日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和6年度は4月(ぬ)5月(岡)6月(す)7月(堀)8月(坂)9月(ぬ)10月(岡)11月(す)12月(堀)1月(坂)2月(ぬ)3月(岡)の順です。

1086声 目刺しと焼酎

2010年12月21日

昨日の記事である、「大衆的を、楽しむ」について、
「なかなか、良いではないか」と言う旨の意見を、幾人かから頂戴した。

おそらく、大衆的な食事に縁が深い人なのだろう。
その中の一人には、一寸、驚いた。
「目刺しってのは、メザシって魚じゃないんですか」
「じゃあ、煮干しはニボシって魚で、刺身はサシミって魚がいるってぇのかい」
とは、言わなかったが、
「目刺しは大体、鰯ですよ」
と、答えておくに、留めた。

この問答から推察するに、現代の若者。
特に、学生諸氏に至っては、目刺しってのが、何の魚か。
その大半が、答えられないのではないのではないか。
おそらく、目刺しが食卓に並ぶ事なんて、ないだろうから。
その伝で言うと、シラスも、ちりめんじゃこも、
なんの魚か分からないのではなかろうか。

そんな事を他人事のように書いている私も、実は未だ辛うじて20代。
学生自分の食卓を振り返るに、確かに、目刺しなんて並んだ事がなかった。
常食として食べていたのは、大学生時分。
金銭に困窮して、買える食材が目刺し位しかなかったので、
選択の余地無く食べていた。
幼き頃の記憶として、親戚である、芸者上りの無頼派なお婆ちゃんが、
目刺しで焼酎を飲んでいたっけなぁ、昼間っから。

【天候】
朝は晴れ。
午後から下り坂で、夕方より雨。

1085声 大衆的を、楽しむ

2010年12月20日

先日、一寸、暇な時間を持て余して、夕方。
庭先に七輪を出して炭に火をおこし、
夕餉のおかずにする為、目刺しを焼いてみた。

「目刺し」ってぇと、昭和の丸テーブルの朝食。
と言う景と共に、安価なおかずの代表選手と言う印象がある。
近所のスーパーで購入したのだが、一パックに、4匹刺しが3つ。
計12匹で、およそ200円、一匹およそ17円。
現代でも、安価なおかずの代表選手入りは、間違いないだろう。

木がらしや目刺にのこる海のいろ    芥川龍之介

と言う状況を気取りつつ、団扇で仰ぎながら、丹念に焼いた。
銭湯も、大衆食堂もそうであるが、目刺しを、「あえて」、
趣向として食べるのだから、楽しみながら、焼かねばならぬ。
しかし、趣向として食べられる位の余裕も無いのだが、それはさておき。
既に、瓶麦酒は冷蔵庫に冷やしてあるので、準備にぬかりは無い。

いささか、はらわたが出てしまったが、ほどよく、こんがりと焼けた。
これと、良く冷えた麦酒で、暮れなずむ空を眺めながら、一杯。

失せてゆく目刺のにがみ酒ふくむ    高浜虚子

大衆的って事が、必ずしも品格を落としめるとは限らない。
大衆的な物にこそ、心の深くに響く、味わいがある。

【天候】
終日、穏やかな冬晴れの一日。
冬型の気圧配置が緩み、11月中旬の暖かさ。
雨の降る前の日は、決まって暖かく、飛行機雲が見える。

1084声 四角を十字に

2010年12月19日

今日は、日曜日。
風も雲も無く、澄み渡った冬天が心地好い。
出掛ける予定も無いので、この期に、年賀状を書こう。
と思い立ち、朝からペンを握り、机の前に着いた。
着いたまでは良いのだが、書いた年賀状の無いまま、
午後になってしまった。

プリンターを押入れから引っ張り出して、
パソコンにセットして、トナーを交換して、
葉書作成ソフトをダウンロードして。
何かと、葉書裏に干支を印刷するまでの工程が煩雑で、
一向に、宛名書きまで進まない。

昼飯を食べ終え、そのまま、銭湯へ出掛けてしまった。
銭湯へ到着し、開店時間の5時手前には、
一番湯を待つ湯客たちが10名ほど。
その中で、私が一番である。
暖簾が掛かって、飛び込んで、番台。
湯銭を渡す際、女将さんに写真撮影の許可を伺うと、
即座かつ強固に、NGとの事。
そのまま、お湯だけ頂いて、帰って来た。

群馬県はもとより、隣県の銭湯を回って来たが、
ここまで完全撮影禁止と言うところは初めてである。
おそらく、何か理由あっての事だろう。
しかし、その「何か」は私の知り得る所でもないし、
また、そこまでの詮索は無用である。
銭湯の方、またはそこを利用している方に、
不快感を与える場所へ踏み込むのは、
銭湯愛好者の道理に反する。

とは言っても、非常に残念である。
歴史ある、そして、個性的な銭湯だけに、尚更。
高速道路を使って、片道一時間半。
いやしかしまぁ、ちと残念だな。
何がって、ありゃ初めて見る、湯船の形。
四角い湯船の中を十字に切って、
四つに分かれていたなぁ。

【天候】
終日、雲も風も無く、穏やかな冬晴れの一日。

1083声 伝統の伝統たる価値

2010年12月18日

今日は、高崎市の「浅草湯」へ行って来た。
と、言っても、入浴ではなく、取材を受けた。

浅草湯は、何度も伺った事がある、大好きな銭湯。
小一時間ほど、ご主人と歓談させて頂いて、
貴重な話が多数、伺えた。
浅草湯の創業は大正10年だが、それ以前から、
別の屋号で銭湯業を営んでいた事。
脱衣場にある大きくて立派な鏡は、英国製で、戦時中は、
ご主人自ら疎開に出していた事など。
戦前の話が、一月前の話の如く、飛び出してくる。
これもやはり、伝統ある銭湯ならではの事。
現在の高崎市街地で、戦前の高崎を語れる現役の商売人が、
果たして今、幾人いるだろうか。
そんな事を思いつつ、ご主人の話に耳を傾けていた。
そして、改めて、市井における伝統の伝統たる価値を認識した。

しかし、カメラを前にして、どうも拙い表情しか作れなかったな。
と、若干後悔しつつ、女将さんに貰ったチョコレートと瓶牛乳で、
一杯やっている。

【天候】
終日、穏やかな冬晴れの一日。

1082声 年忘れの必要性

2010年12月17日

さて、師走もいよいよ後半戦。
平成22年の佳境である。

短い一日を、おろおろとしながら送っている人も多い筈。
私も、その一人で、兎に角、おろおろしているばかりで、
一日が暮れて行く。

この「おろおろ」の主たる原因は、「今年中に」、
と言う制約が迫って来ている事による。
今年中に片づけねばならぬ仕事が、次々に降って湧いてくる。
では、現在時刻午前零時手前の、我が部屋を見渡して、
降って湧いてくる仕事の声を聞いてみる。

一枚も済んでいない、年賀状書き。
「めっかった群馬」掲載用の、溜まっている原稿書き。
自らに課してある、一日五句の発句。
全体的に散らかり放題の、部屋掃除。
売り掛けてある本の在庫集計及び、請求書の作成。

何だか、自らのおろおろ加減に拍車がかかり、
気持まで滅入ってきた。
この中の幾つかは、忘れる事にしよう。
「人間は忘れる事が出来るから、生きて行ける」
ってな教訓は、巷の三文哲学書にも、よく書いてある。
その伝で言えば、忘れる事が出来るから、年が越せる。
「年忘れ」
とは、よく言ったものである。

【天候】
終日、穏やかな冬晴れの一日。
群馬県平野部でも、夜半には氷点下の冷え込み。

1081声 季題の声

2010年12月16日

この文章を書いている今日は、金曜日。
本来の更新日は、木曜日。
つまり、一日更新しなかった。

ありがたいもので、一日更新しないと、心配してくださる方々が、居る。
そして、様々な憶測が飛び交う。
もしや、「酔い潰れ」。
はたまた、「行き倒れ」。
いや、あるいは、「失踪」。
そんなに悪いだろうか、日頃の私の素行は。

昨夜は、定例の句会だったのである。
いつもの事、素竹先生宅に伺っていたので、
更新作業に至る時間がなかった。
先生曰く。
「ふっと、張っている気持ちを、ゆるめてみる。そう言う時に、季題の声が聞こえてくる」
季題の声。
に、気付けただろうか。
と、ゆるみっぱなしの脳で、考えている。

【天候】
雲多くも、晴れ。
冬型の気圧配置が強まり、冷え込みが、強い。

1079声 今朝の行き倒れ

2010年12月14日

今朝、曇天の薄暗い街中で、行き倒れている人を見た。
現場は、割と駅に近い、高崎の市街地。

車に乗って信号待ちをしていると、何やら前方に小さな人だかり。
救急車が来て、救急隊員が二人降りて来た。
救急車のサイレンにつられ、近所の和菓子屋の女将さんや、
中華料理店の親父さん。
近所の商店の人たちが店先へ出てきて、皆、
心配気な表情でそわそわしている。

倒れている人は、初老と思しき男性。
傍らにあるキャリーバッグを見るところ、
行旅死亡人ではない様であるが、詳しい事は分からない。
信号は青。
バックミラーで確認したところ、当人、担架に乗せられ、
救急車で搬送されて行った模様。
昨夜から垂れこめていた暑い雲間から、
所々、光の真っ直ぐな束が、降り注ぎ始めていた。

【天候】
朝より小雨まじりの曇天。
昼ごろより晴れ間がのぞき、夕方にはすっきりと晴れる。

1077声 12月12日晴れ

2010年12月12日

きもち風が吹いているが、師走半ばとしては暖かな日である。
昼飯を食べ終え、珈琲を飲みながら、机に肘をついてまどろんでいる。
私が常用する珈琲は、インスタントでなく、生意気にもドリップ式。
量販店で最下等の銘柄の物なので、満足はできない。
しかし、それなりに風味と薫りがあるので、よし、としている。

今日は、仲間の有志が中之条へ、かや刈りへ行っている。
私はと言えば、どうも体調が芳しくしないので、今日は冬籠りを決め込んだ。
午前中は、ずいぶんと久しぶりになる、洗車をした。
やたらと、図体ばかりデカイ車なので、洗うのに骨が折れる。

思えば、東京に住んでいる時分は、
2シーターのオープンカーを買おうと思っていた。
狭い道で小回りが利き、郊外へ行く時はオープンし、風を感じて颯爽と走る。
そう言う構想を思い描いていたが、群馬に帰郷する機が訪れてしまった。
それからは、SUV型の車を買って、のんびりと釣りでもしながら暮らそうと、
考える様になった。
そして、SUV型の車は買ったが、釣りなどへは一度も行かず、
狭い路地にある銭湯へ通っている始末。
「だったら、オープンカーの方が良かったか」
いや、自分が髪をなびかせながら、オープンカーを運転している姿を、
思い浮かべれば、答えは、否、である。
だから、洗うのが億劫でも仕様が無いと、心をなだめている。

土地柄、午後は赤城おろしが強く吹く。
それが、いつも決まって午後なのだ。
家の裏の畑をトラクターで耕しているおやっさんも、
午前中で切り上げて帰ったようだ。
やはり、農業に携わる者。
土地の性質を、熟知している。
このおやっさんの、おそらく父親であろう80年配のお爺さんが、
いつも耕しに来ていたが、昨年からは姿が見えない。
庭木がみな、風にあおられて、激しく揺れている。
さて、もう一杯。
台所で珈琲を注いで来るとしよう。

【天候】
若干風が強いが、終日、穏やかな冬晴れの一日。

1076声 「暑」よりも「冷」

2010年12月11日

昨日から高崎市の榛名湖では、
今月の26日まで開催される、「榛名湖イルミネーションフェスタ2010」が始まった。
と言う記事が、今朝の新聞各紙の紙面で、大きく紹介されていた。

私も二年前に観に行って、夜の湖面を彩る、
幻想的な光の競演に楽しんだ。
榛名湖畔は、闇が深く空気が冴えているので、
イルミネーションの光も街中と違って、鮮明に見える。
鮮明に見えるのだが、見ているのが、少々つらいかった。
途轍もなく寒かったから、である。

観に行かれる読者諸氏は、是非、完全防寒で行かれたし。
それだけ寒いって事は、勿論、峠道の路面凍結などが懸念される。

そう言えば、先だって、「今年の漢字」が京都の清水寺で発表された。
寛主が大きな筆を両手で振るって書きだした一字は、「暑」。
確かに、今年は猛暑を通り越して酷暑つづきの、暑い夏だった。
「喉元過ぎれば熱さ忘れる」
って諺の通り、あんなに暑かった夏も、師走となった今では印象が薄く感じる。
「冷え込む経済情勢」だとか、「就職氷河期を超えた」とか。
そう言う類の「冷」を連想させる見出しを、
毎日のように目にしてきた影響も、あるだろう。

【天候】
終日、穏やかな冬晴れの一日。

1075声 海市蜃楼の酔街

2010年12月10日

ここ数日、すこぶる天気が好い。
しかし、私の体調はすこぶる悪い。
そう言う時に飲む酒は、すこぶる不味い。
不味いけれど、海市蜃楼の酔街へ行かねばならぬ。
ちゅうのが、浮世の義理っちゅうやつ。
テレビニュースでは、今、
すこぶる好天と言う、明日の天気予報が出ている。

【天候】
終日、穏やかな冬晴れの一日。

1074声 魂の故郷

2010年12月09日

混在」
ではなかろうかと、思う。
私が感じる、魅力的な街ってのは。

では、街中に何が混在しているのか。
それは、大掴みに言えば、生と死。

例えば、東京の下町。
江戸文化の薫りを漂わせた、ノスタルジックな街。
裏通りから飛び出して来たのは、近所の子供たち。
子供たちが、駆け回っている光景。
これは、街中の「生」である。

駆け回っている子供たちは、鬼ごっこでもしているのだろうか。
いや、露地の間を抜けて、寺の境内の御神木や、墓地の墓石に隠れている。
どうやら、かくれんぼ、であろう。
街中にある、墓地。
これは、街中の「死」と言えよう。

この様に、庶民の居住地区に、生と死が混在している街は、
とても魅力的である。
それを何故、「魅力的」だと感じるのか。
ひとつには、私たちが遺伝的に受けついできた、
感慨を刺激するのではないかと、思う。
誰しもが持っている、「魂の故郷」とでも言おうか。
そんな場所を、連想させるのだ、街中の生と死の風景が、きっと。

【天候】
朝より晴れ。
終日、風強し。

1073声 不摂生活

2010年12月08日

先日、知人と風呂へ行って、一寸、驚いた。
体が、随分と痩せているのである。
冬服の上からでは分かりづらかったが、
脱げば体の線が露わになる。

私は、身長と体重から割り出した数値によれば、
成人男性として、痩せ型から普通くらいの体型である。
しかし、今年受診した健康診断の結果で、
「血中コレステロール」なる数値が、やや高めだった。
要するに、血液ドロドロ状態。

昨年から今年にかけて、数値が倍くらいに跳ね上がっている。
別段、不摂生をした覚えは無く、年中、不摂生を下地に生活している。
不摂生と言えど、私などは強靭な体を持っている訳ではないので、
不摂生をすると、直ぐに体を壊す。

不摂生と言えば、私は不摂生、あるいは不摂生そうな、作家の作品を好む傾向にある。
本棚の背表紙を見ていて、そう感じた。
その道の大家であった、色川武大。
の、作品名はど忘れしてしまったが、確か、何かのエッセイに、
古今亭志ん生の不摂生の小噺が書いてあった。

「摂生して自動車事故で死ぬ人と、不摂生しながら生き残る人とでは、
やっぱり事故で亡くなる人の方が不摂生」

たしかこんなだったと思うが、この志ん生の小噺を聞いて、氏も同感である。
と言った内容だったと記憶している。

現象と相関の関係が、滅茶苦茶だが、志ん生の言いたい事は伝わる。
そして、志ん生がそれを噺している高座を、私が見ていれば、
おそらく頷きながら笑っているだろう。

これから師走も佳境。
体を騙しながら、不摂生に励むつもりである。

【天候】
冬晴れの一日だが、終日風強し。
したがって、夜半の冷えも厳しい。

1072声 思い出のキネマ

2010年12月07日

やはり、この時期、夜半の冷えが辛い。
先程から、机の上で、鼻ばかりかんでいて、
一向に文章が進まない。

今日は二十四節季の中の大雪。
今年の冬は、住んでいる群馬県平野部でも、
積雪になりそうな気配である。
昨年は暖冬だったので、なんだか巷では、油断している感がある。

首都圏の人たちの持つイメージでは、
群馬県は雪国と思っている人も、少なくない。
確かに、山間部は降るが、平野部などはほぼ首都圏並みであろう。
本当の雪国は、群馬県以北である。

雪国と言えば、首都圏の銭湯経営者は、富山、新潟、石川。
この三県の出身者が、非常に多い。
これには、雪国育ちの粘り強さと、農家の次男、三男の出稼ぎの為。
という説が、一般的である。

群馬県でも比較的、雪国と言える北毛地域には、銭湯が残っていない。
一番北で、渋川市。
市内で1軒、頑張っている、とても良い銭湯が残っている。
沼田に古くから住む人に聞いた話なのだが、
沼田にはその昔、「キネマ湯」と言う銭湯が営業していた。
市内の「沼田キネマ」があった、「キネマ通り」に面した銭湯だったらしい。
沼田キネマはもう無いが、キネマ通りと言う名は今でも残っている。
雪の沼田で、是非とも入りたかったなぁ。

【天候】
朝より曇り。
日中晴れるが、夕方より下り坂。
夜半に一時、雨強く降るが、直ぐ止んだ。

1071声 年にまたとない日

2010年12月06日

今日は、朝から小春日。
と言うにはまだ早いので、冬日和であった。
そう言えば、昨日も冬日和。
「年にまたとない、好天の日ですなぁ」
その場に居た人に話しかけたら、
「私の誕生日の鶴のひとこえでも、そう書いてあった」
と、思わぬ返事が帰って来た。
どうやら私、年中、好天の日には「年にまたとない」と、
書いているらしい。

年にまたとないのは、天候だけでなく、人との出会いもそう。
気付けば、師走。
一年を振り返えれば、疎遠になってしまった知人の多い事。
知人との会えた日が、「年にまたとない」日、だった訳である。

土曜日の深夜。
男3人で露店風呂に入って談笑していたのだが、
気付いたら、今年の初め、万座温泉へ俳句ingへ行った3人であった。
「年にまたとない」日であり、自らもそれに気づいてもいた。
しかし、別に特別な事もできないし、また、やろうとは思わない。
それが、友との接し方、だと思う。

【天候】
終日、年にまたとない、冬日和。

1070声 塩辛い人々

2010年12月05日

飲んだ分量から考え得るに、二日酔いは必至。
と言う予想に反して、二日酔いしていない。
それは、風呂に入ったことと、睡眠時間が長かった事、
によるところが大きい、と感じている。

昨日は、「群馬学センター」で行われるゼミの日だったので、
まず県立女子大へ出掛けた。
各人の専門分野に基づいて、「群馬学」を研究して行くのだが、
異分野の交流で得る意見と言うのは、新鮮である。
甘いものに塩かけてみれば、甘さが引き立つような、
作用であろうか。

その後は、「よなよなひとりもん」の為、ほのじへ直行。
こちらの方も、異分野、異業種の交流であり、
各人「ひとりもん」である事にについて、考える集いである。
当日アンケートを実施し、その中に「ひとりもんで一句」。
と言う項目を入れた。
その中から、印象深い句を一句。

ひとりもんあつめてみてもひとりもん

川柳として、鋭い句である。
集まって頂いた各人、何か得る事があったか、
いささか不安ではあるが、とても良い集いであったと、確信している。

【天候】
終日、一年でまたとない、
穏やかな冬晴の一日。

1069声 師走バス

2010年12月04日

「そして、今回一番の見所が銭湯シーン」
と言う、映画紹介の声を背中で聞いて、反射的に振り返る。
テレビ画面に映っていたのは、ハリウッド映画の宣伝。
何の事はない、只の聞き間違い。
「銭湯シーン」でなく、「戦闘シーン」だったのだ。
二日酔いの為に、脳内機能が麻痺しているのだろうか。

昨夜は、高崎市街地から最終バスに乗って、
住んでいる町まで帰って来た。
師走の最終バスと言うのは、やはり、酔っ払いが多い。
勿論、私も例外ではない。

私の斜向かいの席に、崩れかかった体勢で座っている、
赤ら顔のおやっさん。
ずり下がった眼鏡越し、瞬きもせずに見つめているのは、
ルービックキューブ。
黄色の面の最後の一つが揃わないらしく、「カチャカチャ」と、
音を立てながら熱中している。

ルービックキューブは未完のまま、バスは、
おやっさんの降りるべきバス停に到着してしまった。
ルービックキューブを外套のポケットに突っ込んで、立ち上がる。
すると、よろけて、向かいの席にしなだれかかってしまった。
苦しそう。
そして、今にも吐きそう。

車内の一堂、ハラハラしながら見つめていると、車掌さん。
「大丈夫ですか」
と、規則めいた声で問いかける。
「あ゛ぁ、酔ったぁ」
と、塩辛い声を吐き捨て、投げ捨てる様に小銭を料金箱に入れ、
降りて行った。

「そりゃそうだ」
大事に至らず安心しながらも、一寸、あきれていると、
バスが動き出す。
料金箱が小銭を集計している機械音が、車内に響いていた。

【天候】
日中、雲一つない冬晴れだが、風強し。

1068声 ひとりもん

2010年12月04日

「よなよなひとりもん」
と銘打つ、群馬の一人暮らし、独身者に焦点を当てた催しが、
明日、ほのじで開催される。
「開催される」などと、客観視しているが、私。
主催する人間、二人の内の一人である。

ひとりもんの身軽さ故か。
いや、土曜日の晩に行き場所が無いだけか。
予想を上回る参加者が、集まった。

ひとりもんたちを、よなよな集めて、何をしようと言うのか。
何、と言う事は無い。
例えて言うなら、なんであろう。
太宰治(著)の「パンドラの匣」に出てくる、
「健康道場」での、挨拶のやりとり。

「やっとるか。」
「やっとるぞ。」
「がんばれよ。」
「よし来た。」

の様なもの。
局所的すぎて、甚だ例えとしてはよくないが、
思い浮かぶのは、それである。

齢三十を超えたひとりもんたちが集まって、
「こんばんは」
なんて、ちとバツの悪い状況。
なんて思わずに、健康的な挨拶を交わし、
情報を交換する。
そこで確認できれば、よいのではないか。
地方都市に住むひとりもんだって、日向を歩ける。
と言う事を。

【天候】
早朝まで小雨模様。
その後、回復し雲間から陽射しが降る。
時折、浮浪雲が雨を降らして行く、
台風禍のごと不安な空模様。

1067声 小脇の桶

2010年12月02日

市街地の伝統的な銭湯が廃れ、
郊外の近代的なスーパー銭湯が栄えている。
その理由の一つには、世間でのモータリゼーションが挙げられる。
群馬などは特に車社会が顕著なので、
大型駐車場の有無が、商売を大きく左右する。

この点において、伝統的な銭湯は弱い。
しかし、それは路地裏に在ると言う立地面から見て仕様が無いし、
それがひとつの味ともなっている。

東京の下町などでは、伝統的な銭湯が商店街の花形として健在である。
夕暮時になると、洗面器を小脇に抱え、
暖簾をくぐって行く人たちが沢山いる。

「常連さんは自分の桶を持っている」

と言うのが、私が東京の銭湯へ通い始めて、受けた衝撃であった。
次の日から私も、「通」ぶって、自分の桶に石鹸を入れ、
所謂、「神田川スタイル」で銭湯へ行った。

今では、遠方の銭湯へ出掛ける事が多いので、
自分の桶の出番は無くなってしまった。
今でも、銭湯に限らず、町の浴場施設へ行って、
桶を小脇に抱えた人を見かけると、ここの中で思う。
「おぬし、なかなか、できるな」、と。

【天候】
午前中は晴れ。
午後から下り坂となり、夕方から小雨。