日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和6年度は4月(ぬ)5月(岡)6月(す)7月(堀)8月(坂)9月(ぬ)10月(岡)11月(す)12月(堀)1月(坂)2月(ぬ)3月(岡)の順です。

796声 私の富士

2010年03月06日

ペンキ絵が、私の部屋には、有る。
銭湯の象徴である、あの富士山の絵が、飾ってある。
作者は高名なペンキ絵師である、中島絵師。
その絵が、今夜は無い。
無い。
と言っても、今日、自ら持って行ったのだ。
持って行った先は、「ほのじ」。
明日、同会場でささやかなるパーティーが開かれるので、
来場した人たちに観賞してもらおうと思い立ち、壁から外した。
外は雨。
ペンキ絵が外された壁を、眺めている。
部屋に漂っているのは、そこはかとない、寂寞。
晴れの日、曇りの日、朝、夕に関わらず、いつも澄んだ青空に聳えていた富士山。
それが、今日は見えない。
なんだか、調子も出ない。
ような気が、しないでもない。

795声 桐生人

2010年03月05日

「後は振り返らず、前だけを向いて歩いて行く」
その銭湯の店主は、お猪口の冷酒をさらりと飲み干してから、そう言った。
ここは桐生市の銭湯。
それも、食事のできる銭湯なのである。
毎度、桐生市に来ると感服して帰路につく事が多い。
街中を歩くと、県内でも、独自の文化形成をしている面白い街だと、感じる。
それは、「桐生」と言う土地が育んだ、「桐生人」と言う、
固有種類の人たちの影響ではなかろうか。
と思わせてくれるほど、桐生生まれの桐生育ち、根っからの桐生っ子、
つまりは「桐生人」の人たちが、面白いのである。
「どう面白いのか」
と問われれば、いささか口籠ってしまうが、一口に「活力」が違うのである。
多種多様で突拍子もないイベントをやっていたり、
街のど真ん中で、八木節を三日間も踊り狂ったり。
お節介、と感じられると思いきや、センスが良いので、嫌味な感じがなく、
結果、もてなし上手と言う印象を受ける。
そうなのだ、本町通り周辺の幾つかの施設なんて、抜群にセンスが良いではないか。
それは勿論、銭湯も然り。
そして今宵も感服しながら、帰路についた。
もし、桐生市の何処かの銭湯へ入浴する機会があったなら、きっと読者諸氏も、
私と同じように、感服を禁じ得ないだろう。

794声 食堂における食育の行方

2010年03月04日

「じゃあ、タンメンください」
「はい、タンメンがひとつ」
「あっ、タンメンにぃ、ネギとニンジン入ってますかぁ」
「はい、ニンジンが入ってます」
「えーっ、じゃあぁ、ニンジン抜きって、できますかぁ」
「はい、大丈夫ですよ、タンメンのニンジン抜きが、ひとつ」
この会話は今日の昼、行きつけの食堂で、小耳にはさんだ会話。
ラーメンを啜っている私の横を、騒々しく通り過ぎる、おばちゃん3人組。
PTA役員会定例会議後の、小学校高学年生を持つ、お母さん。
彼女たちの風体から、一目で推察すると、そんなところではなかろうか。
席に着くや否や、「煙草臭い」と、店内に渦巻く紫煙を眺め、
お互いに眉間に皺を寄せている。
斜向かいのテーブルで、美味そうに食後の煙草を燻らせている、親父さん。
3対1では、いくら常連だって立つ瀬がない。
少し肩をすぼめ、新聞に向かって、弱々しく煙を吹きかけている。
店のおばちゃんが注文を聞きに来て、いざ注文ってな段取りになると、
注文が多い。
店のメニューに、である。
つまりは、そのおばちゃん3人組、好き嫌いが滅法多いのである。
ネギが嫌でニンジンが嫌、ご飯が多いのが嫌でぬか漬けのおしんこが嫌。
「好き嫌い言わないの」
と、人生の先輩であり、他人の母親に、思わず心の中で突っ込んでしまった。
世代的な背景もあるだろうが、好き嫌いが多い親は、どうやって子供に食育するのか。
しかしながら、ファーストフードやファミレスではなく、
地元の食堂に来たと言う事だけでも、評価すべきであろう。
春キャベツや新たまねぎ。
菜の花やふきのとう。
セロリに、たけのこに、アスパラガス。
野菜から、春の香りを感じ、摂取する事によって、体も春に順応して行く。
「旬の野菜は美味いぞ」
ニンジン抜きのタンメン食ってる、母ちゃんたちよ。

793声 身過ぎ世過ぎの荒療治

2010年03月03日

目にきている。
花粉が、である。
目薬を差しつつ、何とか目のかゆみごまかしながら、
どうにかこうにか、身過ぎ世過ぎしている。
これが、今少し季節が進むと、目の他に鼻の具合が悪くなってくる。
うららかな春の日差しの下、目を腫らし鼻水を垂らしていると言うのも、
何か、人生の内で大切な期間を失っている様な心持である。
今も、どうも瞼が重くていけない。
この時期は慢性的な眼精疲労感に苛まれ、四六時中目が半開きになっている。
すると、瞼の奴が勘違いして、早く店じまいをしようとしてしまう。
つまりは、次第に瞼が下がって行く事によって、脳神経へ伝達され、眠気が起こる。
四六時中、瞼が下がってくると言う事は、四六時中、眠いと言う事なのだ。
眠い時と言うのは、やはり、思考の働きが芳しくない。
反対に、眠気を寄せ付けない、昂揚している時と言うのは、思考の働きが良い。
文章とは、そう言う時に書くものだと、つくづく痛感している。
眠いけれど、それでも書く、と言うのは体に悪い。
私の知り合いで、これも酷い花粉症の人がいる。
もう、幼少の頃から、筋金入りの花粉症なのだ。
或る穏やかな春の休日。
その子の父親が言った。
「おい、某太郎、山へ行くぞ」
訳も分からぬまま、親父に近所の山へ連れて行かれた某太郎は、
そこで、親父からある物を手渡された。
「ほら、これがスギ花粉の実だ、これを食べれば花粉の免疫が出来て、
一発でお前の花粉症が治る」
とんでもない荒療治だが、某太郎、断言する親父の迫力に気押されて、
目を擦りながら、その実を数個、飲み込んでみた。
翌日の某太郎。
全身に湿疹が噴出して、親父と一緒に病院へ直行する事になった。
この様に、荒療治と言うのは、往々にして良い結果を招かない。
眠い時は書かずに寝る。
と言う健康的な対処法に則りたいのだが、今の所、湿疹などの諸症状が出ていないので、
ごまかしごまかし、書いている次第である。

792声 前橋の独演会

2010年03月03日

何とか間にあった。
と言うのも、今夜は前橋に出掛けていて、今は日付変更線の瀬戸際で更新作業をしている。
用事があった。
その用事とは、などと、自らの予定を明確にすると、
都合の宜しくない事態も招く恐れがあるが、いささかの酔いに乗じて書いてみる。
用事とは、前橋テルサで行われた、「柳家小三治独演会」を観に行く事。
仲間、数人と観に行ったのだが、会場はもうほぼ満席。
その善し悪しを弁ずる耳を持ち合わせていないので、演目だけ述べると、
「小言念仏」と「禁酒番屋」だった。
そして勿論、毎度、その落語には聞き惚れてしまう。
会終了後は、前橋千代田町界隈路地の奥底。
そこから這い出て来て、自宅へ辿り着いた。
帰路途中、やはり、牛丼を食べてしまった。
往路で降っていた小糠雨は、帰路では止んでおり、
フランク永井の曲をうろ覚えで鼻歌いながら、雨上がりの道、風を切る。

791声 誤りを、あやまります

2010年03月01日

「つきものはつきものだが…」
と、がっくり肩を落としていた。
「つきもの」っても、私に長い間憑いている、貧乏神の事ではなく、
誤植の事である。
この誤植ってのは、三国志で有名な中国の三国時代における、
魏の国を抜かした残りの二国。
などと、ギャグの切れ味も悪い今日この頃、と言う状態であった。
印刷物上の文字や数字、記号などが誤って記載されている事を、「誤植」と言う。
先般発刊した私の本にも、数点見つかり、落ち込んでいた次第、と言う訳である。
しかし、それを分かっていながら、尚も、数軒の銭湯の方々から、
お礼の手紙や購入希望の連絡も頂き、気を持ち直した。
持ち直すのが早いが、なんの、早メシ早グソ芸のうち。
なんて言っているから、誤植に気付かないのだ。
親が死んでも食休み。
以降当面は、これを念頭に置いて生活して行こうと思う。
そして、自分の試みに誤りは無い、と信じる事にする。

790声 雨上がりの朝

2010年02月28日

「今、みんなで読んでますよ」
とか、
「よく撮れてるねぇ」
とか、
「いや、ありがとうさんね」
など。
郵送してあった本が、この週末、一斉に届いてくれたようで、
私の元に、数軒の銭湯の方々から、続々と連絡が寄せられている。
「かえって迷惑になるのでは…」
と言う、自らのお節介根性への煩悶が、胸の奥で小さな塊になっていた。
電話口から聞くそれらの声に、その塊が、徐々に氷解してゆく感覚を覚えた。
そして、今度はカメラやメモ帳は置いて、手拭一枚持って再訪しようと、心に決めた。
「こちらこそ、ありがとうございました、では、ごめんください」
電話を切って、ふと、窓の景色に目をやる。
先程まで、驟雨を降らせていた鉛色の雲間から、直線的な朝の陽。

789声 伸びて行く方向

2010年02月27日

予報は雨。
と言う情報通りに予想していた天気は、はずれ。
早朝から雨雲が切れ、快晴の一日となった。
青空。
と言っても、霞がかった淡い空。
たなびくほど風流な春霞もない、どこか間の抜けた、青空。
つられて私も、間の抜けた顔で、この「めっかった群馬」のアクセス解析を見て、
目を見張った。
霞は一気に吹き去り、抜ける様な秋空。
そんな、心持になった。
アクセス数が高いのである。
異常とも言えるぐらい、高い。
と言っても、元来が低いので、そう感じた。
早速、解析結果を見るに、幾つかの要因が分かった。
まず最近、2、3の心あるブログで、昨日発売した本を紹介してもらった事。
そして、Yahooカテゴリの「地域情報」、「群馬」の「エリアガイド」に登録された事が、
最大の要因となっているらしい。
私など、「めっかった群馬編集長」と名乗っているが、IT分野に関しては、
けっして明るくない。
むしろ、暗い。
IT用語も然りで、「ソリューション」とか「エビデンス」などと言われると、
徐々に目の前が暗くなってくる。
そしてこのサイト自体が、路地裏的日陰サイトだが、少しは、
日当たりの良い場所に出られた。
やはり、伸びて行く方向に陽が当たるようだ。
太宰治の「パンドラの匣」じゃないけれど。

788声 スモールパブリックビューイング in 食堂

2010年02月26日

そわそわそわそわ。
終始、落ち着かない。
私が席へ着いて、お茶を運んでくれるおばちゃんが、である。
今日の昼過ぎ、行きつけの食堂の暖簾をくぐった。
いつもの席へ座って、気付いた。
店内の空気感が、普段と違う。
いつもの駘蕩とした雰囲気でなく、その場、点在して座っている客が醸し出す、
緊張感を帯びて、張り詰めている。
小気味良く動いているおばちゃんも、今日ばかりは、心此処に非ず。
チラチラと、視線を送るその先には、ブラウン管テレビ。
映っている映像は、フィギュアスケート女子。
そうかそうかと、合点。
今日は、バンクーバー五輪、女子のフリーの決勝である。
今から、注目の日本人選手が、前回の2006年トリノ五輪において、
金メダルを獲得した荒川静香に続いて、メダルが取れるかどうかと言う天王山。
なので、皆、魂がテレビに吸い取られてしまったかの如く、夢中。
「あっ、真央ちゃん真央ちゃん」
って、店のおばちゃんは浅田真央ファンらしい。
あそこの、ラーメンの麺を箸で摘み上げたまま、固まっているおやっさんは、
どうやら、安藤美姫ファン。
その後ろで、チャーハンをもぐもぐやっている兄ちゃんは、キム・ヨナファンと見た。
店を辞して、夕方。
私はPCの前、ネットニュースで結果を知った。
「キムヨナ金、浅田が銀、安藤5位で鈴木が8位」
やはりスポーツ観戦は、一つのスクリーンを大勢で観るに限る。
空気感から伝わる緊張感。
手に汗握る状況で観戦してこそ、楽しみを得られる。
観ている人たちが、醸成する空気。
市井の中で、その空気感を感じれる場所。
それは、劇場や映画館などの映像や音響設備が整った場所だけでなく、
食堂のテレビだって、大いに楽しめるのだ。

787声 明治から平成へ伝える昭和の文化

2010年02月25日

銭湯に関する原稿や、銭湯に関する質問に答える機会が、ここ最近増えた。
その作業の中で、自分でも発見させられる事が、多々ある。
今日、ふと発見したのが、県内には、昭和一桁に開業した銭湯が、
未だ多く残っていると言う事。
昭和元年だったり2年だったり。
と言う事は、勿論、戦前。
太平洋戦争の前であるが、遡れば、満州事変が勃発したのが、
1931年(昭和6年)なので、15年戦争よりも前、と言う事になる。
戦争末期の本土空襲の時分には、県内の主要都市も、随分と犠牲になった。
と言う資料を読んだり、確か、学校の授業でも習った事を憶えている。
運よく戦災を免れ、その後の市街地復興の一翼を担った銭湯が、
現在でも、元気に営業しているのだ。
芸者さんに兵隊さん、明治生まれの人から平成生まれの人まで、皆、
銭湯へ通った事がある。
そう考えると、やはり、銭湯は文化であり、今までより一層、
「伝統的」って言葉の重みを感じざるを得ない。
街では伝統的な銭湯が、今日も湯を沸かしている。

786声 本と交換

2010年02月24日

遂に出来上がった。
と言っても、未だ一部だけ。
銭湯の本、つまりは、「群馬伝統銭湯大全」が、である。
今晩の話であるが、製本所から一部を引き取り、
その足で市内の銭湯へ配りに行った。
夜も更けていたので、寄れたのはほんの数軒。
番台のおばちゃんに本を渡すと、大いに喜んでくれて、
私はそれだけで、既に、本望だった。
帰り際、「じゃあ、ジュース飲んで行き」って、ジュースをくれた。
それが、伺った全ての銭湯がこぞってくれたので、帰路へ着く頃には、
両手に抱えるほど、ジュースが増えた。
現在は、ファイブミニを飲みながら、この文章を書いているのだが、
書き終えたら、オロナミンCを飲むつもりである。
そして、風呂上がりには、三ツ矢サイダーを飲んで、
寝る前にアセロラドリンクを飲んで、今日の所は、一先ずおしまい。

785声 ホースリールは蛙天国

2010年02月23日

温暖であった。
今日終日、風も穏やかで春の温かさが街を包んだ。
明日も、関東地方の気温は二桁になろうかと言う温かさなので、
早咲きの河津桜も、今週末あたりで散り始めてしまうのではなかろうか。
そして、「河津」は「かわづ」でも、田圃の「蛙」の方も、そろそろ姿を表す頃。
桜も蛙も、どちらも春の季語である。
そう言えば、正月。
暇を持て余し、久しぶりに自家用車でも洗おうと、
庭のホースリールから、ホースを伸ばした。
ぐるぐる巻きになっているホースの先端部を掴み、力一杯、引っ張る。
リールが回転し、リールから解かれたホースが出てくる瞬間、
何やら小さい物体が、2、3跳ね跳び、地面に落ちた。
手を止め、近づいて確認してみると、蛙。
体長3、4cmのヒキガエルである。
冬眠していた為か、その動きはよろよろと敏捷性を欠いており、
体の色も、セメント色をしていて艶が無い。
「こりゃ失敬」
慌てて謝罪をし、蛇口をひねってホースの水を浴びせてやった。
蛙たちは、しばし驚いたような顔をしていたが、真ん丸な目を2、3回瞬きすると、
水道の影、じめついた暗がりへ、ぎこちなく跳ねて行った。
明朝あたり、ホースリールからあいつ等を叩き起こし、
我が俳句創作の餌食にでもしてやろうかしら。

784声 関連と魅力

2010年02月22日

平成22年2月22日22時22分。
と言う状況下に、この文章を書いている。
2のゾロ目であるが、そんな事を気に止めているのは、私ぐらいで、
世間は何一つ変わらずに流れて行く。
しかし、2月22日生まれで、今年平成22年に22歳の誕生日を迎えた人にとっては、
並々ならぬ想いで今日を過ごした事だろう。
「2」と言う、自分に関連ある数字に、魅かれる筈である。
関連が無くとも、魅かれるものだ。
と、半ば感心したのが、先週末に乗った、特急列車での事。
吾妻や水上の温泉地へ向かうその列車に、新前橋駅から乗車したのだが、
その時点で車内はほぼ満席。
そして、ざわめく車内の酒臭い空気。
その既に出来あがっている雰囲気から推察するに、高崎駅でなく、
その大半が、始発駅の上野か、大宮辺りからの乗客。
列車が、渋川駅に着くや、約三分の一の乗客が下車して行く。
若い女性客の姿が目立つ。
これは、伊香保温泉の湯客。
次は中之条駅で、残り二分の一。
目立つのは、家族連れや会社の同僚風の湯客。
これは、四万温泉や沢渡温泉かな。
続いて、川原湯温泉駅
何やら、訳有り風のカップルの姿が散見される。
そして、列車が長野原草津口駅に入線すると、残り乗客の大半が席を立つ。
若いカップルから、年配の夫婦まで、幅広く多彩な客層である。
草津温泉ないしは、尻焼、応徳、辺りの温泉を目指すのであろう。
万座温泉を目指す私は、終点の万座鹿沢口駅まで、静かな車内で快適な旅情を味わえた。
都会の観光客が、こぞって温泉地を目指す、温泉地のみを目指す。
列車から、更にバスで何十分と言う苦労を厭わずに。
それが少しでも、途中で通過してくる、高崎駅、新前橋駅で途中下車してくれたら。
と思うのは、土地に関連在る私の見解で、関連と魅力は必ずしも、比例し得ない。

783声 白銀世界で俳句三昧

2010年02月21日

旅帰りの部屋。
現在時刻は午後4時半。
窓から差し込む午後の光線は、薄い橙色になっている。
時折遠くで聞こえる、カラスの鳴き声が、寂寞とした心を誘う。
「第13回ワルノリ俳句」の為、昨日から万座温泉へ一泊で行って来た。
新境地を開拓。
とは大袈裟だが、俳句だけに専念できた二日間であり、いささかの習熟を感じている。
体は使わずに脳を使う。
まさに、そんな旅だった。
そして、体は勿論、疲れていないのだが、内臓、特に胃と肝臓が集中的に酷使された。
それなのに、万座温泉の効能なのか、体調はすこぶる良好である。
行き、新前橋駅から乗った特急。
自由席は、ほぼ満席。
目立つ空席予想していた私たちは、いささか面喰ってしまった。
電車にバスを乗り継いで、スキー場の山間を縫ってとぼとぼ歩き、
辿り着いたのは、山の天辺に在る温泉宿。
日常世界から逸脱すると、人はこうも欲望に忠実になるのだろうか。
ってな程、宿泊者ってのは、過剰に、食うし飲むし寝る。
そして万座言う土地柄、スキーを滑るし温泉へ浸かるし、
まさに観光客の別天地と言える。
そんな土地で、私たちは部屋に籠り、うずくまる様にして、五七五。
俳句三昧。
を決め込んで、二日に亘って俳句ing。
帰りは、小春日和の好天に誘われ、何故か高崎駅前の店で、俳句の発表。
発表を終えて、帰路へ着き、帰りの電車で一固まりになっている、私たち。
体から発する、温泉特有の硫黄臭に、苦笑い。

782声 2月の土曜日

2010年02月20日

カーテンを開けると、快晴。
部屋の中へ、真っ直ぐに傾斜する、薄い朝日。
淡い空色に、小さい鳥たち、思い思いに飛び、囀り合っている。
山の稜線がくっきりと見える。
未だ2月、冬の気候なのだ。
これが、3月になると、春の霞が掛かって、山の稜線が薄らぼんやりしてくる。
気温が温暖になると共に、淡い空色は、もっと淡くなる。
そして今日は、春に向かう気候に逆行し、厳寒の真冬を思わせる、
深山幽谷へ行く事になっている。
しかし、行って見れば、穏やかな春の山かも知れない。
それでは、万座温泉を味わうには物足りない。
旅者の我儘であるが、はらりはらりと、可憐に粉雪が舞う雪渓を眺めながら、
一杯やりつつ、一句詠みたい。
さて、そろそろ、私の土曜日が動き出す。

781声 生きている雰囲気

2010年02月19日

もう、後戻りは出来ない。
最終校正を終えて、印刷作業に入っている。
現在制作中の本が、である。
期待に胸を膨らませて待っているのだが、
その膨らみの中身は、不安の割合が多く詰まっている。
フェザーの割合が多いダウンジャケットは、使って行く間に、
所々から羽毛が飛び出してくる。
まさにそれと同じく、不安が脂汗となり、体の所々から染み出てくる様な心持がする。
焦っていた。
年が明けてからと言うもの、急きたてられるが如く、自ら「2月発売」と言う、
期限を科して製作を進めて来た。
小学生の徒競争。
前のめりに全速力で走るがあまり、ゴール寸前で足が縺れて転げてしまう。
振り返り見れば、そんな光景を彷彿とさせる、縺れ具合だった。
どうにか、ゴールテープは切れそうだが、未だ油断は出来ぬ状況下にある。
何故、其処まで。
と言う自問に、自答出来ぬまま、速度だけが出てきてしまった。
一寸、其処まで。
で始めた銭湯巡りであるが、いつのまにか、引き返せない急坂を全力疾走していた。
銭湯に漂う、「生きている雰囲気」を、私の稚拙な文章と、ピントのズレた写真で、
果たして表現出来たのか。
いや、出来ていないだろうが、希望的観測だけは持つ様に努めてみよう。
ともあれ、明日は万座温泉へ行く予定になっている。
温泉と麦酒と俳句に、現を抜かして来ようと思う。

780声 雪化粧の美人

2010年02月18日

今日の首都圏は朝方迄、小雪がチラついていた模様。
一方群馬県は、雲間から薄日射す、まずまずの好天。
午後からは、首都圏を含め、本格的に好天となった。
お天道様の顔を拝むのは、随分と久しぶりの様な気がする。
太陽の光が濃く風の薄い、駘蕩とした空気が流れる、午後。
関越自動車道を運転していた。
車の数は疎ら。
道路は空いている。
口を開けて待つ、一直線の高速道路を、滑るが如く、快適に走行して行く。
すると、必然的に、眠くなる。
眠くなると言うよりは、睡魔が意識を、断続的に断絶しようする。
その仕打ちは、もう暴力的である。
「行きはよいよい、帰りはこわい」
まさに、童謡にあるように、こわいながらも、ハンドルにしがみ付いていた。
高速走行中に意識朦朧とは、運転者として言語道断の暴挙である。
その都度、パーキングエリアに避難し、ブラックの缶コーヒをガブ飲みしてから、
本線へ戻る。
どうにかこうにか、高崎ICまであと1kmの看板。
前方視界、車道右側から望む景色の中に、赤城山の均整のとれたなだらかな丘陵。
薄く、雪化粧した赤城山の佇まいは、いつもより一層、美人に映った。

779声 低俗であれ

2010年02月17日

この文章の筆者は、近頃、慢性的に胃の痛みを感じているようだ。
毎食後、背中を丸め、眉間にしわ寄せ、下腹部をさすっている姿を、
しばしば見掛ける。
そう言えば、筆者の生活を見るに、「腹から笑う」って事が、年々減っている様である。
勿論、生活の中で頻繁に笑顔を作っているのだが、それがどうやら、
可笑しくて笑っているのではないらしい。
つまりは、社会人の常套手段である、愛想笑いってヤツ、なのだ。
では、筆者が一日の中で、可笑しみを感じて笑う瞬間は、何時なのか。
それは、勤めを終えて帰宅し、風呂上がりの麦酒を飲みながら、
だらしなく表情を弛緩させて、ぼんやりとテレビを見ている時。
それも、大人がしばしば批判の槍玉に上げる、低俗なバラエティ番組だ。
筆者、「くだらない」って事が、好きらしい。
そのテレビを見ている時は、胃の痛みも、一時的に沈静化しているようである。
言っている間に、リモコンを手にとって、チャンネルを変える。
バンクーバーオリンピック。
ほら、フィギュアスケート男子なんて、はらはらしながら熱心に見てるから、
胃の痛みが疼き出す。
また変えて、今度は論客が多数出演している、情報番組。
相撲の横綱の品格。
オリンピック選手の服装の乱れ。
国会で巻き起こる、「政治と金」の問題。
あらら、この筆者、また下腹部をさすりながら、呻いてるよ、まったく。
テレビを消して、徐にいつもの席へ着いて、PCの電源を入れている。
どうやら、今日の「鶴のひとこえ」を更新するようだ。
キーボードを、カチカチカチカチ。
えっと、何々。
テレビよ。
テレビのバラエティ番組よ。
低俗であれ。
もっと可笑しく、もっとくだらなく。
そう、もっと馬鹿で、もっと下品でもよい。
低俗であれ。