夕方から雨で、一気に冷え込み、今期初めてマフラーを巻いた。
軒下の暗がりに、猫が雨宿りをしていた。
うずくまっている姿を見て、あたたかそうと思った。
冬がもう近い。
2016年10月25日
夕方から雨で、一気に冷え込み、今期初めてマフラーを巻いた。
軒下の暗がりに、猫が雨宿りをしていた。
うずくまっている姿を見て、あたたかそうと思った。
冬がもう近い。
2016年10月24日
今朝、出勤途中に俳句の仲間よりメールを受信した。
先日刊行した拙句集の評が、朝刊に掲載されていたとの由。
駅のキオスクで購入し、早速紙面を広げた。
ピリリと指摘の効いた内容であった。
私は肝心なところが抜けているが、
まさにそこの部分を指摘され、いささか冷汗の思いであった。
その直ぐ後に、岡安氏より面白い俳人の情報をメールでもらい、
早速、その句を読んでみた。
たしかに面白い。
自らの非才にますます、身につまされる思いであった。
朝からいろいろ俳句のことについて考えることがあったが、
いつものごとく、あまり深くは考えないようにしようと思う。
2016年10月23日
秋晴れであったので、松戸市の池のある公園まで足をのばした。
夏の終わりから秋にかけての湖が好きである。
海ではなくて、湖でなくてはいけない。
静かな湖畔でなくては、こころ平穏に過ごせぬからである。
湖まではいささか遠いので、池で我慢した。
公園はすでに紅葉こそ始まったばかりだが、
池のさざなみはすでに暗く、晩秋の色が濃かった。
仲秋のころの水のきらめきは失せ、
うらさびしい風が吹くばかりであった。
これはこれでよいのだが、こころ平穏というわけに行かず、
池のを見つめていると、年末に向けやらねばならぬことばかり、
頭をよぎった。
何か温かいものでも食おうと、そうそうに公園を辞した。
2016年10月22日
郡山からの帰路はあっという間であった。
新幹線やまびこの席に腰かけて、
すこしうとうとし始めれば、
もう「大宮」のアナウンスが聞こえた。
東京駅の改札をくぐった時には、
郡山のあの澄んだ空気が懐かしくなるほどの、
人いきれの構内である。
あたりの店も洗練されていて、バリエーションに富み、
かつ接客も愛想がよいが、素朴さはない。
洗練されていることは、もちろん魅力がある。
けれど、混沌としていてもそこに魅力はある。
完成されていることが是で、未完成が非でという尺度など、
そこにどれほどの価値が、などと自宅のパソコンの前で、
恥ずかしげもなく書いているあたり、
ずいぶんと悪酔いをしてしまっている。
それもこれも、郡山駅で買った「純米吟醸 Dr.野口」なる酒を、
ぐいぐい飲んでしまっているからである。
この酒は、瓶がフラスコの形をしている。
いささか酔いの回っていた目には大変に愉快であるが、
当の英世博士は苦笑しているであろう。
苦笑しつつも、一杯。
2016年10月21日
灯のともり始めた、郡山駅前のアーケード商店街を歩いていた。
十月もあと一週間で終わるころともなると、
セーター一枚くらいは必要であった。
ジャケットを掻き抱いて、入るべき酒場の暖簾を探していた。
アーケードは天井が高く、歩道もきれいに整備されている。
「おでん天国」や「ホルモン大豊」など、
魅力的な屋号とたたずまいの店に目星をつけつつ、
結局は焼き鳥屋に腰を落ち着け、すぐ前のおでん屋にはしごをした。
焼き鳥屋は串の単品注文はなく、コースのみという方式で、
客のペースに合わせ、主人が焼き物を進めていく。
人気店らしく、L字カウンターはすぐに満席になり、
四本目の瓶を空にしたところで、私もすぐに席を空けた。
店を出た瞬間の夜風の冷たさに、思わず目の前にあった「おでん」
の看板に吸い込まれてしまった。
2016年10月20日
郡山は快晴であった。
風が強いため、秋気が澄み空の青が深く感じた。
山国特有の澄みかたというか、乾燥した風の匂いというか。
遠山の影に向かってゆく秋の雲を眺めていると、
山村暮鳥のように「おうい雲よ」の気分である。
タクシーの運転手のおやっさんが「うすい」と何度も言っていたが、
その意味が分からなかった。
風が強く、うすいの前はビル風で大変だったという。
後部座席の暗がりでそれとなくスマートフォンで調べてみると、
「うすい」とは、「うすい百貨店」のことであったのだ。
高崎でいう「スズラン」であり、熊谷でいうところの「八木橋」である。
地場の百貨店のある街はよい。
百貨店は、やはりその街の顔だから。
2016年10月20日
本日から、三日間、福島県郡山市に行く用事がある。
用意を終え、いま家を出るところである。
向こうの天気が良ければ、安達太良山や磐梯山など、
山並みが見えるはず。
三日間は落ち着ける時間もおそらくないが、
それらの秋の山影を見られるのは、すこしくうれしい。
2016年10月19日
昨夜は良い月が出ていたが、
句を作るという気持ちにはならなかった。
ここのところ大分そんな調子で、
よっぽど句会など、締め切りがないと集中できない。
ひとりで居てもひとりになれないことがある。
かと思えば、大勢人が居てもひとりになれることがある。
つまりは、ひとりになれないと、
句を作ろうという気持ちにならないのである。
例えば、ひとりで家の風呂に浸かっていてもひとりになれぬのだが、
銭湯などで湯船に浸かっているときは、ひとりになれる気がする。
2016年10月18日
昨日は久方ぶりに、ヒューガルデン・ホワイトを飲んだ。
冷蔵庫の奥に眠らせておいたものである。
味の方は言わずもがな。
国産でも模したスタイルが近年数多作られているが、
真打登場という感がある。
ヒューガルデンの生が飲めると聞きつけ、若かりし頃、
高崎から下北沢まで行き、ヒューガルデンやら、
国産のいわゆる白麦酒をしこたま飲んだ記憶がある。
したたかに酔い、帰りには路上で売っていた、
怪しげな詩の色紙を購入するくらい酩酊してしまった。
2016年10月17日
朝から雨でそぞろ寒い一日であった。
帰宅すると、句集が二冊届いていた。
今年から、句集を読んで短文を書く。
平たく言えば、俳句雑誌の「新刊紹介コーナー」の
ひとつの小さな枠を受け持ったので、毎月数冊、
新刊の句集が届くことになったのである。
この一年は自身の句集に向き合ってきたが、
向こう一年は、人の句集と向き合うことになる。
向き合ってみようとは思うが、さしあたり、
どれがどの句集か、わからなくなる前に、
散乱している本の整理から始めねばなりますまい。
2016年10月16日
昨日に引き続き、快晴であった。
まさに、天高く馬肥ゆるという日柄である。
実家では柿の木に毛虫が大量発生し、玄関先やら庭の芝生やら、
そこらじゅう、毛虫が寝そべっている状態であった。
毛虫も、青空は気持ちが良いのかもしれない。
昨夜は久しぶりに遅くまで高崎の街中にいたが、
あたたかそうな灯を洩らしている飲み屋の戸の前で、
二の足を踏んでいる自分がいた。
結局は、煌々と灯る高崎駅周辺を目指し、
駅中の店に腰を落ち着けた。
2016年10月15日
起床したときには、軽い頭痛と昨夜の麦酒の後味が残っていたが、
ともかく、句帳をひっつかんで車を出した。
関越自動車道の事故渋滞を抜け、車列がほどけ始めた時には、
すでに句会の締め切り時間が迫っていた。
利根川の脇に車を停め、あたふたと前橋公園やら草むらやらに、
ずんずん歩を進めてとりあえず、句の頭数は揃えた。
騒ぎっぱなしの心のまま、前橋にて句会を終え、
今度は高崎のまちなかへ移動。
シンキチ醸造所の戸を開けた時には、既に参加者が揃っていて、
冷汗だか何だか分らぬ汗を拭いつつ、ベアレン醸造所の、
「クラシック」なる銘柄の生麦酒にて乾杯。
初めて飲むが、しっかりしたボディである。
その後は、ペールエールなどいくつかの銘柄を飲んだが、
どれも共通して感じたのが、後味が良さであった。
後味の良い酒は、良い心地の後味も良い気がする。
気がするたけであるが、この日の後味はとても良かった。
麦酒の話に終始してしまったが、句集出版記念だった。
堀澤さんの店で出版記念の会をするのは、人生二度目である。
店の傍らに、出版社から届いた小ぶりな花かごが置いてあった。
紅い薔薇がほのかに香った。
2016年10月14日
おおかた、一杯目を飲み干した時点で、
枷がしっかりとしているか、あるいは、緩んでいるのかが分る。
今日の枷はまた一段と緩んでおり、いま目の前には缶麦酒が、
小さな山となっている。
明日は前橋で句会があると言うのに。
出来なくとも、それはそれで良いのである。
出来ないときに限って、それを偽ろうとする心が働くからいけない。
2016年10月13日
先日受診した健康診断の結果が手元に来た。
ほぼ問題はないのだが、体重が昨年に比べ3キロほど増加しているし、
γ(ガンマ)-GTPの数値が跳ね上がっていた。
肝機能は要観察だのなんだのと記載されているが、受診前々日に、
近隣のカレー居酒屋に行っていたので致し方ない。
カレー居酒屋と言うのは、以前にもこの稿に書いた記憶があるが、
カレー屋であり、居酒屋でもあるお店である。
近隣にはこのスタイルのカレー屋が多い。
私のよく行く店は、当然、厨房に印度人と思しきシェフがおり、
ナンも焼けば茄子の揚げびたしも作る。
アサヒの生麦酒は一杯三百円で、だし巻きたまごが抜群に美味い。
焼鳥などの串物は、その全てにカレーパウダーがかかっていることが、
しいて難といえば難である。
駄洒落ではない。
2016年10月12日
最寄り駅付近に、先月、パン屋がオープンした。
確かにパン屋ではあるが、看板を見るにコッペパン専門店らしい。
オープンからひと月は、女子高生を中心に若者たちが行列をなしていた。
それも朝と夕に、である。
丁度、通学の時間帯なのであろうが、それにしても人気がある。
通りがかりに店内を覗くと、なるほど、雰囲気といい、
三百円程度の値段といい、コッペパンのボリュームといい、
若者が魅かれる要素満載であった。
実際、このお店の周辺には、各種のファ-ストフード店があるのだが、
女子はこちらのお店がお気に入りらしい。
斜向かいの交差点にあるケバブ屋にも、夕方によく高校生を見かけるが、
こちらは当然、男子しかいない。
ケバブはケバブで、若者の心を掴んでいる。
どちらも、テイクアウトのお店なので、店の前に群がり、
制服の学生がパンにかじりついている光景には、やはり町の活気を感じる。
そんな駅前通りの素描であるが、私自身はとんと、
そんな日当たりの良いお店に縁が無く、
路地裏の日当たりの悪い店が無くなりはしないかと、気を揉んでいる。
2016年10月11日
秋冷の朝であった。
空気の入れ替わりを確かに感じた。
一日を通して、長袖のワイシャツだけでは、
肌寒いくらいの陽気であった。
句集がまとまって出来上がってきたので、
わさわさと発送やらの準備などした。
本を刊行するのは二度目だが、
本が世に出るうれしさは瞬く間に過ぎて、
その後の大変が、作業的な時間になる。
しかし、この手の作業は没頭できるし、
その時間は、とても気分の良いものである。
2016年10月10日
午前中から雑事をして、一日が終わった。
昨日、佐原の道の駅で求めた弁当を、
レンジでチンして昼に食べた。
だし巻き卵風の卵焼きを筆頭に、
内容はいかにも自家製であった。
しかしながら、自家製の風味漂う弁当が、
町に少なくなったので、新鮮な印象さえ受けた。
逆を返せば、私は市販の弁当ばかり食べて居るので、
添加物に慣れすぎているのかも知れない。
数年前、「小走りもせずに終へたる体育の日」
という句を作ったが、まさにそれを地で行く過ごし方であった。
2016年10月09日
細々と手紙の返事やら外へ出す句の整理をして、
午後になってから、佐原へ出かけた。
千葉県北東部のまちである。
茨城県との県境のまちなので、
私の居住する市川市からは滅法遠い。
群馬で言えば、松井田から桐生へ行くようなものか。
佐原のある香取市一帯は水郷地帯で、
この地方の風光が好きなので、たびたび出かける。
特に秋は、川面と空、そして風の青が入り組んで、
とてもきれいである。
縦横に走る川の脇には、
秋桜がただ揺れているだけの野辺が広がり、
得も言われぬ郷愁を感じることができる。
生憎、曇り空だったが、すがすがしい風の青さであった。
道の駅で弁当を買って帰った。