日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和8年度は4月(坂)5月(ぬ)6月(岡)7月(す)8月(堀)9月(坂)10月(ぬ)11月(岡)12月(す)1月(堀)2月(坂)3月(ぬ)の順です。

1447声 寒風と熱湯

2011年12月18日

日が沈むと、いよいよ夜風が痛いくらいに凍てて行く。
こうなると、湯屋までの道のりがとても億劫になってしまう。
「億劫」と言っても、寒風に晒されながら歩く、と言うこともない。
私は郊外に住んでいるので、近隣の湯屋へ行くのにも、車を使う。
それでも、寒い車内に乗り込むには、ちと勇気がいる。

良く行く銭湯へ出掛けた。
「22日はゆず湯」
脱衣場に貼ってあるこのポスターを見ると、しみじみと年の瀬を実感する。
日曜日の夜、深い時間なので空いていた。
空いているので、ゆったりと湯船に浸かって一句ひねろう。
なんて悠長な事は、とてじゃないが、できない。
何故ならば、熱いのである、湯が。

普段もこの銭湯の湯は熱いのだが、冬場は殊に拍車が掛かる。
巷の銭湯はど大方、外気温が寒くなると、当然、湯も冷めるのが早くなってしまうので、
目一杯沸かして熱くする。
普段熱い湯を、さらに熱くなるのである。
それがどれくらいか。
銭湯へ行ったことの無い人には、中々伝わりづらいが、
私が巷でよく熱いと感じる湯に、足湯がある。
爪先を浸けるだけで「あちっ」と、反射的に避けてしまうくらいの。
あの足湯と同じ程度かと思う。

寒くて爪先の皮膚感覚がおぼろげになる。
と言うのはあるが、この銭湯の湯では熱くて爪先の皮膚感覚がおぼろげになる。
足の裏が白くふやける、と言うのはあるが、ここでは、赤くふやける。
しかし、これは修行が足りない私の感覚であって、
常連さんなどは、終始涼しい顔をしている。
何度も、湯船から入ったり出たりしながら、忙しい入浴を終えると、
帰る頃には辛かった寒風が、湯ざましに心地好かった。

【天候】
終日、雲多くも冬晴れ。

1446声 息をひそめて

2011年12月18日

「よいお年を」
別れ際に言われて、しみじみと年の瀬であることを実感した。
年に数回程度会っている人たちとは、確かに、この次会うのはまた来年。
と言う時節である。

今年も残すところあと二週間となったが、年賀状を筆頭として、
やり残している事ばかりである。
それでも、忘年会などには夜な夜な出掛けて行く。
自身の今年の忘年会の予定は、既に、大方終わっている。
忘年会の予定も無く、夜の街を歩いていると、
俄かに活気づいている街の喧騒が、とても疎ましい。
クリスマスと相まって、イルミネーションの波状攻撃が、
もう素面では歩けない心持にさせる。

「和」の部類の属するお店。
例えば、蕎麦屋とか食堂などは、クリスマスを飛ばして年越し蕎麦やおせち。
年末年始の案内など、もう正月の雰囲気である。

話は飛ぶが、私は正月ラベル麦酒が好きだ。
特に、瓶麦酒。
ラベルが、通常のそれでなく、「門松」とか「賀正」、「謹賀新年」。
などが金文字で印刷されている、正月仕様のめでたい瓶麦酒である。
おそらく中身の麦酒は通常と同じなのだが、あのラベルから注ぐとまた一興である。
新春のめでたい空気を、目から味わう事が出来るし、巷のその店へ行っても、
あのラベルが溢れている事がまた、正月らしくて嬉しい。
忘年会であたふたしている店の厨房の冷蔵庫には、あの正月ラベルがごっそり。
年明けの登場の時まで息をひそめていると思うと、忘年酒もなんだか、
落ち着かないのである。

【天候】
終日、冬日和。

1445声 走らぬ師

2011年12月16日

予定では、今年残すところあと2回となる句会に、今日出席してきた。
句会場は前橋市田口町の和食レストランで、食事後句会に雪崩れ込むと言う方式。
吟行地は前橋市だったが、時間の都合で私は行かれなかった。 

吟行してから句会。
となると、その場所で見た実景が勝負になってくるので、
吟行せずに句会に参加すると、句が浮いてしまう。
そこらの野辺で、独り吟行し、「冬枯」、「寒さ」、「冬の雲」、「冬の空」など、
どこにもありそうな、なるべく大づかみな季題で句を揃えてから向かった。

私の結果はまずまずだったが、皆の句を見ているだけで、吟行地の風光が感じられた。
「鷹」の句も数句出ており、聞けば、吟行地ではやはり、鷹が大空に滑空していたらしく、
とても羨ましい思いがした。

「師走」。
であるが、俳句の師は、日本酒で薄っすら顔を赤らめており、走っている様子は無かった。
そして皆、師走の忙しい家事や雑事そして仕事の合間を縫って、
万障繰り合わせて参加しているらしかった。
「俳句」と言う短詩系は、極めて土着性の強い文芸だと、改めて感じた。

【天候】
終日、雲多くも冬日和。

1444声 見慣れぬ句集

2011年12月15日

今日、ふらりと古本屋へ立ち寄った。
俳句関連の棚を見ると、見慣れぬ句集が大量に並んでいた。
この店には、月に一度くらいは訪れており、その都度、俳句関連書籍は、
変わり映えのせぬ品揃えだったので、いささか驚いた。
これは掘り出し物があるかも知れぬと、句集を端から一冊ずつ手に取り、
頁を捲って品定めした。

新しく入荷した句集は全て、とある俳句結社の俳人たちによるものだった。
俳句愛好者であれば、古本屋にこの手の句集が大量に出回る。
と言う事が、何を意味しているかは、大体、察しが付く。
つまり、ある俳句結社に属していた俳人が亡くなった、と言う事を暗示している。
遺品整理で、古本屋に出回って来た書籍ではなかろうか。
本棚に並んでいる句集を見ると、著者は全て同じ結社に属している俳人である事。
そして、その大半に、「著者謹丁」の折り紙が入っている事。
この二つの点から、私の予想はかなり手堅いものだと思う。

古本。
ましてや古書などになれば、四代、五代目の人の手に渡るなどと言う事はざらである。
店内に蛍の光が流れ始めたので、慌てて一冊購入して帰って来た。
その遺品句集と思しき品でなく、地元俳人の句集を買った。
著者の生まれ年は、昭和2年。
平成23年の今年、御健在ならば84歳である。
写真を見る様に、俳句にも「時」が描写されている。
したがって、一冊の句集を読んでいると、
その人の日記を読んでいる様な印象を受ける。
大袈裟に言えば、その人の人生がある。

【天候】
終日、いさかさ雲と風あるも、冬日和。

1443声 狸と寒桜

2011年12月14日

もう一週間ほど、冬日和が続いている。
里山では、冬の夕焼けに輝く枯野や、夜の色と混ざった青紫色の山並みが、
とても綺麗である。
朝焼けも、さぞかし綺麗だと思うが、早起きの苦手な私は、それを知り得ない。

今日の事。
夕焼けの中、山道を車で走っていたら、鴉が群れをなして路肩に何か突いていた。
瞬間、ビニール袋の生ゴミでも啄ばんでいるのかと思った。
そのまま近づいて行くと、鴉等が驚き、ささやかに羽ばたいて脇へ避けた。
群れの中心に現れたのは、横たわっている一匹の狸。
大きな尻尾を持つ狸で、全身の毛がまだ柔らかそうだったので、
息絶えてから、まだ時間が経っていないのだと思った。
その躯が見えたと思ったら、また直ぐに鴉等が戻り来て、
黒い羽根で覆い隠してしまった。

バックミラーごしに、遠くなって行く光景を眺めていた。
道は小高い丘になっており、坂道を登って行くと、日だまりに寒桜が咲いていた。
枝に淡く小さく綻んだ花、一輪一輪が、朝日に煌めいていた。

【天候】
明け方雲多くも、その後、終日、冬日和。

1442声 翌朝

2011年12月13日

椅子に座ること、小一時間。
懐手しながら、あれこれと今日書くべき内容を組み立てていた。
その内に、爪先から寒さが染み込んできて、どうにもならぬので、
寝床に入った。
寝床に入り、体温で蒲団の中が温まって来たところで、また椅子に戻り、
それから、先程組み立てた内容を書こうと思っていた。

寝床に入っても、中々、蒲団の中が温まって来ないし、
爪先はいつまでも冷えたままである。
これは、長期戦になると思い、手持無沙汰に転がっている文庫本を一冊取って、
詠み始めた。
頁を捲るごとに、だんだん蒲団が温まって来て、おまけに瞼も下がってきた。
これから、眠い目を擦ってまたあの冷たい椅子に座り、
せっかく温まった足を冷やすのが、とてもおそろしく思えて来た。
なので、翌朝起きてからやろうと思った。
しかし、実際に行動に移す気力は無いだろうと思いつつも、「翌朝起きてから」。
そう思うと、とても心地好く眠れそうな気がしたからである。
それでいま、また夜に冷たい爪先を擦りつつ、これを書いている。

【天候】
終日、冬日和

1441声 詠み継ぐと言うこと

2011年12月12日

昼が短くなった。
つまり、日の出が遅く日の入りが早くなってきている。
冬至が直ぐそこまで来ていると実感する。
巷の湯屋では、そろそろ柚子の準備をしているだろうか。

「絆」
それが、今日、京都の清水寺で発表された今年の漢字一字である。
「今年の漢字」は、毎年、その年の世相を表すものだが、たしかに。
この一字を見ていると、反射的に今年の、三月十一日以降の数ヵ月が思い起こされる。

今年は、大きな句会へ行くと、必ず震災の句を幾つか見かけた。
春の句から始まって、いまは冬の句。
つい先日出掛けた、浅草で開催された大きな句会でも、
やはり震災の句が作られていた。
春先はことに多く、私が出合った中では、桜の句が多かったように思う。
そして、いまは師走の句が多く生まれているのだろう。

四季を通して詩を詠む。
そして、これからも詠み継ぐこと。
見えないけれども、それが「絆」。

【天候】
終日、冬日和

1440声 寒夕焼

2011年12月11日

「沁みる」
二日酔いの、良く晴れた朝は、殊にそう感じる。
外に出る気力も無く、日がな、本を読み暮らしていた。

夕方になってから、手紙を投函する為、自転車で近所のポストまで出掛けた。
ポストが在るのは商店の駐車場で、切手を買うために、商店へ入った。
店内には、御婆ちゃんが、大きな樽に白菜を漬けていた。
「国府白菜」と言う地の白菜であろう。

切手を頼むと、前掛けで手を拭いて、錆の浮き出た小箱から古びた切手をくれた。
レシートも出ないレジに小銭を入れると、御婆ちゃんはまた、
白菜に塩を振る作業にもどった。

店を出てポストに投函し、家路へとついた。
日が傾いて、風がいよいよ本格的な寒さを運んで来ていた。
帰り際、コンビニで缶麦酒を買った。
暖房の効いた部屋に居て、あの甘い国府白菜で一杯やったらさぞかし美味いだろうな。
そんな事を思い浮かべつつ、ペダルを漕いだ。
寒夕焼に、山は群青の影になって、一面の枯野は金色に輝やいていた。

【天候】
終日、冬日和

1439声 浅草吟行・合同句会

2011年12月10日

列車は東京へ向かっている。
私は今日、浅草で開かれる句会を目指し、上京している。
吟行地である浅草に着く前に、列車内で、過去に訪れた浅草の風景を想像し、
句を作っている。
つまりは、少し「拵えて」行こうと言う算段なのである。

句会に際して、句を拵えて行く事を、私は好まない。
折角、浅草が吟行地であるので、当日の浅草を詠んで、
投句するのが筋であると思う。
その筋を曲げざるを得ないのには、理由がある。
至極単純に、寝坊したので、どんなに急いでも、
浅草到着が投句締め切り間近になってしまう行程なのである。
なので、この車窓の風景が一切目に入れず、
瞼を閉じて思い出の浅草に浸らねばならぬ羽目になってしまった。

上野駅へ到着し、上手い具合にメトロを乗り継げたので、
食事の時間を抜かして、30分ほど浅草を吟行出来た。
師走の浅草、仲見世から浅草寺はほど良い人出具合で、
暦売りの威勢の好い口上が響いていた。
香煙吸われ行く冬の青空の下、人力車夫の句やらおでん屋台の句やら、
浅草らしい句を、嘱目である五句揃えて、急ぎ足で句会場へ向かった。

協会の「東京部会・神奈川部会合同句会」と言うことなので、
群馬からの参加者はどうやら私のみの様子だった。
会場にはおよそ百五十人の参加者がおり、これだけ人数がいると、
選句するのにも骨が折れる。
選句の前に、「立川志の春」さんの落語があり、
実はこれが参加する大きな動機でもあった。
一般披講も、およそ百五十人もいれば、一苦労である。
今回は、全くふるわなかったが、上手い句や面白い句が沢山発見できたので、
満足であった。
選者披講では、おまけ程度に一句だけ入選していた。
志の春さんも選句してから帰られたようで、私の句がひとつ入っていた。

句会が終わり、浅草、上野、とどめに新宿で飲んで、終電で帰って来た。
忘年会が佳境を迎えており、どの店も混んでいたが、私にように立ち呑みだとか、
怪しげな赤提灯だとは、割とすんなり入れた。
終電に乗るべく、千鳥足を進めていると、東口駅前は騒然としていた。
みなが見上げている夜空を仰ぐと、いままさに、月触の最中で月がどんどん欠けていた。
帰りの列車内で、月蝕の句を作ろうとしたが、いつしか寝てしまって、
句帖を握りしめたまま終点だった。

【天候】
終日、冬日和

1438声 初の雪

2011年12月09日

前橋市では今朝、初雪が観測された。
確かに今朝。
裏の田圃を望むと、赤城山と榛名山は雪化粧しており、
青白い光を放っていた。

日中。
安中方面へ足を伸ばすと、浅間山と妙義山も、うっすらと雪化粧していた。
特に、峻険な山並の妙義山が雪を纏っていると、白い水晶の様で、綺麗だった。
その景を、俳句におさめようと思ったが、中々、句にならなかった。

スマートフォンからツイッターを覗くと、「初雪」の句がぽつりぽつりと流れていた。
そう言う風に、つまり「思わぬ感動」によって生まれた句は、貴重な句である。
見知らぬ人の初雪の句を鑑賞しながら、とても羨ましく思った。
今日から始まる、「榛名湖イルミネーションフェスタ」では、この分だと、
厳しい交通事情になると思い、背筋が寒くなる思いがした。

【天候】
昨夜から今朝にかけて、山間部は雪。
全国的に、初雪を観測した市町村が多かった。
以降、終日、冬日和。

1437声 それぞれの時差

2011年12月08日

今朝は厚い雲が垂れこめいていて、ことに冷え込んだ。
起床するのが億劫だった。
日の出も分からぬので、体内時計が狂って時差が発生し、
遅刻者が多くなるのは、こんな日であろう。
終日どんよりと曇っていて、昼だか夜だか分からぬ天気。
午後四時頃から、目盛りをゆっくりと回す様に空が暗くなり、夜になって行った。

お天道様を目にしない日と言うのは、何だか心身ともに調子が出ず、
心中にも雲が垂れこめているようである。
しかし、私の高校時分の友人であったU君は、違った。
梅雨時期の曇天や、雪模様の曇天の日。
教室全体がどんよりとなっている時に、彼だけは目に見えて元気なのである。
聞けば、お天道様が燦々と照っている日よりも、薄暗い曇天の方が、
活力溢れる体質らしい。

同じ様な例で、同級生の友人であるS君は、最近、夜勤の仕事をやり始めた。
日が高い間は寝ていて、日が沈むと起床し通勤。
そして、夜中働いて朝陽が昇る頃に帰る。
曰く、日勤よりも夜勤の方が、心身ともに調子が良いと言う。
夜が弱い私などは、全く未知の世界である。
人とそれぞれ、時計の針の動き方は違うようで、
やはり、「時差」があって当然なのである。
それでは、遅刻の言い訳にならないだろうが、そう言うこともある。

【天候】
朝から曇り。
日が沈んでから、霧雨。

1436声 キムチの種

2011年12月07日

行きつけにしている近所の居酒屋が、近年、「お持ち帰り用キムチ」なるものを売り始めた。
以前から、この店のメニューに於いて、キムチに至っては、一目置いていた。
行けば必ず注文し、麦酒に良く合った。
世間の居酒屋によくあるような、酸味のあるしょうゆ漬けと言う様な和風なキムチで無く、
いわゆる「本格的」な味わいのキムチなのである。
説明が漠然としているが、私は本場韓国のキムチを食べた経験がないので、致し方ない。

数ヵ月前。
夏場に酔った勢いで、このお持ち帰り用を一つ買ってみた。
これが、中々良い。
価格は380円で、瓶の中に内容量700gも入っている。
これは、市場価格で見ても、かなり安価な部類に入るだろう。
それよりなにより、味が良い。
夏場のキムチは、大抵、酸味が出てきてしまうが、そんなこともなかった。
食べ終えるまで味の劣化も少なく、大いに麦酒が進んだ。

とても良い買い物をしたと、喜んでいたのだが、ただ一つだけ、
心の中に引っ掛かっている事がある。
店でキムチを注文すると、小鉢にほんのひと盛りで、280円している。
なんだか、手品の種を見てしまったような、あっけらかんとした心持であるが、
これからもキムチを注文し、かつ、お持ち帰りしてくるだろう。

【天候】
終日、冬日和。

1435声 舌ダイエット

2011年12月06日

貧乏なくせにここ数年で舌が肥えきているので、困っている。
それは、こと酒に限定される。

親しい知人などは、私が無類の麦酒好きと知っており、
お土産や贈答で、各地の美味しい麦酒をもらう事がある。
自分でも、「せめて麦酒くらいは」と言う気持ちがあるので、
好きな銘柄の麦酒が置いてある酒場を選んで、出掛ける事もしばしばある。
量販店で買う時も、薄い財布を更に薄くして、発泡酒で無く麦酒を買う。
それなので、舌が美味い麦酒の味を覚えている。
あやしげな店であやしげな麦酒が出て来た時は、すぐに舌と鼻が、
そのあやしい匂いを嗅ぎわけてしまう。

反面、他の酒類、例えば日本酒に関してなど、全くの無知。
安酒場で、「酒」と注文して、徳利に入っている日本酒がどんなものか、
全く嗅ぎわけることができないし、当然、良し悪しも分からない。
純米大吟醸でも、自動販売機のワンカップでも、私にとっては大差ない。
と言うのが、数年前までも私であった。
しかし、いまは違う。

近しい人。
例えば、ほのじ氏だったり俳句の先生だったりが、無類の日本酒党である。
なので、どこそこの酒蔵の何某と言う酒、つまりは逸品を口にする機会が多くあった。
一緒に酒場などへ行っても、日本酒の銘柄が少ないと、直ぐに眉間が曇ってくるが分かる。
数年前には、日本酒愛好者(と言う名の周辺に蔓延っている飲んだくれ)たちでバスをチャーターし、
新潟で開催されている「酒の陣」へ行って来た。
酒の陣では、新潟の酒蔵が一斉に介するので、様々な銘柄の酒を一網打尽で飲める。
そんな事を繰り返しているうちに、どうやら、僅かながら舌が肥えて来てしまった。

具体的には、安酒場で熱燗など飲んで、「まぁ、こんなもんか」などと、自らを納得させている。
麦酒だけならまだしも、麦酒も酒も、ではいくらなんでも、懐の具合が悪い。
それならば、懐の具合を潤沢にし、好きなもの飲んだら良い思うが、これから年末にかけて、
ますますそうも行きそうにない。
したがって、肥えた舌をダイエットさせるべく、最近、もっぱら安酒を飲むようにしている。

【天候】
終日、冬日和。
冷え込み強し。

1434声 ぽかぽか

2011年12月05日

身に沁みて。
本当に、「身」に「沁みて」と鍵括弧に入れたいくらいに、感じる。
温まる、と言う事を。

それは、銭湯のあの大きな湯船と、自宅の足を折り曲げて入らねばならぬ、
狭っ苦しい風呂との違い。
体の温まり方が、どうしてこうも違うのか、いつも感じる。
自宅の風呂では、体が芯まで温まる感じがしないからである。

銭湯でのひとっ風呂は、湯の温度が熱いと言うこともあろうが、
滝のように汗が流れる。
吹いても吹いても止まらぬほど流れ、やっと落ち着いたら、
体内に温かな血液が駆け巡っている事が分かる程、体が温まっている。
そして、その「ぽかぽか」が、長時間続く。

銭湯も自宅も、お湯に入浴剤を入れている事は同じ。
然らば、湯温を熱くして入れば、あの「ぽかぽか」を手に入れる事が出来る。
そう目論んで、入浴剤を溶かし、湯船からこぼれるほど張った湯を沸かし、
長時間入浴しても、どう言う訳か、駄目なのである。
銭湯での、滝のような汗もなければ、長時間のぽかぽか感もなく、
すぐに爪先から湯冷めしてきてしまう。

こと、師走からの寒い時期。
銭湯の大きな湯船がとても恋しくなる。
恋しいのだが、銭湯への道のりが四季の中で一番億劫に感じるのが、
この寒い時期。
空っ風吹きすさぶ暗い路地を、湯上がりの体で歩くかねばらなぬ帰り路。
あの時の寒風もまた、身に沁みる。

【天候】
終日、冬日和。

1433声 朝の境内

2011年12月04日

早起きした訳ではないのだが、昨夜の雨から一転。
カーテンを開けると、青空が窓一杯に広がっていたので、
朝の散歩をしてみようと思い立った。

散歩。
と言っても、当然、ポケットに句帖とペンを突っ込んでいる。
玄関の戸を開けると、早朝にも関わらず、空っ風が音をたてて吹いている。
そのせいで、随分と寒く感じる。
昨夜の、あの息が白くなるような、じんわりとした底冷えの寒さ。
ではなく、烈風に当たっている耳と鼻の先から冷えてゆく、乾いた寒さである。
どちらも寒いのは嫌だが、後者の乾いた寒さの方がまだ、耐えられそうに感じる。

首をすくめながら、朝の小径をゆく。
故郷に居る時には旅人の目で、旅に居る時には故郷に居る目で、「もの」を見る。
昭和に活躍した俳人が、句作する心構えをそのような旨で説いていた。
中々簡単にはいかぬが、そう思うと確かにささやかなる発見がある。

他所の家の庭先の花。
落葉の溜まっている溝。
冬でも青々としている竹藪。
裏の神社の境内に、昨夜降り来た銀杏の落葉を、捨てに来る人。
おそらく、神社の裏に住むこの家人における、この時期の毎朝の日課なのだろう。

「ガサッ」
大きな袋から、銀杏の大木の根に落葉を返すおばさん。
そして、出て来た裏木戸からまた、家へ戻って行った。
おばさんが去ると、神社は満ちてゆく朝日と木枯らしの音ばかり。
一二句作って、神社の鳥居を出ようとすると、ジョギング中の若い女性とすれ違った。
女性はそのまま境内を進んで、社殿の前でぴたりと止まり、
賽銭箱に賽銭を投げてお祈りしていた。
お祈りが終わってから、どちらの方に去ったのかまでは、見ていない。
鳥居の方には、戻ってこなかったようであった。

【天候】
終日、冬晴れ。
朝から風甚だ強し。

1432声 整理と作文

2011年12月03日

寒い。
と言う感覚には滅法弱くて、寒いだけで気分がげんなりしてしまう。
雨降りの今日は、ひねもす家に籠っていた。
溜まっていた俳句の整理と、俳句関連の文章を書いて、終わってしまった。

溜まっていた俳句の整理。
それは、句帖やノートのそこここに書き散らかしてある俳句を、
パソコンの中に書き写しておく、と言う事である。
それでも、判読不能な文字や、紙の切れ端などにメモした句などは、手元に残らない。
手元に残らない句は、それだけの句だと思い、あまり執着せずに捨てる。
部屋は中々片付けられないが、せめて、自分の俳句くらいは綺麗に片付けたい。
まぁ、現実にはそれさえもままならぬ状況だが。

俳句関連の文章。
私は特定の俳誌に所属している訳でもなければ、俳句の批評が得意な訳でもない。
その為、俳句との関りは、文章を書よりも句を作る方が圧倒的割合を占めている。
しかし、「この間の吟行会ことを書きなさい」と言う話があったので、それを書いていた。
おそらく、会報か何かに掲載されるのだろう。
当日は愉しかったので、感想文を書くにも、それほど苦労はしなかった。
むしろ当日は、句労の方であった。
そんなことで、いま、随分前の葬儀の際にもらって来たワンカップを開けている。

【天候】
夕方まで、雨降りの寒い日。

1431声 紛失の安らぎ

2011年12月02日

携帯電話が無い。
厳密に言うと、スマートフォン。
そう言えば、先日の句会の折、回ってきた清規用紙に列記してある句の中に、
「スマホ操るなんたら」と言う句があって、思わず吹き出してしまった。
確か、冬の公園で、ベンチに座っている女性が颯爽とスマートフォンを操っている景。
だと思ったが、随分と、冒険している句だと感じ、採らなかったのだが、
一気に緊張がほぐれる思いがした。

脱線した話を戻すと、さて、無くなったスマホである。
以前の携帯電話の様に、ポケットにすっぽり入れば良いのだが、
このスマホにしてから、サイズが大きくなったため、容易にポケットに入らない。
液晶画面がむき出しなので、無理にジーンズのバックポケットなどに入れていると、
座った拍子に壊れてしまいそうなので、ポケットには入れていない。
なので、出掛ける際はバックに入れるか、ジャケットがあれば、
その大きいポケットに収納している。

なので、よく紛失する。
体から離しているので、置いた場所入れた場所が分からない、は日常茶飯事。
そこに、この師走である。
うっかり何処かへ忘れたまま、帰宅してしまった。
今夜はもう晩酌をしてしまったし、殊に冷え込んでいる事だし、
探しに行くのは明日にしようと思う。
意外と、いま、スマホ(電話)が無い生活の方が落ち着く心持である。
それには、この何か急かれる師走の雰囲気が多大に影響しているのであろう。

【天候】
終日、小雨交じりの曇天。
強い寒気が入り込み、山間部では雪、平野部でも霙が降る。

1430声 丸まり癖

2011年12月01日

氾濫。
と言う比喩が当てはまるくらい、巷はクリスマス一色になって来た。

今日から師走。
来年のカレンダーなどが、出回って来る時期である。
カレンダーなど買った事は無く、どこそこから頂いたカレンダーを使っている。
来年は俳句のカレンダーを使う予定だが、これも頂きもの。
年末に、まだ丸まり癖の付いているカレンダーを掛ける。
生活に追われつつ、カレンダーを一枚一枚捲って行くうちに、
いつの間にか癖がとれ、のっぺりとしてる。
あの、丸まり癖が、なんだか初々しく思え、すこし懐かしく思ったりする。

【天候】
朝より曇り。
夕方から、霧雨。