日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和8年度は4月(坂)5月(ぬ)6月(岡)7月(す)8月(堀)9月(坂)10月(ぬ)11月(岡)12月(す)1月(堀)2月(坂)3月(ぬ)の順です。

1077声 12月12日晴れ

2010年12月12日

きもち風が吹いているが、師走半ばとしては暖かな日である。
昼飯を食べ終え、珈琲を飲みながら、机に肘をついてまどろんでいる。
私が常用する珈琲は、インスタントでなく、生意気にもドリップ式。
量販店で最下等の銘柄の物なので、満足はできない。
しかし、それなりに風味と薫りがあるので、よし、としている。

今日は、仲間の有志が中之条へ、かや刈りへ行っている。
私はと言えば、どうも体調が芳しくしないので、今日は冬籠りを決め込んだ。
午前中は、ずいぶんと久しぶりになる、洗車をした。
やたらと、図体ばかりデカイ車なので、洗うのに骨が折れる。

思えば、東京に住んでいる時分は、
2シーターのオープンカーを買おうと思っていた。
狭い道で小回りが利き、郊外へ行く時はオープンし、風を感じて颯爽と走る。
そう言う構想を思い描いていたが、群馬に帰郷する機が訪れてしまった。
それからは、SUV型の車を買って、のんびりと釣りでもしながら暮らそうと、
考える様になった。
そして、SUV型の車は買ったが、釣りなどへは一度も行かず、
狭い路地にある銭湯へ通っている始末。
「だったら、オープンカーの方が良かったか」
いや、自分が髪をなびかせながら、オープンカーを運転している姿を、
思い浮かべれば、答えは、否、である。
だから、洗うのが億劫でも仕様が無いと、心をなだめている。

土地柄、午後は赤城おろしが強く吹く。
それが、いつも決まって午後なのだ。
家の裏の畑をトラクターで耕しているおやっさんも、
午前中で切り上げて帰ったようだ。
やはり、農業に携わる者。
土地の性質を、熟知している。
このおやっさんの、おそらく父親であろう80年配のお爺さんが、
いつも耕しに来ていたが、昨年からは姿が見えない。
庭木がみな、風にあおられて、激しく揺れている。
さて、もう一杯。
台所で珈琲を注いで来るとしよう。

【天候】
若干風が強いが、終日、穏やかな冬晴れの一日。

1076声 「暑」よりも「冷」

2010年12月11日

昨日から高崎市の榛名湖では、
今月の26日まで開催される、「榛名湖イルミネーションフェスタ2010」が始まった。
と言う記事が、今朝の新聞各紙の紙面で、大きく紹介されていた。

私も二年前に観に行って、夜の湖面を彩る、
幻想的な光の競演に楽しんだ。
榛名湖畔は、闇が深く空気が冴えているので、
イルミネーションの光も街中と違って、鮮明に見える。
鮮明に見えるのだが、見ているのが、少々つらいかった。
途轍もなく寒かったから、である。

観に行かれる読者諸氏は、是非、完全防寒で行かれたし。
それだけ寒いって事は、勿論、峠道の路面凍結などが懸念される。

そう言えば、先だって、「今年の漢字」が京都の清水寺で発表された。
寛主が大きな筆を両手で振るって書きだした一字は、「暑」。
確かに、今年は猛暑を通り越して酷暑つづきの、暑い夏だった。
「喉元過ぎれば熱さ忘れる」
って諺の通り、あんなに暑かった夏も、師走となった今では印象が薄く感じる。
「冷え込む経済情勢」だとか、「就職氷河期を超えた」とか。
そう言う類の「冷」を連想させる見出しを、
毎日のように目にしてきた影響も、あるだろう。

【天候】
終日、穏やかな冬晴れの一日。

1075声 海市蜃楼の酔街

2010年12月10日

ここ数日、すこぶる天気が好い。
しかし、私の体調はすこぶる悪い。
そう言う時に飲む酒は、すこぶる不味い。
不味いけれど、海市蜃楼の酔街へ行かねばならぬ。
ちゅうのが、浮世の義理っちゅうやつ。
テレビニュースでは、今、
すこぶる好天と言う、明日の天気予報が出ている。

【天候】
終日、穏やかな冬晴れの一日。

1074声 魂の故郷

2010年12月09日

混在」
ではなかろうかと、思う。
私が感じる、魅力的な街ってのは。

では、街中に何が混在しているのか。
それは、大掴みに言えば、生と死。

例えば、東京の下町。
江戸文化の薫りを漂わせた、ノスタルジックな街。
裏通りから飛び出して来たのは、近所の子供たち。
子供たちが、駆け回っている光景。
これは、街中の「生」である。

駆け回っている子供たちは、鬼ごっこでもしているのだろうか。
いや、露地の間を抜けて、寺の境内の御神木や、墓地の墓石に隠れている。
どうやら、かくれんぼ、であろう。
街中にある、墓地。
これは、街中の「死」と言えよう。

この様に、庶民の居住地区に、生と死が混在している街は、
とても魅力的である。
それを何故、「魅力的」だと感じるのか。
ひとつには、私たちが遺伝的に受けついできた、
感慨を刺激するのではないかと、思う。
誰しもが持っている、「魂の故郷」とでも言おうか。
そんな場所を、連想させるのだ、街中の生と死の風景が、きっと。

【天候】
朝より晴れ。
終日、風強し。

1073声 不摂生活

2010年12月08日

先日、知人と風呂へ行って、一寸、驚いた。
体が、随分と痩せているのである。
冬服の上からでは分かりづらかったが、
脱げば体の線が露わになる。

私は、身長と体重から割り出した数値によれば、
成人男性として、痩せ型から普通くらいの体型である。
しかし、今年受診した健康診断の結果で、
「血中コレステロール」なる数値が、やや高めだった。
要するに、血液ドロドロ状態。

昨年から今年にかけて、数値が倍くらいに跳ね上がっている。
別段、不摂生をした覚えは無く、年中、不摂生を下地に生活している。
不摂生と言えど、私などは強靭な体を持っている訳ではないので、
不摂生をすると、直ぐに体を壊す。

不摂生と言えば、私は不摂生、あるいは不摂生そうな、作家の作品を好む傾向にある。
本棚の背表紙を見ていて、そう感じた。
その道の大家であった、色川武大。
の、作品名はど忘れしてしまったが、確か、何かのエッセイに、
古今亭志ん生の不摂生の小噺が書いてあった。

「摂生して自動車事故で死ぬ人と、不摂生しながら生き残る人とでは、
やっぱり事故で亡くなる人の方が不摂生」

たしかこんなだったと思うが、この志ん生の小噺を聞いて、氏も同感である。
と言った内容だったと記憶している。

現象と相関の関係が、滅茶苦茶だが、志ん生の言いたい事は伝わる。
そして、志ん生がそれを噺している高座を、私が見ていれば、
おそらく頷きながら笑っているだろう。

これから師走も佳境。
体を騙しながら、不摂生に励むつもりである。

【天候】
冬晴れの一日だが、終日風強し。
したがって、夜半の冷えも厳しい。

1072声 思い出のキネマ

2010年12月07日

やはり、この時期、夜半の冷えが辛い。
先程から、机の上で、鼻ばかりかんでいて、
一向に文章が進まない。

今日は二十四節季の中の大雪。
今年の冬は、住んでいる群馬県平野部でも、
積雪になりそうな気配である。
昨年は暖冬だったので、なんだか巷では、油断している感がある。

首都圏の人たちの持つイメージでは、
群馬県は雪国と思っている人も、少なくない。
確かに、山間部は降るが、平野部などはほぼ首都圏並みであろう。
本当の雪国は、群馬県以北である。

雪国と言えば、首都圏の銭湯経営者は、富山、新潟、石川。
この三県の出身者が、非常に多い。
これには、雪国育ちの粘り強さと、農家の次男、三男の出稼ぎの為。
という説が、一般的である。

群馬県でも比較的、雪国と言える北毛地域には、銭湯が残っていない。
一番北で、渋川市。
市内で1軒、頑張っている、とても良い銭湯が残っている。
沼田に古くから住む人に聞いた話なのだが、
沼田にはその昔、「キネマ湯」と言う銭湯が営業していた。
市内の「沼田キネマ」があった、「キネマ通り」に面した銭湯だったらしい。
沼田キネマはもう無いが、キネマ通りと言う名は今でも残っている。
雪の沼田で、是非とも入りたかったなぁ。

【天候】
朝より曇り。
日中晴れるが、夕方より下り坂。
夜半に一時、雨強く降るが、直ぐ止んだ。

1071声 年にまたとない日

2010年12月06日

今日は、朝から小春日。
と言うにはまだ早いので、冬日和であった。
そう言えば、昨日も冬日和。
「年にまたとない、好天の日ですなぁ」
その場に居た人に話しかけたら、
「私の誕生日の鶴のひとこえでも、そう書いてあった」
と、思わぬ返事が帰って来た。
どうやら私、年中、好天の日には「年にまたとない」と、
書いているらしい。

年にまたとないのは、天候だけでなく、人との出会いもそう。
気付けば、師走。
一年を振り返えれば、疎遠になってしまった知人の多い事。
知人との会えた日が、「年にまたとない」日、だった訳である。

土曜日の深夜。
男3人で露店風呂に入って談笑していたのだが、
気付いたら、今年の初め、万座温泉へ俳句ingへ行った3人であった。
「年にまたとない」日であり、自らもそれに気づいてもいた。
しかし、別に特別な事もできないし、また、やろうとは思わない。
それが、友との接し方、だと思う。

【天候】
終日、年にまたとない、冬日和。

1070声 塩辛い人々

2010年12月05日

飲んだ分量から考え得るに、二日酔いは必至。
と言う予想に反して、二日酔いしていない。
それは、風呂に入ったことと、睡眠時間が長かった事、
によるところが大きい、と感じている。

昨日は、「群馬学センター」で行われるゼミの日だったので、
まず県立女子大へ出掛けた。
各人の専門分野に基づいて、「群馬学」を研究して行くのだが、
異分野の交流で得る意見と言うのは、新鮮である。
甘いものに塩かけてみれば、甘さが引き立つような、
作用であろうか。

その後は、「よなよなひとりもん」の為、ほのじへ直行。
こちらの方も、異分野、異業種の交流であり、
各人「ひとりもん」である事にについて、考える集いである。
当日アンケートを実施し、その中に「ひとりもんで一句」。
と言う項目を入れた。
その中から、印象深い句を一句。

ひとりもんあつめてみてもひとりもん

川柳として、鋭い句である。
集まって頂いた各人、何か得る事があったか、
いささか不安ではあるが、とても良い集いであったと、確信している。

【天候】
終日、一年でまたとない、
穏やかな冬晴の一日。

1069声 師走バス

2010年12月04日

「そして、今回一番の見所が銭湯シーン」
と言う、映画紹介の声を背中で聞いて、反射的に振り返る。
テレビ画面に映っていたのは、ハリウッド映画の宣伝。
何の事はない、只の聞き間違い。
「銭湯シーン」でなく、「戦闘シーン」だったのだ。
二日酔いの為に、脳内機能が麻痺しているのだろうか。

昨夜は、高崎市街地から最終バスに乗って、
住んでいる町まで帰って来た。
師走の最終バスと言うのは、やはり、酔っ払いが多い。
勿論、私も例外ではない。

私の斜向かいの席に、崩れかかった体勢で座っている、
赤ら顔のおやっさん。
ずり下がった眼鏡越し、瞬きもせずに見つめているのは、
ルービックキューブ。
黄色の面の最後の一つが揃わないらしく、「カチャカチャ」と、
音を立てながら熱中している。

ルービックキューブは未完のまま、バスは、
おやっさんの降りるべきバス停に到着してしまった。
ルービックキューブを外套のポケットに突っ込んで、立ち上がる。
すると、よろけて、向かいの席にしなだれかかってしまった。
苦しそう。
そして、今にも吐きそう。

車内の一堂、ハラハラしながら見つめていると、車掌さん。
「大丈夫ですか」
と、規則めいた声で問いかける。
「あ゛ぁ、酔ったぁ」
と、塩辛い声を吐き捨て、投げ捨てる様に小銭を料金箱に入れ、
降りて行った。

「そりゃそうだ」
大事に至らず安心しながらも、一寸、あきれていると、
バスが動き出す。
料金箱が小銭を集計している機械音が、車内に響いていた。

【天候】
日中、雲一つない冬晴れだが、風強し。

1068声 ひとりもん

2010年12月04日

「よなよなひとりもん」
と銘打つ、群馬の一人暮らし、独身者に焦点を当てた催しが、
明日、ほのじで開催される。
「開催される」などと、客観視しているが、私。
主催する人間、二人の内の一人である。

ひとりもんの身軽さ故か。
いや、土曜日の晩に行き場所が無いだけか。
予想を上回る参加者が、集まった。

ひとりもんたちを、よなよな集めて、何をしようと言うのか。
何、と言う事は無い。
例えて言うなら、なんであろう。
太宰治(著)の「パンドラの匣」に出てくる、
「健康道場」での、挨拶のやりとり。

「やっとるか。」
「やっとるぞ。」
「がんばれよ。」
「よし来た。」

の様なもの。
局所的すぎて、甚だ例えとしてはよくないが、
思い浮かぶのは、それである。

齢三十を超えたひとりもんたちが集まって、
「こんばんは」
なんて、ちとバツの悪い状況。
なんて思わずに、健康的な挨拶を交わし、
情報を交換する。
そこで確認できれば、よいのではないか。
地方都市に住むひとりもんだって、日向を歩ける。
と言う事を。

【天候】
早朝まで小雨模様。
その後、回復し雲間から陽射しが降る。
時折、浮浪雲が雨を降らして行く、
台風禍のごと不安な空模様。

1067声 小脇の桶

2010年12月02日

市街地の伝統的な銭湯が廃れ、
郊外の近代的なスーパー銭湯が栄えている。
その理由の一つには、世間でのモータリゼーションが挙げられる。
群馬などは特に車社会が顕著なので、
大型駐車場の有無が、商売を大きく左右する。

この点において、伝統的な銭湯は弱い。
しかし、それは路地裏に在ると言う立地面から見て仕様が無いし、
それがひとつの味ともなっている。

東京の下町などでは、伝統的な銭湯が商店街の花形として健在である。
夕暮時になると、洗面器を小脇に抱え、
暖簾をくぐって行く人たちが沢山いる。

「常連さんは自分の桶を持っている」

と言うのが、私が東京の銭湯へ通い始めて、受けた衝撃であった。
次の日から私も、「通」ぶって、自分の桶に石鹸を入れ、
所謂、「神田川スタイル」で銭湯へ行った。

今では、遠方の銭湯へ出掛ける事が多いので、
自分の桶の出番は無くなってしまった。
今でも、銭湯に限らず、町の浴場施設へ行って、
桶を小脇に抱えた人を見かけると、ここの中で思う。
「おぬし、なかなか、できるな」、と。

【天候】
午前中は晴れ。
午後から下り坂となり、夕方から小雨。

1066声 師走山景

2010年12月01日

今日から師走。
2010年のカレンダーをめくり、今年の残りが後1枚になった途端。
何やら今年にやり残している事が、山のようにあるように思われてきた。
気忙しい気持ちに拍車をかけるのが、私の家の近所に、
本日開店したスーパーマーケット。
その「開店セール」ってんで、店の周辺は大いに賑わっている。

私の居住している場所は、高崎市。
っても、合併前は群馬町と言う地域。
「群馬県群馬郡群馬町」
と言う、群馬成分の濃い住所の並びが、今は無き群馬町町民の、
ささやかなる誇りであった。

合併してからの街は、目覚ましい発展を遂げている。
道路が整備され、人口が増えている。
小学校が新設され、量販店が進出し、
所謂「都会化」の道を着実に歩んでいる。
歩ましめているものは、とても大きな力なのだろう。
急速に変わりゆく街の中で、少し不安になった時、
私は山を眺める様にしている。
師走のこの時期、我が心は特に、山景を欲している気がする。
上毛三山は、幾時代も変わる事なく、凛としてそこにそばだっている。

【天候】
終日、寒さが緩んだ、小春日の一日

1065声 サラバ友よ

2010年11月30日

今日、世間の人たちが、血相変えて駆け込んでいたのは、
駆け込み寺として有名な縁切り寺「満徳寺」。
ではなく、家電量販店であった。

11月末日の今日は、家電エコポイント制度の満額ポイント付与の最終日。
明日の12月1日からは、そのポイントが、ほぼ半分となってしまう。
「そりゃてぇーへんだ」
ってんで、日本全国津々浦々の家電量販店では、駆け込み需要に大忙し。
都内の方では、行列作って購入を待っている。
と言う、テレビの報道も目にした。

先週末、私も遂に、地上デジタル放送対応液晶テレビを一台、
購入する事と相成った。
買い換えの動機は、勿論、この家電エコポイントの付与が大きい。
同時に、それまで使用していた、14インチ型アイワ製ブラウン管テレビデオを、
リサイクルに出した。
テレビの横に貼ってあった製造シールによると、2000年のモデルらしい。
「10年ひと昔」と言うが、まさに「テレビデオ」と構造自体が、
今や、「過ぎた時代の産物」、と言った感がある。
因みに、製造元のアイワは、2002年にソニーに吸収合併された。

思えば、愛着もあった。
このテレビデオに、である。
学生時代から社会人となった現在まで。
それは10代から20代と言う、我が人生において、
激動の時代を共に歩んできた。
謂わば、「戦友」の様な存在と言える。
映画を観て泣いたり、テレビ番組を観て笑ったり、一緒に時代を体感した。

この戦友が最後に引き取られて行ったのは、他でもない。
私が新しいテレビを購入した、家電量販店なのである。
リサイクル料金を払って、処分してもらった。
そうする事で、エコポイントの付与額が増額されるから。
駆け込んだここは、満徳寺でなく家電量販店だが、
縁を切る事に、変わりない。
量販店の台車に乗せられて、アルバイト店員の男子に運ばれて行く、
我が戦友の後姿。
ブラウン管の上に溜まっている埃が、やけに目立って見えた。

【天候】
終日、雲も風も無く、穏やかな冬晴れの一日。

1064声 歯磨き粉の色合い

2010年11月29日

つい先程、「子規句集 高浜虚子選」(岩波文庫)の頁を捲っていて、
目に止まった句が一句。

春風にこぼれて赤し歯磨粉

これは、子規の病状もいよいよ悪化して来た、明治29年春の句。
説明無用な写生句である。
しかし、一口で飲み込めない部分もある。
それは、子規と私の間にある、幾時代。
そこで変遷した、生活環境の違いだろう。

まず、「歯磨粉がこぼれる」と言う情景を連想すれば、
私には、チューブの練り歯磨き剤が、思い浮かぶ。
歯ブラシに、チューブの練り歯磨き剤をつけようとした時、
春風が吹いて、歯磨き剤をこぼす。
洗面台に、「ベトッ」と。
これじゃ、発句詠みたき心も何も、ありゃしない。

ここで、現代人の多くは、あの練り歯磨き剤の事を、
「歯磨き粉」と、誤った呼び方をしている事に気が付く。
粉末状の歯磨き粉主流時代の呼び方が、
練り歯磨き剤主流となった現代でも、そのまま生き残っている。
明治時代の歯磨き粉は、読んで字の如く、粉末状の歯磨き粉である。
しかも、子規御用達の歯磨き粉は、粉の色が「赤い」。
その色彩が、とても気になる。
鮮やかな赤色なのか、それとも、淡い、のか。
私は、「春風」から、こぼれた粉の、少し淡い色合いを想像している。

【天候】
終日、雲風共に少ない、穏やかな冬晴れの一日。

1063声 本庄銀座に「藤の湯」在り

2010年11月28日

「ガラガラガラガラッ」
あちこちで鎧戸を下ろす音が響く、黄昏時の商店街。
足早に露地を行く、人たち。
ポケットに手を入れながら、すれ違う、私。
寿司屋の斜向かいにある銭湯の前まで来て、立ち止まる。
ポケットから手拭いを出し、出した手で、暖簾をくぐる。

ここは埼玉県である。
埼玉県と言っても、群馬県に隣接する本庄市。
その市街地にある、「本庄銀座」の中に、
市内でただ一軒残る銭湯、「藤の湯」がある。

そこに今日、入って来た。
ビル型の近代的な銭湯で、とても心地好い湯だった。
滞在した時間では、男湯よりも、むしろ女湯に活況があったようである。
毎日通う事を想定したら、私は、簡素だが清潔感のある、
こう言う近代的な銭湯を選ぶ。

意外な発見だったのが、「本庄銀座」。
場末の寂れた商店街なのだが、
裏通りには、味のある飲み屋などが点在しており、
とても興味を引かれた。
湯冷めを恐れて車で行ってしまった事を、一寸、悔んだ。

【天候】
終日、雲も疎らな冬晴れの一日

1062声 忘れている味

2010年11月27日

薄い陽射しが、たゆたう湖面の閑けさを照らしている。
湖の縁には、野仏の如く、胡坐をかいて座しているおやっさんが、4,5人。
私が眺めているのは、近所の用水池である。
胡坐の釣人たちが興じているのは、鮒釣り。
今時期の鮒釣りである、こぞって狙っているのは、おそらく、寒鮒。

鮒と言えば、鮒寿司。
以前、招かれた、知人宅の宴席での事。
子持ちの鮒寿司を頂いた事があるが、どうにもこれは、強烈な味わいだった。
「子持ち」つまりお腹に卵が詰まっている鮒は、貴重なのだと言う。
しかし、「熟れ寿司」なので、その風味は玄人向きである。
私はと言えば、一口食べて、その強烈な匂いと酸味を、平常心で味わう事が出来ず。
何故かったら、それはもうこの、特有の鼻をつんざく刺激臭。
宴席の場で、苦虫を噛み潰したような表情を、隠し切れなかった。
即座に麦酒をあおって嚥下し、場のひんしゅくを買ってしまった。

「修行が足りんぞ」
と言う、一座のご沙汰が下り、もう一口食べる羽目。
しかし、食道楽、特に酒徒の方は、これをつまみに日本酒を飲む。
ってのが、至福の時と言うから、驚きである。
私も、日本人の端くれだと思っていたが、それを疑わずに居られなくなった。
年長者の意見によると、年を経れば、味覚が変わると言う。
私にも、あと10年くらい生きれば、日本人に連綿と受け継がれている、
味の記憶が甦ってくるのだろうか。

食生活の変化や、家庭用調味料の発達。
外食文化の隆盛などによる、日本人の味覚の変遷によって、ここ近年。
消えて行った郷土料理が、忘れ去られた郷土の味が、
各地域に山の様にあるのだろう。
と言う事を考えていたら、鮒釣りのおやっさんの一人が、
小さい鮒を一匹あげ、湖面が俄かにさざめいた。

【天候】
終日、穏やかな冬晴れの一日

1061声 カフェ「パワースポット」

2010年11月26日

「カードが挿入されていません」
「だから、ついこの間カードの発行を申し込んだから、
未だ、手元にカードが届いていないんだよ、何度言えば分かるのかね」
「………」
口論になっているような、いないような。
私と、ETC車載器とが、である。

先日、ETC車載器は設置したものの、
肝心のETCカードなるものが手元に無いので、
エンジンをかける度に、その車載器が私に指摘してくるのである。
その抑揚の無い機械声が、とても煩わしい。
しかし、奴さんは機械なので、カード挿入しない事には、
一切の融通が利かない。
まだ当分、私と奴さんとの口論にならぬ口論は、続きそうである。

ETCと言えば、最近、土日祝日割引の高速道路を利用して、
首都圏から群馬県に訪れる観光客が、顕著な場所がある。
それは、高崎市の榛名神社や、前橋市の赤城神社。
近年の「パワースポット」ブームで、平日でも多くの観光客が訪れている。
この現状を目の当たりにし、人気のパワースポットである、
清正井戸がある明治神宮御苑の如く、榛名神社や赤城神社も今少し拝観料を設けたら。
などと、バチ当たりな事を考えてしまう。

どうだろう、カフェ「パワースポット」なる小商いの店でも出して、
パワースポットブレンドのパワースポット珈琲や、
パワースポットミックスのパワースポットソフトクリームなど。
かなり手堅い売り上げを、確保できるのではなかろうか。
そうなった時、パワースポットってのは、もはや、
厳かに神仏を拝む場所では無くなっている。

【天候】
終日、薄い雲の棚引く、冬晴れ。

1060声 切れ字の向こう側

2010年11月25日

車を停めて、菓子パンを齧っていると、窓の外。
枯田の畝に沿って、ちょこちょこと歩いて行く、野鳥が一羽。

瞬間。
俳句の題材になりそうな景色だったので、ペンを取って、
写生句を作ろうとしたのだが、ペンは依然として走らず。
どうしたのかと言うと、分からない。
あの、小さくて愛らしい。
ちょこちょこと歩いて行く、鳥の名前が、である。

思えば、野鳥や野に咲く花の名前などに、
ほとんど、意識が向いていない人生を歩んできた。
と、実感した。
そして、森羅万象を俳句として捉えるには、
今少し、花鳥風月に目を向けるべきだ。
とも、実感した。

おそらく、千鳥。
だと思うし、また、千鳥は冬の季語なので、句作上、
千鳥として解釈すべきなのだろう。
しかし問題は、この風景に対して私の感受性が捉えた意。
二葉亭四迷の「小説総論」で言う所の、

「浮世の形のみを写して其意を写さざるものは下手の作なり。
写して意形を全備するものは上手の作なり。
意形を全備して活たる如きものは名人の作なり。」

と言う事になろう。
俳句の場合、その意を、切れ字の向こう側にどう表現できるか。
とは、偉そうに述べているものの、一向に上手の作が出来ない。
気がついたら、お腹が一杯。
結局、3個買った内2個しか、菓子パンが食べられなかった。
こちらの方も、上手い具合に行かない。

【天候】
朝は晴れているが、次第に雲が出て、以降、薄曇り。