日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和8年度は4月(坂)5月(ぬ)6月(岡)7月(す)8月(堀)9月(坂)10月(ぬ)11月(岡)12月(す)1月(堀)2月(坂)3月(ぬ)の順です。

700声 第700声記念特別企画「ヨロコンデがいる場所は笑顔があふれる」前編

2009年11月30日

この日刊「鶴のひとこえ」、気付けばもう第700声。
と言う事で今回は、恒例の記念特別企画。
今回は、第300声の時にも出演頂いた「ぶっち」さんこと、
「岩渕健二」さん率いる、「芝居屋らいぶヨコロンデ」のボーカリスト、
「三友千春」さんにインタビュー。
ヨロコンデは、群馬県内を中心に、福祉施設やイベント会場など、
年間200回を超えるライブ活動を行っている。
そのパフォーマンスは多彩。
ギター1本での弾き方語りから、野外ステージでの司会までこなす。
そして、2010年1月24日(日)、長年の夢であった、
「群馬県民会館」での芝居屋らいぶが決定している。
当日への意気込み溢れるインタビューを収録して来たので、早速。
(抜井)ではまず、「芝居屋らいぶヨロコンデ」を初めて知った方もいると思います。
ヨロコンデとは、どの様なライブ活動の日々を過ごされているんですか。
(千春)そうですね、主に老人施設や、様々なイベント会場で歌を歌ったり、
話をしたりしています。
また、イベントの司会から、紙芝居まで、色んな事をやっています。
イベントでは、ヨロコンデぶっちがギターを持って歩き回り、
目の前にいる人の歌を即興で作って歌っていますが、とてもよろこばれていますね。
どんな場所へも、一声かけて頂ければ、ヨロコンデ行っています。
・表現方法が多岐に亘っていますが、現在のメンバー数は。
5人です。
この内、2人がステージでの演者の中心を担っています。
・2人とは、ぶっちさんと、千春さんですね。
はい、そうです。
その他に、「ときどきヨロコンデ」の方も沢山いるので、
時間が合えば駆けつけてくれるんです。
・そのヨロコンデが今回、「群馬県民会館」と言う、
規模から言っても「ハードルの高い場所」でのらいぶになると思いますが、
開催するきっかけは、どう言ったものだったのですか。
県民会館の主催する「県民芸術小劇場」に応募した事からなんです。
そうしたら、ヨロコンデが選ばれたんです。
いつものらいぶでは、「いつかは県民会館、その先は武道館で!」
なんて言っいました。
その夢が、活動を通して形になって、初の「県民会館らいぶ」が出来る事になりました。
・ヨロコンデの活動が、「県民の芸術」として相応しいと選定されたんですね。
当日はきっと、喜びが溢れるらいぶになりますね。
さて明晩は、当日のらいぶ内容に迫って行く。
乞うご期待で、ひとつ。

699声 ぬーん

2009年11月29日

「カピバラの入浴」
と言うニュースが、本日のニュースの中で、唯一心を和ませてくれた。
カピバラってのは、世界最大のネズミ。
丁度、中型犬くらいで、性格が穏やかな上に、ネズミとカバを足して二で割った様な、
なんとも愛らしい顔が特徴。
鼻の下が長く、全体的に「ぬーん」とした雰囲気である。
埼玉県に在る「こども動物自然公園」で、このカピバラ一家の入浴が公開されており、
大勢、見物客が詰めかけている。
と言うニュースだった。
不況に心中に殺人。
とどめに新型インフルエンザの猛威。
「もういい」などと、親父ギャグもぽろりと出てしまうくらい、
朝から晩まで暗いニュースばかり。
これから師走。
更に慌ただしくなる巷を思うと、あの風呂に浸かって、
「ぬーん」となっているカピバラ一家が羨ましい。
そう言えばたまに、露天風呂の岩の間で、それに酷似している人間もいるなぁ。

698声 此処は鉱泉銭湯也

2009年11月28日

先日、慌てて行って来たのが、富岡に在る、「大島鉱泉」と言う鉱泉宿。
この「鉱泉」ってのは、平たく言えば冷たい温泉の事。
日本の温泉法によると、25度以上でなければ「温泉」と定義されないので、
それ未満の湧水は鉱泉となる。
この大島鉱泉は、日帰り入浴もやっている。
料金は360円。
「群馬県公衆浴場業生活衛生同業組合」に加盟している、公衆浴場。
つまりは、鉱泉宿でもあり、銭湯でもある。
と、私が勝手に定義したので、行って来た。
女将さんにとても親切にして頂いて、写真を沢山撮らせて頂いた。
宿には、番台こそ無いものの、タイル張りの浴室、カラン、ケロリン桶、そしてタイル絵。
設えは、まさしく銭湯のそれ、であった。
鉱泉なので、やはり普通の井戸水とは一味違う湯心地。
湯上り、瓶コーラを飲んでいると、近所のおばちゃんが白菜を取りに来た。
女将さんとおばちゃんが、外に干してある白菜を見繕っている間に、
そっと声をかけて、なだらかな坂道を上がる。

697声 いつまでたっても

2009年11月27日

自らの性質の所為で、四苦八苦する事、多数ある。
四苦が八苦してくると、五苦五苦、いやゴクゴクと、麦酒を飲む。
からみ酒。
これも自らの性質の所為で、人にからむ事、皆無、なのだが、自分にからむ。
いつまでたっても、溜飲が下がらない。
夜半のコンビニ。
流行歌が鳴り響く店内。
客は私一人。
奥の冷蔵庫の扉を開けて、缶麦酒を一つ二つと、手に取る。
手に取ったまま、一瞬、茫然と考え事をしてしまって、
「ドスン」
と、冷蔵庫の硝子戸が重たい音と共に閉まる。
その瞬間、「ハッ」として我に返り、体を返し、レジへ向かう。
レジの横。
煮詰まったおでん。
財布の小銭をかき集めていると、クリスマスケーキのチラシ。
その派手なチラシに、一瞬、目を奪われた。

696声 宝くじ浪人

2009年11月26日

「この売り場から出ました」
なんて惹句の看板が掲げられている、宝くじ売り場に、行列。
郊外の大型スーパーなどで、よく見られる光景である。
先日発売された、年末ジャンボ宝くじを買い求める為、
また今年も恒例の宝くじ売り場に、恒例の行列が出来ていた。
私の住んでいる街でも、数年前、特に目立たぬ郊外スーパーの売り場から、
一等と前後賞が出た。
途端に、街は噂で持ち切り。
近所のラーメン屋で、床屋で、飲み屋のカウンターで憶測の域を出ない話が延々と続く。
無論、当選者は誰か、と言うその一点が皆、気になる。
そして、憶測や推測は、飛び交っている間に、事実無根な結論に達してしまう。
「この間のアレ、あそこの団子屋だってね」
「いやいや、俺が聞いた話じゃね、団子屋じゃなくて、
ほら、あそこの団地の一家だって」
私の得た情報では、結局、事実は真実に結び付かなかった。
今日、その売り場の横を通ったら、もう一等が出たのが数年前だと言うのに、
売り場前は宝くじ浪人たちの行列。
当たった時の用心の前哨戦が始まっているのだろうか。
売り場に並んでいる人は皆、心なしか、他人の眼を避ける様に、
こそこそ買っては、いそいそと黄昏時の駐車場の喧騒に消えて行く。

695声 色とりどりの俳句たち

2009年11月25日

「第12回ワルノリ俳句ing」の参加募集を昨日、締め切った。
次回の開催日は、1月2日と言う、およそ模範的日本人ならば、
炬燵でテレビを見ながらおせちの残りでもつついている日である。
ほんの片手ぐらいの人数でも、集まれば幸いと弱気になっていた。
ところがどっこい、である。
私もいささか驚いてしまったのだが、参加希望者が非常に多かった。
ワルノリ俳句ingとしては、過去最高人数での吟行になる。
なんだか来年の予定が決まってしまうと、一年を振りかえざるを得ない心持になる。
俳句と四季は密接に関係していて、俳句は、心象を四季の色絵の具でスケッチした、
画用紙の様だと感じている。
そのモチーフとして、「新年」と言うのは、一癖あって面白い。
新年を迎えた日本人の感情と言うのは、「めでたい」と言う一語に尽きる。
染之助染太郎では無いが、何はともあれ世間では、
「おめでとうございます」なのである。
それは句にも反映され、めでたい句が出来る。
めでたい句が沢山詠まれる句会ってのは、楽しい。
それにはまず、12月と言う箱根の山を無事に登り切らねばならない。

694声 百鬼園断腸録

2009年11月24日

悩み過ぎて、こめかみが痛くなって来た。
地震が来たら、両脇の本棚に押し潰されてしまうだろうと思われる、
鰻の寝床の如き古本屋で、煩悶していた。
買うかどうか、をである。
本の劣化を防ぐ為か、単に不精なだけか、半分切れかかった微弱なる電燈の淡い光の下、
時計の針が午後7時を鋭く指す。
悩みの種となっている本は、内田百?作品の旺文社文庫。
以前から探していて、古本屋で安く手に入れば、と思っていた本なのだ。
偶然見つけて、それも状態の良い物がまとまって7、8冊置いてある。
それならば直ぐにレジへ持っていけばよいのだが、
この手の作品は容易にそれをさせない。
立ちはだかっているのは、ただ一つの壁、価格である。
1冊500円。
文庫の古本で、これは高い。
いやむしろ、内田百?作品の相場にすれば妥当な価格なのだろう。
しかし私は、表紙が多少汚れていようが、本文に少々落書きがあろうが、
読めれば良いのである。
綺麗な本の500円よりも、劣化した本の250円を取る。
そう言う料簡の人間なので、煩悶の末に購入を断念して店を辞した。
後ろ髪を引かれる思いで、持っていた本を陳列棚へ戻して去る時、
振り返って本棚を一瞥した。
旺文社文庫の黄緑色の背表紙が、何だか怒っている様に見えた。
メガネをかけたじゃが芋みたいな百?先生のふくれっ面が、一瞬、頭に浮かんだ。

693声 国民酒権

2009年11月23日

先日参加した会は、ワインを味わう事が主題となっていた。
赤や白、若いのから熟したものまで、様々なワインを楽しむ。
私生活において、ワインだけをゆっくり味わいながら飲む、なんて状況は稀有だが、
キチンとしたワインはキチンと美味い。
と言う事が分かった。
私が酒席でワインを敬遠して来たのは、
今まで、正体不明のワインを飲み過ぎていたのかも知れない。
宴も酣。
ワインをひとしきり楽しんで帰り際、最後の一杯で、こっそりと生ビールを一杯。
サウナの後の水風呂。
夏山の清水。
そんな清涼感を思わせる、程良く冷えたその生ビールが、実に、美味い事美味い事。
風雅なワイン党は魅力なのだが、この分だとまだまだ、
ビール党からは離党出来そうにない。

692声 100km越しの一杯

2009年11月22日

いやはや、流石に遠い。
と、改めて今日の道中を振り返りつつ、晩酌をしている。
今日行って来たのは、栃木県は鹿沼市。
場所は宇都宮市の隣り。
私の住んでいる高崎市からは、片道約100km。
交通手段は自家用車で、全て一般道を走行した。
その程度の距離ならば、普段、県内でも走行しているのだが、
知らない土地で目的地を探す場合は、甚だしく疲労する。
しかも、目的地が銭湯なので、入浴後の帰路はより疲労が増す。
銭湯から出て、頬を撫でる夜風が気持のよい事。
いっそ、宇都宮辺りで一泊してから帰ろうかと、
気持まで銭湯の熱い湯で軟化してしまった。
風呂上がりの一杯を餌に、また100kmの道のりを帰って来た。
と言う訳で今、100km越しの一杯に喉を鳴らしている。
今日の銭湯はとても良い銭湯だった。
鹿沼市にただ一軒残る伝統銭湯で、特筆すべきはその立地。
栃木県では有名な「福田屋百貨店鹿沼店」から、道を挟んだ向かいに建っているのだ。
豪壮な建物の脇に、煙突から煙をたなびかせている銭湯。
入口には、明るい家族の絵が描かれた暖簾が揺れている。
その光景は、赤松の根に生える松茸。
その薫り高い松茸で、今日も地元の人等が憩う。

691声 まにまにうとうと

2009年11月21日

からっ風。
吹きすさぶ日は、空が澄んで、赤城山の長い裾野まで、輪郭がはっきりと見える。
しかし、この音。
軒先で切れる風の音や、騒ぐ木々たちの音を聞いていると、
なんだか非常に行動意欲を削がれる。
机の前にいて、音楽を聴いて珈琲等を飲みながら、目の前の窓に広がる青空を眺めても、
いまいち興が乗らない。
ぼんやりと往時茫々とした記憶をもてあそんでいても、
粗ぶる風の音に、気が散らされる。
頬杖ついて、どうしたものかと考える。
考えてるまにまに、うとうと寝ている。

690声 折れた赤ペン

2009年11月20日

校正を見ている。
今度発売する予定の、「銭湯の本」の校正である。
進行状況をざっくり言うと、現在10分の5割あたりまでは出来ている。
いやいや、4割あたりかな。
書籍化とは言っているものの、私の様な出版素人が自費でやろうってんだから、
時間が掛かる。
そして、その作業の大変さ、手続きの煩雑さを実感している。
原稿作り、写真選定、校正確認などの作業が、一向に進まない。
机上の紙面には、珈琲の染みばかり増えて行く始末。
やがて、堪忍袋の緒、凧の糸、なんでも良いが、兎も角、切れる。
癇癪。
赤ペンをへし折り、そのままコートをひっ掴んで憤然として表へ飛び出す。
そうやって、夜な夜な近所の本屋へ行っては、
目に止まった本の奥付あたりをチラチラと見て、参考にしている。
参考になりそうな本の頁を捲っていて、
「本屋に並んでいる本は、流石にどれも良く出来てる」と、改めて感心する。
いくらか気持ちも落ち着き、コンビニで赤ペンと缶珈琲を買って、家へ戻る。

689声 夜空の口論

2009年11月19日

マラソンの開催日が、とうとう近づいて来ていると言うのに、
一向に体が仕上がっていない。
仕上がりは勿論、当日の10kmを完走できる体力を備える事だが、
現在の私の目測では、5,6kmが限界かと思われる。
当日は知人等数人と一緒に出場するのだが、その中の一人である肝臓女史などは、
仕事帰り、スポーツジムへ行ってトレーニングしているとの事だ。
話を聞いていると、なるほど、ジムには運動設備が整っていて、
トレーニングをする環境としては最適である。
しかし、エアコンで快適な室温に調節された室内で、
ルームランナーに乗っかってペタペタ走るのも良いが、それでは得られない事がある。
私は、ここでも頻繁に書いている様に、夜、自宅近所を走っている。
それは、毎日ではなく、距離も2,3kmと短いものだが、
社会人となって運動と縁遠くなった現在、非常に新鮮な体験をしていると実感している。
まず、真冬の寒風吹きすさぶ田圃の畦道を、よろよろと走ってると、
否が応でも体と対話する事になる。
「体が重い」
「何故重い」
「昨日の疲労が残っているのか」
「いや、夕食を食べ過ぎみたいだ」
「もう少しペースを抑えろ」
「分かった分かった」
「よし、体が温まって来たぞ」
「じゃ、ペースを少し上げるぞ」
「あと一周走れるか」
「いやいや、もう無理だ」
「おいおい、そこをなんとか」
最終的には、対話が口論になってくる。
それでも、対話によって、相手の機微を捉える事は、より良い連携に繋がる。
単にスポーツジムに行くお足が無い為に、裏の田圃を走る羽目になっている。
冬の夜空の下、寒風に煽られ、鼻水垂らして走っている最中、
温かいジムをひがみながら口論の日々を過す。

688声 猫と流れ星

2009年11月18日

今宵は月の姿が見えない為か、星の数が多く、瞬いて綺麗に見える。
日中、冬晴れだったので、日が沈んでからは放射冷却で一層冷え込みが強くなっている。
こう寒いと走るのも億劫なるが、半ば習慣となっている手前、
靴の紐を締めないと、何だか寝つきが悪い。
深いため息と共に、裏の田圃へと吸い込まれる。
いざ走り出すと、いつもより体が重い。
気温が寒くて、中々体が温まらない事もあるが、最大の要因は昨日の深酒だと推察する。
マラソン練習を、雨天中止にした昨日、この機会とばかりに缶麦酒を積んでしまった。
それがボディーブローの如く効いていて、足腰が覚束ない。
そんな時に、前方の暗がりから、「サッ」と道を横切る白い影。
驚いて、心臓が一寸飛び上がってしまったが、よく見てみれば、
いつも出くわす猫ではないか。
「まったく、人間を馬鹿にして居やがる」
憤然として縺れる足を進める。
彼方の夜空には、無数の星が瞬いている。
星座の名称には疎いが、それでもオリオン座と冬の大三角形ぐらいは見当がつく。
冬の大三角形に向かって走って行くのだが、誰かが夜空を後に引いて行く様で、
一向に星たちに近づかない。
走っては引いて、引いては走って、どんどん逃げて行く。
そんな事を続けていると、左方向に煌めきを感じて振り向いた。
瞬きの間に煌めいて消えた、流れ星であった。
白い夜空の星たちに比べると、いささか暖色で、誰かが夜空の後ろから、
ナイフで斜めに切り裂いて光が漏れた様にも見える。
一瞬だったので、あるいは自らの疲労による幻覚ではなかろうかと思ったが、
やはり現実に流れた方に分があると感じる。
次回は瞬間を逃さぬ様、しっかりと見たい。
流れ星を掴まえる事は出来ないが、今度、あの白猫が現れたら、
ケツを蹴っ飛ばしてやろうと決めている。

687声 夜更けの俳句仕分け作業

2009年11月17日

政治家のセンセイ方は、行政刷新会議ってので、事業仕分けに躍起になっている。
と言うテレビニュースが、現在、私の部屋の14インチアナログ式テレビに流れている。
一方私の方も、マラソン練習を雨天中止とした為、俳句仕分けに没頭している。
これは、先日開催された「第11回ワルノリ俳句ing」の句。
結果の掲載予定は今週末なので、今の内からぼちぼち句を拾って書き始めている。
毎度の事であるが、夜更けに麦酒を飲みながら、
ミミズがのたくったかのごとき字が書いてある短冊を、仕分けている。
参加者の名誉の為に補足すれば、飲んでいるから手元が覚束ないだけで、
それでも、のたくり具合が一等尋常でないのが、私の短冊である。
今回は、古風な銭湯へ行く、と言うだけの単純かつ濃密な内容にも拘らず、
初参加者の方、2名に来て頂いた。
銭湯の入浴料が360円で、其処へ行く片道電車の乗車券が430円である。
つまりは、860円かけて銭湯へ入りに行った事になる。
860円の価値を道中に見出せたか否かは、私の知る由は無いが、
上毛電鉄と言う路線は、非常に稀有なローカル線であった。
その点を羅列して述べよ。
と言われたら、述べられない事も無いが、麦酒の泡を減らす様な野暮はしたくないので、
止めておく。
兎も角、群馬県にも面白いローカル線が残っているのだ。
仕分け作業で、目に止まった、参加者の句を一つ発表して終わる。
・何も無い何も無いけど落ち着くね
俳句にも川柳にもなっていないけれど、良い。
おそらく、大胡駅の駅舎を出た風景か、銭湯までの道のりか。
飾り気が無いけれど、人情に厚くてどこかほっとする、大胡の銭湯を連想させる。
こう言う句は、侘び住まいで独り背中を丸めて飲んでいる時に見ると、染みてくる。

686声 冬の西日の上毛電鉄

2009年11月16日

1時間に2本。
と言う事を確認してから、切符を買った。
此処は中央前橋駅。
昨日の俳句ingで乗った、上州が誇るローカル線、「上毛電鉄」の始発駅である。
私は初めてこの上毛電鉄に乗車したのだが、
様々な点で新鮮な驚きを得た。
まず、改札で切符を切る事。
JRの様な自動改札は勿論無く、改札で切る切符は、御馴染の駅名と日付入りの判子ではなく、
「パチン」と先の丸い鉄の鋏で切るのだ。
私は、幼少の頃に、車掌さんセットか何かの玩具で見て以来である。
本物のあの鉄のペンチの様な器具で、切符を切られたのは初めてである。
そして、上毛電鉄はサイクルトレインを実施しているから、
電車内で自転車を押した乗客が、チラホラ見受けられる。
常連と思しき乗客が駅構内に、スーッと自転車で入って来て、
券売機の前でヒョイと降りて切符を買い、自転車を押しながら、列車に乗車して行く。
JRを主に利用している私の目には、これが非常に珍しく映る。
熟柿が実る田舎駅。
西日に照らされる列車内には、様々な人々。
自転車を押してる外国人。
アイスを食べてる女子高生。
俳句を書いてるワルノリ俳句ing御一行。
我々を包む車内の空気は、ゆったりかつまったりとしている。

685声 菊正宗とカツ丼

2009年11月15日

週末の雨天から一転、本日は穏やかな冬晴れ。
これから第11回ワルノリ俳句ingに出掛けるところだが、
まさに、ハイキング日和の気候である。
行程は、中央前橋駅から大胡駅まで、上信電鉄に乗って行き、
大胡駅から銭湯「東湯」まで歩いて行って湯に入って帰って来る。
と言う、今回は単純明快なものなのだ。
当然私などは、何処かの赤提灯で引っかかるのだがら、
家を出掛ける前に、本日の更新分を書いてしまおうと言う魂胆で書いている。
冬は、一杯ひっかけてからが、眠くなって仕様がない。
昨日もそうだった。
千葉県は市川市の、京成八幡駅。
京成電鉄の上野駅から、快速で4,5駅も行けば着く、東京都に程近い都市。
小岩から江戸川を越えた先。
と言った方が分かりやすいかもしれない。
昨日は其処へ行って来た。
勿論、目当ての場所があっての事。
其処は、駅のすぐ目の前にある、「大黒屋」と言う和食の店。
永井荷風が、最晩年に行きつけだった店で、
亡くなる前日まで食べていたと言う、店なのだ。
その店には、現在「荷風セット」なるメニューがあると言う事で、
早速食べに行って来たと言う次第なのである。
カツ丼に上新香と日本酒一合。
これが、永井荷風御用達である、荷風セットの内容。
店に入り、荷風セットを注文し、カツ丼をつまみに一献。
しばし、耽美的な時が流れる。
ぼんやりと、虚空を見つめていると、女将さんが声を掛けてくれた。
「先生はいつも、この角の席に座って、食べてらしたんですよ」
そう、私は偶然ながら、永井荷風の定位置に腰掛けて居たのである。
菊正宗の熱燗で赤身の差した顔。
ぽわーんとして、「お雪…」などと呟きつつ、店を辞す。
「荷風の散歩道」なるタペストリーが掛かった、界隈の商店街を歩いてから、
駅へと戻った。
商店街の古本屋を覗くと、やはり荷風作品が並べてあり、
断腸亭日乗などが埃を被ったまま、店頭に並んでた。

684声 ゼロの妻とヴィヨンの焦点

2009年11月14日

公開初日。
と言うのは、映画の事。
その映画とは、「ゼロの焦点」。
今日、早速観に行って来た。
ゼロの焦点とは、言わずもがな、松本清張原作。
今年は生誕百年と言う事もあって、
映画か含め、様々な関連作品が世に出ている。
太宰治もそうだが、同級生の両者、その生い立ちや、
経歴、作品を見ても対照的で非常に面白い。
ゼロの焦点の主演は、女優広末涼子。
少し前に公開された、
太宰治原作である「ヴィヨンの妻」にも出演していた、
広末涼子である。
私などは、アイドル時代の広末涼子のイメージが強いので、
この2作品での演技ぶりには、いささか驚いてしまった。
勿論、その名演に対してである。
2作の役どころを比較して観ると、より実感する。
観に行った、映画館も有楽町だった為か、
群馬で観る時とは、ちと趣が違った。
最後のシーンで、日比谷など界隈の映像が映るのである。
しかし、東京の人ってのはせっかち。
エンドロールが流れるや否や、席を立つ人が多数ある。
そして、映画批評には辛口な人が多いようだ。

683声 蛇口の水

2009年11月13日

唐突だが、水ではなかろうかと、密かに思っている。
健康のキーパーソンが、である。
先日の事、我家の水も随分と不味くなったな、と思った。
私は高崎市、厳密に言えば旧群馬町住まいだが、当然ながら水道水を飲んでいる。
首都圏でペットボトル生活をしている友人に言うと、驚く。
不味くなったと思ったのは、コップに汲んだ水道水を口に含んだ瞬間、
カルキ臭と言うか、何らかの薬品臭が鼻をついた。
以前にも、極稀にこう言う時があったのだが、浄水場から検査供給されて来る水なので、
自分の住んでいる地方都市は、首都圏よりも水環境が良いと言う固定観念も手伝って、
飲み水には盲目的と言える程、生活の中で注意を払っていない。
首都圏生活者は、集合住宅に住んでいる人が多いと言う事もあろうが、
水環境の理由から、その大半の人がペットボトルを飲料水としている。
水に対して、注意警戒を払うばかりに、そうならざるを得ないのだろが、
ペットボトルの殺菌された新鮮な水の、どこに危険な事があろうか問う。
これもいささか危険だと思う。
確かに、それ自体は危険な事は無く、むしろ安全であるが、
それを当たり前の様に飲む事によって、生ずる弊害が有るのでは。
と、素人考えではあるが、そう思う。
ペットボトルの水は、殺菌された限りなく無菌の水であるが、それを常用して飲むが余り、
菌に対しての抵抗力が無くなるのではないだろうか。
だから、お腹が弱くなったり、風邪を引きやすくなったりする。
つまりは、環境適応能力に乏しい体質になってしまう事が、この所で言う危険にあたる。
だからと言って、水道水も残留塩素なんてのがあって、
人体に無害では無いと言われているので、一概に水道水を常用すれば良いとも言えない。
世界の長寿地域は、硬水が湧いていて水環境が良い場所である、と言う統計も出ており、
やはり健康と水との関係は密接と言える。
そう言えば、夜店で釣って来た金魚を、その日に水道水を出してバケツに入れておいたら、
翌朝、横たわって浮いていた事がある。