日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和6年度は4月(ぬ)5月(岡)6月(す)7月(堀)8月(坂)9月(ぬ)10月(岡)11月(す)12月(堀)1月(坂)2月(ぬ)3月(岡)の順です。

658声 三味線と両毛線

2009年10月19日

昨日の伊勢崎中心市街地はいせさき燈華会(とうかえ)って催しで、
俄かに活気づいていた。
阿波踊りや、チアリーディング。
演奏会に、伊勢崎神社境内でのジャスコンサートなど、路上の熱気が、
秋空にまで伝わる様であった。
日が落ちてからは、路上に何百と置かれた燈籠に点灯し、
しばし幻想的な空間に酔った。
私が実質的に酔っていたのは、その30分後である。
そして、街を流転し、伊勢崎駅から終列車に転がり込んだのは、22時59分。
列車は酔っぱらいを乗せて、寝静まった街を走る。
窓の遠く、街灯に照らされる柿木の実が、闇を吸って色づいていた。
などと、気障ったらしい締めくくろうとしてしまうのも、
やはり、伊勢崎の街中で見た、幻想的な燈籠の灯の為だろうか。
あるいは阿波踊り。
耳の奥に残る、三味線の叙情的な旋律の為だろうか。

657声 湯は故郷

2009年10月18日

栃木県の銭湯に手を出している。
昨夜は、足利市にある「花の湯」へ入って来た。
整備された小路に、堂々たる破風を構える大型の銭湯で、
規模、建築様式共に、群馬県では類を見ない。
しいて言えば、高崎市の浅草湯が近しい。
豪奢な造り。
と言える銭湯で、かつての街の栄華が窺い知れる。
室内に使用されている木材。
浴室、章仙の九谷焼のタイル絵。
そして、ペンキ絵は壁一杯に描かれており、首を傾けて見る、壮大な眺め。
戦前の気風を感じつつ、歯を食いしばって、熱い湯船に浸かっていた。
脱衣場で出会った地元のおやっさんと、小一時間ばかり語った。
子供時分の銭湯の事、花街の事、昭和初期の事。
「面白くねぇ」
ってのが、その初老のおやっさんの口癖で、それを連発しながら、
現代の街は面白味に欠けると嘆いていた。
戦前の「カフェー」に行くのがおやっさんの夢で、
この決して叶わぬ夢へ、パンツ一丁で思いを馳せていた。
もし、花の湯が終焉を迎え日が来たら、浴室のタイル絵を貰う約束をしているんだ。
そう言って笑うおやっさんの笑顔は、昭和30年代に、
この花の湯へ入っていた洟垂れ小僧の頃と変わらないのだろう。
湯は故郷。
故郷に会える街が、在って欲しい。

656声 街は人 後編

2009年10月17日

昨日の続き。
例えば、「谷根千」なんてどうだろうか。
谷根千ってのは、東京の谷中、根津、千駄木の愛称で、
同名の地域雑誌も今年の8月まで発売されていた。
この地域は、東京23区では下町に該当する、謂わば都内の地方である。
にもかかわらず、不動の人気を誇っている地域なのだ。
休日や祝祭日、つまりは観光日和。
JR日暮里駅を出て、谷中銀座商店街まで来ると、肩がぶつかる程の人波。
その多くは、首からカメラをぶら下げた、国籍も様々な観光客。
しかしその活気を作っているのは、観光客たちでなく、商店の人たちなのである。
安価な料金で、昔ながらの揚げ物を店頭販売する店。
香ばしい匂いに釣られ、往来には直ぐに列ができる。
店頭にサーバーを置いて、その場で生ビールを売っている店。
店の前に出してある椅子に腰かけ、はたまた路上に立って、ビールを飲む人だかり。
店の人、誰もが活き活きしており、それが商店街に活力を生んでいる。
商店街を過ぎ、街中へ入ると、民家を再利用した洒落た商店が点在しており、
若き芸術家たちが集う場所となっている。
勿論、銭湯、古本屋、食堂、団子茶屋、飲み屋なども残っており、
市井生活との共存が伺える。
私も、ふとこの谷根千を歩きたく思い、出掛けた時はやはり、
人に会いに行く様な心持で出掛けた記憶がある。
特に誰と言う知り合いはいないのだが、街に生きる、街を活かす人がある。
それは、商店のおばちゃんだったり、食堂のおやじだったり、銭湯の番台だったり、様々。
街を歩きたくなる衝動は、人に会いたくなる衝動。
とも、私の場合は、言える。

655声 街は人 前編

2009年10月16日

「街にはやはり、人が見えてこないとな」
と言う思いが、私の模糊たる思考にある。
酔眼朦朧として、筋道を立てて一文を構成出来そうにもないので、
要点のみを少しばかり。
「街歩き」
ってのが、近頃の地方都市における観光戦略の大きな課題らしい。
課題になっていると言う事は、他県から来る観光客が、街歩きをしていない言う事になる。
他県から高速道路で来て、観光地へ寄って、また高速道路で他県へ帰る。
と言う一辺倒な観光だけでなく、市街地も歩きながら観光して欲しいと言う目論見である。
どの地方都市の市街地にも、観光資源は在る。
文化施設、寺社仏閣、歴史遺産、商業施設。
それなのに、何故、休日になると街が閑散としてしまうのか。
極私的な見解だが、そこに人が見えて来るかどうかだと思う。
観光資源が見えている街でも、人が見えてこない街には、
観光客はおろか、土地の人間さえ寄りつかなくなってしまう。
大きな要因はそこにある。
こんな筈ではなかった。
「要点のみを少し」ってのは、案外うまく行かないものだ。
では、掲載可能な文字量を超過してしまったので、明日へ続く。

654声 旅行けば横丁のおでん屋に故郷を見る

2009年10月15日

味の染みた、厚切り大根。
よく煮しまった、がんもどき。
こう夜が冷え込む時期になると、おでんの事を考えてしまう。
現に先日、近所の居酒屋に行くと、お通しに小鉢のおでんが出て来た。
私は上州人なので、おでんと言えばごく普通の、コンビニおでんを思い浮かべ、
これと言ったこだわりも無い。
しかしこれが、静岡の人となると話が一筋縄でいかない。
静岡と言えば、日本屈指のおでん大国。
地元の「静岡おでんの会」が作った、
「静岡おでんの五ヶ条」に基づいて定義される静岡おでんとは、
まず黒はんぺんが入っている事。
黒いスープである事。
串に刺してある事。
青のり・だし粉をかける事。
そして、駄菓子屋にある事。
最後の駄菓子屋にあるってところが、月島のもんじゃ然り太田の焼きそば然りで、
土着のソウルフードと言った感がある。
私も去年、「おでんの聖地」と言われている「青葉横丁」へ行き、
紺暖簾を潜って来たのだが、味、値段、そして何よりあの雰囲気を気に入った。
その時、L字カウンターで居合わせたおやっさんは、わざわざ東京から新幹線に乗って、
この静岡おでんで一杯やりに来るのが、ささやかな楽しみだと言っていた。
そして、その店の女将さんは、昔太田に住んで居た事があったとの事。
なんとおやっさんも絵が好きで、伊香保に寄った時は、
必ず竹久夢二伊香保記念館へ行くのだそうだ。
群馬県から来た、一見旅客の私と、おでん屋の女将と、その常連。
見ず知らずのお互い、湯気の向こうに奇妙な接点の糸を見た、夜があった。

653声 観察と改革

2009年10月14日

政権が代わり、着々と行われている行政改革。
ってのは、私の様な政治情勢に疎く、北関東の片田舎に逼塞している人間でも、
日々の新聞紙面やテレビニュースを見てれば分かる。
しかしそれは、間接的に得る情報。
面と向かってその人を観察する事によって得る、直接的な情報ではない。
私が街で得る、多くの直接的な情報は、どれも瑣末な事象である。
床屋の店主が話す、近所の美味いラーメン屋。
食堂のおばちゃんが話す、町内の噂話。
飲み屋の親父が話す、酔街界隈事情。
銭湯の客同士で語る、故郷今昔物語。
この様に、瑣末かつ取るに足らない程粗末な情報であるが、
どちらが自らの生活に影響を及ぼすかと言えば、直接見聞きした情報だと言える。
市井から得る情報は、純度が高い。
改革を成し遂げようとするならば、まず観察。
政治を扱う先生方は、どうだろう、大所帯で行く視察などではなく、お忍びで、
直接的に観察してみては。
一度銭湯へ入って、近所の常連の親父が話す、
べらんめぇ調でも聞いてみるべきではなかろうか。

652声 水の冷たさ

2009年10月13日

秋晴れの清々しい朝。
高崎から富岡を抜け、下仁田を経由して上野村まで行って来た。
車窓より仰ぎ見る山々は、薄っすらと紅葉し始め、衣替えの真っ最中。
冬に向かう山は、何だか大人びている。
そうだ、今朝の事である。
と、いつにもまして、世間話文体になっているが、進める。
私は毎朝、起床してから、まず水を一杯飲むのが習慣になっていて、
今朝も例外なく一杯。
ペットボトルのミネラルウォーター。
なんて言う、都会派ではないので、蛇口から出る水を飲む。
コップの水を飲んで思った。
冬も随分と近くに来たなと。
その水が、冷たかったのだ。
水が冷たいと言う事は、水道管が冷えていると言える。
日照時間の長い秋晴れの日は、放射冷却で夜が冷え込むので、気温が下がる。
それがやがて冬になると、冷え込んだ夜の次ぐ朝は、
水道管が凍結していて水が出なくなる。
なので、前の晩に少し水を汲んでおくのが、冬の常套手段である。
そして今日は、終日快晴。
この分だと明朝も、冷たい水を飲むと思う。

651声 45年前の空

2009年10月12日

体育の日。
と打つまでに、何度も変換し直した。
それは、普段「たいくのひ」と誤った発音をしていたけれど、
正確には「たいいくのひ」だったから。
「たいくの日」ならば「体躯の日」となってしまう。
そんな事を、およそ体育とはかけ離れた生活の中、日を過しながら、書いている。
窓の外は、健やかなる秋晴れ。
今を遡る事、45年前。
1964(昭和39)年の10月10日、東京オリンピックの開会式のあったこの日が、
後、1966(昭和41)年から国民の祝日として制定された。
今年はハッピーマンデー制度によって、12日になっている。
この日になると、我家の親父はよく、「開会式の日は、抜ける様な秋晴れの空だった」と、
目を細めがらら呟いていた。
私はむしろ、中之条町にある「オリンピック」と言うパン屋さんを思い浮かべてしまう。
よし、じゃあ、体育の日に因んで、自転車でひとっ走り行って来るとするか。
ビールを買いに。

650声 今日から我家は銭湯になる

2009年10月11日

さて、600声も折り返し。
東京から戻って来たのは、今日の昼。
今回の顛末をば、少し語る。
10月10日の昨日は、1010で、銭湯の日。
毎年この日、新宿のロフトプラスワンと言う、地下スペースで開催されているのは、
昨日で第5回目となる「東京銭湯ナイト」。
私も去年、諸事が重なり、行こうと思っていて行かれなかったイベントである。
あれから一年経ち、その開催をすっかり忘れていたのだが、今週初め、
知人からの連絡で思い出し、すぐさま予約して行って来た。
そのイベント内容は、クレインダンス情報に詳しい。
イベント終盤、来場されていた銭湯絵師が描いた、
「ペンキ絵オークション」なるコーナーが有った。
一度見た事のある人なら、「銭湯の富士山」と言えば容易に想像できると思うが、
あれの小さいものである。
小さいったって、1m30cm四方位の板に描かれているので、迫力は有る。
いざ、オークションが始まる。
「まずはこの赤富士から、はい、居ない」
「じゃあ、次は、この迫力ある富士山」
「はい、買います」
(会場一同、あっ、ホントに買う人が居るんだ)
と、思ったかどうかは推測の域を出ないが、一番最初に挙手したのが私だった。
イベント最中、軽快に飲んだビールの酔いも手伝って、景気良く買ってしまった。
その後、ペンキ絵は飛ぶ様に売れて行き、最後の一枚などは、
じゃんけんで落札者を決める程。
ともあれ、中島絵師が描いた、ほんもんのペンキ絵を、手に入れる事が出来た。
しかしまさか、手に入れる事になるとは。
その後、半透明の袋で包まれたペンキ絵を担ぎながら、
ネオンが揺れる歌舞伎町のど真ん中を歩いて帰って来た。
電車内、駅の券売機、自動改札。
至る事で、すれ違う人たちの好奇の視線を痛いほど浴びつつ、なんとか帰宅。
帰路の途中、どうしても堪え切れず、ほのじに寄って誰かれ構わず皆に見せびらかした。

649声 池袋演芸場より

2009年10月10日

電車が上野へ着くと薄雲。
乗り換えて池袋。
時折小雨がちらほら。
駅からひとっ走り、池袋演芸場へ入る。
演芸場を昼の部で辞し、外へ出ると、 澄んだ空に綺麗な夕焼け。
10月10日の主任は林家正蔵師匠。
寄席の中、席を見渡すと、机に十六茶のペットボトルを置いている人が、やけに多い。
演芸場の筋向かいの薬局で、「本日特売」と出てたのが、この十六茶だった。
皆様、考える事は一緒。
勿論、私の机にも一本。
間違っても、歌舞伎座などでは見られない、寄席と言うものを象徴するような光景。
と、ここまで携帯電話と睨めっこしながら、取り留めも無い文章を難儀して作成。
今は立っているのは、宵闇の新宿の路上。
向かいの角から、喧騒の間を縫って、何故だか聞こえる、祭囃し。

648声 血よ巡れそして滾れ

2009年10月09日

もうすっかり秋も深まって、夜が寒い。
今こうやって机の前に座っているのだが、裸足の足、つま先が冷たくなっている。
こうやって、体が冷え、血の巡りが悪くなる時に限って、風邪をひいてしまう。
昔からそんな気がする。
先程まで、隣の県に住む友人と電話で話していた。
小売業界に勤めるその友人は、実直な人柄なので栄達が早く、
若くして大役を任されている。
しかし最近、過度のストレスの為、手に蕁麻疹が出てしまったらしい。
私は蕁麻疹と言うものを経験した事が無く、
どの様な症状なのかは容易に想像し得ないが、本人、「まいった」と言っていた。
そう言う時は、やはり息抜きが必要で、職場の人等と酒を飲んだら、
随分と心持が楽になったとの事。
一寸気の利いた、健全なる女給さんと杯を重ねるうちに、
血の巡りも良くなったのであろう。
彼とは旧知の友人で、昔は良く一緒に酒席を共にしてい事もあるので、
性格の粗筋位は私も心得ている。
彼は私と違い、きっと大役をこなす人間である。
秋虫の声につられてもらい泣き
ってな心細い句を作っている私は、依然として血の巡りが悪いままである。

647声 夜の床屋、最後の客

2009年10月08日

「まぁ、思った程ではなかったですね」
第一声を発した私は、てるてる坊主の如き恰好で椅子に腰かけている。
「そうですね、まぁ、良かったですね」
店主は相槌を打ちながらも、眼光鋭く私の髪の毛に鋏を入れている。
ドアの外は、台風一過で澄んだ空を、宵闇が包んでいる。
私の友人でも、床屋、つまり理容室で無く美容室へ行って髪を切っている者が多い。
むしろ、大半の行きつけが美容室と言える。
私は未だかつて、美容室に行った事が無い。
故郷で暮らしている時も、他郷で暮らしている時も、理容室に入る。
美容室が嫌いで、取り分け理容室が好きと言う訳でも無いが、美容室には足が向かない。
そこに確固たる理由は無いが、小さなが要因がある。
理容室での顔剃りが好きなのだ。
美容室では顔は剃らないと聞く。
今日もそうだが、非常に髭が深く剃れており、
顔を剃った後には、心地良い爽快感がある。
あの蒸しタオルと、刷毛で泡立てたクリーム、そして切れ味鋭い肉厚な剃刀。
これを味合わないと、神社へ行って賽銭を投げない様で、心地が悪い。
髪を切ったと言う満足感に、多大に影響する。
すっかり夜も更けた窓に、店主がブラインドを閉める。
今日はどうやら、私で最後の客らしい。
蒸しタオルを取って、刷毛で顔にクリームを塗り、喉元から顎へ向けて剃刀を当てる。
目を閉じつつも分かる、疲労の色が濃い店主の挙措。
その時不意に、志賀直哉の短編「剃刀」を連想し、一つ息を飲んだ。

646声 合理的から豪儀的

2009年10月07日

予てより、豪儀な注文に憧れている。
例えば、今日の昼。
田舎町の小さなラーメン屋に入った。
着席し、近頃の出費続きで薄くなっている財布を確認すると、
小銭入れには丁度、500円玉が1枚、100円玉が1枚。
後は札入れに1,000円が1枚。
しかめっ顔を上げて、カウンター上のメニュー表を覗く。
ラーメン定食、800円。
に決めた。
と思ったが、貧乏根性がしゃしゃり出て来て、ブレーキを掛ける。
言い分はこうだ。
「ここでラーメン定食を注文すれば、1,000円札が崩れてしまう」
「だが、ラーメンを単品500円で注文し、
後は店を出てから、コンビニでパンでも買ったらよろしい」
如何にも染みったれている。
とも思ったのだが、合理的な注文方法でもある。
結局、染みったれ注文案を採用し、ラーメンを単品で注文。
後から入って来た、仕事師風体のおっちゃんなどは、
ラーメンの大盛りとチャーハンの注文である。
何食わぬ顔で、ラーメンを啜りつつ計算してしまったが、占めて1,300円。
余念無き涼しげな顔で、惜しげも無く明朗に注文する様は、私の憧れる豪儀。
早速、店を辞してからパンでは無く、弁当でも買おうと思い。
入った弁当屋で、一番安い海苔弁当、290円を注文。
結局は、ラーメン定食と変わらぬ出費になってしまったばかりか、
大分、時間を損した。
一体、何が合理的な注文方法だったと言うのか。
そして、肝心の1,000円札も崩れており、自尊心も大いに崩れた。

645声 説明し得ない秋の感情

2009年10月06日

台風18号が本州に近付いている為、今週は曇天続き。
この台風が行ってしまうと、冬との距離がぐっと縮まるだろう。
やがて10月も後半になると、いよいよ冬と同居せねばなるまい。
この時期、日本各地では秋祭りが行われ、地方などは収穫祭で俄かに活気づく。
そして、なんと言っても、田園風景が美しい。
稲刈りの終わった田んぼには、稲木が幾列も整列している。
天日に干されている稲の束が、秋の陽に照らされ、枯色に輝いている様は、
深く郷愁を誘う日本古来の風景である。
秋の夕暮れ時。
山間にひっそりと息づく寂しい集落で、この稲木のある風景を目にすると、
秋風が稲穂を揺らす如く、胸騒ぎに似た、僅かな胸のさざめきを覚える。
それは、田舎ばかりの事では無く、例えば、ビルが林立する都会。
ローカル線、無人駅の待合室。
これらの様な状況下でも、この類のさざめきを覚える時もある。
時には、秋風は野分となって、胸中を吹き荒れる事さえあるのだ。
それが一体どう言った感情であるのか、容易に説明し得ない。
それは秋、そう、稲刈りが終わる今時期に多い。
そんな説明し得ない感情を携えて、今朝、家を出た。
庭に植えてある柿の実の色が、随分と濃くなっていた。

644声 幸せ基準

2009年10月05日

先週末。
と言っても、一昨日と昨日。
両日共に、小さな宴で人と話す機会があった。
いずれも、酒が入っての話なので、終始、要領を得ない。
しかし、酔っ払いつつ周到な嘘をつく人も、そうは居ない。
つまり、本音がポロッと零れる。
世代も違えば性別も違う。
趣味も違えば嗜好も違う。
そう言う人等が、一つのテーマを持って話す時、話の糸は縺れる。
縺れた糸を解さずに、おかまいなし。
どんどん会話するから、話がこんがらがる。
その、こんがらがったダマを、箸で摘み、生ビールで呑み下す。
「一体、何が幸せか」
と言う問いを、皆(先日のその座に居た人たち)、考えているのだ。
と感じた。
考えてはいるが、答えを求めている。
とは感じなかった。
その曖昧模糊とした物に、基準を設けて安心する。
そう、安心したいのだ。
私なんかはもう、刺身の盛り合わせなんかあるでしょ。
あの、平たい大皿に、鮪に烏賊、有頭の甘海老やら旬の魚なんかが、
綺麗に盛り付けてある。
あれを前に、生ビールのジョッキを握りしめつつ、
「さて、どれから」
なんてやってる時が、幸せ。
うん、一番感じるよね。

643声 街の摂理

2009年10月04日

月島もんじゃ。
を、前橋中心市街地の店で食べていた。
鉄板の隅にへばり付いたもんじゃを剥がしつつ、窓の外、夜の往来を眺めている。
土曜の夜。
だと言うのに、人通りは疎ら。
私等の様に、千鳥足でそぞろ歩く人は余り居らず、黒服やドレスに身を包んだ、
街の関係者たちの方が多い。
そんな光景を見つめているのは、街灯の下に立つ銅像と私でだけ。
座談会。
と言う事で、居酒屋に集まった。
座談の顛末、内容は、後に「ほのじ通信」に掲載される事と思う。
宴も、座談もたけなわ。
居酒屋を辞して、往来へ出る。
酔街。
一歩踏み出せば、餌を啄ばむ如く、黒服のカラス達が群がって来る。
餌を巣に持って行くと、今度は餌の方が、極彩色の鳥たちに群がる。
街の摂理を横目に、心許無い足取りで行く。
夜の漂流者。
となって、気が付くと、朝の寝床。
転がっていたテレビリモコンに手を伸ばし、ボタンを押す。
テレビに、哀しいニュースが流れた。

642声 世界興通

2009年10月03日

リオデジャネイロに決定。
結果、2016年夏季五輪開催都市の招致はならず。
東京は惜敗。
伴って、群馬県邑楽郡大泉町では、俄かに歓喜の声が上がっている。
大泉町は、その人口約4万人に対して、約1割もブラジル人の方が住んでいる、
日本一の密度を誇るブラジリアンタウン。
今回決定したリオデジャネイロは、ブラジルの都市。
それに、南米発の五輪開催と言う事も相まって、歴史的な快挙なのだ。
オリンピックを生で見たい。
でも、リオデジャネイロじゃちと遠い。
そんな時は、大泉町。
日本で一番、リオデジャネイロの空気を体感出来る土地ではなかろうか。
テレビ観戦しながら、ブラジル料理をつまみに、ブラマで一杯。
ブラマってのは、ブラジルの大衆麦酒。
スポーツとビール、世界共通の興である。

641声 冷たい夜に雨が降る

2009年10月02日

季節の変わり目は、体調が芳しく無い。
そんな時、止しゃいいのに深夜の痛飲。
酔って尚、文章の精緻を欠かずに書く。
と言う事が私は出来ず、大いに乱れる。
センテンスが途切れ途切れで繋がらず。
詩とも歌とも採れない異形の文になる。
ビール瓶が空になる
庭の秋桜が枯れてる
秋には春の事を思い
夏には冬の事を思う
錆びた六弦が震える
Bmのコードが駆ける
冷たい夜に雨が降る
ビール瓶が空になる