日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和8年度は4月(坂)5月(ぬ)6月(岡)7月(す)8月(堀)9月(坂)10月(ぬ)11月(岡)12月(す)1月(堀)2月(坂)3月(ぬ)の順です。

2708声 design

2016年03月08日

デザインって何だ?

 

10年前くらいには、まさか自分がチラシやパンフレットの所謂デザインという仕事をするとは思ってもいなかった。もとは中之条町のtsumujiで店を任されていた時に「パソコン1台でできる仕事」と独学で始めたものだったが、吾妻にそれほどそういう人がいなかったおかげか、ありがたいことに今では個人事業や町関連のチラシや広告を作らせていただいている。

 

ところが、このデザインってやつはとても奥が深い。ただ目立つようにレイアウトする、文字が読まれるようにきれいに入れ込む、だけではなく、本質的なものを抽出し伝える、見た人に豊かなイメージを連想させる、といった目的も含まれるし、さらに言えば「ただのモノのデザインではなく、そのモノを通してどういう人がどう周囲と関わりどう流通させていくか」といったモノや人や地域の流れまでも加味して考える、という領域まで含めて「デザイン」と呼べたりもする。むしろモノ多き今の時代は後者の意が外せない気がする。

 

自分にそれができるかと言えばまだまだなのだけれど、先日嬉しいことにパンフレットを担当している高崎の「BIOSK」が、渋谷ヒカリエで行われたD&DEPARTMENT PROJECTのd47 MUSEUM「食の活動プロジェクト」(舌噛みそう)の群馬代表に選ばれた。これは、各都道府県からひとつ「食をテーマにただ商品が良いだけではなく、その商品がいかに地域や世の中の状況と良い関係を持っているか」という基準で店や活動を選ぶというもの。「BIOSK」は、種を採取し植えてを繰り返す固定種の野菜作りや、その野菜を使ってのソースや菓子などの商品化など、6次産業っぷりが評価されてのノミネートだった。

 

ちょうど用事があって立ち寄ったヒカリエには、栃木の「ココ・ファーム」や千葉の「寺田本家」のような「ザ・いい仕組みでいい仕事してます!」という企業の間に「BIOSK」の商品が並んでいた。嬉しかった。

 

僕は多分、他の人以上に「自分のため」に生きてきてしまったタイプだと思うが、ようやく近年になって「人のために自分がそっと手を添えて押し出せるものは何だろう?」と考えるようになった。デザインは、奥が深い。

2707声 デイ・ドリーム・ビリーバー

2016年03月07日

今やすっかりセブンイレブンの歌になってしまったが、忌野清志郎がカバーし日本語の歌詞をつけた「デイ・ドリーム・ビリーバー」という曲が好きだ。その時代に聞いたわけではないけれど、忌野清志郎のライブは1度観ることができて、なんだろう、直に観ておいて良かったと思っている。

 

朝のラジオでダイアモンドユカイが「「デイ・ドリーム・ビリーバー」は清志郎さんが亡くなった母を想って書いた曲なんですけどね」と話していた。清志郎さんは母が亡くなった際に、母だと思っていた人は実は母の姉で、実際の母は彼が3歳の時に死んでしまっていた、ということを聞かされたらしい。

 

ずっと夢を見て安心してた
僕はデイ・ドリーム・ビリーバー
そんで彼女はクイーン

 

この歌を聞いて僕はずっと「別れた彼女の事を歌った歌」だと思っていた。まあ歌は聞いた人がどう解釈しても自由なものだと思うし、別れた彼女にしろ母親にしろ、男は所詮女性の手のひらの中にある、ということでは同じという気もする。

2706声 六合ドキュメンタリー映画祭

2016年03月06日

あなたは六合(くに)を知っていますか?

 

6年前、中之条町と六合村が合併し、今の中之条町となった。中之条ビエンナーレをきっかけに暮坂峠を越えて六合を訪れるようになり、山ひとつ越えただけでこれだけ土地柄も人柄も違うのかと驚いた。六合には、昔から脈々と続く山里の暮らしが今も息づいていた。

 

観光で訪れるだけでも、野反湖やチャツボミゴケ公園などの自然があり、入山の「野のや」や「くれさか」の蕎麦は、県外から食べに来る人もいるくらい、うまい。しかし、六合もまた少子高齢化と言われる地域である。仕事も限られており、住むにはそれ相当の覚悟もいるのだろう。だけどまたしかし、僕が知っている六合の人たちは、自分が六合に住むことに誇りを持ち、なにやら自信を持っている人が多い。「ある程度のことが起きても自分で生きていけるんだぜ」というような。

 

一昨年、昨年と、僕も通った日本映画大学(当時は日本映画学校)の学生たちが、六合に10日ほど滞在し、六合に暮らす人々を主人公に9本の短編ドキュメンタリーを作った。3/19-20、それらを集めた「六合ドキュメンタリー映画祭」を開催できる運びとなった。言いたいことは原稿用紙3枚くらいあるが、「地に根ざし生きていくとはどういうことか」を考えることができる素晴らしい作品群だと思っている。19は六合入山、20は花の駅美野原。ぜひお越しいただきたい。

 

「六合ドキュメンタリー映画祭」

https://www.facebook.com/events/516395111876230/

2705声 勝頼様は来てくれませんでしたが、みな様は来て下さい

2016年03月05日

岩櫃城おもてなしの乱〜密岩神社の陣〜

 

何がなんだかよくわからない名前とも思う。ようは、「NHK大河ドラマ「真田丸」人気に乗っかって、真田昌幸や信繁が過ごしたとされる岩櫃城があった東吾妻町を盛り上げよう。岩櫃城址を残す岩櫃山が一番良く見える場所、密岩神社にて、観光で訪れる人や地元の町民たちをお茶や甲冑コスプレ体験などでおもてなしするぞ!」という試みである。地元ボランティアと東吾妻町役場の有志が毎週末の土日・祝日に無料でおもてなしをしており、僕もスタッフの1人に加わっている。

 

密岩神社はJR吾妻線・郷原駅の北にあり、町内の人でも知らない人がいそうな場所。岩櫃山登山で人が多いのは群馬原町駅から登っていった平沢登山口で、密岩神社がある方はどちらかといえばマイナーな場所なのだ。そんな場所でおもてなしと言っても人が来るのかな・・と半信半疑だったのだが・・やはり「真田ブーム」なのだろうか。僕が顏を出す日も町外や県外から観光客がちらほらではあるが来てくれた。

 

来た人と話しをしていても面白いが、良いのは人が集まることにより地元のお年寄りの方などが喜んでくれることと、おもてなしをする側のボランティアスタッフの仲がとても良いこと。「人が集まる場所がある」ってのは、大事なことなんだね。

 

「真田丸」をご覧になった方なら記憶にあると思うが、武田勝頼は、真田昌幸からの誘いを受けてもここ岩櫃城へ来ることはなく自害してしまった。このおもてなしの乱のキャッチコピーは、「勝頼様は来てくれませんでしたが、みな様は来て下さい!」である。ここから見る岩櫃山は絶景なので、土日・祝日の10~15時限定の開催ではあるが、お近くに来た際にはぜひお茶しに寄ってください。

2704声 百円の恋

2016年03月04日

僕はもう長いこと中之条町の「伊参スタジオ映画祭」のスタッフをしている。近年は上映後の対談司会も務めるようになった。

 

昨年の映画祭では、玉村出身の大崎章監督『お盆の弟』を上映した。これは、群馬に住む売れない監督と脚本家の冴えない日々を描いたもので、上映後の対談には大崎監督と、この作品の脚本家である足立紳さんをゲストに招いた。勘の良い方ならすぐにわかると思うが、この「売れない監督と脚本家」という設定は、大崎監督と足立さんの実人生がフルに活かされているのだという。

 

「映画なんかに夢見ないで、自分の人生を生きなさいよ」みたいなセリフで、主人公が奥さんから罵られるシーンがある。会場には明日を夢見る若手監督たちもいるので、彼らにとってもまさに刀で切られるくらいに痛いシーンだ。そして奥さんから三くだり半を突きつけられるシーンは、脚本の足立さんの本当の話なのだという。一見すれば悲惨でしかない現実を、素晴らしい映画に昇華させたお二人には、スタンディングオベーションを送りたい。

 

・・・などと思っていたら3月4日の今日、その脚本家・足立紳さんは、安藤サクラさん主演の『百円の恋』により、日本アカデミー賞最優秀脚本賞を獲ってしまった。脚本界におけるシンデレラストーリー?いやいや、長年にわたる苦渋の成果だと思う。そんな足立さんは最近、小説家デビューも果たした。題名は「乳房に蚊」。働き者の恐妻と、自意識だけが高い無職の夫の話らしい。・・・素晴らしいではないか。

 

 

2703声 会いにいく

2016年03月03日

長年お世話になっている築地の仲卸の社長から、仕事のお礼として多量の「手巻きずし用の魚」をいただいた。中之条の友人夫婦に連絡したところ、「3月3日は子ども用にちらし寿司を作ろうと思っていた」と言うではないか。久しぶりにこのタイミングで会っておきたい気もしたので、お魚持参でおじゃました。友人宅ではまだ幼い子どものために、酢飯や海苔、薄焼き卵で作ったお内裏様とお雛様が作られていた。キュウリで作られたしゃくと、人参で作られた扇がかわいらしい。子どもは、キャッキャキャッキャと喜んでいた。

 

「会おうと思った人には会った方がいい」。最近、そんなことをよく考えるようになった。いつでも会えるからなどと思っていると、時間だけが過ぎる。

 

若い時は「誰かと一緒じゃないと駄目」という時期もあった。そんな時期は、会って楽しいことはあっても、しんどいことが同等かそれ以上にあった。年をとり、「自分一人でもある程度大丈夫」と思えるようになってからは、人と会うことが楽しくなった。さらに年をとればまた孤独を欲するようになるのかもしれないが、しばらくは、会おうと思った人には会いにいこうと思っている。

2702声 路地

2016年03月02日

先日、高崎の友人夫婦の家におよばれして泊まらせてもらった。

翌朝、彼らが住む家を出て4人で、細い河川づたいに小さな路地を歩いた。

 

河川には鴨がのんびり浮かんでいて、川が一段階低くなる場所まで流されると急に羽をバタつかせ飛んでいった。そのあたりは、趣のある古い建物も多く、ここは〇〇さんが住んでいるんだよ、と教えてもらった家はいい具合にくたびれた感じで格好良かった。大きな道路に出て、登った歩道橋からは遠くの山が見渡せた。外塀はそのままに家だけが取り壊され、そこがまるっと畑になっている場所もあった。作付けの並びがきれいで、この畑の主人はずいぶんマメな人なんだろうなと思った。ポケットには200円位しかなくて、けれど見つけた豆腐屋では小さな厚揚げが6個位買えて、そのまま手づかみでみんなで食べ歩いた。1時間位の散歩だったろうか。

 

10日に1度は、車で通る地域だった。でもやはり見えていたものは、ごくごく一部だった。

2701声 徴は至る所に

2016年03月01日

4年に1度のうるう年が終わり3月。中之条町からこんにちは。岡安です。

 

抜井さん、2か月という中距離走、お疲れさまでした。顔も合わせずに言うのも何ですが、正月に元気かつ実に社会的な?抜井さんの様子を見て、その昔勝手に抱いていたイメージ、つまりは「ああこの人はいつか酒と言葉と孤独を浴び過ぎて、部屋の片隅から動けなくなるんじゃないかしら」という風にはならないんだなと、残念・・安心しました。

 

前回の投稿では確か、1日1本映画について書くという酔狂なことをした記憶があります。今日のタイトル「徴(しるし)は至る所に」もまた、ジャン=リュック・ゴダールという、名前に=が入ってしまうほど小難しい映画監督の言葉なのですが、僕の解釈としては、「予兆はあちこちにあるんだよ~見逃すなよ~」だと思っていて、それは大事なことだと思っているわけです。

 

ありがたいことに、ここ数年忙しく毎日が過ぎていきます。それは=たくさんのことを・見落としている、ことだとも思うのです。だから今月は、至る所にあると思われる徴を探す一ヶ月にしたいと思います。花粉もしんどい季節ですが、お付き合いください。

2700声 梅の頃

2016年02月29日

明日より、私から岡安氏にバトンタッチと相成ります。

今は、中之条でも梅が綺麗な時期でしょうね。

連載中に桜も咲くでしょう。

二ヶ月間お付き合い頂き、ありがとうございました。

それでは、また。(ぬ)

2699声 俳句以前~俳句ingの発足から現在まで~(第4回)

2016年02月28日

一度参加した句会で、ノウハウをそれこそ盗人のようにくすねてきた私は、
早速、ワルノリ俳句ingに導入した。
歳時記を購入し、五七五にも季語を入れ、即席なれど俳句会と名乗れるくらいの会に仕立て上げたのである。
反面、参加者は減少の一途をたどったが、最盛期には十人を越す参加者で上野を吟行したり、
群馬県各所での吟行譚を新聞の地方版に掲載してもらったこともある。
今思えば、朝からローカル線に揺られ、夜まで俳句を作るなど、本当に贅沢な吟行であったと思う。

 

その後、様々な変遷を経て、私はすっかり「俳句」に執心してしまったし、俳句ingの際、
堀澤氏は今でも「ワルノリ俳句」を作っている。
「ワルノリ」と言うのも俳句に対する姿勢が良くなかろう(当初はそこが眼目でもあったが)
と言うことで、今では「新春俳句ing」と言う名称で、年に一回、参加者も片手で納まるくらいの、
こじんまりとした規模で開催している。
名こそ変われど、内容は発足時から変わらず、電車と言葉とお酒で遊ぼうと言う、会である。
それが、「酸いも甘いも噛み分けてきた大人のための」遊びになっているかどうかは分らぬが、
当時よりは大人になったことは確かである。
来年でワルノリ俳句ing発足から十年の節目である。
今年は、当時のように缶麦酒片手に群馬のローカル線に揺られ、土地の赤提灯で句会などできればと考えている。
来年十年目を迎えるに当たり、俳句に触れた頃の暢気な時代を振り返ってみた次第である。

 

2698声 俳句以前~俳句ingの発足から現在まで~(第3回)

2016年02月27日

誰か一人俳人を招いて教えを請えばすむ話だが、当然、こんな怪しげかつ酔狂な会に、
参加しようなどと言う酔狂な俳人もおらず、疑問は払拭できぬまま、回を重ねていた。
私が俳句を始めたという話が、知人づてにゆるやかに伝わって行き、ついに私は、
俳人の集う「句会」なるところにもぐりこむ機会を得たのである。

 

始めて参加した句会は、主催の俳人宅で有志数名が夜な夜な集まって開いているものであった。
晩秋の夜、案内役の知人を乗せ、私は子持山の麓まで車を走らせた。
到着したのは見晴らしの良い丘の上の家で、迎えてくれた家主が、今の私の俳句の師となろうとは、
このときはまだ露とも思わなかった。
その時分の私は、俳句に真剣に取り組もうなどと言う志も無く、ただ「輸入」のことのみ頭にあったので、
ともかく「句会」の手順を習得すべく目を光らせていた。
家主は炬燵に入って一升瓶からどんどん日本酒を注いでいる。
傍らで、参加者は一言も発せず、黙々と句を案じている。
張り詰める場の空気に気圧されつつも、私はどうにかこうにか、頭の中ででっちあげて体裁だけ整えた、
つまらぬ句をそろえて出した覚えがある。
そして、もちろん佳句など作れなかったが、俳句の生まれる現場を体感できた充実感は覚えている。
その夜、真剣に参加していた人には、お茶に濁しの私などが紛れ込んでいて迷惑をかけたが、
その数年後、自身がこの家に足繁く通うことになろうとは、これまた露ほどにも、であった。

 

第4回へ続く

2697声 俳句以前~俳句ingの発足から現在まで~(第2回)

2016年02月26日

思えば、自身の俳句歴を公称2010年と記載しているが、これを勘定すれば2007年
ということになる。
この三年間を抜いたのは、先の表明にも有るとおり、それが「俳句」でも「川柳」
でもないと判断したためである。そして、こんがらがった様々な糸からするりと
俳句の糸を手繰りよせられた、つまりは、一応の目指すべき俳句の道のようなも
のを歩き始めたのが、2010年ごろなのである。
それはまた、私から「ワルノリ」の部分が消えてゆくことにもなったのだが。

 

さて、ワルノリ俳句ingに参加した若き日の私は、朝から缶麦酒片手に電車に乗り、
五七五を詠んでいるが、これは果たして「俳句」と呼べるのかと感じ、その感は、
回を重ねるにつれ、強く心に取り付いた。
横を見れば、堀澤氏は何食わぬ顔でスルメをしゃぶりつつ缶麦酒を飲んでいる。
ここは電車の中である。
さっきまで近くに居た女子高生は、するりと隣の車両に退散して行ったではないか。
俳句には「季語」なるものが必要だが、参加者の誰一人として「歳時記」を持参
していないではないか。(それは九年を経た現在でも変わらぬ状況だが)
俳句の入門書を読んで一応「句会」のやり方は頭に入れたものの、それが合ってい
るのか、確かめようも無い。
そんな、たまりつつあるもやもやを払拭すべく、私はこのワルノリ俳句ingに、
俳句の「輸入」を試みたのである。

 

第3回へ続く

2696声 俳句以前~俳句ingの発足から現在まで~(第1回)

2016年02月25日

「ワルノリ俳句ing」と言う催しを昔からやっている。
過去形になっていないのは、今でも正月二日に年一回開催しているからである。
始めたのは、このサイトの発起人である堀澤氏で、私は第二回目からの参加となる。
第一回の開催が2007年なので、今から九年も前である。
その第一回目を始める前に、堀澤氏がこのサイトに掲載した表明が下記である。

 

「ワルノリ俳句ing」は、電車と言葉とお酒で遊ぼうという、酸いも甘いも噛み
分けてきた大人のための遊びです。
県内各地に電車で出かけ、ワルノリ俳句(川柳というべきでしょうか)を詠みま
くる、ただそれだけの会です。

 

そうなのである。
「俳句」でも「川柳」でもない(言ったら俳句と川柳に失礼である)五七五の短詩
(短詩と行ったら短詩に失礼な気もする)を詠みまくる、ただそれだけの会なのだ。
「酸いも甘いも噛み分けてきた大人」とあるが、その当時、堀澤氏は三十代、
私は二十代の、共に半ばであった。
それからの人生は主に酸いことのほうが多かったが、それは本旨から逸れるので置いておく。

 

第2回に続く

2695声 小さな志

2016年02月24日

曇りがちで薄日がち、不順なる天候続く。
掲載誌の寄贈分が一冊届いていた。
俳句の横に顔写真が載っているが、
それが随分と使い回しているものなので、いささか古い。
つまりそこには、いささか若い自分が写っている。
まだ群馬に居住していた頃、地元の旧街道沿いの、
鄙びた写真館で写した。
ぼさぼさの髪とよれよれのシャツで行った事が悔やまれるが、
たしか、写した日は桜の咲くころ。
昼過ぎの麗らかな天気であったことを覚えている。
思い出なので、美化してしまっているのかも知れない。
しかし、あの時胸に宿っていた、青雲の志とまでは行かぬが、
小さな志を、すこし思い出した。

2694声 駅の輪

2016年02月23日

曇りて寒き一日。
行き帰りの列車から、学生がぐんと減ったが、
高校三年生などは卒業までの間、休みになっているのであろうか。
その伝で行けば大学生もそうだろうが、
大学生は連れ立って朝早い列車などに乗らぬらしい。
自分もそうだったが。
夕方にあると今度は卒業旅行でも行くのであろうか、
主要なターミナル駅で、大きな荷を持った若者集団をこの頃よく見かける。
通勤の列などお構い無しに、駅構内に輪を作っている。
しかし、日本人が集まるとよく「輪」になる。

2693声 軒下

2016年02月22日

巷でインフルエンザが猛威を振るっており、
周りはばたばたと、A型だのC型だので倒れている。
予防接種など、勿論打っていないので、少し喉の痛い今日など、
インフルエンザの発症に怯え暮らしている。
しかも今日は、午後から冷たい雨になり、体にこたえる。
帰路の道で、商店街の軒下の暗闇で雨宿りをしている猫を見かけた。
寝ているのか起きているのか、そこはかと、具合が悪そうであった。

2692声 興味の発見

2016年02月21日

午後からやや風強くも、薄日差す一日だった。
散り始めている梅を見ると、桜を待つこころがはやる。
半年ほど、同人誌の月評を担当することになった。
小声でしか言えぬことだが、他の俳人(現在活躍中のと言うべきか)
の作品にあまり興味が無い。
それよりも大正・昭和期の俳人の作に、大きな魅力感じる。
月評を通して、興味を発見するのもいいかも知れない。

2691声 梅一輪

2016年02月20日

句会のため八千代市へ出かけた。
生憎の雨だったが、車で郊外まで送ってもらい、
川べりや野原など二時間ばかり吟行した。
春寒し、とはまさに、雨に濡れた手足が強烈に悴んでしまった。
自身の句は散々だったが、暖かな料理や酒にありつけたことが、
救いであった。
句会主が用意していた地酒が「梅一輪」なる銘であった。
なるほど、俳人は、暮らしの中の季の移ろいに敏感である。