日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和6年度は4月(ぬ)5月(岡)6月(す)7月(堀)8月(坂)9月(ぬ)10月(岡)11月(す)12月(堀)1月(坂)2月(ぬ)3月(岡)の順です。

736声 日課中毒

2010年01月05日

旦那と旅行へ行って、旅館やホテルへ泊る。
当然、仲居さんが上げ膳据え膳でもてなしてくれる。
起きて、蒲団を畳んで、朝食を作って、片づけて、などと言う日常の煩わしさから、
解放されるひととき。
それがどうしても我慢できなくて、雑巾を持って来て部屋の中を掃除してしまった。
と言う、女性の随筆を読んだ事がある。
その女性は、大正生まれの主婦。
所謂、「古風」な日本女性と言える。
この女性にとって、一切の家事から解放される事が、
安息ではなく苦痛となってしまったのだ。
自分から日課としている家事を取り上げられた事は、存在意義の消失に等しく、
その不安に苛まれてしまったのだろう。
現代では稀有な、日本的女性のエピソードであるが、
私も大晦日、その気持ちをほんの少しだけ察した。
暮れの仕事納めが終わり、不精な私は大掃除も何も放り出して、
炬燵に根を生やしていた。
元日以降は、新年の挨拶やら新年会やら俳句ingやら、出掛ける予定が目白押しである。
しかし、大晦日までは何も無し。
これは勤め人の特権とも言える。
のほほんと過ごしたって、バチは当たらないだろう。
と、太平楽を決め込んでいたのだが、どうも、尻の座りが悪い。
炬燵に入って横になって本を読んでいると、何だか、
背骨を猫じゃらしで撫でられている様な、むず痒さが走る。
堪らず、炬燵から這い出て、俳句の季語を調べたり、パソコンに向かったりしている。
どうやら、随筆の女性じゃないが、日課に浸食されてしまって、
もう日課無しでは生きられない体になってしまったらしい。

735声 鶴のひとこえ2周年記念企画 〜実録・鶴の対談〜 アンコール編

2010年01月04日

昨日から更に引き続き、堀澤の代筆。
お待たせいたしました。
師走の街。
私等は、対談会場の焼き肉屋から次の店へ流れて行きます。
前、後、2回に亘って掲載した「実録・鶴の対談」も今回で総まとめ。
明日からはまた、彼が毎日新たな頁を作って行く事でしょう。
では、対談を終えての、私のちょいとした感想を少しばかり。
よくですね、私も言われますけど、変わってる、って言いますよね。
これは何が変わってるのかというと、「優先順位」、なんですね。
それが世の中の大勢とちょっと違うと、「変わってる」、となる。
優先順位を明確にするには、周りに惑わされずに自分の中の欲求をすくい取る能力、
がないとできません。
この能力に、抜井諒一は長けてます。
だから彼の言葉には嘘が少ない。
自分に根ざした言葉でしゃべろうと努めているから。
もちろんその言葉に深い浅いがあるのも彼は知っていて、
これを掘り下げていくには時間が必要だということも知っているだろうけど、
2年やってきても難しさを痛感しているのだから、
毎日書くということは並大抵ではない。
要するに芸なんです。
いい芸がしたいんです。
「おぼろげ」だなんて言ってますけどね、
ほんもののおぼろげにたどり着くには、並大抵では無理なんだ。
そういうこともまた、彼は知っている。
若ぇくせに。
とにかく、これからも毎日、「鶴のひとこえ」を楽しみにしております。
それを読んで、「そういうあなたがいるから生きられる」、
という意識だって読者の中にはあるのですよ
■出演:クレインダンス
・堀澤宏之(ほりさわ・ひろゆき) = 日刊「鶴のひとこえ」前執筆者
・抜井諒一(ぬくい・りょういち)  = 日刊「鶴のひとこえ」現執筆者

734声 鶴のひとこえ2周年記念企画 〜実録・鶴の対談〜 後編

2010年01月03日

昨日に引き続き、堀澤の代筆。
焼肉を食べながら、話すこと2時間。
初恋の話も聞かされた。
これが一番面白かったのですが、
到底まとまりようもない長さなので割愛。
本人がいつかここに書くのを待つ事にする。
堀:最後に、ひとこえを書き始めて2年たって、率直な感想を聞かせてください
抜:あの、やっぱり思うのはですね、カラのときがあるんですよね、カラ。
  一日の社会的な作業として、自分の一番最後に過ごす時間に何もないんですよ。
  もう、メッセージみたいなものが。
  そう、メッセージを言いたいと思っているんですけども、
  メッセージがメッセージになってないんですよ、もう
毎日書くというのは結構大変なことです。
ただ書くだけならそうでもない。
ところが、ある一定の美学に則って何かを伝えたいと思ってしまうと大変になる。
「美学」という言葉自体が彼は嫌いかもしれない。
それも彼の美学だな。
彼は昔、「創作がしたい」と言っていた。
おそらく「鶴のひとこえ」は、この欲求に支えられている。
クレインダンスの活動も。
堀:でも、今日一日何もなかった、とか、書いたことないよね
抜:それ、何度しようと思ったか(笑)
  でもですね、あの〜、でも何かしらあるんですよ、自分が気づけないだけで
若ぇのに言いやがる。
これにて終わり。
のつもりでしたが、明日は、総まとめのアンコール編をお送りいたします。
乞うご期待。

733声 鶴のひとこえ2周年記念企画 〜実録・鶴の対談〜 前編

2010年01月02日

明けましておめでとうございます。
ご無沙汰しております。
唐突ですが、「鶴のひとこえ」前執筆者の堀澤です。
2年前の年の瀬。
所持金1万4千円で正月を目の前にして、
映画「トラック野郎」を見ていました。
こういうときの一番星ブルースは沁みます。
勢いあまって旅に出ようと決めて、
決めたはいいが「鶴のひとこえ」をやめるわけにはいかない。
それで話を持っていった先が、今の執筆者「抜井諒一」です。
だましたつもりもないが、よく引き受けたねあの男も。
あれから2年、まだ続いている。
毎日書いてますからね。
一日も欠かしてない。
それで今回は、
たまには休んでもバチは当たらないだろうと代筆というわけです。
先日、彼に会ってちょっと話を聞いてきました。
堀:何年生まれだっけ?
抜:82年。小学校3.4年生の時、ランバダが流行ってました
堀:昭和を知ってる最後の世代っていう感じだよね
抜:昭和で言うと57年です。
  でもですね、昭和から平成に変わったときっていうのは覚えてますよ。
  小学校1年生でですね、これから64年が平成になって、変わっていくんだなっていう、
  世間のごたごたした感じは覚えてますね
堀:小学校1年生の時、きっと銭湯には興味なかったでしょ
抜:そうですね(笑)だって僕は初めて入ったのは22,3(才)の時ですから。
堀:例えばなんか違うなっていうさ、瞬間はあった?
  たぶんずっと感じてるんだろうけど、俺なんかは20代後半で、30(才)くらいの時なんだよ。
  その、世の中が違うのか自分が違うのかはよくわかんないんだけど、
  ものすごい違和感を、完璧に自覚した時。
  そういうのはありましたか?
抜:ターニングポイント、っていうか、完全にこの、ん〜(長い沈黙)
堀:たしか、15(才)くらいの時から電車に乗って変な駅とかに行ってたって。
抜:えぇ、小野上温泉駅っていうのが渋川の上のほうにあってですね。
  そうですよ、だって僕まだ、白いブリーフはいてましたから。
  中2の春休みくらいでしたから
堀:なんで行ったの?
抜:いや、あのー、駅と温泉近いですから。
  温泉入れるなって思って
堀:入ろうと思ったんでしょ?
  中2で。やっぱりそれは変わってるよね、ちょっと
抜:で、そこから次の祖母島駅ってところまで歩いて帰ったんですよ
ちなみにこのときの彼、酔ってます。
生ビール5杯くらいはいっている。
そうでもしないとインタビューになんか答えられないという、シャイさが彼にはあります。
2回に分けるほどの内容ではないが、今日はここまで。

758声 饅頭男

2010年01月02日

今日は故あって、終日、「饅頭」の事について考えていた。
饅頭ってのは、文字通り、まんじゅうである。
日本での饅頭のルーツを遡ると二系統ある。
一つは宋の国から帰国した「聖一国師」が伝えたもので、1240(仁治元)年、
甘酒で発酵させた生地で作る、「酒素饅頭」。
もう一つは、その後100年の時を経て、1341(暦応4)年、
健仁寺の「竜山禅師」が、「林浄因」を伴って元の国より帰国して伝えた、
塩餡(小豆こし餡)を包んでから、膨張剤で膨らませた、「奈良饅頭」である。
どうして塩餡を包んだのかと言うと、この頃の日本では、仏教の戒律によって、
肉食が禁止されていたからである。
それによって、羊肉や豚肉の代わりに、塩餡が用いて創作された。
前者は後の「虎屋系の酒饅頭」となって、主に関西へ派生し、
群馬県の温泉場などでも多く見られる、「酒饅頭」もそれに当たる。
後者は、「塩瀬系の薬饅頭」として、主に関東へ派生して行った。
とまぁ、何だか堅苦しい説明文を突発的に書きたくなってしまった。
子供が親に、学校での一日の出来事を、息せき切って話すかの如く、
知り得た情報を吐露したい衝動に駆られたのだ。
この様に、饅頭の事を調べるあまり、私の脳みそは餡子にでもなってしまった心持である。
「アンパンマンVS饅頭男」
ってのが実現すれば、最大のライバルになるのではないだろうか。
今日はやはり、頭を縦割りにしたら、中から餡子がぎっしり出てくるのであろう。

732声 謹賀新年2010

2010年01月01日

あけましておめでとうございます。
今年もひとつ、【めっかった群馬】を宜しくお願い致します。
明日の733声からは、毎年恒例、
「祝・日刊鶴のひとこえ2周年記念企画」を掲載いたします。
そして明日はこれも恒例、第13回新春ワルノリ俳句ingの日でもあります。
初詣がてら、新年の一句に一年の慶を願い、上野で落語をつまみつつ、
ふらりと吟行して来ます。
年賀のお便りは、【お問い合わせ】からお待ちしております。
それでは、全ての読者皆様のご健康とご多幸を、心よりお祈り申し上げます。
2010.1.1 pm16:16 抜井 諒一

731声 振り出しに戻る日

2009年12月31日

今年も大詰め。
毎日読んでた方、時々読んでた方、今初めて読んだ方も、
一年、お疲れさまでした。
そして、どうもありがとう。
明日になれば、1月1日。
新しい年が始まります。
振り出しに戻るが如く、また、1からやれば良い。
と言う心持で、新年を迎えたいと思っております。
振り出しから、読者諸氏、来年もまたよろしくお願いします。

730声 殺し文句の似合うひと

2009年12月30日

大原麗子さん追悼。
そして、寅年の来年を迎える為、この年末、誰しもが心待ちにしていた作品がある。
男はつらいよ第22作「噂の寅次郎」だ。
この作品を、先程、観終えた。
テレビのロードショーで、である。
作中、マドンナ役である大原麗子さんのセリフ、「私、寅さん好きよ」。
殺し文句ってのは、こう言うものである。
と、殺された多くの男たちが、表情を弛緩させながら思っている事だろう。
思えば、殺し文句の似合う女優さんだった。
改めて、男はつらいよって映画は、全てをひっくるめて全力投球な作品だった。
だから、心を打つ。
全力投球でやらなければ、人の心は打てない。
と、思わせてくれる映画。
ってな事を、一日中、炬燵で根を生やしていた私が言うのもなんだけど。

729声 酔眼朦朧vs自戒問答

2009年12月29日

これも因果。
と思いつつ夜半、酔眼朦朧となりつつも更新。
是までを打つのに、幾度も打ち直しつつ、やっとの思いでキーボードを叩いている。
さんざん食ってしこたま飲んだつもりなのに、家へ戻ると、
カップラーメンにお湯を入れてしまう。
待ってる間に、冷蔵庫から缶麦を出して飲んでしまう。
「いかん、いかん」
と自己を戒めつつも、最後のカップ麺が、美味い。
一年の自戒問答をしながら、化学調味料のスープを啜る。
食ったら、水を飲んで、読み掛けの小説を読むつもりである。

728声 柳川町酔夢ing

2009年12月28日

日が沈む頃になると、もう運転代行の車が、路肩に列を作って待っている。
御用納めの本日は、毎年恒例の光景である。
街の至る所で、大なり小なりの忘年会が催されている事だろう。
私などは、高崎市住まいと言っても、合併組。
つまりは、高崎市にくっ付いた隣町住まいなので、中心市街地に遠い。
なので、忘年会っても、中心市街地を外れる事が多いのだ。
確かあれは3、4年前だったと記憶しているが、暮れのこの時期に、
市街地の繁華街で行われた忘年会に出席した事がある。
高崎の夜の繁華街。
ったら、昔も今も、やはり柳川町が挙がる。
歴史ある酔街だけに、酒徒を引き摺り込む力は伊達じゃない。
形式的な忘年会がハネると、暖簾から暖簾へ、次々に誘われる。
実際に、覚束ない足取りで薄暗い通りを歩いていると、袖を引かれる。
振り返ると、正体不明のお姉さんが怪しげな眼光でこちらを見ている。
その独特の口調から、出身国は漠然と察しがつく。
細い路地を縫って歩く、まるで異次元空間のよう。
ほの暗い退廃的な路地の空気を吸う、まるで時間感覚が無くなる。
熱に浮かされる如く、よろめきながら電気館通りを抜けて、
中央銀座のアーケード通りに出る。
映画館。
「そう言えば昔、親父と一緒に夏休み、ゴジラの映画を見に来たっけ」
などと感傷の風に吹かれ、一気に熱も酔いもさめてしまって、
とぼとぼ歩きながら、ポケットの携帯電話を探している。
そんな調子だったが、たった3、4年前でも、今よりも随分と、
人出はあった様に思う。
無論、今は見る影もない。

727声 縁側でひと眠り

2009年12月27日

粉だらけ。
そのジーンズに、所々こびり付いている餅を爪で取っている。
餅つき、をしたからである。
私には祖父母がある。
近年、めっきり弱ってしまって、毎年恒例の餅つきも、
夫婦だけでこなすには困難になってしまった。
そう言う訳で、孫の私に白羽の矢が立つ羽目になった。
餅つき。
っても、現代は機械で出来るので、世話は無い。
一昼夜浸漬させたもち米を蒸し、餅つき機で捏ねて、型にのす。
そして一晩寝かせれば、のし餅の完成である。
「べローン」、「ビローン」と粘る餅を型に入れ、打ち粉をふって、
のし棒で均等にのしてゆく。
確かにこれ、結構な重労働である。
作業は順調に進み、小言を言われることも無く、最後に鏡餅を作って、無事終了。
そして、祖母が言う。
「これ、明日、仏壇の前に半紙を敷いて、お供えするんだよ」
「はいはい、じゃあ、今日から供えとくよ」
「今日じゃ駄目なんだよ、今日は、仏滅だからねぇ」
「あー、そう、本当だ、カレンダーに書いてあるね」
時折触れる、年寄りのそう言った、血に溶けたささやかな信仰には、
驚きと同時に新鮮な印象を受ける。
一息付くと、陽はもう午後に傾いていた。
祖父は縁側の隅で、厚い老眼鏡を掛け、丹念に新聞を読んでいる。
ふと、祖母に午後の予定を聞いてみた。
縁側の日だまりに出してある、背もたれ椅子に腰掛けて、ひと眠りするのだとさ。

726声 斜陽琴

2009年12月26日

太宰治の小説作品、「斜陽」の舞台となった別荘。
と言えば、神奈川県小田原市曽我谷津の「雄山荘」である。
地元出身である実業家の別荘として建築され、
昭和22年2月に、太宰自身が一週間滞在し、同小説を執筆したゆかりの場所である。
先程のニュースによると、今日の午前4時過ぎ、出火、その木造2階を全焼。
けが人は無く、放火の疑いもある模様。
太宰治、生誕100年の今年。
最後の最後に来ての、寂しい事件である。
斜陽と言えば、主人公であるかず子の母の如く、
スープを一さじ、ヒラリと小さな唇に滑り込ませる様な、
所謂「貴族」気質な人を見た事がない。
一番の原因は、私個人の生活環境に起因すると思うのだが、
それにしたって見ない。
逆に、主人公の弟である直治気質の人間なら、多く見る。
勿論これも、生活環境に起因する。
裕福。
つまり、潤沢な資産を持ち、生活、心身ともにゆとりある人。
と、貴族である人とは、共通項はあってもイコールでない。
俗な例えしか浮かばないが、一応、貴族と呼べる人の所作を例えてみる。
例えば、煙渦巻く屋台の焼鳥屋のカウンターでも、いやな顔一つせず、
むしろ上品と言える所作で、焼き鳥の串を口へ運べる人。
補足すると、焼き鳥の串を持って、箸で一つ一つ器用に皿へ取ってからつまむなんてな、
野暮な事をしなくても、と言う事。
戦前戦中に生まれた世代の人に、その気質を感じる。
つい、昨晩の事。
端唄、独々逸の発表会兼クリスマスと忘年会の要素を含んだ打ち上げ、に参加した。
その発表会で、琴を雅やかな音色で弾いてらした、独りのご婦人。
生まれは、戦中かと思われる。
いつも着物を召していて、何度か会話した事があるが、その方の所作言動を見ていると、
この斜陽のかず子の母を思い出す。
そんな事を思っていた矢先の、ニュースだったので、ちと感慨深い。

725声 ささやかな信仰

2009年12月25日

街はずれ
小高い丘の中腹の
田圃の畦道に道祖神
苔蒸す双対道祖神
二つの蜜柑の供え物
街はずれ
今日の街はクリスマス

724声 かつらのハイジ

2009年12月24日

今日、所用が有って或る病院へ出掛けた。
玄関を入り、受付にいたおばちゃんに、吃驚。
「アルプスの少女ハイジ」の格好、つまり、コスプレである。
驚いている私の反応に、取り繕うようにおばちゃんが弁解。
「すみませんねぇ、今日ね、クリスマス会なの」
「あっ、そうだったんですか、どうりで、はい」
メガネをしたハイジが、かつらを直しながら、私に微笑みかける。
一瞬、ハロウィンかとも思った。
外国式のどんちゃん騒ぎに水を差さぬよう、用事を済ませてから直ぐに病院を辞した。

723声 古着とたい焼き

2009年12月23日

連雀町交差点から、スズランの前を通り、南銀座通りから中央銀座をそぞろ歩く。
商店街、魚屋に吊るされた新巻鮭、八百屋に積まれた蜜柑箱。
吹き行く風にも、年の瀬の感が漂う。
さくらばし通りへと抜け、街灯に貼ってある鬼城の句を眺めながら、
田町の交差点で信号待ち。
待ってるついでに、浪速屋でたい焼きを一個。
熱々のたい焼きを頬張りながら、中山道を連雀町交差点へと戻る。
昼下がり、所用ついでに高崎市街地をほっつき歩いていた。
各商店を冷やかしながらそぞろ歩くのも、面白い。
と言いたい所だが、近年、めっきり元気がないように思う。
私は学生時分より、高崎を密かに「古着の街」と思っていた。
別に、密かに、する必要も無いのだけれど、取り立てて言う程の事でもないので、
密かにしていた。
流行り廃りの影響もあるのだろうが、今は見る影も無い。
大まかに、10年前の市内と比べ、古着屋の数は半分以下になってしまったのでなかろうか。
確かに、990円ジーンズなんてのが繁盛する時節。
古着のリーバイスを1,980円で買うよりは、と思ってしまうのも無理はない。
街行く若者のファッションを見るに、随分と洗練されて、
所々破れたジーンズに、襟の伸びたトレーナーなど来てる人など見受けられない。
街の様相は変われど、老舗店のたい焼きの味は変わっておらず、
それを確認したくて、時々、無性に食べたくなる。

722声 煤払いとツケ払い

2009年12月22日

早すぎかと思い、時計の針を見ると、あれ、そうでも無い。
私の目が覚めるのが早いのでは無く、お天道様が登って来るのが遅いのである。
今日は冬至。
一年の間で最も、昼が短く夜が長くなる日。
だから、日の出が遅いのだ。
冬至の日は、各地でゆず湯。
と言うテレビニュースを見ていた、正午。
私は、下仁田町の路地裏に在る、鄙びた大衆食堂のL字カウンターに腰掛けていた。
年の瀬、客入りは多い。
どうやら皆、店の大将やおばちゃんに、年末の挨拶がてらに顔を出しているようである。
入って来たのは、白いつなぎを着たおやっさん。
ポケットから徐に、一万円札を二枚出して、おばちゃんに渡す。
「はい、ありがとうございます、あれ、でも少し多いよ」
「いや、いーからいーから、それでまた食わしてくんな」
「あー、いや、すいませんねぇ」
「うん、じゃあ、タンメンと餃子ね」
とのやり取りから推察するに、「ツケ」ではなかろうか。
常連客のつなぎのおやっさんは、その都度の飲食代を現金で清算せずにツケておき、
盆と正月に払っていると言う線が強いだろう。
いくら顔馴染だとは言え、ツケで食べられる店と言うのは、現代においては稀有である。
貴重な年末の光景と、温かな心のやり取りを見れた。
と、胸内で感心しながら、湯のみの緑茶を啜る。
テレビのニュースが丁度、高崎白衣観音で煤払いが行われたと言う、
郷土のニュースを報じた。
ツケ払いの済んだおやっさんは、油の染み込んだ手で頬杖を付いて、テレビを見ていた。

721声 それぞれの団欒

2009年12月21日

先日。
街の酒処。
注文した瓶麦酒が、もう、正月仕様だった。
「寿」と書かれたラベルの筆金文字が、輝いている。
年末である。
と感じるのは、テレビ。
番組構成が特集形式になっており、
普段、1時間の番組が、年末スペシャルだとかで、
2、3時間と放送時間が延長されている。
「テレビは1日2時間まで」
なんて、学校の先生に釘を刺されていた時分を懐かしく思う。
学校などは、今週で冬休みの所も多い筈。
炬燵で煎餅でも齧りながら、ついでにテレビにも齧りついている。
そんな家族団欒の光景を今、見られるのだろうかと、いささか不安に思う。
不安の根源は、こうやって見ている、インターネットの普及にある。
テレビの場合は、未だ良かった。
炬燵に入りながら、家族で一つの番組を見られる。
本当はバラエティ番組が見たいけれども、親父の意を汲んで、
ニュース番組を我慢して見ている。
と言う経験も、忍耐や協調性と言う人間形成に対して、
微弱ではあるが役に立っているのかもしれない。
しかし今、家族は、テレビを見ている時間より、それぞれの部屋のパソコンで、
インターネットを見ている時間の方が長いのではなかろうか。
炬燵に入りながら、家族で一つのパソコンに向かう。
なんて言う光景は、成立しないだろうから。
「インターネットは1日2時間まで」
なんて、現代の学校の先生は生徒を諭しているのだろうか。
そう言う先生たちも、テレビゲーム世代だったりするので、
なんだか自己矛盾している様に思う。
一家団欒の形も、変わって行く。

720声 真冬の駅のベンチ

2009年12月20日

年々、急速に発展する高崎駅。
訪れる度、その進化の速度に驚く。
まるで植物の様に、枝を伸ばして実を付けている。
新幹線が、都会の養分を運んで来るからだろうか。
街も人も、時と共に流れる。
面影を留めず、変わって行く。
黄昏時間。
駅西口のデッキに出ると、
ベンチに独り。
暗い眼差しをした青年が、
ベンチに独り。
真冬の風。
氷点下の肌触りが、
どこか、
懐かしい感覚。
鼻水を啜りながら、
どこか、
懐かしい感覚。
ポケットに手を突っ込んで、
歩く。