日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和6年度は4月(ぬ)5月(岡)6月(す)7月(堀)8月(坂)9月(ぬ)10月(岡)11月(す)12月(堀)1月(坂)2月(ぬ)3月(岡)の順です。

385声 ムーミン谷にはある

2009年01月19日

今年は読書に興を得ている。
例年になく、強く惹きつけられるのだ。

それはなぜかと考える。
までもないのである。
読みたい本、あるいは読み終えたの傾向から、
潜在的に自らが得ようとしている事柄は、顕在化してくる。

とすれば、部屋の隅に積んである、読み終えた本の背表紙は、
求める自分を映し出す鏡。
今日はその一番上に乗っている、
「ムーミン谷の仲間たち」を、床で読みつつ就寝。
ムーミン谷には、得ようとする物がある。

384声 銭湯の意義

2009年01月18日

「寄り合い」ってな、例会が「和のカルチャースクールほのじ」で開催されている。
昨日がその開催日。
近隣住民が集まり、交流する事で、地域社会の発展を目指す。
とまで、杓子定規な集まりではないが、少なくとも、文化的意義のある会である。

文化的意義の薄れる夕暮れ。
日が暮れると、どこからともなく湧いて出てくるのが、酒徒の面々。
酒瓶抱えて、満面の笑み。
かく言う私もその一人。

宴もたけなわ。
飛び交う、整合性の欠落した酔っぱらいの会話。
掻い潜って抜け出し、夜の街をひとっ走り。
辿り着いた先は、閉まる間際の銭湯。

息を弾ませつつ、入口ドアを引いたら番台。
「今日は随分と寒ぅございましたねぇ」
と、いつも声をかけてくれる、店主のおやっさん。
入浴料を払って脱衣場、急ぐあまりに、手拭いを忘れてしまった事に気付く。

「すんません、手拭いを忘れてしまったのですが、タオルか何か売っていますか」
「はいはい、じゃ、どうぞ、このタオルを使ってください」

街に薄れゆく文化的意義を噛み締めつつ、タオルをお借りした。
銭湯から出て、帰り路。
火照った頬を撫でる夜風が心地よい。
たけなわを過ぎた宴で、また一杯。

383声 間抜け空

2009年01月17日

調子が良い。
と、感じる時が稀にある。
神経が張り詰めて、胃が締めあげられて、気分が重たい時でも、感じる。
それは、間抜けな位、空が青い日だったりする。

382声 藪入りで背水一滴

2009年01月16日

今日は藪入りの日である。
一年に二回ある内の一つ、正月の方の藪入り。
もう一つは盆の時期。

その、盆の藪入り時期、私は上野は鈴本演芸場で落語を聞くべく、
真夏の真昼の炎天下、蟻の行列で並んでいた。
そう、去年の事である。

やっとこ席にあり付け、その日の寄席は大入りで、立ち見が出るほどの活気。
トリを飾ったのは、三遊亭金時。
演目はもちろん「藪入り」。

恥ずかしながら、時節に疎い私。
その落語を聞いて、初めて藪入りと言う日の存在と、
一体どういう日なのかを知ったのである。
銭湯もそうだが、市井の慣習と娯楽と言うものは、
古くから結びついているものだと感じた。

金時師匠、迫真の落語で、それまで漠然と漂っていた会場の空気は、
みるみるうちに、感動を誘う、張り詰めた明瞭な空気に変わる。
その空気を打ち破る、割れんばかりの拍手。
深々と頭を下げ、ゆっくりと閉まって行く緞帳。
飛び交う掛声と、こぼれる満足気な笑顔。

此処まで辿り着いた読者。
「ところで、さっきから言ってる、藪入りって何んなの」
ってな、私と同じ様な弛緩した表情を浮かべている人が、中にはいるかも知れん。
この機会に、落語の「藪入り」。
背水一滴。
つまりは、弛緩した表情が、引き締まる。
そして、心を打たれるかも知れん。
まさに、背中に冷水が垂れるかの如く。

381声 食事メニューの習慣性

2009年01月15日

私には、食事メニューに対して、習慣性がある。
つまりは、同じ物ばかり食べてしまうのである。
顕著なのが、昼めし。

頻繁に行く定食屋などでは、それぞれ、注文するメニューが決まっている。
この店はラーメン定食とか、この弁当屋はからあげ弁当とか。
そして、飽きる事無く、何度行っても同じ物を注文する。
飽きる事無く。
どころか、むしろ、そのメニューでなくてはならないのである。

何か、自らの気分を上気させる様な事があった日。
いつもの定食屋において、「じゃあ今日は奮発して」って、
普段のメニューでない、ミックスフライ定食なんて豪奢な物を注文する。
注文を終えて、待っている間に、
もうじわじわと後悔が忍び寄って来て、耳元で囁き始める。

「ちょいと旦那ぁ、いくらなんでもぉ、昼めしで950円は高いんじゃないですかぃ」
「値段の割にぃ、なんて事もありますからねぇ」
「フライは、カロリーが気になりますからねぇ」
「やっぱぁ、ラーメン定食にしておけば良かったんじゃあ、ねぇ」

囁きを無視しつつも、複雑な心持で海老フライにかじりつく。
ってな具合に、食事メニューの習慣性から逸脱すると、
厄介な結果が待ち受けているのである。

この様な状況から察するに、毎日、
決まった銘柄の安物のペットフードを食べている、家猫。
主の気まぐれな奮発で、高級なペットフードなんかを時々出されても、
猫にとって、非常に迷惑なのではなかろうか。
思えば、猫と自分を一緒にして考えているが。

380声 都会の人波に紛れる感覚

2009年01月14日

正月風情を残したアメ横を歩く。
声、匂い、眼光、が混ざり合う人海。
人波に洗われていると、気が紛れる感覚。

日暮里からバスで浅草。
観音通りからメトロ通りへ歩く。
往来の脇に、JA全農ぐんまの店舗である「グッドぐんまの旬の市」。
店頭で焼いている、焼き饅頭の香り。
味噌の焦げる匂いを嗅ぐと、故郷が甦る感覚。

379声 回顧的悔恨

2009年01月13日

会社の帰りに、古本屋に寄り道。
この古本屋、地元ではなかなか長寿な店。
この店には、中・高学生の頃から、下校の寄り道で訪れていた。

まさか、社会人になった自分が、
会社の帰りに古本を漁ってから家路に着くとは。
しかも、100円の棚にへばり付いて、
背表紙を指でなぞっているとは。
あの頃の自分には、けっして見られたくない光景である。

そんな事を考えつつ、学生服を着た、自らの回顧的幻影から逃れる様に、
古本を数冊かかえて、店を後にした。
家に帰り、本の包みを空けて愕然。
同じ文庫本を、2冊買ってしまったのである。
長い時期を経て、以前買ったのを忘れて、同じ本を買ってしまう事はあるが、
同時には今回が初めて。

愕然と同時に、悔恨。
非常に悔しくて堪らないのである。
だって、同じ本なのに、一つが100円でもう一つが157円なのだ。

378声 流れる落ち葉の様に

2009年01月12日

今日は成人の日である。
高崎線の電車内でも、振り袖姿の新成人たちが、
赤ら顔で小さな群れをなしていた。

自分もそうであったが、故郷から離れて暮らしており、
今日、久しぶりに故郷の友人たちと会う。
ってな、新成人たちも多いだろう。
同級生の話で持ち切りの、華やかな車内の一群。

そんな光景を見ていて思う。
成人までの道のりを振り返ると、川の流れに浮かんでいる落ち葉。
の様であったなと。

川の流れに乗る沢山の落ち葉。
起伏ある川の流れは、所々渦巻き、滞留している。
渦に集まる落ち葉たち。
そしてまた流れ出して、渦に集まって滞留。
そしてまた、流れに乗って。

学生時代、仲間と群れ、そして流れ、また別の仲間の群れが出来る。
その繰り返し、その流れの中を生きる。
そして、滞留している落ち葉の群れは、必ず流れて行くのである。

377声 湯船の目

2009年01月11日

天竺を見ている。
かの様に見える。
朧なる視線。
悠久の目線。
くたびれた銭湯。
隣の湯船の御爺さん。

376声 緑石鹸

2009年01月10日

本日、銭湯にて入浴。
洗い場で体を洗おうと、洗面用具に手を伸ばすと、石鹸がない。
「忘れた」って、思うと同時に、そこらに落っこちてないかと、
反射的に探してしまう、さもしい神経回路。

斜め横の鏡前に、ちびた緑色の石鹸が一つ。
時間も遅く、おそらく私で最後の客と推測される現在時刻。
となれば、忘れ物。

その緑石鹸を手に取って、両手を揉んで泡立てる。
順調に体を洗い進めて行くと、「ん」、と気付く。
匂いである。
カメムシを踏みつぶした、あるいは、腐った香草。
なんとも形容のしがたい、異臭。

おそらく、薬用の石鹸かなんかだろう。
その後、長めに湯船に浸かって、風呂から上がった。
瓶牛乳を飲みながら、手の平を嗅ぐ。
なんともいやはや。

375声 吝嗇問答

2009年01月09日

雪の降る日は、寒い。
寒いと恋しくなるのが、鍋。

先日参加した、新年会。
大人数での、居酒屋飲み会。
2時間飲み放題コースと言う、妥当な進行。
2階の大部屋に通されて、鍋に火付けたと思ったら、てんやわんやでお会計。
生ビールなんかはもう、ピッチャーで置いてあったり。
ってな、濃い時間が駆け抜ける。

すると、残されるのが、コース料理の残骸。
つまりは、食べ残しである。
時間が来て、そそくさと店を出際に、どうもテーブルの上が気になってしまう。
鍋にはまだ、〆に入れたうどんが残っており、しかも、具の牡蠣が所々見え隠れ。
刺身にから揚げ、ポテトフライ。

しかしながら、後ろ髪引かれつつも、さらに深く、酔街の夜へと沈んで行く。
沈没寸前。
救難ボートで岸まで辿り着き、どうにかこうにか、自宅の煎餅布団の上に倒れ込む。
目を閉じて、明日と今日の境目に垣間見るのは、光景。
刺身にから揚げ、ポテトフライ。
そして、あの鍋の牡蠣。
全部、ぶちゃっちゃうんだろうかと、気をもみつつ、就寝。

吝嗇故の自戒問答。
日頃、エコライフ生活を実践する、日本人の精神。
甚だ脆弱なり。

374声 ベジタブリズム

2009年01月08日

本日、取材撮影に訪れた、倉渕町のログハウス。
冬のログハウス。
と来たら、大抵、料理は鍋ってのが相場。
なので、地場産野菜を使って、寄せ鍋を作った。

取材撮影が一通り終わり、数人で鍋を囲む。
昼間だったが、辺りを包む森閑とした雰囲気も相まって、終始穏やかに食事。
野菜のみの料理で、一献傾ける。
と言うのも、穏やかかつ和やかな酒が楽しめそうである。
野菜を摂取する事で、影響が及ぶのであろう。
バイオリズムっちゅうモノ辺りに。

373声 存在に気付く

2009年01月07日

あらゆる物で埋めてきた空虚。
空虚を空虚として受け止め、状況を把握しようと努める。
そして気付く。
それを埋めてようとしていた行為。
その行為自体に気を取られ、一瞬目を逸らしていただけだった。
けっして埋まる事のない。
ないであろう、空虚が、存在している。

372声 手紙の温度

2009年01月06日

来た者に対し、年賀状を書いている。
不精な性格ゆえ、今年(否、ここ数年)は返送でしか年賀状を書いていない。
書き始めると、自らの字が、非常に稚拙で閉口。
私の手元にある年賀状は、その大半がプリントアウトである。
今年の干支である丑が、綺麗なデザインで定型の挨拶と共にプリントされている。
写真入りの物や、非常に凝ったデザインの物、様々。
どれも、非常に綺麗で見やすい。

それに比べ、私が書いた年賀状。
まさに、小学校低学年生が書いたかのように、
のたくった、墨文字一色の新年の挨拶。

そう言えば、私の友人にも、大人になっても字が下手な者がいる。
中学生時分の年賀状と、二十歳を超えてからの年賀状の字が、
全く成長していない、歩きながら書いた様な、ヨレヨレ文字。
思えばここ数年、あのヨレヨレ文字を見ていない。

そして、今までもらってきた年賀状で、特に印象に残っているのは、そんな年賀状。
バランスが悪く、不格好で、幼稚な文字が並んでいる、味があって温かみのある年賀状たちだ。
タイトルが付いていなければ分からない様な、手書きの干支のイラストを見て、
元日に一笑い。
大切なのは、手紙の温度である。
手書きの絵が沢山ある、稚拙だが、相手を思いやる文章の入った手書きの年賀状は、温かい。

だからと言って、この年になってもまだ、ミミズがのたくった様な文字を書いている自分は、
どうかと思ったりもする。

371声 朝湯

2009年01月05日

窓から射し込む朝日は、直線的な陰影を落とし、
湯船にたゆたう小波を輝かせている。
出しっ放しのシャワー。
立ち上る湯気が煙る。
曇った据え付けの鏡を擦ると、歯を磨いている、血色の悪い顔。
耳の奥に残る、昨夜の残骸。
悔恨になって、浸透。

370声 鶴のひとこえ一周年記念企画 〜実録・鶴の対談〜 後編

2009年01月04日

昨日の続き

■クレインダンス
堀澤宏之(ほりさわ・ひろゆき)=学校「ほのじ」校長
抜井諒一(ぬくい・りょういち)=「めっかった群馬」編集長

20:30:瓶ビール、レモンサワーなどが到着し乾杯

20:35:抜井、高崎の銭湯の話(3度目)

20:40:堀沢、自己において何が障害になるかの話

20:45:田村氏、フィギュアスケートの話

20:50:堀沢、「各スケート選手における芸者の資質と恋愛」の話

20:55:「芸は所作、お茶は所作」

21:00:堀沢、「ミキティの恋への考察」の話

21:15:田村氏から、「あわじオレンジスティック」を頂く

21:20:堀沢父から電話が入る
    「お釜の中に御飯が半分残っているから、それを出しておいてくれ」

21:30:「まだ最期じゃない…」

21:40:堀沢、「破たん」の話

21:50:田村氏、「迷い」の話

22:00:「物事にのっとれる女性」の話

22:15:抜井、「日本酒の良し悪しへの問い」の話

22:30:「反省しない」話

23:00:ここで対談を終了 会計を済ませ店を後にする
    抜井、「田村さん、ちょっとお金貸して下さい」

「テーマ」
っちゅう物が全く見当たらず、5分10分おきに話が飛んでいる、節操のない座談。
そして、「対談」になっているのかどうかも怪しげだが、
23:00で鶴の対談は終了。
ノートの文字も、大幅に罫線からはみ出しのたくってきたところで、実録を終了。
一同、満足気な表情を浮かべて、浮かんでいるような足取りで、
高崎のさらに深い夜へと向う。
ツルヨハバタケ

369声 鶴のひとこえ一周年記念企画 〜実録・鶴の対談〜 中編

2009年01月03日

昨日の続き

■クレインダンス
堀澤宏之(ほりさわ・ひろゆき)=学校「ほのじ」校長
抜井諒一(ぬくい・りょういち)=「めっかった群馬」編集長

18:45:「準備が出来ていないと旅に出れない」
    旅する準備の話

18:50:「第6回ワルノリ俳句ingが浅草になった理由から、浅草芸者」の話

19:10:抜井、「銭湯の良さ」の話(2度目)

19:15:渡辺氏、「成田湯」の話(2度目)

19:20:田村氏、来店

19:25:生ビール、熱燗などが到着し、改めて乾杯

19:35:渡辺氏、「目尻に皺がねぇと女じゃねぇ」(2度目)

19:40:「2つ年上の恋愛」の話

19:45:田村氏「隣保班」の話

19:55:「ほのじの料理にミラクルを」

20:00:堀沢、「攻めないで攻めたい」

20:05:「もっきり」の話

20:10:会計を済まし、店を出る

    店の前にて、渡辺氏と次回再会を楽しみに、別れる
    「ゴロゴロゴロ」っと、バッグに付いているキャスターの音と共に、
    夜の高崎に消えて行く、渡辺氏に感謝

20:15:高崎の街中へ足を向ける

20:20:堀沢、歩きながらデジカメのシャッターを切りまくる

20:25:おでん屋に入店

中編の今日はここまで。
さて、明日はいよいよ後編。
同じ話が再来、熱気が増す座談。
渡辺氏と別れ、新たなゲストである田村氏と河岸を変えて、
はしご酒及びはしご対談。
乞うご期待。

368声 鶴のひとこえ一周年記念企画 〜実録・鶴の対談〜 前編

2009年01月02日

年の瀬迫った、夕暮れの高崎。
クレインダンスの忘年会を兼ねて行われた、「鶴の対談」。
合縁奇縁、(偶然会った)ゲストの方々を迎え、
飲み屋の喧騒に溶けてゆく、一夜の酔話。
天下国家を論じる事も、社会情勢を憂う事もなく、
小さな店の、小さなテーブルの上に飛び交った、酒酒落落とした話の数々。
それでは、実録・鶴の対談、はじまりはじまり。

■クレインダンス
堀澤宏之(ほりさわ・ひろゆき)=学校「ほのじ」校長
抜井諒一(ぬくい・りょういち)=「めっかった群馬」編集長

17:00:高崎駅改札口、堀沢、知人の渡辺氏と偶然、出くわす

17:10:抜井、10分遅れて合流、3人で駅の外へ向かう

17:20:大衆割烹の店に入店

17:25:3人分の生ビールが到着し、乾杯

17:30:名古屋の旅から帰って来た渡辺氏、旅の話が始まる

17:35:渡辺氏、「寝袋マン」と「大須観音」の素晴らしさについての話
    深い詠嘆を込めて、「電車の旅は素晴らしい」

17:40:井上さんのギャグセンスへのダメだし

17:45:「九州の女」の話

17:50:目的達成の困難 「あんじゅとずし王」の話

17:55:家賃滞納、前向きな借金の話

18:05:渡辺氏、前橋時代「成田湯」の思い出の話

18:10:抜井、県内の銭湯事情から路地裏銭湯記の話

18:15:堀沢、行ったり来たりの思考回路の話

18:25:「端唄と都々逸から、柳家三亀松の素晴らしさ」の話

18:30:渡辺氏、湯豆腐をつまみながら熱燗を飲みつつ
    「目尻に皺がねぇと女じゃねぇ」(一同爆笑)

18:35:「最近の失恋」の話

18:40:「恋愛対象の許容範囲から、年齢のタガが外れた事への、驚きと希望」の話
    「愛と恋との相違」の話

今日はここまで。
まだまだ、高崎の夜は長い。
酒もじんわりと浸透し、徐々に色っぽくなってくる酔話。
明日は新たなゲストが登場。
乞うご期待。

第6回ワルノリ俳句ingから、自宅に戻り、更新。