日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和8年度は4月(坂)5月(ぬ)6月(岡)7月(す)8月(堀)9月(坂)10月(ぬ)11月(岡)12月(す)1月(堀)2月(坂)3月(ぬ)の順です。

628声 自然の中で筆とる日

2009年09月19日

明日の俳句ingの為に、本日より上野村に入る予定である。
俳句ingは明日の朝だから、明日出発すれば十分間に合うのだが、
本日夜に現地で宴席がある。
なので当日、集合時間に遅れる心配は無い。
「山の懐に抱かれる」
と言う形容が相応しく、山の中にある上野村。
過去に2回ほど宿泊した事があるが、夜が心地好い。
兎も角、辺りは森閑としていて、虫の声に紛れて、時折、梟などが鳴いている。
露天風呂に入りながら、夜霧に浮かぶ山を眺めていると、
山から鵺の声でも聞こえて来そうである。
そんな風景が詩情を誘わない訳は無い。
自然と筆も進むと言うものだ。
そう言えば、昔、上野村に在るコテージの管理人から聞いた話がある。
それは、夏も過ぎた初秋の頃。
コテージの予約が入った。
宿泊者は、若い女性独りきり。
不審に思ったのだが、断る理由も無く、了承。
その女性は、コテージに来て、日がな一日、
散歩したり管理棟に在るレストランで食事をしたりし、後はコテージに籠りっぱなし。
時々、思いつめた様な顔をして、コテージ横に掛る吊り橋から下を覗いている。
「こりゃ、自殺志願者なのかな」
と、管理人は密かに思い抱いだいた。
しかし、若い女性客なので、無暗に近づいても悪いと思い、一定の距離を置いていた。
毎日、気を揉みながら、付かず離れず、その人の動向を気にしていた。
連泊に次ぐ連泊。
滞在1週間が経とうとしていた或る日。
その女性は、レストランで夕食を食べながら、「明日帰る」と言う旨を管理人に伝えた。
管理人は、思い切って聞いてみた。
「随分ゆっくりされていたみたいですが、毎日、何をなさって過ごしていたんですか」
すると、その女性は笑みを浮かべて、
「小説を書いていました、お陰様で、滞っていたものがやっと完成しました」
やはり、天然風景は詩情や想像を豊かにし、自然と筆も進むのものなのだ。

627声 打ち上げ食堂

2009年09月18日

眠い。
ちゅうのも、今週一週間、常に眠かった様な思いさえある。
季節の変わり目だからか、朝起きてから日常生活を営む上で、
睡魔につけ込まれる回数が、やたらと多くなった。
天気の穏やかな日が続いていると言う事も、一つの要因だろう。
我ながら、呑気なものだと思う。
明日からは、世間全体が呑気に空気に包まれる。
大型連休、俗に言う「シルバーウィーク」だ。
其れに伴って本日、サラリーマンなどは、連休前の打ち上げをする一団も多い筈。
夜の街の居酒屋で一杯。
通常ならばこう来るだろうが、本日、私が目にした打ち上げはちと様子が違った。
昼飯時。
行きつけの食堂で、独りラーメンを啜っていた。
すると、暖簾をくぐって来たのは、付近の工場と思しき作業着を着た人たちの一団。
座敷席へ上がり、それぞれ、注文する。
ここで吃驚したのが、注文の仕方が、居酒屋での打ち上げでよく見られる方式であった。
「はい、じゃあ飲み物から」
「コーラの人は手を挙げて下さい」
「1、2、3・・・、はい、じゃあコーラ以外の人、はい、斉藤さんは何ですか」
「ウーロン茶」
「はい、藤井くんは」
「オレンジジュース」
「あっ、俺もオレンジ」
ってな方式で飲み物だけを先に注文し、各席に飲み物が行き渡った所で、幹事の挨拶。
乾杯してから、食べ物の注文。
皆、カツ丼やカレーライス、ラーメンに餃子を突きながら、歓談している。
打ち上げの内情はどうも、昨今の経済不況による業績の圧迫で、
暑気払いやなんやらの打ち上げが伸びに伸びてしまった。
中止も惜しいので、止むを得ず、経費の掛らぬ昼食打ち上げにしたと言うものらしい。
宴もたけなわ。
一本締め、ないしは三本締めこそないが、13時10分前には、幹事が速やかに閉会の挨拶。
一団は潮が引く様に店を辞して行き、店内はまた静かになった。
しかし、深刻な経済不況の波は、以前として市井生活からは引いてくれない様である。
呑気に欠伸もしていられない。

626声 八ツ場ダムのからあげ定食

2009年09月17日

昨夜、鳩山内閣が発足した。
それに伴って、選挙前に掲げたマニュフェストを断行すべく、
各大臣たちが党の意思を明言している。
その中で、とりわけ本県に関わりが深いものは、八ツ場ダムの建設を中止だろう。
組閣直後から、前原国土交通相が表明していた建設中止を、
つい先程、鳩山首相が首相官邸で記者団に対して明言した。
地元住民の人たちは、相当気を揉んでいる事と思う。
しかし、私などは呑気なもので、お茶を啜りながら朝刊を読み、
晩酌の麦酒を舐めつつテレビニュースを見て、気を向けている程度。
八ツ場ダムの建設現場付近に、一軒の食堂がある。
顧客の大半は、建設現場で働く仕事師たち。
昼に行くといつも、屈強な男たちが丼飯を掻き込んでいる様な店である。
そう言う店だから、安くて量も多く、味も素朴で美味い。
その店のからあげ定食が好きで、行った際は頻繁に注文していた。
このニュースを見て、真っ先に思い巡らしたのが、この食堂であった。
八ツ場ダムの建設が中止になったら、あの食堂は大丈夫だろうか。
ダムの建設の功罪対しては、浅学故に意見出来ないが、
あのからあげ定食の味は、地域に残ってほしい。

625声 高見の丘の見物

2009年09月16日

高崎市に、「鼻高展望花の丘」と言う丘陵地が在る。
今日、丘の一本道を通ったら、丁度満開。
丘を埋め尽くさんばかりに咲き競う、鮮やかなコスモス。
秋晴れの青空に映え、可憐に揺れていた。
コスモス畑の脇には、ちょこんとススキが群生していた。
秋の陽は釣瓶落としで、暖色を帯びた陽射しが、穂をキラキラさせている。
近づいて見ると、ススキの茎にじっとしがみ付いている、キリギリスが1匹。
秋の夕方の花見とは、中々、風流な奴である。
そんな事を思っていると、コトンと地べたへ落っこちて、
たどたどしく、叢の陰に跳ねて行ってしまった。
さては、アリさんの家でも冷やかしに行ったか。

624声 私の秋の恒例行事

2009年09月15日

秋の恒例行事と言えば映画祭。
どう言う巡り合わせか、一昨年、昨年の10月は、映画祭に参加していた。
一昨年は、片品村で開催された「第2回尾瀬の森映画祭」。
昨年は、会津若松市で開催された「第10回あいづふるさと映画祭」。
私のささやかな楽しみであった、この秋の恒例行事も、どうやら今年で一旦休止。
どちらの土地も、三紫水明の地であったから、景観が良く、食が美味い。
とくれば、当然、酒がすすむ。
そう言う土地は、器の大きな、気持ちの良い人を生むのだと、実感した。
そして、どちらの映画祭にも共通していた上映作品が、「男はつらいよ」である。
元はと言えば私も、「男はつらいよ」フリークが高じて、ひょんな話の運びから、
映画祭への切符を掴んだ。
会津では、山田洋次監督に会えた。
兎も角、経緯が巡り巡って、大変貴重な体験が出来た。
今年の秋は、独りゆっくりと「男はつらいよ」の好きなシリーズを、
観賞しようと思っている。
しかし、酒だけは会津の地酒で楽しもう。
会津でしこたま美味しい地酒を飲んで以来、少しは日本酒が分かる。
ような気になっている。
「男はつらいよ」では、寅さんが旅する、美しい日本の山村風景が映っている。
見ているといつも、ふらりと、尾瀬へ行って見たくなる。

623声 港から民宿まで 後編

2009年09月14日

昨日の続き。
では、インターネット普及以前はどうだったか。
懇意の宿がある人、旅行雑誌できっちり事前計画を立てる人などは事前予約。
それ以外の人は、現地調達である。
この現地調達人口が、多くを占めていたと記憶している。
子供時分の家族旅行。
宿を決めずに出発するお父さんってのが、結構いた。
私の親父もその類で、日本海に浮かぶ、名前も聞いた事が無い様な、
得体の知れない小島に行くってのに、事前予約をしないで出発した。
船が港に着いてから、島役場の出先機関かなんかの観光案内所で尋ねるのだ。
「今、島に着いたんですが、今日、宿泊できるところ、どこか紹介して下さい」
ってな塩梅。
そうすると、係りの人が当てずっぽうにに電話して、予約を取り付けてくれる。
暫くすると、軽自動車に乗った民宿の親父が港に迎えに来て、一家揃って、
荷台に乗っかって民宿まで向かう。
ガタゴト揺れる荷台にしがみ付き、「とんでもない所に来てしまった」と思っていた。
すると、後ろから我が家族の乗るオンボロ軽トラを追い越して行く、一台の送迎バス。
どうやら、島で唯一の高級ホテルの送迎バスらしい。
すれ違い様、車窓に映る、自分と同年配と思しき可愛い少女と目が合った。
向こうはクーラーの効いたバスで、高級ホテルへ向かう。
こっちは、喘息の如きエンジン音の軽トラの荷台で、民宿へ向かう。
あの夏、あの島、あの時に痛感した胸の痛みと共に、
(これ比喩表現ではなく、肉体的な痛みを伴って)忘れえぬ思い出の一場面となっている。
もっとも、私の親父が事前予約をしたところで、結局は同じ民宿に泊まったと思う。
そして、その民宿も、行って見るとなかなか良かったんだ。

622声 港から民宿まで 前編

2009年09月13日

週末に迫った、5連休。
巷じゃ、「春のゴールデンウィーク」に対抗して、
「秋のシルバーウィ−ク」なんて呼称が付いた。
猫も杓子も観光集客だってんで、先週辺りから、私のメールアドレスにも、
登録している観光関連のサイトから、烈火の如くメールが来ている。
メールの惹句を見ていると、なんだか旅行に出掛けねばならない様な気が起こる。
なので秋の行楽シーズン、今頃になって遊山の計画を立てている。
そして、現段階において、既にこの小旅行計画が頓挫しかかっている。
時、既に遅し。
何処も満室で、宿の予約が取れないのだ。
辛うじて、地方都市のビジネスホテルが空いているくらい。
観光地、温泉場などになると、ほぼ全滅。
私はインターネットで検索しているのだから、ネット予約ができる宿に限られるのだろう。
しかし現代は、鄙びた温泉場の小さな宿だって、HPを持っている時代。
つまりは、ネットで検索し、一覧参照および予約を取り付けてから出発するのが、旅の定石となっている。
しかも、宿泊予約仲介サイトなどから予約すれば、幾らか宿泊料が割引になるし、
「ネット予約の方に限り朝食無料」なんて言う、
「インターネット割引」を導入している宿も多くある。
この割安感が、近年のネット予約普及に拍車をかけた。
ぐちぐちと書いていたら、図らずも、
前後編に分けなければ掲載できない分量になっていた。
続きはまた明日。

621声 露天風呂の玉手箱 後編

2009年09月12日

昨日の続き
ヤバい、と言うのは好意的にヤバいらしい。
そして、話を聞いていれば、と言うか聞こえ来るので聞いているのだが、
この大学生らは、何やらアウトドアサークルの一団らしい。
そして今日、群馬県の何処かでキャンプをした帰りに、この日帰り温泉に寄ったのだ。
サウナから出て、露天風呂に浸かりながら、
こんなにも軽薄な会話をしていたのだろうかと、若き日の自分と照らし合わせてみる。
すると、露天風呂。
女湯の方から、何やらうら若き乙女の、
などと、こんな俗な表現をしている自分にいささか幻滅するが、
若い女子の艶のある声が漏れ聞こえて来る。
あの声はもしや、先程のサチでは無いか。
いや、良く聞けばユミと言う線もあるな。
などと、声音から想像、半ば妄想しつつ、気付けば心地良くうとうとしていた。
竜宮城。
女子大生たちと絢爛豪華な饗宴をしている、私。
三味線を爪弾く乙姫様からお酌を貰い、勢揃いした天女を見渡せば、
チュロスを食べているサチと妖艶なユミも居る。
夢見心地で、もう一杯。
飲もうとしたら、
「ウ゛ェッホン、カッ、カッ、カーッ、トッ」
露天風呂の排水溝に、隣の親父が痰吐く声。
夢見心地の競演から引きずり戻され、非常に不快な目覚め。
艶のある若い声も何処かへ消え失せ、おばちゃんのガラガラ声が空しく響いている。
露天風呂の岩陰に、蓋の開いた玉手箱でもあったのかしら。

620声 露天風呂の玉手箱 前編

2009年09月11日

滴り落ちる汗も拭わずに、焦点の合わぬ目でぼんやりと宙を見つめている。
ここは、日帰り温泉のサウナ。
隣から聞こえて来るのは、大学生と思しき男二人の会話。
「じゃあ、一年のアイツはどう」
「あの金髪のヤツかい」
「そうそう、小柄の」
「アイツは一寸、ギャル過ぎるな」
「そうかなぁ」
若い男二人。
サウナでの、話題なんてのは、いつの世も同じだ。
「俺さぁ、この前の連休、サチとディズニー行って来たんだけど」
「えっ、俺、年末に行ったんだけど、ディズニーにサチと」
「ウソ、マジで」
「マジマジ」
「・・・・」
「あいつ、チュロス、食った」
「うん、あいつチュロス食ってたよ」
「チュロス好きだよな、あいつ」
「うん、チュロス好きだよ、あいつ」
ひょんな話題から、気まずい空気が室内に流れる。
サウナの熱さか、女心の移り気を思ってか、二人に苦悶の表情が浮かぶ。
「ユミいるじゃん、隣のクラスに」
「あー、いるねぇ」
「アイツは、どう」
「どうって、アイツはヤバいだろ」
「だろ、アイツはヤバいよな、マジで」
「今日のアイツ、特にヤバかったな」
「ヤバかったなぁ、今日のアイツは」
どうやら、もう寝ないとヤバそうなので、この続きはまた明日。

619声 風の子

2009年09月10日

今朝、半袖では肌寒い。
もう、秋の空気に入れ替わっているからだろう。
朝刊、紙面を賑わしているのは、
民主党の政権下、国民新党、社民党との連立政権が合意された、ってなニュース。
薫りの引立たない、安物のコーヒーを啜りつつ、窓の向こうのいわし雲を眺める。
そして午後になると、山から強い風が降りて来た。
赤城おろしの時期には未だ早いが、もうからっ風の吹く時期になった事を実感。
稲穂を揺り倒しながら、吹く風の、あの「ゴォー」っと言う音を聞くと、
なんだか気が萎える。
気は萎えるのだが、それまで凪いでいた胸の内は、俄かに時化出して、
どうにも落ち着かない心持になる。
午後3時過ぎ、放課になった小学校低学年生たちが、田の畦道を跳んで帰る。
半袖半ズボン、風と戯れながら、全身で帰る。
「子どもは風の子」
いつの時代も。

618声 日日の朝

2009年09月09日

早朝、洗面所の南向きに在る窓を開けると、快晴であった。
目に染む淡い空色。
眩しく輝く野辺の緑。
榛名山は、群青を溶かした様に、深く青い。
水路脇の一本道、自転車の高校生が横切る。
青年、息せき、立ち漕ぎになり急いでいる。
私は、顔を水で洗い、清潔なタオルで拭く。
窓から、「ひゅう」と吹き込む秋風まで、何やら忙しく感じる。
深いため息をつき、今日も歯ブラシに歯磨き粉を塗っている。

617声 待ち人やつれ

2009年09月08日

夜、それも夜半である。
腕組みして平静。
と言う体で待っているのだが、落ち着かない。
もう長い事待っている。
半ば、待ちくたびれちゃっている。
もう、帰ろうとも思うが、そんな不義理をする度胸も無い。
かと言って、一向に来る気配が無い物を待つのも、一寸、辛い。
だから、焦燥。
早く来いと願う。
「何やってんだ」と罵る。
「来ないのでは」などと疑ってみる。
だから、不安。
紛らわす為、文庫本を手に取り、頁を捲る。
気も漫ろ、本投げ出して、舌打ち。
悲観、それでも探す、蜘蛛の糸。
一体、何処へ行ってしまったのか。
腕組みして呆然。
来ないまま、糸を掴めぬまま、本稿を終える。
終わってから来たって、もう遅い。
分かっているのか。
インスピレーション。

616声 夜風と秋虫

2009年09月07日

ひっきりなしに駅のホームに入線して来る、電車の音。
駅構内に響く、群集の靴音。
路上、街頭演説の拡声器。
東京の喧騒に揉まれ、流され彷徨って、こっち(群馬)へ帰って来た夜。
自宅の狭い風呂で温い湯に浸かっていると、都会の音の破片が、耳の奥。
じわりじわりと、熱を発する。
窓から聞こえて入って来るのは、涼しい夜風と秋虫の声。
じわりじわりと、熱を鎮める。
涼しい夜風と秋虫の声。
蛇口から水を飲む。

615声 ビール工場遊学

2009年09月06日

予てより念願だった、ビール工場の工場見学へ行って来た。
場所は、武蔵野。
サントリー武蔵野ビール工場である。
沿線風景の武蔵野には、土が見える。
新宿から列車が進む連れ、所々に散見される住宅の間の小さな畑が、
気持ちを緩ませる。
京王線の分倍河原駅で降り、駅前よりシャトルバスに乗る。
10分も掛らずに巨屋な白い建物が現れ、サントリー武蔵野ビール工場へ到着。
食品工場だけあり、場内は衛生的で綺麗だ。
受付で工場見学の説明を聞き、参加者を20名程の一団に分け、
引率の姉さんに後に続き見学。
内容は主に、サントリービールの四番打者である、「プレミアムモルツ」に関するもの。
原料を仕込んで発酵させ、出来上がったものを貯酒。
それをろ過して、缶詰めにすると言う一連の工程を解説付きで見学。
一団には数名子供もおり、ファミリーから年配まで、年齢層はまちまち。
約一時間を要する見学の最後には、出来たてのビールの試飲がある。
ピルスナーグラスに、なみなみと注がれた生ビール。
泡の比率は7:3の黄金比率。
グラスを傾けるだけで感じる、馥郁たるホップの香り。
喉を滑って、帰って来る、芳醇な味わい。
この瞬間、自分の美味い麦酒に関する価値を、新しくした。
最後の10分間は、ビールをおかわり自由。
プレミアムモルツ、モルツの2種を選択でき、飲み比べられる。
おまけに、席には乾き物のつまみも用意されている。
ふんわりと、心地よい酔いを纏って、ビール工場を後にする。
驚くなかれ、この工場見学は、無料なのである。
車窓から、どんどん小さくなって行く、ビール工場へ向って、小さく合掌。
「ありがたやありがたや」

614声 土俵際

2009年09月05日

以前にも書いたが、秋の読書熱に冒され、中毒患者の様相を呈している。
よって、睡眠時間は減り、読了した本は増える一方。
睡眠時間が減るのは、生活上の支障が少なくない。
では、読書を止めて、早寝をすれば良いだけの話なのだが、そこは中毒。
どうしても止むに止まれず、寝床の中で読んでしまう。
そこで、一計を案じて、最近実行している方法がある。
それは、睡眠を誘う様な本を読むと言うもの。
つまり大袈裟に言えば、「毒を以て毒を制す」と言う事になる。
しかしながら、内容が眠たくなる様な、数学書や六法全書なんて本は、
出来るだけ読みたくない。
其処は、内容で無く、体裁に焦点を当てる。
毎日、寝床で読む本は、決まって文庫本を読む。
それは、軽い文庫本なら腕に負担が掛らず、活字も大きくて、読み易いから。
それを、重くて活字の小さい、しかも古くて旧仮名遣いの、
箱入りの文学全集なんてのに変えるのだ。
すると、内容は面白いのだが、1巻が厚く、重たい、上製本の全集の為、
直ぐに腕が疲れ、旧仮名遣いの難読も相まって、睡魔の侵攻に勢いが出る。
それまでは、睡眠欲と読書欲が、寝床の土俵でがっぷり四つに組んで、
「のこったのこった」をしていたのだが、
重量級の全集が登場してからは、組み合うまでも無く、あっさりとはたき落とされる。
土俵の上で力尽き、崩れ落ちる読書欲。
かくして私は、本を手にしたまま、眠ってしまう。

613声 缶詰生活 後編

2009年09月04日

昨日の続き
そしてまた、来る日も来る日も、缶詰漬けの生活。
主に夕食は、御飯とおかず缶詰、暇があれば蜜柑の缶詰めを食べている。
当然ながら、一月もすると、部屋の中は缶詰工場の如く、
はたまた、さながら燃えないゴミ置き場の様相になって来た。
それでも、自分はなんと良い効率かつ良い栄養バランスの、食生活を営んでいるのだろう。
と言う、能天気な思考回路を持って生活していた。
蜜柑の缶詰を食べていれば、万事、健康状態を維持できると、盲信的になっていた。
ここで一寸、主題から逸れる。
私は食に無頓着な性質で、同じ献立を毎日食べても、左程苦にならない。
むしろ、同じ物を食べ続けると言う様な、一種の癖がある。
現に、行きつけの食堂などでは、同じメニューを2年も3年も食べ続けている。
テレビドラマなどでは良く目にする、「大将、いつものやつね」なんて言う件。
居酒屋で一般化している、「どりあえず生中」と言う様な注文方法から見ても、
案外、日本人にはこう言う性質の人が多いのかも知れない。
さて、部屋を埋め尽くす缶詰である。
それでも、定期的におかず缶詰は捨てていた。
タレの容量が多いので、洗って置いても、数日で匂いが発生するからだ。
それと異なり、蜜柑の缶詰は、洗って置けば、左程匂いも無く清潔に保てる。
其れに甘んじて、部屋の中には、蜜柑の缶詰めピラミッドが構築されて行った。
その数たるや、20や30個では済まなく、50や60個はあったと思う。
心の隅に、「どこまで集められるか」と言う、収集癖も顔を出し始めていた。
その時期の或る日、家に遊びに来た友人は、その光景を見て絶句し、
踵を返して、そそくさと帰ってしまった。
後日談によると、どうも私の事を、「奇人」または「変人」、
つまりそう言う「異常者」の類だと思ったらしい。

612声 缶詰生活 前編

2009年09月03日

先日、昼飯時の軽食堂でメニューを選んでいた。
その際、ふと、そろそろ夏も終わりだと思った。
だとすれば「これで食い納め」と思い、冷やし中華を注文した。
出てきた冷やし中華の隅には、ちょこんと、鮮やかな蜜柑の粒が3個、添えてあった。
その色、形から、缶詰の蜜柑だと思い、食べて確信。
非常に、懐かしい風味が、思い出を回想させた。
高校を卒業し、実家を出て他県で独り暮らしをしていた時分、まず食が困った。
「これからは自炊だ」
って言ったって、それまで料理などした事も無い。
米だって満足に炊けない始末で、おかずを作るなんて、毛頭考えられない。
そこで重宝したのが、缶詰である。
これはもう、料理もへったくれも無い。
「ベコ」っと蓋を開ければ、中には、絶妙な味付けの鯖の味噌煮やら、
焼き鳥やらが入っている。
食べ終わったら、缶を捨てれば良いだけで、後片付けも簡単。
この文明の利器は素晴らしい。
おまけに安い。
と来れば、買わない手は無い。
現代人である事に感謝しつつ、来る日も来る日も、大量に購入してある缶詰を食べ続けた。
しかし、この順風満帆な缶詰生活に、或る日、一抹の不安が去来した。
それは、「あまりにも栄養バランスが悪いのではないか」と言うもの。
逆説的に言えば、栄養の、しかもバランスの事を注意を回せる様な余裕が、
生活に出てきたと言う事。
つまりは、余裕ある不安なのである。
これは直ぐに解決した。
その解決方法は、蜜柑の缶詰を食べる事。
やはりこの時期、私は一種の缶詰中毒になっていたようである。
蜜柑には「ビタミン」が含まれている。
その類の栄養素を漠然と摂取していれば、まず健康に問題は無いだろうと言ういう、
浅はか極まりない解決法である。
次日、買い出しに行った際、おかずの缶詰の他に、蜜柑の缶詰を大量に購入し、
意気揚々と帰って来た。
明日へ続く。

611声 中毒と共に住む

2009年09月02日

「読書の秋」
と言う惹句に、扇情さえてか、洗脳されてか、近頃、急速に読書熱が高まっている。
中古本を買い漁り、読み散らしている。
部屋では、未読の本が都市化(林立するビルの如くに積まれている状態)していると言うのに、
新たに買ってしまう。
新たに買うのは、葉本の類が多いのだが、葉本を買いに行ったついでに、
別の本も目に付き、気付けば小脇に抱えている。
読書熱が高まっている時と言うのは、或る種、中毒患者に近い状態になっている。
例えば、全5巻の小説を読み始めるとする。
しかし、所有しているのは、3、4巻が欠落した1、2、5巻。
ゆっくりと1、2巻を読み進め、中古本屋で見つかった時に買えば良い。
などと、大らかな気持ちで頁を捲っているのだが、次第に小説にのめり込んで行き、
気付けば2巻を読了してしまっている、3巻は未だ手元に無い。
こうなると不味い。
どうしても先が読みたい、読みたくて堪らない。
夜っぴいて読んでいるので、顔色は優れず、虚ろな目の下には、隈。
気もそぞろで、日常の所作は、敏捷性を欠く。
まさに、中毒患者の状態さながらである。
火急の事態に、中古か新品かを選択する余地も無く、結局、新品で葉本を購入し、
一段落すると言う始末。
これから暫く、秋の長雨が終わる頃ぐらい迄だろうか、
日々、中毒と共に生活して行く事になりそうだ。