日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和6年度は4月(ぬ)5月(岡)6月(す)7月(堀)8月(坂)9月(ぬ)10月(岡)11月(す)12月(堀)1月(坂)2月(ぬ)3月(岡)の順です。

5057声 残心

2022年03月14日

晴れて春塵の舞う一日。そして大阪行の疲れの抜けきらぬ一日。唯一の心残りは、先月にオープンした大阪中之島美術館を観られなかったことだ。これはまた次回の楽しみとしよう。長谷川櫂著『俳句と人間』(岩波新書)を読了。俳人としての腹のくくり方に感服。

5056声 豚まんと麦酒

2022年03月13日

晴れて夜から下り坂。疲労というのはどうしてこうも蓄積するのか。翌日になって疲れが出てくる。しかも毎晩麦酒で逃がしていた疲れがも一緒に。食べきれぬほど、551の豚まんを買ってきたので、昨夜も豚まんと麦酒、今晩も豚まんと麦酒。豚まんと麦酒、もうおなかいっぱい。頭が回っておりませぬ。

5055声 蝶と風船

2022年03月12日

引き続き晴れて暖か。大阪からの帰る道すがら、浜松町での句会に出た。吟行は芝公園に足をのばして、彼岸桜や山茱萸などみていたところ、目の前を蝶が横切った。「初蝶」である。季語には何かと「初」が付くものが多いが、その中でも「初蝶」はけっこう好きな季語なのである。ぱっと一句できて、書き留めた。もちろん、私にとって今年の「初蝶」はこれで終わり。今年の初蝶との出会いとしては、かなり良い状況でだったのではなかろうか。大阪での疲労が濃く、久しぶりの新幹線にも疲れ、足取りが重かったのだが、この初蝶に救われた。何かのイベントなのか風船が何十個と浮かんでおり、東京タワーの先の空へ消えていった。

5054声 泉喪失

2022年03月11日

晴れて暖か。出張で大阪である。こんな時期にも関わらず新幹線は結構混んでいた。所要駅には修学旅行であろう詰襟の学生や、卒業旅行であろうか若者の一団などがおり、わさわさとしていた。大阪の地を踏むのは何年ぶりか、正確には思い出せないほど、空いた。エスカレーター乗ると「あっ右か」など、小さな驚きの中で関西圏の感覚を完全に失っていることに気づいた。用事を済ませて、ホテルへ帰る道すがら、改装され小ざっぱりとした大阪駅の内部に、これまた小さく驚くとともに構内の「泉の広場」には泉がなく周辺の立ち飲み屋もなく、ずいぶんきれいになってしまって、とても寂しい思いであった。

5053声 梅の香り

2022年03月10日

花粉症の症状が徐々にピークになりつつあり、目鼻がもう自分についているとは思えないほど、馬鹿になっている。蔓延防止も延長となり、もろもろ三月の予定にも変更が生じ、いささかバタつく。都内の巷では梅が盛りを過ぎて散り始めている。梅の香りも、この馬鹿になった鼻ではもはや…。

5052声 持続不可能だからこそ

2022年03月09日

寒さも緩み春めいた一日。帰宅すると俳誌がポストに入っていた。国内津々浦々に結社があり俳誌がある。俳句という文芸の裾野の広さを感じるが、やはり近年の高齢化は否めない。新陳代謝しないと存続が危うい結社がほとんどであろう。「持続可能な」というのが、社会的なひとつのテーマになっているが、俳句の結社の大半はもっともかけ離れた存在であろう。しかし、持続不可能な存在が醸し出す美に惹かれてしまうのは、私のやっかいな性分である。

5051声 春の艶

2022年03月08日

朝から雨。気温は一桁で寒の戻りとなったが、風物にはやはり春雨らしい艶やかさがあった。いろいろと差し迫っているものがあり、年度末というのは、やはり嫌だ。

5050声 突っ込む首

2022年03月07日

春寒くも快晴の一日。以前からそっち側には首を突っ込みたくない、と思っていることがあった。見て見ぬふりをしていたら、向こう側から首根っこをつかまれて、引きずり込まれる。ということになってしまった。

5049声 悪魔の麦酒

2022年03月06日

昨日はちょっとした祝事があり、ちょっとした贅沢をした。夜には、ちょっとしてはいるが、いちおう祝事だからと、秘蔵してあった麦酒を冷蔵庫の底から掻き出して、栓を開けた。一番の主役はデュベルのトリプルホップである。アルコール度数が9.5%あるとは思えぬほど、軽く香り良くそして苦く。飲みつつ、アマゾンプライムで黒澤明監督の『まあだだよ』を観る。以前にも観ているので、二回目か三回目か。作中で「摩阿陀会」という宴会があるのだが、浴びるように麦酒を飲みかつ歌いというような宴会風景に、恐れおののく。つられてテレビの前に麦酒瓶を並べてしまい、結局飲みすぎてしまった。何年経っても治らぬ、酔眼朦朧状態で寝る寸前にチャルメラを作って食べるこの癖はどうしたものか。

5048声 令和四年の春一番

2022年03月05日

今日、関東地方で春一番が吹いたと発表された。確かに、天気は良かったが、午後からは風の強い一日だった。高崎に住んでいたことろは、朝、洗面台の脇の窓を開けると榛名山が見えた。山影への白雲のかかり具合で、概ね午後から風が吹くかどうかわかったが、今はそうもいかないが、上州ほどの烈風は少ないので、その必要もないのかもしれない。久々の風で花粉の飛散量が爆発的に増えたようで、かなり苦しい。

5047声 サクラサクラ

2022年03月04日

曇りがちで、春寒な一日。半年間で受けた句集紹介の頁があったのだが、期間中に一回分しか書かずに期間を終えた。コロナの状況もあるのだろうが、刊行する句集が思うような予定で進んでいなかったのであろうか。または私が何かやらかした可能性も。小さな俳句大会の募集句の選を進め、しこたま買ってあるサッポロの缶麦酒であるサクラビールを数本空けた。もうすぐ桜の時期である。

5046声 内裏雛

2022年03月03日

このところ暖かく、気温も日中で二桁と、過ごし易くなってきた。今朝、駅前に大きな段ボールが沢山積んであった。近くを通ると、颯爽とした女史が仮設のショーケースにきびきびとケーキを並べていた。今日はひな祭りなので、どうやら、そのために大量のケーキが納品されているらしかった。小さな内裏雛が乗ったケーキなど、かわいらしかった。

5045声 わさわさ

2022年03月02日

今日も一件、大きめの予定が飛んでしまった。三月に入って、明らかに人流が変わった。列車も混んでいるし、駅を行き交う人も、みな大きな荷物を持っていたり、なんだかわさわさと落ち着かない。飛んだといえば、今朝、庭のフェンスにスズメほどの赤茶色の小鳥が来ていた。ジョウビタキであろう。「鳥帰る」という季語がある。渡り鳥が春になって北へ帰るのである。「まだ、日本にいたほうが良いかも」と思うや否や、「チッチッ」と小さく鳴いて行ってしまった。北の大陸の方の戦火に巻き込まれなければ良いが。どうも、心が巷のわさわさを引きずっている。

5044声 そんな中でも

2022年03月01日

今日から三月。坂口さんありがとうございました。先月から延長されている「まん延防止等重点措置」が再延長される見込みらしく、依然として感染症との付き合いが続いている。個人的にも昨年から予定されていた、様々な予定が無くなったり、延期されたり、それに伴って発生してくる煩わしさや不安などあり、巷は静かだが心は騒然としているような具合である。そんな中でも、もうすぐ雛祭りで、梅が咲いて桜が咲いて卒業式でと、季節は押し移っていく。そういえば、5043声で坂口さんが触れていた久保田万太郎、心に響く句が沢山ある。その万太郎の句で〈人のよく死ぬ二月また来りけり〉がある。先月は多くの訃報があった、合掌。

 

5043声 鶯に人は落ちめが大事かな

2022年02月28日

 

いま、一番気になる俳人は久保田万太郎である。

 

俳人といったが、久保田万太郎は、「俳句は余技」を貫いた人であるので、俳人とは呼べないかもしれない。そういった意味では、久保田万太郎の俳句に惹かれている、といったがほうが良いかもしれない。

 

365日入門シリーズの「万太郎の一句」の2月28日の一句が、表題のものだ。

 

鶯に人は落ちめが大事かな 万太郎

 

「余技」とは、文字どおりの余技ということではなく、「余技こそが俳句の本筋」ということらしい。余技としておくことで、俳句の本質を損ねない。逆にいうと、花鳥諷詠だとか、●●運動だとか、●●派だとかは、俳句の本質を損ねてしまう、と万太郎は考えていたらしい。

 

肩肘張って、頑張ると本質から遠ざかるのは都々逸と似ていて、でも違うような気もして、わかりやすい表現が、いまはおもいつかないけど、なんとなくわかる。

 

わかりやすい表現ができそうなら、いつか「鶴のひとこえ」に書いてみたい。

 

ということで、明日からは3月。担当は抜井さんにかわります。よろしくお願いします。

5042声 日本一の大天狗

2022年02月27日

 

本日の大河ドラマ、鎌倉殿の13人では、源頼朝が鎌倉に入った。ドラマでは、大泉洋が演じているので、なんとなく憎めないやつなのだが、実際の頼朝はどんなだったのだろう。本日の放送では、頼朝が坂東武者たちと酒を呑むシーンもあった。いやいやだけど。

 

 

今回の大河では、頼朝のせこさが忌憚なく描かれていて面白いのだが、頼朝の酒、「無礼講」は、恐ろしかったようだ。酒を呑ませて、適当に調子をあわせて、相手から遠慮のない話を聞き出したのだという。聞きだした話をあとからネチネチやるのが、頼朝流だ。

 

酒呑みとしては注意しなくては相手だ。頼朝せこいな、とおもうところでもある。

 

いやいや、頼朝のような人がどれだけいるというのか、そもそも、コロナ禍で無礼講どころか、人と呑む機会もないのになんの心配なのだとおもわなくもないが、一人の酒呑みとして注意しようとおもう。そうおもうことにこしたことはないとおもう。

 

そんな(どんな?)せこい頼朝には、歴史上の超有名人でありながら、名言の類いが少ないのだとか。大河ドラマの頼朝は名言(迷言)だらけで、面白いのだが。

 

この大河では、西田敏行が演じる後白河法皇。この後白河法皇を評して、「日本一の大天狗」といったのが、唯一といってもよいらしい。迦葉山の天狗ではなくて、世の平穏を乱す何ものかのこと。霊力とか、もののけとか、人知の及ばぬもののことらしい。ちょっとイメージが違う。

 

 

ドラマでは先のことになるが、「頼朝追討」がかなわなかった後白河法皇は、行家と義経にのせいにして、頼朝の糾明を逃れる。そして、それでも頼朝が欲していた征夷大将軍は与えない。

口惜しかった頼朝は、

「まだわれわれは若い。法皇御万歳(死)のあとで天下の政を正しましょうぞ」と支援者である公卿に言ったらしい。大泉洋の頼朝の今後の言動が楽しみだ。

5041声 居は気を移す

2022年02月26日

ロシアがウクライナに侵攻した。

以前、地政学の本で、ロシアは国境を線ではなく、面で考える国だということを読んたことがある。仮想敵国との間に緩衝地帯としての衛星国が必要と考える国なのだ。この感覚は、国境は線だと考えているとわかりにくい。ロシアにしてみれば、ウクライナを失うことは、国境が後退することなのだ。

 

でもね。

国益を最優先に考えれば、今回の選択肢は間違いだろう。植民地よりも、領土の拡大よりも、自由貿易のほうが国が豊かになることは、歴史が証明している。国民国家よりも多国籍企業のほうが栄えている現代において、武力による命のやり取りは、経済的ではない。ウクライナとロシア国民が気の毒だ。とても悲しい気分だ。

 

 

居は気を移す。

独裁という地位は人を愚かにする。

 

 

#川柳もどき

裏地見る?裏地味ーな独裁者

5040声 歌舞伎と落語と都々逸と

2022年02月25日

 

コロナ禍になって出来なくなったことの一つに歌舞伎鑑賞がある。歌舞伎座で歌舞伎を見ることが出来なくなった。公演はなんとかやっているのだが、飲食禁止ということで楽しみも半減してるし、また、県境をまたいで遊びに行くのもはばかられるということで、歌舞伎座に行けていない。コロナが明けて、心置きなく歌舞伎座に行ける日が待ち遠しい。

 

そのかわりというわけでもないのだが、家で落語を聞くことが多くなった。ラジオのアプリやYou Tubeなど、今はとても便利だ。

なんで落語なのか。

歌舞伎と落語は粋な仲で、三遊亭圓朝の落語は歌舞伎になっていたり、落語にも歌舞伎の話が多い。両方知っていると楽しさか倍増するのである。それに、落語は、歌舞伎ほどリアルとの落差も少ない。映像や音だけでも結構楽しめるのだ。

 

 

先日、古今亭志ん朝の『居残り佐平次』を聞いてたら、佐平次が遊郭の主人に自分の来歴を語るときに、『白浪五人男』の中の台詞「がきのころから手癖が悪く・・・」とやっていた。忠信利平だ。結構うけていて、笑いがおきていた。わたしも、何回か聞いているのに、ここでは思わずニヤリとしてしまう。

 

 

 

話しは変わるが、『幕末太陽傳』という映画は、『居残り佐平次』を中心に、いくつかの落語をベースとしてつくられた作品だ。江戸の遊郭の雰囲気が感じられる映画で、志ん朝を聞いてから見るとさらに楽しめる。

この映画には、石原裕次郎が高杉晋作の役で出ているのだが、その晋作が都々逸を唄うシーンがある。

 

 

〽三千世界の鴉を殺し主と朝寝がしてみたい

 

 

まあまあ、有名な都々逸だ。

何回か登場するので、都々逸好きには嬉しい。

高杉晋作、または桂小五郎の作といわれている都々逸だが、『幕末太陽傳』では、高杉(石原裕次郎)が「俺がつくった」と言っている。

 

昭和の名人と呼ばれるような噺家(落語家)は、話の中に都々逸を入れてくる。歌舞伎でも、世話物では都々逸を唄う場面がある。

 

しかし、最近の噺家の落語で都々逸を聞くことはほとんどない。寂しいかぎりだ。

先に紹介した志ん朝の「居残り佐平次」では、かすみ姐さんが唄ったとして、佐平次が都々逸をいう場面がある。今の噺家がやるときはどんな都々逸にするのだろうか。

 

 

 

志ん朝と立川談志あたりが、都々逸のわかる噺家の最後かもしれない。

 

 

 

上州どどいつ部でお世話になっていた柳家紫文紫文師匠が、昨年11月に亡くなってしまった。

 

紫文師匠は、都々逸の楽しさ面白さを知ってほしいと都々逸の本を出すなど、その普及に尽力してきた方だ。

高崎出身ということで、ご縁をいただき、足掛け5年、毎月指導してもらった。上州どどいつの活動と都々逸の普及も忘れずにやっていきたい。

 

 

ということで、本日は、都々逸でおわりたい。

 

 

駄洒落言うのも

命懸けです

独裁国家

おそろしや