日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和6年度は4月(ぬ)5月(岡)6月(す)7月(堀)8月(坂)9月(ぬ)10月(岡)11月(す)12月(堀)1月(坂)2月(ぬ)3月(岡)の順です。

898声 猫の八当たり

2010年06月16日

誠にもって、蒸し暑い。
畳の上に横たわり、扇風機の微風を受けている時は良いが、
一度、扇風機を止めれば、不快な熱気が纏わり付いてくる。
扇風機のプロペラは快調に回転しているが、どうも、我が頭の回転が著しく鈍っている。
虚ろに天井を眺めていると、やけに、浮遊している羽虫が目に付く。
「網戸に穴でも」
と思い、窓辺まで這って行き、窓の縁へ手を掛けてのそのそと立ち上がる。
湿気を吸って体重が増加してのではなかろうかと思われる程、体が重たく感じる。
「ヴャーゥオ」
闇にさんざめく蛙の声をつんざいて、猫が喧嘩している声。
ひとしきり喧嘩が済んで、また、闇に蛙だけがさんざめいている。
こう蒸し暑いと、猫も気が立ってくるのだろう。
あんなに暑そうな毛皮を着ていて、脱ぐ事が叶わないのだから。
おまけに蛙は、お構いなしに大合唱。
そりゃ気持もやさぐれて、仲間と居ても、お互いに八当たり。
自然と喧嘩に発展してしまうのだろう。
いささか、猫を気の毒に思い、網戸に不具合が無い事を確認し、一安心。
猫を真似て、四足歩行で寝床へ戻り、猫が茶を吹いている様な顔で、寝てみる。

897声 音と心理

2010年06月15日

世界中のメディアが、昨夜、日本のW杯初戦の勝利を報じた。
「日本勝利」
その言葉の裏には、「予想に反して」と言う、意外性が見え隠れしている。
日本のメディアや世論とて例外では無いが、それはさておき、
棚から出てきたぼた餅をつまみに、差し当たり、勝利の美酒に酔おうではないか。
と言うのが、巷の声であろう。
1対0で、ゴールを決めた本田選手は一躍、救世主となり、
岡田監督の旗色も、幾らか色を取り戻して来たようである。
ラジオインタビューで、こんな事を答えた、現地のサポータがいた。
「日本が先取点をあげてからは、あの耳障りなブブセラの音が、
次第に、心地よくさえ、聞こえる様になった」
私も昨夜、寝床の中からブラウン管に映る、試合の一部始終を見ていたのだが、
確かに、そのように感じた。
試合開始早々の時分には、テレビのスピーカーから、
鳴りっぱなしのクラクションの如く流れて来るブブセラの音が、とても威圧的に感じた。
それが、試合後半、日本有利の儘、早く試合時間が終わらないかと切望する気持ちを、
このブブゼラの音が後押ししている様に、感じるまでになった。
つまりは、ブブゼラが鳴り響けば響くほど、時間が早く進む様な気さえしたのだ。
人の心理など、案外、いい加減なものである。
すると、現在、我が部屋の窓から聞こえる、蛙の大合唱も、
気の持ち方一つで、心地好い、BGMになると言う訳だ。
しかし、それは実現し得ない。
何故なら、我が生活上の茫漠とした「敵」に対し、既に失点が込んでいるからだ。

896声 ブブゼラと毛笛

2010年06月14日

いよいよ今日から、関東地方が入梅。
群馬も朝から、曇天から微雨がぱらついていた。
梅雨の雨は、夏の驟雨と違い、随分とお手柔らかである。
これを書いている、現在時刻は午後11時の手前。
テレビに映っているのは、快晴の南アフリカ。
ブルームフォンテーンの、フリーステート競技場である。
サッカーW杯の初戦。
日本とカメルーンの代表選手が、ピッチに出揃い、試合開始のホイッスルが、
今まさに吹かれようとしている。
会場を揺るがさんばかりに鳴り響く、ブブセラの嵐。
それにしても、この会場に鳴り響いている、ブブゼラと言う南アフリカの民族楽器。
日本で言うところの、毛笛に、音質が似ている。
毛笛ってのは、その昔、縁日などで見掛けた、風船付のストロー笛の事。
ストローを吹いて風船を膨らませ、口を離す。
すると、「ブィー」と言う音が、大音量で鳴る、と言う玩具である。
試合は、梅雨の雨の様に、お手柔らかにはいかないであろうが、
ブブゼラも要は毛笛の親戚みたいなものじゃないか、恐れる足らず。
兎も角、やってみようではないか。

895声 新しい木札

2010年06月13日

今週半ばから、乱れっ放しの生活習慣も、どうやら今日で一区切り。
一息つく為、銭湯へ出掛けた。
浅草湯の浴室へ入ると、浴槽の背面に、手書きの木札が二つ、掛かっている。
「熱い方乃湯」と「ぬるい方乃湯」。
平仮名で書く「の」ではなく、漢字で「乃」と記している点。
それは、「温い」ではなく「ぬるい」と記している点にも言える。
この木札を見て、私はこの文字に醸し出されている玄妙な感覚にこそ、
銭湯の魅力を感じるのだと思った。
人の気持ちを「和ませる」と言うのは、容易に狙って出来る芸当ではない。
湯船に浸かりながら眺めるその真新しい木札は、
そこはかとなく清々しい気分にさせてくれた。
帰宅し、窓から吹き込む心地好い夜風が、湯上りの火照った体を冷まし、眠気を誘う。
気付けば机の上。
頬杖つきながら、目を閉じて、うとうと。

894声 よくじょう新聞

2010年06月12日

今日、九州全域が梅雨入り。
梅雨の手前。
ってのは、毎年、お天道様、もう自棄になって燃える。
だから、今日の如く、一時的酷暑になる。
昨夜。
伊勢崎駅を降り、駅前へ出たら、見知らぬ駅前ロータリー。
はて、と思い、二、三歩進んで振り返り、駅舎を確認。
確かにそこに有るのは、「伊勢崎駅」の看板。
駅舎に戻りつつ、気付いたのだが、反対の出口に出てしまったのだ。
最近、駅舎が新築され、随分と近代的になったので、
同じ様な前橋駅、桐生駅などの風景が交錯し、私に誤認させた。
所用でほのじへ寄る。
駅からほのじまでは、徒歩3分と言ったところだが、その間に、2回も道を聞かれた。
1回目は、前方から来る人に、「伊勢崎駅は真っ直ぐですか」と。
2回目は、後方から行く人に、「サンホテルはどちらですか」と。
サンホテルの場所には自信が無かったので、結局、ほのじの入り口を叩いて、
教えてもらった。
薄暗い店の片隅で、麦酒片手に、「全国浴場新聞」を読んでいる。
「よくじょうの新聞か」と、ほのじ氏。
「はい、浴場新聞ですから」と、私。
「オレが言ってるのは、よくじょうの新聞、と言う事だぞ」
「はい、よくじょうの、新聞ですよね」
無言で、机上の空ジョッキを持って、麦酒を注ぎに行く。

893声 牛丼チェーン、路上のキーチェーン

2010年06月11日

夕方から電車で出掛けたのだが、金曜の夕方ともなると、高校生が多い。
ホームに立っていると、向いのホームで待っている高校生。
皆、一列になって、ワイシャツの白、スラックスの黒、さながらピアノの鍵盤の様である。
しかしこのピアノは、弾かなくても、際限なく鳴っている。
電車ではまず、所用で桐生市、そして伊勢崎市を回り、
何とか終電に滑りこんで帰って来た。
ほろ酔いで、最寄駅。
真っ直ぐ家路に、着ける訳が無い。
行きつけの店から、未来の行きつけ候補の店へ、梯子式に千鳥足を進める。
気付けば、夜も深い時間と相成って、とぼとぼと牛丼チェーン店の前。
街頭に照らされ、鈍く光る路上の紐。
手に取って見てみると、自転車のキーチェーン。
その3桁のダイヤルロック式のキーを、私は簡単に開ける頃が出来た。
だって、私の鍵だから。
そう、このキーチェーン、あれはひと月ほど前だと記憶するが、
夜半、この牛丼チェーン店に寄って、自転車で帰宅した事がある。
翌朝、自転車を見てみると、キーチェーンが無い。
おそらく、あの店。
と思ったのだが、捨て置いて、新しいキーチェーンを購入した。
今拾ったのは、あの時に落とした、キーチェーンなのである。
ひと月も、風雨に晒されながら、路上に横たわっていたのだ。
奇妙な再会に驚きつつ、キーチェーンに謝罪し、拾って帰路に着く。
行方不明になった妻が、行く歳月を経て、ようやく家へ帰ってくれば、
夫は既に再婚していた。
そんな昼ドラの様な筋書きを思わせる、一件。
キーチェーン二人の関係が、泥沼化せぬか危惧しつつ、牛丼チェーンを後にした。

892声 蛇に負けるな

2010年06月10日

いよいよ明日から、「第19回FIFAワールドカップ」が南アフリカで開催となる。
報道では、開催地の各都市、治安が悪さが懸念されているが、それ以上に、
日本代表の戦績が懸念されている。
その日本は、グループEに属し、6月14日(月)の16:00からのカメルーン戦が初戦。
それと共に、テレビニュースで、日本代表の宿泊地である、
南アフリカのジョージと言う町ではケープコブラが出るってので、大いに危惧している。
と言う報道を目にした。
しかし試合ではひとつ、「蛇ににらまれた蛙」の様にならず、勇猛果敢に戦ってほしい。
「蛇は寸にして人を呑む」とも言う、日本だってやれるはずである。
そんな事、私があえて言うのは、「蛇足」であるが。
そして、目指すは王者か。

891声 停車場の闇

2010年06月09日

独り酔い
辿り着きたる停車場の
闇に響くはたれの嗚咽か

890声 文章を料理する

2010年06月08日

寂しい冷蔵庫の中を漁って、夕餉の献立を思案する主婦。
丁度、そんな心持ではなかろうかと思っている。
今、机の前で頭をかきむしっている私が、である。
私は勤め人なので、当然、朝起きて勤めに行って、夜帰って来る。
概ね、そう言う日常を送っている。
そこにあるのは、波乱万丈に富んだ日常なんてものでは無く、金太郎飴式の市民生活。
つまり、種類豊富な食材に溢れた冷蔵庫ではなく、
調味料と使い残しの食材だけが目立つ、寂しい冷蔵庫なのである。
そんな状況下においても、上手くやり繰りするのが、一家の主婦たるものだろう。
しかし私においては、冷凍庫を漁って、あわよくば冷凍食品などを見付け、
「レンジでチン」で済ませようとしてしまう。
この文章作業も同じで、今、冷蔵庫の寂しさに呆れ果て、冷凍庫を漁っていたところ。
生憎、手頃な食材が見付からない。
仕方なく覚悟を決め、有り合わせの食材で、拙い腕を振るい、
夕餉の準備に取り掛かる。
毎日、料理を作る動機。
そりゃ単純に、「美味しい」の一言ではなかろうか。

889声 蛍狩り

2010年06月07日

今日はやけに蒸し暑い。
背骨が軟化した人間の如く、私の足取りも、ふにゃらふにゃら。
この時期のこう言う気候の日は、蛍の活動が活発になる。
日毎に、群馬県内各地でも、飛び始めているらしい。
今週末は、前橋市田口町のほたるの里で、「ほたる祭り」が開催される。
それに伴って、大勢の見物客が蛍狩りに訪れるのだろう。
江戸やら明治に書かかれた、あるいはその時代を舞台とした本などに、
夏祭りの露店などの描写で、虫売りと言う商売を見る事がある。
鳴り物である、鈴虫や松虫。
光り物である蛍などを、細工を施した竹籠に入れて売っている。
辺りには涼やかなに響く虫の音。
籠の中に舞う蛍火が、神社の境内の闇を一層濃くしている情景など、
想像するだけで風流を感じるが、現代で蛍など売っていたら、
とても風流では許されない。
私の部屋の窓から、もう直ぐ虫の音が聞こえる時期だが、
やはり子供時分から比べると、随分と音が寂しくなった。
だから、と言う訳も少しは含まれていると思うが、
年々、蒸し暑さが増している様に感じている。

888声 六合から伊勢崎へ

2010年06月06日

いささか酔っているので、意識して簡潔に書く必要がある。
よって、今日の体験談を2つに割って、更新内容を構成する。
まず、1つ目。
今朝起きて、向かったのは旧六合村。
尾瀬の寅さんと一緒に、写真撮影に行って来たのである。
「六合村と寅さん」
この単語を見て、ピンと来る方もいるだろう。
そう、映画「男はつらいよ」第25作ハイビスカスの花のラストシーンに登場している、バス停。
そのバス停が、旧六合村にあるのだ。
撮影後、長期の風雪でバス停自体は残っていなかったのだが、
この度、目出度く復元されたと言う事を知り、「じゃあ」と言う事になった。
バス停が復元されたのだから、いっそ、そのシーンも復元してみよう。
と言う試み。
その顛末は、この日刊「鶴のひとこえ」第900声記念特別企画で、
詳しく書こうと思っている。
天気も良く、(いまにもリリーが来そうなくらい)臨場感あふれる写真が撮れたので、
寅さんフリークの方々は期待して良い。
などと、寅さんフリークの末席に座っている私は、確信する。
そして、2つ目。
旧六合村の撮影を終えた足で、向かったのは、伊勢崎市の路地裏。
昨日も書いた、
「伊勢崎プレミアム商品券(いせさき商品券)発売記念〜路地裏ビアガーデン〜」
へ、行って来たのである。
鰻の寝床の様な路地に長机を出して、長細く飲むのだが、軒並みの心地好い圧迫感があり、
どこか落ち着く。
日暮れ時の往来は閑散としているが、路地を覗くと、肩がぶつかる程の酔客が蠢いている。
と言う状況。
私の飲んでいた席には、この「めっかった群馬」を読んで下さっている方も居り、
このサイトと路地裏の距離、その距離の近さを感じた。
席で飲んでいる時、「あっ」と隣席の方が、上空を指差した。
見上げると、路地に建つ瓦屋根から垣間見る、黄昏の空。
絹糸の如く真っ直ぐな飛行機雲が、ひとすじ。

887声 複雑怪奇な夏時間

2010年06月05日

夏は催事、中でも祭事が多い。
私も今夏、今から目星を付けている群馬県内での催事が、多く有る。
前橋市でのほたる祭り、桐生市での活弁ライブ、そして、
毎年恒例の各市での伝統的な夏祭り等々。
そして、その口火を切るのが、明日開催される、
「伊勢崎プレミアム商品券(いせさき商品券)発売記念〜路地裏ビアガーデン〜」
である。
伊勢崎商工会議所と群馬伊勢崎商工会が発売した、「いせさき商品券」。
端的に説明すれば、10,000円の券を買うと、1枚1,000円の券が11枚綴ってある、
と言う商品券。
つまり、10,000円で商品券を買えば1,000円得すると言う、仕組み。
それによって、消費を喚起し、地域経済の活性化させよう。
ってな、取り組み。
私も、同じ様な仕組みの入浴回数券を現在利用しているのだが、中々、便利である。
やはり、10,000円分買うと、幾らか得になる。
番台で、細々と小銭を出さなくても良いし、2,3人で行く時は、
券を3枚出せば良いので、手軽である。
そして、券を持っている所為か、時間があれば、入浴したくなって来る。
その結果、やたらと足が向くのである。
日帰り温泉の湯客などは、湯あがりに麦酒を飲んだり定食を食べたり、
何かと余分に消費するので、施設側とすれば、やはり回数券の入浴でも、
集客率が上がれば利益が出るのだろう。
この、いせさき商品券の発売記念って事で、市内の各商店が催しを開催する。
その中で、私が行くのはやはり、緑町の路地裏で開催されるビアガーデン。
「ビアガーデン」と聞くと、私などは、眺望の良いビルの屋上で、
清々しく生ビールを飲む。
と言う固定観念を持っているが、今回は路地裏と言う複雑怪奇な場所で、ビアガーデン。
しかも、日曜日の黄昏時間。
何やら、複雑怪奇な人生の路地裏を歩いている人たちが、集まりそうな予感がする。
しかし私は、清々しく、飲むつもりである。

886声 号外と雷雲

2010年06月04日

民主代表に管氏。
と言う号外が、街角に飛んだ本日。
気温は28℃、街中の体感気温はそれ以上。
まとわりつく様な暑さを感じつつ、前橋市街の路上。
所用があって、街中の書店へ足を運んでいた。
並木道の往来を歩いていると、
「生ビール飲み放題500円」
と言う看板を、軒先に出している店を発見した。
巷では大体、生ビール中ジョッキが500円。
瓶麦酒の大瓶1本が600円と言う相場なので、これはもう破格である。
断腸の思いで、その店の前を素通りし、コインパーキングまで戻った。
戻る途中、ぼつりぼつりとお天気雨。
号外を傘に、一寸、小走り。
ビルの谷間から眺める空に、とぐろを巻いている雷雲が見えた。

885声 アヤメが駄目ならカキツバタ

2010年06月03日

昨日、ラジオを聞いていたら、葛飾区の水元公園でアヤメが見ごろを迎え、
多くの観光客で賑わっている、と言うニュースがあった。
水元公園と聞くと、思い出すのは、映画「男はつらいよ」である。
第何作目だが、記憶が茫々として思い出せないが、おそらく、
第25作の「寅次郎ハイビスカスの花」だったと思う。
今でもそのシーンは、脳内スクリーンに映す事が出来る。
御馴染、とらやの面々が、アヤメが見頃な水元公園へ、
ピクニックに出掛ける準備をしている。
おいちゃん、おばちゃん、さくらに満男、みんなで談笑しながら、
旅の空にいる寅さんの噂をしていると、そこにバッタリ、寅さんが帰って来てしまう。
と言う、御決まりの展開である。
その後は、当然、毎回の如く大騒動に発展して行く。
懐かしい映画の思い出に、しばし浸っていると、矢継ぎ早に飛び込んで来たニュース。
民主党党首鳩山由紀夫首相の辞任表明。
そして、明日の午後には、民主党の代表が決定していると言う。
誰になるのか。
巷ではその一点が、競馬予想と変わらぬ口ぶりで、おやっさん連の話題にあがっている。
ともあれ、「いずれアヤメかカキツバタ」と言う状態ではない様に見受ける。

884声 言うなれば、美学 後編

2010年06月02日

昨日の続き。
「廃業した所も載せているんですね」
ぽつりと呟いたのは、先日この本の頁を捲っていた、
出版業界に生きる百戦錬磨の業界人。
その言葉の裏にあるのは、実用的かつ商業的な本に仕上げるのなら、
その頁は不要と言う意味だろう。
「そう言う事はさておき」
と言う事を前提に、私はこの本を製作して来た。
だからこそあえて、「群馬伝統銭湯大全」などと言う、
戒名の如く発音しづらい、ややこしい名前を付けたのだ。
「群馬県銭湯MAP」だとか「ぐんま銭湯ガイド」なんて類の名前は、
端から付ける気はなかった。
それは言うなれば、恥を忍んでこっそりと言うが、私の美学である。
それを活動の根幹に置かなければ、こんな、毎回請求書が来る毎に、
自分の預金残高が請求額に近づいて行く様な、ある種自滅的な、事はできない。
しかし今回は、請求額と預金残高が拮抗していたので、額面の数字を何度も確認し、
いささか冷汗三斗の思いがした。
そして、銭湯にもやはり、美学を感じる。
銭湯にもと言うよりは、銭湯経営者に、と言った方が的確かもしれない。
社会の仕組みは変われど、街の容貌は変われど、銭湯文化の伝統を、頑なに守る。
その心意気こそが、日本人が古来から持つ、美学ではないか。
昭和と言う時代を生き抜いて来た世代、あるいは、
これから平成と言う時代を生き抜いて行く世代に、それを伝えたい。
銭湯を訪ねて独り、薄暗い路地裏をほっつき歩いている時は、そんな事を考えていた。
さて、昨日から6月、巷では衣替えの季節である。
私も心機一転して、出来上がった第二刷の本を売って行こうと思う。
正確に言うと、第二版での第一刷、と言う事になるらしい。
それにしても、この山と積まれた在庫本…。

883声 言うなれば、美学 前編

2010年06月01日

昨日、全て出来上がった。
「群馬伝統銭湯大全」の第二刷が、である。
こう書くと、「売れている」様に受け取る読者もいるかもしれないが、
実際、そうでもない。
因みに、謙遜などはなく、売れている気配もないのだ、最近ことに。
では何故、第二刷を刊行するのか。
まず、現在手元に初版本の在庫は無く、各書店の店頭に並んでいる状態。
店頭の本が無くなり次第、追加納品が可能な状態を保持するべく、
第二刷を在庫しておこうと言う算段。
そして、初版本で幾つか見付かった誤植を、どうしても早く訂正したかったのだ。
現在、この本は、置かせて頂いている全ての県内書店において、厚遇されていると思う。
つまり、書籍陳列棚の、とても目立つ位置に、本を置かせて頂いているのだ。
レジ横に、並んでいる書店もあって、気付かずに訪れた私を、大いに赤面させたが、
反面、非常に恐縮感謝の思いで、拝むが如く(実際、軽く拝んで)、
本の表紙を見つめていた。
それでも売れないのは、著者に問題がある。
この初版から第二刷までの期間は、およそ4カ月だが、
その間にも残念ながら廃業された銭湯がある。
しかし、だからと言って、その頁は削除しない。
むしろ、そうなったからこそ、載せる意義があると思っている。
大量に抱えてしまった第二刷の在庫を不安に思うあまり、夜な夜な、
何だか得体の知れぬ昂揚感を覚えている。
と言う事で、文章量を超過してしまった為、掲載は明日に持ち越し。
ではでは、では。

882声 シュークリームの形

2010年05月31日

今日はやけに、御菓子に縁があった一日だった。
朝起きて身支度をしていると、どうにも体に倦怠の色が濃かったので、
冷蔵庫からアルファベットチョコレートを出して、2、3個食べた。
甘い物に倦怠を取り除く成分がある。
なんて事は無いのだろうが、疲労や倦怠を感じている時は、そこはかとなく、
体が甘味を欲している様な気がする。
それは、日中も続いていて、仕事中、飲み物を買いにコンビニへ寄ると、
ついでにシュークリームを買ってしまった。
思い当って、家へ帰ってから本棚を探してみると、目当ての本が見付かった。
内田百?の著作、「御馳走帖」である。
その中に、「シュークリーム」と言う随筆があるのだ。
『私が初めてシュークリームをたべたのは、明治四十年頃の事であらうと思ふ。』
という書き出しなのだが、まず、シュークリームが明治四十年頃から、
既に日本で販売されていたと言う事に吃驚する。
シュークリームには悪いが、昭和の中頃に日本にやって来た、
つまりはショートケーキなどが台頭する日本洋菓子界では、
随分と新参者の御菓子だと思っていた。
それが、随分と古参の洋菓子だったのだ。
百?先生が高校生だった時分、夜、机に向かって勉強していると、
シュークリームが食べたくなって来る事があった。
そんな時は、百?青年を溺愛している祖母に言って、買って来てもらっていたと言うのだ。
暗い町に下駄の音をさせながら祖母が向かう先は、文房具屋。
その時分(百?先生の故郷、岡山で)は、文房具屋でシュークリームが売っていたらしい。
その頃のシュークリームがどんな形をしていたか、文中にその描写は無いので、気になる。
現代とほぼ同じだと想像するが、もしかしたら、違うかもしれない。
私が今、これを書きながら食べているのが、また御菓子なのだが、最中である。
「スバル最中」と言って太田市の銘菓で、その形は自動車。
レガシィと言う、スバルの看板車種の形なのだから、
そのシュークリームだって、丸まったキャベツの様な形かどうかは、分からない。

881声 三ツ寺公園まで

2010年05月30日

今にも降り出しそうな、鉛色の雲が空から垂れ下がっている。
遠くの山並みが見えないと、随分と風景も閉塞的だと感じた。
草臥れた自転車を駆って、曇天の町を行く。
麦畑は濃く色づいているが、光が射さないので、その一つ一つが、
鈍く重たそうに揺れている。
気温は低く、自転車で走っていると、手が冷たくなる程度。
三ッ寺公園まで来ると、瓢箪池を縁取るように、釣人が糸を垂れている。
家族連れが多く、釣りに飽きた子供たちが、裏の芝生を走り回っている声が響く。
気温が低く、釣果は期待できなそうであった。
帰り際、何か甘い物が食べてくなったので、洋菓子店でケーキでも買って帰ろう。
と思ったが、あの洋菓子店のショーケースの前で屈み腰になり、
チーズケーキなどを指差している自分を想像して、思い直した。
遠回りして、町では老舗の鄙びた饅頭屋に寄り、饅頭を3つ買った。
家へ着くまでに、走りながら食べ切ってしまった。