日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和6年度は4月(ぬ)5月(岡)6月(す)7月(堀)8月(坂)9月(ぬ)10月(岡)11月(す)12月(堀)1月(坂)2月(ぬ)3月(岡)の順です。

906声 読むとちゃんぽん

2010年06月24日

私には、ちゃんぽん癖がある。
ここで言う「ちゃんぽん」ってのは、長崎方面ではない。
そして、酒場方面でもない。
では何かと言うと、読書方面の、ちゃんぽんなのである。
読書におけるちゃんぽんとは、端的に言えば、一定時間の読書中に様々な本を読む、
と言う事である。
つまり、読んでいる小説Aを切りの良い所で止して、小説Bに手を伸ばす。
小説Bも早めに切り上げてしまって、読みかけの詩集Cの栞を外す。
詩集Cを読み終えて、また、小説Aを読み始める。
と言った具合に、少しづつ、色々な本をつまみ食い、ならぬつまみ読みしながら、
読み漁って行くのである。
私は、飽きっぽい性格でもないし、酒に関しても、
あまり手の込んだちゃんぽんはしない性質なのである。
しかし、こと読書に関しては、そこら辺に転がっている本がどうも気になって、
ついつい手を伸ばしてしまう。
然るに、本のちゃんぽんは酒のちゃんぽんと違い、読み(飲み)過ぎて、
二日酔いになると言う心配が無い。
酒のちゃんぽんは、次第に自らが飲んだ酒の総量を不覚し、過剰に痛飲してしまう。
本のちゃんぽんは、それに比べ実に清々しい。
様々な本を、とっかえひっかえ読む。
その心持はまるで、ドラえもんの道具である、「どこでもドア」の扉を開け、
好奇の心を持って別世界を渡り歩いているようである。
中には、ほったらかしになって、二度読みしてしまう本や、
すっかり忘れていて二度買いしてしまう本が、無きにしも非ず。
何事もほどほどに、と言う点は、本も酒にも共通しているようだ。

905声 S君といた夏

2010年06月23日

「締め切りを過ぎているのに書けない」
と言う、悲痛な呻き声をあげている。
のは、私でなく、今日メールをもらった知人である。
その知人が、どの雑誌で何を連載している、とここで書くと、
編集者の頭に生えた角が、更に伸びてしまうと思われるので、ここでは控える。
と言っても、週刊月刊の商業雑誌などではなく、同人誌風の穏やかな雑誌なのである。
私が小学低学年生の時分。
夏休みに、毎日毎日、意気揚々と遊んでいる友人S君に聞いてみた事がある。
「S君、毎日遊んでいるけどさ、宿題はいつやってるの」
「宿題なんてやってないもんね」
「えっ、宿題やんないの」
「宿題はやる、でも、今はやらない」
「なんで」
「だって、今からやったらさ、始業式には、やった内容、ぜーんぶ忘れてるぜ」
「だからさ、始業式の直前で一気にやれば、ぜーんぶ頭に入ったまま、
新学期に行けるじゃん」
「S君、すげーな、なんで気付かなかったんだろ、オレもそうしよっと」
「なーそうだろ、じゃ早く、アイス食いに行こうぜ」
ってな具合にその夏、S君から画期的かつ効率的な、
宿題勉強方法を教えてもらった、私。
目から鱗が落ちる思いで、その日から、直ぐその勉強法を実践に移した。
しばし宿題を放擲し、一緒になって意気揚々と、夏休みを遊び暮らした私たち。
しかし、遊び癖が染み付いた子供が、土壇場で計画的に宿題をこなせるはずも無い。
結局は始業式前日、我家恒例の夏の修羅場。
その渦中で、泣きべそかきながら鉛筆を握る羽目になった、私。
当然、宿題内容が頭に入るどころの騒ぎではない。
新学期の補習授業で、S君とたんまりツケを払ったのも、今や良い思い出である。
そして今日。
連載の締め切りに喘ぐこの知人に、失礼ながら、ふと、あの時のS君を思い出された。
そのS君、こと遊びに関しては、天才的なユーモアを発揮する、
誠に痛快な子供であった。
キリキリと宿題を計画的にこなしていた夏休み
(そんな夏休みはほんの数回であるが)よりも、
S君といた夏休みの方が、濃く思い出に焼き付いている。
とは言っても、子供時分の私がS君方式に丁を張るなら、大人になった私は、
計画的コツコツ方式に半を張るだろう。

904声 断続的惰眠

2010年06月22日

昨夜の事。
風呂上がり、扇風機の前で横になって涼んでいたら、そのまま寝入ってしまった。
目を覚ましたのは、朝方午前4時ごろ。
4時ともなると、もう空が白じんでいる。
思えば、昨日が夏至である。
「いつ間にか寝てしまった」
意識朦朧としている中、咄嗟に悔恨の念が湧いたが、
やはり起き上がれずに扇風機のボタンを押すのが精一杯。
また、寝てしまった。
梅雨の蒸し暑い日々が続き、汗と共に体力も流れ出ているのだろうか。
そして今朝方、今度は屋根を強く打ち付ける雨音で起きた。
気付けば、土砂降り。
窓を開けて寝ていたので、周辺が濡れてしまった。
甚大な被害を被ったのは、投げ出してあった文庫本数冊。
窓を締める為、寝床から起き上がると、肩にズシリと圧し掛かる疲労感。
不規則かつ断続的な睡眠によって、疲労感が残ってしまったようである。
気弱に吠える、近所の犬の鳴き声を聞きながら、深いため息ひとつ。

903声 進ましめるもの

2010年06月21日

久しぶりに、ちと、休める。
などと、淡い期待を持っていたが、気付けばそんな期待など、泡の如く消えていた。
と言うのも、一昨昨日、一昨日、昨日と、3日に亘って、
第900声記念特別企画を更新していた。
この内容を事前に作成しておいて、後は、当日に掲載するだけ。
と言う段取りを考えていた。
考えていたのだが、それを実行に移す余裕なく、結局、当日になってカチカチと、
夜半にキーボードの音を響かせている始末。
今回の企画。
その主役は「バス停」と「寅さん」である。
つい先程、ひとっ風呂浴びて、麦酒を飲みながらテレビを点けると、丁度、
「男はつらいよ 柴又慕情」が再放映されていた。
観ながら改めて思ったのだが、「麦酒」と「寅さん」ってのも、とても相性が良い。
今日を出ると、次に一息付けるのは、第1,000声と言う事になる。
遂に1,000の大台に乗るのは、およそ3ヶ月後、10月頃の予定。
その時は何かまた、気の利いた企画を用意するつもりである。
その地点までまた、走って行かなければならないのだ。
時に速度を落とし、時に歩く事になっても、常に一歩づつ、歩を進めねばならない。
自分の足を進ましめるもの。
そんな事は、道中で考えれば良いや。
とりあえず、武者小路実篤の詩ではないが、「進め、進め」。

902声 第900声及び上荷付場バス停復元記念特別企画「寅次郎ハイビスカスと花豆」後編

2010年06月20日

こんばんは、お待たせ致しました。
なんだ、昨日見た顔ばかりだね。
いや、結構結構、ありがとうございます。
今日は、いよいよ最終回の後編をお届けいたします。
今までの回を見逃がした方、安心して下さい。
今日から読めば大丈夫。
実は、内容があるのはこの一回。
いやいや、さて、丁度時間となりました。
では、昨日の続きからはじめます。
最終回の、はじまりはじまり。
私が一緒に撮影に行ったのは、勿論、「寅さん」。
ったって、それは一体、どこのどちらの寅さんか。
「尾瀬の寅さん」
いや、今は引っ越して「信州の寅さん」。
でも、何れは「安中の寅さん」。
まぁ、ちとややこしい。
要は、折角バス停が復元したんだから、この寅さんとそのバス停に行って、
あの名シーンも復元してみようじゃないか。
ってのが、今回の企画の発端。
当日はまさに、映画のスクリーンから抜け出た様な青空。
山越え谷越え、辿り着いた上荷付場バス停。
その佇まいは、確かに映画の中にあった、あのバス停。
早速、バス停の中、寅さんに立ってもらうと、映画のワンシーンそのまま。
とまでは行かないが、眼前の風景と記憶の風景が交錯し、
どこか映画の中にいるような心持で、カメラを構えます。
濃い夏の日盛り、静まり返ったバス停で、いい大人が2人して映画のワンシーンを再現。
時折通る、坂道を上って行く車は、皆、減速しながら私たちの横を通り抜けて行きます。
丁度その時、坂を上って来る、一台のバス。
すれ違いざま。
バスに向かい、持っている団扇を振る、寅さん。
しかし、ここは正規のバス停で無いし、バスの方も路線バスでないので、
当然、停まる訳きゃ無い。
がっくり肩を落として、バス停に戻って座り込む、寅さん。
その光景は、まさに、映画の状況と酷似しておりました。
映画では、通過したバスが停まり、リリーがバスを降りて駆けて来ますね。
現実は、そう上手くは行かなかった。
静まり返ったバス停から眺める、山々の風景。
そこに四角いフレームが現れ、真ん中に浮かび上がってくるのは、「終」の文字。
そんな映像が、見えた様な気がして振り返り、寅さんの背中にそっとかける、ひと声。
「さて、行きましょうか」

901声 第900声及び上荷付場バス停復元記念特別企画「寅次郎ハイビスカスと花豆」中編

2010年06月19日

はいはい、押さない押さない。
昨日読み忘れた人は、ひとつ前の900声から。
昨日読んでくれた人は、どうぞそのまま。
では早速、はじめます。
なんでこの山間のバス停が、その名を全国に轟かせたのか。
はい、すみません、後の方が見えづらいようです。
前の方もう一寸、前へお詰め下さい。
はい、その辺りで結構でございます。
では、仕切り直して、はじめます。
それは何故かと言いますと。
映画「男はつらいよ」のシリーズ第25作。
「男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花」
そのラストシーンに登場したバス停とは、何を隠そう、
群馬県は旧六合村のこのバス停、「上荷付場」。
つまり、寅さん映画のロケ地だった訳なのでございます。
寅さんフリークなら、当然ご存じ。
寅さんフリークならずとも、はい、そこのお母さん。
いや、お嬢さんが、本当のお嬢さんだった頃、一度くらい観た事があるはず。
主人公の車寅次郎を演じるのは、勿論、渥美清さん。
マドンナ役のリリーを演じているのは、浅丘ルリ子さん。
ほら、覚えているでしょ、昭和55年公開のこの作品。
シリーズ48作の中でも、屈指の名作ですよ。
実は、このバス停に私、ついこの間、行って来た。
えっ、独りで、いや、独りじゃない。
独りで行ったって、つまらないじゃないですか。
この場に相応しい、面白い人と、二人で行って来た。
それは一体誰なのか…。
ってのは、また明晩。
この時間にこの場所で。

900声 第900声及び上荷付場バス停復元記念特別企画「寅次郎ハイビスカスと花豆」前編

2010年06月18日

さぁさぁ、お立会い。
ほら、そこの眉間に皺寄せて読んでるお嬢さん、
そんな遠くで見てちゃ見逃がします。
どうぞ、もっと近くで、皺を伸ばして読んで行ってください。
さてお立会い、映画「男はつらいよ」はご存知でしょうか。
えっ、何、知らない、そいつは勿体ない。
群馬県の人なら、尚更、勿体ない。
よし、今日は特別、浅野匠上じゃないけど腹切ったつもり。
今日は第900声記念で大サービス。
タダでお教え致しますので、どうぞ、最後までお付き合い願います。
群馬県は吾妻郡の六合村。
現在のこの村、今年の3月に隣町の中之条と合併して、中之条町。
この町村合併と同月、ここに一つのバス停が、復元されました。
廃線になり、朽ち果てていた、この「上荷付場バス停」。
それでも、忘れ去られてはいなかった。
合併に伴って全国から集まった、
「復元してほしい、残してほしい」
と言う声が、遂に行政を動かしたのであります。
そしてこの度、国の緊急経済対策交付金を活用して、
バス停を復元する事と相成った次第でございます。
ってのが、私がこの前新聞で読んだ、事の顛末。
ほら、鼻ほじりながら読んでるそこのお父さん。
群馬県の山奥にあるこの有名なバス停、心当たりはありませんか。
ひと昔、いやふた昔前の映画かなんかで。
では、なんでこのバス停が、そんなに有名で人気だったのか。
それは……。
丁度時間となりまして、この続きはまた明晩。
この時間、この場所で、お待ちしております。

899声 エコドライブ

2010年06月17日

今日は梅雨の中休みで、日本列島津々浦々、軒並み今年の最高気温を観測。
昼に入った行きつけの食堂では、お客さん皆、クーラー寄りの席の方へ集まって来る。
樹液に集まる昆虫でもあるまいし、密集しながらラーメンなんて啜ってるから、
逆に蒸し暑くなる始末。
こう暑いと、頭がのぼせ上って、注意力も散漫になる。
注意力散漫状態は、生活上、危険である。
中でも特に危険なのが、運転。
車のハンドルを握りながら、注意力を欠く運転をしている、ってのが一番危ない。
今日もやはり、所々で、それを見掛けた。
今日はいささか奮発して、その状態を三段落ち形式でご紹介。
まず初めは、運転中の携帯電話。
これはもう、老若男女、兎に角数が多い。
時折、運転中で無く、路肩に止めて通話している人があるが、
慌てて車を停めるから、車体が大幅に車道へ食み出している。
狭い道などでは大渋滞を引き起こし、これも事故を誘発する原因になりえる。
次に、運転中の読書。
これは携帯電話と似ているが、運転中で無く、信号待ちの停車中が多い。
配達中の小型トラック運転手などに多い気がするが、ハンドルの上で、
週刊誌を読んでいる。
慣れている風で、ハンドルと雑誌を巧みに操っているが、
今週号の漫画が、爆発的に面白かった時などが怖い。
運転手が雑誌に夢中になってしまい、前の車はとても怖い思いをする羽目になる。
最後が、運転中の食事。
お菓子やハンバーガーなどなら未だ許容範囲だと思うが、今日、
私が見た光景は前代未聞であった。
お昼時の信号待ち、ふと、隣車線に停車している車に目をやると、
一台の赤いハイブリットカー。
運転席でハンドルを握っているのは、サングラスをかけた、女性。
しかし何やら、片手で口に運んでいる。
体を浮かせて、手の先を追うと、そこには目を疑う女性の行動。
よりによってパスタ、である。
運転席と助手席の間に置いてあるのは、おそらくコンビニで買ったであろうパスタ。
器用にフォークで絡めとり、涼やかな顔して黙々と、口へ運んでいる。
運転中に間食で無く食事、それも、食べ方の難しいパスタを食べるなど、
自殺行為も甚だしい。
ハイブリットカーに乗り、エコに気を配っているようだが、
事故にも少しばかり気を配ってはどうかと思う。

898声 猫の八当たり

2010年06月16日

誠にもって、蒸し暑い。
畳の上に横たわり、扇風機の微風を受けている時は良いが、
一度、扇風機を止めれば、不快な熱気が纏わり付いてくる。
扇風機のプロペラは快調に回転しているが、どうも、我が頭の回転が著しく鈍っている。
虚ろに天井を眺めていると、やけに、浮遊している羽虫が目に付く。
「網戸に穴でも」
と思い、窓辺まで這って行き、窓の縁へ手を掛けてのそのそと立ち上がる。
湿気を吸って体重が増加してのではなかろうかと思われる程、体が重たく感じる。
「ヴャーゥオ」
闇にさんざめく蛙の声をつんざいて、猫が喧嘩している声。
ひとしきり喧嘩が済んで、また、闇に蛙だけがさんざめいている。
こう蒸し暑いと、猫も気が立ってくるのだろう。
あんなに暑そうな毛皮を着ていて、脱ぐ事が叶わないのだから。
おまけに蛙は、お構いなしに大合唱。
そりゃ気持もやさぐれて、仲間と居ても、お互いに八当たり。
自然と喧嘩に発展してしまうのだろう。
いささか、猫を気の毒に思い、網戸に不具合が無い事を確認し、一安心。
猫を真似て、四足歩行で寝床へ戻り、猫が茶を吹いている様な顔で、寝てみる。

897声 音と心理

2010年06月15日

世界中のメディアが、昨夜、日本のW杯初戦の勝利を報じた。
「日本勝利」
その言葉の裏には、「予想に反して」と言う、意外性が見え隠れしている。
日本のメディアや世論とて例外では無いが、それはさておき、
棚から出てきたぼた餅をつまみに、差し当たり、勝利の美酒に酔おうではないか。
と言うのが、巷の声であろう。
1対0で、ゴールを決めた本田選手は一躍、救世主となり、
岡田監督の旗色も、幾らか色を取り戻して来たようである。
ラジオインタビューで、こんな事を答えた、現地のサポータがいた。
「日本が先取点をあげてからは、あの耳障りなブブセラの音が、
次第に、心地よくさえ、聞こえる様になった」
私も昨夜、寝床の中からブラウン管に映る、試合の一部始終を見ていたのだが、
確かに、そのように感じた。
試合開始早々の時分には、テレビのスピーカーから、
鳴りっぱなしのクラクションの如く流れて来るブブセラの音が、とても威圧的に感じた。
それが、試合後半、日本有利の儘、早く試合時間が終わらないかと切望する気持ちを、
このブブゼラの音が後押ししている様に、感じるまでになった。
つまりは、ブブゼラが鳴り響けば響くほど、時間が早く進む様な気さえしたのだ。
人の心理など、案外、いい加減なものである。
すると、現在、我が部屋の窓から聞こえる、蛙の大合唱も、
気の持ち方一つで、心地好い、BGMになると言う訳だ。
しかし、それは実現し得ない。
何故なら、我が生活上の茫漠とした「敵」に対し、既に失点が込んでいるからだ。

896声 ブブゼラと毛笛

2010年06月14日

いよいよ今日から、関東地方が入梅。
群馬も朝から、曇天から微雨がぱらついていた。
梅雨の雨は、夏の驟雨と違い、随分とお手柔らかである。
これを書いている、現在時刻は午後11時の手前。
テレビに映っているのは、快晴の南アフリカ。
ブルームフォンテーンの、フリーステート競技場である。
サッカーW杯の初戦。
日本とカメルーンの代表選手が、ピッチに出揃い、試合開始のホイッスルが、
今まさに吹かれようとしている。
会場を揺るがさんばかりに鳴り響く、ブブセラの嵐。
それにしても、この会場に鳴り響いている、ブブゼラと言う南アフリカの民族楽器。
日本で言うところの、毛笛に、音質が似ている。
毛笛ってのは、その昔、縁日などで見掛けた、風船付のストロー笛の事。
ストローを吹いて風船を膨らませ、口を離す。
すると、「ブィー」と言う音が、大音量で鳴る、と言う玩具である。
試合は、梅雨の雨の様に、お手柔らかにはいかないであろうが、
ブブゼラも要は毛笛の親戚みたいなものじゃないか、恐れる足らず。
兎も角、やってみようではないか。

895声 新しい木札

2010年06月13日

今週半ばから、乱れっ放しの生活習慣も、どうやら今日で一区切り。
一息つく為、銭湯へ出掛けた。
浅草湯の浴室へ入ると、浴槽の背面に、手書きの木札が二つ、掛かっている。
「熱い方乃湯」と「ぬるい方乃湯」。
平仮名で書く「の」ではなく、漢字で「乃」と記している点。
それは、「温い」ではなく「ぬるい」と記している点にも言える。
この木札を見て、私はこの文字に醸し出されている玄妙な感覚にこそ、
銭湯の魅力を感じるのだと思った。
人の気持ちを「和ませる」と言うのは、容易に狙って出来る芸当ではない。
湯船に浸かりながら眺めるその真新しい木札は、
そこはかとなく清々しい気分にさせてくれた。
帰宅し、窓から吹き込む心地好い夜風が、湯上りの火照った体を冷まし、眠気を誘う。
気付けば机の上。
頬杖つきながら、目を閉じて、うとうと。

894声 よくじょう新聞

2010年06月12日

今日、九州全域が梅雨入り。
梅雨の手前。
ってのは、毎年、お天道様、もう自棄になって燃える。
だから、今日の如く、一時的酷暑になる。
昨夜。
伊勢崎駅を降り、駅前へ出たら、見知らぬ駅前ロータリー。
はて、と思い、二、三歩進んで振り返り、駅舎を確認。
確かにそこに有るのは、「伊勢崎駅」の看板。
駅舎に戻りつつ、気付いたのだが、反対の出口に出てしまったのだ。
最近、駅舎が新築され、随分と近代的になったので、
同じ様な前橋駅、桐生駅などの風景が交錯し、私に誤認させた。
所用でほのじへ寄る。
駅からほのじまでは、徒歩3分と言ったところだが、その間に、2回も道を聞かれた。
1回目は、前方から来る人に、「伊勢崎駅は真っ直ぐですか」と。
2回目は、後方から行く人に、「サンホテルはどちらですか」と。
サンホテルの場所には自信が無かったので、結局、ほのじの入り口を叩いて、
教えてもらった。
薄暗い店の片隅で、麦酒片手に、「全国浴場新聞」を読んでいる。
「よくじょうの新聞か」と、ほのじ氏。
「はい、浴場新聞ですから」と、私。
「オレが言ってるのは、よくじょうの新聞、と言う事だぞ」
「はい、よくじょうの、新聞ですよね」
無言で、机上の空ジョッキを持って、麦酒を注ぎに行く。

893声 牛丼チェーン、路上のキーチェーン

2010年06月11日

夕方から電車で出掛けたのだが、金曜の夕方ともなると、高校生が多い。
ホームに立っていると、向いのホームで待っている高校生。
皆、一列になって、ワイシャツの白、スラックスの黒、さながらピアノの鍵盤の様である。
しかしこのピアノは、弾かなくても、際限なく鳴っている。
電車ではまず、所用で桐生市、そして伊勢崎市を回り、
何とか終電に滑りこんで帰って来た。
ほろ酔いで、最寄駅。
真っ直ぐ家路に、着ける訳が無い。
行きつけの店から、未来の行きつけ候補の店へ、梯子式に千鳥足を進める。
気付けば、夜も深い時間と相成って、とぼとぼと牛丼チェーン店の前。
街頭に照らされ、鈍く光る路上の紐。
手に取って見てみると、自転車のキーチェーン。
その3桁のダイヤルロック式のキーを、私は簡単に開ける頃が出来た。
だって、私の鍵だから。
そう、このキーチェーン、あれはひと月ほど前だと記憶するが、
夜半、この牛丼チェーン店に寄って、自転車で帰宅した事がある。
翌朝、自転車を見てみると、キーチェーンが無い。
おそらく、あの店。
と思ったのだが、捨て置いて、新しいキーチェーンを購入した。
今拾ったのは、あの時に落とした、キーチェーンなのである。
ひと月も、風雨に晒されながら、路上に横たわっていたのだ。
奇妙な再会に驚きつつ、キーチェーンに謝罪し、拾って帰路に着く。
行方不明になった妻が、行く歳月を経て、ようやく家へ帰ってくれば、
夫は既に再婚していた。
そんな昼ドラの様な筋書きを思わせる、一件。
キーチェーン二人の関係が、泥沼化せぬか危惧しつつ、牛丼チェーンを後にした。

892声 蛇に負けるな

2010年06月10日

いよいよ明日から、「第19回FIFAワールドカップ」が南アフリカで開催となる。
報道では、開催地の各都市、治安が悪さが懸念されているが、それ以上に、
日本代表の戦績が懸念されている。
その日本は、グループEに属し、6月14日(月)の16:00からのカメルーン戦が初戦。
それと共に、テレビニュースで、日本代表の宿泊地である、
南アフリカのジョージと言う町ではケープコブラが出るってので、大いに危惧している。
と言う報道を目にした。
しかし試合ではひとつ、「蛇ににらまれた蛙」の様にならず、勇猛果敢に戦ってほしい。
「蛇は寸にして人を呑む」とも言う、日本だってやれるはずである。
そんな事、私があえて言うのは、「蛇足」であるが。
そして、目指すは王者か。

891声 停車場の闇

2010年06月09日

独り酔い
辿り着きたる停車場の
闇に響くはたれの嗚咽か

890声 文章を料理する

2010年06月08日

寂しい冷蔵庫の中を漁って、夕餉の献立を思案する主婦。
丁度、そんな心持ではなかろうかと思っている。
今、机の前で頭をかきむしっている私が、である。
私は勤め人なので、当然、朝起きて勤めに行って、夜帰って来る。
概ね、そう言う日常を送っている。
そこにあるのは、波乱万丈に富んだ日常なんてものでは無く、金太郎飴式の市民生活。
つまり、種類豊富な食材に溢れた冷蔵庫ではなく、
調味料と使い残しの食材だけが目立つ、寂しい冷蔵庫なのである。
そんな状況下においても、上手くやり繰りするのが、一家の主婦たるものだろう。
しかし私においては、冷凍庫を漁って、あわよくば冷凍食品などを見付け、
「レンジでチン」で済ませようとしてしまう。
この文章作業も同じで、今、冷蔵庫の寂しさに呆れ果て、冷凍庫を漁っていたところ。
生憎、手頃な食材が見付からない。
仕方なく覚悟を決め、有り合わせの食材で、拙い腕を振るい、
夕餉の準備に取り掛かる。
毎日、料理を作る動機。
そりゃ単純に、「美味しい」の一言ではなかろうか。

889声 蛍狩り

2010年06月07日

今日はやけに蒸し暑い。
背骨が軟化した人間の如く、私の足取りも、ふにゃらふにゃら。
この時期のこう言う気候の日は、蛍の活動が活発になる。
日毎に、群馬県内各地でも、飛び始めているらしい。
今週末は、前橋市田口町のほたるの里で、「ほたる祭り」が開催される。
それに伴って、大勢の見物客が蛍狩りに訪れるのだろう。
江戸やら明治に書かかれた、あるいはその時代を舞台とした本などに、
夏祭りの露店などの描写で、虫売りと言う商売を見る事がある。
鳴り物である、鈴虫や松虫。
光り物である蛍などを、細工を施した竹籠に入れて売っている。
辺りには涼やかなに響く虫の音。
籠の中に舞う蛍火が、神社の境内の闇を一層濃くしている情景など、
想像するだけで風流を感じるが、現代で蛍など売っていたら、
とても風流では許されない。
私の部屋の窓から、もう直ぐ虫の音が聞こえる時期だが、
やはり子供時分から比べると、随分と音が寂しくなった。
だから、と言う訳も少しは含まれていると思うが、
年々、蒸し暑さが増している様に感じている。