日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和6年度は4月(ぬ)5月(岡)6月(す)7月(堀)8月(坂)9月(ぬ)10月(岡)11月(す)12月(堀)1月(坂)2月(ぬ)3月(岡)の順です。

844声 ほっかむりをした御婆さん

2010年04月23日

午後三時と言えど、雨降りの道には薄闇がかかっている。
霧雨降りしきる、路肩、ガードレールの脇に、ほっかむりをした御婆さん。
傘をささずに二本、抱きかかえ、路の先をじっと見ている。
私は信号待ち。
バックミラーから御婆さんの視線の先を確認すると、そこに豆粒大の影。
黄色い帽子を被った、小学生の男の子が一人、走って向かっている。
御婆さんは二本、傘を抱えたまま、路の先をじっと見ている。

843声 道草で一杯 後編

2010年04月22日

昨日の続き
花の蜜を吸ったり、蓬をそのまま食べたり、蒲公英の茎の中に付着している、
得体の知れぬ白い液体を舐めたり。
その中で、食べられるものと言ったら花の蜜くらいなもので、後は全部もれなく苦く、
とても食えたものではなかった。
ともかく、好奇心の赴くまま、様々な草を食べてみた。
草、つまり「葉菜」に飽き足らず、「根菜」にまで手を出していた。
その代表格が、「のびる」。
この野草は、葱と玉葱を合わせて、手のひらサイズにしたような形状をしており、
地上に生えている葉の部分は細長い葱の様で、その下に直径1?くらいの、
小さな白い球根が付いている。
古事記や万葉集にも歌われて来た、由緒正しい野草らしいが、当時は露知らず、
やみくもに引っこ抜いて食べていた。
主に球根の部分を、「カリッ」と食べていたが、葉の部分も葱の要領で調理すれば、
美味しく食べられるのだろう。
葱系統の独特な刺激臭と、瑞々しいさが相まって、これは結構食えた。
結構食えたどころか、道草の中では一番好きだった。
引っこ抜いたまま、泥も良く落とさずに食っていたので、
よく胃腸が大丈夫だったと思う。
後で調べたら、胃腸の働きを良くする効能があるらしい、と言う事が分かった。
だから大丈夫だった。
と言う単純な話ではあるまい。
道草を食っていて、胃腸に免疫力が付いていたのかも。
書いていて、何だかその味が思い出されて、ふと思ったのだが、
あの独特の味は、酒のつまみに最適であろう。
洗ったものを、水で冷やして、味噌を付けて食べたら、
これはもう立派な酒のあてになる。
刻んで薬味に使っても、美味しそうだ。
道草を居酒屋で食う日も、近い。
かも知れん。

842声 道草で一杯 前編

2010年04月21日

眠気を誘われる春の陽気も、今日の如く温暖であると、
暑さがまとわり付く様で一向に心地好さが損なわれる。
それもその筈、東京都では気温25℃を越え、今年初となる夏日を観測した。
因みに、群馬県の前橋市は、今日の最高気温、22.7℃。
午後4時頃、すれ違った小学生などは、既に半袖半ズボンだった。
そのランドセルを背負った小学生が、二人、道端でうずくまってこそこそやっていた。
私は運転中、すれ違い様、横目で見ると、
なんと生えている雑草を食べているではないか。
「道草を食う」
と言う慣用句は、本来が馬から由来するものだが、まさに自ら実体験している彼ら。
しかし本人たち、そんな事は考えずに友達と、なりゆきで、
「食ってみようぜ」と言う事になっただけなのだろう。
道草を食った経験は、私にもある。
小学生時分、担任の先生から、遅刻を怒られる場合の言い訳の傾向は、
二つに大別できた。
「こら、お前たちどこで道草食ってたんだ」
「いえ、僕等、道の草なんか食べてません」
などと、低俗なギャグで小憎たらしく反論する者。
「こら、お前たちどこで道草食ってたんだ」
「はい、僕等、信号脇の所で食べてました」
と、計画的な天然ボケで、煙に巻こうとする者。
私は、後者の方で、今日道端で見かけた小学生たちの如く、
本当に道草を食っていた思い出がある。
道草を食う癖が、大人になっても顔を出し、まとまりの無く、
だらだらと長文になってしまった。
続きは、また明日。

841声 丸めては、捨て

2010年04月20日

丸めては捨て、また丸めては捨て。
屑籠の周りは、丸めた書簡便箋が散らかっている。
頂いた書簡の返事を書いているのだが、思わぬ箇所で誤字が出て、一向に捗らない。
おそらく、生活の中で、電子メールに頼りきっている弊害だろう。
しかし思ったのだが、別に書き損じた便箋を、丸めて捨てる必要はない。
裏返して二つに折るかして、メモ帳にでもすれば、再利用できるのである。
「書き損じた」と思ったら直ぐに「丸めてポイ」。
このパブロフの犬の如き動作は、一体、何処から刷りこまれたのか。
それは、テレビ映像なのではなかろうか。
テレビドラマなどでよく出てくる、昭和の純文学作家の仕事風景。
と言えば、大抵、裸電球の下、作家は文机に向かっており、
苛立ちながら頭を掻き毟り、書いた原稿を丸めては捨ている。
紫煙渦巻く薄汚い四畳半は、丸められた原稿で、散らかり放題。
この光景が意識の中に刷り込まれ、書き損じた時に条件反射を引き起こす。
と言う線が濃い気がする。
しかし実際のところ、多くの作家が、この「丸め捨て」の動作を反射的にしていたのか、
気になる。

840声 一里塚のヒッチハイク

2010年04月19日

今日、ヒッチハイクを見た。
高崎市から安中市へと向かう、昼下がりの国道。
盛る陽射しを避け、一里塚の脇に聳えている榎の大木の影に、立っていた。
背の高く、サングラスをかけて、金髪をなびかせている、二人の男女。
その傍らに、大きなバックパックが置かれているので、どうやら、
「バックパッカー」なのだろう。
白人男性が、掲げている紙には、行く先の都市名がローマ字で太書きされている。
私の走る対向車線からは、その行く先までは確認できなかった。
しかし、旧中山道に在る一里塚を目印に、ヒッチハイクするとは、
中々、旅慣れているではないか。
日本古来の文化を学んだか、はたまた、旅人の直感がそうさせたか。
ともかくも、GoodLuck。

839声 前橋映画漫歩

2010年04月18日

今朝起きたものの、ぽっかりと、午後の時間が空いていたので、
突発的に映画館へ行く事にした。
そうと決まれば、まず、インターネット。
と言う事務的な手続きが、日曜日の漫ろな雰囲気を壊すのだが、
映画や公共交通機関のような、時間が決まっているものは、
やはり下調べが必要である。
場所は、決まった。
「シネマまえばし」、と言う事に。
この映画館。
昨年末に開館した事は知っていたのだが、中々、行く機会に恵まれなかった。
以前にあった、前橋テアトル西友の頃、私は学生時分と言う事もあり、よく出掛けた。
持て余していたおぼろげな時間を潰すべく、平日の昼間から潜り込んで、
邦、洋問わず色々な映画を観た。
そんな場所で、懐古的な気持を携えながら、観て来た映画は、「座頭市物語」。
名画座の映画館。
なので、上映している作品は、過去の名作。
館内には、古参の映画フリークと思しき観客が多い。
勝新の座頭市は初めて観たが、聞きしに勝る、痛快な映画であった。
良い映画を観た後は、家路を急ぎたくない。
何故か、寄り道して時間を潰したい、心持になる。
そんな訳で、ぞぞろに商店街へと足を伸ばし、ふらりと入った店で、
チョコレートパフェを食べた。
三十(いや、未だ二つ若いが、それに近い)男が独りで、喫茶店の隅の席。
薄明かりの下、柄の長い銀スプーンで、チョコレートパフェを突いている姿と言うのも、
痛々しい侘びしさがある。
知り合いに見られたら、と言うリスクを背負う事は分かっていたが、
食べたい衝動を抑制できなかった。
そそくさと食べて、そそくさと勘定を済まし、すまし顔で、そそくさと帰って来た。
駐車場まで着いて、一安心。
車に乗り込み、ふとバックミラーを見ると、唇の端にクリームの付いた、
三十男の間抜けな顔。

838声 前後不覚

2010年04月17日

「お先に失礼します」
ひと声かけて出て行ったのは、常連のおじいちゃん。
その佇まいから推察するに、傘寿と米寿の間くらいの御歳だろう。
私との年の差、約半世紀。
「歩く銭湯の入浴マナー」とでも言う様なおじいちゃんの、その「精神」を、
文化財登録する術はないものか。
などと考えつつ、湯船の熱い湯に、必死に浸かっていた。
いささか風邪気味であったが、汗と一緒に風邪の野郎も叩き出しちまおうってんで。
その行為から、思わず文面が落語付いてしまうが、
ともかく、そう言う事で銭湯へ行った。
そして帰る時は、足取り覚束かず、前後不覚。
熱が上がって前後不覚なんだか、湯あたりして前後不覚なんだか。
おそらく、両方だと思う。
とんだ療法になってしまった。
駄洒落も前後不覚。
ならば今度は、麦酒を飲んで、小便と一緒に風邪の野郎も叩き出しちまおうってんで。

837声 美人と思しき赤城山

2010年04月16日

裏の顔を見てしまった。
そこにあったのは、普段見慣れている優しい顔ではなく、とても険しい顔だった。
その顔の持ち主は、赤城さん。
いや、赤城山である。
先週末、マラソンの用事があって、伊勢崎市街地から旧境町方面へと足を伸ばした。
広瀬川のサイクリングロード、春爛漫の沿道を走る。
頬を撫で行く心地好い春風が、額に浮かんだ汗を冷やす。
快走していながらも、何だか気になるのが、遠くに見える赤城山。
険峻なのである。
私の記憶に馴染みある赤城山と言えば、高崎市方面から眺める赤城山。
頂上から緩やかに弧を描いて伸びる、稜線が印象的な、
そこはかとなく女性的な「美」を連想させる赤城山。
そこには、伊勢崎方面から眺めた時の様な、険しさがないのである。
一緒に走っていた、伊勢崎地元民に訪ねてみた。
「こちらから眺めると、赤城山が、随分と険しいようです」
「いや、これが伊勢崎市民が見慣れた、いつもの赤城山だよ」
「そうですか、しかし、私の知る赤城山はもっと美人です」
そうなのである、以前にも書いた事があるが、私が見ている赤城山が、
県内で一番美人だと思っている。
つまりは、赤城山が一番美人に見える場所を知っている。
と言う事だ。
その場所とは、いや、ここで筆を止め置こう。
「美人薄命」
なんて、縁起の悪い言葉もあるから。
上毛かるたにもある、「裾野は長し赤城山」。
赤城山のみならず、頭に思い浮かべる故郷の山、その容姿は人それぞれなのだ。
私はどうやら、赤城山とは、良い出逢い方をしたようである。

836声 べそかきっ子

2010年04月16日

4月も、後半戦に差し掛かる。
新入生あるいは新社会人も、そろそろ、新しい環境に慣れて来た頃ではなかろうか。
とは言え、私の家の近所の、あれは小学校低学年生、と思しき男の子。
まだ毎朝、べそをかきながら、お母さんに手を引かれて、往来まで送り出されている。
毎朝すれ違う、駄々をこねるその男の子を、
何故か他人事でない様な心持で、見つめている。
それも、ゴールデンウィークくらいまでの辛抱だろう。
すぐに、友達ができるさ。
負けるなよ、少年。

835声 春の嵐

2010年04月14日

今日は、上越線、高崎駅から北の一部区間で運休が発生。
県内に限らず、列島各地に吹き荒れた強風の影響である。
巷の桜も、もはや葉桜。
舞い散る桜も、ここまで強風に吹かれていると、風情もへったくれもない。
風情どころか、花粉の飛散量が尋常ではなく増加し、私などに至っては、
いささか体の具合が悪い。
今朝、起床した瞬間から、鼻水がタラーッと垂れている始末。
更に始末が悪いのが、咽の痛み。
寝ている時、鼻が詰まって口で息をしていた為か、はたまた、
鼻水が咽に垂れて来て、炎症を起こしたか。
何れにせよ、鼻腔と咽が交差するY字路付近に、不快感かつ痛みを感じるのだ。
全く、春の嵐と言うのは、「はな」に悪い。

834声 郊外の日帰り温泉

2010年04月13日

郊外の日帰り温泉
湯上り午後の陽盛りに
生麦酒を飲んでいる
よちよち歩きの男の子
可愛いおべべは桜色
丸いおめめは硝子玉
よちよち歩きの男の子
優しき空気に包まれて
白き時間と戯れる
郊外の日帰り温泉
湯上り午後の陽盛りに
生麦酒を飲んでいる

833声 熱湯熱望

2010年04月12日

逃げ切れかった。
と言うのも、昨日のマラソンの報いで、主に両足大腿部から両肩肩甲骨付近にかけて、
極度の筋肉痛である。
それ伴って、全身倦怠かつ虚脱感に苛まれている。
終日、子供をおぶって仕事をこなしていた様な、体の重さを感じていた。
こう言う状態に効くのが、熱い風呂。
と思い、昨日、マラソン終了後に寄った、日帰り温泉。
数ある湯船の中から、一番熱い温度の湯船を選んで、じっくりと浸かっていた。
しかし、どこか物足りない。
そこはかとなく、浸かっている時間を持て余す様な気がする。
そして、求めるのはやはり、更に熱い湯がある、街の銭湯。
普段ならば、修行の足りない私は、銭湯の熱い湯の中で寛ぐ、
と言う境地まで達していない。
刺す様に熱い銭湯の湯、極度の筋肉痛で、いささか皮膚感覚が鈍っている今ならば、
心中穏やかに、気持良く浸かれるのではなかろうか、と思っている。
ジェット噴射を背中に受け、あの熱い湯の中で鼻歌でも歌いながら浸かれば、
さぞや気持が良いだろう。
銭湯へ行きたし。
と思えども、其処へ伸ばす足が、筋肉痛で億劫なのである。
よって今日は、足の伸ばせない家風呂。
ガス給湯器の追い焚きボタンを連打し、むやみに温度を上げて浸かってみた。
浸かりながら、温度を上げたので、のぼせてしまった。
軽い頭痛が、御土産に付いて来た。

832声 マラソンの合間に焼きまんじゅう

2010年04月11日

緩やかに流れる広瀬川の土手には、菜の花や紫花菜が群生しており、
黄色と紫色で模様が描いてある絨毯を敷いたようだった。
そんな景色に、更に華やぎを添えるのは、所々で満開に咲いている、桜。
流れゆく、幻想的で鮮やかな風景を観賞しながら、
土手沿いのサイクリングロードをひたすら走って行く。
走る私の胸には、傾いたゼッケン。
今日のマラソン出場者、だからである。
マラソン。
と言えど、ピクニックの要素を取り入れた、「マラソンピクニック」であるので、
随分と気が楽。
順位や記録の計測が無く、途中の給水所も多く設けてあり、そして何より、
途中の忠治茶屋で焼きまんじゅうを食べて、また走るのである。
忠治茶屋に買い物に来た人は、汗みずくになって次々に駆けこんできて、
夢中で焼きまんじゅうを平らげ、去って行く私たちに、目が点になっていた。
ジョギング程度の速度で、一団になって気軽に会話しながら走るのもよし、
腕時計で記録を計測しながら、全速力で挑戦するもよし。
私などは勿論前者で、その方が自分の性に合っていると、つくづく感じた。
15kmを走り終え、無理をしない速度(競歩の様な速度)だったので、
体の負担少なく、しかし良い運動になった。
私は内心、杖をついて帰路に着く覚悟をして行ったのだが、そうならずに帰ってこれた。
日頃摂取して、蓄積しているカロリーを随分と消費できたのでなかろうか。
などと、安心していたのも束の間。
その後に寄った日帰り温泉で、フルマラソンを走ってもお釣りが来るくらい、
生ビールを五臓六腑にしみわたらせてしまった。

831声 不安咲く

2010年04月10日

心配事、有り。
先ず、起きて行けるか。
明日のマラソン会場へ、である。
不安の種は、麦酒の栄養を吸って、芽を出し花を咲かせている。
その花を眺めながら、また一杯ならぬ、また一缶。

830声 快楽と苦痛のハイボール

2010年04月09日

いささか、胸やけ。
しているのは、つい先程、酔って牛丼チェーン店に立ち寄って、
牛丼を食べたからである。
梯子酒の「締め」って事で、最近、牛丼チェーンに吸い込まれてしまう傾向がある。
常々、「豪奢な酒宴」ってのに憧れを抱きつつも、
種々の事情から(要は金銭に起因するのだが)、それを中々実現できないでいる。
縄暖簾で、瓶麦酒からハイボール、熱燗へと移行して行くのが、精一杯。
中世ヨーロッパ貴族は、小作人から吸い上げる財で、夜毎の饗宴を繰り返す生活。
贅を尽くした酒や食材を楽しむが余り、満腹になると退席し、一旦吐いてから、
また飲めや歌えの大饗宴に現をぬかしていた。
なぜか、本で読んだそんな事柄を考えつつ、モツ煮で一杯やっていた。
回転寿司で、一番値段の高い皿を注文して、
「どうだい、俺も豪奢なもんだろ」などと威張っている私とは、訳が違う。
しかし、そこまでして、饗宴を取り繕うのは、快楽と言うより苦痛である。
私がその立場だったら、そう感じるだろう。
と思う事で、現状を、今飲んでいるハイボールの様に、
薄めて薄めて、やり過ごしている。

829声 リリーの夢

2010年04月08日

「そうですか」
と、その話を聞いた瞬間、思わず大きな声が出てしまった。
急いで新聞を手に取り、丹念に記事を読んで、漸く落ち着いて感慨に浸る事ができた。
紙面は、”「寅さん」ゆかりのバス停小屋を復元”と言うもの。
それは、旧六合村、国道292号線沿にあったバス停。
過去形なのは、2006年に倒壊してしまったから。
このバス停は、寅さんフリークの間では、言わずもがな、思い出の場所。
この場所は、男はつらいよ第25作「寅次郎ハイビスカスの花」の、
ラストシーンに登場したバス停なのである。
盛夏。
濃い日差しが照りつけている、山間のバス停。
バス停でバスを待っている寅さんと、通りがかりのバスに偶然乗っている、
ヒロイン松岡リリーとの掛け合いは、フリークの間ではあまりにも有名なシーン。
その舞台が、復元され、観光スポットになったのだ。
4,5年前、伊勢崎市の寿司屋だったと思うが、寅さんそっくりの友人と、
このシーンの掛け合いをして、盛り上がった事を思い出す。
その友人が数年後、マドンナと一緒にこの場所で写真を撮影しに行った際には、
バス停が既に倒壊した後だったので、道には何も無かった。
その写真を見た時には、いささか寂しい気持ちになったので、
今回のニュースは一層、嬉く思える。
今度は、寿司屋で酔っ払った勢いでなく、この復元されたバス停で是非、
掛け合いをやってみようと思う。
いや、私がやるのでは、いまいち雰囲気が出ない。
寅さんそっくりの友人とマドンナを引っ張り出して、演じてもらう。
私は腕を組みながら、そのシーンを横で見て、ほくそ笑む。
つまりは、あのスクリーン中の映像ごと、再現してしまうのだ。
考えただけで、男はつらいよをもう一度、見返したくなってくる。

828声 満開の桜と教室の蒼白

2010年04月07日

昨日今日と、巷の学校では入学式が行われていた模様。
新一年生が、両親と一緒に学校脇の歩道を、何処か不安そうな足取りで、
歩いて行く姿を見掛けた。
群馬県平野部では、校庭の桜も満開。
なので、今年は華やかな入学式となっただろう。
桜を見ると、何故か昔の故郷を思いだしてしまう。
中学校の新一年生だった頃。
今時分の私は、教室にいた。
入学式も終わり、始めて入る教室、始めて座る席。
正午の少し前、陽が入り込む教室は明るく、硝子窓の向こう、校庭の桜は今まさに満開。
名前名簿順に席へ座り、担任の先生の話を聞いていた矢先、突如としてあがった悲鳴。
教室の入り口付近に座っているI君が、戻してしまった。
つまりは、突然ゲロを吐いてしまったのだ。
騒然となる教室内。
教室後ろで見守っていた保護者たち。
突然の事で、状況を飲み込めずに、茫然と静観している。
張り詰めた空気を裂いて、初めに駆け寄ったのは、I君のお母さん。
ハンカチで汚れた所を、一心不乱に拭いている。
私を含む、小学校からの友人たちもおろおろと駆けより、
先生の指示を聞いて聞かずか、掃除用具入れから雑巾を出して、拭く。
羞恥心と悔恨とが混ぜこぜになり、皆に雑巾で拭かれながら、半べそかいてる、I君。
私は吐瀉物を雑巾で拭きながら、内心、「えらい所に来てしまった」と思った。
そして、「大丈夫大丈夫」と、人形の如く顔面蒼白になっている彼の肩を叩きながら、
「こんな所からは、一刻も早く帰ろうぜ」と、呼びかけていたのだった。

827声 湯屋問答

2010年04月06日

高崎市内の銭湯でも、特にここ「藤守湯」の湯は熱い。
その所為か、浴室内の人は皆、小気味良く湯を浴びている。
サッと熱い湯に入り、サッと汗をかいて、サッと拭いて出て行く。
常連さんたちは、熱い湯との付き合い方が上手い。
爽快に湯を浴びる方法を、心得ているのだ。
その伝で行けば、私などはまだまだ修行が足りない。
烏の行水で、何度も出たり入ったり。
夜も深い時間。
人気の無い浴室、貸し切り状態で、足を伸ばして浸かる湯船。
湯気の満ちる浴室に流れるBGMは、軽快なJAZZ。
浴室の硝子戸に貼ってある、逆さクラゲの温泉マーク。
おそらく、手作りのシールであろう。
その愛嬌ある、凸凹の温泉マークを眺めながら、考える。
明日は会社だな。
そんな事は些細な事。
本が余り売れてないな。
そんな事は些細な事。
財布が随分と薄くなったな。
そんな事は些細な事。
私が一向にモテないのはどういう訳か。
そんな事は些細な事。
そう言えば、今日はフルーツ牛乳が残っているだろうか。
それが今は重要な事。
不意に硝子戸が空いて、お爺ちゃんが独り。
あらあら、背中にトクホン貼ったままだ。