日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和8年度は4月(坂)5月(ぬ)6月(岡)7月(す)8月(堀)9月(坂)10月(ぬ)11月(岡)12月(す)1月(堀)2月(坂)3月(ぬ)の順です。

646声 合理的から豪儀的

2009年10月07日

予てより、豪儀な注文に憧れている。
例えば、今日の昼。
田舎町の小さなラーメン屋に入った。
着席し、近頃の出費続きで薄くなっている財布を確認すると、
小銭入れには丁度、500円玉が1枚、100円玉が1枚。
後は札入れに1,000円が1枚。
しかめっ顔を上げて、カウンター上のメニュー表を覗く。
ラーメン定食、800円。
に決めた。
と思ったが、貧乏根性がしゃしゃり出て来て、ブレーキを掛ける。
言い分はこうだ。
「ここでラーメン定食を注文すれば、1,000円札が崩れてしまう」
「だが、ラーメンを単品500円で注文し、
後は店を出てから、コンビニでパンでも買ったらよろしい」
如何にも染みったれている。
とも思ったのだが、合理的な注文方法でもある。
結局、染みったれ注文案を採用し、ラーメンを単品で注文。
後から入って来た、仕事師風体のおっちゃんなどは、
ラーメンの大盛りとチャーハンの注文である。
何食わぬ顔で、ラーメンを啜りつつ計算してしまったが、占めて1,300円。
余念無き涼しげな顔で、惜しげも無く明朗に注文する様は、私の憧れる豪儀。
早速、店を辞してからパンでは無く、弁当でも買おうと思い。
入った弁当屋で、一番安い海苔弁当、290円を注文。
結局は、ラーメン定食と変わらぬ出費になってしまったばかりか、
大分、時間を損した。
一体、何が合理的な注文方法だったと言うのか。
そして、肝心の1,000円札も崩れており、自尊心も大いに崩れた。

645声 説明し得ない秋の感情

2009年10月06日

台風18号が本州に近付いている為、今週は曇天続き。
この台風が行ってしまうと、冬との距離がぐっと縮まるだろう。
やがて10月も後半になると、いよいよ冬と同居せねばなるまい。
この時期、日本各地では秋祭りが行われ、地方などは収穫祭で俄かに活気づく。
そして、なんと言っても、田園風景が美しい。
稲刈りの終わった田んぼには、稲木が幾列も整列している。
天日に干されている稲の束が、秋の陽に照らされ、枯色に輝いている様は、
深く郷愁を誘う日本古来の風景である。
秋の夕暮れ時。
山間にひっそりと息づく寂しい集落で、この稲木のある風景を目にすると、
秋風が稲穂を揺らす如く、胸騒ぎに似た、僅かな胸のさざめきを覚える。
それは、田舎ばかりの事では無く、例えば、ビルが林立する都会。
ローカル線、無人駅の待合室。
これらの様な状況下でも、この類のさざめきを覚える時もある。
時には、秋風は野分となって、胸中を吹き荒れる事さえあるのだ。
それが一体どう言った感情であるのか、容易に説明し得ない。
それは秋、そう、稲刈りが終わる今時期に多い。
そんな説明し得ない感情を携えて、今朝、家を出た。
庭に植えてある柿の実の色が、随分と濃くなっていた。

644声 幸せ基準

2009年10月05日

先週末。
と言っても、一昨日と昨日。
両日共に、小さな宴で人と話す機会があった。
いずれも、酒が入っての話なので、終始、要領を得ない。
しかし、酔っ払いつつ周到な嘘をつく人も、そうは居ない。
つまり、本音がポロッと零れる。
世代も違えば性別も違う。
趣味も違えば嗜好も違う。
そう言う人等が、一つのテーマを持って話す時、話の糸は縺れる。
縺れた糸を解さずに、おかまいなし。
どんどん会話するから、話がこんがらがる。
その、こんがらがったダマを、箸で摘み、生ビールで呑み下す。
「一体、何が幸せか」
と言う問いを、皆(先日のその座に居た人たち)、考えているのだ。
と感じた。
考えてはいるが、答えを求めている。
とは感じなかった。
その曖昧模糊とした物に、基準を設けて安心する。
そう、安心したいのだ。
私なんかはもう、刺身の盛り合わせなんかあるでしょ。
あの、平たい大皿に、鮪に烏賊、有頭の甘海老やら旬の魚なんかが、
綺麗に盛り付けてある。
あれを前に、生ビールのジョッキを握りしめつつ、
「さて、どれから」
なんてやってる時が、幸せ。
うん、一番感じるよね。

643声 街の摂理

2009年10月04日

月島もんじゃ。
を、前橋中心市街地の店で食べていた。
鉄板の隅にへばり付いたもんじゃを剥がしつつ、窓の外、夜の往来を眺めている。
土曜の夜。
だと言うのに、人通りは疎ら。
私等の様に、千鳥足でそぞろ歩く人は余り居らず、黒服やドレスに身を包んだ、
街の関係者たちの方が多い。
そんな光景を見つめているのは、街灯の下に立つ銅像と私でだけ。
座談会。
と言う事で、居酒屋に集まった。
座談の顛末、内容は、後に「ほのじ通信」に掲載される事と思う。
宴も、座談もたけなわ。
居酒屋を辞して、往来へ出る。
酔街。
一歩踏み出せば、餌を啄ばむ如く、黒服のカラス達が群がって来る。
餌を巣に持って行くと、今度は餌の方が、極彩色の鳥たちに群がる。
街の摂理を横目に、心許無い足取りで行く。
夜の漂流者。
となって、気が付くと、朝の寝床。
転がっていたテレビリモコンに手を伸ばし、ボタンを押す。
テレビに、哀しいニュースが流れた。

642声 世界興通

2009年10月03日

リオデジャネイロに決定。
結果、2016年夏季五輪開催都市の招致はならず。
東京は惜敗。
伴って、群馬県邑楽郡大泉町では、俄かに歓喜の声が上がっている。
大泉町は、その人口約4万人に対して、約1割もブラジル人の方が住んでいる、
日本一の密度を誇るブラジリアンタウン。
今回決定したリオデジャネイロは、ブラジルの都市。
それに、南米発の五輪開催と言う事も相まって、歴史的な快挙なのだ。
オリンピックを生で見たい。
でも、リオデジャネイロじゃちと遠い。
そんな時は、大泉町。
日本で一番、リオデジャネイロの空気を体感出来る土地ではなかろうか。
テレビ観戦しながら、ブラジル料理をつまみに、ブラマで一杯。
ブラマってのは、ブラジルの大衆麦酒。
スポーツとビール、世界共通の興である。

641声 冷たい夜に雨が降る

2009年10月02日

季節の変わり目は、体調が芳しく無い。
そんな時、止しゃいいのに深夜の痛飲。
酔って尚、文章の精緻を欠かずに書く。
と言う事が私は出来ず、大いに乱れる。
センテンスが途切れ途切れで繋がらず。
詩とも歌とも採れない異形の文になる。
ビール瓶が空になる
庭の秋桜が枯れてる
秋には春の事を思い
夏には冬の事を思う
錆びた六弦が震える
Bmのコードが駆ける
冷たい夜に雨が降る
ビール瓶が空になる

640声 コペンハーゲンのアメママン

2009年10月01日

東京でオリンピックが出来るかどうか。
この話題でもう、今週のメディアは持ち切りだろう。
狙っているのは、2016年夏季五輪開催都市。
デンマークの首都コペンハーゲンで、10月2日に開かれるIOCの総会で、
最後のプレゼンを終えた後に決まる。
日本時間では、3日の未明を過ぎた辺りだろうか。
立候補しているのは、東京、シカゴ、リオデジャネイロ、マドリードの4都市。
本日夜には、鳩山首相や石原都知事が現地入り。
明日にはオバマ大統領も駆け付け、招致合戦はいよいよ鍔競合いの戦いを見せる。
朝のニュースで報じられたのは、その絡みで興味深い。
オリンピック熱が沸騰しているコペンハーゲンに、本日、間寛平さんが到着したとの事。
寛平さんは、現在、アースマラソンの真っ最中。
アースマラソンの内容は、その公式HPに詳しいので、ここでは省く。
コペンハーゲンのゴールでは、金メダリストの高橋尚子選手等が待っており、
非常に温かな歓迎の模様だった。
その映像も、公式HPから閲覧出来る。
寛平さんは驚異のパワーの持ち主。
それを証明するかの様に、ゴールした直後、
その場の皆と一緒に「ア〜メ〜マ〜」と叫んでいた。
マラソン最中、各国各地でオリンピック招致活動を行って来た、寛平さん。
ゴール後の記者会見で、インタビュアーが聞く。
「東京は勝てますでしょうか」
「大丈夫です、どっか王さんが来たり大統領が来たりしてますけど、大丈夫です」
力強く答えるその言葉もさることながら、「王様」の事を「王さん」と呼ぶ、
関西特有の親近感ある言い回しに、聞いていて安心感を覚えた。
下馬評では、東京での開催は難しい状況にあるなんて言われているが、
大丈夫ではなかろうか。
コペンハーゲンにアメママンが着いたので、大丈夫だと思う。

639声 鰻と想像

2009年09月30日

前橋市の中心市街地で飲んだ時、決まって訪れる店がある。
訪れると言うよりは、はしご酒によって流れ着くと言った方が正しい。
先日、仲間内の小さな会合が前橋市であり、
終わってからは夜の中心市街地へ三々五々。
私等の足が向かったのは、いつものその店である。
店の硝子戸を開けると、カウンターの前に看板。
「気分の悪い者は申し出る事」
と言う文言が、墨文字で書いてある。
カウンターに座って一同、考え込んでしまった。
皆の思考は一致している筈。
「以前、この店で何が起こったのだろうか」
それは、大方、想像できる。
店の場所は中心市街地の真ん中。
つまりは、酔街の中心に位置しているので、馴染み客と言えば、
大抵が千鳥足で鼻歌などを歌いながら入って来る。
中には、泥酔状態で来店する人も少ないないだろう。
かく言う私等もほろ酔いなのだ。
この様な立地条件を考えると、この想像の精度は高いと思われる。
しかし、想像の精度が高いだけに、
「女将さん、この看板はどう言う経緯ですか」
なんて、野暮な事は聞けない。
すると、カウンターの先から、女将さんの焼く鰻の香ばしい匂い。
野暮な想像をつまみに、瓶麦酒をちびり。

638声 歩かざること

2009年09月29日

瑣末的な事を書く。
今日、勤め先から帰る途中、道が非常に混雑していた。
停車している車列、遥か先までテールランプが見える。
夜も更けたこの時間、渋滞など有り得ない。
恐らく、先の十字路で事故でもあったのだろうと、
車列からヒョイと裏道に折れた。
この辺りは土地勘があるので、ヒョイヒョイと裏道を抜け、
十字路の先へ出たら、以前として渋滞中。
「はて、事故現場はまだ先かな」と思いつつ、また渋滞の車列に潜り込んで直ぐ、
渋滞の根源が判明した。
ドライブスルーなのである。
それも、今日から開店した牛丼チェーンのドライブスルー。
恐らく、開店割引やら開店記念品の贈呈などが目当てで、皆並んでいるのだろう。
確かに、ドライブスルーでは、渋滞に組み込まれていないと買えない筈だ。
しかし可哀想なのは、この渋滞、ドライブスルー渋滞だと知らずに並んでいる人たち。
長い時間掛けて渋滞の先まで来てみれば、事故や工事現場など無く、
自分には関係無い、牛丼買う人の列なのだ。
粗忽な人ならば、先を急ぐあまり、
誤ってドライブスルーへ入ってしまう人も出て来る筈。
毎日この様な状況って事は無いだろうが、セール期間はやはり渋滞が予測される。
これには、交通量が多く車線が少ない道路にドライブスルーを設置する、
店舗の構造的問題も挙げられる。
しかし、群馬県民がドライブスルー好きってのが、一番の要因ではなかろうか。
休日など、店舗内はガラガラに空いているのに、
ドライブスルーは長蛇の列と言う光景を、頻繁に目にする。
歩かざること上州人の如し。
なんて、他県人から言われていそうである。

637声 新型騒動における小田原評定

2009年09月28日

「もしや、新型」
などとこの時期、ついつい思考が直結してしまうのが、インフルエンザ。
朝起きて、少々の倦怠感を覚える。
普段よりもなんだか、食欲も薄い。
そして止めは、テレビのニュース。
「大都市圏での新型インフルエンザの流行が深刻化」
なんて言うテロップが、始終出ている。
「これは、罹ってしまったかな」
と思うのだが、喉の痛みや咳は出ない。
しかし、私も社会人のはしくれ。
一抹の不安を抱きつつも、家を出て勤め先へ行き、仕事をこなさなければならない。
本来なら、新型インフルエンザの疑いがある場合は、
まず、各地域の発熱外来へ行かなければならないらしい。
要は、感染の拡大を防ぐ為、病院に行く前に保健所へ行ってから、
然るべき病院を指示されると言う具合になっている。
現在は、どうにかこうにか一日を終え、いつもの事ながら、これを夜半に書いている。
結局、症状から見るに、新型の可能性は薄く、きっとインフルエンザでは無く、
疲れが出た程度だろう。
こう言う、素人判断が危険だと分かりつつも、判断は出来るのだが決断が出来ない。
決断せずにないがしろにする、その油断が、大変な事態を招く。
とは分かりつつも、結局、脳内会議は小田原評定。

636声 幻のちんちん電車

2009年09月27日

「フウォーン」
と、あれはおそらくSL「奥利根号」の音であろう。
この列車は、高崎駅と水上駅間を行く、臨時列車だと記憶している。
住まいのある旧群馬町で聞こえるので、
新前橋駅から前橋駅あたりを走行中の汽笛と思われる。
車が行き交い、住宅が立ち並んだ現代でも、音は随分と響くものである。
それらが未だ整備されておらず、周囲が田ばかりの、SLが現役で動いていた時代には、
さぞや遠くまで響き渡っていた事だろう。
群馬県内において、明治から昭和時代を生きた人程、
鉄道を身近に感じていたのかも知れない。
逆に言えば現代、若者ほど鉄道離れが進んでいると言う事である。
鉄道離れと言えば、私が「東武伊香保軌道線」の存在を知った時は、衝撃を受けた。
私が住んでいる生活圏に、過去、路面電車が走っていたのである。
この伊香保軌道線は、明治から昭和初期の間、高崎駅と前橋駅前から、
渋川を経由して伊香保までを結んでいた路面電車。
その存在を、全く知らないで生活して来た。
現在、この幻の路面電車がもし残っていれば、
これほど観光資源になる路線は県内に類を見ない。

635声 流れ作業のかがり火効果

2009年09月26日

夜、近所の日帰り温泉へ行った。
行きつけの日帰り温泉なので、風呂場での行動は慣れたものだ。
浴室へ、入ってから出るまで、風呂を楽しむと言うよりは、
流れ作業式に、一連の動作を黙々とこなすと言う感がある。
体を洗ってから、サウナへ入る。
サウナから水風呂へ入り、またサウナ。
幾度かこの往復を繰り返して、露天風呂へ入る。
露天風呂から内湯へ浸かり、最後に体を軽く流して出る。
三度の食事を取る様に、あるいは顔を洗って歯を磨く様に、
生活の一部である風呂場での行動は、自然とその所作に無駄が無くなる。
公衆浴場で、良く見掛ける常連客を見ると、皆一様に、流れ作業式入浴方法である。
その流れ作業の中で、ふと千思万考の機会を得るのが、露天風呂へ浸かっている時。
此処の露天風呂には、温泉から出る天然ガスを利用したかがり火がある。
夜空の下、生き物の如く揺らめく炎を見つめ、滔々と湧き出る湯の音を聞きながら、
湯に浸かる。
物を考えるには打って付けの環境なのである。
しかし、どう言う訳か、揺らめく炎を裸で見つめていると、どうも、太古の人間の心持になる。
太古の人間の心持がどう言うものかは分からないが、
つまりは、本能を刺激される様な心地である。
若干ではあるが、野性的な思考回路になる。
そして風呂上がり、銭湯では無いので、腰に手を当て瓶牛乳とは行かない。
決まってコーラを飲む。
今日も例外無く、自動販売機でコーラを買ったのだが、
押したボタンは普通のコーラであった。
いつもなら、ダイエットコーラだの、ゼロカロリーコーラだの、
カロリーオフの商品に手が伸びるのだが、今日は違った。
これも、かがり火効果の影響だろうと思う。
久しぶりに飲む普通のコーラは、なんだか野性的な味がした。

634声 書籍化構想

2009年09月26日

本サイトのコンテンツ「とっておき探訪」で連載して来た、
「群馬路地裏銭湯記」の書籍化を考えている。
考えていると言っても、もう腹は決まっていて、現在、少しずつではあるが、
発売出来る様に事を進めている。
かと言って、出版社などで刊行され、書店に平積みさせる様な本でも無いので、
自ら制作から発売までの過程を担う訳である。
所謂、自費出版と言う形になる。
発売を目指して、大海原へ船を漕ぎ出した。
それは良いのだが、如何せん肝心の船は手漕ぎボート。
おまけに、漕ぎ方も知らずに出航したものだから、推進力が出ない。
日々、波に煽られている始末。
しかしながら、もろくも瓦解し、失われ行く、市井文化の保存。
銭湯の本と言う形で、それを残して行きたい。
ごまめの歯ぎしり程度ではあるが、一石を投じて見たい。
前橋中心市街地より、そんな事を思いながら、ふらふらと自転車で帰って来て記す。
兎にも角にも、やるなら今しかねぇ。

633声 土産物屋の貝殻細工

2009年09月24日

シルバーウィークも終わり、各観光地もどうやら一段落。
ETCの割引効果で、泣いた所もあれば、笑った所もある。
高速道路のインターから外れた都市などは、苦戦を強いられた事だろう。
一方、インターから交通の便が良く、かつ駐車場の広い観光地などは、
その恩恵を大いに享受できた筈。
先の小旅行の道中、私が立ち寄った観光地で、特に驚かされたのが、
各地の「道の駅」である。
土地土地の道の駅は、何処へ寄っても大入り満員。
地場の特産品を買う人、名物料理を食べる人、
旅の道中で憩う人たちがごった返している。
この大型連休に照準を合わせ、多くの道の駅が多彩なイベントで観光客を迎えていた。
地場食品で有名な所は、地場食品試食フェア。
特産品で有名な所は、特産品の体験、実演フェア。
大河ドラマ「天地人」で有名な所は、天地人フェア。
この様に、道の駅に一歩足を踏み入れれば、財布の紐は緩みっぱなしになってしまう。
したたかと言うか抜け目無いと言うか、そのたくましい商魂には恐れ入った。
利用する側も、見る、買う、食べると、観光の醍醐味を味わう事が出来る。
だから、多くの客が立ち寄るのであって、ともすれば、
道の駅を目的地として旅行する人が、少なくないと言う。
翻って、昔から有名な海沿いの観光地。
昔堅気で昭和の雰囲気漂う、土産物屋を覗いて見た。
そこでも驚かされた。
私が小学生時分、親の反対を押し切って買ってもらった土産物が、
寸分違わぬ姿で、未だに販売されているではないか。
タペストリーにキーホルダー、ボールペン等々。
そして、貝殻細工の天井から吊るす飾り物の数々。
商魂はもはや、発酵、熟成し、埃塗れで眠っている。
寝かされた土産物は、得も言われぬ香気を放つ。

632声 景勝野郎

2009年09月23日

陽は傾いて、海の上。
凪いだ波間を、黄昏に染めている。
夕陽、海原を一筋に伸び、其れはあたかも、輝ける道の如し。
などと、自らの料簡を気障野郎にさせる位、日本海に沈む夕陽は綺麗だった。
群馬から新潟、新潟から群馬。
その道中、車窓風景には延々と田園風景が広がっていた。
見渡す限り、黄金色に波打つ稲穂。
丁度時期で、農家の人たちが稲刈りに精を出していた。
方法は変われど、悠久の昔から続く、人々の営みの光景。
寄せては返す波。
その一つの波紋の様なものでは無かろうか。
人の一生など。
とまたもや、魚沼の田園に沈む夕陽があまりにも綺麗だったので、
自然と気障なセリフを吐かせる。

631声 新潟市

2009年09月22日

兎も角、海。
それも、日本海。
見たくなって、北上。
新潟の朝は、小雨交じりの薄曇り。

630声 村の夜は深い

2009年09月21日

その鍋の肉が鹿だと知らされたのは、あばら骨を掴んで肉に齧りついている時だった。
特有の香りと濃厚な肉の味わい。
夜の林の中、太古の男を気取って、夢中で骨をしゃぶっていた。
都会の飲食店では味わえない、上野村ならではの味わい。
「クライマーズハイ」と言う作品があって、テレビドラマや映画になっている。
その撮影現場として使われた旅館。
と言う事を知ったのは一昨夜。
鹿鍋を平らげてから、たけなわになった親睦会の宴席を辞して、上野村内に在る、
その旅館に着いてからの話だった。
歴史ある旅館で、広間の柱には、明治時代初期に起こった秩父事件の際に出来た刀傷が、
現在でも生々しく残っていた。
ビジネスホテルでは味わえない、古い宿ならではの味わい。
味わい深い村の味わい深い夜に、深く酔った。

629声 遊冶郎日乗

2009年09月20日

上野村での第10回俳句ingを終え、一旦家に帰って来て書いている。
この一旦っちゅうのは、また出掛ける用事があるから。
丁度、放課になった小学生が家へ帰って来て、玄関にランドセルを放り投げて、
また遊びに出掛ける様な具合である。
ランドセルを放るか、PCに文章を放るかの違いで、
小学生時分となんら変わらぬ事をやっている。
しかし、子供時分は外で元気に遊んでいると褒められる事もあったのだが、
それが今や、「あの遊冶郎」と近所で後ろ指を差されている。
だから私は、つまりは、もう、出掛ける時間が来た。