日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和8年度は4月(坂)5月(ぬ)6月(岡)7月(す)8月(堀)9月(坂)10月(ぬ)11月(岡)12月(す)1月(堀)2月(坂)3月(ぬ)の順です。

1268声 のっぴきならない季節

2011年06月21日

夏めく。
梅雨の中休みとなった今日は、まさにそんな陽気だった。
こうなって来ると、毎年懸念されるのが、巷で出くわす「昼麦酒」である。

群馬県内は気温30℃を越える、夏日。
湿度が高く、べたべたと、纏わり付く様な不快な暑さである。
そんな折、昼食で涼を取ろうと、道すがらの蕎麦屋に入った。
ほぼ満席の店内で、案内された相席のテーブルに着く。
向かいは、勤め人風ではない、カジュアルな格好のおやっさん。

ざる蕎麦を注文し、おしぼりで顔を拭う。
おしぼりから、視線を移すと、向かいのおやっさんの前。
今し方運ばれて来た、良く冷えた瓶麦酒が一本と、
おそらく、揚げたてであろう、カラリとした天麩羅盛り合わせ。

浅くくびれた、小さなグラスに、「トクトクトク」と、黄金色の麦酒を注いで行く。
みるみるグラスに生まれてゆく、細かい水滴。
純白な泡の、グラスから毀れ落ちぬ弾力。
それを、一気に飲む。
おやっさんの喉ぼとけが、ゆっくりと大きく上下する。
グラスを置く、注ぐ、また飲んで、天ぷらに箸を伸ばす。

拷問である、もはや。
こしの無い蕎麦をすすりながら、ひたすら、心頭滅却することに徹する。
もう蕎麦の味など、どうでもよくなって、伝票を鷲掴んで、
逃げ出す様に席を立つ。

レジで会計を済ませ、一安心。
と思いきや、目に入ったのは、レジの後ろに貼ってある、
一枚の色褪せたポスター。
若い女性モデルが、砂浜でキンキンに冷えていると思しき、
ビールジョッキを持って、こちらに微笑んでいる。
放心状態で、ポスターに見とれていると、
女将さんが邪魔くさそうに、私の前を横切る。

冷蔵庫から出した瓶麦酒を、机の上に置いた。
置かれた席には、空の瓶麦酒が一本と、
海老の天に齧り付いている、おやっさん。
今年もいよいよ、麦酒愛好者にとっては、
のっぴきならない季節の到来である。

【天候】
梅雨の中休みで、真夏日。
雲多く、晴れ間は少ないが、蒸し暑さ甚だし。

1267声 禍が転じる文化

2011年06月20日

一年間の半分の降雨量が、およそ十日間で観測された。
と言う、十八年ぶりとなる、記録的な豪雨。
九州を中心とした、西日本で、今尚、降り続いている。
そこで懸念されているのが、これから梅雨入りを迎える、東北地方。
長雨が続くと、その年は冷夏になってしまう。
かと言って、電力需給を考えれば、暑くなるのも歓迎しがたい。
低温無事、いや、平穏無事に今年を暮らせればよいと思うが、
2011年と言う、この不気味なピンゾロの年の目。
しかし、後半戦。
禍を転じて福となせる筈である。

「銭湯」
と言われると、関東地方に住む私たちの中では、
寺社仏閣のように荘厳な外観を思い浮かべる人が、多いだろう。
これは所謂「東京型」の銭湯で、関東大震災の復興時期から、
昭和の中期くらいまでにその多くが建てられた。
まさに、震災が生んだ文化と言っても過言ではない。

「禍を転じて文化となす」
今回の震災だって、転じて生まれて来る文化が、多くある筈である。
それは、必ず東北地方、特に被災地の、財産になる。
その文化を転じて、福となせる。
さて、まずは、今年。

【天候】
終日、曇天。
蒸し暑さ甚だしく、寝苦しい。
蛍が、よく飛びそうである。

1266声 ジョウモウ大学オープンキャンパス

2011年06月19日

「オープンキャンパス」
学生生活が遠い昔になってしまった身としては、
とても懐かしい言葉である。
最も、不真面目な私は、学生時分も、
オープンキャンパスなど一校も行った事が無かった。
その、自身初となるオープンキャンパスに、昨日、参加する機会を得た。

その学校の名は、「ジョウモウ大学」と言う。
校舎があって、そこへ通う。
と言う形ではなく、寺や公民館や街中のカフェなど、
その授業毎に教室を変えて、授業が開催される。
入学金や授業料は一切なく、誰でも生徒になれて、
誰でも先生になれるのである。

今回のオープンキャンパスは、高崎の街中にある、
商業ビルの一階で行われた。
およそ三時間の授業だったが、時間の経過を忘れるくらい、
授業に集中できた。
年代性別も多様、一番下は現役の大学生の諸氏も参加していた。
「群馬を世界に自慢したくなる街に。」
と言う、この大学のコンセプトを軸に、対話型の授業を進めて行く。
この空間はいま、貴重な世代間交流の場であり、
それだけでも大いに意義のある事だと感じた。

「楽しい学問」
オープンキャンパスを終え、そんな事を思った。
成績順に評価を受けるのでなく、面白かったら拍手を送る。
拍手の鳴り響いていた教室に、
面白い群馬の未来が見えた気がした。
学長の橋爪さんは言う。
「この街の生活の中に、普通に、根付いている場になれば」

何だか、新しい友達が増えたような、好きな人ができたような。
そんな、ワクワク感が生まれている。
「ワクワク感」こそ、世界に自慢したくなる、と言う重要な動機だと思う。
七月二十三日土曜日。
ジョウモウ大学は開校する。

【天候】
終日、曇り。
蒸し暑く、梅雨らしい天気。

1265声 あと一杯

2011年06月18日

「さて」
と、何回言っただろうか。
遅刻の予感がする、午後一時半。
集合時間は三時。
とすると、いま直ぐ家を出なければならない。
どうにも、この梅雨時は、出掛けるのが億劫になる。

尚且つ、蛙がきしりに鳴いていると言う事は、
天気が下り坂な予兆。
自転車で出かけようと思っているので、
これも、出掛ける足を重たくしている原因のひとつ。

取り立てて、何と言う事はない、土曜日の午後。
気付けば、庭の山帽子の花は全て散っていた。
その周りを、山帽子の花の様な夏の蝶が、元気よく飛んでいる。
さて、あと一杯珈琲を飲んだら、出掛けよう。

【天候】
終日、曇天。
午後から下り坂。

1264声 句の風味

2011年06月17日

金曜日の晩酌。
と言うのは、土日を控えた解放感から、少々度を過ぎて飲んでしまう。
それでも、外で嗜むよりも随分と、安上がりである。
家に居る安心感から、酔いの回りも驚くほどはやい。
只、難点があるとすれば、いくら飲んでも、面白くも可笑しくもないところ。
ギャグを思い付いたところで、それを発表する場が無いのが、
つらいところである。

最近は、などと、酔った上の身の上話。
聞かされる方はたまったものではないが、
聞かせようとしている方は、心地好いので、いま、そのまま続けよう。
最近は、気になった作家の句集を手に入れて、乱読している。
以前は、随筆、小説などの類が多かった。
しかし、最近ことに、俳句関連の本、それも、古本屋で買った、
有名俳人とは言えない、半ば無名俳人の句集を読んでいる。

その量が増えているのは、読了する時間にある。
句集は、早い、のである。
例えば詩集であると、一つの詩を読む時、
ご飯を口にした時のように、咀嚼する時間が、多少なりともかかる。
これが句集にになると、まるで、そばかうどんを啜っている様に、
喉を通って行くのである。

俳句は特に短い一行詩であり、概ね、定型であるので、読みやすい。
例え、三百頁の分厚い句集とて、二時間もあれば十分に読了できる。
その早さが、リズムが、とても心地好いのだが、おそろしくもある、と思った。
考えても見れば、喉越しだけよくて、食べ終えてから味わいなど、
思い出せぬ様な、そばやうどん。
そんなように、一冊の句集の中に、味わいの残る句がいくつあるか。

口の中で、もそもそと、喉越しはとても悪いけれど、
風味のある田舎暮うどん。
古本屋の片隅で埃をかぶっている、無名俳人の句集には、
そんな味わい深さもある。

【天候】
朝より雨。
午前中には上がり、夕方には晴れ間も若干。
終日、長袖で丁度好い気候。

1263声 出張している神経

2011年06月16日

「自律神経出張中」

何故だか、そんな言葉を思いついて、
深夜の机に向かって、二ヤリとしてしまった。
まてよ、と思い直して、キーボードを叩いて検索して見たところ、
やはり、約60,800件もの検索結果が表示された。
俳句で言うところの、「類句・類想」であろう。
我が自律神経は失調しているのでなく、少し出張に出ているだけ。
なんてギャグ的発想は、誰しもが考える面白味のないものだった、
と言う訳である。

毎年この、梅雨時期。
自律神経失調症と診断される方や、その症状を訴える方が、
急激に増加する。
と言う内容を、カーラジオで知った。
確かに、お天道様を拝めない日が続いている、最近。
身を持って毎日のだるさを体感している。
特に女性の方が、かかり易い様で、だるさ以外にも、
肩こり、イライラ、不眠に冷え症などの症状が顕著になるらしい。

そう考えると、私の自律神経などは、まだまだ失調とも出張とも言えない。
毎夜、夜更かししているのだから、だるくて当然なのである。
しかし、どうも昨夜の一つの光景が頭から離れぬ。

そこは蛍の沢、である。
闇夜の中、飛び交う蛍を鑑賞していると、畦道の向こうが何だか騒々しい。
やって来たのは、一団体、と言える位の人数。
およそ、三十人くらい。
学生のクラスメイトであろうか、二十代前半くらいの男女が、通り過ぎて行く。
実に騒々しい、が、奥のどんつきまで行って、直ぐに引き返して来た。
私は、無論関せず、蛍の火を凝視しながら句作している。
そこへ、ふわりふわりと、風を掴んだ蛍が、発行しながら飛翔して行く。
集団の最後と思しき、男女の頭上まで来て、その男。
飛び上がって、その青白き蛍火を、右手で鷲掴んでしまった。

「あっ」
と胸中で思った矢先。
手から毀れ落ちた蛍火は、畦道の脇に転がり、
二三回瞬いてから、消えてしまった。
「やべぇ、ほたる、しんじったわ、ははは」
そう言うと、笑い声と共に、男女睦み合いながら、帰って行った。
男女から、蛍が落ちた場所へ、再び目を移すと、
それっきり、濃い闇があるだけだった。

【天候】
終日、曇天。
時に小雨が交じるが、降る、とまではいかなかった。
気温も左程上がらず、長袖でも過ごせた。

1262声 田口町蛍句会

2011年06月15日

一夜明けて、16日記。

「みてみて」
小さな手の中で、息づいている蛍火。
友達二人が覗き込むと、掌からゆったり飛翔して行く蛍。
追いかけて、追いかけて、飛び跳ねながら、追いかけて。
向こうの闇へと、消えてゆく、子供たち。

蛍の沢へ行くと、毎年、こんな光景を見掛ける。
それは、日本全国、どこへ行っても同じだろう。
子供と蛍。
てぇのは、かけがえのない里山の夏風景である。

前橋市のどん詰まり。
と表現すると怒られそうだが、実際にそうなのだから、
殊更、怒られる事を恐れずに、訂正は加えない。
そのどん詰まりの、更に奥の、細道に、一本の沢がある。
毎年ここで、蛍が飛ぶ。
「ホタルの里」
と言う、近隣住民の方々が、手塩にかけて育てた蛍沢、なのである。

ここ数年、毎年出かけては、俳句などを幾つか認めて来るが、
昨日は、近隣の俳人が集い、蛍句会と相なった。
長袖で丁度良いくらいの気温だったので、蛍は飛ぶのだろうかと、
いささか心配した。
しかし、日暮れ時になると、数え数えではあるが、草むらに火が点き始めた。

乱舞。
とまでは行かないが、今年も、幽玄な蛍の火を、鑑賞できた。
慌てて、真っ暗闇の中、当てずっぽうで、ペンを走らせ、句を認める。
他の参加者はみな、携帯電話に句を書き留めている様子。
そんな光景に、時代を感じてしまった。

近所にある主催の家へ戻って来て、十句投句でさて句会。
私は、先生から特選を頂いたものの、まずまずと言った結果。
蛍から授かった様な一句は出来なかった。
「これ、ちょっといい句だろ」
私の背中をのっそり歩いていた猫に、句を書いた短冊をこっそり見せる。
「どれどれ、ふん」
そっけなく首をかしげて、大きなお尻を振りながら、行ってしまった。

句会が終わって、帰る頃には、すっかり夜も底辺り。
蛍の光を全て吸い込んだかのような、大きくて太っちょな満月が浮かんでいた。

【天候】
日中は晴れて蒸し暑し。
夜になると、涼しい風が吹き、長袖で丁度良いくらい。

1261声 パンパンな袋のあんぱん

2011年06月14日

まこと、変わり易い天気の一日だった。
晴れかと思えば、曇ったり。
曇ったかと思ったら、バケツを引っくり返したように、降ったり。

そして、夕暮時。
まるで台風直後に覗いた晴れ間の如く、
山裾から湧き立ってくる、夏雲。
西の空は夕焼けており、東の空には薄い月が昇っている。
蕪村の有名な菜の花の句さながら、幻想的な光景であった。

一雨あった後は、だいぶ気温も下がり、涼やかな風が吹き亘った。
その所為か、今宵は蛙合唱の参加者が、余り集まっていない様子。
静かな晩で良いのだが、我が額に、じんわりと浮き出てる汗。
暑いのでなく、冷や汗、なのである。

「やめときゃいいのに」
などと言っても、後の祭り。
問題は、私がつい先程、食べたあんぱん、なのである。
昨日、コンビニで購入した、何の変哲もないあんぱんでるが、
購入後一日、車の中に置いていた。
言わずもがな、日中の車中と言うのは、温度が著しく上昇している。
生鮮食品などは、量販店から自宅まで持ってくる間に、
傷んでしまうと言う事だって往々にして、ある。

しかしながら、梅雨だし、雨だし、まぁ大丈夫か。
てぇんで、食べてしまった。
賞味期限も未だ一日残っているし、袋の裏には、
30℃までが保存の許容範囲。
とは書いていないが、常温の保存で大丈夫なのである。
一口、二口で、変わりなかったので、ペロリと全部食べてしまった。
封を開ける前、パンだけに、と言うギャグのつもりもないが、
袋がパンパンに膨らんでいるのが、少し気にはなったが。

そして食後小一時間経った今、幻想は儚く打ち砕かれ、
何だか胃を中心とした腹部がおかしい。
「大丈夫、大丈夫」
と胸の内で言い聞かせるのだけれ、冷や汗が浮き出てくる。
「大当たりかな」
などと、最悪の事態を想像しつつ、差し当り、
腹部の異変に気付かないふりを、頑なに決め込んでいる。

【天候】
朝より晴れ、のち曇り、一時的に強く降り、その後また晴れ。
日中は蒸し暑かったが、一雨降った後は、涼しくなった。

1260声 真夜中のゲジ

2011年06月13日

「ぎょわ」
真夜中に呻き声をあげているのは、私、である。
部屋の戸から洩れる光では、よく確認できぬが、たしかにそこに、いる。
壁に貼り付いている、物体の全貌を明らかにしようと、電気のスイッチを押す。
目の前が白らじんで、だんだん慣れてくる視力で確認しようとするが、
何やら、奴さん、音も無く動いては一時停止。
動いては停止、を繰り返している様子。
停止した所で、顔を近づけて凝視すると、それは紛れも無く、
「ゲジゲジ」
であった。

梅雨のこの時期。
ナメクジとゲジゲジが、頻繁に出没する。
雨降りの日が続くと、ナメクジの出現率が高いが、それに伴って、
ゲジゲジも姿を現す。

ナメクジの方は、移動速度が遅いので、何とか余裕を持って対応できる。
しかし、このゲジゲジとなると、移動速度が速いので、
アタフタとうろたえてしまう。
しかも、この長い触覚や不均一な三十本の足が、一斉に蠢くと言う異体。
この奇妙な形を見ると、一瞬、戦意喪失してしまう。

それでも、今宵の安息の為、
「うらみつらみはございませんが、渡世の義理、お命…」
などと、「唐獅子牡丹」のワンシーンを演じていたら、奴さん。
「ツツツツ」っと、洗面台の脇へ入り込んでしまった。

慌てて、どうしたものかと思い、咄嗟に、
その隙間へ大きく息を吹きかけたら、奴さん。
驚いて、出てきやがった。
そこへ、一撃。
ったって、素手で出来る筈も無く、近くにかけてあったタオルを引き抜いて、
それを丸めて、「ドスン」と、奴さんめがけて垂直落下。
勝負あり。
せめて、ささやかな供養をしてやるかと、思った矢先。
丸めた白タオルの脇から、「ツツツツ」と、奴さんが駆け上がって来て、
タオルを鷲掴みにしている手の甲を、登って行くではないか。

またもや、「ぎょわあああ」っと、今度は完全に理性を失って、
タオルを放り投げて、私が遁走。
数分経ってから、洗面所へ戻って見ると、奴さんの姿は無い。
置き去りにされたタオルを摘み上げて見ても、気配すら感じない。
その晩は、部屋の扉を固く閉ざして、そのまま寝てしまった。
そして今晩、そろそろ、洗面所へ行ってみようと思う。

【天候】
朝より曇り。
蒸し暑いが、夕方に一時強い通り雨。
その後は大部、暑さが和らいだ。

1259声 川場村吟行譚

2011年06月12日

第16回を数える、「わるのり俳句ing」の日、であった。
今回は、現地集合なので、「道の駅田園プラザかわば」で、
参加者と待ち合わせ。
顔合わせが済んでら、さて、ここから「渓山荘」へと、移動。

渓山荘は温泉宿なのだが、「初夏の市」と言うイベントが開催されており、
緑滴る庭園で、フリーマーケットが開かれている。
その中を、俳句帳を携えて、吟行。
特に、渓山荘の古風な雰囲気には、とても感動した。
中でも、村内にあった諏訪神社の舞殿を移築した、特別室が凄い。
天井をめぐっている太い梁、広く開放的な部屋。
欄干の下には、錦鯉が優雅に泳ぐ池がある。

「ここで詠めなきゃ、俳人じゃない」
と言う、勇み足気分にならずに済んだのは、今日、
この部屋の中で雑貨などが販売されていたから。
民族調なアジアの雑貨と、この荘厳な部屋の取り合わせ。
とても、刺激的である。

雑貨を買う人。風呂に入る人。飯を食う人。句作に没頭する人。
ひとしきり楽しんで、野山を散歩をしながら、駐車場まで歩く。
次に向かったのは、花の名所として名高い「吉祥寺」である。
今回、事前にこの俳句ingの行程表を見た方は、
川場村から東京の吉祥寺へ行くのだと思ったらしい。
それも面白そうだが、この吉祥寺は、渓山荘から2kmと離れていない。

吉祥寺の山門をくぐると、初夏の花に彩られた美しい境内に、
参加者一同、息を飲んだ。
「これ、なんて言う花ですか」
と言う参加者からの質問に、「俳句の花図鑑」を捲りながら答える。
カキツバタ、セキチク、ユキノシタ、ボタン、様々な初夏の花で、句作。
本堂では、抹茶を飲む事ができ、茶席のいろはが分からない私は、
アタフタと、たじろいでしまった。
まず、箸の持ち方から注意されている始末であったが、
滝の瀬音が涼やかな本堂で、日本庭園を眺めながらの抹茶は、
とても心地好いひと時となった。

足のしびれを残しつつ、吉祥寺を後にし、道の駅へ戻って、句会。
と言う運びだったが、道の駅に付くと、営業時間終了の放送。
急遽、河岸を変えて、沼田市街の焼き肉屋で、句会。
ノンアルコール麦酒を片手に、カリカリと短冊に句を書き進める。
「生中入ります」
と言う店員のお姉さんの掛け声に、一瞬、ペンを止めつつ。

以外にも、と言うのも可笑しいが、以外にも佳句が多く見られ、
中には、この句会の醍醐味となるわるのりな句もあり、楽しい句会となった。
よく食べ、よく詠み、よく遊んだ、満足感かつ充実感ある一日であった。
「自分なりの形で、俳句を活かす」
などと、ノンアルコール麦酒で酔う筈もないが、帰路の途中。
そんな事を考えていた。

【天候】
終日、曇天。
夜半に雨となり、その後、降ったり止んだり。

1258声 紫陽花の色づく頃

2011年06月11日

「歩かないからだよ」
と言う指摘を受けた事を、ふと思い出し、
自宅裏の田圃を小一時間ほど、歩いてみた。

先日から、どうも腰の具合が悪く、
軽いぎっくり腰ではなかろうか、と感じている。
腰が痛くて、散歩に出掛けるなんて、年寄めいているが、
時刻が夜と言う事も有り、気分転換を兼ねて、出掛けた。

生温かい風の吹く外の空気感は、すっかり夏の夜、である。
薄ぼんやりとした闇の中を、懐中電灯片手に歩を進める。
水田一枚ごとから、蛙の声がさんざめいている。
この自宅裏の田圃、と言うのは、何でも先の戦時中は飛行場があったとかで、
広大なのである。
榛名山と赤城山の麓、遠くに爪程の灯を置く。

畦道を進んで行くと、休耕田、と言うか只の草ぼうぼうの空き地に、
ライトを煌々と灯した一台のブルトーザーが、動いている。
けたたましいエンジン音を唸らせ、しきりに、枯蘆や雑草をなぎ倒している。
何だか、獰猛なロボット型の恐竜を思わせ、
その光景は、80年代のSF映画に出てきそうな場面であった。

何の故があって、夜に草をなぎ倒しているのか知らぬが、
なんだか、邪悪な感じがしないでもない。
通り過ぎて、家路を進む。

小一時間も歩いて、腰の痛みは、左程、変わり無いようだが、
涼やかな夜風を受け、気分転換にはなった。
帰り際、庭に紫陽花の咲いている家があった。
街灯に照らされた花は、未だ、色づいていなかった。
祖母の家の庭に、毎年咲く、紫陽花を、ふと思い出した。
あの紫陽花は、もうすぐ色を付ける筈である。
しかし今年の庭に、祖母は居ぬ。
明日は、祖母の居る病院へ、行こうと思った。

横の水田で、百万匹の蛙が大合唱している。
直ぐ足先で、一匹だけ、しきりに低く鳴いている蛙があった。

【天候】
朝より雨。
午前中には上がり、その後は終日曇りで蒸し暑し。
蛍が飛びそうな気候に、なって来た。

1257声 山桑の実

2011年06月10日

昨日、沖縄気象台が、沖縄の梅雨明けを発表した。
昨年より十日も早い。
この調子で行けば、本州の梅雨明けも、例年よりは早くなるだろう。
今年は、暑い夏になりそうである。

我が家の庭では、いま、山帽子の花が最盛を迎えている。
手裏剣を思わせる花の乳白色が、鉛色の梅雨空に映えている。
今時期は、峠道などを走っていても、この山帽子の花が目に付く。
緑滴る景色の中に、爽やかな白色を添えており、とても綺麗である。

この山帽子、別名、「山桑」とも呼ばれている。
秋になると、真っ赤な果実を付け、それが桑の果実に似ているから、である。
この果実。
食用として、生でも食べられる。
好きな人などは、果実酒にしたり、ジャムにしたり、
様々な加工品の材料として、利用している。
街場では売っていないので、里山まで買いに来る人もいるくらいである。

私は、一度も食べた事はない。
その形は、さくらんぼをトゲトゲにしたようであり、
さくらんぼを「善」とすると、間違いなく、「悪」と言う印象である。
摘む人もいないので、秋口になると、庭先に転がっている果実を見掛け、
そこはかとなく、寂しい心持になる。

食べる方は、鳥に任せ、私はもっぱら、紅葉の方を楽しんでいる。
山帽子の紅葉を見るには、これから来る夏を乗り越えねばならぬ。
今は未だ、山帽子の花に涼しい風が通っている。

【天候】
終日、曇天で蒸し暑し。
夜半まで、蛙が景気良く鳴く。

1256声 レスポールの日

2011年06月09日

6月9日の本日は、「ロックの日」と言う事になっいている。
「日本ロックセキュリティ協同組合」が制定した、「施錠」の「ロック」。
ではなくて、ロックンロールの方の「ロック」を、取って、書く事にする。

語呂合わせで、6月9日が、ロックの日となっているが、
その裏には、運命的な史実が結びついている。
「ロック」と言えば、私が即座に思い浮かべるのは、ギターである。
それも、アコースティックで無く、エレキギターの方を取りたい。
そのエレキギターの世界において、概ね、人気を二分しているのが、
「ギブソン社」と「フェンダー社」である。
飲み屋で言うところの、「キリン」か「アサヒ」と言った具合。

ギブソン社が生み出した、発売以降、
このメーカーの代名詞となるギターが、「レスポール」と言う。
この「レスポール」と言うのは、レス・ポールと言うギタリストの名前。
つまり、彼のシグネチャーモデルとして誕生したギターなのである。
それが今日のロック界で、今尚、不朽の名作ギターとして受け継がれている。

ロックの日と、運命的に結び付いているのが、この、レスポールギターである。
その生みの親であり、ロック界では半ば神格化されているレスポール氏の、
誕生日が、これまた、6月9日のロックの日。
まさに、ロックの神に祝福された、ギタリストであり、
生まれるべくして生まれた、ロックなギターなのである。

普段、音楽のジャンルとして、ロックをあまり聞かない人でも、
レスポールギターの、独特のフォルムや、アクの強い音色は、
耳にした事がある筈。
全体的に丸みを帯びた、瓢箪型のボディーに、芯の太い重低音が特徴。
エリック・クラプトンや、キース・リチャーズなどが、まだ若手だった頃、
彼らがこぞって、このレスポールを使用していたので、人気に火が付いた。
レッド・ツェッペリンのジミー・ペイジに憧れ、日本製のコピーモデルを買う。
と言ったロックコースを辿る学生諸氏が、未だに後を絶たない。

日本のロックシーンにおけるギタリストたちも、
このレスポールを自らの代名詞としている人が、多くいる。
鮎川誠、高見沢俊彦、奥田民生などの名前が、直ぐに思い浮かぶ。

ギターはレスポール、アンプはマーシャル。
そのゴールデンコンビさえあれば、純度の高いロックンロールが奏でられる。
今時期で言えば、生麦酒に枝豆と言った具合である。

調子よくここまで書き進めて来たが、私も、ロック好きでありギター趣味のはしくれ。
最後に、言うべき事を言わねばなるまい。
実は、私、昔からフェンダー党なのである。
つまりは、ギブソン社よりも、フェンダー社のギターに愛着がある。
アサヒのスーパードライも好きだが、キリンの一番搾りの方がもっと好き。
てぇ具合に、やはり、音色の好みが、フェンダーギターにある。
しかし、大切な事は、自分とってのロックを表現する為には、
どんなギターが必要か、と言う事である。
ともあれ、今日、レスポールを弾いたら気持好いだろうな。

【天候】
日中、曇天で蒸し暑し。
夕立があり、夜半には蛙が一斉に鳴きだした。

1255声 心は漂泊

2011年06月08日

「あれ、今日何曜日だっけか」
などと、こんな事を人に聞いている様では、
生活が、漫然かつ泰然としている証拠である。
そう言う精神状態てぇのは、とても感受性を麻痺させる。

「最近、何か面白いことあった」
そんな質問を、挨拶代わりに投げかけている人が、よくいる。
そう言う人は、顕著である。
「面白いこと」を感受する機能の低下が。

ふと、都会に住んでいた時分を思いだす。
「ふるさと」と言う言葉に、敏感になっていた。
犀星の「小景異情(その二)」を諳んじていたり、
啄木の「一握の砂」を古本屋で買ってみたり。

そのふるさとに帰って来た、現在。
犀星のノスタルジーにも浸る事もなければ、
一握の砂を読み返す事もない。
「ただ、一さいは過ぎて行きます」
と、太宰の「人間失格」ではないが、そんな調子である。

そんな中にあって、漂泊の心を再び取り戻す、
いや、取り戻そうとする時がある。
俳句を作る時、である。
この文章を書く時、だって、望ましい心持は、
漂泊者の心、だと思う。

それはつまり、
「俳句は、自分の住んでいるところを旅人の目で見ること。
旅に出れば、そこに住む人の目で見ることなんです」
と言うこと。
俳人の飯田龍太は、昭和55年の「太陽(平凡社)」4月号の、
インタビュー記事の一節から引いた。

過ぎてゆく一さいの中から、一つのものを、掬いあげる。
それが、創作と言う行為、なのかも知れない。

【天候】
終日、雲多くも蒸し暑し。
夜には、心地好い涼風。

1254声 純粋馬鹿

2011年06月07日

妙に話が噛み合う。
と言う人が、私には、数人いる。
「妙に」と言うのは、その人たちと私との世代が、
離れているにも関わらず、話が噛み合う、のである。

噛み合う。
からには、何処かに共通している歯車が、ある筈。
その歯車が何であるか、薄々、感づいてはいた。
いたのだが、それを認めたくない気持も有り、見て見ぬ振りをしてきた。
しかしつい先程、電話口で露呈したその言葉に、
否が応でも、認めざるを得なくなってしまった。

「俺も馬鹿だけどさぁ、抜井さんも馬鹿だから、
そう言う馬鹿が群馬にいるって、知ってもらうんだ」
そう言った後に、電話口には、高らかな笑い声がこだました。
声の主は、銭湯の親父さんである。

今度、群馬県で、関東甲信越地域に在する銭湯の集会が、ある。
その場で、参加者への御土産に、私の本はどうかと言う、
とても有り難い話を頂いた。
この話をくれた親父さんには、本を発売して以来、
世話になりっぱなしである。
親父さんがいつも言うのは、この、「俺も馬鹿だけどあんたも馬鹿だね」
と言う、心優しいジョークである。

そうなのだろう、と思う。
馬鹿、なのである。
世代間を越えて、話を噛み合わせる歯車の名は。
その歯車だけが、まぁ、よく噛み合う場面の多いこと。

馬鹿にも生活がある。
生活がありつつ、馬鹿をやるのが、馬鹿の馬鹿たる由縁である。
生活がありつつも、別の可能性を見出す。
そして、その可能性を実現する為、行動に移してしまう。
だから、「馬鹿」と言われる。

私は元来、「堅実な生活を守りたい」と思って来た筈なのに、
年中、地に足のつかぬおぼろげな生活を営んでいる、と言う感覚である。
それでも、そんな馬鹿を止められないのは、愛すべき馬鹿者たちが、
私の周りに沢山いるからだろう。

それは何も、生活を放擲して、壮大な事業に取り組む事ではない。
例えば、映画や芝居を見たり、漫画や小説を読んだり。
そう言う些細な事だって、生活がありつつも、
別の可能性を見出す、行為である。
そこで得た価値観が、着実に馬鹿を、育んでいる。

その中で、大切な事がある。
馬鹿の心は純粋でなくてはならない、と言う事である。
そこに、虚栄心や利己心などの邪心がはびこっていないか。
もしそれらが心に蔓延していては、「本物の馬鹿」になってしまう。
私は、本物の馬鹿とは、話が噛み合わぬ気がする。

純粋馬鹿でいる為に、日々、葛藤が生じる。
馬鹿でいるのも楽じゃない、と言う事になる。
しかしながら、根が馬鹿なのだから、仕様が無いか。

【天候】
終日、薄曇りで蒸し暑し。

1253声 健全なる精神の酒場

2011年06月06日

立ち飲み屋。
先日、そう言う店を、兎も角、飲み歩けるだけ飲み歩いて来た。
一口に立ち飲み屋、と言っても様々な様式があるが、
その形式は概ね似通っている。

つまみは、おでんや焼き鳥などの焼き物が主。
料理の種類がある店も、一人客用の小鉢類が主である。
酒の種類は低級酒を中心に、瓶麦酒に缶麦酒と言った具合。
どこも安価で客の回転が早く、薄利多売でやっている。
その店のどこも、共通して感じたのが、無駄の無さ。
それは勿論、酒場としての、である。

一杯やる上で、これ以上、無駄の無い酒場があろうかと、感じた。
カウンターについて、まず、お通しなどは無し。
注文も聞きに来ない。
客自ら、カウンターの中で立ち働いている女将さんの暇を探して、注文する。
ともすれば、瓶麦酒を自分で冷蔵庫から出さねばならぬ店だって、ある。
つまみの類は、全て、一人で食べきれる分量。
無駄をそぎ落とした分だけ、安い。
それは、本当に、ありがたい。

そこには、店内の演出とて、何一つとして無駄なものはない。
一枚の煤けたポスターが貼ってあったとしても、
それは、あるべくしてそこにあるポスター、なのである。
あるべくしてそこにある、と言う事程、健全な事があろうか。

アルバイトが注文を聞きに行くのが無駄なのか。
宣伝のポスターを貼る事が、不健全な演出なのか。
立ち飲み屋に至っては、そう、と答えざるを得ない。
無駄を極限まで排除し、健全な生活感が醸し出ている店は、美しい。

尾頭付きの御造りが出て来るような料亭が、
健全で美しくないとは言わない。
そう言う場所にあまり行った事の無い私は、
そう言える様な材料を、持ち得ない。
只、酒場としての健全で美しい精神は、
概ね、立ち飲み屋の方に分があると思う。

つまりは、あるべくしてそこにある、立ち飲み屋は、
私たちの生活と同じく、かけがえのない場所である。
値段が安いとか、低級酒を飲んでいるとか。
そんな事は、価値の基準にはならない。
町に残すべきものの値打ちと言うのは、
健全で美しい精神で決まる。

たまには良い酒が飲みたいと思いつつ、
発泡酒に甘んじながら、そんな事を思ったりなんかして。

【天候】
終日、晴れて夏日。

1252声 麦の酒祭り 後編

2011年06月05日

恵比寿駅から乗車。
下車したのは赤羽駅。
落差、と言うか、随分と馴染み深い駅前の印象である。
しかし妙に、居心地が良い。

OK横丁から、一番街商店街へ歩を進め、
まずはおでん屋。
缶の発泡酒片手に、路上のテーブルで立ち飲み。
落差、と言うか、ここでも随分と馴染み深い印象を受けてしまう。
皿が空になったところで、忙しなく、移動。
「はしご酒」てぇのは、ほのじ氏から切っても切り離せない性分である。

うなぎ屋で焼き鳥。
レモンサワーで一息ついたと思ったら、もう、移動。
その後は、赤羽が誇る究極の立ち飲み屋へ入る。
何が究極か、と言うと、その値段である。
基本的に、つまみ110円。
まぐろブツなども、130円である。
机の上に、皿を幾つか並べ、いささか贅沢な気分で杯を進める。
お会計は、1500円でお釣り。
これ、二人で、なのだから頭が下がる。

私も負けじと、などと、良店揃いだったので、
何故か対抗心が芽生え、私の肝いりで、好きな立ち飲み屋を目指す。
京浜東北線で二駅進んだ、王子駅で下車。
車窓風景は、綺麗な夕焼け。
と言う事は、昼日中から酒臭いと言う、
電車内では敬遠される状況であるが、如何せん、気分は上々である。
駅裏のおでん屋を紹介した。
ここでも立ち飲んで、近所の銭湯へ寄ったが、生憎、本日休業。

また赤羽へ戻って、OK横丁から、一番街商店街。
すっかり夜の顔になった商店街へ戻って来ると、
「一寸、休憩」が、「一寸、一杯」に、簡単に覆ってしまった。

飲み屋通りをひやかして、外れにある寿司屋に入った。
読者の予想に反し、「廻らない」寿司屋である。
カウンターへ腰掛け、麦酒の合間に緑茶でガリをつまめば、
「ようやく」とばかりに、酷使された内臓器官も、一息付いていた模様。

【天候】
終日、薄曇りだが雨は降らず。
いささか、蒸し暑し。

1251声 麦の酒祭り 前編

2011年06月04日

「がんばれ、東日本! チャリティ・ビアフェス東京2011」
毎年、「ジャパンビアフェスティバル」と銘打って、
日本地ビール協会が開催している、麦酒の祭典である。
それに昨日、行って来た。
「昨日」と言うのは、例の如く、この文章を一夜明けてから、書いている。
と言うのも、酔眼朦朧と帰宅するや否な、倒れ込むように寝てしまった。

私は過去、二回参加した事があった。
自身三回目となる今回は、ほのじ氏も一緒である。
会場である、恵比寿ガーデンプレイスのザ・ガーデンホール付近へ来ると、
風に乗ってふんわりと漂っている、地ビールの香り。
混雑盛況の会場で、全国津々浦々の参加地麦酒を確認すると、
今年はどうやら、群馬県勢は居ない様子。
それでも、混雑状況は例年より随分と、少ない印象であった。
今回の被災地である、福島や茨城県などの地麦酒もあり、少し、安心した。

入場料を払えば、記念グラスで、1回50mlずつ何回でも試飲が出来る。
会場内には、150種類を超える地麦酒の種類。
制覇するのは、勿論無理なので、気になる地麦酒を中心に飲み進めてゆく。
北海道や鹿児島など、普段、容易に行かれない場所の地麦酒から飲む。
業界で流行っている、「フルーツビール」のブースへ行くと、
なにやら、ビアサーバの前で、熱心にメモを取っている、男がいる。
時折、出展者の方に質問し、深く頷きながら、書き込んでいる。
行儀のよい酔っ払い、に見えなくもない。
男の横を通ると、ふいに、話しかけられた。
「イチゴ、イチゴ、苺の麦酒っての、面白いぞ」
ほのじ氏であった。

ピルスナーにヴァイツェン。
スタウトにボックに、バーレイワイン。
様々なスタイルの地麦酒を試す。
それに、各種のチーズや、生ハムやら、
つまみとの相性を確認しているのが、ほのじ氏である。
「料理人」の視点で地麦酒を見ている。

「飲むと覚える」ってのは、毎回感じている事だが、
実際に試飲すると、その色、香り、風味、アルコール感など、
とても勉強になる。
私は、既に、視点が定まらぬ状態にになりながらも、
次の地麦酒を求め、ごったがえしの会場をさすらう。
そして、お互いに、定まらぬ視点のまま会場を辞し、
やはり足は、路地裏向いてしまうのであった。

【天候】
終日、晴れて暑し。絶好の麦酒日和。