大阪から名古屋へ。
昨日から一転して、調和のとれた街並みだと感じる。
怪しくも、危なっかしくもなく、整然としていて清々しい。
調和が活気を生むか、緊張感のない街が面白いか、
そんなことよりも、八丁味噌をたっぷりとつけたトンカツが美味い。
2016年01月28日
大阪から名古屋へ。
昨日から一転して、調和のとれた街並みだと感じる。
怪しくも、危なっかしくもなく、整然としていて清々しい。
調和が活気を生むか、緊張感のない街が面白いか、
そんなことよりも、八丁味噌をたっぷりとつけたトンカツが美味い。
2016年01月27日
車窓から富士山の稜線がくっきりと見えた。
あとひと月も経てば、春霞でぼんやりしてしまうだろう。
岐阜羽島から米原あたりは、週の初めに降った雪が大分残っていた。
目的地の大阪へ着き、仕事を終えて、夕方。
悲しいくらい道に迷った。
道が分からないくらいに、酔ってはいない。
大阪駅はいつ来ても工事していて、来るたび増殖している気がする。
地下街や地下鉄を巻き込んで発展しているので、街と駅との境目が無くなっている。
境目があいまいな雰囲気が、その不協和音がそのまま街の活気になっているのである。
怪しくて、危なっかしくて、腑に落ちないけれど、そう言う街は、面白い。
2016年01月26日
先日より観はじめたテレビドラマがある。
主人公は39歳独身男性、文具メーカーの企画開発部で働く、
所謂、エリートサラリーマン。
周囲から囁かれる異性への出会いなど興味なく、
もちろん、結婚への前向きな考えなどさらさらなく、
ウォーターフロントにある高層マンションの4階を購入。
(4階と言うところが、巧妙である)
性格は過剰とも思える神経質で、例えば、部屋の壁にかけてある、
愛車のロードバイクのペダルの位置が、いつも同じにないと気に食わない。
そんな神経質で、自身の美を満足させることに生きがいを持つ彼が、
長年思い描いてきた、理想の空間を自分の力で手に入れた喜びは、大きい。
ロフトから部屋を見下ろしつつ、お気に入りの麦酒を傾け、
夜な夜な自分だけの世界に浸っているような、男である。
ドラマのあらすじを書くつもりは無く、気になった点がひとつ。
主人公のいくつかある趣味の内、「麦酒」と言うのがある。
部屋にはビールセラーがあり、世界のクラフトビールが冷やされている。
傍らの棚にはもちろん、麦酒のスタイルに応じたグラスが、
ずらりと並べられているのである。
いきつけのバーでは、お勧めのクラフトビールを紹介してもらい、
グラスごと譲ってもらったり、麦酒に注ぐ情熱にはただならぬものが伺える。
柿の種と缶麦酒を握り締めつつ、「遂に麦酒もここまで来たか」と、
感慨深くテレビを眺めていた。
2016年01月25日
一時は量販店やコンビニなど、「第三の麦酒」ばかりになってしまい、
既存の「麦酒」は肩をすぼめて棚に並んでいたものだが、このところ、
また麦酒勢が盛り返してきた感がある。
まず、数が増えた。
それは、種類が増えたことによるが、コンビニへ寄れば、
毎月のように限定醸造の新しい銘柄が並んでいるし、
ちょっとしたスーパーならば、各国のクラフトビールが置いてある。
例えば、ピルスナーウルケルなど、一昔前は専門の量販店へ行かなければ、
変えなかったのだが、今はショッピングモールの大型スーパーへ行けば、
大抵は見つかる。
ウルケルを始めて飲んだときは、その透明感に打ち震えた。
「原点にして頂点」とはまさに。
リーバイスのジーンズで言う、501のような銘柄である。
こうやって書いていたら、この章をどう結ぶかよりも、
ひしひしとあの緑色のウルケルの瓶が恋しくなってきた。
ひとまず、冷蔵庫の奥に麦酒が転がっていないか、確かめてこよう。
2016年01月24日
記録的な寒さ、らしい。
奄美大島の名瀬では、115年ぶりに雪を観測したとのこと。
ニュース映像には、浜辺に打ち上げられた魚が映されていた。
寒さで仮死状態になってしまったのである。
日中、近所の林を眺めていると、枯木の枝に青い光が見えた。
尾長である。
群馬にいるときあまり見かけぬ鳥だったが、
こちらでは尾長をよく見かける。
尾長の去ったあとの枝には、鮮やかな色を曳いて目白が来た。
今年、初めてみる目白であった。
2016年01月23日
二日酔いで目覚めた、川越にて。
前の晩、川越で飲んでいたので、当然である。
宇宙船のようなカプセルから這い出て、
ひとっ風呂浴びてからホテルを出た。
駅へ向かって歩いていると、
駅方面からぞくぞくと人が来るではないか。
この朝っぱらに。
どの人も、片手に地図やらガイドブックやらを携えている。
最近、殊に観光地として人気と聞くが、ここまでとは思っていなかった。
喜々として歩いていゆく、人並みとすれ違う。
二日酔いで通勤ラッシュとすれ違うのとは、また別の感傷が、
そこはかとなく湧いていた。
2016年01月22日
今年、或る俳句の賞を頂くことになった。
副賞が句集出版なので、いま、句集の制作をはじめるところである。
制作をはじめるといっても、まずは部数や頁数など、
外堀の部分を出版社と決めなくてはいけない。
一頁に一句載せるか、二句載せるかだけで、
当然ながら収録句数は倍違う。
人の句集を読んでも思うが、玉石混合ではなく、
選び抜かれた玉だけ配置された句集には、とても感銘を受ける。
自身の句作記録のような句集ではなく、
作品としての句集にしたい。
とは、いま漠然と考えていること。
自身の句から玉を選ぶと、とても本にはならぬ気もするが。
2016年01月21日
ここに日々、こうやって書いているが、基本的にこそこそとしている。
こそこそと書いている、つもりである。
場末の居酒屋のカウンターで会ったおやっさんに、
日々の愚痴をもらしているような感覚と、相違ない。
読んでいる方は、もちろん、場末の居酒屋のカウンターで会ったおやっさんに、
日々の愚痴を延々と聞かされるような感覚だろうと思う。
飲むだけ飲んで、喋るだけ喋り、勘定は押し付けあおうではないか。
2016年01月20日
外国産のソーセージをたまに購入するのだが、
大きさがまちまちなのである。詰めている、腸の。
腸詰肉の全体の分量は、一袋ずつ同じだと思うが、
ソーセージ一個において、短くて太いのもあれば、
長くて細いのもある。
これが国産のものとなると、一袋の中で、
みな大きさが均一なのである。
しかしながら、なぜ外国産のものを購入するのかと言えば、
やはり美味しいからである。
一つずつ大きさの違うところも、手作り、ではないだろうが、
手作りの風合いと取れば、悪くない。
国産のものは、見ようによっては工業的な食品然としていて、
無機質な印象さえ受ける。
生活の中の瑣末なことだが、日本人はなんでも均一にすることに、
こだわりすぎではないだろうか。
2016年01月19日
関東地方は昨日の雪から一転、晴れているが、
日本列島の上には依然として、等圧線がきりきりと込み合っている。
この分だと、関東平野部は底冷えの寒さ、関東山沿いは強風。
山向こうの日本海側は、大雪になっているだろう。
などと、天気予報の気圧配置をぼけっと眺めながら。
天気のことなど書いているときは、大抵、
書くことが無いときなのであるが、
人と話すときも、同じことが言える。
挨拶で天気・気候のことから話し始めるのは、日本人特有と聞く。
しかし、季節の移ろいに敏感な日本人にとっては、
話すことが無いにもかかわらず話さねばならぬとき、
この感覚がたいそう重宝する。
いま、この瞬間も。
2016年01月18日
関東平野部でも積雪し、交通の乱れが甚だしかった。
ニュースを見ると、「関東で二百六人がけが」とある。
こうなると、都内は弱い。
各地で運休が相次ぎ、間引き運転の朝など、もう混雑極まる。
すし詰め以上に詰め込んでも、列車から人が溢れてしまい、
どの駅も一時的に入場規制されていた。
都内ではすぐにみぞれになり、
朝九時ごろには舗道の雪は融けていた。
夜は一転して晴れており、澄んだ空に星がきらめいている。
目まぐるしい一日だった。
帰路、悴む手を温めようと、自動販売機で缶珈琲を買った。
おつりを取っていると、脇からのっそりと猫が出てきて、大あくび。
なんとも人間の脆弱なことか。
2016年01月17日
日曜日なので、今しがたまで「サザエさん」を観ていた。
何かに理由をつけ、一杯飲んで帰って来たいマスオさんとアナゴさん。
仕事で失敗した後輩を慰める、と言うことにかこつけ、
三人で居酒屋に入り、麦酒を空ける。
するとこの後輩、酒癖に難があり、店を出てからも勢いを失わず、
「もう一軒」と息巻く。
三人でバーへ流れ、酒を酌むとどう言う訳か、ホステス嬢にモテるのは、
後輩ばかり。
完全に色を失ったマスオさんとアナゴさん。
帰り道には〆に食事をする気も失せ、帰宅の途に就く。
その後の休日、商店街の本屋で立ち読みをしているマスオさん。
通りがかったサザエがその姿を見かけ、マスオさんの真剣な横顔に感銘を抱き、
そっと立ち去る。
そして、レジでマスオさんが買い求めた本が、「バーでモテるコツ」であった。
アニメやドラマに関わらず、とみに少なくなったこう言う主題を見ると、
なんだか安らぐ。
2016年01月16日
軽く飲んだ流れにて。
それでは、〆にと言う運びで牛丼チェーンへ寄った。
券売機脇に「でん」と350円の文字。
牛丼ではなく、麦酒中瓶の価格である。
ジョッキは300円。
一昔前は、チェーンの牛丼店で麦酒を飲むときは、
いささか場違いな雰囲気が店内に漂っていたが、
昨今は、むしろ店の雰囲気が麦酒を勧めている。
その雰囲気に飲まれ、牛丼一杯で帰るつもりが、
牛皿で瓶を傾けることになってしまった。
さて、どこで〆ようか。
2016年01月15日
一月も半分終了。
本来ならば一月ごとの担当なので、
あと半月書けば次の担当である岡安氏にバトンタッチなのだが、
今年から担当は二月ごとに変わることになった。
ことの経緯は酔いと寒さとが手伝って、ほぼ覚えてはいないが、
新年二日、アメ横の寒風吹きすさぶ路上でそう決まったような、
思い出がある。
そんなわけで、あと一月半のお付き合いとなる次第。
今日は一件俳句の締切があり、新作十句を見繕って出版社へ送信した。
寒々しい冬の句で揃えたが、掲載は梅の蕾解けるころの三月号である。
結局、締切まで引っ張って推敲してしまった。
俳句を作るときはあまり余計なことを考えぬようにしているが、選句
をするときは、自分の句でも余計と思うようなことまで考える。
考えても上手くいかぬ場合のほうが多いのだが。
2016年01月14日
麦酒を飲み干して、さてお会計と言うときに、レジ横に発見した。
「金蝶ソース売ってます」の張り紙を。
あの「キンチョー」は「金蝶」だったのである。
「金鳥」の想像も案外近いものがあったが、「金蝶ソース」とは、
長崎生まれのウスターソースの銘柄のことで、
主に皿うどんにかけて食べるように開発されたソースらしい。
この食堂ではそのソースが常備されており、常連の方々は、
皿うどんとは言わず、揚げ物やキャベツなどにこのソースを用いる。
つまりは、金蝶ソースファンが多いのである。
なるほど、壁のメニューにも、「ちゃんぽん」や「皿うどん」、
「あごだしラーメン」など、長崎をルーツにしているらしい。
それからと言うもの、私も金蝶。
今では、当然のように金蝶ソースを手に取り、自分の卓に無ければ、
隣の卓に手を伸ばしてまで、用いるようになってしまった。
濃厚な味わいでないが、さらっとしていながらも風味に富んでいる。
皿うどんには勿論、アジフライなど二つに割り、
片側は醤油、片側は金蝶で食べているときなど、小さな幸せである。
この金蝶ソースをたっぷりかけたメンチカツが、
この食堂の好物のひとつである。
後編終わり。
2016年01月13日
本八幡駅北口の飲み屋街の中に、一軒の大衆食堂がある。
紺暖簾の奥には昭和の匂いが濃く、メニューが壁に貼ってあるような、
と言えば大方の雰囲気は伝わるであろう。
夕方の客層は、出勤前の水商売の淑女や、
仕事を終えた背広の親父さんなどが多い。
私も、定食と瓶麦酒で夕食にしたり、冷奴で軽く飲んで帰ったりと、
この方面に足が向いたときにはよく利用している。
行き始めたばかりのことだったが、
耳慣れない符丁のような言葉が気になっていた。
それは、お客が店員氏に「あれ、キンチョーは」や、
お客が隣のテーブルのお客へ「ちと、キンチョー借ります」など。
しかし、どう見てもソースの容器を手にとっているので、
こちらではソースのことをキンチョーと呼ぶのかしら。
蚊取り線香の「金鳥」が調味料を販売するわけはないし。
と言うのはいささか大げさに書きすぎだが、
瓶麦酒を注ぎながら、それに近いことを考えていた。
いささか長くなりすぎてしまったため、後編は明日に。
2016年01月12日
空っ風の無い分、住んでみて群馬より千葉の方が随分と暖かく感じる。
ともあれ、私が住んでいるのは市川市なので、
千葉県でも房総の辺りなどと十把一絡げにして語れないように、
群馬県でも、嬬恋村と館林市、鶴舞う形の尾と頭では、全く風土が異なる。
こちら市川は、暖かいとは言え、寒に入ってからは冷え込んでおり、
今日などは朝の一時、霙が見られた。
しかし、空っ風が吹き荒れた晩の、あの乾いた底冷えには及ばない。
もう、涙が出るほどきりきりと寒いのだが、大概、夜には風が止み、
とても空と山の影が綺麗であった。
そんな綺麗な風景ばかり思い出しているが、
今頃群馬では、夜中まで空っ風が吹き荒れているかも知れない。
2016年01月11日
用事があり、近所の神社へ出かけた。
由緒ある神社で、社務所には明治に書かれた連句の額、
本殿には勝海舟揮毫の額など、どちらも額だが貴重な文化財が見られた。
境内にはひっきりなしに人が訪れており、遅い初詣の老夫婦、
成人式帰りであろう晴着の若者、宮参りの赤子と家族など、多彩であった。
帰り際、境内を一巡りすると、陽だまりに寒紅梅がささやかに蕾を解いていた。