日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和8年度は4月(坂)5月(ぬ)6月(岡)7月(す)8月(堀)9月(坂)10月(ぬ)11月(岡)12月(す)1月(堀)2月(坂)3月(ぬ)の順です。

2510声 吉屋

2015年08月23日

伊勢崎で仕事。
今日が最後のお客さんだった。
仕事のあとうちの店の倉林君と一緒にまちなかに飲みに出た。
私が25の時に最初に店を出したテナントの前を通過して、久しぶりの「吉屋」へ。
「吉屋」というのは飲み屋の手本みたいな老舗居酒屋である。
このサイトの名店のしきたりの一番最初に出てくる。
何年前かは忘れたが、すーさんと行ったのが最後だと思う。
マスターは珍しく少し酔っていた。
でも元気そう。
相変わらず「いらっしゃいませ」なんて言わない。
「おぅ、どうしたんだや」である。
そりゃ飲みに来たのさ。
「何しに来たんだや」と言われたこともある。
ここにいたと思ったね。
何日か前に書いたあれ、敬語なんて使わないが聞いてる方が最高に気持ち良くなる話し方をする年寄りが。

2509声 ハーモニー

2015年08月22日

朝晩随分と過ごしやすくなった。

昼は蝉が、夜になると鈴虫が鳴いている。

夏と秋が同居している。

夏の終わりのハーモニーという歌があったっけ。

2508声 安定要素と不安定要素

2015年08月21日

お盆が明けて天気も定まらず。
店は暇。
水商売は不安定である。
飲食店従業員にとっての安定要素はいろいろあって、お客さんとやりとりするのが好き、という人もいれば料理を作れたらそれでいい、という人もいる。
あるいは食事に困らない、という人もいるだろうし、従業員同士仲がいいからそれで十分、という人もいるかもしれない。
従業員の中に好きな人がいる、とか。
そういえば先日、話は変わるけれど、映画の中で長澤まさみ演じる四人姉妹の次女が言っていた。
「恋はいいわよぉ。恋をしてる時はね、クッソつまらない仕事も平気で我慢できちゃうんだから」と。
そういう安定の仕方もあるのさね。
真実味があるセリフはこんな時にふと思い出す。
やっぱりでも、一番はお客さんが来てくれることで。
飲食店は生ものを扱っている。
それが劣化して行く様子を指を加えて眺めていることほど、不安を掻き立てるものはないからである。
仕入れも仕込みも、誰かに食べてもらいたくてしているのだから。

2507声 言葉づかい

2015年08月20日

人の言葉づかい、話し方が気になる。
話し方マニアかもしれないというくらい。
うちの店のお客さんは若い人が多い。
この子まだ敬語も覚えてないんだな、とその言葉づかいを耳にすれば、そろそろ覚えなさいと言いたくなる。
スーツ姿のサラリーマンはちゃんと敬語を話せる。
敬語なしで気さくに話しているサラリーマンは意外と少ないです。
だからそういう話し方が耳に入ると余計に気になる。
敬語を使わずに、聞いていて気持ちのよい話し方をするお客さんがいた。
この人はいつから敬語をやめたのだろうか。
私もこの頃、自分で話す言葉に敬語が少なくなっているなと思っていたから余計に気になった。
周りが年下ばかりになると、敬語をやめる機会が増える。
敬語なしでも敬意が伝わる話し方をできる人はいる。
以前はそういう人が多くいた。
今は田舎に行くとよく出くわす。
あとは年寄りに多い。
そういう年寄りが多くなれば世の中はさらに楽しくなるだろう。

2506声 一人暮らし事情

2015年08月19日

この頃コンビニで、飲み屋のつまみのような商品をよく見かける。
いかの炙り焼きや銀鮭の塩焼きなど。
他にもポテトサラダや煮豆、切り干し大根の煮付けなんかもある。
コンビニの食べ物に手が伸びないのはその添加物の多さである。
身体への影響よりも腐らせないことの優先順位が高いからそうなるのだと思う。
ところが最近は、ほぼ添加物のないものも出てきた。
そういうものが出てきたのは最近である。
中身がどんな素性なのかわからないけれど、ひとまず原材料を見て買うこともよくある。
これが案外いける。
一人暮らしにはありがたい。
松屋も生ビールを始めた。
松屋とは牛丼の松屋。
価格はなんと、一杯150円。
ちゃんとしたビールである。
これもありがたい。

2505声 空樽

2015年08月18日

ビールの空樽を整理している。
店で提供して空になったもの。
このビールは酒屋に頼むのではなく、直にブルワリーに注文して一つずつ郵送してもらう。
空になったらこちらからブルワリーへ一つずつ送り返すことになる。
その都度送り返せばなんということもないが、無精だから貯めてしまった。
数えたら67あった。
すごい。
そんな感心している場合ではない。
ちゃんと返さないとブルワリーに申し訳が立たない。
空樽でも大きいのは一つ6kgを超える。
体力作りだと思ってやる。

2504声 健康診断

2015年08月17日

ここ数日仕事以外ほぼずっと寝ている。
体が重く動かない。
悪いところでもあるのか。
悪いところがあってもおかしくないとは思う。
ひとまず健康診断に行ってきた。
初めて受ける。
結果は2週間後とのこと。

2503声 みんなで謝る

2015年08月16日

安倍さんは謝りたくないんだな、きっと。
戦後70年の首相談話を読んでそう思った。
なんでだろうか。
自分が悪いことをした時に、そう思っても謝りたくない時ってどんな時か。
謝るにはまず、体力が必要だ。
謝った分の咎を自分で背負わなけいとならないから。
そういう意味では日本は体力がある。
もちろんそれは経済的体力だが、少なくも他の国々よりは謝り続けるだけの体力はある。
自己肯定感が少ない場合も謝るのは難しい。
肯定感が少ないと、謝れば謝るだけ自分が否定的な存在だと思ってしまいがちになる。
この理由は当てはまる気もする。
日本は戦後これだけ豊かになったのに、国民の自己肯定感は決して増しているとは思えない。
自己を正当化するのに躍起になる風潮はむしろ強くなっている感じがある。
あとはどうか。
謝っているのにいつまでも許してもらえない時なんて、もう謝りたくないと思うかもしれない。
これもあるか。
いつまで謝ればいいのさ、と思うというか。
日本人は特にすぐ許してしまう質でもあるから、自分が逆の立場に立つとその執拗さに辟易するということはあるかもしれない。
そんなところか。
そうだとしてもどうなのか。
悪いことをしたんだから、やっぱり、あっちが許してくれるまでは謝ったらよくないかと思ったりもする。
1人で謝るわけじゃないんだし。
1億人で分担すればいいわけだから。
みんなで分担して謝ると思えば謝れる、ということだってある。
業だと思って。
あの戦争はもう日本人がしでかしてしまった、背負ってしまった業だと思って、謝り続ける覚悟みたいなものを持ってしまった方が楽なんじゃないか。
自分を正当化することに力を注ぐんじゃなくて。
その方が国民が一つになる可能性も高いんじゃないかね。
子供に背負わせたくないと言うんだよね、安倍さんは。
でも背負わせたくないと思えば思うほど背負ってしまうのが親の業というものなんだし。
子供に「ごめんな」って言いながら、「でも体力だけはつけといたから、二度とこんなことしないように、世界の他の場所で同じことが起きないように謝り続けるのがお前たちの役目なんだよ」って教えてさ。
「卑屈になることないんだよ」って教え込んでだね。
その方が、安倍さんの本当に伝えたいことも伝わると思うんだよなぁ。
首相談話で言いたいことはすごく明快でわかりやすくて、とてもいいこと言っているし、だから余計に勿体無いなと思う。

2502声 終戦記念日

2015年08月15日

蝉時雨の8月15日。
まちなかは家族連れと若者が多い。
高崎駅周辺は、帰省の途中であるいは昔馴染みと、集まりやすい場所なのだと思う。
仕事が終わって店の者と一緒に柳川町へ。
知り合いが移転してオープンしたての中華料理屋へ。
江戸時代から続く料亭街、歓楽街が柳川町。
今は随分建物が取り壊されて空地が増えてきたが、それでもその入り組んだ区画は迷路のようだ。
柳川までのアーケード通りには夜の店が軒を連ねる。
いつも以上に人は多かった。
クネクネと蛇行しながら歩く短パン姿の若者が目立つ。
私から言わせれば蛇行が足りない。
平和なんだから、その分もっと蛇行しないと。

2501声 名レスラー

2015年08月14日

お盆に突入してお客さんの顔もリラックスしている。
普段張り詰めてやってるのでしょうね。
毎日ご苦労様と思いますこういう時は。
ゆっくり飲んでってほしいです。
店の片付けの合間にラーメンハウスに行ってきた。
伊勢崎で馴染みのラーメン屋。
伊勢崎のまちなかは高崎と違ってあまりお盆という感じではなく、いつもと変わらない。
マスターは元気そう。
この店はプロレスラーがよく来る。
マスターにはラーメン屋店主の他にもう一つの顔があって、知る人ぞ知る伊勢崎出身の悪役レスラーのマネージャーである。
悪役レスラーのマネージャーなのにいい人なんだけれど。
その悪役レスラーのことをマスターに聞いてみた。
伊勢崎で暮らしていると言うが、歴戦のケガで状態はあまり良くないらしい。
それでも試合はしているようで、次の大会のポスターが店内にも貼ってあった。
昔の名だたるレスラーたちが名を連ねている。
この店があって救われてるのはお客だけではないみたいです。

2500声 2500声

2015年08月13日

よく続いてますよね「鶴のひとこえ」。
7年近く毎日書いていることになる。
文章を書き続けるのはそんなに簡単ではない。
ウンコみたいに便器に座れば出るというものではない。
出来がどうであれ、0から1を作り出すのですから。
別にひとこえを書いたからと言って何のメリットもないですし。
脳的で孤独な作業というところも継続の難しさがあるかもしれない。
2500のほとんどは抜井が1人で積み重ねてきたもの。
今は4人になりました。
それぞれいい年になっていく年齢だから面白い。
少なくも私は3人のファンだから。
あとどれくらい続けられますかね。
あまり先のことを考えてもどうかと思うが、じじぃになるまで続いたら痛快だろうなとは思います。
今日も歯が抜けたとか、ウンコが出にくくなったとか、そんな内容になるんですかね。
今年は戦後70年で、その70年の出来事を考えれば、7年はこれからという感じ。
読んでくれる方がいるから続けられる。
これからも覗いてください。

2499声 歌い方

2015年08月12日

高田みづえが31年ぶりにテレビで歌った。
こんなにうまかったんだと改めて思った。
むかしの歌手はストレートに歌う。
あまり声で演じないからあざとさがない。
だからリアルに記憶に残るのかもしれない。
そういうリアルさは風化しない。
うまくないと生き残れないしいい声じゃないと生き残れないだろうなと思う。
岩崎宏美の歌声なんかそう。
素朴な歌い方。
何を歌っても一級品。
歌手はプロだから、演技力のある歌もいいなという気持ちもある。
玉置浩二とか平原綾香とか、いい。
平原綾香のあの、気持ち悪いのかこの子?みたいな歌い方は嫌いじゃない。
それでも最後に聞きたいのは素朴な声。
そういう歌声は身体に違和感なく残るんだよね。

無添加のワインみたいに。
31年前は私は小学生だった。
高田みづえの声はリアルに覚えている。
平成の歌手だと誰かいるだろうか。
夏川りみとかキロロなんかはそうかもしれない。
あとは誰だ。

2498声 気分と精神

2015年08月11日

身体と気分は密接に繋がってると思うけど、強靭な身体の人は脆弱な気分というのをあまり知らないから、身体と気分は別々、という考え方をするのかもしれない。
そこで混同しやすいのは、今度は気分と精神は違うということなんだよね。
気分はボロボロでも精神はまだ戦っているということはいくらでもあるんだから。
強靭な身体の人は気分と精神を平気で一緒にしてしまう。
それは一緒じゃないのだけどね。
自分があまり気分に振り回されないから、別々にする必要がないんだろうな。
でもね、それだと大事なことがわからないんだよね。
切なさがわからない。
気分はボロボロでも精神は戦っているって、切ないわけ。
だから、何を言いたいかというと、沈んだ気分の自分を責めちゃいけないよ、ということ。

腸が弱ってるだけかもしれないんだから。
それから、切なさがわかるのは大事なことだよ、ということ。

2497声 居残り酒

2015年08月10日

祭り明けの月曜日。
運良く私は仕事が休み。
夕べの酒が、熱気が渦巻いて、悪寒とともに午後となる。
お酒のありがたさを噛み締めながら、お酒に謝りながら。
いいから早く抜けてくれと、じっとしている。
飲んだら酔う。
一滴でも酒を飲むのなら、そういう大事なことを忘れちゃいけない。
男も女も関係ない。
ダメな自分を自覚するつもりはないけど飲む、なんて、どうかしている。

飲み過ぎはいけない。

2496声 八木節祭り

2015年08月09日

年に一度の楽しみがある。
桐生の八木節祭りに行くこと。
今日がその日だった。
今年はひとこえ執筆者である抜井とすーさんと一緒に、他にも友人を交えて行ってきた。
夕方16時過ぎに桐生駅に到着。
まちなかはずらりと列ぶテキ屋の一群、そこに列をなす夏休みの子供達、思い思いに道路に張ったテントで昼から飲んでいる住民などで溢れていた。
三日間の祭の最終日だからか、街はどことなく疲労感を漂わせている。
ところがこれが八木節音頭がなり始めた途端に街じゅうからアドレナリンが分泌しているかのような高揚感に包まれるのだから、八木節の音の力はすごい。
ここ数日の中では幾分過ごしやすいとはいえ炎天下の桐生の街をウロウロして、冷房の効いた料理屋から行きつけの雑居ビルの屋上ビアガーデンへ。
この夕暮れを見るために来た、と言っても言い過ぎじゃないくらいの特等席に腰を下ろす。
眼下には、今か今かと八木節が始まるのを待つ櫓と人の波。
桐生盆地を縫うように走る両毛線。
その向こうに沈む夕陽。
十分ですこれで。
それにしても、今年は踊ったなぁ。
息も絶え絶え踊った踊った。
来年は岡安さんも交えて、あのビアガーデンで句会をしたいねぇ。

2495声 いいから全部食べてみて

2015年08月08日

コース料理の予約でスッポンを仕立てた。
通常ならばこれでよしというだしの旨みが濃く感じたので水で薄めて味を整え直した。
こっちの方がいい。
もしお客さんがいつもと同じ味を求めていたらがっかりするかもしれない。
でも今回のコースでその前に食べた料理とその後に食べる雑炊のことを考えるとやっぱりこれがいい。
一皿で完結しないところがコース料理の面白さである。
今の店はコース料理はほとんどない。
だから一皿の中で完結するように考える。
その大根のツマもその蛇腹に切っただけの胡瓜も、それがあるから完結できる一皿なのだよ。

2494声 おもしろくないこと

2015年08月07日

酒を飲むとメモするクセがある。
そのことについては前にもここで書いたことがあるかもしれない。
夕べのメモ。
いつものホルモン屋で飲んでいて、あぁ、やっと酔ってきたと思ったそのときに書いたもの。
「二軒目にいけない」
これは覚えている。
普段ならここから離陸、というときにガス欠、みたいなこと。
あまりおもしろくない。
おもしろくないって笑えるかどうかというそういうことではなく、二軒目にいけないくらいの体力しかないことがおもしろくない。

2493声 捨てにくいもの

2015年08月06日

連日の暑さはひと段落もせず、日中のシャワーの回数ばかりが増える。
シャワーの格別さをこの夏は噛み締めている。
8月に入ってから、引越しのための片付けを始めた。
店のある場所が区画整理だから、その引越しのための片付け。
店は何処か他の場所に移転するのではなく、店のその建物ごと動かして10数m移動したところで再び営業を始める予定でいる。
たかだか10数mの移動と言っても建物の中の物はすべてカラにする。
店は100年以上になる古い商家だから、今の家のように基礎がない。
だから家を持ち上げれば家の中の物もすべて持ち上がるわけではなく、厨房に備え付けてあるガス台や流し台から、便所の便器まで一旦取り外す必要があるらしい。
その上今度はそれを一時、家の移動に半年以上もかかるというからその期間保管して置く場所が必要になる。
そのための場所を何処かに借りるのも大変そうだから、実家になんとか押し込んでしまおうと思い、まずは実家の整理を始めた。
始めてわかったのは、整理というのは普段から整理している人がそうすればすむというようなもので、私のように(親もだいたい一緒だが)何年も物を放置している者たちにとっては、整理と言うより廃棄をメインにしないと一向にことが進まない。
それで取り掛かったはいいが、予想以上に物がある。
洋服だけでも相当あったが着る機会がなさそうなものはすべて捨てた。
食器と本も相当ある。
これはなかなか捨てられない。
食器は使わなそうなものをひとまずよけた。
本は捨てられない。
特に料理の本は。
子供の頃の遊び道具だとか若い頃の思い出の何かだとか、さすがにこの歳になると残っているものも少ない。
こういうものは引越しのたびに整理してきているから捨てるものはあまりない。
残っているものは、いらないと思えばいらないけどどうするか。
さすがに全部捨ててしまうのもなんだから、写真なんかはとっておくことにした。
元来物に執着のない方だと思うが、歳とともに捨てられなくなるものができるんだ。
以外と高かったはずの靴や洋服は捨てられる。
値段は捨てられても記憶にまつわるものを捨てにくくなるのかもしれない。