曇りがちで、春寒な一日。半年間で受けた句集紹介の頁があったのだが、期間中に一回分しか書かずに期間を終えた。コロナの状況もあるのだろうが、刊行する句集が思うような予定で進んでいなかったのであろうか。または私が何かやらかした可能性も。小さな俳句大会の募集句の選を進め、しこたま買ってあるサッポロの缶麦酒であるサクラビールを数本空けた。もうすぐ桜の時期である。
2022年03月04日
曇りがちで、春寒な一日。半年間で受けた句集紹介の頁があったのだが、期間中に一回分しか書かずに期間を終えた。コロナの状況もあるのだろうが、刊行する句集が思うような予定で進んでいなかったのであろうか。または私が何かやらかした可能性も。小さな俳句大会の募集句の選を進め、しこたま買ってあるサッポロの缶麦酒であるサクラビールを数本空けた。もうすぐ桜の時期である。
2022年03月03日
このところ暖かく、気温も日中で二桁と、過ごし易くなってきた。今朝、駅前に大きな段ボールが沢山積んであった。近くを通ると、颯爽とした女史が仮設のショーケースにきびきびとケーキを並べていた。今日はひな祭りなので、どうやら、そのために大量のケーキが納品されているらしかった。小さな内裏雛が乗ったケーキなど、かわいらしかった。
2022年03月02日
今日も一件、大きめの予定が飛んでしまった。三月に入って、明らかに人流が変わった。列車も混んでいるし、駅を行き交う人も、みな大きな荷物を持っていたり、なんだかわさわさと落ち着かない。飛んだといえば、今朝、庭のフェンスにスズメほどの赤茶色の小鳥が来ていた。ジョウビタキであろう。「鳥帰る」という季語がある。渡り鳥が春になって北へ帰るのである。「まだ、日本にいたほうが良いかも」と思うや否や、「チッチッ」と小さく鳴いて行ってしまった。北の大陸の方の戦火に巻き込まれなければ良いが。どうも、心が巷のわさわさを引きずっている。
2022年03月01日
今日から三月。坂口さんありがとうございました。先月から延長されている「まん延防止等重点措置」が再延長される見込みらしく、依然として感染症との付き合いが続いている。個人的にも昨年から予定されていた、様々な予定が無くなったり、延期されたり、それに伴って発生してくる煩わしさや不安などあり、巷は静かだが心は騒然としているような具合である。そんな中でも、もうすぐ雛祭りで、梅が咲いて桜が咲いて卒業式でと、季節は押し移っていく。そういえば、5043声で坂口さんが触れていた久保田万太郎、心に響く句が沢山ある。その万太郎の句で〈人のよく死ぬ二月また来りけり〉がある。先月は多くの訃報があった、合掌。
2022年02月28日
いま、一番気になる俳人は久保田万太郎である。
俳人といったが、久保田万太郎は、「俳句は余技」を貫いた人であるので、俳人とは呼べないかもしれない。そういった意味では、久保田万太郎の俳句に惹かれている、といったがほうが良いかもしれない。
365日入門シリーズの「万太郎の一句」の2月28日の一句が、表題のものだ。
鶯に人は落ちめが大事かな 万太郎
「余技」とは、文字どおりの余技ということではなく、「余技こそが俳句の本筋」ということらしい。余技としておくことで、俳句の本質を損ねない。逆にいうと、花鳥諷詠だとか、●●運動だとか、●●派だとかは、俳句の本質を損ねてしまう、と万太郎は考えていたらしい。
肩肘張って、頑張ると本質から遠ざかるのは都々逸と似ていて、でも違うような気もして、わかりやすい表現が、いまはおもいつかないけど、なんとなくわかる。
わかりやすい表現ができそうなら、いつか「鶴のひとこえ」に書いてみたい。
ということで、明日からは3月。担当は抜井さんにかわります。よろしくお願いします。
2022年02月27日
本日の大河ドラマ、鎌倉殿の13人では、源頼朝が鎌倉に入った。ドラマでは、大泉洋が演じているので、なんとなく憎めないやつなのだが、実際の頼朝はどんなだったのだろう。本日の放送では、頼朝が坂東武者たちと酒を呑むシーンもあった。いやいやだけど。
今回の大河では、頼朝のせこさが忌憚なく描かれていて面白いのだが、頼朝の酒、「無礼講」は、恐ろしかったようだ。酒を呑ませて、適当に調子をあわせて、相手から遠慮のない話を聞き出したのだという。聞きだした話をあとからネチネチやるのが、頼朝流だ。
酒呑みとしては注意しなくては相手だ。頼朝せこいな、とおもうところでもある。
いやいや、頼朝のような人がどれだけいるというのか、そもそも、コロナ禍で無礼講どころか、人と呑む機会もないのになんの心配なのだとおもわなくもないが、一人の酒呑みとして注意しようとおもう。そうおもうことにこしたことはないとおもう。
そんな(どんな?)せこい頼朝には、歴史上の超有名人でありながら、名言の類いが少ないのだとか。大河ドラマの頼朝は名言(迷言)だらけで、面白いのだが。
この大河では、西田敏行が演じる後白河法皇。この後白河法皇を評して、「日本一の大天狗」といったのが、唯一といってもよいらしい。迦葉山の天狗ではなくて、世の平穏を乱す何ものかのこと。霊力とか、もののけとか、人知の及ばぬもののことらしい。ちょっとイメージが違う。
ドラマでは先のことになるが、「頼朝追討」がかなわなかった後白河法皇は、行家と義経にのせいにして、頼朝の糾明を逃れる。そして、それでも頼朝が欲していた征夷大将軍は与えない。
口惜しかった頼朝は、
「まだわれわれは若い。法皇御万歳(死)のあとで天下の政を正しましょうぞ」と支援者である公卿に言ったらしい。大泉洋の頼朝の今後の言動が楽しみだ。
2022年02月26日
ロシアがウクライナに侵攻した。
以前、地政学の本で、ロシアは国境を線ではなく、面で考える国だということを読んたことがある。仮想敵国との間に緩衝地帯としての衛星国が必要と考える国なのだ。この感覚は、国境は線だと考えているとわかりにくい。ロシアにしてみれば、ウクライナを失うことは、国境が後退することなのだ。
でもね。
国益を最優先に考えれば、今回の選択肢は間違いだろう。植民地よりも、領土の拡大よりも、自由貿易のほうが国が豊かになることは、歴史が証明している。国民国家よりも多国籍企業のほうが栄えている現代において、武力による命のやり取りは、経済的ではない。ウクライナとロシア国民が気の毒だ。とても悲しい気分だ。
居は気を移す。
独裁という地位は人を愚かにする。
#川柳もどき
裏地見る?裏地味ーな独裁者
2022年02月25日
コロナ禍になって出来なくなったことの一つに歌舞伎鑑賞がある。歌舞伎座で歌舞伎を見ることが出来なくなった。公演はなんとかやっているのだが、飲食禁止ということで楽しみも半減してるし、また、県境をまたいで遊びに行くのもはばかられるということで、歌舞伎座に行けていない。コロナが明けて、心置きなく歌舞伎座に行ける日が待ち遠しい。
そのかわりというわけでもないのだが、家で落語を聞くことが多くなった。ラジオのアプリやYou Tubeなど、今はとても便利だ。
なんで落語なのか。
歌舞伎と落語は粋な仲で、三遊亭圓朝の落語は歌舞伎になっていたり、落語にも歌舞伎の話が多い。両方知っていると楽しさか倍増するのである。それに、落語は、歌舞伎ほどリアルとの落差も少ない。映像や音だけでも結構楽しめるのだ。
先日、古今亭志ん朝の『居残り佐平次』を聞いてたら、佐平次が遊郭の主人に自分の来歴を語るときに、『白浪五人男』の中の台詞「がきのころから手癖が悪く・・・」とやっていた。忠信利平だ。結構うけていて、笑いがおきていた。わたしも、何回か聞いているのに、ここでは思わずニヤリとしてしまう。
話しは変わるが、『幕末太陽傳』という映画は、『居残り佐平次』を中心に、いくつかの落語をベースとしてつくられた作品だ。江戸の遊郭の雰囲気が感じられる映画で、志ん朝を聞いてから見るとさらに楽しめる。
この映画には、石原裕次郎が高杉晋作の役で出ているのだが、その晋作が都々逸を唄うシーンがある。
〽三千世界の鴉を殺し主と朝寝がしてみたい
まあまあ、有名な都々逸だ。
何回か登場するので、都々逸好きには嬉しい。
高杉晋作、または桂小五郎の作といわれている都々逸だが、『幕末太陽傳』では、高杉(石原裕次郎)が「俺がつくった」と言っている。
昭和の名人と呼ばれるような噺家(落語家)は、話の中に都々逸を入れてくる。歌舞伎でも、世話物では都々逸を唄う場面がある。
しかし、最近の噺家の落語で都々逸を聞くことはほとんどない。寂しいかぎりだ。
先に紹介した志ん朝の「居残り佐平次」では、かすみ姐さんが唄ったとして、佐平次が都々逸をいう場面がある。今の噺家がやるときはどんな都々逸にするのだろうか。
志ん朝と立川談志あたりが、都々逸のわかる噺家の最後かもしれない。
上州どどいつ部でお世話になっていた柳家紫文紫文師匠が、昨年11月に亡くなってしまった。
紫文師匠は、都々逸の楽しさ面白さを知ってほしいと都々逸の本を出すなど、その普及に尽力してきた方だ。
高崎出身ということで、ご縁をいただき、足掛け5年、毎月指導してもらった。上州どどいつの活動と都々逸の普及も忘れずにやっていきたい。
ということで、本日は、都々逸でおわりたい。
駄洒落言うのも
命懸けです
独裁国家
おそろしや
2022年02月24日
本日、ランチのため売店でサラダとヨーグルトを買ったときのことである。
わたしは、この売店に行くときには、小銭を用意して行くようにしている。財布の中に百円未満の99円を用意するのだ。
「967円です」
といわれたので、千円札と端数の67円を出そうと財布を探ると、五円玉を入れ忘れていたことに気づいた。70円出すことも考えたが、まあいいか、ということで、(←1秒くらい)
「千円で」
と告げ、千円札をトレーに置いた。
すると、レジの人が、首をかしげて、考えている。しまった、小銭を探ったのだから、70円出せばよかったかな、思わせぶりな動作をしたからかな、などと考えていたら、(←0.5秒くらい)
「すみません、やり直しさせてください」
という。
続いて、
「467円です」
「そのまま(千円札)で」
というやり取り。
おそらく、全部で5秒ほどの出来事であったが、500円も高かったのに、端数の小銭のことに気を取られ、まったく気づいていなかった自分に驚いた。
ということで、無事に買い物が終了。
そんなことを高崎でしていたお昼どきだったが、まさにそのときロシアがウクライナに侵攻したという。おそろしあ。
2022年02月23日
本日は、天皇誕生日。
陛下は、62歳の誕生日を迎えられた。
一般参賀は3年連続の中止で、陛下が即位してからは一度も行われておらず、なんだか気の毒な気がする。
ところで、歴史上には、様々な天皇が存在する。
今上陛下は、本日62歳を迎えられたが、その62歳で即位した天皇がいた。
第49代、光仁天皇である。白壁王と言ったほうがわかりやすいかも知れない。とおもったりもしたが、どっちもどっちかな。
白壁王は、天智天皇(中大兄皇子)の孫だ。
血統は悪くなくても、ときは、天武天皇の血統が主流。白壁王は、傍流だ。
しかも、藤原氏vsそれ以外の血で血を洗うおそろしい時代だ。傍流とはいえ、うっかり巻き込まれると命を落としかねない。
そこで白壁王は、どうしかというと、毎日大酒を呑んだのだ。
???
毎日酒をたくさん呑んで、酔っぱらった。
???
つまり、凡庸を装うことで出る杭にならず、敵をつくらず、権力者にとって、無害な存在を演じるために、毎日命懸けで酒を呑んだのだ。
そのおかげで、白壁王は命を永らえた。
長生きしたら、道鏡とか、称徳天皇とかの問題(←教科書に詳しくないけど結構有名)が、勃発し、皇位継承のチャンスが回ってきて、62歳で天皇に即位することとなる。光仁天皇、770年のことだ。
白壁王こと光仁天皇は、結構いい仕事をしたらしい。道鏡を栃木に追放したり、軍縮して民力の回復充実につとめた。その律令再建の事業は桓武天皇に引き継がれた。
鳴くようぐいす、
794年に平安京遷都をした桓武天皇は、光仁天皇の子である。
白壁王(光仁天皇)ゆかりのお祭り、
奈良は大安寺の笹酒祭りは、今年も行われたらしい。
コロナ禍という時節がら、おかわり厳禁だったようだ。白壁王らしくないけど(笑)。
酒呑みのかがみともいえる白壁王でも満足するくらい、笹酒祭りでおかわりできる、そんな世の中が待ち遠しい。
2022年02月22日
5037声 古漬けのピクルス
本日、冷蔵庫でワインを冷やそうとスペースの調整をしていたら、古漬けのたくあんを発見した。
あまりにもしょっぱいので、刻んで瓶に入れ、酢をかけておいたものだ。何年くらい経っただろうか。ふたをこじ開けて、一つつまんでみた。悪くない。たくあんのピクルスとでも呼べる味だ。夕食に添えていただいた。
2022年02月21日
セーカイ。
この世の中、セーカイであるれている。
例えば、学校。
学校では常にセーカイを求められる。
テレビは、クイズや謎解きの番組であふれている。
セーカイであふれている。
お笑い番組まで、○や✕で判定されている。
○はセーカイなのか。
小学校、6年間。
中学校、3年間。
高校、3年間。
18歳の若者は、人生の3分の2、セーカイを求められて過ごしてきた。そうやって、セーカイを求めるように育てられた大人で、日本はあふれている。そう生きるのがセーカイと教えられて、それがセーカイだと信じて。
けれど、この世の中、実はセーカイのない、問題、課題であふれている。セーカイとかどーでもいいことのほうが面白い。
○や✕では簡単には決められないことに、もっと親しんだほうがいい。セーカイからこぼれるものにも楽しいものがたくさんある。
2022年02月20日
北京オリンピックで見事に銀メダルを獲得した、カーリング女子、日本代表のロコ・ソラーレ。
決勝は残念だったが、それでも立派な銀メダルだ。
決勝のもぐもぐタイムでも、吉田知那美選手が羊羹(ようかん)を食べるシーンが見られた。羊羹好きとして嬉しい。羊羹パワーで銀メダル!素晴しい!!
2022年02月19日
北京オリンピックのカーリング女子、ロコ・ソラーレの試合を観戦していると、解説者やアナウンサーが、わりと頻繁に、
「カマーランドを狙ってきますね」
「カマーランドしますね」
「カマーランドですね」
のように言う。
サマーランドのコマーシャルを見て育ったわたしは、氷ったプールの上でカーリングをするイメージが浮かんでしまったのだが、ぜんぜん違った。
これ、カマーランドって聞こえるが、Come around (カム・アラウンド)だった。
カム・アラウンド。
ガードストーンの裏側に隠すために、回り込むように投げるショットのことらしい。サマーランドは関係ないようだ。
2022年02月18日
コロナ禍になり、すーさんが焚火をはじめた。
その影響で、わたしも、メスティンで御飯を炊くようになった。メスティンとアルコールストーブで自動炊飯する研究と実験を週末ごとにしていた。間違いなく炊けるようになってくると、味が気になりだす。外での食事は何でも美味しく感じるものだが、研究と実験は家でやっていたので、そういう流れになる。
そして、寒い季節になると、実験のたびに庭に出るのが億劫になる。ということで、家の中で炊くことになり、家のなかなら、土鍋を使えばもっと美味しく炊けるのでは、となり、どうせなら玄米を炊いてみようということになった。
令和四年になってからは、ほぼ土鍋で炊いた玄米飯を食べている。浸水時間がゼロでいい、びっくり炊きという炊き方だ。炊飯には、米と米の1.2倍の水の組み合わせなので、玄米一合(150g)と水ワンカップ(180g)。どちらもワンカップだ。ただし、びっくり炊きは、水が失くなったタイミングでもうワンカップの水を足して炊く。こうすることで、浸水時間を取らなくても炊飯できるのだ。土鍋で炊くと、炊飯器の玄米モードで炊く玄米飯よりも歯ごたえのある玄米飯が炊ける。これは、柔らかい玄米飯より飽きが来ない。毎日食べ続けることができる。家で食べる御飯を、白米から玄米にしただけで、体重が3キロ減った。ひと月半ほどでである。ただし、その他には何も変えてないので、これ以上のダイエットにはなりそうもない。でも、ダイエットのために始めた訳ではないので期待するのも違うだろう。
そして、玄米飯にあうおかずがわかってきた。いくつか定番といえるものが、定まってきたが、現在のナンバーワンは、白菜漬だ。白菜漬で玄米飯を巻いて食べるのが最近のお気に入りである。
2022年02月17日
ねがはくは花のしたにて春死なむそのきさらぎの望月のころ
西行の歌。
本日は満月だ。2月(如月)の満月だ、とおもって、西行の歌を引用してみたが、よく考えると、旧暦だと1月(睦月)の満月であった。なるほど、花もないわけだ。
今年は3月18日ころが、「そのきさらぎの望月のころ」だ。ちなみに「その」は「釈迦が涅槃に入った」ことをさす。固有名詞としての「その」だ。ひと月早かった。
あとひと月あれば、花の知らせも届くだろう。
そのきさらぎの望月のころ。
2022年02月15日
金田一秀穂氏が、普通名詞である「2回目」が、固有名詞のように使われていると書いていたのは、昨年の9月ごろのことだ。ワクチン接種のことだ。
「2回目終わりましたか」
「うん終わったよ」
というような会話だ。
そのころは、新型コロナワクチンの話でもちきりだった。普通名詞を固有名詞のように使って、ちゃんと理解するためには、話し相手との共通知識が必要となる。
「戦争」(第二次世界大戦)
「被災地」(東北3県)
「あの日」(かつては、8月15日、今は3月11日)
これらも固有名詞のように使われている例としてあげられていた。
ただし、京都の人にとっての戦争(戦)とは、応仁の乱のことであるらしいが。
《「3回目」がくるのだろうか。》と金田一氏は結んでいる。成駒屋の3回目(三度目?)が落ち着いてきたので、そろそろくるかもしれない。