って交換したり、ピザが食べたいというこどもの話から本格的な窯焼きピザを釜ごと持ち込んで焼いたりしている。タイム~は2016年からはじまり、都度ごとに関係をもった写真や文章をタイムカプセルに込めて、発足時にいたこどもが成人になる2035年に皆で開けようというプロジェクトとなる。

2016年のアーツ前橋展覧会「表現の森」で見たのぞみの家プロジェクトの展示物は、とても静かなものだった。のぞみの家はプライバシー厳守。こどもの顔もわからない。壁に貼られているのはいわゆる芸術です!ではなく誰が撮ったとも知らない空の写真。関係性そのものがアートだ、と言うは優しいが、目にみえないそれを想像で補うのは難しい。でも、あったかくて良い試みだなと思った記憶はある。

今日の報告会の中で後藤さんが「訪問時に、こどもは前、おとなは後ろに並んで。という時があって、後ろにいたら前にいた女の子に「ごっとん(後藤さんのこと)は大きなこどもでしょ(だから前に来て)」と声をかけられてとても嬉しかった」という話をした。その話だけで、後藤さんがこどもが関わってきた時間を想像できる。そういう小さな瞬間が、いくつも起きているんだろうと思った。そしてそれは目には見えないが、僕が思うにはそれは、変えの効かない素晴らしいアートであるのだ。

5962声 役割

2024年10月03日

下仁田町の彫刻家・三輪途道さんの撮影は続いている。ここに書いたかわからないが、昨年の中之条ビエンナーレ以前から撮影をはじめ、三輪さんが代表を務める(一社)メノキの副代表・福西敏宏さん発起のもと、三輪さんと彼女を取り巻く環境や事象に関してのドキュメンタリー映画を作ろうと動いている。

今日は、メノキがメガネのJINSと協働で進めている「みんなとつながる上毛かるた」の展示・ワークショップの様子を撮影しに群馬社会福祉総合センターを訪れた。

目の見えない三輪さんが下仁田の工房でねんどをこねて立体かるたを作っている時から見ている者として(みんなとつながる上毛かるた=上毛かるた44枚の絵札を、見ずに触ってわかるように立体物として再解釈し作成したかるた。群馬県の許可も許諾済み)、制作後にどのように遊べば良いのか健常者と視覚障碍者を交えワークショップを繰り返したり、その反応をもとに三輪さんが全札を作り直したり、今までの積み重ねを感じ見ると、より感慨深い一日となった。

三輪さんにカメラを向ける。「かるたはやりきった感がある。あとは普及のための活動をしていってもらいたい。私は、自分の作品の制作に戻るわ」と。三輪さんはこのかるたの具現化の最貢献者であるが、かるたで活動をしていこうという作家ではない。自身の役割が明確で、自分以外に役割を託せる仲間がいるその状況が、気持ち良いと思った。

僕自身、いろんなところに足を突っ込んだり、関係を切らずに続けたりして、自分の役割があやふやになることが未だに多い。それが持ち味と開き直ってもいるが、そろそろ本気で自分の役割に焦点を絞る必要があると思ってはいる。

5961声 楊さんの店

2024年10月02日

東京で仕事をすることは普段皆無なのだが、今年は太田市美術館・図書館からご依頼をいただき、絵画の修復過程の映像記録を行っている。場所は池袋。

撮影は淡々と進み、お昼休みの時間となったので学芸員さんと共に昼食を取ることに。前回行った最寄りのカフェは休みで、けれどここは東京池袋、昼食難民になることはない。スマホ検索もせずに池袋駅の方へてくてく歩いていくと、美味しそうな町中華屋を発見、ここにしましょうと入ってみた。

まず目に入ってきたのは「孤独のグルメ」のポスター。ああそうか、ここはあのドラマに出た店なのかと。それだけでもう味は保証されたようなものだ(今後劇場版も作られるけど、あのドラマが売上に与える影響ってすごそうだな)。散々迷った挙句、あえての汁あり担々麺と(汁なし担々麺が看板メニューぽい)水餃子を注文した。山椒の香りがピリリと効いて、本場っぽい味ながら日本人受けも考えられたとても美味しい担々麺だった。

思えば、僕も仕事という名目で各地に出向かせてもらっている。プライベートだったら行かない場所が多い。でもって、行った先ではなんとか美味しいものを食べようとする。つまりは僕もまたプチ井之頭五郎なのだ。めっかった群馬のコラムなどをわざわざ読みにきてくださっているあなたもきっと・・

5960声 ホワイトソース

2024年10月01日

伝説の家政婦、タサン志摩さんが自身でyoutubeを始めた。・・って伝説の家政婦って何やねん。発酵のスペシャリスト堀澤宏之以上に具体性がない(堀澤さんももうそう言われないと思うけど)。ほぼ知らぬタサンさんのことを妄想を加味して考察すると(別冊エッセみたいな本は2冊持っている)。料理経験と人当たりの良さでお助け家政婦的にメディアに取り上げられた彼女は、大手メディアを通した自分の見せ方に限界を感じ、旦那さんをカメラマンとして自ら動画を発信し始めた、という流れのように思う。現在、レシピ動画は6本しか動画は上がっていないが、そのうち3つを作ってみて(すごい頻度じゃない?)どれも美味しいかつ末永く作れそうというものなのであり難く思っている。・・はさておき。

知り合ってからの時間は短かったが、個性的な友人の万歳さん(名前も個性的)が吾妻を離れるというので、北軽の悠貴さんの家で食事会を開くことにした。そこで出番となったのがタサン志摩youtubeであった。最新の投稿「ホワイトソース」を作る。作り方はいたって簡単。バター小を丸々一本鍋で溶かし、ふるいもかけずに小麦粉を入れる。かき混ぜるのは泡だて器を用いる。終始強火で良い。そこに牛乳を2~3回に分けて入れて完成。その過程には、最初に入れる牛乳はちまちま入れずに多めに入れた方がダマになりにくいことや、塩をあえて入れないことの良さ(後述す)といった知恵が含まれている。すごい、初めて作ったのにうまく作れた。

3人の送別会は前向きな話に終始し、良い会となった。頃合いを見て、鶏肉とすでに茹でてあった栗を炒め、茹でたマカロニと共にたっぷりホワイトソースを混ぜて、上にちょっと粉チーズを振ってグラタンを作った。ソース以外の具材にしっかり塩気を含ませることにより、ソースは塩が一切なしでもむしろくどくなくすいすい食べられてしまうグラタンが爆誕する。

翌朝、バンザイと共に万歳さんを見送った。それぞれの人がそれぞれの場所で幸せであってほしい。

5959声 総仕上げ

2024年09月30日

曇り一時雨。俳句関係の用事で飯田橋へ。担当最終回。一年間どうにかやり通せた。来年取り組むこともおぼろげながら見えてきた。あとは一年間のこの担当の総仕上げの仕事があるのだが、週末に京都で行うことになっている。また関西方面へ行かねばならない。京都は楽しみではあるが。そして、私の担当月も終わり、明日から十月、担当は岡安さんです。

5958声 三百円

2024年09月29日

曇りのち一時雨。休養日。俳句大会の選句の評を入れた原稿を、コンビニからFAX送信した。一枚五十円、合計六枚で三百円也。高い。どういうわけか今週は咳が止まらず、公共交通機関で肩身の狭い思いをしている。今日も咳が出る。夜にスマホに通知があり、それで俳句関係のオンライン会議があったことを思い出すという、痛恨のミス。遅参して参加しつつ、明日の鼎談の最終の下読み。

5957声 なにわの秋

2024年09月28日

曇天で蒸し暑し。せっかくなので、知人の句会に参加させていただく。午前中は中之島美術館を観てから、午後は付近の公園を吟行して句会。美術館では萬鉄五郎の「裸体美人」はもとより、マティスやモディリアーニと並べて鑑賞できたので貴重な体験であった。句会でも関西の「ノリ」というか、風物に対しての面白がり方が新鮮だった。その後は、なにか名物でも思い、新大阪駅で串カツ屋だのたこ焼き屋だのを新幹線の乗車時刻ぎりぎりまではしごしてしたら、油物の取り過ぎで胸やけしてしまい、いささかぐったりして大阪を後にした。

5956声 大阪の缶詰

2024年09月27日

小雨交じりの曇天。仕事の関係で大阪へ。いつ来ても大阪の活気には驚く。夜更けまで缶詰めになって働く。

5955声 一足飛び

2024年09月26日

雲多くも概ね晴れ。朝晩は秋冷を感じるようになり、一足飛びに秋が深まった。引き続き取り組んでいた子供の部の選が終わり、あとは選句に評を付ければ完成。メールで送れれば良いのだが、FAXでということなので、後日送信することに。

5954声 散文と韻文

2024年09月25日

曇りときおり雨。俳句大会の一般の部の選句終え、子供の部の選に入る。子供の部の句は面白い。面白いが頭作りの内容が多い。つまり、五感が働いていないとでもいおうか、感想や願望の報告になっているケースが多いのだ。意味明瞭で散文ならば満点である。しかし韻文ではWEBで確認した八月のクレジットカードの請求金額が膨れ上がりすぎていて、冷汗三斗の思いである。その勢いは九月も続いているので、どうなるのだろう。

5953声 朝顔と彼岸花

2024年09月24日

秋晴れ。朝には爽涼の感あり。朝顔がだいぶ花をつけるようになったが、そろそ花の時期も終わりであろう。巷では彼岸花がようやく咲き始めた。今日は諸々つまり過ぎて選句が進められず。こういうときは無理せず。

5952声 再配達

2024年09月23日

雲多くも秋晴れ。高崎から帰宅し、溜まっていたことを片付ける。ヤマト便の再配達で受け取ったら、来月末の俳句大会事前投句の選句で期限はのこり概ね二週間。こう重なるとなかなか厳しい。厳しいが無理ではない。禁酒粗食して胃腸を休める。

5951声 伊香保の月

2024年09月22日

午前中は雨、午後は晴れ。朝から高崎と前橋で用事を済ませ、榛名湖で涼んでから伊香保へ。月が美しく、二日酔いにならぬ程度にたしなむ。

5950声 五指に入る宿酔

2024年09月21日

秋晴れ、蒸し暑し。人生で五指に入るほど重い二日酔い。私がホストなので、這ってでも今日の句会に行かねばならない。耐え難い不調のまま定例の句会へ出席し、もちろん句を作ることは不可能なので、手持ちの句で間に合わせ参加者にも二日酔いに起因する不調を詫び、どうにか終えた。それでも、さわやかな秋の句群を読んでいると、いささか回復してきた。夕方はその足で一路、高崎へ。

5949声 マヌカハニー

2024年09月20日

曇り。のどの痛みは軽減してきた。というのも、飴をなめているからで、この飴というのがいわゆるのど飴ではなく、蜂蜜の飴なのである。マヌカハニーを煮詰めたような得体のしれぬ飴なのだが、これがばつぐんに効く。今夜は打合せと称する俳句関係の飲み会があるのだが、なんとか参加できそうである。

5948声 マネジメント

2024年09月19日

晴れ雲多し。のどが痛い。完全に風邪だが、流行っているのでそんな驚きもない。熱が出たら寝ていればよい。流行病になったらなったで治癒するまでおとなしくしているしか仕様がない。必要以上に騒ぐこともなかろう。危機管理、近頃だとBCPなどつまりはリスクをマネジメントしようというのが常識である。マネジメントは当然、お金も時間もかかる。そういうことを考えると、「人事を尽くして天命に従う」というような意識があった昔の人たちの知恵というか覚悟というのは見上げたものである。年鑑用の30句の選句をおぼろげながらそろえ、週末に向けた準備を放擲して寝た。

5947声 月下茫洋

2024年09月18日

日中は晴れのち激しい夕立。その夕立が上がったら雲が流れ、きれいに月が見えた。玄関の扉で大きなキリギリスが雨宿りしていた。扉を開けると、ばさばさ向かうの駐車場の方へ飛んで行った。ひとしきり諸々済ませ、しばらく月光浴しようと思い、部屋を暗くして缶麦酒片手にカーテンを開けてぼーっとしていた。この週末に少し時間が取れれば、年鑑用の選句はなんとか目途がつきそうな様相になってきた。