日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和6年度は4月(ぬ)5月(岡)6月(す)7月(堀)8月(坂)9月(ぬ)10月(岡)11月(す)12月(堀)1月(坂)2月(ぬ)3月(岡)の順です。

880声 小雨交じりの屋台横丁

2010年05月29日

小雨交じりの曇天。
カーテンを開け、そんな天気が目に入って来ると、一瞬怯んだ。
しかし、このタイミング。
逃せば後は、いつになるか分からない。
そう自らを奮い立たせる。
オーディオのスイッチを入れ、一昔前に流行ったロックをかけて、
気分を強引に鼓舞。
家を出て、目指したのは栃木県は宇都宮市。
なまじ、「栃木路地裏銭湯記」なんて銘を打って、
栃木県の銭湯を回り始めてしまったので、完結せねば気が済まない。
群馬県の銭湯との対比をしてみたくもある。
そんな訳で、一路、宇都宮へ。
電車にバスを駆使して市内の銭湯を回る。
昨年に一度、訪れているので、移動は慣れたものである。
そして結局、写真は一枚も撮れず、と言うか撮らず、終い。
それは、どの銭湯も、開店からお客さんの入りが盛況で、撮る隙がなかったのである。
現在、宇都宮市内には3軒の銭湯があるのだが、そのうち一軒が、
どうしても開店している時に来れない。
前回は日曜日に来て暖簾が掛かっておらず、今回は土曜日で同じ結果。
近所の銭湯で聞くに、営業はしているとの事なので、残念であった。
合わせて、ここまで来て、銭湯でシャッターを切らなかったのも、残念。
そそくさと、ユニオン通りからオリオン通り、そして、屋台横丁へ入る。
この「屋台横丁」とは、昨年末に高崎田町にできた、「中山道恋文横丁」、
通称「屋台通り」みたいなものである。
と言うか、そのモデルとなった横丁だろう。
「横丁」っても、新しく興った、新旧ハイブリット型の横丁である。
何軒か梯子して、店内で忘れない内に、先程の銭湯情報を雑記。
止めに、オリオン通り入口脇に在る焼き鳥屋へ、煙に誘われて入店。
宇都宮は、餃子もさることながら、焼き鳥屋が多い。
日暮れ時の商店街には、自転車で颯爽と走り抜ける高校生と、客引きの姿が目立つ。
やはり地方都市のターミナル駅周辺がそうであるように、夜は昼の喧騒が引け、
閑散とした街が現れる。

879声 本の形

2010年05月28日

終日、一色に染まっていた。
と言っても、過言ではなかろう。
巷のメディアが、である。
本日から、iPadが日本の各取扱店で発売。
と言う事でもう、報道が過熱。
各取扱店前に、その発売を今や遅しと並んだ行列。
そして、発売日にiPadを手に入れた人たちの歓喜。
今朝から、テレビにラジオにインターネット、
あらゆる媒体がその話題に終始していた。
一色に染まる、あるいは染まりやすいのは、日本人の特性とも言える。
それがこと、舶来品だったりすると、もう一撃必殺である。
「新型情報端末」って事で、発売前から大いに注目を集めていた、このiPad。
新型と称するその大きな特徴は、「電子書籍端末」としての機能だろう。
つまり、電子書籍化された本を、インターネット上からダウンロードすれば、
このiPadで読む事が出来る。
中には、映像や音楽などの付加価値付が付いてくる本もある。
報道によると、これによって、出版関連業界は大いに活気づいているらしい。
活字離れの進む若者を取り込む、大きなチャンスとして捉えているからだ。
確かに、活字を読む形は変われど、その「読む」と言う本質は変わらない。
エレキギターが登場したって、アコースティックギターが無くなる訳でもない。
ちょいと本腰を入れたギター弾きなら、大抵、両方持っていて、
曲によって弾き分けている。
それでしか表現できない音楽があるから。
つまり、そう言う形になって行くのではあるまいか。

878声 枝豆と再会

2010年05月27日

不順な天候が続いているが、日を追う毎に、夏野菜が旬の風味を帯びてきている。
巷の飲み屋ではそろそろ、お通しが一斉に枝豆になる頃。
梯子酒では、行く店毎にお通しに出会う事になるが、特に夏期である。
「また君か」なんて、前に居た店と今入って来た店が、同じ枝豆のお通し。
小鉢に入った枝豆に向かって、苦笑し、また麦酒。
酔った勢いで暖簾をくぐった、見知らぬ土地の見知らぬ店。
それが、一寸小綺麗な小料理屋だったりする。
カウンターには、妙齢の女主人と親しげに会話を楽しんでいる、常連客。
カウンター席の一番端に座り、目の前に並ぶ、江戸切子の醤油差しが、不安を助長する。
心細さを悟られぬ内に、瓶麦酒を注文。
見慣れた茶色い瓶と一緒に運ばれて来たお通しが、小鉢に入った枝豆。
そんな時は、迷子の子供が、親と再会した時の様な心持ち。
一粒一粒、豆を噛み締めながら、店の空気に自らを慣らして行く。

877声 ナメクジの背

2010年05月26日

「やっぱ、伊香保まで来ると、ナメクジがデカイな」
言われて私も、近づいて行って、壁にへばり付いているナメクジを、
まじまじと確認した。
そう言った本人は、深く納得したような顔で、このベランダから浴室へと戻って行った。
全長7,8cmはあろうかと言う、雨に濡れたこの大ナメクジは、
何をするでもなく、その流線型の体を、「ヌメリヌメリ」と怪しくくねらせている。
先日、俳句ingで訪れた、伊香保温泉「石段の湯」での一幕。
確かに、伊香保のナメクジは大きかった。
しかし、伊香保のナメクジもデカイが、高崎のナメクジもデカイ。
と言う事になる。
それは、私が先程、自宅の洗面所で見たナメクジも、伊香保のそれと同じく、
デカイナメクジ。
一瞬、「先日は伊香保でどうも」なんて、挨拶しそうになってしまったわけではないが、
全長が同じくらいの個体であった。
すり鉢状になっている洗面台の内側にへばり付いていたので、
手を洗うついでに、蛇口の水をかけてやった。
水と共に、排水溝に吸い込まれて行ったのだが、消え入る寸前、頭が突っ掛かって、
背の部分だけが排水溝から、無様に出ている。
蛇口の水を止め、突き出たナメクジの背を見ると、その稜線が左右均等。
緩やかに弧を描いて、頂点で合わさり、綺麗な流線型を作っている。
ナメクジも綺麗なものだと感じると、ふと、助けてやりたい衝動に駆られた。
次の瞬間、その綺麗な流線型が消え、深夜の洗面台に、
排水溝の暗い穴だけが残った。

876声 五月の雷

2010年05月25日

今年初ではなかろうか。
雷が、である。
現在時刻は11時に差し掛かろうかと言う具合だが、
かれこれ3時間程も、雷様たちが夜空の上を走り回っている。
赤城山から榛名山まで、競争でもしているのか知ら。
私は文庫本を読みながら、耳かきをしている手を一瞬止めて、
遠くに鳴り響く、雷の音を聞いている。

875声 昔がそのまま、今になる

2010年05月24日

ラクダに乗って砂漠を行く夢。
こそ見ないが、まさにその様な状況下に置かれた者の如く、体が水分を欲していた。
それは、未だ夜も明けきらぬ今朝の事。
極度に咽の乾きを覚えて目を覚まし、寝床から這い出て、洗面所へ向かった。
体内で、アセトアルデヒド脱水素酵素が活発に働いている為だろうが、
飲んでいる時と言うのは、つくづく、水分補給を忘れている。
頭痛を感じながら飲む水は、冷たくて美味いのだが、何とも不快な悔恨の後味がする。
しかしながら、今朝は雨降り。
深酒した次朝は、雨模様が良い。
これで、目に染みる様な、雲一つ無き青天。
ときては、たまったもんじゃない。
そう言えば、昨日の俳句ingは、珍しく雨。
それまで、俳句ingの日と言えば、晴天続きだった。
しかし、雨の伊香保温泉は叙情的な雰囲気に包まれており、
句作には良い作用があった。
伊香保温泉は、良い温泉場だと思う。
昔から、遊興の色が濃い温泉街だが、最近は随分と女性客も多く、
小洒落た店も多く興っている。
それらが混然一体となって、石段の脇に苔生す如く群生しているのも良さだが、
一番の良さは、著しく区画整理されていないところ。
昔がそのまま、今になっているところ。

874声 伊香保道中俳句旅

2010年05月23日

「第14回ワルノリ俳句ing」から帰宅し、これを記している。
酔眼、甚だしいので、文章化作業が不安である。
それでは、千鳥足文章に御容赦頂きまして、道中記をば。
今日、行って来たのは、伊香保温泉。
ひとしきり、石段街を回遊。
徳富蘆花記念文学館を見学し、温泉へ入って、渋川市街までバスで戻った。
更に下って、高崎市街。
タワー美術館で開催中の、「土門拳の昭和展」を見学。
その作品の鬼気迫る完成度に驚愕しつつ、行き着いた先は、街中。
流れ流れて、梯子酒。
何軒経由したのか、定かではないが、私は、こうしてバスで帰って来れた。
未だ、雨脚は強く、部屋に居ても、軒先を打ちつける雨音が聞こえる。
そう言えば、高崎駅でバッタリ、中学生時分の同級生に会った。
とても懐かしかったが、まさか、「今日はちと俳句で」なんて言えなかった。
その後、帰る間際に寄った、高崎市街、ビル中に在る小さな焼き鳥屋。
カウンターで、クレインダンスの小会議。
新たな企画や方針が決定。
したと思えど、何分、いつもの事だが、酒席における泡沫の如き話。
兎も角、今回の俳句結果発表は、25日(火)頃になる予定。

873声 「湯」の対談

2010年05月22日

今日は対談をしに行って来た。
近所の床屋へ行って来たかの如く、軽い調子で書いているが、
フリータウン紙に掲載予定の正式な対談である。
対談の相手は、「ぐんま源泉一軒宿」(上毛新聞社)の著者である小暮淳さん。
そう、群馬県の温泉と銭湯に照明を当てた、対談なのである。
銭湯から温泉へ、県内から県外へ、昭和から平成へ。
話は、二転三転、転んで起き上がって、また転んで。
しかしそれが、対談の面白さであり、それによって新鮮な話が紡ぎ出される。
掲載予定日や掲載内容は、未だ分からないが、
察するに、とても面白い内容に仕上がる事と思う。
かなり長時間に及ぶ内容であったので、紙面を仕上げる労苦も、察しがつく。
私は気楽なもので、理容師が鋏を入れ終わるまで、後は待つだけ、と言う状態。
やはり、対談に行くと言うのは、床屋と似ているのかも。

872声 酷暑なりけり

2010年05月21日

酷暑。
と言える今日の気候に、もう、うだってしまった。
高崎市街を歩く足も、ついつい、高島屋に向いてしまう。
何故、高島屋かってぇと、ビアガーデン。
高崎市街における、夏の風物詩である。
毎年、この時期になると、新聞紙面でその開店を知る。
私は未だ行った事が無いので、今年こそは、と、
これも毎年この時期に思うのだが、機会に恵まれず実現していない。
ネクタイ締めて、重たい鞄を持って、あの屋上に揺れるビアガーデンの提灯を見るのは、
それこそ、酷である。
勤めも終わり、帰り際に、銭湯でひとっ風呂。
その足を今日は、日帰り温泉に向けてみた。
入浴回数券を購入している、高崎市郊外にある、家の近所の温泉である。
湯から上がって、自動販売機の横、食事処に手書きのポスター。
「生ビールフェア実施中 中ジョッキ500円→250円!」
車で来ている私は、喉を掻きむしりながら、通り過ぎる。
嗚呼、逃れ所無き、酷暑なりけり。

871声 夏蛙

2010年05月20日

今宵。
部屋が蒸し暑いので窓を開けると、網戸の向こう、遠くの方で微かに、懐かしい声。
「ケコッケコッケコッケコッ」
小気味良く鳴いているのは、雨蛙。
もうそんな季節かと、四季の移ろいの早さを実感すると共に、
その美しい声音に懐かしさを感じる。
その懐かしさは、
切なるものと言う感覚で無く、例えば、バスの車窓から眺める往来の通行人の中、
偶然、旧知の友人を発見。
そんな時に感じる、淡い懐かしさである。
その声は、しとしとと降る小雨に掻き消される様に、微かながら断続的に、
聴こえてくる。
この風流を、一句。
と思い、筆立てに手を伸ばそうとした瞬間。
突如、飛び込んで来た、パトカーのサイレン音。
筆立てに運んだ手は、ペンで無く耳かきを取って、戻って来た。

870声 音頭に焦がれる

2010年05月19日

観光情報は、常に事前周知が鉄則。
なので今日も、仕事の打ち合わせで顔を出すのは、夏祭りの話である。
夏祭りと言うのは花火大会も相まって、行われる年間の祭礼では最大規模、
と言う自治体も多い。
ここ2年ほど、夏祭りは桐生市の桐生八木節まつりへ出掛けている。
当日は、市街地の目抜き通りである本町通りの一部が歩行者天国になる。
そこに群れ集まる人たちが、本町交差点の櫓から演奏される八木節に合わせて、
舞い踊るのだ。
それが、3昼夜続く。
桐生八木節祭りの公式HPにアクセスすると、八木節が流れる。
それを聞くだけでもう、己が身の内で、静かに血が滾ってくる気配がある。
桐生の銭湯は、本町通りから左程離れていないところが多いので、
湯に浸かりながら、風に乗って漂う八木節音頭を聴くのも、一興である。
その後、路地の焼き鳥屋などで、開け放ったから、祭りの熱気と共に、
聴こえてくる八木節。
なんてのはまた、一興も二興もある。
それを思うと、今から夏が待ち遠しく思える。

869声 瓶の向こうに思い描く

2010年05月18日

昨夜は、高崎市街地に、この度目出度く開店する、知人の店へ御邪魔していた。
レンガ調の壁や、舶来の調度品が並ぶ、そのカフェ・レストランの店内。
開店を祝う人たちで賑わっている中、私も麦酒などを片手に歓談。
非常に心魅かれたのが、店内の或る設備。
それは、瓶麦酒が冷やしてある保冷庫。
保冷庫なのだが、なんと表現すればよいか、蓋が無く、中には水と氷が入っており、
その中に瓶麦酒が沈んでいるのだ。
丁度、小さなバスタブを思わせる設えで、チェーン付きの水抜栓など、
まさしくバスタブのそれである。
こそこそと、その保冷庫に忍びよっては、羨望の熱い眼差しで眺め、
麦酒を一本手に取る。
と言う行動を、繰り返していた。
麦酒を取る為に、氷水の中に手を入れた際の、心地好く冷たい刺激、
良く冷えたその麦酒の味も、何だか瑞々しく、新鮮に感じた。
「欲しい」
ったって、家に置く場所がある筈もないし、かと言って、
家の浴槽に水と氷を入れたのでは、洒落た雰囲気に欠ける。
だから、羨望の眼差しなのである。
私が手に取るこの緑色した瓶の麦酒は、ハートランド。
このビール、多くの人が舶来品と思っているが、実はキリン。
しかし、この爽やかなピルスナービールを飲みつつ、想い馳せるのは、遥かなる異国。
そして、思い描くのは、夜毎の繁盛に活気づいている、この素敵な店。

868声 俳句の四季

2010年05月17日

本日、所用があって、群馬県庁へ出掛けた。
1階ロビーに、何やらパネル展示があったので、一寸、見学。
群馬県「看護の日」記念行事
一日まちの保健室
と銘打った展示で、各施設の紹介が、まさに学校の保健室前に貼ってある掲示物の如く、
模造紙に写真と文章で描かれている。
その中、俳句の展示が目に止まった。
色紙に達筆な筆文字で書かれ、紙面の隅には水彩絵の具で描かれた花が添えられている。
その俳句の制作風景も、写真で紹介されており、Y先生と言う方が、
施設の人たちに俳句の手解きをされているらしい。
写真には、笑顔で筆を手に取るY先生の姿もある。
俳句は四季を詠む。
そう、俳句とは人生の四季を詠む。
のかも知れない。

867声 ソーダアイス

2010年05月16日

夕涼みを兼ねて、自転車に乗ってふらふらと、
近所のコンビニまで、出掛けた。
コンビニで買ったのは、ソーダのアイスキャンディ。
アイスを齧りながら、自転車に乗ってふらふらと、
自宅まで帰って来た。
いつかだったか、こんな風に、私がアイスを齧りながら、
自転車でふらふら走っていると、ばったり会ったのが、同級の友人。
「しかし、変わらないもんだねぇ」
と、彼は言った。
どうやら私、子供時分から、アイスを齧りながら自転車に乗っていたらしい。
風に吹かれて、水稲がざわめく季節になると、私はこれからも、
アイスを齧りながら、自転車でふらふらと走っていると思う。
ソーダのアイス片手に。

866声 水路の脇の道祖神

2010年05月15日

知らない土地
鄙びた田舎の一本道を
かく寂しいこころを持って歩いている
夕焼け
なびく水稲
畦道のあばら家
四辻になっている往来
水路の脇に古めかしい双体道祖神
近づいて顔を覗いてみると
笑っていたのだ
ふたりとも
知らない土地
鄙びた田舎の一本道を
かく寂しいこころを持って歩いている

865声 カモメとえびせん

2010年05月14日

「じゃーねー」
と言ってカモメは飛んで行きました。
私は船の甲板から、小さくなって行くその後ろ姿を見送っていました。
僅かに残ったかっぱえびせんをつまみながら、思いました。
カルビー「かっぱえびせん」の宣伝コピー、「やめられないとまらない」。
と言うのはどうやら、人間のみならず、カモメにも通用するようです。
宮城県松島の遊覧船では、カモメの餌、と言う事で、
このかっぱえびせんを売っています。
私も一つ購入し、甲板へ出て、袋を開けるや否や、目ざといカモメが寄って来ました。
「得たり」と思い、一つえびせんを放り投げました。
しかし、強い潮風にあおられ、えびせんの飛距離が出ません。
逆巻きながら、風に揉まれて宙に浮いていたところを、瞬間、
矢の如く鋭角的に飛行して来たカモメが、嘴で捉えました。
何と言う動体視力と反射神経の持ち主でしょうか。
面白がって私は、何度もえびせんを放り投げました。
その都度、カモメは芸術的に捉えて行きました。
中には、私が投げる前に、指から直に捉えて行く、はしっこい奴も居ます。
このカモメ連中は、まさに「やめられないとまらない」状態に陥っていました。
ひとしきり食べ終えると、連中はそっけなく、空の彼方へ飛び去って行きました。
やはり、海鳥。
物事の潮時を見極めるのが、とても上手です。

864声 食べるラー油で飲むビール

2010年05月13日

晴れているが風が強い。
そんな、得なのか損なのか、判断に困る天気だった。
私などはどうも、未だ花粉症を引きずっていて、油断していると「ツーッ」と、
鼻水が垂れて来る始末。
今日みたいな日は、一層、症状が顕著になる。
一日、何か、ここに書くべき目新しい事柄はなかっただろうか。
などと考えていると、自らの日常が、如何に変化に富んでいないかを思い知る。
変わっている事と言えば、朝、夕の食膳の内容くらいなもので、
時にそれさえも怪しい。
では、先程済ませた食膳の内容から、着想を得る事にする。
巷では、「食べるラー油」なる関連商品が、爆発的に流行しているらしい。
「江戸むらさき」で有名な、桃屋の「辛そうで辛くない少し辛いラー油」、
と言う商品がこの市場の火付け役。
江戸むらさきの様に瓶詰になっており、食べ方も一緒でご飯の上にかけて食べる。
この食べるラー油市場が沸騰するや、次々に関連商品が乱出し、
3月から4月にかけては、市場で品薄状態が続いていた。
そして今夕、私が食べ終えたのは、この食べるラー油であった。
私が食べていたのは、桃屋と人気を二分する、
ヱスビー食品の「ぶっかけ!おかずラー油」と言う商品。
丁度、一月前くらいに、心ある人から頂いたのだ。
その時分は、品薄状態だったろうから、その人は骨を折って入手されたのだと思い、
感謝しながら箸を進めた。
桃屋の商品の味は、私には分かり得ないが、このラー油は美味しい。
美味しい、と素っ気無い表現だが、味に関するボキャブラリーが少ないので、
勘弁願いたい。
と同時に、この商品の流行から「丼」隆盛の予感を感じた。
この商品の醍醐味である、「ともかく飯にぶっかけて食う」と言う点は、
まさに丼料理の本義である。
この商品で手軽に作る「ラー油丼」が、広く人気を得ていると言う事は、
丼料理が広く人気を得ていると言う事になる。
それを裏付ける様に、牛丼チェーンの「すき家」などは、低迷する外食産業の中で、
大いに繁盛している。
巷の飲食店では、猫も杓子も丼料理。
そう言う苛烈な丼の流行は、酒飲みには酷な流行である。
現に私は、この食べるラー油をかけていたのは、あつあつのご飯、でなく冷奴。
それで麦酒を一杯、やるのが至福だった。

863声 逃げの五月

2010年05月12日

巷ではそろそろ、流行の兆しが顕著になってくるのではあるまいか。
それは毎年猛威をふるう、季節性の病。
五月病である。
この病の特徴として、GW明けから、症状に悩まされる人が続出する。
その症状は、倦怠感や無気力、食欲不振や不眠と、不明確かつ不明瞭な状態で現れる為、
明確な医学的診断が難しいとされている。
主な要因と挙げられるのは、4月からの新環境に適応する為にかかったストレス。
それが、大型の連休時期に噴出し、連休明けの5月初旬に顕在化してくるのだ。
思い当たる節がある人も、今まさに症状に悩まされている人も、いるであろう。
そして、中には古参の五月病患者もいて、この病気との付き合い方が、
手慣れた人だっているだろう。
未だ、五月病との付き合い方及び対処法に要領を得ない私は、目下、
「逃げ」の姿勢をとろうかと思っている。
つまりは差し当たり、映画館のスクリーンの中に、小説の行間の中に逃げ込んで、
巷に五月病のほとぼりが冷めた頃、ひょっこりと戻って来ようと、目論んでいる。
今年は遠くまで逃げないと、追い付かれそうである。