日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和6年度は4月(ぬ)5月(岡)6月(す)7月(堀)8月(坂)9月(ぬ)10月(岡)11月(す)12月(堀)1月(坂)2月(ぬ)3月(岡)の順です。

1393声 霧雨の霜降

2011年10月24日

「霜降」
肉の事ではない。
こう書いて、「そうこう」と読む。
と言うくだりも、使い古されていようが、横着をして使ってしまおう。
二十四節気の一つで、読んで字の如く、今日より、霜が降り始める季節となった。

早起きでない所為か、霜が降っているかどうかなど、気に止めた事は無いが、
朝晩は大分冷えて来た。
それでも、昨夜居た東京駅を見るに。
半袖の人も居れば、薄手のダウンジャケットを羽織っている人も居たので、
季節の変遷がまだ、おぼろげな時期なのであろう。

そう思っていたのだが、新幹線のホームへ出て、その考えを新しくした。
そこは、群馬へ帰る私が乗るべき上越新幹線のホームで、
新幹線の向かう先は新潟、である。
つまり、新潟へ帰る人は、ダウンジャケットなど厚着をしていて、
大宮など、首都圏に住む人は、半袖や長袖シャツなど、薄着。
夜ともなれば、それほどの寒暖の差があるのだろう。

いささか(金銭的に)無理をして乗った新幹線は、やはり速かった。
高崎駅へ着いて、ホームへ出ると、夜風が冷やかだった。
いつもの、地方都市の匂いがした。
新幹線が速かった為か、随分と秋が遠くに行ってしまったように感じた。

【天候】
終日、曇天。
夕方より、霧雨。

1392声 両立困難

2011年10月23日

散文詩を作るのと、韻文詩である俳句を作るのとでは、
全く、思考回路が違う。
と言う事を、日々、実感している。

私の場合。
この文章の様な散文を書く時には、一応、筋道を立て、
頭の中で文章を構成して行く。
しかし、俳句などの韻文詩では、反射的に五・七・五の定型を構成する。
飛んで来たボールに、反射的に手が出てしまう様に。
目の前の自然あるいは事象を分解し、有季定型、で表現する。
あるいは、想像上の取材によったり、無季や破調などもあろうが、
俳句は反射だと思う。
その点で、スポーツに近いと感じている。
誰かの排論の焼き直しになっているかもしれないが、改めて実感している。

いま、痛感している事は、散文と韻文の両立をせねば、と言う事。
私は、勉強とスポーツを両立出来ずに成長して来たタイプなので、
殊に、その両立が困難を極めている。

【天候】
雲多くも概ね、晴れて暖か。

1391声 都会の着物

2011年10月22日

東京方面へ、出掛ける事が最近ことに多い。
今週も、いまから出掛けるし、来週も、出掛ける予定がある。
都内を電車で移動していて、目に止まる人がいる。
それは、着物を着た人。

その多くは女性だが、都内には着物を着た人が多くいる。
と言うのが、ここ数年感じている事である。
住んでいた時分。
あるいはもう少し若い時分には、目に入ってはいたのだろうが、
目に止まってはいなかったのだろう。
街を歩いていても、電車に乗っていても、幅広い年齢層の着物女性を見掛ける。
仕事の人もあろうし、趣味の人もあろうし、様々だと思うが、みなキマッている。

群馬にも、着物女性は沢山いるが、あの都会の喧騒の中の着物とはまた風情が異なる。
変な話だが、文化の坩堝である都会の中にあって、着物を見た時、「あぁ、ここは日本か」
と言う感慨が湧いてくる。

【天候】
終日、小雨交じりの曇り。

1390声 一茶館からの便り

2011年10月21日

帰宅すると、封筒が届いていた。
差出人は、信州高山の「一茶館」。
「はて」と思い、中身を確認すると、手紙と景品だった。

文面を読むと、どうやら、句が入選したので、その景品らしい。
先月、一茶館に訪れた際、館内に投句箱があったので、
一寸休憩を兼ねて投句して見た。
その時の句である。

こうやって、一茶の時代から、俳句で繋がっている。
と言うのも、なんだか信州の人のあたたかさを感じる。
いつかまた、行ってみようと思った。

【天候】
終日、曇り。

1389声 夜寒句会

2011年10月20日

今日は、定例の句会であった。
来週に吟行会を控えた参加者がいるので、いつもより少なかった。
私はその吟行会には不参加なので、この定例の句会に出席した。

参加者4人。
いつもは8人くらいなので、随分と小じんまりした。
「晩秋」と言う事もあり、「やや寒」、「そぞろ寒」、「夜寒」など、
寒さに心が動い出いる俳句が多く出た。
しかし、参加者の一人である女性は、半袖。
私は室内でもオーバーを着ている。
人により、体感気温と言うのは随分と違うものである。
いや、一家の主婦と言うのは、それくらいに燃えていなければ勤まらぬのかも。

食卓に並んでいた林檎をかじり、冬の近さをしんみりと感じた。
ガラス窓の外からは虫の音が聞えていたが、
息を次ぐように途切れ途切れに鳴いており、うら寂しい印象であった。
奥の炊事場からは、絶えず水の音が聞こえていたが、
片づけが終わって静かになると、いっそう、夜寒が忍び寄って来た。
句会も終わる頃には、夜も深くなって、虫の音が大分少なく細くなっていた。
その分、闇の色も濃くなっていた。

【天候】
終日、うす曇りで肌寒い。

1388声 来ないものは

2011年10月19日

谷へ落ち込むように、突然、夜が寒くなった。
そのせいか、体調も芳しくない。
それに伴って、半年ほど前に変えた、インターネットプロバイダの接続が悪い。
つまりは、インターネットに繋がらないのである。
様々な事柄が混線して来たので、寝る事にした。
蒲団をかぶって朝を待てば、何もかも改善している。
「果報は寝て待て」、を信じて。

来ないものは来ない。
寝て待てども、起きて待てども、来ない果報は来ないのである。
何だか、体調も以前として芳しからず、インターネットも繋がらぬまま。
それには、自己管理能力の欠如、低価格のプロバイダ契約などが起因している。
特に、「価格が安い」てぇんで、乗り換えたプロバイダとやらの影響で、
インターネットの繋がりが悪いのには、まいった。
寝て待っていた果報は、一夜明ければ、「因果応報」。
そんな事をやっている間に、雲間から薄い朝陽が射しこんで、
インターネットも気付かぬ間に繋がっていた。

【天候】
雲多くも秋晴れの一日。

1387声 こんにちはあらちゃん

2011年10月18日

「志木あらちゃん」
と言う名前で今日、埼玉県志木市から住民票が交付された。
荒川に来ているアザラシに、である。

河川敷には連日、朝から見物人や報道陣が大勢詰めかけており、
このあらちゃんの、一挙手一投足を見守っている。
2002年に荒川に訪れた、「たまちゃん」の時の様に、マスコミ、
特にテレビやラジオなどが熱を上げている。
犯罪や政治のニュースを見るよりも、河川敷でのんびりと過している、
このあらちゃんを見ている方が良い。
などと思ってしまう。
しかし、住民票てぇのは、ちとワルノリな気がする。

先のたまちゃん報道の時に知ったのだが、文献によると、江戸時代にも列島各地で、
しばしばアザラシが目撃されていたらしい。
現在同様に、その現場には連日見物人が詰めかけ、大きな騒ぎとなった。
その後、数匹のアザラシは捕らえられて見世物に出されたと言うから、
今も昔も、人間の企みと言うのは、変わらぬらしい。
現代では、捕まえるようなことはしないので、あらちゃんには、
まぁ、のんびりと過ごし行っててもらいたい。

【天候】
終日、秋日和。

1386声 リズムと中毒

2011年10月17日

「中毒者」
文字で書くとなんだか怖いが、そう言えばそうかも知れない。
珈琲が、である。

昼間は珈琲を、相変わらず飲んでいる。
主にコンビニで買って飲んでいるのだが、最近は所謂、「缶珈琲」でなくて、
少し大きめなボトル缶の珈琲を売っているので、ついついそちらに手が出る。
因みに、通常の缶珈琲が190mlなのに対し、ボトル缶は概ね300mlと、
110mlも多く入っている。
それを、一日二、三本飲んで、自宅に帰ってからも、また別の珈琲を飲んで入れば、
否が応でも中毒してくる。

珈琲を飲む。
その動機は、はっきりしている。
「手持無沙汰」、なのである。
私は煙草を吸わないので、運転をしている時などは手持無沙汰解消のため、
珈琲を飲みつつ運転している。
長い距離を運転する際は、眠気覚ましの為、尚更、コンビニで買いたくなってしまう。
今となっては、信号で止まるごとに珈琲を一口、と言うのが一つの運転のリズムになっている。
それに伴って、生活全般にも珈琲とリズムが密接に関係しているようである。

朝起きて、新聞を読みながら一杯。
食事の後に一杯。
人と話をする際に一杯。
知人宅で長居をして、「もうお引き取り下さい」の合図で一杯。
それでも、珈琲を止めようとは思わない。
それがもう中毒かもしれないが、動機はどうあれ、
珈琲を飲みたいのだから仕方ない。
珈琲を飲みたくて飲んでいるのだが、安物の珈琲ばかり飲んでいるので、
美味い珈琲が飲めないのには、辟易としている。
「不味いなぁ」と思いつつ、日々、飲んでいる。
それがもう、立派なカフェイン中毒者かも知れない。
では、書き終えたので一杯。

【天候】
終日、麗らかな秋晴れ。

1385声 刈田道

2011年10月16日

「もったいないですね」
そう言いあって、二人で苦笑いしたのは、昼下がりの床屋。
軽快に運ぶ鋏の音を聞きながら、店主と話してた。
野山に行かぬのがもったいないくらい、清々しく晴れた今日の空の事を。

気持の弛んだ途端に一週間の疲労が出て、終日、部屋でぐだぐだとしていた。
それでも、窓から高い秋の空が見えると、気分が良い。
日が傾き始めてから、いつもの如く句帖をポケットに突っ込んで、
裏の田圃へと歩を進めた。

10月も半ばだと言うのに、どういうわけか夏日になり、
大量発生した羽虫が日に輝いている。
庭の百日紅も、更にコ濃く狂い咲き、家を出掛けに見たニュースでは、
桜も開花してしまったところがあるらしい。
その所為か、山の裏からは、入道雲の様な雲育っていた。

刈田道を行き、視界の開けた場所に腰掛けて、
しばし日の移ろい行く野を眺めていた。
背高泡立草が群生している田圃が、あっちに一枚、こっちに一枚。
黄色い花の群れが揺れながら、日射しを集めている。
用水路沿いには秋桜、畦道には猫じゃらしやすすきの穂が、風を捕まえていた。
日曜日の夕方と言う事も有り、犬の散歩させている人が、4,5人くらい過ぎて行った。
小さい犬に大きい犬。
どの犬も、犬は犬で忙しそうにしていた。
別に忙しくも無い私は、日の暮れるまで、気まぐれにペンを走らせて、帰路についた。

【天候】
終日、秋晴れ。

1384声 観音山句会

2011年10月15日

降ったかと思えば止んで、止んだかと思えば降って。
しかし、傘をさすほどでもないのが、救いであった。

高崎市の染料植物園の駐車場から、句会場である染料植物園の温室までは、
遊歩道になっている。
染料植物の木々が生い茂った、林の中を行く。
昼間でもほの暗い遊歩道は、虫の音や鳥の声が繁く絶え間なかった。
葉を打つ雨の音を聞きながら、林の中を歩き、花を愛で、鳥の声を聞き、
木の実を拾いながら句を作って行く。

ひびき橋まで来ると、先生や句会の参加者が、7、8人点在していた。
観音山の薄紅葉や、聳える白衣観音が見えるので、皆、
その景を句にしようと試みているらしかった。
ひとしきり時間を過し、句会場まで戻り、10人20人と集まり来て、
伝統俳句協会群馬支部の句会。

鬼胡桃、橡の実、野菊、檀の実など、秋の観音山ならではの季題で、
巧い句が沢山あったのに舌を巻いた。
私は薄紅葉を詠んだ句が、ひとつ選に入ったが、総体的に出来が悪かった。
「俳句に触れる」
と言う事もそうだが、まずは「自然に触れる」と言う事を、今一度考えねば。
そう感じた。

木々の名前、木の実の名前、虫の名前、鳥の名前、そして、花の名前。
それは、自分が句作する上では、
あまり問題ではない(知っているもので作ればいいので)のだが、
他人の句を鑑賞する時に、弱ってしまう。
なので、野や山や街や路地裏、色々な場所に吟行に出掛けると言うのは、よい。
山登りなどしない私にとっては、特に、里山で気分転換する動機付けになる。

【天候】
終日、ぐずついた雨天。

1383声 秋の百日紅

2011年10月14日

一雨ごとに、秋も深まって来ている。
秋気も澄んで、里の山肌では初紅葉が目に付く。
そんな時期に、狂い咲きであろうか、庭の百日紅の木が花を咲かせている。

百日紅と言えば、概ね真夏に咲く花である。
この庭でも、盛夏の陽射しの中、百日紅が鮮やかなピンク色を咲かせていた。
その同じ木から、麗らかな秋の日差しが差し込むとは言え、10月も中旬を過ぎて、
また、鮮やかに咲いている。
夏の頃とは違い、枝先のもっとも明るさが集まっている部分に、ひと固まり花を付けている。

狂い咲きの百日紅から、縹渺とした秋の雲が出てゆく。
2011年も残り二月。
何も無く、何事も無く、穏やかに月日が流れて欲しい。

【天候】
終日、雲多くも穏やかな秋の日。

1382声 隣近所

2011年10月13日

おそらく、無名である。
地域の輪の中では名が通っていても、世間ではほとんど無名と言えよう。
それなので、本棚にあって、格安で投げ売り同然に売られていた。

そう言う本を古本屋見つけ出しては、買っている。
ここ数年は、「俳句集」などが多い。
自費出版した私家版の句集や、無名の作家の句集となると、
「俳句」と言うジャンルと相まって、すこぶる価格が安い。
消費者としては有り難いが、手にとって、いささかさびしい心持もする。

今日、一冊購入してきた俳句集も、昭和末期に東京の出版社から、
シリーズ物で刊行された句集のひとつ。
著者は群馬県出身だが、ほとんど無名と言える作家で、私も今日初めて知った。
奥付に記載してある著者の生年月日を見ると、昭和一桁生まれ。
御存命なら御高齢だろうが、私に知る由も無く、俳友の周辺情報でも聞いた事が無い。

読み進めてゆくと、これが良いのである。
新進作家特有の才能の鋭さ、有名な大家の洗練された技巧。
そんな「華」こそ無いが、主婦と言う視点から感じ取った自然を、
素直な詩心で五七五にまとめている。
そして、生活と俳句に、どっしりと腰を据えて挑んでいる。
例えば、隣近所に住む、ごく普通のおばちゃん或いはおじちゃんが、
堂々たる句風の俳句作家なのである。
やはり、日本人とは、そういう民族なのであろうか。
「すごい事だなぁ」と、しみじみ感じた。

【天候】
穏やかな秋日和。
月光が一段と清かになってきた。

1381声 大人の口実

2011年10月12日

今宵の月は満月であった。
月明かりが冴え、夜空もきめ細かくなって来た印象を受けた。
徐々に、冬が近づいて来ている。

夕方だった。
今日の満月が目に止まった時刻が、である。
信号待ちをしていて、前方の空。
夕日の光に染まった赤色と、随分と低く大きく映っている姿に、驚いた。
その後に見た月は、はや日暮れ空に高く昇っていて、青い光を降らせていた。
満月の夜に、夕方から夜にかけて、月の昇り行く様を見ながら、月見酒。
てぇのも、春の花見酒とはまた全然違った趣がある。
とは言いつつも、社会生活を営む大人に取って、その時間を得るのは至難の業であろう。
十五夜でなくとも、満月の夜は、月を愛でると言う風習が浸透して欲しい。
大人は何かと「口実」が必要であるから。

そんなことを考えつつ、近所の夜道を、少しばかりほっつき歩いて帰宅。
庭に実っている色づき始めた柿が、月光を蓄えて、更に丸々と太り始めていた。

【天候】
終日、秋日和。

1380声 シンクロナイズ

2011年10月11日

慌ただしく過ぎ去った週末だった。
帰宅した時点で、既に日付が変わっていたので、
まだ、昨夜の銭湯ナイトの熱狂が耳の奥に残っている。
気分を切りかえる為、夜、外を散歩してみた。

「5句」
と決め、ポケットに句帖とペンを差し込んで、裏の田圃へ出掛けた。
ぽっかりと口を開けている田圃は、一面の虫の闇。
大型ショッピングモールの灯が、煌々と灯っており、
その遥かには、榛名山が微かに映っている。

三十分ほど歩いたが、苦戦。
スポーツや楽器と同じく、やはり韻文詩である俳句も、
間を開けると感覚を戻すのが難しい。
ともあれ、苦戦を強いられる戦いのほうが多いので、
感覚が戻っていようといまいと、同じ様な事。
「虫」で3句、「秋灯」で2句、強引に詠んで、家に戻った。
虫時雨の中で深呼吸をしていると、やはり、東京の喧騒よりは気分が和らぐ。
夜の中の虫の音と、胸の中の心臓の音とを、シンクロさせている時間。
てぇのは、一日の中で必要な時間、である。

【天候】
終日、秋日和。

1379声 第7回東京銭湯ナイト

2011年10月10日

新宿駅東口を出て、歌舞伎町へ入る。
この喧騒の中を行くのは、丁度一年ぶり。
季節は確実に巡っているの。
しかし、一年前の同じ日同じ時間に、同じ様な秋の夕暮れ時の露地を歩いていると、
「本当に一年経ったのだろうか」
と言う錯覚に陥る。
つい昨日の様な心持でもあり、遠い昔のような心持でもある。

「銭湯ナイト」の会場である「ロフトプラスワン」へ着くと、入口に「第7回」とあり、
やはり「第6回」から一年経ったのだと、感じる事が出来た。
地下へと続く階段を下り、会場に入る。
慌ただしく搬入や設置を済ませ、これまた慌ただしく様々な関係者の方々と挨拶。
そして近況報告や情報交換などを済ませ、雪崩式に開場。

イベント自体は、いわずもがなの大盛況。
三連休の最終日にも関わらず、満席になっていた。
夜も深い時間まで、東北の銭湯を中心とした濃い話が続く。
町田氏や出演者の方々の保有する、東北銭湯の秘蔵の写真が、
貴重な市井の文化遺産であると、この大震災を通して、改めて実感した。

ぽつりぽつり、と自身の本も売れ、今回の目玉として持って行った、
「群馬伝統銭湯地図」もまずまず配布出来た。
去年買って下さった方々の感想を聞く機会があり、
まさに自ら直販できるこのイベントならではの事だったので、新鮮だった。
今回は早上がりして、東京から新幹線の最終へ飛び乗って帰路へ。
新幹線の終電。
と言うのは、初めて利用した。
寝静まった街を猛スピードで走り抜ける、車内販売の来ない、ひっそりとした車内は、
いささか寂しい思いがした。
窓に反射する光を眺めていたら、つい先程までの、煩わしい繁華街の喧騒や、
下品に揺れる原色のライト、そして熱気あふれる地下の一室が、妙に懐かしくなっていた。

【天候】
終日、秋日和。

1378声 第7回銭湯ナイト前夜

2011年10月09日

日刊「鶴のひとこえ」なので、その日に更新しなればならない。
しかしながら、日々の生活状況に左右され、
その日に更新できない事が、多々ある。
そうなると、極めておぼろげな状況になるのだが、それでも、良しとしている。

起承転結の「起」から、言い訳じみているが、それもそのはず。
これを書いているのは、11日の火曜日。
本来は9日に書くべきものである。
この日は秋うららの、好転。
群馬県外へ出掛けていたのであるが、交通手段が電車だったので、
心おきなく、飲んでしまった。
そうなると、あとは雪崩式。
翌日に、第7回「銭湯ナイト」を控えており、
前倒して東京方面に入っていたのであるが、焼き鳥の誘惑にはどうしても勝てず、
いささか痛飲。
若干の二日酔いで銭湯ナイトに臨む羽目になってしまった。

【天候】
雲多くも、秋うららな一日。

1377声 読書雑感「花衣ぬぐやまつわる……」

2011年10月08日

目が覚めてから、カーテンも明けぬまま、朝の薄明かりの寝床で、
脇に置いてあった本を引き寄せて、読んでいた。
分厚い本なので、ここ一週間くらいかけて読み進めていた。
今朝、丁度読み終わりそうだったので、そのまま読了してから、起床しようと思った。

田辺聖子著「花衣ぬぐやまつわる……」(集英社)。
と言う本で、大正・昭和初期に活躍した女流俳人「杉田久女」に関する内容である。
タイトルにもなっている、「花衣ぬぐやまつはる紐いろいろ」や、
「谺して山ほととぎすほしいまま」などの句は、俳句入門書の類に頻繁に出て来る有名な句。

「久女」と聞くと、やはり、ホトトギス除名晩年の精神病院の印象が強く、
狂気の内に最期を迎えたと喧伝されている。
著者はその喧伝、つまり噂に不信感を抱き、ひとつひとつ丹念に久女ゆかりの地へ足を運び、
噂の出所と事実関係を洗い出して行く。
忠臣蔵的と言うか、主君の汚名や大切な人の冤罪を晴らす為、所謂、「俳壇」と言う大きな闇に、
一縷の光を照らすと言う印象を受けた。
なまじ、その大きな闇に属していないので、遠慮や躊躇なく暗部には光を当てているので、痛快だった。
俳句を「芸術」と強く意識し、その芸術に惜しげも無く自分の才と人生を捧げた、
稀有な女流俳人「杉田久女」。
著者が巻末で「愛する句」として、一句挙げている。

甕たのし葡萄の美酒がわき澄める  (久女)

この句には、晩年の暗い雰囲気はみじんも無く、ハイカラな才媛の雰囲気が漂っている。
いかにも「モテそう」であり、そう言う「たのしい」久女の一面を、著者は紹介したかったのだと感じた。

鶴舞ふや日は金色の雲を得て (久女)

久女の句は、俳句に親しむ私たちの心の空で、伸び伸びと舞い飛んでいる。

【天候】
雲一つない、秋日和。

1376声 有りの実

2011年10月07日

「幸水」や「豊水」は時期が終わってしまったが、
「二十世紀」や「秋月」などは、丁度、10月前半の今時期が食べ頃である。
先日、この二つの種類の梨を頂いて、いま、梨三昧の生活を過している。

群馬県内でも、東では明和町の新里、西では高崎市榛名の里見などが、
梨の産地として有名である。
私は住んでいる地域が高崎市なので、「里見の梨」が馴染み深い。
他所の家で、梨を頂くと、「里見ですか」と思わず聞いてしまう癖までついてしまった。
大きな視野で見れば、関東地方で「梨」と言ったら「千葉」県なのだろうが、
今でも梨と言ったら里見と言う観念が抜けない。

それは、里見の梨の味を信頼しているからだとも言える。
「日本全国、梨の産地は数あれど、里見の梨に勝る物なけれ」
と、心の片隅で思っている。
学生時分、群馬県外に出て、他県出身の知人に話しても、
誰一人として里見の梨を知らなかった。
それは新里の梨とて同じ。
しかし、郷土とはそう言うものだと、後年思った。

「梨の実」は「有りの実」とも言われる。
「無し」だと縁起が悪ので、「有り」にしたのだと言う。
私たちにの祖先には、確実に「お調子者」の血が流れているようである。

【天候】
終日、秋晴れ。
午後より風強し。