日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和8年度は4月(坂)5月(ぬ)6月(岡)7月(す)8月(堀)9月(坂)10月(ぬ)11月(岡)12月(す)1月(堀)2月(坂)3月(ぬ)の順です。

3728声 お金の使い方

2016年03月28日

もう慣れる年になったけど、東京駅へ行くと店の数、人の多さに圧倒される。1件1件が美味しいのだろうなと思いつつ、こじゃれたシュークリームを8人体制でばらまくように売る様子を見ては、錬金術だな、と呟き、その仕事に関わる意義って何だろうと余計なお世話まで考えてしまう。

 

つい数年前まで、「自分のお金だものどこで誰に使ったっていいじゃないか」と思っていた。もちろん間違いじゃない。でも、未だにコンビニも良く使うけど、「応援したい店、人にお金を使った方が幸せなんじゃないか」と思うようになった。地域通貨とかまでいかなくてもね。一度店をやる側に立ったせいもあるのかもしれない。商店街を使わない人が商店街が無くなることを嘆いても、説得力がないのだと思う。そして実際顔見知りの店でお金を使い「ありがとう」と言ってもらうのは、こっちもあっちもとても嬉しい。

 

コロッケとメンチカツ1個ずつと唐揚げ100gください。僕は少額ではあるがわりと頻繁に、道路向かいの塚田精肉店でお金を使っている。茶色いものが好きなんじゃないよ。応援しているんだよ。

3727声 風の波紋

2016年03月27日

突如東京での撮影仕事が入り、せっかく東京さ来ただということで、前々から見たかった小林茂監督によるドキュメンタリー『風の波紋』を観に渋谷に寄った。

 

新潟県越後妻有。積雪が家を飲み込むような山里の暮らしを5年かけて撮影した今作。茅場から刈りだした茅で屋根を葺いたり、桜の枝で生糸を染め娘の成人式の着物生地を手織りしたり、よくわからねぇから使わねえと無農薬で田んぼをやったり、かわいがってきたヤギをしめて皆で食べたり。それら暮らしに肉薄しながらも、所々では寸劇が入ったり、田んぼを背に獅子舞が舞ったり、地に沿ったファンタジーとでもいうべき印象的なシーンが重なり合う。傑作だった。

 

東京だけが未来じゃない。経済の成長を追うことに疑問を感じ、地方を見直そう、地方の方がいいじゃないか、という声は年々強くなってきているように思う。こと映像についても、地域が自らブランディングをかかげ、かっこいい映像や音楽と共に美しい農村風景がコマーシャルされることもある。そういったものも必要とは思うが、たとえセンスとしては古いところがあっても『風の波紋』のように踏み込んだ作品は、強い。大げさに言えば、これを観た誰かが、越後妻有の未来に関わる予感さえする。

 

越後妻有といえば、大地の芸術祭でも知られる。この映画の登場人物の一人である、芸術祭を機にこの地へ移住してきた天野季子さんが歌う主題歌「めざめ」が良い。エンディング近く、この曲と共に神々しく、日に照らされていく山々を見て、僕も何か目が覚めた気がしている。

 

風の波紋
http://kazenohamon.com/

3726声 叔父馬鹿

2016年03月26日

たいしたことはしてないけど叔父馬鹿です。
姪っ子が二人いて、上の子が小学校卒業を迎えた。
たいしたことはしてないけど叔父馬鹿なので、
プレゼントは何がいいかと考えた。

 

きっともうすぐ年頃の女の子だから、
友達と出かける時に使い勝手が良くてかわいいバック
があると、出かけるのも楽しくなるに違いない。
頭も良くて岡安家の血を継いでいるわりに運動ができて
すでに人への気遣いができる子だから(この辺り叔父馬鹿)、
大人になっても付き合える友達との出会いもあるだろうな。
ということで、outdoorのショルダーバックを買った。

 

思っていた以上に喜んでくれて、嬉しかった。
あと5年もしたら、嫌われずに一緒に映画を観に行きたいな、

観終わった後に悩み相談とか乗ってあげたいな、

と思う程度の叔父馬鹿である。

3725声 濃厚タンメン

2016年03月25日

僕も齢36歳にもなり、昔のようにラーメンを主食とはしなくなった。20代の中頃は、高崎の「響」へ行き、着丼(ラーヲタは、出来上がったラーメンが自分の席に届く瞬間のことをこう呼ぶ)してからものの3分で表面に油の層が固形化しはじめるような超濃厚豚骨ラーメンを嬉々として食べていた。さすがに今だと翌日に響く。

 

それでも、ラーメン激戦区相模原市に住んでいたころは、手書きのラーメンマップを自作し誰に見せるともなく日々のラーメン情報をログし続けた僕である。普通の人以上にはラーメンを食べているように思う。それで、最近のお気に入りは高崎市八千代町の「フタツメ」である。

 

ここの売りは鳥と豚骨のスープを用いた「濃厚タンメン」。野菜もどっさり乗っているのだが、この手のラーメンは「野菜も接種することによりドカ食いの後悔を軽減するもの」として考えた方が良いかもしれない。店に行くと、このタンメンにさらに拳大の大きな唐揚げ3個とご飯がついたセットを頼むのが常である。食い過ぎである。

 

前のラーメン屋の居ぬきで入ったこの店。よく行く会社の側なので、前を通っては「店変わったんだ」「なんか車が多く停まるようになったな」「行ってみるか」という順を経てそのおいしさに気付いた。決して立地場所がいいとは思わないが、今や人気店と言っていいだろう。

 

・・などと書いているうちに、また食べたくなってきた。今日の昼に食べたばかりなのにね。

3724声 夜明け前

2016年03月24日

日の出が早くなった。
僕の会社の母体は東吾妻町の原町新聞販売所なので
昨年から人手が足りない時は新聞配達を手伝っている。

 

「僕は夜派なもので・・」と断っていたりもしたのだが、
やっているうちにそれほど嫌な仕事でもないと思うようになった。

 

朝早くに、手足を使いながら、
覚えてしまえばさほど頭を使わず、
配り終わるまでに必ず3時間弱の時間を要するのだ。

 

それは、「適度な考え事をするのにもってこい」だと気づいた。

 

考えることは日によって違って、
その日にやらねばならない仕事の先回りとか、
前の晩に見た映画についてとか、食べた美味しいものだとか、
最近では「六合ドキュメンタリー映画祭」の展開の仕方について、
ほぼほぼ新聞配達をしながら考えた。
じーっと机に座っていてもなかなか考え事ができない性格でもある。

 

そうして最近考えることの一つに、
「現実の出来事をもとに小説を組み立てる」というものがある。
その手の妄想は、夜明け前の時間に向いている。
実は頭の中にはすでに3本くらいの短編小説がある。

 

それを、高崎で定期開催されているハンドメイド小冊子の祭典
「ZINPHONY」に小冊子として出したいという魂胆がある。
あと20回くらいの夜明け前を経れば、形にできるかもしれない。

3723声 高崎映画祭

2016年03月23日

桜の開花と共にやってくるのが、「高崎映画祭」。もう30年目の開催なんですね、すごい。前々回の28回より、僕が関わる「伊参スタジオ映画祭」のシナリオ大賞作品も上映してくださっており、今年も4/8(金)に『弥勒のいと』(松井香奈監督)、『正しいバスの見分けかた』(高橋名月監督)の上映が行われます。僕も行くので、伊参スタッフ特有のつなぎを着た男を見たら声をかけください。

 

初めて高崎映画祭に行ったのは18歳位だったろうか。当時の学校の先生の一人が「私はフリーパスポートを買って浴びるように映画を観ます」と言っていて、お金もちだねーそんなに時間があるもんなのかねーと思ったことを覚えている。今思えば、あれだけの映画を観られるフリーパスは全然安いし、映画を観る時間は自分で作るもんなんだな、と思えるけれど。

 

誰にもあると思うが、僕にもその時々の女優さんブームがあって、市川準監督『大阪物語』で池脇千鶴さんが彗星のごとく現れた際は、まるで初恋の人に会いに行くかのごとくに胸を熱くしながら県道、チャリを漕いで高崎映画祭の授賞式に彼女を見に行った。会場でわりと遠方に彼女を見て、同じ空気を吸っているだけで「可能性はゼロじゃないかもしれない」と意味不明な事を思った。まあ、ただの馬鹿ですな。例年豪華な受賞者が高崎ダルマを抱える姿も、見慣れた春の一幕となった。

 

僕はずっと「高崎映画祭に行けば、その年1年間の主要な映画を網羅できるぜ」と言い続けている。桜の開花と共に、映画に浸る時間を作ってみてはいかがでしょうか?

3722声 ポスティング妻

2016年03月22日

高崎の映像制作会社からの依頼で、高崎の保育園の卒園式を撮影した。ここの卒園式を撮影するのは2度目だ。他の保育園がどうかはわからないが、ここの保育園は卒園式の後に園の先生たちをレストランに招いて謝恩会を行う。それも撮影するのだ。

 

保護者が作ったフォトムービーの上映や、園児も混じってのビンゴ大会など、謝恩会らしい内容が続くが、会の最後、卒園児の母親たちによる一言ずつの挨拶が印象に残った。「共働きでなかなかこの子の面倒も見ていられないんですが、保育園に行って日に日に物事を覚えていい子になっていくこの子を見てきました。先生たちにはとても感謝しています」と涙ながらに語るお母さん。今時代のリアルなんだと思う。

 

撮影も終わり車を出そうと思ったら、急いだ様子の自転車が入ってきた。脇にチラシの束を抱えた主婦らしき女性が、レストランやその向かいの家々のポストにチラシを投函している。僕も学生時代に似たような仕事をしたことがあるが、地味で、その割にわりと大変で、それほど報酬もない仕事だ。それも、今時代のリアルなんだと思う。

 

お母さんたち、ファイト。お父さんたちも、ついでにファイト。

3721声 日向ぼっこ

2016年03月21日

久しぶりにほか弁を買って、車の中でがっついていた。

 

駐車場の隅に、荷物が入る手押し車の上にちょこんと腰掛け、
頭をうな垂れたお婆さんの姿を見つけた。

 

一瞬えっと思ったが、ただ日向ぼっこをして眠っているのだと気づいた。

 

ほか弁を食べ終わった後も、しばらくボケーっとお婆さんを見ていた。
ふと頭を上げたお婆さん。ゆっくりと立ち上がり、手押し車を押しながら、
自分の家とおぼしき方向へてくてくと歩いていった。

 

そんなくらい、暖かくて穏やかな日だった。

3720声 六合ドキュ後編

2016年03月20日

「スタンさんの通夜に行く時、僕が彼のドキュメンタリー制作で100%力を出し切っていなかったら、行けなかったと思います」

 

上映後の挨拶で、学生の一人が語った。「六合ドキュメンタリー映画祭」での上映作品のひとつ、芸術家のスタン・アンダーソンさんを取材した学生である。

 

僕がスタンさんに会ったのは、中之条ビエンナーレがきっかけだった。彼は六合の暮坂芸術区に住んでいて、初めて行った時に見せてもらった「樹皮を紙のように漉いて、その中に猪の骨を埋め込んだ作品」にギョッとした記憶がある。芸術といっても作るカタチは人それぞれだが、スタンさんは必要なものを全て森から採取し、近年では山を分け入って作る「道」そのものが自分の作品だと語っていた。その大らかな性格と流暢な日本語で、彼を慕う町民や中之条ビエンナーレ作家も多かったと思う。

 

「六合の山奥で長年に渡りアメリカ人がアート作品を作っている」。その不思議は学生にもわかりやすかったようで、昨年の候補選びの際にスタンさんは外せない人になっていた。結果学生たちが作ったスタンさんのドキュメンタリー『陽春の道』は、スタンさんの生き方を通して「豊かさって何だろう」という事まで考えられる素晴らしい作品となった。

 

その撮影から3か月ほどしてだろうか。急な病気によりスタンさんは亡き人となってしまった。花の駅美野原の上映会場には、中之条ビエンナーレディレクターの山重さんをはじめ、スタンさんと関わりのあった方も多く足を運んでくれて、改めて彼の存在の大きさを感じたようだった。

 

スタンさんの事に限らず、今回学生たちがドキュメンタリーで残した六合の暮らしは、それを知る人がいなくなってしまえば、昔ばなしとなってしまう。僕は、過去の暮らしを忘れるな!と啓蒙する気はないが、過去の暮らしを知れば今がもっと豊かになる、とは確信を持って言える。それだけのヒントが、六合にはある。

 

皆さんのおかげで、「六合ドキュメンタリー映画祭」は無事に終わりを迎えた。作品の大部分は今後、六合のローカルテレビ「六合っこチャンネル」でも放送される予定だ。他で見られる機会も作りたい。

3719声 六合ドキュ前編

2016年03月19日

「六合ドキュメンタリー映画祭」初日は、六合入山の「よってがねぇ館」で行われた。当日僕が会場入りすると、調理室には地元のお母さんたちにお願いしてあった「六合かりんとう」が山のように置かれていた。映画を観ながら六合かりんとうを食べてもらう、そんな事も面白さのひとつではないかと思ったのだ。

 

100人も入れば満員に近い会場がほぼ満員となった。見知らぬ場所の見知らぬ俳優が出ている映画ではない。ごく身近にいる(そのほとんどが知り合いの)六合の人々が主人公となったドキュメンタリー作品を見に来たお客さんだもの、登場人物の一言一言に笑い、共感し、懐かしみ、感動してくださったようだ。

 

中之条町との合併後、僕が六合を訪れる機会が増えたころに、前橋の煥乎堂で30年以上前に出版された六合の風土について書かれた雑誌を買った。村の女衆が、農具や草履の材料となる菅などの植物をとりに野反池までの山道を行く話。今なお残るおんべえやという村祭りで、燃えた木々の炭を手にとって人の顔に塗りつける風習など、絵に描いたような「山村の暮らし」が僕が育った町から山ひとつ越えた近所で繰り返されていたことに、ちょっとしためまいを覚えた。

 

今回の映画祭では、それらの暮らしがまさに生きた声として語られる。炭焼きが収入源だった当時は女でも30キロの荷を担いだとか、自分の祖父は農機具もないままに田代原の開墾から始めたとか。日本むかし話しのような牧歌的なものではなく、その言葉には血が滲むような苦労が含まれており、けれどそんな暮らしをしてきたという強さ、自信を持っているようでもあった。

 

上映が終わり、ドキュメンタリーを制作した日本映画大学の学生たち10数人が横並びになり、挨拶をした。学校外の人に作品を見せるのは初めての学生ばかりだ。どっぷり六合という会場の雰囲気が後押しし、皆とても熱い言葉を発していた。この経験は、彼らの今後に大きな影響を与えることだろう。

 

明日は六合地区を離れ、中之条町「花の駅 美野原」での上映となる。六合でできた作品を六合で観てもらう必要性は高いが、六合以外で観てもらう必要性も非常に高い。多くの人に来てもらえたら良いな。

3718声 金言

2016年03月18日

いよいよ明日から「六合ドキュメンタリー映画祭」が始まる。

 

当日は日本映画大学の学生や、六合・中之条の伊参スタジオ映画祭スタッフに手伝ってもらうが、わりと多くを自分一人で用意している。それが無理なくできるようにコンパクトに、を心掛けた。それであってもFMぐんまでのイベント紹介や、NHK群馬放送局のほっとぐんま640での紹介など、この映画祭の趣旨を理解してくださった方々に助けていただいた。多分?ぬかりはないはずだ。

 

話しは変わるが、一昨年あたりから、有り難いことに「仕事がないなー」という事があまりない。昨年携わった仕事は今年もご依頼いただき、近年はイベントなどの映像撮影の仕事が増えてきた。知人やお客さんからお客さんを紹介していただくこともある。その合間をぬっての映画祭準備だった。

 

今回の映画祭では、六合地区の作品だけではなく、20日の上映では10年前に撮影された中之条町のドキュメンタリーも上映する。嵩山の地蔵修復を行った斎木三男さんや、伝統芸能を継承する山田實さんの話も面白いが、その中でもマルキン鉄工を営む小栗金平さんのドキュメンタリーがすこぶる面白い。

 

戦争に赴き、実家である中之条に戻った際には見る影もなくやせ細っていて「あんたはうちの子じゃありません」と母親に言われてしまったという壮絶な人生を送った金平さん。町のゴミ収集の鉄の檻を器用に溶接する彼は言う。

 

「人さまに喜んでもらえる仕事をして、それに見合っただけのお金をいただいて。そうやっていれば見捨てないよ、世間は」

 

戦後の厳しい生活から好景気を経て現代まで、実直に仕事を続けてきた彼の実感だと思う。それを聞きこのドキュメンタリーを作った学生たちはこの作品に、「金言(きんげん)」というタイトルをつけた。大げさに言えば、一昨年あたりから自分の仕事が増えた理由をひとつ挙げるとすれば、この小栗さんの金言が僕の中に残っているからだと思っている。

 

上映の許可をいただきに、ほぼ10年ぶりにマルキン鉄工を訪れた。金平さんは一昨年亡くなったとのことだった。悲しいが、随分と長生きをされた。「上映してもらえて、親父も喜んでいると思います」と、工場を継ぐ息子さんが言ってくださった。また、ドキュメンタリーの必要性を感じた。

 

さてさてそれでは、「六合ドキュメンタリー映画祭」でお会いしましょう。

3717声 suiran

2016年03月17日

人んちの本棚を見るとわくわくする。
あ~この人やっぱこの本好きそうだよね、とか。
へ~意外、この人こんな本読むんだ、とか。
その人の心の内を見るようだからである。本棚紹介の本もある位だからね。

 

前橋高崎を中心に、店やイベント、場所に合った古書を置いて、
その場を瞬時に小さな言葉の森に変えてしまう「suiran」の土屋さんは、
前橋フリッツアートセンター内「The place」で本屋をしている。
美術館帰りに、そういう事が好きそうな知人と共に立ち寄った。

 

山ほどではないが、たくさんの本が並ぶ中で、
どんな本に目がいくかもその人次第なのだと思うけど、
谷川俊太郎や暮らしの手帳、伊丹十三やSWITCHなど、
ああこういう本を読んで自分に馴染ませれば、
もう少しまともな暮らしができるんじゃないだろうか、
と思うような個性的な古書が並んでいた。

 

帰り際、一冊の本を買い、土屋さんから
「岡安さんのフェイスブックへの書き込み面白いです」
と言われてしまった。
日ごろ膨大な言葉に囲まれている彼にそう言われるのは、
嬉しかった。

 

いい言葉を発するために、くだらない言葉を発するために、
もっと本を読みたい。そう思うだけの10年が過ぎてしまった。

3716声 NOMO

2016年03月16日

群馬県立美術館で行われている「群馬NOMOグループの全貌」を見に行った。1960年代に前橋を中心にとんがった美術を展開していた作家グループの軌跡を追った展覧会だ。

 

多くの作家が出入りする中、初期からずっと在籍する中心人物もいて、金子英彦氏が描く広げた地図に顏があるような絵のモチーフは、「あ、またこいつが出てきた」と、出てくる度に愛着のようなものが沸いてくる。年を追うごとに作品が作家然としてきて、実際に活躍の場を広げていったという方もいた。

 

けれど個人的に気になったのは、少しの間グループに参加し消えていった作家たちについてであった。職業作家ではなく、けれど芸術に身を焦がし、また生活者に戻っていったであろう彼ら。人に理解されにくい前衛芸術である、周囲の反応も冷ややかだったかもしれない。それでもなお筆をとった情熱、筆を置いたなら置いた時の心境を知りたいと思った。

 

僕自身、未だ生活者と表現者の狭間をゆらゆらしているせいかもしれない。

3715声 股引スース―

2016年03月15日

僕が務める会社は社長と僕と経理の3人だけの会社である。
新入社員も長らくおらず、春とはいえさよならもはじめましてもないのだが、
この時期お別れするものがある。股引だ。

 

この時期は1年で唯一、ちょっと女性の気持ちがわかるかも、
という時期でもある。股引を穿かなくなってしばらくは、
下半身がスース―するのだ。スカートはこんななのかな、と思う。

 

着実に、春が近づきつつある。

3714声 野のや

2016年03月14日

「六合ドキュメンタリー映画祭」の開催に向けてチラシさこさえてチラシ配りに回った。旧中之条町地域はtsumujiや伊参スタジオに。中之条町の商店の老舗とも言うべき「ちぎりいち」では外の壁に貼りだしもしていただいた(僕はこのちぎりいちの壁こそ、中之条町の一等な掲示板だと思っている)。

 

で、六合地域も回る。役場の六合支所に、赤岩の案内所。取材対象者のいる北端(と言ったらおこられるかな)の入山も。となれば昼飯はもう「野のや」の舞茸天ぷら蕎麦に決まっている。

 

平家の落人伝説の残る六合。野のやのおじさんはまさに平家の血を継ぐんじゃないかってくらいごっつくて、けれど打つ蕎麦は細く繊細。自家栽培している大きな舞茸天ぷらもめちゃくちゃうまい。この入山地区は野反湖でも行かない限り足を運ぶことも少ないと思うのだが、高崎市内からもわざわざここの蕎麦を食べに来る人がいるくらいなのだ。

 

飲食店にとって良い立地は繁盛に欠かせない条件だ。けれど、とことんうまいものを出せば、人は山の中だろうが海の端だろうが通うのだ。おすすめの店です。

3713声 ドンピシャの湯

2016年03月13日

温泉が好きだ。

 

草津温泉にも四万温泉にも近く、物心ついた頃から月に2度は親と温泉に通っていた。温泉がそばにあることが自然だった。若いころはそれをどうとも思わなかったけど、今思えば贅沢なことだったと思う。

好きな温泉は人それぞれ。小野上温泉が好きだからと、中之条からあしげに通う人もいるし、沢渡の共同浴場と四万の清流の湯をかわりばんこに入る人もいる。僕はこのあたりじゃ小野上温泉が好き。

 

けれど、泉質だけではなく、自分好みの温度で、まさにドンピシャという時がある。同じ温泉で同じ時間に行ってもそのドンピシャに巡り合えるとは限らない。もう数えられない位温泉に入った僕だって・・その決定的な瞬間は2度しかない。

 

1度目は今は移転してしまった川原湯温泉の昔の王湯。移転するまでにも4回くらいしか行かなかったけど、その3回目あたりがドンピシャなお湯だった。そして2度目は四万温泉の積善館の元禄の湯。昭和モダンな見た目に圧倒される日常使いとは違うリッチな温泉だけど、その4回目くらいかな、もういつまでも入っていたい位のドンピシャが訪れた。

 

ドンピシャなお湯ってのは、もう全身が隈なく気持ち良いのだ。溜まっていた疲れやストレスがフワ―っと外に流れ出していき、変わりにジワジワと滋味深い熱量が適度に体を染みわたっていく。多分、温度が0.5度ずれても駄目。そういう経験は、100回に1回くらいかもしれないな。皆さんはそういうことありませんか?俺だけ?

 

ドンピシャの湯を求めて、我は行く。

3712声 ふとした瞬間

2016年03月12日

3月11日だったからというわけではないけど。

 

昨日の朝。花粉でチーンと鼻をかんでいると、「お前は鼻をかむのが下手だなぁ。片方ずつしっかりかめ」とよく父に言われていたことを思い出した。細かいことを叱る父でもなかったけど、鼻チーンだけはしつこいくらい言われた。

 

昨日の夜。新聞社への配達が終わり玄関口で、昔同い年の新聞記者に「子ども撮るならどんなビデオカメラかな。岡安くん教えてよ」と相談されたことを思い出した。家庭用でも画質は充分、手振れ補正も業務用より効くから安いやつでいんじゃねー、とたわいもない話をしたっけ。

 

彼らはもういない。でも僕は鼻をかむ度に、新聞社の玄関口に立つ度に、彼らの事を思い出すのだろう。そして彼らに頼まれたわけでもないのにその度に、頑張んなきゃな、と思う。

 

5年という節目だからではなく、日常の中のふとした瞬間に、亡き人のことを思い出すのだと思う。そして、人ひとりは案外弱くて、背負ったものの重さが、その人の強さになるんじゃないのかな。たいして知っているわけじゃないけど。

2711声 郷土に生かされる

2016年03月11日

今日は誰しもがあの日のことを思ったことだろう。
東日本大震災から5年。早いのか、遅いのか。

 

震災から2~3年は僕が知り合った方も吾妻に残っていたが、
今では知った人はみな、故郷や故郷のほうへ戻っていった。

 

僕が今でも忘れられないのは「はれのひ食堂」という催し。
震災により避難してきた方と僕ら県内の支援者がチームとなり、
福島県南相馬市の郷土料理を作った。
このめっかった群馬の堀澤さんは主力として参加、
南相馬のお母さんたちと共に、美味しい料理を作り上げていった。

 

湯気までおいしいほっき飯。さくさく美味なカスベ(エイひれ)唐揚げ。
5年たった今でも思い出せる味。
各々の大変さも経て、だからなおさら美味しかった気もするが。

 

堀澤さんが確か「震災により故郷から遠く引き離されても、
こうして郷土の味で心豊かになることができる。つまりは、
郷土に生かされている」的なことを言っていた記憶がある。

 

故郷に戻った人の中にはもしかしたら、ごく単純に、でも深く、
「またあれを食べたい」という理由の人もいたんじゃないだろうか。