日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和8年度は4月(坂)5月(ぬ)6月(岡)7月(す)8月(堀)9月(坂)10月(ぬ)11月(岡)12月(す)1月(堀)2月(坂)3月(ぬ)の順です。

682声 目で食べる

2009年11月12日

11月も中旬。
ともなるとチラホラ、どころでは無く、
巷は本格的に年の瀬の様相を呈してくる。
年賀状の販売、お歳暮の発送、おせちの予約。
小売店の年末商戦が勃発し、いよいよ激化してくる頃。
それに輪をかけて、クリスマスなんてのもあるから、
いよいよ戦況は泥沼化してくる模様。
先日、一寸した仕事で、ケーキの写真撮影をした。
撮ったケーキは12種類。
ロールケーキ有り、ショートケーキ有り、クリスマスケーキ有り。
私はとりわけ甘い物が好きでも無いのだが、
生クリームがたっぷり塗られた白く綺麗なケーキを目の前にすると、
思わず唾を飲む。
やはり、菓子と言えど一つの料理。
綺麗に細工が施され、旬の彩で飾られたケーキなどは、
目で食べさせる効果が多分にあるようだ。
それを実感したのは、随分前にも一度経験がある。
その時もケーキだった。
と或る洋菓子店の厨房。
パティシエの方と話をしていて、ロールケーキかなんかの切れ端を頂いた事がある。
ケーキを作る時、結構、スポンジの切れ端が出るのだ。
生クリームが付いたスポンジの切れ端は、形こそグチャグチャだったが、
味は美味しかった。
後日、その洋菓子店が卸している喫茶店で、
珈琲とそのロールケーキを食べる機会があったのだが、
味はやはり、切れ端の比では無く美味しかった、と記憶している。
撮影が終わり店を辞す時、お店の方にケーキを数種、御土産で頂いた。
チョコのケーキを一つ食べ、味は非常に美味しいのだが、
甘党でも無い私は一つが限界。
残りを全て、同行者に渡してしまった。
私の場合、ケーキは目で食べる事に限る様である。

681声 雨の交番

2009年11月11日

交番前の掲示板。
降りしきる雨の中。
傘もささずに警察官。
昨日捕まった指名手配犯のポスター。
剥がして丸めていた。

680声 ペンキ富嶽の一景

2009年11月10日

玄関を開けたら、雨。
夜半にしっとりと小雨。
踵を返し、マラソンの練習は取り止め。
冷蔵庫を開けたら、缶麦酒。
練習は止めたが、これは雨天決行。
走らずに、風呂に入ってからまた一杯。
いやいや、雨天も、結構結構。
椅子の上に胡坐をかいて、ぽつねんと眺めている。
部屋の隅にかけてある、富士山のペンキ絵をじっと。
風呂屋のペンキ絵ってのは、ベタもベタ。
快晴の空。
稜線の斜度がきつい富士山。
それを湖面に映す、川口湖畔。
ドリフのコント的であり、水戸黄門の時代劇的であると言える。
このベタに、何故か日本人は魅かれる様だ。
ベタの力強さに、安心さえ覚える。

679声 旋回して近づく

2009年11月09日

「籍を入れました」
なんて言うメールが、昨晩、携帯電話に届いた。
差出人は同級生。
最近多い。
籍を入れたり、式を挙げたり、それらを予定中だったり。
結婚という軸に対し、グルグルと旋回して近づいているとする。
20代も後半戦。
人生の中で、その一番近づく時期ってのが、彼らに来たのであろう。
一方私は、先日行われた座談会、
「ほのじ通信1周年記念特別企画〜ひとり者のしあわせ基準〜」
なんてのに参加している。
先日、発売になったのだが、私は未だ読んでないのだ。
ひとり者である事に、しあわせ基準を見出している様が、記載されている事と思う。
「ついに結婚か、そうかそうか、いや、おめでとう」
「あぁ、ありがとう。ところで、オマエの方はどうなの」
と聞かれて、このしあわせ基準。
まさかねぇ、述べる訳には、行きますまい。
路地裏の奥まった居酒屋の更に奥まった席で、背中を丸めながら語る話である。
そう言った意味で、恥ずかしながら、貴重な座談集なのではあるまいか。
「いやぁ、いろいろと有るようで無いような、それがまぁ、ははは、さっ行きましょか」

678声 猫と夜会う

2009年11月08日

「おっ、やってるね。いやしかし、何だいその足取りは」
「うっさい」
「お前さんは大体、運動不足なんだよ、昨日はどうしたんだい」
「昨晩は飲んでたから、走って無い」
「ほら見ろ。だからお前さんは駄目だってんだよ、しっかりやんなよ」
「昨日の分まで走りゃ良いんだろ、まったく」
「あらら、未だ2周目だってぇのに、もう息があがってるじゃないか」
「今日は、たまたま、調子が、悪いんだ、よ」
「ほらほら、腕が振れてないよ」
「そうやって、四六時中地べたに這いつくばってるあんた等に、
マラソンの大変さが分かってたまるか」
「随分と言ってくれるじゃないか。あたし等だってねぇ、夜ぴぃて走る事があるんだよ」
「へぇーそんな姿、見た事無いね。日向ぼっこのし過ぎで、夢でもみたんじゃないの」
「そりゃ、御前さんは見た事無いに決まってるよ。昔っから、
猫は人間に死に目を見せない為に、御前さん等が知らない様な、
そりゃあ遠い所まで走って行くんだからね」
週に何度か、自宅裏の田圃を夜、走っている。
その時に、出くわすのが、どこかの飼い猫なのだろうが、
鼻筋の綺麗に通った賢そうな白猫。
闇夜に映える白毛は、そこはかとなく気品が漂っている。
首を落として、上目使いに、横を走り去って行く私を覗き見ている様が、
いかにも物申したそうなのである。
おそらく、雌猫だと推察するが、いつも私と目が合う。
いつも、と言う事は、私が走り始めてから、夜に良く出くわすのだ。
目が合った瞬間、お互いに「ふん」と言う、種族を超えた意地の張り合いをしている。
今夜も私は猫と会う。

677声 Jazzと餃子の街は更け

2009年11月07日

先週に引き続き、今週も両毛線で栃木県。
栃木駅から東武線に乗り換え、今日の終着駅は東武宇都宮駅。
栃木駅の列車待ちで、2週続けて、同じ立ち食いうどん屋で、
同じ天ぷらうどんを食ってしまった。
栃木県も宇都宮まで来ると、流石に大都市と言った様相。
駅前に林立する商業ビルや人通りの多い商店街など、商都の賑わいがある。
徒歩で行ったりバスに乗ったりして、市内の銭湯を訪ね歩く。
しかし、今回は望んでいた成果と言うか、結果を得るに至らなかった。
巡り合わせの妙。
たまにはこう言う日もある。
そう言う日には、朝から何か予感めいたものがある。
その予感を実感した所で、早々と次回再訪への期待を託し、繁華街へ行く。
丁度今日、宇都宮市街地では「宇都宮餃子祭り」ってなイベントが開催されていた。
市内の会場には、餃子の名店が特設テントで露店を出しており、
一皿100円で販売されている。
中には有名店も有り、そう言う店にはやはり行列が出来ている。
私も早速、往来の椅子に腰掛け、買い集めた餃子と麦酒で一杯。
今日の芳しからぬ結果を埋める様に、麦酒の紙コップを重ねてゆく。
宇都宮餃子、中でも「みんみん」と言う店の物が美味かった。
やがて赤提灯が灯る頃になると、祭り酣を迎え、冷たい夜風が吹いて来た。
最終的に私、オリオン通りの焼鳥屋のカウンターに流れ着いており、
やや覚束つかぬ足取りで、改札をくぐる。

676声 良い餡が浮かばない

2009年11月06日

コンビニなどで、菓子パンを買う事がある。
今日買ったのは、100円位のあんぱん。
この手の菓子パンも、粗悪な物になると、
餡に到達するまで、二口も三口もかかる物がある。
つまりは、餡がパンの中央部に少ししか入っていない為なのだ。
あんぱんをを食べた時は、やはり一口目で餡に到達するべきである。
中々、主役の餡が出て来ず、味気無いパンだけ味わっているのは、空しい。
やっと餡が出て来たって、餡の部分を食べて終えば、また味気無い空しさと御対面。
だから、あんぱんは中身の餡が、外側一杯に均等に入っている物を、極力選んで買う。
こんなみみっちくて瑣末な内容で更新すると、
「アイツもとうとう、ヤキがまわって来た」
「アイツの頭の創造の泉は、枯渇寸前だよ」
何処かのこきたないおでん屋のカウンターの隅で、
噂する声が聞こえて来るようである。
しかし、その噂は的を得ている。
今日買ったあんぱんの如く、餡がちょこっとしか入っていないのが、私の頭。
それを半分に割って、餡の所ばかり食べてしまうから、
後に残るのは味気無いパン生地ばかり。
如何なのかしら、今日のパン生地の味は。

675声 寝姿遺伝論

2009年11月05日

私は夢を見ない人間だ。
と言うのは、別にリアリストである事の比喩では無く、
寝ている時に夢を見ないのである。
一年の間で全く見ない訳ではないのだが、人に話を聞くと、
私の場合は夢を観る回数が極端に少ないらしい。
見ているのだけど、朝起きて覚えていないのか。
それも、同じ事である。
夢を見ないのに、寝言は人一倍言っているらしい。
この「らしい」と言うのも、当然、私の場合は夢と寝言が連動していないので、
意味不明な寝言のみを言っている事になる。
女性と寝ている時に、別の女性の名を呼んでしまった。
など、少しは色っぽいエピソードが欲しいのだが、現実はそうもうまくいかない。
大抵は朝起きて、私の寝言の当事者かつ被害者に、「うなされてた」と言われる。
別にうなされている実感も、原因も見当たらないのだが、
兎も角、夜毎様々なうなされ方をしている。
実家では良く親に、「寝ながら謝ってた」と言われた事がある。
「すみません、あー、すみません」
と謝罪しているらしい。
外で寝る時に多いのが、断末魔の叫び系統の声である。
「あぁ〜うぅ〜ぐぅぁ〜」
針の筵に寝ているかの如く、呻いているらしい。
さて、原因は何だろな。
と考えるに、枕が合わない、ストレス、呪い。
等々挙げられるが、私自身、一番有力な線が、遺伝ではなかろうかと考えている。
私の親父が、これまた寝言を良く言うのである。
寝言だけでなく、寝ぞうも恐ろしく悪い。
例えば、深夜に「うぅ〜」と呻きながら、足をバタバタやっている。
エクソシスト状態なのだ。
寝ぞうも良く寝言を言わない母と、寝ぞうが悪く寝言を言う父。
足して二で割って、私には寝言が残った。
それでも、寝ぞうが悪いよりはマシだと思っている。

674声 立ち食いの美学

2009年11月04日

空気感が既に冬である。
冬は空気が澄んでいると言うが、成程、山間に沈む夕日の残照は宵闇の深い青に溶け、
彼方に見える街の灯は、煌びやかな宝石の如くに光っている。
山は四季を映す。
一気に寒くなったものだから、テレビや雑誌なんかも、
慌てて「鍋特集」なんて企画をこぞってやっている。
確かに鍋も良いが、今時期はうどんも良い。
「うどん」と言っても、旬はやはり、駅の立ち食いうどんであろう。
寒風吹くホームで啜る、かけうどん。
少しでも温まろうと、七味なんか多めにかけたりして、ズーズー言いながら手繰り込む。
電車の音やら雑踏の音やら、駅のホームは何かと慌ただしいので、
うどんがズーズー言ってようが、鼻がズーズー言ってようが、誰も気に止めないのである。
ズーッと汁を飲んで、コップの水をツーッと飲み干す。
すると、丁度乗る電車が入線して来る。
ってのが、立ち食いの美学、玄人の技。
いささか貧乏臭い玄人だが、これが素人となると貧乏どころか、けしからん。
かく言う私も、以前、電車待ちの時間が無いにも拘らず、立ち食いうどんを食べていた。
慌てに慌てて、「ズーズーッ、アチアチ、ズーズーッ、アチアチ」と、
熱くて食べる速度が鈍くなってしまう。
そうこうしている間に、電車が入線し、ドアが開く。
器の中には、うどんが未だ半分残っている。
うどんを取るか電車を取るか。
どちらにせよ、立ち食いうどん界における、けしからん結末となる。

673声 一日四回内銭湯三湯

2009年11月03日

朝日差し込む車窓。
秋晴れの青空の下、どっしりと構えている赤城山を眺望。
両毛線はゆったりと、桐生方面へと進んで行く。
ローカル線へ乗って、目的地まで行く。
人気も疎らな車内。
ゆったりと缶珈琲を飲みながら、車窓に広がる野趣風景を眺めている。
こう言う時などは、つくづく列車の旅は良いものだと感じる。
赤信号だの青信号だの、アクセルだのブレーキだのと、
せせこましく車を運転している人に、一寸同情なんかしてみる。
驚いたのが、赤城山。
頂上付近に粉糖をかけたかの如く、白くなっていた。
昨晩あたり、積雪したのであろう。
季節は着実に移ろって行くのだと、改めて感じた。
そして、下車したのは栃木駅。
目的は無論、銭湯。
市内、かなり歩き回って、銭湯情報を確認して行ったが、市内に残る銭湯は2軒。
「アルプス温泉」と「金魚湯(玉川の湯)」。
両方入浴、撮影、簡単な取材。
特に、金魚湯は衝撃的で、風呂に金魚が泳いでいるは、2階の宴会場では、
朝からカラオケ大宴会が繰り広げられているはで、大盛況。
活気ある、「攻め」の銭湯に初めて出会った。
栃木を後にして、一路、佐野駅を目指す。
下車し、寒風吹きすさぶ中、襟を立てて、市街地をくまなく歩く。
そして、完全に湯冷め状態で、鼻水を垂らしつつ、「おばな湯」へ入浴。
本日3軒目。
これが、湯が物凄い熱く、温まろうにも温まれない。
なんだか自棄になって、お湯を何度もひっかぶってから出た。
番台のおやっさんに話を聞くと、なんでも100年くらい前から建物自体は在ったとの事。
茹でダコ状態のふやけ顔で、帰宅し、さて一息と思ったら、最後の予定をすっかり忘れていた。
とある会合に遅れて行ったのだが、風呂に入り過ぎて、終始頭がぼーっとして、駄目。
夜半に帰宅し、漸く風呂に入って缶麦酒。
これで風呂に入った数は、一日四回内銭湯三湯。
自己新記録樹立して、慌ただしい男の一日は終了。

672声 朝の寝床に冬のハエ

2009年11月02日

冬将軍の軍勢も、とうとう西高東低の気圧配置に布陣したらしく、
今朝はこの冬一番の冷え込みである。
この冬ったって、まだ11月を一つ二つ出たばかり。
今年の冬は、全国的に冷え込む気配がある。
私も、今朝は流石に、慌てて押入れからストーブを引っ張り出し、
埃も払わぬままコンセントに繋いだ。
朝、部屋が冷えている時は、寝床が温かいので、布団から出るのが非常に億劫である。
子供の頃、大人になれば自然と、朝は億劫がらずに、
しっかりと起きられる様になるものだと思っていたが、
どうもそうではないらしい。
大人になった現在は、老年になれば、冬の朝でも自然と早起きできる。
などと、やはり朝、温かい寝床の中で愚図りながら考えている。
ストーブでやっと部屋が暖まった頃、部屋の気温が上がった為か、
冬のハエが一匹、どこからともなくヨロヨロと出て来た。
窓を開け、手で外へ追い払おうとしているのだが、コイツが中々、
出て行くそぶりを見せない。
さてはオマエも、温かい場所が恋しいのか。

671声 秋の粧い

2009年11月01日

本日、吾妻渓谷を通ったのだが、紅葉の盛り。
沿道に県外ナンバーの車を停めて、紅葉狩りを楽しむ人で込み合っていた。
皆、写真撮影に勤しんでおり、紅葉の渓谷のついでに、
建設途中の八ッ場ダムを撮影して行く。
自宅に帰って来て、夕方。
外から聞こえて来る、花火の音。
窓を開けて見ると、夜空に大輪の花。
そう言えば、本日が近所の専門学校で文化祭が開催される日だと、
先日回覧版で見たのだ。
しばし、季節外れの花火観賞。
昼の山並みに、夜の花火。
秋の粧いに出会えた、何気ない一日。

670声 南瓜祭

2009年10月31日

「ハロウィン」
ってのが、街ではすっかり秋の風物詩として定着している。
今年の街中を見ていると、どこへ行っても、南瓜の化物の飾り付け。
特に商店や百貨店などは、年末、クリスマスに次ぐ、大きな商戦として、
このハロウィン商戦を展開している。
数年前まで、ハロウィンなどは局地的な盛り上がりを見せるイベントと言う感があった。
それも、上州における私の私見なので、大海を知らないだけだったのかも知れない。
私の住んでいる地域には、あのジャック・オー・ランタンと言う、
南瓜の化物を作る習慣もなければ、軒先へ訪ねて来て、
「トリック・オア・トリート」と言う子等もいない。
私の持っている季語帳にも載っていない。
しかし、街中でここまで目にすると、自然と季語にとってしまう。
ハロウィン南瓜の顔が笑いけり

669声 私の意欲

2009年10月30日

一日は足早に過ぎ、気付けば夜半に酔眼朦朧。
日刊の更新をせねばと言う、私の意欲。
伝わらないであろう、この意欲。
這いつくばって帰って来て、茶漬けと一緒に啜る。
私の意欲。

668声 時に蕎麦の時期と相成り

2009年10月29日

今週末はもう11月。
こう寒い時期になってくると、寄席では「時そば」なんて演目が盛んになる。
「時そば」は言わずもがな、上方落語の「時うどん」を、
東京流に「そば」として複写した演目。
「一、二、三、四、五、六、七、八、今何時でい」
「へい、九で」
「十、十一、十二、十三、十四、十五、十六、ごっそさん」
このくだり、この演目が好きな人なら、空で言えるくらいだろう。
そして、演目の一番の見せ場は、
演じる落語家が、蕎麦を手繰る時の描写である。
さも美味しそうに、「ズッズッズーッ」と勢いよく蕎麦を啜る音が、
観客に生唾を飲ませる。
この演目を観ると、「帰りに立ち食い蕎麦を」と思う。
秋の時期。
群馬県内、いや全国的に「そば祭り」なんてイベントを良く目にする。
今週末、あるいは来週末も、蕎麦を啜る美味しそうな音が、
紅葉の山間に響いている事だろう。
そう言えば、先日、栃木県足利市の銭湯の脱衣場で、
11月7日から開催される「足利そば祭り」ってなポスターを目にした。
其処で出会った、地元のおやっさん、毎年楽しみに参加しているんだとか。
「俺は、今年は、自分で天ぷら持ってって、天ぷら蕎麦にして食おうと思ってんだ」
と言う、ささやかな企みを打ち明けてくれた。

667声 県民のラーメン定食

2009年10月28日

快晴の今日は群馬県民の日。
学校が休みになった学生たちが、街に湧いて出て来る一日。
カツ丼だったら此処。
ってな店が下仁田町に在って、今日の昼飯は其処で食べていた。
私が頼んだのは、ラーメン定食。
案ずるなかれ、その内容は、ラーメンと丼飯に、煮カツが付いてくる。
なので、皿に盛られている煮カツを丼飯の上へ乗せれば、カツ丼になる。
因みに、この店のカツ丼は煮カツで、この「ニカツ」ってのは、
カツを最終的に卵でとじていない、汁で煮たもの。
卵とじも捨てがたいが、これも卵とじに負けず劣らず、あっさりして美味い。
私も群馬県民のはしくれ、今日は県民の日だからってんで、奮発してのラーメン定食。
いつもなら、50円安いカツ丼を注文していた。
ラーメンとカツ丼。
私が額に汗しながら、このベビー級の試合に奮戦して居ると、ガラガラっと引き戸。
威勢の良い声と共に、ゴム毬の如く、ちびっこいのが5人。
近所の小学生だろうか、慣れた風に椅子へ座り、賑やかに注文を話し合っている。
店内の空気は一気に明るくなり、さながら給食の風景。
その男の子5人、揃いも揃って、「オレ、ラーメン定食、オレも、オレも」
だって。
10歳をやっと少し越えたかと言う子供と、30歳にもうすぐ手が届こうかと言う大人。
県民の日のささやかにも奮発した昼飯が、ラーメン定食、800円。
バヤリースオレンジでも、奢ってあげれば良かったかしら。

666声 月と田圃と靴音

2009年10月27日

因果は巡って、肩甲骨の下に居座っている。
先日、あれは土曜日だろうか、いつのまにか深酒してしまい、翌日起きたら二日酔い。
おまけに肩こり、肩甲骨の下に不快感。
その後、火曜日になった現在でも、微々たる不快感が残っている。
因果は更に巡る。
いや、因果などと言ったら関係ある人々が眉をひそめるかもしれないが、
私にとって因果な事は明白である。
これも先日、某氏たちと飲んでいて、どう話が転んだのか、
12月に開催されるマラソンに、私も出場する運びになってしまった。
私、マラソンが大の苦手である。
当日の走行距離は10km。
歩いたって歩けるか不安な距離である。
しかも連日の不摂生、運動不足により、ここ数年、体力は著しく減退している事と思う。
そんな心肺機能に不安を抱えた状態で出場し、私の身にもしもの事態が起こったらなら、
関係各位にご迷惑。
せめて、冗談で済むくらいに、走れる状態を作っておかねばならない。
「ひっ、ひっ、ふぅー」
とこの呼吸法で大丈夫なのかと思いつつ、足取りも縺れつつ、
先程、家の裏の田圃を走ってみた。
夜のジョギングなど、何年振りだろうか。
やはり、体力は想像以上に落ちていて、体が鉛の如くに感じる。
おまけに、箪笥にジャージの類が見当たらないので、一応セットアップだってんで、
ジーンズにジージャンで出発。
それが仇になって、汗を吸ったら重たいの何の。
突然の運動で、鼓動が乱れる心臓。
他所の家の番犬に吠えられた拍子に、口から飛び出して、
夜の田圃へ逃げて行ってしまうのではないかしら。
そんなこんなで、およそ15分のジョギングも終了。
風呂上がりの冷麦酒がさぞや美味いだろうと思ったのだが、
心肺機能を酷使した為か、喉の滑りが悪い。
興を失い、ジョギングの原動が一気に削がれた。

665声 彼は誰時の深呼吸

2009年10月26日

今日は終日雨。
まとまった雨が降るのは久しぶりだ。
月曜日の朝からの雨降りは、非常に気が滅入る心持になる。
今朝、窓の外から何やら人の話声らしき物音が聞こえ、目を覚ました。
屋根を打つ雨音が、寝床から窓へ這って行く気力を削いでしまったので、確認する気も起らない。
完全に覚醒せぬまま、寝床で寝返りを打ちながら、夢現でその声を聞いていると、
声の主はどうやら独りの様である。
「はい、はい、えっとじゃあ3部届けとけばいーんですね、はい」
エンジンのアイドリング音と共に聞こえるので、おそらく、新聞配達のおやっさんが、
玄関先に停車し、携帯電話で通話していると見て間違いないだろう。
それにしても大きな話し声である。
話し声が途絶え、「ガチャン」とギアを変速する音と共に、エンジン音が遠ざかって行った。
夜が明け切らぬ部屋は未だ暗く、時計の目視ができない。
朦朧としていた意識が徐々に覚醒してきたので、寝床から這い出て、窓を目指した。
カーテンの裾から手を入れて窓を開け、頭だけ出して外の空気を吸う。
彼は誰時の町は雨降り。
吸い込んだ空気を吐くと、呼気が白くなった。