日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和6年度は4月(ぬ)5月(岡)6月(す)7月(堀)8月(坂)9月(ぬ)10月(岡)11月(す)12月(堀)1月(坂)2月(ぬ)3月(岡)の順です。

5072声 故障

2022年03月29日

曇りのち雨で春寒。いろいろやらねばならぬことが溜まっているが、桜も観たい。自転車が故障した。

5071声 花に躓く

2022年03月28日

晴れて春らしい陽気。都内さくらは満開である。桜を観ていると、どうしても人生上で躓いたこと、またこれから躓きそうなことなどに思いをめぐらしてしまう。なんだかざわざわする時期、である。

5070声 観桜

2022年03月27日

朝から用事を済ませて、近所の川沿いの桜を観に行った。桜並木は五部咲き程度だが、汗ばむくらいに晴れて、人出もあり花見らしい景であった。WEB句会の締め切りを忘れたが、この頭痛なので無理もない。この時期は人の句を選するよりも、自分の句を選していたい。ほとんど捨てることにはなるが、桜の句なのでそれもよかろう。

5069声 四百年の貫禄

2022年03月26日

春の嵐で雨風強い一日。毎月の定例句会。もちろん、吟行は桜。弘法寺の伏姫桜を観に行った。七分咲きといったところか。それでも、樹齢四百年の貫禄、十分に荘厳であった。数々の文人墨客もこうやってながめたのであろうな、と思いつつ、破れかかったビニール傘にしがみつきながら、指を折って句を作った。午後は句会で、私は振るわなかったが、参加者も振るわなかったようで、改めて桜の難しさを感じた。

5068声 軽く頭痛

2022年03月25日

低気圧のためか仕事のためか、おそらくその両方だと思うが、終日軽く頭痛。昨日誕生日が過ぎ、とうとう三十代が終わった。二十代が終わったときは、すでにこうやってここに書いていて、やっていることは変わらないが、生活環境はこの十年でずいぶん変化した。いろいろと、もういちど初心にかえるつもり。

5067声 行く舟帰る舟

2022年03月24日

晴れたが春寒の一日。朝、窓を開けたら鶯の鳴き声が通過していった。徐々に春爛漫、である。都内の桜は徐々に綻びはじめ、今週末などはまだ桜の花はちらほらだが、花見もちらほら行われるだろう。〈行く舟も帰りし舟も花めぐり〉などという句をだいぶ前に作って先の句集にも収録したのだが、私自身は舟で花めぐりをしたことがない。掲句は隅田川を行き交う屋形船を総武線の車窓から眺めていてできた。いつかは、屋形船、いや水上バスでも良いが、船上で桜を眺めつつ一杯やりたい。

5066声 強霜

2022年03月23日

晴れるが、寒い一日。朝、強霜が降り、氷などが張っていた。いろいろとすり減らせつつ、桜を観る余裕もなく帰宅。

5065声 春雪

2022年03月22日

雪交じりの雨で冴え返った一日。自律神経失調気味で頭痛やら胃腸の調子が悪いやら。列車には乗り遅れるし乗り間違えるし、Suicaは残高なくて自動改札にひっかかるしで、心と体のバランスがおぼつかない。吉村昭著「朱の丸御用船」を読んで寝る。

5064声 維持

2022年03月21日

所属誌の座談会のため、中野区へ。東京の西方面にはあまりなじみがなく、新宿より西の都内が久しぶりな気がした。連休中、高速道路などは混んでいたらしいが、都内の鉄道網は空いていて、今日も混雑はなかったように感じた。座談会は無事に済んだのだが、ギクシャクとした私のつたない話が申し訳なかった。改めて自分がもう中年であり、残されている時間もある程度見えてきたと、いう思いをひしひしと感じた。帰宅して緊張をほぐすため、という口実で空けた麦酒をいささか飲みすぎた。目標に向かって進みたい気持ちと明日止めてもいいという気持ちが二つある。そうでなければ、緊張感を維持できない。

5063声 小さな希望

2022年03月20日

曇りのち夜半より雨。昨日に引き続き寒さの戻った春の一日。三連休の中日というのに仕事をしていた。都内では開花していたとの報道を見た。たしかに、今日歩いていて、遠目にほころんでいるであろう桜が見えた。寄って見ることはしなかった。なんだか、もっとドラマチックな状況で「初花」に出会いたい、などと中年のおっさんが書くのも恥ずかしいのだが、そんな印象を持っているので、都内の桜は素通りしてきた。明日も所属している同人誌の企画で、遠内に出かける用事がある。明日こそは、初花と劇的な出会いがあるだろうか。そんな小さな希望も春らしい。

5062声 知ると見る

2022年03月19日

曇りのち夕方から本降りそして春雷。昨年刊行した句集が地元の俳句大賞に選ばれたので、その記事が載った機関紙が届いていた。今回は大賞というものに二作品選ばれ、その中の一つが私の句集でもう一つが大先輩の句集であった。作者は昭和十五年生まれ、句歴もおよそ五十年という円熟の域に達した俳人である。むかし、俳句初学のころなので、私が二十代後半に差し掛かろうかという時分のいま時期に句会があった。吟行はもちろん時節柄、桜であった。午前中にひとしきり作って、午後から句会というお決まりの流れ。参加者はお花見気分で紙コップのお酒など片手に、のんびりやっていた。私はというと、一人で硬くなり、頑なに酒なども口にせず、黙々と集中して句を作って句会に出した。結果は惨敗で、帰りの車に酔っぱらった俳句の先生や先輩連中を乗せて運転しつつ、たいそうほぞをかんだ。酔い覚ましに寄った喫茶店で、「なぜ私の句が共感を得ないのか」率直に俳句の先生に聞いた。私の句は悪くないのに、みな酔っぱらってしまって、正常な判断ができていないのかとさえ思っていた。その時に言われたのが、「桜は一年に一度咲く、お前が見たのは二十数回、でも今日の参加者は六十数回、七十数回、もっと観てきた人たち」と、いうような内容だった。つまりは、経験と修練のなせる技が私にはなかったのだ。それからは、作って作って作りまくって、花吹雪のように捨ててという繰り返し。百聞は一見に如かずというけれど、やはり「知る」だけでなく「見る」ことは大切である。浅学非才な身ゆえ、そして中年になったいま、確かにそう思う。そして、円熟の域に達した俳人の句に接すると、そう確信する。

5061声 綿毛

2022年03月18日

曇りのち雨。三月の週末というのはどこも卒業式らしく、卒業生と思しき制服の若者を町でよく見かける。今日も春休みらしきのグループとすれ違った。高校生だろうか。たのしそうでふとさびしげで、たんぽぽの綿毛のようで。

5060声 揺れ止まざる

2022年03月17日

晴れていたが夜半に通り雨。昨夜はほとほと肝を冷やした。福島県沖を震源とする最大震度6強が観測され、こちらは震度四くらいだったろうか。積んである文庫本の塔が崩れたくらいだったが、東北地方では新幹線が脱線したり、あちこちで被害があった。都内近辺は何事もなく平穏な一日であったが、神経が走っているのか、ちょっとした揺れにも十一年前の記憶が蘇る。十一年経っても、あの日あの時間から、心のどこかはまだ揺れ止んでいないのではなかろうか、とさえおもう。

5059声 残響

2022年03月16日

内科やら歯医者やらをめぐり、花粉症の薬などをどっさり仕入れて帰宅。歯を削る音がまだ耳の奥で残響している。夕方に連絡があり、今年の冬に某市で行う公開句会で講師をすることになった。二回目なので勝手はわかっており、楽しみである。そのころにはコロナも終息し、こういったイベントが気兼ねなく行えるようになっていることを祈る。前回は、当日の朝に近隣の山で吟行してから句会に行ったのでヘトヘトだったが、今回もそのつもりである。もっとも、私は講師としていくので、投句できないのが残念ではあるが。

5058声 錬磨

2022年03月15日

雨のち晴れで暖かを通り越して蒸し暑い一日。帰宅後、ネット句会の投句やら選句やらをして、夜半はZoomにて俳句関係の会議。それはそれとして、ともかく自作を錬磨することを考える。

5057声 残心

2022年03月14日

晴れて春塵の舞う一日。そして大阪行の疲れの抜けきらぬ一日。唯一の心残りは、先月にオープンした大阪中之島美術館を観られなかったことだ。これはまた次回の楽しみとしよう。長谷川櫂著『俳句と人間』(岩波新書)を読了。俳人としての腹のくくり方に感服。

5056声 豚まんと麦酒

2022年03月13日

晴れて夜から下り坂。疲労というのはどうしてこうも蓄積するのか。翌日になって疲れが出てくる。しかも毎晩麦酒で逃がしていた疲れがも一緒に。食べきれぬほど、551の豚まんを買ってきたので、昨夜も豚まんと麦酒、今晩も豚まんと麦酒。豚まんと麦酒、もうおなかいっぱい。頭が回っておりませぬ。

5055声 蝶と風船

2022年03月12日

引き続き晴れて暖か。大阪からの帰る道すがら、浜松町での句会に出た。吟行は芝公園に足をのばして、彼岸桜や山茱萸などみていたところ、目の前を蝶が横切った。「初蝶」である。季語には何かと「初」が付くものが多いが、その中でも「初蝶」はけっこう好きな季語なのである。ぱっと一句できて、書き留めた。もちろん、私にとって今年の「初蝶」はこれで終わり。今年の初蝶との出会いとしては、かなり良い状況でだったのではなかろうか。大阪での疲労が濃く、久しぶりの新幹線にも疲れ、足取りが重かったのだが、この初蝶に救われた。何かのイベントなのか風船が何十個と浮かんでおり、東京タワーの先の空へ消えていった。