日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和8年度は4月(坂)5月(ぬ)6月(岡)7月(す)8月(堀)9月(坂)10月(ぬ)11月(岡)12月(す)1月(堀)2月(坂)3月(ぬ)の順です。

1322声 海沿いの街

2011年08月14日

「原発」
群馬県に住む私にとっては、正直、左程それを意識した生活をしていなかった。
しかし、3月11日以降、否が応でも考えなければならない、抜き差しならぬ状況下に、
列島全土が、いま、ある。
私が昨日行って来た、茨城県の海沿いにも原発はあり、
その周辺には当然ながら、生活もある。

せっかく茨城県へ行ったのだから、銭湯へ入ってとんぼ帰りもさみしいので、
途中、「那珂湊」やら海沿いの街を訪ねた。
魚市場へ寄ったのだが、どうにも、客入りが芳しくない印象を受けた。
私が、大洗の水族館やら那珂湊やらへ海水浴を兼ねて、今時期に旅行したのは、
もうふた昔も前の子供時分だが、その当時の活況から比べ、随分と落ち着いている。
やはり、放射能の影響なのかなと、連日の各報道機関のニュースを思い出し、そう考えていた。

津波の被害を受け、いま、風評の被害を受けていると言う状況だが、
それでも、魚市場に海産物は豊富にあり、来客もいる。
買い物で触れ合った、市場の方々は、溌剌と頑張っていた。
ふらりと入った魚市場の二階にある食堂からは、湾内にある海が眺望できた。
凪いでいる穏やかな海を眺めつつ、海鮮丼に箸を進める。
来る途中に見た、靄に包まれ浮かんでいる、松林の中の、
あの巨大な人工物の光景が、頭から離れなかった。

【天候】
終日、炎天。

1321声 企業城下町の銭湯

2011年08月13日

現在時刻は9時半。
既に炎天の、苛烈なる日差しが降り注いでいる。
これを記している今日は、8月15日。
つまり、月曜日の終戦記念日なので、土曜日の13日から、
2日間分の更新を溜めてしまった事になる。

ちと、遠出をしていた。
行先は、茨城県は日立市である。
「企業城下町」と言う呼び名があるが、日立製作所を構える日立の街は、
まさにその名にふさわしい。
駅から広がる街並みは、広大な敷地面積を持つ日立製作所を核に、
関連企業、住宅、ホテル、商店、等、高度経済成長期より新興した都市の印象である。
どことなく、近未来的な雰囲気を感じるのは、「街の色」だと思う。
「コンクリート」の色なのである、街一色。
その中に「配列された」、夏木立が、とても印象的だった。

企業人でもない私が、何の目的で、この企業の街へ行ったかと言うと、
「銭湯」なのである。
日立市は現在、茨城県内最大の銭湯保有県。
仰々しく書いているが、その数は、3軒を残すのみとなってしまった。
すなわち、「福の湯」、「松の湯」、「東湯」。
いずれも、日立の街の高度経済成長を支えた地元の湯であり、
先の震災を耐え抜いた、湯である。

日立市に入ると、やはり、震災の爪後は所々に確認できた。
ブルーシートが乗っている家、崩れたままの塀、隆起した道路。
銭湯も然りで、駅前銭湯である「福の湯」の女将さんに聞いたところ、
3月11日の震災で、屋上のタンクが2基とも破損してしまったとの事。
しかし、15日には応急処置で復旧し、16日から営業を再開したと言う。
16日は無料営業とし、入口には湯客が並ぶ程、盛況だった。
入浴の大切さは勿論の事、銭湯が、非常時の地域コミュニティーとして、
重要な機能を果たした事実が確認できてよかった。
三軒どれも、今尚、地元に愛されている銭湯であった。

一日に三軒を回ると言う無謀な予定をこなしたが、
やはり忙しく、満足に湯に浸かれなかった。
しかも、炎天下、車のバッテリーが上がってしまった。
彷徨い歩いて見つけた、ガソリンスタンドでそのバッテリーを交換し、
日立の街に逗留すると言う、おぼろげな状況になってしまった。
しかし、流石は企業の街、駅前の居酒屋には事欠かなかった。

【天候】
終日、炎天。

1320声 甲子園にある群馬

2011年08月12日

「よく頑張った」
カーラジオの実況を聞いていて、そう、つぶやいた。
群馬県民のみなず、聞いていた人、観ていた人が、心の中で拍手を送っていたであろう。

「第93回全国高校野球選手権大会」
それに関して、スポーツに疎い私は、書くべき知識を持っていない。
よって、健康福祉大高崎が出場を決めてから、初戦と今日の第二回戦のみを観ているだけの、
浅はかなる感慨しかない。
それでも、今日の横浜との対戦、延長十回まで続いた手に汗握る試合は、
久しぶりに無心で、贔屓のチームを、つまり健康福祉大高崎を応援していた。
結果は、6対5で、惜しくもサヨナラ。

一生懸命だ。
そう、いつだって一生懸命やらなければ、
観ている人たちに感動など与えられない。
冷房の効いた部屋で、冷たい麦酒などを飲みながらこれを書いている私は、
何だか身につまされる思いがある。
大切な気持を、少し、思い出した気がした。

【天候】
終日、真夏日。
各交通機関で朝より、お盆の帰省ラッシュが始まる。

1319声 霍乱注意報

2011年08月11日

「霍乱」
とは言わなかったが、私が学生時分、なのでおよそ平成一桁くらいには、
巷では概ね、「日射病」と呼んでいた。
現在の「熱中症」を、である。
霍乱の意には熱中症の症状の他に、コレラやチフスなどの症状も含まれていたし、
熱中症には、一昔前の日射病やら熱射病やらの症状の意も含まれている。
暑い季節の為か、随分とくくりがおぼろげである。

気温が、軒並み35℃以上を観測していた今日の列島各地。
熱中症の症状で病院に担ぎ込まれる人が、
多数出ていると言う報道があった。
群馬県内でも館林などは39℃近く、戸外での体感温度は、
それ以上にもなっているので、無理も無い。
日が昇ってから沈むまで、街中では救急車のサイレンが鳴り響いている。

今日、用事があって、郊外の総合病院へ行ったら、入口受付。
戸外で労働していると思しき作業着の男性が、駆けこんで来た。
息せき切って、受付の女性事務員に告げたのは、
「すんません、同僚が熱中症みたいなんで、連れて来たんすけど」
作業中に同僚が体調を崩してしまったらしく、車で即座に搬送して来たらしい。
いくら、暑さに強いと言われる群馬県人でも、最近の暑さは殺人的である。

杉田久女に、こんな句がある。

かくらんに町医ひた待つ草家かな (久女)

郊外の「草家」にあって、熱中症の症状で倒れた人の傍らにいる。
先程、連絡した町医者の到着を、今や遅しとひたすらに待っていると言う情景が浮かぶ。
現代では、携帯電話で救急車をすぐに呼べるし、先の病院の光景のように、
相当な山間部でなければ、車ですぐに病院へ搬送できる。

それを容易にできないのが、一人暮らしのお年寄り。
折からの節電で、冷房を付けずに高温多湿の室内に居て、
熱中症で倒れる、と言うケースが増えていると言う。
銭湯みたいな場所で、近所の各世代の方々が、
お年寄りと触れ合えれば良いのだが、中々、そう簡単にもいかない。
簡単にもいかないので、せめて、ここに書く事くらいしか、出来ないが、
久女の句の様な状況になる事だけは、注意しよう。

【天候】
終日、猛暑日。
暑さ甚だ、苛烈。

1318声 短詩民族

2011年08月10日

いま、一冊の本を読んでいる。
A4サイズで電話帳の如く分厚い、この本の名は、「短歌俳句川柳101年」と言う。
表紙には、「新潮・10月臨時増刊」と書いてあり、奥付の発行を確認すると、
平成5(1993)年10月30日と記載されている。
今日の帰りがけ、この本を古本屋の棚で見つけ、衝動買いしてきた。

内容は、短歌、俳句、川柳。
この三つの短詩型に於いて、「一年一句歌集」の原則の下、
1892年から1992年の100年間で、303句歌集を選出してある。
つまり、その年、短詩界で話題になった作品集が取り上げられているのである。
1892(明治5)年の短歌部門は樋口一葉から始まり、1992(平成5)年の坂井修一で終わる。
同じく俳句部門は、幸田露伴から始まり、田中裕明の「櫻姫譚」で終わる。
川柳部門は、明治時代の滑稽文の書き手、骨川道人(こっぴどうにん)選の川柳から始まり、
倉元朝世の「あざみ通信」で終わると言う、日本短詩界の壮大な系譜が描かれている。

この様な短詩に興味の無い読者諸氏は、ここまでの文章の漢字の多さに、
早々とうんざりしていると思う。
では、ここから、気になった年の実作を幾つか挙げて、紹介しようと思う。
一通り見ていて、やはり、明治の頃の短詩が興味深い。
何だか江戸の雰囲気を残しつつ、文明開化の色も強く出ている。
文芸は世相を反映するので、後の大正昭和と言う激動の時代の前の、
駘蕩としているけれども芳醇、そんな文化的で粋な歌や句が見られる。
中でも、ひとつ、20世紀の始まった年、1901(明治34)年を取り上げて見よう。

短歌部門は、教科書でも御馴染の、与謝野晶子の「みだれ髪」である。

くろ髪の千すぢの髪のみだれ髪かつおもひみだれおもひみだるる
むねの清水あふれてつひに濁りけり君の罪の子我も罪の子
清水へ祇園をよぎる櫻月夜こよひ逢ふ人みなうつくしき

など、短歌好きならずとも、人々に膾炙した歌が多くある。
そして、俳句分門は、新聞「日本」で正岡子規に師事した、
佐藤紅緑の「滑稽俳句集」である。

雛を見に行けば婆アが出たりけり
宗匠の顔に嘔吐はけほととぎす
朝寒ぢや夜寒ぢや秋はくるるのぢや

など、自由奔放なおかしみを持った句が、精力的に読まれている。
最後に、川柳部門。
この部門が一番、当世を反映しているかも知れない。
当時、博文館より発行されていた文芸雑誌「文芸倶楽部」の、
読者投稿欄に掲載された句が紹介されている。
選者は、田村松魚と三宅青軒。

女房に白髪抜かせて妾宅へ
若武者を望んで後家は白髪染
髪結の癖に世間の噂ゆひ

など、短歌とは一線を画す艶っぽさと、俳句よりも大衆的な面白味がある。
なんだか、どれも落語的な印象を受ける。
短詩と日本人と言うのは、とても密接な関係を持ちながら、
現代まで受け継がれて来た事が分かる。
1922(大正11)年なんて、宮澤賢治、渡邊水巴、田中美津木である。
それを上げれば切りが無いが、ひとつ、ゆるぎなき事実。
私たちが、短詩(大好き)民族と言う事は間違いない。

【天候】
終日、苛烈な猛暑日。
熱帯夜。

1317声 主夫との会食

2011年08月09日

今日の昼下がり。
ファミリーレストランで、主婦と一緒に食事をしていた。
などと書くと、いささか艶っぽいのだが、主婦ではなく、主夫なのである。

二年前から主夫となった彼は、同時に大学生になった。
年嵩はわたしよりも大分上だが、学生になった為か、最近、随分と若々しい。
子育てに精を出す主夫と、群馬県外の大学へ通う大学生と言う、二足の草鞋を履いて、
日々奔走している。
八月の現在は、丁度、夏休みの時期。
「じゃあ」てぇんで、今日、彼と久しぶりに食事に出掛けた。
「赤ちゃんを預けてから」、来ると言う彼に、私の知らない、未知の世界を思う。

二人目が出来たと言う彼の笑顔からは、幸せがこぼれ落ちていた。
子育ての事、主夫としての生活の事、学生生活の事、将来の事。
全てが、前向きな明るい話である。
彼には、私が普段、触れ合っている、モノを創っている人たち、
所謂、「表現者」が持っている「陰」が、全くなかった。
その「陰」に、魅かれる部分もあるのだが、やはり、「光」の方を向いていた方が良い。
とも、一寸、彼を見ていて、思った。

「最高に楽しい事はないけど、最高に幸せです」
彼は、現在の主夫としての生活を、一言でそう述べた。
私は、気の抜けたコーラのグラスを弄びつつ、何度も浅く、頷いていた。

【天候】
終日、猛暑日。
熱帯夜。

1316声 鼻の鉄板

2011年08月08日

「鉄板」
と言っても、別にお好み焼きを食べる訳でもなく、
話としての鉄板である。
テレビのお笑い番組などでよく聞く俗語で、
「確実な」と言った意味合いがある。
つまり、「鉄板ギャグ」と言えば、「確実な(率で笑いのとれる)ギャグ」と言う事になる。

鉄板な話。
最近の私のそれは、もっぱら「鼻の話」であった。
今年の春先に、夜道を自転車で走行中、電柱に激突して鼻の骨を折った。
と言う内容を軸とした、とても分別ある三十歳前後の男性の行動とは思えない様な、
アホらしい話、なのである。
初対面の方が多く、砕けた雰囲気の酒席などでは、真っ先に打席に立たせる。

それも立秋を過ぎて、日増しに秋めいてくる今日この頃。
使い込み過ぎて、鉄板もどうやら焦げ付いてきた様子。
と言うのは、聞いている人たちの表情で分かる。
自分に近しい人たちは、露骨に「またか」と言う呆れた表情を出すから。
今回得た鼻の話は、中々厚い鉄板だったようで、意外と「もち」がよかった。
少し磨けば、また、使える一品であると、使っている本人が密かに思っている。

私などは、その鉄板を商売に使っている訳ではないので、
手頃な物が一つ二つ有れば事足りる。
しかしながら、凝り性な性分の為か、他の人が良い鉄板持っていたりすると、
自分も、玄人好みの、もっと厚い鉄板を手に入れたくなってしまう。
そうなったら、今度は鼻の骨くらいでは済まないだろう。
鼻が治るまで、痛い思いをさんざんしたので、
今少し、この「鼻の」鉄板を使っていようかしら。

【天候】
日中、猛暑日。
今年は遅かった蝉も、ようやく派手に鳴き出した。
夕立有り。

1315声 現代の粋

2011年08月07日

最後のチケットを切り終えると、会場から、早くも笑い声。
どうやら、前座さんが登場し、会場を沸かせている模様。
急いで、集計を済ませ、ホール脇からこそこそと自分の席へ潜り込んだ。

昨日、前橋テルサホールで、「第三回若手落語家選手権」が開催された。
出演は、古今亭菊六さん、三遊亭時松さん、三笑亭夢吉さん、
立川志の春さん、三遊亭鳳笑さんの五名。
観覧客からの投票でグランプリが決定すると言う、
観覧客参加型のホール寄席なのである。

接戦かつ激戦の結果、優勝は古今亭菊六さん。
準優勝は三笑亭夢吉さんと、相成った。
全員二つ目さんだが、恐るべき才能の煌めきを感じさせられた。
二つ目さん、と言うと、およそ三十代前後から三十代後半の方が多い。
ほぼ、自分と同世代。
しかしそこは、芸の道に生きる身。
その言葉、挙措のひとつひとつから、所謂人間的な「深み」を、体感させられた。

「心折れますよ」
その言葉が印象残っている。
「高座にいると、お客さんが良く見える。寝てるとか欠伸したとか、頭を掻いたとか、
そんな些細な事で、はじめのうちは、心折れる。五年、いや十年はかかるでしょうな、
まず心が折れなくなるまでに」
ビールジョッキを握りながら、その落語家さんはふと、真剣な顔になって、話してくれた。
その後は、ジョッキを飲み干して、清々しく破顔一笑。
さらりと言えるところが、粋だよな。

【天候】
日中、晴れて真夏日。
夕立が夜半まで降り続いた。

1314声 都市生活者と祭り

2011年08月06日

祭半纏の衆が引っ張って行く、華やかな山車が運行している中央銀座を通って、
俳句仲間のお店へ。
去年の高崎まつりは雨降りだったので、少しくらい曇っていても、
今年は天気に恵まれたと言うべきであろう。
人づてに聞いていたように、今年はやはり露店の数が少ない。
店内で浴衣を試着させてもらったり、ひとしきり雑談した後、
展示してあった木工作家吉沢さん製作の、ぐい飲みをひとつ買ってきた。
杉の木に紅い漆が塗られており、とても綺麗である。
今後、漆の色の経年変化が楽しみである。

友人知人のお店などを回って、帰路に着いた。
「焼き茄子みるくブルーベリーかき氷」
と言う、完全に「わるのり」な面白いかき氷を、すもの食堂で食べた。
そうやって、食を楽しみながら涼をとる。
かき氷ひとつで、「面白い」が得られるのだから、やはり、面白い。

祭りの時期になると、祭と共に生活がある、都市生活者が羨ましく思える。
郊外に住む私などは、高崎の祭りも花火も、いささか蚊帳の外に置かれている感がある。
地区の祭りはあり伝統は受け継がれているのだが、
やはり住んでいる市区町村最大規模の祭りに、参加したい気持ちはある。

いまは、夕暮時。
あと少しで夕立の来そうな厚い雲の裏に、かすかに茜色が見える。
これから、やはり郊外にある馴染みの店へ出掛け、麦酒でも飲んでこようと思う。
昨日が八木節祭りの熱狂の最中で飲んでいた酒だったので、
今日は、祭りの話を肴に、ゆっくりやるのもいいだろう。

色街に子供の遊ぶ祭りかな  (諒一)

と、こう言う光景が、郊外には無いんだ。

【天候】
終日、曇りがちなる晴れ。
夕立、ひとしきり。

1313声 八木節祭当日

2011年08月05日

ビルの上のビアガーデン。
その屋上から、夕暮の桐生の街を一望していた。
夜よりも深い色に染まって行く、山並み。
桐生競艇場の、煌々とした灯り。
駅から出てゆく、短い電車。
そして、真下に広がる街中。
目抜き通りである、本町通りでは交差点ごとに櫓を囲んで、
熱狂の八木節音頭。

高崎の仲間と合流し、屋上の夜風に吹かれつつ、麦酒で乾杯。
浴衣で立ち働く店員のお姉さんも、つまみも麦酒も、
そして、街に鳴り響いている八木節も、変わっていない。
昨年から、一年経っている事を踏まえて、そう感じた。
桐生の街に住む、お年寄りも子供も、共有している八木節は、
変わらないのであろう。

ひとしきり、飲んだところで、ビル屋上から降りて、本町五丁目の櫓へ。
踊りが、思い出せるかいささか不安だったが、15分も踊りの輪を見ていれば、
頭で考えるよりも、体が思い出した。
二時間くらいは、休み休みであるが、踊った。
仲間はみな、滝の汗。
麦酒を飲んで踊っては、また滝の汗。

いつもの事ながら、終電へ飛び乗り、帰路へと着いた。
スナックのママ、銭湯の親父さん、その他、知り合いの方々への挨拶も、
満足に出来ぬまま、電車は進む。

本町通りの人ごみの中で、偶然遭った、銭湯の親父さん。
一人で、黙々と、ゴミ拾いをしていらした。
ビニール袋に散らかされた缶ゴミを入れつつ、
縁石に腰掛けていた、金髪の青年三人に向かって言う。
「綺麗になるとさ、きもちいいだろ」
「そーっすよね」
大分酔っているらしい青年たちは、うすら笑いを浮かべつつ、
腰を上げて雑踏の流れへ向かった。
腰をかがめて黙々と、道路を歩いて行く親父さんの後姿を見ていて、
冷水を浴びせられた様に、胸に響いた。
親父さんの居る桐生の街は、素晴らしいと思った。

自分の血の中に、八木節の音頭が染み込んで行く、感覚。
その土地の湯へ浸かって、その土地の酒を飲んで、
その土地の音頭に身を委ねる。
理屈ではない、この面白味。

【天候】
終日、曇りがちなる晴れ。
各地域で、一部夕立。

1312声 八木節祭前夜

2011年08月05日

いまからもう、胸の奥底にある埋火が、チロチロと燃えている様な感がある。
明日の夜はおそらく、その火に八木節と言う音頭が放り込まれ、
業火となって燃えている。

明日の8月5日から三日間に亘って開催されるのが、「桐生八木節祭り」である。
今年で第48回を数える、伝統的な祭りであるが、その熱気は県内随一であろう。
目抜き通りの、「本町通り」に櫓を立てて、ひたすら八木節を輪になって踊る。
特に、午後7時からは、人出も熱気も最高潮に達し、まさにトランス状態となった大きな渦が、
八木節のステップを踏んでいると言う状況。
その輪の中へ、身を投ずる。
と言うのが、我が人生の一つの生きがいとなっている。

おばあちゃん、なのである、あるいはおじいちゃん、でもよい。
どこにでもいる様な、腰の曲がった人の良さそうな。
そのお年寄りが、祭りの半被にねじり鉢巻きをして、
覚束ない足取りで、撥を懐に、櫓に上がって来る。
音頭が始まると、太鼓を叩きながら調子を取って、マイクに向かって謡う。
「はぁ~あ~ぁ~あぁあ~あ~」と言う謡い出しで、胸の底がざわめく。
その節廻し、声量、声質、そして、醸し出ている堂々とした雰囲気。
その全てが、私を魅了する。

【天候】
終日、曇りがちなる晴れ。

1311声 三面鏡の天瓜粉

2011年08月03日

ベビーパウダー。
日本で言えば、天瓜粉(てんかふん)がそれに当たる。
俳句では夏の季題であるが、瓜の粉と書くくらいだから、
その原料は、やはり、黄烏瓜の澱粉を用いて製造されている。

あせも防止の為に、現在でも幼児のいる家庭では欠かせない物だろう。
先日も、知人宅へ行った際、風呂から上がった赤ちゃんに、パタパタとはたいていた。
それがベビーパウダーでなく、天瓜粉だと分かったのは、あの匂いの為。

あれは、小学校一年生くらいだろうか。
夏休みには必ず、祖父母の家へ泊まりに行った。
一日、遊び疲れて夕暮。
風呂から上がると、祖母はかならず、私を風通りの良い縁側へ連れて行き、
天瓜粉をはたいてくれた。
白い粉に包まれると同時に、あの天瓜粉の乾いた花のような香りに、包まれる。
脳裏に浮かぶその映像はいつも、日暮し蝉の鳴いている、晩夏の夜である。

その祖母はいま、病院で夏を過している。
あれから二十年以上経った今も、祖母の家の仏間には、
天瓜粉の入っていた三面鏡が置いてある。
夏が過ぎても、祖母は家に戻って来れなそう。
そんなことは、万に一つも無いのだけれど。
なんだか、あの三面鏡の引出しの中には、まだ。
あの天瓜粉の缶が、入っている気がしてならない。

【天候】
終日、曇り。
高崎市では雨は降らなかったが、
隣の埼玉県ではゲリラ豪雨があったらしい。

1310声 藁蒸せば牛肉

2011年08月02日

国産牛肉が、おぼついていない。
先日、放射性セシウムを含む稲わらを食べていた牛の肉から、
基準値を上回る、放射性セシウムが検出された。
これを受けて、いま東日本を中心とする各県では、 
放射性物質の全頭検査が進められている。

私などは疎いので、牛肉の産地など気にせずに、日々の食生活を送っている。
しかし、子供のいる家庭や食の安全性に過敏な方は、相当、衝撃を受けている様子。
幼子のいる友人の家庭でも、飲料水から野菜に始まり、今度は食肉と、
日々の食事に神経をすり減らしている。
いささか気の毒に思うが、子供の方が影響を受けやすい。
と言う一般常識に基づき、実直に、親としての勤めを果たしているのである。

百鬼園先生に「「養生訓」と言う随筆がある。
その中の一説に、こんな話がある。
体調が芳しくない百鬼園先生が、かかりつけである小林博士に、
日常の養生法を申し渡される。
その中、食べてはいけないものに、好物である牛肉が入っていた。
これが面白くなかった、百鬼園先生。
「牛は冬の間は藁しか食ってゐない。牛の本質は藁である。
藁を体内に入れて蒸すと牛肉になる。」
「藁が肝臓に悪いと言ふのは可笑しい」などと、独自の理論を展開。
家庭内で、牛肉のすき焼きの事を「藁鍋」と言う事に決めてしまって、
しきりに、牛肉、いや藁を食べてしまうと言うのである。

この偏屈っぷりが、百鬼園節なのだが、先日のこのセシウム牛の報道を目にして、
案外、この百鬼園理論は的を得ているかも知れないと、思い直した。
「藁を体内に入れて蒸すと牛肉になる。」
と言う表現のまま、藁に付着していた放射性セシウムが、肉になってしまったのだから。
食の安全性について、混迷を極めている、現在。
もし百鬼園先生だったら、この状況下で、どんな偏屈な理論を打ち立てて、
牛肉を食べようとしているであろうか。

【天候】
終日、曇り。
朝晩涼しく、過ごしやすい。

1309声 詩の現場

2011年08月01日

「詩の国」
などと言う大袈裟な表現も、確信を持って使えるくらい、その実感を得ている。
先月は、自分が定例で参加している句会に、突発的な句会。
そして、ジョウモウ大学の句会と、様々な場所と状況で、俳句に親しんだ。
どの場所でも、様々な方々と、俳句を通して触れ合う事が出来た。

そこで感じたのは、「なんと、詩人予備軍の多い事か」、と言う事。
例えば、先日、ジョウモウ大学の授業の一環で行った句会。
参加してくれた方々は、概ね全員、生まれて初めて「句会」と言う形式で俳句を発表した。
「有季定型」
と言う情報だけで、実に多彩な句が揃った。
中には、無意識に、「省略」や「切れ字」などの技巧が利いている句も見られ、
眠れる「詩」の才の片鱗が見られた。
初めて季語を捉える感性が、新鮮な句を沢山生んだ。

そして、一番最近では、昨日参加した、句会。
私は初めてお会いする方の句を、特選に頂いた。
その方は、主に「投句」だけの俳句活動をされているとおっしゃっていたが、
見事な写生句を作っていらした。

群馬県内の、都市部へ行こうが、どんな山深い村へ行こうが、
そこには必ず「詩」に親しんでいる方がいる。
小さな村の広報誌にも、俳句コーナーがあったりするのが、その顕著な例である。
群馬県に留まらず、日本全国津々浦々、遠い海の島へ行っても、
必ず、その土地の「詩」があるだろう。
この状況はもはや、詩の国と言っても過言ではない。
それらの詩を、何か大きな網で掬いあげたら、素晴らしいものが獲れそう。
例えば、昭和初期にあった虚子選の「日本新名勝俳句」みたいな。
その時の応募投句数は、十万句を越えた。
様々な後日談が言われているが、今なお語り継がれている、
所謂「名句」も多数生まれた。
それからかれこれ、約80年。
詩は今尚、生まれ続けている。

【天候】
終日、曇り。
朝晩は涼しく、過ごしやすい一日。
夜には、小さく虫の音。

1308声 蓮池の侵入者

2011年07月31日

目が覚めた。
とても、うるさくて。
ガリガリと、暗がりでらうるさく振動している物の方へ手を伸ばし、
その震源物を掴んで、ボタンを押す。
寝ぼけ眼で耳へ当てると、落ち着きを取り戻した携帯電話からは、聞き覚えのある声。
いい加減な返事を重ねて会話を終え、一息つく。
しばらくして、ようやく状況が呑み込めた。

今朝。
蓮の花でひとつ俳句でも、と言う句会があった事を思い出した。
「蓮の花」であるから、その咲き始めを見ようとすれば、当然、早朝と言う事になる。
句会の披講者いないので、「是非、来い」と、主催者に言われていたのであった。
早朝なので、気が重たく、参加の返事を伸ばし伸ばしにしていたら、今朝になってしまった。
しかし、いま起きてしまったらのだから、仕様が無い。
句帳と歳時記をポケットに押し込んで、しぶしぶドアを開けて一歩踏み出した。

早朝の道路は、すれ違う車など無く、かつまた、朝の涼しい空気が流れていて、とても心地好い。
窓を全開にして車を駆って行くと、徐々に、脳内も覚醒してきた。
前橋市の外れにある現地へ着いて、参加者一同に挨拶。
用水路と田の畔道を歩き、吟行地である一枚の蓮池へ到着した。
着くと、既に先生は到着していて、蓮池を前に腕を組んで立っていた。
朝の光と、蓮池の華やぎの中、なんだか仏教的な荘厳な印象であった。
それを句にすると怒られそうなので、仏像、いや、先生へ挨拶し、
蓮池の周りを小一時間ばかり吟行した。
蓮池を歩き回っている人間が、どうにも蓮の世界への侵入者の如く見えた。

主催の家へ戻り、朝食後に句会。
今回は、初めて俳句を詠む方や、初めて会う女流俳人の方も二人参加されており、
とても新鮮な句が見られた。
自分自身に於いても、早朝から句作する事など、泊りがけで吟行にでも行かない限り、
日常生活の中では、滅多に無い。
なので、清々しい朝の光の中で、俳句を作る事自体が、ちと新鮮だった。

句の出来はまずまずだったが、蓮池の中で朝の空気が吸えただけでも、
とても満たされた気持ちになった。
朝日に照らされて咲き初む蓮の花は、なんとも清浄な雰囲気を感じさせる、
綺麗な淡い色合いであった。
しぶしぶ家を出て来た気持ちを一転させ、帰る頃には、「吟行は朝に限る」なんて思っていた。
蓮の花が咲いて、浮世の街もどうやら今日の活動を始めた気配。

【天候】
朝より小雨混じりの曇り。
終日、曇りがちで過ごしやすい気候。

1307声 湯屋の納涼祭

2011年07月30日

納涼祭へ行ってきた。
それは、町内会や地元企業主催ものではなく、
一軒の銭湯が主催する納涼祭、なのである。

桐生市にある三吉湯では、ここ数年、納涼祭を開催し、
街の賑わいを創造している。
店先と往来の間に、テーブルとタラップを設置し、
そこでビールを飲んだり、食事を食べたりしながら、憩う。
食事処のある三吉湯なので、料理はいわゆる縁日のそれよりも、
遥かに本格的な品揃え。
地元の民謡に、地元出身の歌手の曲が、次々BGMとしてかかっているのも、
なんだか、微笑ましい。

その中で、やはり一際元気なのは、夏休みの子供達。
友達と連れ立って、みな自発的に手伝いをしたり、かき氷機を回したり、
その身体から楽しさが零れ落ちんばかりに、はつらつと活動していた。
お兄ちゃんは、妹にラムネを買ってあげたり、
弟はお姉ちゃんに、くじ引きをねだったり。
「この光景、何処かで見た事が…」
などと考えていたら、何の事は無い、昔、路地裏にあった駄菓子屋の光景なのである。

銭湯を中心として、街のみんなが集まる。
街の「みんな」が、なのである。
大人も子供も、御隠居さんも与太郎も、熊さんも八っつあんも。
この人間模様が、銭湯なんだと、子供たちと一緒にラムネを飲んでいて、改めて感じた。
あの子供たちは、きっと大きくなってから、また三吉湯に来るであろう。
学生になってからか、社会人になってからか、はたまた、自分の子供と一緒にか。
桐生の街には、そう言う、良い文化が残っている。
三吉湯を辞してから、周辺の何軒かの銭湯へ伺って、帰路へ着いた。
炎天下、汗だくになりながら、ランニングシャツ一枚で薪を燃している銭湯の親父さんたち。
湯船に浸かっていながら、本当に、頭が下がる。

【天候】
朝より一時強く降る雨。
午後には回復し、その後、雲多くも晴れ。

1306声 夏の終わりの色

2011年07月29日

午前零時の手前。
いま、夏の雨が降っている。
遠くに蛙が鳴いているが、吹き来る夜風は、
そこはかとなく秋の涼しさを感じさせる。
涼しさ、だけでなく、雨の匂いが、もう夏のものではない。

昨日の句会では、題詠の季題の中に、「秋近し」だとか、「晩夏」などがあり、
夏の終わりを否応なしに考えねばならなかった。
しかし、夏休みである巷の学生たちは、七月最終週の今時期は、
もう、有頂天の時期であろう。
まだ、これから来る八月の夏時間をたっぷり浪費できる、と言う、余裕と期待。
「夏惜しむ」
なんて気持は、胸の中のどこを探してもなかろう。

とは言っても、それは陰暦の事で、八月八日の立秋を過ぎても、
まだ日中は炎天が続いているので、実生活ではまだまだ、夏を感じている。
八月に入ってから、祭りや花火などの句を、これから大いに作るつもり。
そうなのである。
八月と言えば、祭りの時期ではないか。
第一週から口火を切り、日本列島では毎週、其処此処の街で、祭り囃子が鳴り響き、
花火が上がっていると言う季節。
一戸の家庭も然りで、夕涼みにバケツを出して、風鈴の音を聞きながら、
輪になって手花火をやっている家庭。
そんな純和風の模範になるような家庭が、まだあるだろうか。
夏の終わり。
に色があるならば、あの線香花火の淡い赤光が相応しいと思う。

【天候】
日中、曇りがちなる晴れ。
夕方は大雨洪水警報が出て、ゲリラ豪雨や夕立有り。
その後、断続的に夜半まで降り続く。

1305声 生活の韻律

2011年07月28日

「なんと心地好い事」
てぇのは、ふと、自由律で俳句を詠んでみたときに思う。
私は普段、概ね定型、即ち五・七・五と言う規則に則って、句作している。
「有季定型」と言う事を、俳句の入門書でも、俳句の教室でも、
口を酸っぱくして説いている。
私もそれに、大いに賛成し、その韻律の美しさに感動している。
だからこそ、この世界のあまねく光を、闇を、俳句にして見たいと思った。

則る事も素晴らしいが、則らない事もまた素晴らしい、と思う。
私の高校時分の友人に、無遅刻無欠席で一学年を終えた者と、
遅刻欠席常習の者とがいた。
当然、所謂、「評価」は前者の方に分があるのだが、
生活の魅力は、断然、後者の方にある。

「何してたの」
と思わず聞いてしまったのは、彼が五限の授業が終わってから、
つまり、もう一日の授業が終わってから登校して来たから。
その時間に来ても、当然、出席扱いにならず欠席と言う事になる。
それならば、いっそ、欠席した方が得策。
と言う事は、高校生にもなれば、誰でも分かりそうな事である。

「寝坊して、公園でパンを食って、昼寝してから来た」
その自由律な生活スタイルに、聞いていて呆れてしまったが、
「平日の昼間、公園で昼寝」と言う未知の世界に、大きく心を動かされた。
高校生活を定型で生活していた私は、それから一寸、
定型をはみ出して見たりした。
しかし、流石に昼寝の彼の様には行かなかった。

彼の見たであろう、平日の午後二時の、人気の無い公園の、風のきらめき。
教室の窓の景ではなく、たまに、そんな世界に足を踏み入れたって、良いじゃないか。
昼寝の彼だって、一緒に高校を卒業できた。
ふと彼を思いだして、もし彼が俳人だったら、自由律で詠んでいるだろうなと、思った。

【気候】
朝より曇りがちなる晴れ。
夕方より雨、夜半には上がる。