日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和6年度は4月(ぬ)5月(岡)6月(す)7月(堀)8月(坂)9月(ぬ)10月(岡)11月(す)12月(堀)1月(坂)2月(ぬ)3月(岡)の順です。

673声 一日四回内銭湯三湯

2009年11月03日

朝日差し込む車窓。
秋晴れの青空の下、どっしりと構えている赤城山を眺望。
両毛線はゆったりと、桐生方面へと進んで行く。
ローカル線へ乗って、目的地まで行く。
人気も疎らな車内。
ゆったりと缶珈琲を飲みながら、車窓に広がる野趣風景を眺めている。
こう言う時などは、つくづく列車の旅は良いものだと感じる。
赤信号だの青信号だの、アクセルだのブレーキだのと、
せせこましく車を運転している人に、一寸同情なんかしてみる。
驚いたのが、赤城山。
頂上付近に粉糖をかけたかの如く、白くなっていた。
昨晩あたり、積雪したのであろう。
季節は着実に移ろって行くのだと、改めて感じた。
そして、下車したのは栃木駅。
目的は無論、銭湯。
市内、かなり歩き回って、銭湯情報を確認して行ったが、市内に残る銭湯は2軒。
「アルプス温泉」と「金魚湯(玉川の湯)」。
両方入浴、撮影、簡単な取材。
特に、金魚湯は衝撃的で、風呂に金魚が泳いでいるは、2階の宴会場では、
朝からカラオケ大宴会が繰り広げられているはで、大盛況。
活気ある、「攻め」の銭湯に初めて出会った。
栃木を後にして、一路、佐野駅を目指す。
下車し、寒風吹きすさぶ中、襟を立てて、市街地をくまなく歩く。
そして、完全に湯冷め状態で、鼻水を垂らしつつ、「おばな湯」へ入浴。
本日3軒目。
これが、湯が物凄い熱く、温まろうにも温まれない。
なんだか自棄になって、お湯を何度もひっかぶってから出た。
番台のおやっさんに話を聞くと、なんでも100年くらい前から建物自体は在ったとの事。
茹でダコ状態のふやけ顔で、帰宅し、さて一息と思ったら、最後の予定をすっかり忘れていた。
とある会合に遅れて行ったのだが、風呂に入り過ぎて、終始頭がぼーっとして、駄目。
夜半に帰宅し、漸く風呂に入って缶麦酒。
これで風呂に入った数は、一日四回内銭湯三湯。
自己新記録樹立して、慌ただしい男の一日は終了。

672声 朝の寝床に冬のハエ

2009年11月02日

冬将軍の軍勢も、とうとう西高東低の気圧配置に布陣したらしく、
今朝はこの冬一番の冷え込みである。
この冬ったって、まだ11月を一つ二つ出たばかり。
今年の冬は、全国的に冷え込む気配がある。
私も、今朝は流石に、慌てて押入れからストーブを引っ張り出し、
埃も払わぬままコンセントに繋いだ。
朝、部屋が冷えている時は、寝床が温かいので、布団から出るのが非常に億劫である。
子供の頃、大人になれば自然と、朝は億劫がらずに、
しっかりと起きられる様になるものだと思っていたが、
どうもそうではないらしい。
大人になった現在は、老年になれば、冬の朝でも自然と早起きできる。
などと、やはり朝、温かい寝床の中で愚図りながら考えている。
ストーブでやっと部屋が暖まった頃、部屋の気温が上がった為か、
冬のハエが一匹、どこからともなくヨロヨロと出て来た。
窓を開け、手で外へ追い払おうとしているのだが、コイツが中々、
出て行くそぶりを見せない。
さてはオマエも、温かい場所が恋しいのか。

671声 秋の粧い

2009年11月01日

本日、吾妻渓谷を通ったのだが、紅葉の盛り。
沿道に県外ナンバーの車を停めて、紅葉狩りを楽しむ人で込み合っていた。
皆、写真撮影に勤しんでおり、紅葉の渓谷のついでに、
建設途中の八ッ場ダムを撮影して行く。
自宅に帰って来て、夕方。
外から聞こえて来る、花火の音。
窓を開けて見ると、夜空に大輪の花。
そう言えば、本日が近所の専門学校で文化祭が開催される日だと、
先日回覧版で見たのだ。
しばし、季節外れの花火観賞。
昼の山並みに、夜の花火。
秋の粧いに出会えた、何気ない一日。

670声 南瓜祭

2009年10月31日

「ハロウィン」
ってのが、街ではすっかり秋の風物詩として定着している。
今年の街中を見ていると、どこへ行っても、南瓜の化物の飾り付け。
特に商店や百貨店などは、年末、クリスマスに次ぐ、大きな商戦として、
このハロウィン商戦を展開している。
数年前まで、ハロウィンなどは局地的な盛り上がりを見せるイベントと言う感があった。
それも、上州における私の私見なので、大海を知らないだけだったのかも知れない。
私の住んでいる地域には、あのジャック・オー・ランタンと言う、
南瓜の化物を作る習慣もなければ、軒先へ訪ねて来て、
「トリック・オア・トリート」と言う子等もいない。
私の持っている季語帳にも載っていない。
しかし、街中でここまで目にすると、自然と季語にとってしまう。
ハロウィン南瓜の顔が笑いけり

669声 私の意欲

2009年10月30日

一日は足早に過ぎ、気付けば夜半に酔眼朦朧。
日刊の更新をせねばと言う、私の意欲。
伝わらないであろう、この意欲。
這いつくばって帰って来て、茶漬けと一緒に啜る。
私の意欲。

668声 時に蕎麦の時期と相成り

2009年10月29日

今週末はもう11月。
こう寒い時期になってくると、寄席では「時そば」なんて演目が盛んになる。
「時そば」は言わずもがな、上方落語の「時うどん」を、
東京流に「そば」として複写した演目。
「一、二、三、四、五、六、七、八、今何時でい」
「へい、九で」
「十、十一、十二、十三、十四、十五、十六、ごっそさん」
このくだり、この演目が好きな人なら、空で言えるくらいだろう。
そして、演目の一番の見せ場は、
演じる落語家が、蕎麦を手繰る時の描写である。
さも美味しそうに、「ズッズッズーッ」と勢いよく蕎麦を啜る音が、
観客に生唾を飲ませる。
この演目を観ると、「帰りに立ち食い蕎麦を」と思う。
秋の時期。
群馬県内、いや全国的に「そば祭り」なんてイベントを良く目にする。
今週末、あるいは来週末も、蕎麦を啜る美味しそうな音が、
紅葉の山間に響いている事だろう。
そう言えば、先日、栃木県足利市の銭湯の脱衣場で、
11月7日から開催される「足利そば祭り」ってなポスターを目にした。
其処で出会った、地元のおやっさん、毎年楽しみに参加しているんだとか。
「俺は、今年は、自分で天ぷら持ってって、天ぷら蕎麦にして食おうと思ってんだ」
と言う、ささやかな企みを打ち明けてくれた。

667声 県民のラーメン定食

2009年10月28日

快晴の今日は群馬県民の日。
学校が休みになった学生たちが、街に湧いて出て来る一日。
カツ丼だったら此処。
ってな店が下仁田町に在って、今日の昼飯は其処で食べていた。
私が頼んだのは、ラーメン定食。
案ずるなかれ、その内容は、ラーメンと丼飯に、煮カツが付いてくる。
なので、皿に盛られている煮カツを丼飯の上へ乗せれば、カツ丼になる。
因みに、この店のカツ丼は煮カツで、この「ニカツ」ってのは、
カツを最終的に卵でとじていない、汁で煮たもの。
卵とじも捨てがたいが、これも卵とじに負けず劣らず、あっさりして美味い。
私も群馬県民のはしくれ、今日は県民の日だからってんで、奮発してのラーメン定食。
いつもなら、50円安いカツ丼を注文していた。
ラーメンとカツ丼。
私が額に汗しながら、このベビー級の試合に奮戦して居ると、ガラガラっと引き戸。
威勢の良い声と共に、ゴム毬の如く、ちびっこいのが5人。
近所の小学生だろうか、慣れた風に椅子へ座り、賑やかに注文を話し合っている。
店内の空気は一気に明るくなり、さながら給食の風景。
その男の子5人、揃いも揃って、「オレ、ラーメン定食、オレも、オレも」
だって。
10歳をやっと少し越えたかと言う子供と、30歳にもうすぐ手が届こうかと言う大人。
県民の日のささやかにも奮発した昼飯が、ラーメン定食、800円。
バヤリースオレンジでも、奢ってあげれば良かったかしら。

666声 月と田圃と靴音

2009年10月27日

因果は巡って、肩甲骨の下に居座っている。
先日、あれは土曜日だろうか、いつのまにか深酒してしまい、翌日起きたら二日酔い。
おまけに肩こり、肩甲骨の下に不快感。
その後、火曜日になった現在でも、微々たる不快感が残っている。
因果は更に巡る。
いや、因果などと言ったら関係ある人々が眉をひそめるかもしれないが、
私にとって因果な事は明白である。
これも先日、某氏たちと飲んでいて、どう話が転んだのか、
12月に開催されるマラソンに、私も出場する運びになってしまった。
私、マラソンが大の苦手である。
当日の走行距離は10km。
歩いたって歩けるか不安な距離である。
しかも連日の不摂生、運動不足により、ここ数年、体力は著しく減退している事と思う。
そんな心肺機能に不安を抱えた状態で出場し、私の身にもしもの事態が起こったらなら、
関係各位にご迷惑。
せめて、冗談で済むくらいに、走れる状態を作っておかねばならない。
「ひっ、ひっ、ふぅー」
とこの呼吸法で大丈夫なのかと思いつつ、足取りも縺れつつ、
先程、家の裏の田圃を走ってみた。
夜のジョギングなど、何年振りだろうか。
やはり、体力は想像以上に落ちていて、体が鉛の如くに感じる。
おまけに、箪笥にジャージの類が見当たらないので、一応セットアップだってんで、
ジーンズにジージャンで出発。
それが仇になって、汗を吸ったら重たいの何の。
突然の運動で、鼓動が乱れる心臓。
他所の家の番犬に吠えられた拍子に、口から飛び出して、
夜の田圃へ逃げて行ってしまうのではないかしら。
そんなこんなで、およそ15分のジョギングも終了。
風呂上がりの冷麦酒がさぞや美味いだろうと思ったのだが、
心肺機能を酷使した為か、喉の滑りが悪い。
興を失い、ジョギングの原動が一気に削がれた。

665声 彼は誰時の深呼吸

2009年10月26日

今日は終日雨。
まとまった雨が降るのは久しぶりだ。
月曜日の朝からの雨降りは、非常に気が滅入る心持になる。
今朝、窓の外から何やら人の話声らしき物音が聞こえ、目を覚ました。
屋根を打つ雨音が、寝床から窓へ這って行く気力を削いでしまったので、確認する気も起らない。
完全に覚醒せぬまま、寝床で寝返りを打ちながら、夢現でその声を聞いていると、
声の主はどうやら独りの様である。
「はい、はい、えっとじゃあ3部届けとけばいーんですね、はい」
エンジンのアイドリング音と共に聞こえるので、おそらく、新聞配達のおやっさんが、
玄関先に停車し、携帯電話で通話していると見て間違いないだろう。
それにしても大きな話し声である。
話し声が途絶え、「ガチャン」とギアを変速する音と共に、エンジン音が遠ざかって行った。
夜が明け切らぬ部屋は未だ暗く、時計の目視ができない。
朦朧としていた意識が徐々に覚醒してきたので、寝床から這い出て、窓を目指した。
カーテンの裾から手を入れて窓を開け、頭だけ出して外の空気を吸う。
彼は誰時の町は雨降り。
吸い込んだ空気を吐くと、呼気が白くなった。

664声 小山の湯に幸あり

2009年10月25日

1,450円。
今日買った、片道切符の値段である。
切符に印字されている文字は、「小山」。
曇天の日曜日。
両毛線で、隣県栃木までの小旅行。
目的は一つ。
小山市街地に残る最後の銭湯、「幸の湯」へ訪問する事。
往復、2,900円もかけて、一軒の銭湯に入りに行く。
冷静に考えてみれば酔狂な話だが、連日の二日酔いも重なって、
自ら酔狂たらしめようとしている。
だから、栃木県の銭湯にまで手を出してしまう。
小山駅を出て市街地を散策し、開店時間の15:30分に暖簾を潜った。
暖簾を潜ったのだが、日本人ってのは、
どうしてこうも「一番風呂」ってものにこだわるのだろうか。
暖簾が掛かるやいなや、洗面器抱えて待っていた地元のおやっさん。
番台にお金を置いて、「いざ鎌倉」って具合に血相変えて、脱衣場へ突進して行く。
私の方も、浴室の写真を撮らなければ、何の為の2,900円だったか、と言う崖っぷち。
番台のおやっさんに了承を得て、服も脱がずに浴室へ行き、
慌てふためいてシャッターを切る。
2,3枚撮ったところで、先程の洗面器親父が、早くもカランの前に陣取ったので、
浴室内撮影は終了。
もう、靴下ビチョビチョ。
入ってから撮る場合と、入る前に撮る場合がある。
圧倒的に、後者の方が心労が少なく、その後の湯をじっくり楽しめるので、
出来れば撮影後に入浴したいのである。
それが非常に厳しい戦いなのだが、その後、湯船に浸かって得る充足感と言ったらない。
幸の湯はとても綺麗な銭湯で、おやっさんも親切であり、何より湯船が広い。
ジェット噴射が4基も付いていた。
湯から出るのは、私が一番早く。
ゴクリと瓶牛乳を一気飲みして、銭湯を後にした。
湯上りの風が心地よい。
のだが、靴の中だけが、どうにも不快であった。

663声 丑三つ時の麩チャーシュー

2009年10月24日

起床して、カーテンを開けたら、曇天。
空には厚い雲が垂れこめていて、気分もどんより。
昨夜丑三つ時、寝る寸前に食べたカップラーメンの所為で、胃腸はげんなり。
「こりゃ大将、肉汁を吸った麩じゃないのかね」
と、深夜の台所で独り、芝居がかって割り箸を振り回している。
カップ容器の中、醤油ラーメンの汁。
プカプカと、どこかひょうきんそうに浮かんでいる、チャーシューが一枚。
しかしまぁ、よくもここまで薄く切れたものだと、つまみ上げて透かして見る。
口へ運べば、なるほど、化学の力は偉大である。
半ば関心を混ぜた、ため息ひとつ。

662声 午前零時の幻影

2009年10月23日

目当ての映画を観終え、自宅へ帰って来た。
遅い上映時間だったので、家へ着いたのは、
既に日付変更線を跨いだ後だった。
帰る道々、本稿の更新内容を推敲しつつ、アクセルを踏んでいた。
明りが遠くに見える田圃道。
宵闇を掻き分ける様にして、家路を急ぐ。
其処の街路灯の角を曲がれば、自宅。
と、瞬間。
街路灯の薄明かりの下。
ブロック塀に手を突いている、人影。
揺らいで消えた。
あれはいつかの私。
深酒の末に半べそかいている、憐れな男の幻影。

661声 ラジオと林檎

2009年10月22日

公園の駐車場。
街灯の下、車を停めてじっと待っていた。
17時20分になるのを、である。
先日の事、知人から連絡が有り、「FMラジオで曲が流れる」と聞いた。
夕方17時からの番組で、曲が流れるのは17時20分頃だと言う。
出演者の作家さんが選曲した楽曲を流す。
と言う形式のコーナーで、メジャーデビューも、
ましてやインディーズレーベルにも属していない、その知人の楽曲を選曲するとは、
なかなか粋な計らい。
やがてカーラジオから、聞き覚えのある曲と歌声が聞こえて来た。
私がCDを借りて自宅で聞いていた時よりも、同じ音源なのだが、
そこはかとなく曲の完成度が高い様に思われた。
短い間だったが、私を含めた知人一同、群馬県内のどこかでこの時間、
固唾を飲んで、ラジオに耳を傾けていた事だろう。
曲が終わって、ぼんやりとフロント硝子の遠く、黄昏色が濃くなった榛名山を臨む。
山裾へ沈む残光が、熟れた林檎の如き赤色で、夜空へ滲み出していた。
一寸、笑って頷き、エンジンキーを回す。

660声 ジーンズスパイラル 

2009年10月21日

880円ジーンズ。
現在、巷で話題を呼んでいる、激安ジーンズだ。
小売り大手である、イオンとダイエーのプライベートブランドから発売されていて、
秋の衣替えのシーズン、大幅に売り上げを伸ばしているらしい。
効率の良い生地購入や生産工程、そして自社流通。
さらに、ウエスト、レングスなどで多彩なサイズラインナップがあり、
丈詰め代金が掛からない事も、経費の節減になっている。
しかし、ジーンズ一本買って、千円札でお釣りの来る時代である。
そして、追い打ちをかけるように、西友が850円ジーンズを発売し、
ドンキホーテは690円ジーンズを11月に発売すると言う状況だ。
「デフレスパイラル」
って言葉を、まさに連想してしまう。
因みに、ジーンズの原点である、リーバイスの501。
巷の小売店で新品を買うならば、概ね9,800円前後であろう。
どんなに安くたって、6,000円を切る事は無いと、ほぼ言いきれる。
この、「ジーンズいくら」ってのは一種のパフォーマンスで、
ジーンズを買いに来た客の相乗売り上げ効果を狙っての事。
などと安直な想像はしてみるものの、安さに舌を巻いてしまう。
ちょっとしたラーメン屋ならば、ラーメン一杯880円くらいは取るだろう。
ラーメン一杯とジーンズ一本が同じ価格。
である。
そう言えば、近頃街中では、古着屋やリサイクルショップの店が増えている。
一昔前のこの手の店の主流と言えば、「プレミア品」や「レア物」といった類で、
中古にも拘らず、発売当時価格の何倍もの値が付いていた。
しかし今となっては、実用的で価格の安い物が、陳列棚の大半を占めている。
となると、880円ジーンズを中古で買った場合、いくらになるのだろうか。
恐るべき、スパイラル、スパイラル。

659声 秋の散文

2009年10月20日

朝方、缶珈琲で温まりながら、秋空をぼんやりと眺めていた。
浮かんで来る言葉は、空にあるうろこ雲みたいに、散文的であった。
秋の朝
カーテンを開けると
溢れた光が部屋を満たす
空は青
色硝子の如く
澄んでいる
川あり
流れ緩やかなり
緩やかなれど
大海に遠し

658声 三味線と両毛線

2009年10月19日

昨日の伊勢崎中心市街地はいせさき燈華会(とうかえ)って催しで、
俄かに活気づいていた。
阿波踊りや、チアリーディング。
演奏会に、伊勢崎神社境内でのジャスコンサートなど、路上の熱気が、
秋空にまで伝わる様であった。
日が落ちてからは、路上に何百と置かれた燈籠に点灯し、
しばし幻想的な空間に酔った。
私が実質的に酔っていたのは、その30分後である。
そして、街を流転し、伊勢崎駅から終列車に転がり込んだのは、22時59分。
列車は酔っぱらいを乗せて、寝静まった街を走る。
窓の遠く、街灯に照らされる柿木の実が、闇を吸って色づいていた。
などと、気障ったらしい締めくくろうとしてしまうのも、
やはり、伊勢崎の街中で見た、幻想的な燈籠の灯の為だろうか。
あるいは阿波踊り。
耳の奥に残る、三味線の叙情的な旋律の為だろうか。

657声 湯は故郷

2009年10月18日

栃木県の銭湯に手を出している。
昨夜は、足利市にある「花の湯」へ入って来た。
整備された小路に、堂々たる破風を構える大型の銭湯で、
規模、建築様式共に、群馬県では類を見ない。
しいて言えば、高崎市の浅草湯が近しい。
豪奢な造り。
と言える銭湯で、かつての街の栄華が窺い知れる。
室内に使用されている木材。
浴室、章仙の九谷焼のタイル絵。
そして、ペンキ絵は壁一杯に描かれており、首を傾けて見る、壮大な眺め。
戦前の気風を感じつつ、歯を食いしばって、熱い湯船に浸かっていた。
脱衣場で出会った地元のおやっさんと、小一時間ばかり語った。
子供時分の銭湯の事、花街の事、昭和初期の事。
「面白くねぇ」
ってのが、その初老のおやっさんの口癖で、それを連発しながら、
現代の街は面白味に欠けると嘆いていた。
戦前の「カフェー」に行くのがおやっさんの夢で、
この決して叶わぬ夢へ、パンツ一丁で思いを馳せていた。
もし、花の湯が終焉を迎え日が来たら、浴室のタイル絵を貰う約束をしているんだ。
そう言って笑うおやっさんの笑顔は、昭和30年代に、
この花の湯へ入っていた洟垂れ小僧の頃と変わらないのだろう。
湯は故郷。
故郷に会える街が、在って欲しい。

656声 街は人 後編

2009年10月17日

昨日の続き。
例えば、「谷根千」なんてどうだろうか。
谷根千ってのは、東京の谷中、根津、千駄木の愛称で、
同名の地域雑誌も今年の8月まで発売されていた。
この地域は、東京23区では下町に該当する、謂わば都内の地方である。
にもかかわらず、不動の人気を誇っている地域なのだ。
休日や祝祭日、つまりは観光日和。
JR日暮里駅を出て、谷中銀座商店街まで来ると、肩がぶつかる程の人波。
その多くは、首からカメラをぶら下げた、国籍も様々な観光客。
しかしその活気を作っているのは、観光客たちでなく、商店の人たちなのである。
安価な料金で、昔ながらの揚げ物を店頭販売する店。
香ばしい匂いに釣られ、往来には直ぐに列ができる。
店頭にサーバーを置いて、その場で生ビールを売っている店。
店の前に出してある椅子に腰かけ、はたまた路上に立って、ビールを飲む人だかり。
店の人、誰もが活き活きしており、それが商店街に活力を生んでいる。
商店街を過ぎ、街中へ入ると、民家を再利用した洒落た商店が点在しており、
若き芸術家たちが集う場所となっている。
勿論、銭湯、古本屋、食堂、団子茶屋、飲み屋なども残っており、
市井生活との共存が伺える。
私も、ふとこの谷根千を歩きたく思い、出掛けた時はやはり、
人に会いに行く様な心持で出掛けた記憶がある。
特に誰と言う知り合いはいないのだが、街に生きる、街を活かす人がある。
それは、商店のおばちゃんだったり、食堂のおやじだったり、銭湯の番台だったり、様々。
街を歩きたくなる衝動は、人に会いたくなる衝動。
とも、私の場合は、言える。