日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和6年度は4月(ぬ)5月(岡)6月(す)7月(堀)8月(坂)9月(ぬ)10月(岡)11月(す)12月(堀)1月(坂)2月(ぬ)3月(岡)の順です。

439声 花夜

2009年03月14日

里では梅が見頃を迎えている。
天気の良い明日あたり、群馬の三大梅林は、
多くの観梅客で賑わう事だろう。

「梅花は可憐で、桜花は妖艶」

とは、私が勝手に思っているだけ。
闇夜に舞う桜の花には、時折「ギクッ」とさせられる。
しかし、やはり梅の花かな、青空の下では。

438声 お先にお花見

2009年03月13日

観光情報を紹介するってのは、中々、骨が折れる作業だ。
それは、常に先取りの情報を発信せねばならないからである。
観光誘客に結びつけるには、せめて一月前からの情報発信が必須。
しかし問題は、如何にして内容を揃えるかである。
一月も先の内容を、観光情報として紹介出来るだけの物として、一月前に作る。

例えば本日。
ほぼ終日、高崎市内を取材、撮影。
その内容は、高崎市内における、「春の桜特集」である。
丁度、市内の桜が満開を迎えるのが、一月先の今時期であろう。
しかしその内容を、本日揃える。

当然、桜はまだ蕾。
桜どころか、里山では梅が満開。
気の早い芝桜やら、日当たりの良い場所に群生していた、菜の花を中心に撮影。
その後、まだ桜の咲いていない観音山周辺を巡る。
その内容が、読者目線で紹介する市内一日観光コースなので、
どうしても紹介する観光コースは巡らねばならない。
そしてそれを、読者目線で書かねばならないのだ。

よって、観光情報を紹介する上で、最も必要な作業は想像である。
一昨年前の過去情報と、一月前の現在情報を混ぜ合わせて、
一月後の未来情報を作り出す。
来週あたり、私の頭の中では、高崎市内の桜が満開を迎えているはずだ。
一足先に、花見酒。

437声 春の蛤

2009年03月12日

春を感じたのは、回転寿司の店内での事。
おすすめメニューに、「蛤のにぎり」を発見。
蛤の旬は早春。
ひな祭りには、蛤を食べる風習もある。

そんな事を思い浮かべつつ、一皿注文。
流れて来る間に、メニューの端書き、「蛤の効能」に目を通す。
含まれる豊富なビタミンにより、病気に対して抵抗力がついたり、
疲労を防ぐとの事。
骨や歯の成長も促して、特に耳の神経には効き目があると言う。

流れて来た皿を取って、おもむろに一口。
すると、「ガリッ」と、脳天に一閃。
ティッシュを手に取り、奥歯の痛みと耳の衝撃にたじろぎながら、口から出す。
中身を検めると、犯人はどうやら、小さな砂粒らしい。
どうも、蛤に砂を吐かせきっていなかった様子。

「歯の成長も促して、特に耳の神経には効き目」
どころか、酷い憂き目である。
蛤が砂を吐いたかどうか、確かめる術は無いのだろうか。
おかげで、蛤の砂で私が歯痛である。

436声 ダマってオレに着いて来い

2009年03月11日

時勢に疎い私でも、やはり、高速道路料金の「上限1,000円」制は気になる。
東京、大阪の「大都市近郊区間」を除いて、土日祝日は普通車以下は上限1,000円、
満たない場合は半額。
つまりは、地方の高速道路が1,000円で乗り放題になる。
と、大まかに言えばこうなるのだが、どうも、小まかな所が問題らしい。

例えば、その対象外の「大都市近郊区間」ってのを通過すると分かりづらい。
首都高や名神高速を経由して行く場合の料金体系が、である。
経由地によっては、料金体系が複雑多岐に亘る。
そして、システムの遅れから、実施自体は今月28日からされるのだが、
GW前の4月下旬まで、東京圏を跨いで利用する場合は、
両側の区間で1,000円ずつ徴収される。
東から東京圏に来て、1,000円。
東京圏から西に行くと、また1,000円。
って事になる。

残るのは、「借金を返す為に料金を払ってたのに、大丈夫だろうか」
と言う、一抹の不安と、
「まず、渋滞は逃れられないな」
と言う、やはり不安だけが、一抹も二抹も残ってしまう。
しかし、安くなる事への純粋な嬉しさもあり、複雑な心持である。

あれこれ言ったって、まず、ETCを車載していないと話にならない。
この制度はETC搭載車のみに適用。
自車には、ETCが未搭載なので、この恩恵を受けられない。
よって、購入しようと思う。
しかしこれまた、「ETC助成金」だって。
1,000円で乗るまでには、まだ幾つも「ダマ」を解かなくてはならない様だ。

435声 月光浸潤

2009年03月10日

相も変わらず銭湯や、日帰り温泉に行っている。
どちらも、各種各様の楽しみ方があるが、
日帰り温泉での楽しみは、やはり、露天風呂である。

開放的な露天風呂は、比較的温度も温く、
ゆっくりと心地良い風を感じながら温まれる。
私が行くのは大概夜なので、お天道様は拝めないのだが、
お月様がいらっしゃる。

湯に浸かりながら、頭をもたげると、闇夜に浮かぶ満月。
そんな時は、月の光が濃く降り注いでいる。
陽の光は皮膚の表面を焼き、月の光は皮膚の中に浸潤して行く。
様な気がする、さながら、月光浴と言った様相であろう。
これが、中々、落ち着くのである。

434声 迷いの季節

2009年03月09日

気の根がざわつく。
とでも言おうか、どこかそわそわして落ち着かない。
気もそぞろで、何に取り掛かっても、あまり身が入らない。

3月の生温かい風が、そうさせるのだろう。
実際、出掛ける時の服選びでも、一枚着ようか否か、決断が鈍る。
つまりは、迷いの季節である。
年度末の慌ただしさも手伝って、日々、渦中を迷走している様。

里山では、早咲きの河津桜も咲き始め、
市街では、貼りたての若葉を多く見かける。
そう、この時期巷には、初心者マークを付けた車が非常に多い。

集中力に欠け、決断が鈍る、3月。
ましてや、運転が荒っぽい言われる上州の街道。
泰然自若の心持で運転する事が肝要である。
本日の帰り掛け、対向車に、
思いっきりクラクションを鳴らされた事を思い起こしつつ。

433声 17文字に活写

2009年03月08日

所々に点在する廃旅館の佇まいが、
その温泉街の現在状況を、何よりも雄弁に物語っている。
入り組んだ小路は閑散としており、生気は感じられない。
陽が路地へと滲み出し、看板が灯り始める頃。
宵闇に瘴気を吐き出すかの様に、この川沿いの温泉街は妖しく蠕動する。

路地裏風景。
に垣間見る、光景。
その中に感じる、「写真には写らない美しさ」。
とでも言おうか、肌に感じる空気の感触を、五・七・五の17文字に活写したい。
活写しておかねば。
と言う焦燥感が、ペンを走らせる。
ワルノリ俳句ingと言う、およそ酔狂な活動に、駆り立てる。

432声 宿酔が徘徊

2009年03月07日

起床すると、春嵐にざわめく木々の音が聞こえる。
宿酔の残党が、しぶとく五臓六腑に停滞中。
椅子に腰かけたは良いが、2度も3度も眠りの徒に袖を引かれる。
しかし本日、あと数時間もすると、「第7回ワルノリ俳句ing」が開催されので、
必死で誘いの手を振り払う。

今回の俳句ingは、上越線に乗って、一路、水上駅を目指す。
駅を降りて、水上温泉街を吟行しよう、と言う寸法。
今日は好天なので、太陽が西に下り始める頃までに、数を詠んでおきたい。
赤提灯が灯る頃には、気を楽にして街を歩きたいのだ。

好街で俳会しつつ、酔街を徘徊。
宵街で乾杯、そんな酔街に俳諧。

さて、そろそろ出掛けようと思う。

431声 低額所得金

2009年03月06日

「じゃあ、てーがくしょとくきんで買えば良い」
とは、先日、私の母が言っていた文句である。

「定額給付金」の事を、おそらく「低額所得金」と間違えている。
「貧乏は染み付く物ですなぁ」
などと、胸中で半ば呆れてしまった。
古今亭志ん生の様に、貧乏を味わえる料簡は遠くにあり。

430声 あんぱんと牛乳

2009年03月05日

公園の脇に車を停めてると、街に響く鐘の音が正午を伝えている。
ドア窓を開けると、寝ぼけた色の青空、やわらかな春風。
誰も居ない公園に、揺れてるブランコ、小鳥のさえずり。
電波の悪いラジオを聴きながら、あんぱん、牛乳。
あんぱんと牛乳を食べたら、シートを倒して、少し寝るつもりである。

429声 停戦交渉尽力中

2009年03月04日

「ハクション」
と、本日268回目のクシャミを計測。
酷い、今年は花粉症の諸症状が特に。

先週から続く花粉との戦闘。
徹底抗戦を表明して、花粉に構わず生活してきたのだが、遂には陥落。
本日より、マスクに目薬に、花粉鼻のど飴にと、停戦交渉を進めるべく尽力。
しかしながら、一向に攻撃の手を緩めてくれないのである。

クシャミする事にも疲れ、椅子の背にもたれ掛かって、
おもむろに頭を後ろに倒す。
すると、鼻水が鼻孔を通って喉に「たらーっ」と流れて来る。
これは、背筋に小さな寒気が走る程、気持ちが悪い。
はぁー。

428声 前のめりのススメ

2009年03月03日

窓の向こうは雪夜である。
外はホワイト雛祭り、とは言わないけれども、3月3日の本日。
商店で買って来た、パックの桜餅を食らいながら、
刻々と白く染まりゆく街を眺めている。
薬品でダルダルな食感である、このインチキ道明寺をビールで流し込む。
雪はまるで、天から降ってくる白い鰹節如し。

そして、紙版「ほのじ通信」第3号も完成した様で、本日より販売開始。
A5判12頁で、定価は50円。
今なら送料80円は、販売者の負担。
つまりは、一冊売れる毎に30円の赤字。
随分と、前のめりな販売方針である。
しかし、からっ風の強い上州を歩くには、前のめり位が丁度良い。

※お買い求めの方は下記「お問い合わせ」より、
 送付先住所、氏名を記載してメール下さい。

【お問い合わせ】

427声 卒業願書

2009年03月02日

目を真っ赤に腫らしているのは、卒業生。
だけでなく、私を含めた花粉症患者も多い。

県内各地で卒業式が行われた本日。
天気晴朗な上に風が強い。
とくればもちろん、花粉が飛散。
くしゃみと鼻水はのべつに出るし、掻きすぎた眼は、さながら白ウサギ。
それはもう、花粉で悲惨。
などと、安直なおやじギャグに手を出してしまう程、
思考の方も融通が利かなくなっている。

先日、遂に堪りかねて、髪の毛をバッサリと短くしてしまった。
花粉を付着面積を、少しでも減らそうと言う試みだ。
しかし、花粉症からの卒業は、まだ当分出来ない模様。
入学願書を出した覚えも無いのだが。

426声 路地顔

2009年03月01日

「年取ったね」
と、友人に言われてギクッとしてしまった。
彼と会うのは、かれこれ3年ぶりなので無理もないが、
お互いに旧知の仲なので、言葉に重みがある。

聞くと、目の下の隈に原因があるらしい。
確かに、ここ2.3年眼の下の隈がどうも取れない気がする。
いや、気がするだけでなく、鏡を覗くと実際に目の下の血色が悪い。

毎晩こうやって、PCの前に張り付いる事による眼精疲労だろうか。
いやそれでも、換算すれば大した時間ではない。
もしくは、栄養失調。
否、私の体脂肪率は高度成長期である。
後は、貧乏神でも憑いたか。
しかしこれは、今に始まった事ではない。

とどのつまりは、「寝過ぎ」と言う結論で落ち着いた。
かく言う友人も、大分恰幅が良くなっているではないか。
「人が歩んだ道は顔に出る」
とは言うが、その出方が問題である。
私はこの3.4年と言うもの、
県内の路地から路地へ、時代の裏通りを千鳥足で歩いていた。
だとすれば、やはり、その出方が問題である。

425声 銭湯の趣き、眼鏡の傾き

2009年02月28日

昨日行ったのは、日頃から良く利用する日帰り温泉施設である。
湯に浸かっていると、隣の打たせ湯に入って来た、おやっさん一人。
湯が背を打つ音、響き、気持ち良さそうに打たれている。
その光景を、横でぼんやりと見ている、私。

右の背から、左の背と来て、打たれ箇所をゆっくりと脳天にズラしてゆく。
すると「ベチベチベチッ」と、一層、湯の打音と飛沫が強くなる。
瞬間、脳天から脱線した打たせ湯が、おやっさんの顔面を通過。
掛けていた眼鏡が、一気に湯の中に落ち、揉まれる。

慌てて両手を湯に突っ込んで、眼鏡サルベージを試みる。
その姿が、やすきよの漫才と言うか、ドラえもんの野比のび太とでも言うか、
つまりは滑稽である。
更には、その間にも打たせ湯が、無防備な背中を直撃している。

漸く、湯の底からの引き上げに成功し、眼鏡をかけて安堵の表情。
私も無表情を装いつつ、胸を撫で下ろす。
曇った眼鏡のおやっさん。
その顔を良く見ると、前に一度、市内の銭湯で会い、
銭湯の趣について立ち話をした人。
おやっさんは私の事を、気付いたかどうか。
掛けた眼鏡は、少し右に傾いていた。

424声 回転寿司の皮算用

2009年02月27日

「定額給付金」
ってのが支給される模様で、各自治体が俄かに奔走している。
その支給方法は、各市町村ごとに様々。
大半は各金融機関口座への振り込みを予定しているのだが、
金融機関窓口を通じての現金支給って所や、
場合によっては職員が出向いて支給する場合もある。
「らしい」と、現段階では付け足しておかなければならない。
と、まぁまずは、自治体から郵送されて来る申請書を待つばかりである。

巷での話題はもっぱら、トラタヌ式(取らぬ狸の皮算用方式)に展開されて行く。
「12,000円貰ったら、何買う」
「店で一番デカイケーキをさ、一個買って、一人で全部食う」
などと息巻いている私の友人もいる。
お年玉を初めて貰った子供じゃあるまいしと、私は呆れる。
大人たるもの、その時ばかりは、回っていない寿司を食べるべきなのだ。
と、プラスチックの皿を取りながら、こう思う次第である。

423声 拠り所を探す

2009年02月26日

友人の家は定食屋だ。
工業団地に位置している店なので、掻き入れ時は平日の昼。
勝負は12時からの30分。
以降は客入りもまばらになり、13時30分を過ぎる頃にはもう鍋の火を落とす。
つまりは、12時30分までが工業団地に勤める常連客。
それ以降に来る客は大抵、通り掛かりの一見客ないしは、
私の様な知人客なのである。

その日、私はいつものラーメン定食を食べていた。
すると、暖簾をくぐって来たのは、お婆ちゃん。
注文を決めあぐねており、13時を回っている時刻から推察するに、
一見のお客さんらしい。

ラーメンを食べ終えたお婆ちゃんは、おもむろに立ち上がり、レジで会計。
「ちょっと、お尋ねしますけど」
と、お婆ちゃん。
やはり来たか。
と、新聞の行間を見つめつつ耳を欹てる私。
「このお店は何年位前から、御商売を」
おつりを渡しながら、友人の母が答える。
「かれこれ、30年位にはなります」
「そうですか、私は昔この辺りに住んでましてね」
お婆ちゃんは、ゆっくりと話を紡ぐ。
「今日は、数年ぶりに出て来て歩いているの、
この辺りも大分変ってしまったのね、角のお米屋さんはないし、
それに、工業団地があんなに広くなったのね」
「この辺りも昔から比べて、大分拓けましたかなねぇ」
「そうみたいねぇ」
お婆ちゃんの声色は、少し感傷的である。

「でも、このお店は直ぐ分ったのよ、変わってないんですもの」
「そうですね、昔っから、変わってないのはウチ位ですからね」
二人に小さく笑みがこぼれ、
「どうもありがとう」
と、店を後にするお婆ちゃん。
人が歩んで来た道を振り返る時、そこに記憶の拠り所が無いと言うのは、
非常に空疎である。
お婆ちゃんが出て行った後、読んでいた新聞を四つ折りにして置き、
私も席を立った。

422声 どどめ色

2009年02月25日

土着の人と話していて、たま話題に挙がるのが、「どどめ」である。
このどどめってのは、桑の実の事で、埼玉や群馬県の一部で使われている方言。

「そう言えば最近、どどめって見ないよなぁ」
だとか、
「現代っ子は、どどめと言う物を知っているのだろうか」
など、どどめの絶滅を危惧する声が多い。
確かに、近年、桑畑自体の減少が著しいので無理もない。
しかし、絹遺産群に代表される県内の養蚕文化を、味で体感していたのだと、
幼き頃を懐旧する。

学校の帰り道、通学路に広がるのは、広大な桑畑。
白と黒のまだら模様のカミキリ虫が、旨そうに桑の葉を穴だらけにしていた。
畑一面の緑が照り返す季節が過ぎる頃には、良く、
桑の木になっているどどめを食べながら帰ったものだ。
果汁で汚れた手を、体操服のTシャツで拭いてしまうから、
私の白いTシャツは、いつも所々どどめ色に染まっていた。
友達とふざけ合って、どどめの実を投げ合いながら帰った時は、
流石に母親から大目玉を食らった。
染み付いたどどめ色は手強く、なかなか落ちないのである。

しかし、今時分は、Tシャツをどどめ色に染めている子等も、
殆どと言って良いほど見ない。
いや、見れないのだ。
あの頃を思い出すと、まだ若い、未成熟などどめを食べた時の、
あの酸っぱくてほろ苦い味が、甦ってくるようである。