日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和8年度は4月(坂)5月(ぬ)6月(岡)7月(す)8月(堀)9月(坂)10月(ぬ)11月(岡)12月(す)1月(堀)2月(坂)3月(ぬ)の順です。

1340声 山帽子の実

2011年09月01日

吹き荒れている。
こんなにも、長い時間をかけて列島を縦断して行く台風も、久しぶりである。
室戸岬から四国に上陸と言う進路から、大きく離れた群馬県でも、その被害は既に甚大。
特に、伊勢崎地域は床下浸水している箇所もあった。
夕方のニュースでは、「東京福祉大学」の駐車場が浸水し、
停めてある職員や学生の車が浸かっている様が報道されていた。

高崎市界隈では浸水などの話は聞かなかったが、
高速道路が一時通行止めになっていたので、インター付近は大渋滞になっていた。
そんな折に、前の車が追突していたり、救急車が忙しく往来していたりと、
地震も怖いが、台風もまた怖い。
と言う事を、痛感した一日だった。
依然として、進行速度が遅い台風は、明日上陸し、
明後日には日本海に抜けると言う、のろのろぶり。
明日発足するであろう、野田内閣に、暗雲を残さぬ事を祈るばかりである。

政治の話題で終えるのも、後味が良くないので、もう少し。
つい先程、帰宅し玄関の前で傘を畳んでいると、
庭先の宵闇の中に転がる無数の赤い物体が、目に入った。
目を凝らして確認すると、それは山帽子の実、であった。
色づいたばかりの山帽子の実が、この暴風雨で大量に落ちてしまったのである。
「残念」と思ったが、所詮は庭木。
果樹農家さんたちの労苦が思い浮かんで、少し胸が痛んだ。
二、三個持って帰り、洗って食べたら、ほんのりと甘くて美味しかった。

【天候】
終日、激しく降ったり、突然止んだり。
変な天気の台風模様。

1339声 台風の香り

2011年08月31日

機嫌を伺いつつ、窓を開けたり閉めたり。
時に荒れたかと思えば、途端に静かになったり、
情緒不安定な雲行きである、台風というやつは。

毎年の事。
夏と秋の空気の入れ替えをしに、台風がやって来て、ひと暴れして行く。
台風一過の澄んだ青空は、まさに「秋気澄む」と言った印象。
毎年、台風が去った後に、自宅裏の田圃から榛名山を臨む夕景は、心に残る風景である。
その後、一晩明ければ、空に収まりきれないほどの、鰯雲が群れをなしてやって来る。

既に、台風12号が列島各地に及ぼしている影響が報道され始めているが、
内心、わくわくする気持ちがある。
それは、子供心を惹き付ける、台風のあの世紀末的雰囲気に、
ではなく、俳句が作れるかも、と言う感覚である。

言わずもがな、台風は秋の季題であるが、面白い季題だと思う。
台風の持つ特性を、作品に活かし得た例と言うと、
俳句ではなく、真っ先にあの映画を思い浮かべる。
相米慎二監督の「台風クラブ」である。
台風と少年少女とが、混然一体となって吹き荒れる、刺激的な内容であった。
今でも、映画を観終えた後、実質的に胸の痛む思いがした事を覚えている。

私の文芸における趣向は、青春性、あるいは微弱でもその香りのするものに、
惹かれる傾向がある。
また、そう言った作品は、普遍的な良作が多いと感じている。
そう言った意味で、この「台風」と言う季題は面白いと思った。
さて、俳句と言う短詩型で、それを上手く表現でき得るだろうか。
暴風雨の窓では、親指の爪程の蛾が一匹、網戸にしがみ付いて雨宿りしている。

【天候】
朝より曇り。
夜には台風12号の影響で、雨風強し。

1338声 まさかの「選」

2011年08月30日

たまに本を買う。
インターネットを利用して、である。

ネットの大型書店と言えば、まず「アマゾン」てぇのが定石であろう。
本のみならず、多岐に亘る買い物を楽しめる。
まさかここで、自分の本を並べるとは思わなかったが、
勿論、売れる数より買う数の方が、断然に多い。
先日も、俳句関連の本を幾つかまとめて買った。

ネットでの買い物は、トラブルが懸念されるので、遠慮している。
と言う方がいるが、私はネットでの買い物に、左程、抵抗が無い。
と言うよりも、欲しい物があったら、まずネットで検索する癖までついてしまった。
大きなトラブルには遭遇していないが、小さなトラブルは、時折、ある。

先日も、アマゾンを介して、中古の本をネット書店から買った。
届いて封を開けてみれば、購入した俳句集ではなく、全く知らない人の詩集が入っていた。
詩と俳句で、似ていると言えば似ているが、似ていても内容の違う物では仕様が無い。
即刻返送したが、本体代金よりも送料の方が高いくらいの本なので、
新刊で購入した方が安かった、と言う事もありうる。

こう言う事もあった。
私は、本に関しては「読めればいい」と言う派なので、中古をよく買う。
例えば、表紙カバーがなかったり、スレやヤケがあっても気にしない。
頁に書き込みがあっても、値段が安ければ、状態の良い本よりも悪い本を選ぶ。
先日、間違って詩集が入っていた際、購入していた品の中に、幾つかの俳句集があった。
書き込みがある、と言う事は了承して買ったので、別段、それは気にならなかったが、
「選」が入っている本があるのには、閉口してしまった。
つまり、頁に一つづづ並んでいる句の上に、〇だとか◎が付いているのである。
それが気にならない訳は無くて、
「この句を取ってるなんて、見る目がある」
と言う場合はまだしも、
「この句を取るなんて、どう言う選句眼だろう」
「いやまてよ、私には分からぬ、何か深い意味があるのかも」
などと、一向に読むのが進捗しないのである。

これから、読書の秋。
買うのを一旦止めて、少しは部屋に積まれた本の山を低くする事を心掛けよう。
そう、分かっちゃいるけど、止められない。

【天候】
終日、秋晴れ。
日中の気温は、真夏日。
台風接近中なので、夜半には湿った雲の気配。

1337声 四季の面々

2011年08月29日

遠慮もなしに、どかどかとやって来て、席に居座っている。
まだ春がその席を立っていない、5月初旬あたりから、もう自分の仕事をやり始めている。
その気迫に押されて、春が席を立って足早に帰ってしまうと、
さっきまで精を出していた仕事を投げ出して、気まぐれにどこかへ行ってしまう。
そこで、見かねた梅雨が応援に来て、しばし、季節の間を繋いでいる。
すると、ひよっこり戻って来て、さっきまでの気まぐれはどこへ置いてきたか、
朝夕の区別なく、猛烈に仕事に精を出している。
周りの人たちは、そんなら磊落な夏に辟易としながら、いつの時代も、
若者には絶大なる人気を得ているから、憎めない。

「もうそろそろ」
と、みなそう思っているだが、中々、帰ろうとしない。
特に、若い人たちは「帰って欲しない」と言い、
あげくには、「エンドレスサマー」なんて言っている人たちもいる。
それで良い気になって、「立秋」と言う合図があったにも関わらず、
まだしぶとく居座って、空の上で大いに暴れ回っている。

しかしながら、聡明な秋の方がやはり一枚上手で、夜になると虫の指揮をとって、
涼やかな音色を奏でている。
これには夏もかなわない様で、最近ようやく、帰り支度を始めている模様。
あんなお騒がせな夏でも、去りゆく後姿には、やはり郷愁が感じられて、
いささか寂しい心持がする。
多彩な秋と一緒に、スポーツをしたり行楽に行ったり、食事を食べたり本を読んだりするのも、
季節の中では、特に至福の時間である。
その後に来る冬の厳しさを思えば、秋とは仲良くやって行けそうな気がする。

【天候】
終日、曇りがちなる晴れ。
日中はまだ蒸し暑し。

1336声 晩夏の深大寺

2011年08月28日

新宿駅から京王線に乗り、調布駅で途中下車。
駅前ロータリーからバスに乗り、降車したバス停が「深大寺前」。
東京都内屈指の古刹である、深大寺へ参拝に行ってきた。

バス停から往来を渡れば、そこから、樹々の生い茂る参道が伸びている。
参道の脇には、有名な「深大寺そば」の店が点在してる。

春惜しむ深大寺そば一すすり(皆吉爽雨)

深大寺そばと言えばこの句だが、夏惜しむ今時期は、
店先に出ている風鈴や、「かき氷」の文字が涼やかである。
時期には大そう賑わうようであるが、私が着いたのがもう日暮れ時だったので、
薄暗い参道は森閑としている。

境内に入ると、ひぐらし鳴き声が濃く、晩夏の雰囲気。
立派な菩提樹の古木のみ、すこし葉先が紅葉していたが、
まだ木立には、瑞々しい夏の色が残っていた。

掲示板には「深大寺俳句大会」のチラシも貼ってあり、
やはり、俳句との縁が見られた。
参拝の後、ひと巡りして、句碑や歌碑など見て回った。
賽銭箱の横には、大柄で温厚そうな猫が一匹、涅槃仏のような格好で寝ていた。
カメラを向ける私を煙たがるように、大欠伸をひとつして、のったりと寺の裏へ行ってしまった。
境内には、近所の人であろう、時折、犬の散歩をする人が通り抜けて行った。
東京都内にあって、こう言う場所に、俳句の源流があるのだろうな、と感じた。

【天候】
終日、薄曇り。
残暑の一日。

1335声 蛙に睨まれた人

2011年08月27日

庭。
と言っても、俗に言う、猫の額ほどのものだが、
そこに数本、果樹が植えてある。
柿の葉は、若葉の頃の艶やかさが抜け、うっすらと紅葉してきた。
左に二本隔てて、植えてある山帽子は、実に紅い色が付き始めてきており、
実り具合を伺う事ができる。
今年は、豊作の様。

丁度、ひと月前頃だったか。
盛夏の日の夜、酔眼朦朧として帰宅したのは、もう深夜。
そのまま、シャワーを浴びて寝よう。
と言う事で、おぼつかぬ足取りでシャワーを浴び、洗面所で歯を磨いていた。
口を注ごうと、洗面台に顔を向けると、目が合った。
白い洗面台の上に居た、蛙と、である。

「蛇に睨まれた蛙」
と言う諺があるが、
「蛙に睨まれた人」
状態で、人である私は、一瞬にして、全ての動作が停止してしまった。
ちと呑み過ぎたかと思って、目を凝らすと、そこには確かに、
五百円玉くらいの青蛙が、手を付いている。
一呼吸置き、歯ブラシを口に突っ込んだまま、そろりそろりと手を伸ばした。

徐々に近づいている手が、あと一息で、掴める距離に来たところ。
「ぴょん」
と、飛び上がった青蛙。
慌てて追うと、着地に失敗したのであろう、床に落ちて情けなく体勢を崩している。
そこをついて、素早く手を出すのだが、如何せん、酔っ払い。
的を外れて、青蛙はまたもや、ジャンプまたジャンプ。
そうこうしていて、結局、洗濯機の下にもぐりこんでしまった。
そして私は、口を注いで寝てしまって、翌朝にはケロッと忘れていた。

それが、昨日の深夜、およそ一カ月ぶりに、あの洗面台で再会した。
背中の青色は、日に当たらなかった所為か、随分とくすんでいる。
その眼光にも、なんだか、盛夏の夜に見た精彩が欠けている。
サッと掴んで、玄関から柿の木の根元付近へ放り投げた。
微かに、「べチッ」と言う着地音が聞こえたので、どうやらまた、
着地に失敗したようであった。

【天候】
一時小雨降るも、概ね晴れ。

1334声 優柔計画

2011年08月26日

夜更け、である。
窓の外の虫の音が、随分とたくましくなってきた。
しかし、いまからの内容は、昼間のこと、なのである。
とても、おぼろげな時の過ごし方をしている。
そう感じる日が、よくある。

例えば、休日。
朝からよく晴れた、お出掛け日和。
終日予定は無いし、少し寂しい財布を除けば、体調もすこぶる良好。
朝食は済ませたし、珈琲はいま飲み終えた。

「さて、どこへ行こう」

まずは、椅子に座って、空を見上げる。
車で、あの道からあそこの山へのぼり、あの湖を見て、
あそこの饅頭でも買ってくるか。
いやいや、そんな郷土の観光地など、もう飽きた。
駅まで自転車で行って、電車に乗り都内へ。
あの寄席へ行ってから、あそこの飲み屋街ではしご酒。
てぇのも悪くない。
いや待てよ、それにはちと財布が心許ないし、
尚且つ、徒歩で帰ってくるのがちと億劫だな。

そうこうしている間に、正午。
昼食後に、仕切り直して練ろう。
そうして、今度はパソコンに向かって、あれやこれやと検索をする。
乗り換え時間はこうで、寄席の木戸銭はこれで、本日の番組表はそれか。
目当ての芸人さんが出ていないので、予定を変更して、あの博物館へ。
いや、閉館時間には間に合わなそうなので、それは止めて。

なんてやっている間に、窓からは西日が射しこんでいる。
なんだもう、風呂屋に暖簾が掛かる時間か。
と言う事になり、結局、近所の湯屋へ出掛け一杯ひっかけて、帰宅。
なんだか、妙に疲れたし、本読んで寝よう。
そうならない、明日の為に、戒めの念をこめて、今日の文章を終える。

【天候】
晴れのち曇り。
正午過ぎ、高崎方面ゲリラ豪雨。
その後、東京方面へと雨雲は南下。

1333声 秋の線香花火

2011年08月25日

定例の句会の日であった。
最近、少し人数が増えて、6、7人、ともすれば8人と言った具合でやっている。
俳句会をやるには、丁度、手頃な人数と言ったところ。

珍しく、先生宅に早く着いた私が、うどんなどを啜っていると。
「こんばんは」
玄関の敷居を賑やかに跨いでくるのは、艶やかな浴衣。
メンバーである女性陣のひとりが、浴衣を新調してきたようで、
みな、浴衣や着物で装っている。

晩夏と初秋の境目。
と言うとで、虫の音の聞える庭に出て、線香花火をやって句を詠んだ。
私などが持って、線香花火の幽玄な火を見つめていても、余り情緒が無い。
あれは、浴衣の女性が持つものだと感じた。
しかし句会では、男が線香花火を持っている句に、多く選が入った。
俳句は一筋縄ではいかない。

【天候】
曇りのち雨。
日中いまだ、蒸し暑し。

1332声 蝉の声虫の声

2011年08月24日

薄くなった秋の雲を貫くように日射しが注いでいる。
すなわち、残暑で蒸し暑い日である。
やけくそ気味に鳴く秋の蝉も、涼やかに響く虫の音に、肩身が狭そう。

喘ぐように鳴いている、あの蝉は、油蝉。
少し前は松蝉がいて、みんみん蝉もいた。
夕方によく聞くのは、法師蝉やひぐらし蝉など、
一重に「蝉」と言ってもその種類は多い。
まだ、にいにい蝉や熊蝉など、お馴染の蝉もいる。
その鳴き声を聴き分けるのも、まや一興である。

蝉は大方の人がその種類を聴き分けられるだろうが、
「虫」の方はどうか。
秋の野に鳴いている、虫である。
鈴虫、こおろぎ、松虫などは大丈夫であろうか。
邯鄲、くつわむし、きりぎりす、鉦叩、馬追などになって来ると容易ではない。
繊細な感覚が必要になってくるが、その一つ一つに味わいがある。
書いていながら、私にも聴き分けられるか、怪しい部分がある。

しかし、残暑の折り、鳴き始めた虫たちの声に耳を傾けるのも、
夜を涼しく過ごす、工夫のひとつかも知れない。 

【天候】
終日、晴れ間のある曇天。
蒸し暑い一日。

1331声 感動までの距離

2011年08月23日

「感動を詠め」
とは、然るべき俳句入門書などでは、必ず目にする事柄である。
「感動」ったって、そうそう見慣れた野山で、感動する事象に出くわす事も少ない。
私の感受性が乏しいのかもしれない。
しかし、心には響くのが、それを「感動」と言い得るのかどうか、と言う場面が多い。
悩んでいるくらいなので、それでは感動を得ていないのだろう。

ここで一旦、話を放り投げて、弁当である。
所謂、「ほか弁」と言われている弁当を、たまに買って食べる。
先日の昼も、チェーン店のほか弁を買った。
いや、正確には昼時に祖父が家に訪れていたので、
祖父が近所の店で買って来たのである。
「何弁当」と、特に指定しなかったのだが、買って来た弁当を見ると、随分と豪勢。
おそらく、「デラックスなんたら弁当」と言う類の、高価格帯の弁当である事は間違いない。

思えば、私。
ほか弁を買う時など、このところ数年に亘って、五百円以上の価格を出した事が無い。
つまり、安価なのり弁の類を中心に、から揚げ弁当が天なくらいで、
後は十中八九、五百円以下の安価な弁当を購入していた。
それが、この日は、五百円をはるかに超えるであろう、豪勢な弁当にありつけた。
豪勢な見た目なだけあって、やはり味も、笑みがこぼれるほど美味い。

この辺りで、先程、投げた話しがブーメラン式に戻って来て、感動である。
その、豪勢な弁当の味に、感動を覚えた。
「たかがほか弁で」
などと、自分でも思ったが、されどほか弁。
長い事、安価な弁当の味を覚えた味覚だから、なのであろう。
これがまた、さる高級料亭の仕出し弁当、と言うと話しが違う。
日常の、ほんの些細な変化、なのだから、良いのかも知れない。
その距離が感動までの、一番の近道になったのかも。
見慣れた野山でも、ほんの些細な変化、例えば、見慣れた裏山も、
朝陽のあまねく満ちる日の出の時間は、素晴らしい裏山かも知れない。
もしかしたらそう言うところに、日常の感動があるのかも知れない。

【天候】
朝より曇り。
午後に少し晴れ間が出て、蒸し暑い一日。

1330声 句会のO氏

2011年08月22日

秋気が日を追う毎に澄んできて、
朝の珈琲の香りが、心地好くなってきた。
まだ、日中は蝉の声を聞くが、夜には虫の音が聞こえ、
窓を開けていると肌寒いくらいである。
このくらいの気候になってくると、冷えたピルスナー麦酒よりも、
常温のエール麦酒を飲みたくなってくる。
そうなると、国内で開催されるオクトーバーフェストなども、
そろそろ待ち遠しくなってくる。

毎月参加している俳句会の仲間に、Oさんと言う方がいる。
Oさんはいつも、吟行場所である公園に、自転車で来る。
春も深まったその日も、颯爽と自転車で来て、木陰に停め、私の所へ歩いて来た。
片足を引きずるように歩いていたので、「怪我ですか」と問うと、Oさん。
苦虫を噛みつぶしたような表情で、「つーふーだよ」と、一言。

痛風。
風が吹くだけでも、痛いと言うのは聞いているし、
Oさんの表情を見ていれば、その具合が伝わって来る。
句会が終わり、会場から駐輪場まで、足を引きずりながら帰るOさんは、
冷や汗流しながらとても辛そうだった。
そのOさん、先月の夏の句会には来なかったので、おそらく足が痛むのであろうか。
メールでの不在投句で、Oさんの句には、「冷酒」と言う季題を使った句が多かったので、
静養していても、酒は飲んでいるのだろうかと、心配になった。

これから、夏にも増して、麦酒の美味い季節の到来である。
その入口にある今日この頃、Oさんの具合を心配すると共に、
自分の事も心配になっている。
読書諸氏で、もし俳句をたしなむ人は、夏に詠んだ句を見てみるとよい。
冷酒、麦酒などの句が多い人は、要注意かも知れない。
痛風になるのは、そのほとんどが男性、と言う。
「痛風になったら、痛風の句でも作るか」
なんて、Oさんの苦悶の表情を思い出したら、気軽に言えない。
私に場合は、痛風よりも、まず心配すべきは最近顕著になってきた、
麦酒腹かも知れない。
Oさん、秋の句会には出てくるだろうか。

【天候】
終日、曇天で涼しい日和。

1329声 秋の水面

2011年08月21日

自転車に乗ってふらふらと、小雨の中を行く。
三ツ寺公園へ入ると、瓢箪池の周りには、ずらりとパラソルが並んでいた。
竿先を水面に寝かせているので、その多くは、鮒を狙う釣客であろう。
秋めいて来て、これからは釣りをするには良い季節である。
糸を垂れている夏休みの子供たちは、皆、どこか寂しげな陰があった。

公園の上、大きな池の方へ出ると、木陰の映る水面が澄んでおり、
すっかり秋の気配に包まれていた。
東屋に座り池の全景と榛名山を仰ぎ見ながら、俳句などをひねる。
まったく気も乗らないので、不貞寝しようと横になると、その地面。
蝉の死骸や芋虫の死骸などが転がっており、ぞっとしながら、
直ぐ様、東屋を飛び出した。
池には、親子の乗船するスワンボートが一艘、漕ぎ出していた。
ゆっくりと進んで行くスワンボートの後には、鴨の群れが集まって行き、
航路を共にしていた。

噴水の脇のベンチで横になって、曇天の空を眺めていた。
半袖ではそぞろ寒いくらいであったが、小さい子供たちは、
元気に噴水で遊んでいる。
勢いの良い秋の蝉が鳴き止むと、微かではあるが、虫の音が聞こえ始めた。

【天候】
終日、小雨交じりの曇天。

1328声 蝉掃除

2011年08月20日

一雨来たら、もうすっかり秋めいてしまった。
秋雨に濡れたアスファルトを歩いていた、街の夕暮時。
今日は何故か、八王子の街を思い出した。
大都会と言うほど雑多でなく、さりとて、地方都市よりも華やかな街の色。
これから、あの寂しい八高線に揺られ、高崎方面へと帰らねばならぬ。
と言う、あの郷愁を。

話は飛んで、私は学生時分、埼玉県の小都市に独り暮らしをしていた時期がある。
住んでいた三階建てのアパートの前には、大きなカヤの大樹があった。
三階にある私の部屋。
そのベランダには、毎年、晩夏になると蝉の死骸が大量に転がっていた。
目の前にある、大カヤから飛んで来るのである。
時には、網戸に止まって大声で鳴く奴もおり、
蝉たちとは毎年、一進一退の攻防線を繰り広げていた。

キリが無いので、夏の間はしばしば放っておくのだが、
秋口になるとそうもいかず、白く干からびた蝉の死骸を掃除する。
ビニール袋にそれを入れていると、得も言われぬ寂しさにとらわれる。
死んでいるかと思えば、一寸触ると鳴き出す奴もおり、
転がりながら鳴いている姿が、とても哀れに見えた。

蝉掃除を終えると、その年の私の夏が終わる。
そして、寂しい秋が訪れる。
丁度、八王子の街をほっつき歩いていた時分である。
いまの私は、蝉掃除はしなくても良い生活だが、
丁度、今時期は、あの部屋の蝉掃除の時期だと思った。
いまでも誰か、あの部屋で蝉掃除をしているのかしら。
そして、あの寂しさ、あの郷愁を、感じているのかしら。

【天候】
曇り、夕暮時より雨。

1327声 北関東三県制覇

2011年08月19日

「北関東三県制覇」
角ばった漢字ばかりで仰々しいが、要するに、
北関東三県の伝統的な銭湯を全て回り終えた、と言う事。
その一部は、この「めっかった群馬」のコンテンツ「とっておき探訪」に掲載中である。
「一部」と言うのは、巡っていた中で、中には撮影も取材も、一切お断り。
と言う銭湯が、一軒だけあったから。
そして、先日回った日立市の銭湯の二軒は、
もう少し、材料を集めてから掲載しようと考えているから。

北関東のみならず、埼玉県も熊谷市以北の銭湯は、(その数幾つでもないが)全て回った。
群馬県内の銭湯を回っていた時には、分からなかった事。
例えば、群馬県の銭湯が持つ「特色」が、他県の銭湯と比較対象する事で、分かってきた。
文献や資料を見ても、私のおぼろげな頭脳では、中々、理解できない。
やはり、その土地へ行き、湯に浸かり、瓶牛乳を飲み、
常連さんに怒られたり、番台の女将さんと親しくなったり。
そう言った、所謂「裸の付き合い」をしながらでないと、頭に入ってこない。

もう一度、いや何度も再訪したい銭湯が、沢山ある。
北関東三県の都市の名を伺えば、即座に、
一番近い、銭湯を薦められると言う自負まで持っている。
銭湯残存数では、断トツ一位の群馬県。
豪奢な銭湯が数多くある、栃木県。
湯銭が安く、一風変った銭湯のある茨城県。
その街の成り立ちと、銭湯の特色には、重要な関係性がある事を、
身を持って体験できた。

「銭湯」と言う動機で、様々な土地、しかも、観光地ではなく、
何の変哲もない一地方都市へ行けたのは、良かった。
そう言うところの、銭湯が、飲み屋が、面白いんだ、またこれが。

【天候】
終日、雨降って涼しい。
昨日と一転し、すっかり、秋めく。

1326声 夕菅俳句合宿二日目

2011年08月18日

寝ぼけ眼でハンドルを握っていた。
朝靄の湖畔には、新涼と呼べる、空気の清々しさがあった。
「一睡もできなかった」と、充血の涙目をこすっている参加者もあったが、
予定にあるように、湖畔に咲く夕菅を見に行く。

車を駐車場に停め、朝の空気を胸一杯に吸い込んで、歩く。
花野には、淡い青空の下、朝日に輝く夕菅の花が咲き競っていた。
木道を歩きながら、句帳片手に吟行。
花野は、蜻蛉、邯鄲、朝露や、秋の山、空、雲、風、など季題の宝庫であった。
小一時間吟行し、ホテルに戻り、朝食後に句会。
朝食の際、隣のテーブルに座っていたのは、
私たちの一向とは別の、俳句仲間である女性。
彼女は遊びらしいが、俳句をやる人間同士、遊び行く先の趣向も似て来るのだろか。
その後、ホテルをチェックアウトし、下山。

今度は赤城山の麓である渋川市内で、滝を見ながら、周辺の沢を吟行。
残念ながら、先の地震の影響だろうか、落石甚だしく、
肝心の滝の近くまでは行けなかった。
榛名湖畔とは違い、蝉時雨のとても暑い日和である。
皆、だらだらと汗を流しながら、歩を進めて行く。
その後、先生宅へ行き、直ぐ句会。
やはり句も、榛名湖畔の新涼を懐かしむものが多く見られた。

句会が終われば、直ぐ次の句会の為に句作する、と言う形式。
先生宅の庭やら裏の野原やらを歩いて、吟行する者もあれば、
ソーダ水を飲みながら、扇風機の前で句作する者も有り、様々。
一睡も出来なかった仲間は、即行で作って横になって昼寝していた。
また句会が終わって、さて、次の句会で最後。
全て、句を出し切って、頭の中の全ての創造力が枯渇した所で、ようやく合宿終了。
もう、外は夕暮れ時になっていた。

東京から参加されている方は、列車の時間となり、慌ただしくさよなら。
いつもこの合宿では、群馬以外の俳人の方と会えるので、新鮮である。
富山の薬売りを待つ気持ち、ではないが、土地土地の俳句事情、
取り分け、東京の俳句事情の事を聞くのは、楽しい。
青山墓地や明治神宮が、いつもの主な吟行場所。
と言う話を聞くだけで、都会的な雰囲気に憧れてしまう。
若い俳人が多く、句会の参加者も断トツに多いのも、東京ならでは。
「おいでよ」
そう言ってもらうが、無精をして、まだ一度も東京の句会に行かれないでいる。

帰路。
実り始めている稲穂の揺れる、夕闇の里山風景の中、遠く見える街の方から、
小さな花火が開くのが見えた。

【天候】
終日、酷暑。

1325声 夕菅俳句合宿初日

2011年08月17日

固形燃料も燃えきらぬ内に蓋を開け、
兎も角も、野菜やら豚肉やらを口の中へ放り込んだ。
広いレストランの中、腰かけて食事しているのは私一人のみ。
テーブルに沢山並んでいるお皿が、何だか独りの虚しさをいっそう助長する。
湖畔の望める窓の外は、いま、真っ暗闇。
森閑とした空気漂うレストランを後に、
句会場になっているホテル館内の会議室へ走った。

「合宿」
と表現した方が、適当かと思う。
つまりは、俳句の合宿である。
俳句の先生が音頭を取って、年に何度か開催している。
春に開催された前回は、丁度、鼻骨骨折で入院していて参加できなかった。
「今度こそは」
と、満を持して参加したのが、今回の合宿である。

「遅れました」
そろりと句会場のドアを開けると、ペンの走る音。
既に句会は始まっており、緊張した空気が室内に張り詰めていた。
やむを得ず、末席で選句の終わった皆の句を聞く。
詠み挙げられる句を聴いていると、皆がどこで何を見ていたのか、
吟行場所の風景映像が浮かんでくる。
今回の参加者は日の高い間から、この榛名湖畔を吟行しているので、
その顔に声音には、やや疲れの色が見える。

渡された予定表で行くと、部屋に戻って、今度は題詠で句会。
ビールやワインなど入って、砕けた雰囲気の中で、
句を詠んで行くが、今着いたばかりの私は、口数少なく全力で句作。
結果は、昼間の吟行がハンデとなったのか、思いがけず良かった。
私は題詠が苦手なのだが、体力が余っていた所為か、皆の選に入って一安心した。

その後は、話が弾み、風呂に入って寝る頃はもう、深夜。
明日の起床時間は午前5時なので、3、4時間程しか寝れない計算。
風呂上がりにコップのワインをがぶ飲みして、ヤケクソ気味に床に潜り込んだ。

【天候】
終日、酷暑。

1324声 たゆたう月

2011年08月16日

そこはかとなく、秋色。
そう思うのは、紫色に近い茜色の、夕焼け雲の色加減。
草むらには、秋の虫も鳴き出して、沈む夕日に夏の終わりを見てしまう。

今宵は、銭湯でなく近所の日帰り温泉へ出掛けた。
露天風呂へ浸かっていると、斜向かいには、老人と青年。
耳をそばだてているつもりは無いのだが、話し声が聞こえて来る。
断片的に聞こえて来るその内容は、どうやら、戦時中の話しらしい。
おじいちゃんが、自分が子供時分に体験した戦争を、
おそらく盆に帰省した孫である青年に、語っているのであろう。

8月15日を1日過ぎた巷では、その事実さえ消去してしまったかのように、
戦争の内容を見なくなる。
神妙な顔をして聞いている青年は、坊主頭と言い、礼儀正しい態度と言い、
野球部員と推察される。
おじいちゃんは、切りの良い所で、野球の話題に移行した。
真っ黒に日焼けした、精悍な青年の顔に、66年前のあの炎天の日の自分を、
思い出したのかも知れない。
青年もまた、話しの中に、66年前の若かりし日のおじいちゃんを見ていたに違いない。
水面浮かんでいる月は、たゆたう水に、伸び縮みしていた。

【天候】
終日、炎天。
「サッ」と夕立有り。

1323声 終戦日の部屋

2011年08月15日

今日は、今年で66回目を数える終戦の日。
今年は、出掛ける用事も無く、日がな机の上で頬杖をついて、空を見ていた。
何もせずにいると、一日早いもので、これを書いている今は、もう夕暮時である。
遠くの空で夕立が鳴っており、まだ明るさの残る雲の腹は、
所々、夕焼け色に染まっている。
窓の向こう、家並の屋根の上にたわんでいる電線には、
どう言う訳か、数珠つなぎに雀がとまっている。

カレンダーの8月15日には終戦の日があって、
私の8月15日の今日は、普段と変わり映えの無い日常がある。
テレビの中には、終戦の日の特別番組があって、
片手に持っている歳時記には、「終戦日」と言う季語と、例句が沢山書いてある。
こうやって、そろそろ缶麦酒と胡瓜の浅漬けか何かで、一杯やろうかと言う日常こそ、
かけがえの無いもの。
その事に、気付かねばならない日が、今日である。

稲光と共に、雨が降り出して来た。
どんよりと紫色に染まっている、曇り空。
机の上の、飲み残してあるコーヒーカップ。
暗くなった部屋に点いている、クーラーの青い電源。
窓の外、電線の雀たちは、既に一羽もそこに居なくなっていた。

【天候】
終日、炎天。
夕立あり。