日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。現在の担当者は堀澤、岡安、すーさん、抜井です。この4人が月替わりで担当しています。令和2年は、5月(堀)6月(抜)7月(岡)8月(す)9月(堀)10月(抜)11月(岡)12月(す)1月(堀)2月(抜)3月(岡)の順です。

266声 200円の壁

2008年09月23日

本日、家族向け簡易洋食店で昼食の折。
店内、やけに子供連れが多いではないか。
まぁ巷では「ファミレス」って、
「ファミリー」で来れる「レストラン」に相違ない場所である。
家族連れが多く居て然るべきなのだ。

推察するに至った結果。
一昨日、全国的に開催されていた運動会の振り替え休日なんだな、学校。
なので、特に小学生ぐらいのハナタレ小僧が多い。

私の座っている直ぐ前の席でも、小指で鼻をほじって、
親御さんに注意されている、賢そうなお坊ちゃんが一人。
すると、女給さんがお坊ちゃんのテーブルに、品物を置く。
なんと、その鼻タレお坊ちゃんの前には、
まぐろづけ丼セットが置かれているではないか。

私が注文したのは、日替わりランチ399円。
アチラのまぐろづけ丼は599円。
そして、私が食べたかったのは、まぐろづけ丼599円。
200円の壁を越えられずに、泣く泣く断念。

なんで私が、ペッパーハンバーグ&とり天で、
さっきまで鼻くそほじってた小僧が、まぐろづけ丼。
「鮪」を「漬け」にして、しかも「丼」にした物は、
十歳いや二十歳年を経てから。
いやいや、「鮪」って漢字が書ける様になってから食え。
って、ハンバーグを突付きながら、声にならない声が胸中でぶつかる。
やけんなって私、コーヒー、コーヒー。

265声 路地の匂い

2008年09月22日

土曜の夜は小雨交じり。
銭湯を出て路地裏を回遊。
L字カウンターしかない焼鳥屋で一杯。

路地の店には匂いがある。
その匂いを求め、引き寄せられる様に暖簾をくぐる。

それは、旅先で店を選んでいる感覚に似ている。
何かが起こりそうな匂い。
誰かに出会いそうな匂い。
都合の良い事件を求めている感覚。

路地の店には匂いがある。

264声 青空

2008年09月20日

朝、台風一過。
まだ、夏模様。
空、千切れ雲。
うどん、青空。

まだ陽気は暑い。
9月の20日なのであった。

263声 遠い国の空

2008年09月19日

窓の外は雨。
しっとりとした夜風に乗って、秋虫の声が聞こえてくる夕べ。
ってな具合で、叙情的に更けゆく秋の夜。
ではないのである。
太平洋沿岸を通過する台風の影響で終日雨。
嵐の前の静けさを助長しているかの如く、不気味に静まる夜。

しかし、この台風が行ってしまえば、秋はぐんと深まるだろう。
なんだか、老年期に差し掛かっている御人の書く、随筆原稿の様。
でも、深まるのだから致し方あるまい。

季節の変り目。
殊に、春から夏、夏から秋。
この時期には、寒暖の差が明確に出ず、季節の変り目が曖昧である。
そこに台風が一発ドカンと来て、季節は一気に変わるのだ。
台風一過の青空は、もう次の季節になっている。

嵐の後に姿を見せる、あの深い青空と澄んだ空気。
日本の遥か南から、どっか遠い国の空を連れて来たかの様で好きだ。

この台風が、本州を通過する予定の明日。
また、あの空が見えるだろうか。
そして、秋はいよいよ深まる。

262声 寿司屋で讃岐うどんをいただく

2008年09月18日

本日帰宅すると、ポストには私宛の便りが2通。
一つは封筒で一つは葉書。

封筒には「高崎市倉渕公民館」の印字。
はて、と思って空けてみると、「第7回道祖神の里めぐり」のご案内。
今年も、もう道祖神の時期なのである。

葉書の方は、最近頻繁に行っている回転寿司屋から。
裏面の内容を読むと、キャンペーンの応募で、讃岐うどんが当たったらしい。
なので、葉書持って取りに来て下さいっちゅう事。
今年も、もうさぬきうどんが当たる時期なのである。

しかし、その両方の宛名が、「板井諒一」になっている。
惜しい。
あちきは「抜井諒一」でありんす。

261声 食券乱用

2008年09月17日

知り合いのラーメン屋曰く
「ホントはさぁ、直に金、触らない方が衛生的なんだけどね」
「でも、あの食券って俺、なんか嫌なんだよね、『食券の店』って感じで」

国道沿いにある、食券システムのラーメン屋にて、ふと断片的な記憶が去来。
「カチャン、カチャン」
食券販売機からお釣りが出る音、虚しく響く。

260声 浮世離れのもんじゃ街道

2008年09月16日

先日行った東京は月島。
月島ったら勿論もんじゃ。

三連休中日の正午の少し手前。
月島のアーケード商店街に入ると、全体的にシャッター店が多く、
閑散とした雰囲気。
しかし、軒先に置いてある椅子には、腰掛けて開店を待っている人たち。
その光景が、商店街でまばらに見られる。
皆一様に、派手な表紙の旅行雑誌を小脇に抱えて、今か今かと。
中には、15人程の列になってる店もある。

若干圧倒されつつ、既に開店している店に入店。
当然、空いてそうな店を当てずっぽうで選んだ。
観光客相手の割高なもんじゃを堪能。
入店してから徐々に混みはじめ、直ぐに満員。
昼だっつぅのに店内には、
「生中三つ!」だとか「ウーロンハイおかわり!」なんて声が飛び交う。
その声に急き立てられる様に、自分もやはりビールを過剰飲酒。
旅行雑誌に、「もんじゃ一つに対して、ビール2杯が目安です」
なんて書いてあるのかもしれん。
そうだとすれば、非常に的を得た記事だと思う。

ひとしきり呑んで食って、店を出る。
すると、店先には長蛇とまでは行かないが、旅行雑誌小脇組が列をなす。
歩いて見ると、店先に何某かの芸能人の写真が貼ってある店はやはり人気な様子。
ふと商店街脇の路地に目をやると、メイン通りの洒落た店とは打って変わって、
味わいの深い佇まいの店もある。

「この手の店が良かったかなぁ」
と思ってもまぁ、一見観光客なのでしかたない。
趣ある路地の向こうには、高層ビルがそびえ立っている。
酔眼の為か、なんだか玩具のビルの様な、妙に浮世離れした異様な光景に映った。

259声 変節

2008年09月15日

未読の本の山を毎晩、睡眠時間と引き換えに少しづつ崩してゆく。
床で本を読んでいると、悩まされるのが蚊である。
もう9月も半ばだと言うのに、毎晩、蚊が耳障りなのだ。
しかし、別に血を吸うでもなく、ふらふらと所在無さ気に飛び回っている。
季節の変り目が物悲しく思える、刹那。

258声 本日の出目

2008年09月14日

時にいい加減であったり。
時に真面目腐っていたり。
時にキザであったり。
時に野暮であったり。

と言う毎日の更新内容を、良しとしている。
賽の出目が毎回一定と言う試合を、良しとしないからである。

257声 その了見を遺産に

2008年09月13日

今年の4月頃から、私は県内の銭湯を回っている。
まずは住んでいる周辺からと思いたち、高崎次いで前橋市内の各銭湯を訪ねている。
自らの視点で捉えた、「群馬遺産」を紹介してゆくコンテンツ【とっおき探訪】に、
「路地裏銭湯記」として載せる為である。
なぜ、日々の生活とは馴染みの無い、「銭湯」なんてモノに目を向けているのか。
いや其処には、「向けている」なんて能動的な手法ではなく、
「魅かれる」と言った受動的な力が働いている。

目を魅かれる。
銭湯の何処に。

・桐生浴場同業組合が敬老の日に銭湯寄席
おいでよ! おふろやへ−。
桐生浴場同業組合は敬老の日の十五日、市内の四軒の銭湯で初めて銭湯寄席を開く。
群馬大落語研究会の会員が、三人一組となって各銭湯で午後の一時間、
自慢の話をたっぷり聞かせる。同組合には七軒の銭湯が加盟しており、
これまでも敬老の日には七十歳以上のお年寄りの入湯料を無料にしてきた。
今年は各銭湯が指定した時間帯は、六十五歳以上のお客が無料でお湯を楽しめる。
※上毛新聞ニュースより抜粋

銭湯の持っている、こう言う了見に魅かれるってのは確か。

※上毛新聞ニュース

256声 薄まってゆく

2008年09月12日

それはまだ消費税が3%だった時代。
幼少の時分、父と出かけた東京。
夏の暑さを凌ぐ為、上野駅の地下レストラン街で初めて入る喫茶店。
私はコーラを注文。
その時にした、父への質問を今でも覚えている。

「とーさん、なんでココはさぁ、コーラが300円もして、外の自動販売機では110円なん」
「そりゃ、ショバダイ。場所の代金だな。」
「だから、お姉さんがコーラ持って来てくれて、
こんなにクーラーが効いた部屋で、ゆっくり飲めるんだよ」

私は曖昧な返事を打って、氷をストローで突付いた。
納得したかしなかったかは忘れてしまった。
何だか妙な気持ちが、小さな塊の様にして心に残った事だけは覚えている。
成長するにつれ、その小さな塊は氷の様に溶けていったのだろう。
肝心なモノを薄めながら。

255声 衝動があるだけ

2008年09月11日

「書く」と言う行為に対する自らの執着は、一体何処から来るのか。
それは単に、一つの表現方法としての問題では無い。
根本的欲求の代理行為。
だとしたら、いや、自分で書いていて何だか良く分からん。
って、投げ出して拾ってはまた書く。
分かっているのは、「書きたい」と言う衝動があるだけ。
その内容が、虚実混ぜこぜ、あるいは嘘で塗り固めた虚構だと分かっていても、
やはり。

254声 減量に苦しむ候補者達

2008年09月10日

日々の更新内容。
こんなにも社会性の無い内容で良いのだろうか。
などと、唐突に翻って再考。

日刊で更新はしているが、時事の内容が極めて少ない。
現在だったら、総裁選あたりが時事問題としては旬。
テレビをつければ、自民5候補なんてのが丁度、生出演中である。

どの先生方も、キャスターの質問に対し真剣な面持ちで答弁。
各人、お互いの腹を探り中と言った具合。
映像を見ていると、なんだかボクシングの計量会場の様な印象。

計量会場ではもちろん、規定内に収まっているかお互いの体重を量る。
と同時に、相手の肉体、眼光、雰囲気等を見て、各陣営が試合直前の対戦相手の状態を探る、
最後の機会なのである。
つまり、自らのコンディションを相手陣営に晒すわけである。
そう、或る本で昔読んだ事があった。

きっと、体の筋肉の付き方やハリなど見て、
「コイツはパンチが無いな」
とか、眼光の鋭さ、醸し出す雰囲気等から、
「コイツは相当今回の減量に苦しんだな」
など、相手のコンディションを探り、試合展開を考えるのだろう。

そう考えながら見ると、小難しい政策論争も、案外興味深く聞いて居られる。
さて、手の内を探られまいと、火花を散らせている各候補者たち。
中には、相当減量に苦しんだであろうと思われる先生も見受けられる。
その勢いの良いビッグマウスが、逆説的に自らの政策不振を物語っていなければ良いのだが。

253声 活中患者狂乱の秋

2008年09月09日

極私的世論調査の集計結果が先程発表された。
それによれば、やはり秋は、活中患者が一番多くなる季節。

「甲冑」の打ち間違いじゃなく、「活中」で正しい。
漫画の「稲中」の間違いでもない。
「活中」とは、「活字中毒者」の略である。

Wikipediaによると『活字中毒(かつじちゅうどく)とは、活字(文章)への「依存症」で、
活字に常に接していないと気分が悪くなるなどの症状が出る。
このような症状を呈する人間は、「活字中毒者」と呼ばれる。
内容ではなく本それ自体に愛着する「ビブリオマニア」(書痴、愛書狂)とは区別される。』

私も、今こうして書いている間にも、読みかけの小説が読みたくて読みたくて堪らない。
そして、書きたくて書きたくて堪らない。
と言う、都合の良い症状は出ないみたいである。

「雑誌を読みながらじゃないと飯が食えない」
「朝のトイレは新聞読みながらじゃないとダメ」

ってな人達も、立派な活中予備軍である。
そう考えると、私などまだまだひよっ子。
そう言えば、逆の症状の人なら何人か知ってるなぁ。

252声 叙情的な夜はどこで更けるか

2008年09月08日

読書の秋である。
これまた、ベタで古典的な随筆文章の出だしであるが、
スポーツでも食欲でもなく、やはり読書の秋なのである。
と、私は感じている。

私も一応社会人の端くれなので、
昼日中から木陰で読書なんて時間は作り難い。(と言う事にしておく)
本腰を入れて本を読むのは、床に就いてからである。

秋虫の風流な声を聞きながら、古典文学の頁をめくる。
叙情的な夜は、ゆっくりと静かに更けてゆく。

ってな感じで綺麗にまとめたいのだが、実際はそう上手く行かない。
出だしから追って見る。
秋虫の風流な声を聞きながら、ここまでは良い。
地方都市生活者の情感が出ている。
古典文学の頁をめくる。
これが出来ない。

近松門左衛門の『曾根崎心中』あたりを読みたいが、
秋の夜更けに心中を考えても、精神衛生上よろしくない。
どちらかと言えば、井原西鶴『好色一代男』 なんてのが良い。
しかしながら、原文を読み解く読解力を持ち合わせていないのが難点。

では、一気に明治・大正時代までやってくる。
田山花袋の『蒲団』なんてのはどうか。
しかし、実際に布団に包まりながら読むのも、いささか悲しい。
口語自由詩なんかも持ってきて、
群馬つながりで萩原朔太郎の『月に吠える』。
これは、月に向って吠えたくなってしまうので、
叙情的な夜がゆっくりと静かに更けない。

やはり上手く行かない。
叙情的な夜は、ゆっくりと静かに更ける。
そもそもここが違う。
夜は普通に、いつもながら慌しく更ける。
そんで、床に就いて漫画でも読みつつ、いつの間にか朝である。
ハヨネヨ。

251声 路地裏に娘 後編

2008年09月07日

《昨日の続き》

「はい」
やや呆然と聞き返した。
「質屋です。この近くに質屋ってありますか」
くっきりと、薄紫のアイラインが引いてある大きな目が問いかける。
表情は柔らかく、丁寧な口調。
「いや、分かんないですね」
左手の手拭いを少し隠しながら、曖昧な表情で答えた。
「そうですか。ありがとうございました」
軽く会釈して、車は前進。
加速しながら、滑らかに閉まってゆくパワーウィンドウ。
以前呆然としたまま、ブレーキランプの点滅を見ている。

「質屋」
と、歩きながらわざと口に出してみる。
質屋探しの娘の背景物語を、出鱈目に想像。
想像上の物語は、風呂屋を探す男と質屋を探す女が、
偶然路地裏で出くわす部分まで差し掛かった。

不意に顔をあげる。
並ぶ住宅の瓦屋根の向こうに、大儀そうに煙を吐く古びた煙突が見える。
行ってみると、やはり土地の銭湯。
色が褪せ、生地の痛んだ紺暖簾が無愛想に揺れている。
番台のおじいちゃんに、360円を払って脱衣場へ入ると、先客は無し。
「この近くに質屋ってありますか」
と聞くと、
「ないね」
映りの悪いテレビの声に紛れて、搾り出す様な声が返ってきた。

浴室へ入り、赤い取っ手のカランから桶に湯を出す。
カランの上に備え付けてある鏡の脇には、
土地の店の屋号と電話番号が印字してある。
その中には、「質店」の屋号もあった。

250声 路地裏に娘 前編

2008年09月06日

先日終日、前橋市内をグルグルと走り回っていた。
目的は銭湯探索。

銭湯残存地域と言うのは大抵旧市街にあたるので、
一方通行の多い、入り組んだ路地の中から探し出さねばならない。
半ば当てずっぽうで、路地を彷徨う。
手拭い片手に、キョロキョロ屋根を見回しながら歩く(煙突を探しているのである)様は、
非常に怪しい。

そんな怪しげな様子で、午後三時の空地まどろむ路地裏を歩いていた私。
フト前方に目をやると、こちらへ近づいてくる一台の黒い日産マーチ。
若干驚きつつ足を止め、手拭いを握る左手に自然と力が入る。
すると、私の真横に着けたマーチの運転席側のパワーウィンドウが、
億劫そうに開いた。
車内の運転席から斜めにこちらへ向く顔。
目が合う。
綺麗にセットされた茶色の巻き髪が似合う、上品そうなお嬢さんではないか。
「ややや」
手拭いをさらに強く握りつぶす私。

《明日へつづく》

249声 サン坊マー坊二人合わせてサンマーだ

2008年09月05日

日々近づく秋の足音、それに比例して生活の中で「秋刀魚」に出会う機会も多くなる。
家は食卓で街では大衆食堂。
夜は飲み屋で止めは寿司屋。
秋刀魚づくしにも程がある。

それじゃあってんで、ついでに食っておきたいのがサンマーメンである。
駄洒落的展開にも程がある。
でもまぁ、それも良しとして。

群馬ではあまり見かける機会も少ないが、県内でも一、二回食べた経験がある。
発祥は横浜中華街辺りと言われており、漢字で表記すると、「生碼麺」やら「生馬麺」になる。
一言で言い表すと、「もやし主体型野菜あんかけラーメン(細麺)」って具合。
もちろん、「秋刀魚」とは関係なし。

怖いもの見たさで食べたのだが、中華丼の「あん」をゆで麺にかけた様な印象で、非常に美味く感じた。
値段も安く大衆的であり、一目置いている麺料理なのである。

しかし、随分と前の事で当時食った店が思い出せない。
そして、広東麺との相違点はドコなのか探し出せない。