日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和6年度は4月(ぬ)5月(岡)6月(す)7月(堀)8月(坂)9月(ぬ)10月(岡)11月(す)12月(堀)1月(坂)2月(ぬ)3月(岡)の順です。

5098声 温泉郷クラフトシアター

2022年04月24日

今日の四万温泉は寒が戻ったかのような肌寒さ。そんな中「温泉郷クラフトシアター」というイベントの各会場の下見に同行した。

 

「温泉郷クラフトシアター」は、すでに5回目の開催だそうで、ビエンナーレのない年に中之条町と四万温泉協会の主催で行われるイベント。初期は同町で行われる「秋、酒蔵にて」のクラフト作家が中心となり、展示だけではなくお客さんと共にものづくりをする催しであったが、2018からはいわゆるアート畑のアーティストも加わり、ものづくりの幅が拡大。2022はコロナ禍で中止となったが、今年4年ぶりの開催となる。

 

僕は、秋酒からの流れで2018は映像記録として参加。今回は、予想外なことに、今まで山重徹夫さん(中之条ビエンナーレディレクター)が行っていたポスターなどのデザインとして関わることになった。それはそうとして、20人以上の参加作家のほとんどが顔見知りという状況でもあるので、なかなか楽しみなイベントなのである。

 

今日も、各作家の展示場所決めをするために、元飲食店・味がありすぎる旅館・ピッカピカの新装店舗・複数の作家が入れる広間など・・温泉口から日向見まで、四万温泉を横断した。地元ながら、初めて足を踏み入れる新しい場所が多い。どんな場所にどんな作家がいて、どんな展示をするのか、何が作れるのか・・期待も膨らむ。

 

「温泉郷クラフトシアター」の開催は7/23~31の9日間。みなさんぜひとも、何かをつくりに来てください!

 

HP

5097声 ハレとケが馴染んだ町

2022年04月23日

月末からGWにかけて、中之条町とおとなり東吾妻地の3箇所で、在住アーティストによる展示が行われている。

 

朝陽堂「西島雄志個展−神気‐」

 

うた種「「GOMIIKEBANA/clemomo」

 

ギャラリーnewroll「imimimimi awazawa り/飯沢康輔×巳巳」

 

それぞれは勝手に事を進めているわけではなく、3箇所の横の連隊も強い。全てが中之条ビエンナーレ出展作家だというだけではなく、お店やギャラリー同士の仲も良いのだ。そのおかげで、場所3つをはしごするというお客さんも少なくない。

 

そんな様子を見た時に、中之条ビエンナーレの開催時のみ、2年に一度の数ヶ月にしかなかった出現しなかったアートの町は、2022年ついに「日常的にアートがある町」になったのだと確信をした(中之条だ東吾妻だという仕分けは必要ない)。ハレとケの境界が薄くなってきたとも言えるし、それは日頃からアートや作家に触れたい人にとっては嬉しい変化だ。

 

以前にも書いたが、事はアートだけに留まらず、チョコレートを作り販売を広げているアーティストもいるし、レジデンスのためにと改装されたおしゃれな建物もあったりして、アートをきっかけにした町づくりが進みつつある。それは一朝一夕で真似られるものではない。

 

ここにはまだ書けないが、今年は他にもあんなことやこんなことが中之条町で行われる。新しくあんな店やこんな店もオープンする。一体どうなっているんだ・・

 

なかなか咲かないなーと思っていた花ほど、咲く時はパッと一斉に咲き、そして散っていく。願わくば、その開花時期が末長いものであるように。その周辺にいながら変化を見ていきたいと思っている。

5096声 おおぎやらーめん

2022年04月22日

男3人で22時過ぎのおおぎやらーめんに入る。

 

生ビール3つ
ホルモン焼き
もやし炒め
生ビール1つ
ハイボール2つ
味噌ダレ餃子2枚
生ビール1つ
ハイボール2つ
節味噌らーめん
味噌らーめん
担々麺
生ビール1つ
ハイボール2つ

 

こんなことが出来ない時期があったんだよなぁ。
歩いて帰る。

5095声 浅蜊

2022年04月21日

小学生の頃、ふと夜中に目が覚め、あートイレトイレと台所を通ると流し脇にボウルが置いてある。暗い台所、覗き込むと、水が張られたボウルにはあさりが多数。貝を開き、ぬおーっと目を伸ばし、ピューっと水を吹いているやつもいる。その頃の僕はその見た目もあのくにゃっとした食感も好きではなかったから「あー明日の朝はあさりの味噌汁か、大根と油揚げとかの方がいいのにな」と思っていた。

 

この前、閉店間際のスーパーに駆け込むと諸々が半額。あさりも、粒は小さいようだが半額のものが多数残っていた。今はもうあさりも普通に好きだし、これはあさりの救済であると独り言を呟いて2パック購入した。その夜、ボウルに塩水を作って、洗ったあさりを放ち、翌朝は検索して出てきた作り方そのままに、強火ではなく弱火〜中火でじっくり旨味を出す、口が開いたら加熱は終わり、あさりの塩があるので味噌は少なめに、を守ってあさりの味噌汁を作った。

 

それはそれなりに美味しかったが、今になって思うと魚屋であった亡き親父が作ったあさりの味噌汁はものすごく出汁が出ていた気がする。それが単に使うあさりの新鮮さだったのか、火を入れるコツがもっとあるのか、酒でも少量入れていたのか、そのあたりはわからないのだが・・・まあそういうものなんだろうなと思っている。

5094声 鰆さん、鮭さん

2022年04月20日

映像制作について、学生時代の一人ドキュメンタリー取材にはじまり、仕事として映像に関わるようになってからも1人で撮影・編集して納品までしてしまうスタイルが染み付いてしまった。それはつまり予算的にも自分の気持ち的にも良いこともあるのだが、そればかりでも良くないなという思いと、実際1人ではやりきれない仕事も出て来たことで、僕以外の撮影者を立てたり、編集をお願いする機会も増えつつある。

 

中でも、昨年知り合ったばかりの、地元で映像編集ができるYさんは、映像編集ができる人種自体が地方においてはなおさらレアなため、とても助かっている。そんなYさんの活動名(?)は、「鰆さん」であった。

 

で、振り返ると、だいたい同時期に僕は本に精通した通称(?)「鮭さん」なる人物とも出会っている。映像の鰆さんと、本の鮭さん。やれやれ、人生40を過ぎてもふわふわしている僕は、村上春樹的な異相に移ってきてしまったようだ。

5093声 喜びの名残の中で

2022年04月19日

5/8(日)まで開催されている前橋文学館「生きて在ることの静かな明るさ-第29回萩原朔太郎賞受賞者 岸田将幸展」に合わせて、配信のみで行われた岸田将幸の詩の朗読会の別映像の撮影・編集を担当した。

 

もう29回を数える萩原朔太郎賞は、前橋の詩人・萩原朔太郎の業績を伝え、その年の最も優れた現代詩作品に送られる賞。第一回の谷川俊太郎氏からはじまり、前回は新進気鋭の若手、マーサ・ナカムラさんが受賞。マーサさんの詩は現実と異世界を自由に横断するような詩でとても印象に残った。そして今回は岸田将幸さん。お会いはしなかったが僕と同い年だという。詩との出会いが尾崎豊やブルーハーツだったと語るあたりは世代的に僕とドンピシャ。新聞記者から転身し農家へ。それら仕事に就きながら詩作を続けてきた、骨太感のある詩人である。

 

農家である、ということが彼の詩に大きな影響を与えていることは疑いようもない。

 

「ごらん、これがほんとうの正午の火照り。きみに影をつくる、生きて在ることの静かな明るさ」(「月あかり」)

 

というくだりなどは、畑で見つけた言葉がそのまま人の生き様を表すまでに昇華されている。(僕の理解では)なかなか難解な詩が多い中で、読書ではなくリーディングという形で詩に触れると、入ってくる言葉もある。個人的には同詩の中にある

 

「生まれてきた驚きが喜びのことであるように。そして、喜びの名残の中で君が年老いていけるように」

 

というくだりが、撮影時の僕にはぐっと刺さった。全くの個人解釈だが、1つの確かな喜びがあればその名残で人は死ぬまで生きていけるのだという温かさと、生まれてきた時の(自分者や周囲の)喜びこそが1番で、人生のその後の喜びなんてものはたいしたものではないのだという冷たさまで感じたのだ。もちろんそれは解釈違いな気がするし、詩はそもそもそういうもの(個人解釈)で良いのではないかとも思う。

 

詩からは遠くても田畑に気持ちが向いている方や、今時代の真っ当さを求める人にはぜひとも見て欲しい動画であり、会期終了間際ではあるが、ぜひとも前橋文学館へ足を運んでいただきたいと思う。

 

岸田将幸『風の領分』を読む

5092声 これから森を作ることだってできるのだ

2022年04月18日

きたもっく社長の福島誠さんらとご飯を食べた。とても美味しいご飯だった。きたもっくは今でこそ大きな会社だが、誠さんが起業当時に始めたことは親の反対をおしきって親の土地に木を植えるという行為だった。キャンプ場の立ち上げである。まだキャンプという概念も浸透していなかったのであろう、親には「地べたに人を寝かせて金取るんか、草津行って宿泊業を学んでこい!」と怒られたそうだ。だが、志ある同士と共に木を植え続けて、今にいたった。

 

それは40歳を過ぎてからのことだったと聞いて驚いた。僕はすでに、消化が悪くなったとか、以前のように働けないとか、40代というものを山を越えた後の年のように思っている感がある。本当は、これからが山登りだということもわかっているのでその大きい方の山を見て見ぬ振りをしているだけかもしれないが。とかく、誠さんのその人生は、僕にとっては励まし(叱咤?)であった。さあ、木を植えねば。

5091声 きたもっく=生き方を問う会社

2022年04月17日

群馬県長野原町北軽井沢に「きたもっく」という会社があります。手がける「スウィートグラス」は年間10万人が利用する日本屈指の人気キャンプ場。そのような三次産業をベースとしながら、近年力を入れてきた自伐型林業や養蜂、建築や製材加工などの一次・二次産業による「浅間山麓の資源をまるごと価値化する」取り組みが評価され、2021年のグッドデザイン賞金賞も受賞しました。

 

2020年に関わった八ッ場ダム映像(「ふるさと、八ッ場」)をきっかけに、この一年間きたもっくに通い映像を撮り続けてきました。その一つは、北軽井沢・森の写真館の田淵章三さんと共にブランディング動画として形とし、当初予定だった事業動画を進める中で、もう一つ派生的に生まれた動画があります。それが「きたもっくの人_有限会社きたもっくスタッフインタビュー」です。

 

 

冒頭にきたもっくの華やかな実績を書きましたが、一年間きたもっくの仕事を撮影し続け、一番凄いと思ったのはそのような数字や実績ではなく、個性豊かなスタッフが揃っていることでした。もう少し説明すると、自分の生き方を問い続けてきてその延長上にこの会社があった、と語るスタッフが多いことと、彼らスタッフが語ること・実感することがそのまま会社の道筋になっている、ということ。

 

上っ面な理想を掲げるでもなく、SDGs的な流行りに乗るでもなく、日々の実践の先に未来があることを、多くのスタッフが体現している会社であるということ。そんな会社を僕は他に知りませんでした。

 

 

コロナ禍の影響や時代性もあり、自然と触れ合うことの大切さについてよく耳にします。けれど都市的な暮らしの中では自然との向き合い方を考えるのは容易ではなく、また、利便性や利益のために自然をどうにかしようという考え方自体にもすでに限界がきている事は、多くの有識者が語っています。

 

そんな中で、きたもっくが掲げる「ルオム=自然に従う生き方」という理念には、ハッとさせられるものがあり、それがただの理念に留まらず、スタッフの口から個々の人生の地続きの言葉として語られた時に「あ、インタビューだけでも一つの動画が編める」と確信しました。

 

20分と短くはないですが、一本のインタビュードキュメントとして、ぜひご覧ください。

 

きたもっくの人

5090声 夜の風景

2022年04月16日

夜の中之条町商店街を歩く。運動のつもりだが、2回歩いて1週間間が空いて、今日また歩いた。こんな様子では続けられる自信はない。

 

コロナ禍前はもっと歩いているおばさんやおじさんが多かった気がする。まだ気が引けるのだろうか。高崎前橋では多分、夜の人出はある程度戻ってきていると思うが、19時を過ぎれば中之条町商店街は閉店ガラガラの雰囲気、車こそある程度通るものの人の気配はない。散歩コースには3つくらいスナックがあるが、前回たまたま出入りする車と代行を見た。乗っている人の顔はわからなかったが、よろよろと出て行く車を見て、今の時期の飲み歩きも肩身が狭いのかなと勝手なことを思う。

 

今夜は駅前を過ぎたあたりでわいわいと固まってあるく集団とすれ違った。5人、ついで3人、ついで4人くらいのまとまり。ある程度近づいた時点で、日本語を話していないことがわかる。この町や隣町には工場もあるから、働きに来ているベトナムあたりの若者たちなのだろう。日本人は1人もいないようで、なんとなく町の夜の風景が変わっていることを感じた。

 

先日、保護者会会長もつとめたSさんより「10年後には町の出生者は半分になり、その後さらに倍速で下がっていく」という話を聞いた。未婚の42歳の私も少子化に加担はしているのだが、普段の生活には見えない部分で、町というか、日本というか、我々の営みそのものが変わってきている。

5089声 彼女たちの行動は、次に続く人たちへのエールでもある

2022年04月15日

昨年に続き、中之条町観光協会が制作しているフリーペーパー「nakabito」のライターをつとめた。映像やデザインは仕事を重ねてきたが、物書きが仕事になる日がくるとは3年前は全く思っていなかった。ここ「めっかった群馬」で遅筆ながらもがむしゃらに書かせていただいた成果だとマジで思っている(でも、仕事ではないここではいい加減な投稿も多いです、はい。FBやnoteなど他に書いたもののコピペもあります、はい。)。

 

中之条町は生まれ育ち今も活動する町なので、今回取材した6箇所も、四万温泉の「Cafe & 蕎麦 なが井」の岡田さんを除きすべて顔見知りだった。だから話を聴きやすい、書きやすいというのはあるが、初めて聞く話も多く、書き進める上でもそれぞれの個性が立ち、幸せな仕事だった。

 

<nakabito vol.7掲載一覧>

ボディケアサロンこまち|楯 理恵さん
サバーバ Saba-ba|鹿野 嘉美さん
ティグルカラン tigre calin|関 寿々花さん
Cafe & 蕎麦 なが井|岡田 ふみ恵 / 岡田 麻矢さん
アンジャーネ anjarne|五十嵐 里恵さん
ヨガわがんせ yoga WAGANCE|福田 麻衣子さん

 

今号は、冊子のデザインと写真を担当する山重鉄夫さんの意向で「女性起業家特集」となった。起業家と言っても中之条である、上場企業の女社長とかSDGsの流れに乗ったとか、そういう派手さはない。自分が望む生き方を探っていたら、タイミングも重なって個人事業をはじめていた、という自然発生的なものであった。でもだからこそ、身の丈にあった経営、生活と仕事とが乖離しない素直さを感じた。

 

観光協会の方たちを主に原稿チェックを行い、冊子の最後を「彼女たちの行動は、次に続く人たちへのエールでもある」と書いたことに対して、言い切りではなくてもう少し柔らかい書き方にしてはどうかという提案をいただいた。映像もそうだが、正しい間違い以外の好みの部分は、出していただいた意見を組み入れることが多い方だとは思うが、ここはそのまま強い言い切りで終えたいと、そのままにさせてもらった。

 

インタビュー映像では、「エールでもある」のような僕側の意見は入れにくい。テロップやナレーションで入れては興ざめだ。見た人がそう感じるような、対象者の実の声を組む、というのが正解だと思うが、文章であればそのような書き手の思いも話しての言葉と同じ土俵に並べることができるので、面白い。中之条町つむじほか、手に取れる場所で目にしたらぜひともお読みいただきたい。

 

nakabito

5088声 普通の会話

2022年04月14日

何か物書きをする時は、会社や自宅でない方が捗る。スターバックスコーヒーでマックブックを開く人のことを残念な人と言う見方もあるようでそれは同意できるが、僕もまた意図的にマクドナルドであってもコメダ珈琲であってもノートPCを開いてぱちぱち始める事がある(個人経営などの雰囲気のある喫茶店ではやらない)。

 

今日は、通りがかったチェーンレストランで、ドリンクバーのジャスミン茶とオーギョーチをすすりながらこれを書いている。コロナ禍以降なのだろう、窓際のカウンターテーブルはお一人用で隣とはしきりがあり、各椅子ごとに丁寧に電源コンセントもついている。入店時は店員の案内はなく、座った人はipadのような液晶端末で注文を終える。あとはレシートをもって精算すれば、極力非接触であり、さらにこれは注文ミスなどもなく店員も楽になるオペレーションであった。きっと、こんなスタイルはある程度の規模のレストラン等では普通の風景になったのだろう。

 

となりのとなりに、オールバックの白髪にわりとパリッとしたシャツを着た品も感じるおじいさんが座った。液晶端末の存在に気づかないのだろう、店員を呼ぶ。

 

「おすすめはありますか?」
「えーと、ご飯ものにするか麺にするかで変わってきます」
「うーん。これは定食なのかい?」
「当店定食はないんですよ。セットメニューとしてご飯とスープバーを付けることはできます」
「・・・」
「・・・」
「五目焼きそばを頼む」
「かしこまりました。なんちゃら(聞き取れず)パスポートはお持ちですか?」
「は?」
「当店、60歳以上の方はそのパスポートがあると5%引きになります」
「はい」
「・・・」
「・・・」
「・・お作りになりますか?」
「・・はい。あ、量は多いのかね?」
「あ、えーと、普通盛りでしたらそれほどではないです」
「ご飯もつけようかな」
「かしこまりました。ではご飯とスープバーを付けますね」
「それにします」
「では、スープバーはあちらでお取りください」
「え?」
「お客様がスープをご自由に取りにいただけます」
「ああ、あっちね、今行くんだね」

 

そうしておじいさんは席を立った。そんな会話を横耳に聞いたとて、マニュアル接客を批判をしたいわけではなく、全国的にみてこういう場合はそういうものなんだろうなと思うだけである。

 

映画監督やシナリオライターなどは、喫茶店等で交わされる普通の人たちの普通の会話を聞く事で、今時代の会話を学ぶ、みたいなことを聞くこともある。人と人との会話は、フィクションとして書こうと思うと案外難しいものである(整理されていないことが普通なので)。そしてそもそも、普通って何だろう。そして僕もまた、悪趣味にならない程度に、こういう場所ではなんとなく、聞き耳を立てている。

5087声 日本一周と千円札

2022年04月13日

誰がなんと言っても春である。

 

例年、正常な人の1ヶ月遅れで季節を感じる体、だと思っており。ジャンパーを脱いだとて、さくらを見たとて、自分の中で「春が来た」と実感がしにくい。鈍感なのである。

 

今年は過去例を見なかったこととして、凍み抜けが終わったから雪も残らないとか、あの枝に新芽がついたとか、正常な人(何基準?)より数倍季節を感じられる人とお付き合いをはじめたので、まるでよちより歩きを始めた子どものように(現在42歳)、季節の移り変わりを感じようモードになっている(が、自然とそうなれる自信はない)。

 

会社から車を走らせていると、自転車のおしり部分に「日本一周」と書かれた文字盤を貼った青年が目についた。せっせとペダルを漕いでいる。日本一周で東吾妻町を通過ということはルートとして・・まったくわからない。でも、春だな、と思った。

 

そこから間髪入れずに、信号待ちの停車をしているとバイパスの「みそ膳」前の縁石に千円札が落ちているのが見えた。その目先には信号待ちをしている人がいるが、縁石もあって全く気づいていない。人によっては近くに駐車して拾いに行くのかもしれないがなんだかそれも、春だな、と思ってそのまま通り過ぎた。

 

ルート的には、日本一周の青年があの交差点を通る可能性もある。車道隅を走れば見つけなくもないかもしれない。それを拾い、日本一周するくらいだから交番に届けちゃう人かもしれないが、こそっと昼飯にらーめんでも食べたりしたらどうだろうか。・・そんなどうでもよい妄想も含めて、春だな。

5086声 山歌

2022年04月12日

伊参スタジオ映画祭シナリオ大賞2018の中編大賞作品『山歌(さんか)』が4/22よりテアトル新宿・アップリンク吉祥寺を皮切りに全国の映画館で上映される。この作品は2019年の伊参スタジオ映画祭での上映後、さらなる撮影や編集が行われ完成。第17回大阪アジアン映画祭では海外上映の足がかりにもなる賞、JAPAN CUTS Awardを受賞し、先日の第35回高崎映画祭でも高崎芸術劇場の大スクリーンにて上映が行われた。まさに文字通り、満を持しての全国上映となる。

 

監督である笹谷遼平さんは同志社大学文学部哲学科卒、もともとは劇映画ではなくドキュメンタリー映画の監督である。日本人と馬とのリアルな暮らし・関係をあぶり出すドキュメンタリー『馬ありて』(2019)は各地の映画館で上映もされた。伊参スタジオ映画祭のシナリオ大賞(全国から映画シナリオを募集し映画化させる試み)にも数年に渡り応募を繰り返し、「山歌(応募時のタイトルは「黄金」)」を含めてそのシナリオにはすべて、昭和初期までは日本にいたと言われる山の流浪の民「サンカ」がテーマとして書かれていた。

 

伊参スタジオ映画祭実行委員長としてシナリオ審査に関わる僕が心を掴まれたのは「山歌」の前年に大賞を逃し奨励賞に選ばれた「お還り」というシナリオだった。女子学生である2人の登場人物、その1人が行方不明になりまた現れるが、どうやらサンカの暮らしに触れて現代的な生き方ができなくなってしまったらしい。動物のようなふるまいをする彼女は外からみたら気が触れた少女でしかない。物語の最後は、最後まで友人であった1人がサンカに触れて日常生活が送れなくなった少女に死を与えるというショッキングな内容だった。僕がこれを読んだ時、今村昌平監督(『にっぽん昆虫記』『神々の深き欲望』等)が描いていたような「日本人の原点」とも言うべき強い生の衝動的なものも感じたし、そのラストには「不本意な生であれば、潔い死を与えるべきなのではないか」という僕にとってのベスト映画『カッコーの巣の上で』の内容に似たものも感じ、映画祭後の懇親会では一人勝手に興奮しながら笹谷監督に話しかけたことを覚えている。ただし、その「お還り」については最終審査員の評としては「サンカという実在した人々を自分都合の物語に強引に引きつけている」等、厳しい評価もあったことを覚えている。

 

そして2018年、3度目の「サンカ」を書いたシナリオ「山歌」で笹谷監督は映画化の切符となるシナリオ大賞を受賞した。「こうも毎年同じモチーフで熱のこもったシナリオを書いてくるのだ、ついに笹谷に大賞を与える時ではないか」という審査員評もあった。僕としてもその年、一番にその「山歌」を推していたので、まるで自分ごとのように嬉しかった。受賞時の監督は相変わらずキョドキョドした動物のようで、生活においての不安も大きかった時期だと思うが、その目の奥がふつふと燃えていたように思う。しかし大賞受賞はあくまでスタートであり、そこから笹谷監督にとっての険しい山道が始まっていった。

 

映画化に向けた初期段階、川崎で笹谷監督と2人、プロデューサーになってくれそうな人を探した日のことを覚えている。シナリオに今村昌平感を感じていた僕は、今村監督が理事長でもあった僕の母校・日本映画学校(当時はすでに日本映画大学)の恩師を訪ねた。テーマに関心は持ってもらったが決定打はなく、どこかの駅のありふれた喫茶店で監督とお茶をして別れた。その時、大都会ではなく、中途半端な都市のありふれた喫茶店にも不馴染みな笹谷監督の姿も覚えている。書くシナリオといい、話の言い回しといい、本当にこの監督は生まれる時代を間違ったんだろうなと。それは褒め言葉でもあるのだが、そんなことを思った。

 

笹谷監督はその後、一念発起。まさに命を削って「山歌」映画化に向けて猪突猛進を続けた。シナリオ大賞審査員でもある松岡周作さん(『月とキャベツ』『眠る男』)がプロデューサーについたまではなるほどと思ったが、シナリオに惚れたという理由から上野彰吾カメラマン(『月とキャベツ』『ぐるりのこと。』)が撮影に入り、人の感性と自然とを描く映画において抜きん出た曲を作る茂野雅道さん(『萌の朱雀』『殯の森』)が音楽で入ると聞き、映画のスケールがひと回りふた回り大きくなるという期待が高まった。そして面構えからして誠実で、内にある気が強そうな杉田雷麟さん、映画をひっぱっていく野生的な少女に適役と言うしかない強い眼差しを持った小向なるさん、そして映画にいるだけでその映画が引き締まる渋川清彦さんといったキャストが決まっていき、『山歌』はいち地方映画祭発という規模を超えた大きな作品へと育っていった。

 

また、『山歌』は一部鉄道場面をのぞいてオール中之条町(群馬県吾妻郡)ロケなのだが、特に六合(くに)地区のロケハンを行なった時のことも忘れがたい。戦後の田舎という時代設定的にガードレールはなし。映画化を前提としたシナリオという要項を読んだ時からすでに笹谷監督は、中之条町と草津町の中間に位置するこの山あいの村(中之条町と合併する前は六合は六合村という村だった)を撮影場所として意識していたようだ。僕自身は合併後にはなるが、この六合地区を撮影や休暇で訪れるようになり、その自然や住んでいる人の強さ(素朴さ、ではなく強さ。何があってもここで生きられるというような強さを感じる個性の強い人が多い)に魅了された。実際、六合在住の方や六合に住んでいた映画祭スタッフの手も借りながら、映画内で則夫とハナが駆け抜けることになる丘などを回った。映画『山歌』にはまさに、六合や四万(しま)という中之条町の自然のドキュメントでもある。

 

僕は、3月末の高崎映画祭ではじめて『山歌』の完成バージョンを鑑賞した。高崎芸術劇場の上映環境は素晴らしく、以前のバージョンでは僕の中でただの一シーンであった「音」が重要となるシーンで、思わず涙ぐんでしまった。そして何より、(ネタバレは避けたいが)完成版のクライマックスにおいてこの映画が「人の営み」以上のものを描いていて、大阪アジアン映画祭において審査員が「この映画は海外に見せたい」と思ったということにも納得をしたし、この作品が今村昌平監督や新藤兼人監督らが描いてきた「日本人の原点」の現在地点(2022年)にある映画であることも再確信した。『山歌』は、力強い映画である。

 

明日の公開を控え、笹谷監督が今日SNSに「自然は常に完全である。彼女には一切の誤謬もない」というロダンの言葉を引用していた。はじめて聞いたこの言葉をとてもいい言葉だなと思いつつ、シナリオの大賞受賞から始まった監督の険しい山道は、その言葉を一つ一つ確認して映画に落とし込んでいく道のりだったのだなとも思った。映画完成後に会った笹谷監督は、会った当初のようなキョドキョドした感じも未だ持ち合わせつつ、けれど映画『山歌』が持つ力強さを宿した目になっていた。今の彼であれば、東京なんかには負けない。1本の映画が1人の映画監督を変えるように、1本の映画が鑑賞者の人生を変えることだってある。ぜひとも、多くの人に届いてほしい映画である。

 

映画『山歌』

5085声 この夏を駆け抜ける、「冬子の夏」という宝石のような映画

2022年04月11日

コロナ禍もあり、なんだか久しぶりに「伊参スタジオ映画祭シナリオ大賞作品の映画化」の話をします。シナリオ大賞2020短編の部大賞受賞作品「冬子の夏」(脚本:煙山夏美さん)が、長い準備期間を経てこの夏、中之条町を中心に映画化されます。今回あえて大賞受賞者を監督と書かずに脚本と書いたのは、2004年から始まったシナリオ大賞の歴史の中ではじめて「大賞受賞者が制作に回り監督は別の方が務める」という作品だからです。それはシナリオ大賞としては以前からアリな選択でしたが、今回はじめてそのスタイルで映画が創られます。

 

すでに、主要キャストとしてドラマや映画での今後の活躍が期待される若手俳優2人(『あまちゃん』や『トットちゃん』等のドラマの主演者の幼少期を演じ近年は映画のヒロインも務める豊嶋花さんと、WOWOWドラマで神木隆之介さんとの2人芝居を演じ『光を追いかけて』ではヒロインも演じた長澤樹さん)と、監督としてdocomoやKIRINなど数々のTVCMを手がける金川慎一郎さんの起用が決定しています。つまりは、地方映画祭発でありながら、スタートからすでに全国レベルを目指している意欲作です。

 

煙山さんはテレビ朝日やフジテレビ、ツタヤ主催のシナリオコンクールの最終選考に残るシナリオを執筆もしている新進気鋭のシナリオライターですが、「冬子の夏」では2人の女子高生の表面的にはきらきらしない日陰の青春に焦点を当て、けれども日陰に差す一筋の光のような若さ・未熟さを短編シナリオにギュッと込めました。今作のプロデューサーも務め、それ以前にシナリオ大賞審査員である松岡周作プロデューサー(『月とキャベツ』『影踏み』等)が最終審査会で「映画化したい!」とイチオシした作品でもあります。また、主人公2人が高校美術部という設定でもあり、ノエルが描く「絵」が映画で主要な存在であることも、芸術の町・中之条として注目したいところです。

 

・・・と、ここまで長文読んでいただいたあなた、ありがとうございます!このように『冬子の夏』は志しが高い映画ですので・・映画化のためのクラウドファンディングを絶賛実施中です(開始数日にして目標の1/3、100万以上の支援。注目の高さも伺えます・・が、まだまだです!!!)。返礼品としては、映画のキーともなるヒマワリ・・の種(ナイス返礼!)や、「冬子の夏」上映の際の伊参スタジオ映画祭招待券の返礼コースもあります。ぜひ、この宝石のような映画に「自分ごと」として関わってください。

 

最後は宣伝で終わりましたが、短編映画「冬子の夏」にみなさん注目です!

 

豊嶋花×長澤樹ダブル主演【伊参(いさま)スタジオ映画祭シナリオ大賞受賞作品】映画『冬子の夏』制作応援プロジェクト

 

伊参スタジオ映画祭

5084声 ただ存在する庭園の凄さ

2022年04月10日

春。北軽井沢から高崎に抜ける途中に、「高崎クリスマスローズガーデン」に立ち寄った。下里見の果樹園「富久樹園」が手がける観光庭園だ。クリスマスローズとは、まだ寒い頃から初春まで咲く多年草。あまり花のない時期に、派手すぎない赤や黄色、白などの花を咲かすので(正確には、花びらに見える部分がガクであり、だからすぐに枯れずに長く楽しめる)人気の園芸種だ。

 

「富久樹園」の富沢登さんとは、彼がガーデンを始める前から知り合いだった。梨を中心に桃や洋梨など色々な果物を作る「富久樹園」であるが、僕はここのプラムを食べた時に心底驚いて、それはつまり梅干しみたいなカリッとしてすっぱいものという認識しかなかったプラムが、ここの完熟プラムを食べた時に「これは大きなさくらんぼやーしかも皮ごと食べられるから楽ー」ととにかく感動したのだ。以後、吾妻のイベントの際にケースで何箱もプラムや梨を仕入れ売ったこともあった。現在は、登さん主催で吾妻で毎年行われている「クリスマスローズフェア」のチラシのデザインを担当している。

 

日もぽかぽかと気持ちよく。緩やかな傾斜を登っていくクリスマスローズガーデンはただ歩き抜けるだけで至福であった。僕よりも、同行した女性2人の目がきらきらしている。整然と区画された庭ではなく、イングレッシュガーデンのごとく、自然な山肌に花が点在するのも良い。クリスマスローズだけではなく、赤く小さなコウムや、枝いっぱいに黄色をまとったサンシュユなど、わずかな時間で春の山を堪能できた。

 

「この山一帯をクリスマスローズガーデンにする」。まだ植え込みが始まっていない時だったか、登さんからそう聞いて、「なんでもグリグリ進めてしまう登さんだから、やるんだろうな」とポカンとした間抜けな反応をしていたように思う。重機も動かし、果実も育てながら、登さんはこうして、園芸誌にも毎年取り上げられるガーデンを作り上げた。たぶん今となっては「果樹園の社長が花はじめたよ」などと揶揄する人もなく、作り上げられるまでの根性ストーリーも必要とせず、ここにはただ庭園が存在するだけである。その凄さ。

 

桃栗3年、柿8年。はじめなければ、花は咲かない。

5083声 思ってたんと違う

2022年04月09日

浅間酒造の大きな販売所のそば、通り過ぎて北軽井沢方面に向かうために右に折れると、観光客は立ち寄らないであろう(失礼)どさんこの店がある。どさんこ、とは別に北海道の食べ物が食べられる店ではなくて、群馬県の人には(?)馴染み深い、おおぎやや幸楽苑が出来るずっと前からあるらーめんのチェーン店である。いや、僕もそれほどたくさんのどさんこを食べ歩いているわけではないが、各店ごとに味も仕入れも違う気がするし、チェーン店というよりはもっとゆるい何かなのかもしれない(謎)。

 

1度立ち寄って、あまりパッとしない店構え(失礼)そのままに、近くで働くガテン系の方たちが腹を満たすための地域店という感想であった。先日、通り過ぎる際に旗に「肉絲(ルースー)焼きそば」なる文字を見つけ、通り過ぎた後にわざわざ停車し、Uターンして店に入った。わざわざ旗で示すからには自信作であろうことと、僕は前橋市文京町の喜久屋食堂の「ルースー飯」が好きなので、そういったものがかかった焼きそばがその時の胃袋にジャストフィットする気がしたのだ。

 

店内には疲れた感じの地元のおじさんが一人、ラーメンをすすっている。古びた店内はむしろ心地よい。そうして運ばれてきた肉絲焼きそばは、たっぷりめな餡に豚肉はそれほど入っていない、それはまあそんなものかなと思ったが、焼きそば自体が固焼きそばであった。あぁ、固焼きそばか。油でカリッカリに揚げた、食べる時にパキパキして口内に刺さる固焼きそばか。思ってたんと違う。僕の胃袋が求めていたのは、細切りの豚肉がソフト麺の一般的な焼きそばと渾然一体となったものであった。固焼きそばか。

 

店は何も悪くない。むしろ、肉絲焼きそばと聞いて餡かけ、固焼き、と連想できる大人の方が多いのかもしれない。そして僕も思ってたんと違うからと言って店のおじさんに何か言ったり箸が止まることはない男である。ポキポキと音を立てながら肉絲焼きそばを食べ進める。途中、酢をたっぷりかけて。これはこれで腹を満たすために適した食事であった。

 

帰り際、軽トラが2台止まり、ニッカポッカを履いて頭にタオルを巻いた漢たちがドカドカと入店してきた。思った通り、この店は、必要とされる店である。

5082声 熱中をせずにいて、足りない自分を自覚して、冷ややかになって

2022年04月08日

Youtubeで音楽もぽつぽつ聞いているので、おすすめに「NO WAR 0305 powered by 全感覚祭 – Documentary」という動画が出た。その日、新宿駅前で行われた音楽ライブのドキュメント映像。出ているアーティストは、僕が好きなアーティストでは踊ってばかりの国、折坂悠太、カネコアヤノ、坂口恭平、テニスコーツ、七尾旅人、原田郁子・・と大半がそうなのだが、内容としてはロシアによるウクライナ侵攻を批判する政治的な意味合いを含んだライブステージとなっている。

 

音楽と政治、若い頃の僕が熱中しなかったもの。音楽はもちろんTVの音楽番組を見たり、好きなCDをぽつぽつ買ったりはしていたが、ライブハウスやフェスへはほぼ行かなかった。政治はもちろん無関心。だから同世代なのにシュプレヒコールをあげて街を歩く若者が何を考えているのか取材をしに行ったこともあった。地元に帰ってきたら、昔も今もガチ自民党支持が多いことにようやく気付いたりしたが、とくに誰かやどこかの党に肩入れしたことはない。

 

映像では「あまちゃん」の音楽などでも知られる大友良英さんが登場。「(反戦という意味を込めて)僕は今日はノイズを演奏します。うるさいと思ったら耳を塞いでください。でもやります」といった事を言ってエレキギターをかき鳴らした。

 

30代、僕が同じような映像を見ていたら(現場にいたら)、反戦の声をあげることは必要だと思いはしつつも、シュブレヒコールであっても音楽ライブであっても熱中する若者を冷ややかにも見つつ、けれどむしろ色々が足りないのは自分なんだと自責の念も抱いていたと思う。冷ややかな思いと、無関心な自分に対する自責の念、それは戦争に対してまだ直接の関係をもたない世代であれば、僕に関わらずたいがいの人が抱く思いなのではないかとも思っている。

 

そして今。ほとんどテレビを見ない生活になってしまったが、それでも夜帰ってきてニュース番組を見るなどすると、これが今起きていることに心が痛むし、何かできることがあればとも思うが、若い頃、その後に比べると、自分事に重ねることがより難しくなってきている気がする。それに反して自分の周囲の事への意識は昔より強くなってきている気もする。それこそが加齢であり、外への関心は「意識をしないとどんどんなくなっていく」ものなのかもしれない。

 

全感覚祭の中心人物は、参加アーティストでもあるバンド、GEZANのマヒトゥ・ザ・ピーポー。見た目はヒッピーっぽいし馴染まない名前だが、楽曲提供やPVのディレクターを務めたり(僕が好きな寺尾紗穂さんのCDにも参加したり)、このようなイベントも開催させてしまう「時代と並走している人物」の一人だ。

 

やんないよりやったほうが良かった
言わないより言ったほうが良かった

 

動画の最後で彼はそう口にする。
今の僕は、やらない言わない自分を責める年齢も過ぎてしまった。
関心があるフリをして無関心を続けることが世の一般とも思っている。
でも、モヤモヤし続けている。

5081声 二パーにて食的Mに目覚める

2022年04月07日

高崎市成田町のタイ料理店「二パー」は名店である。誰かのおすすめで知ってふと立ち寄ったのは5年くらい前か。ランチに入店すると、メニューがない。え、と思っているとカレー(または麺類など)が運ばれてくる。この店のランチは「提供されるメニューがあらかじめ決まっている」のが常なのだ。他で聞いたことがない。主食以外に、スープやサラダ、飲み物。そしてなんと「主食やスープは、おかわり無料」なのである。タイ料理をたくさん食べたい人歓喜。そして、サラダがだいたいの回で主食の後から出てくるのも愛嬌。そして、そのサラダが3回に2回くらい「ものすごく辛い」。

 

二パーのサラダの辛さは、後から系だ。蒙古タンメンや激辛ペヤングのように口に入れた時にカッ!とくる辛さではなく、「あーなんか甘さと酸っぱさもあるな・・美味しいじゃん・・あれ・・カラッ・・口熱い・・ぬるいスープも熱く感じる・・氷」みたいなタイムラグがある。それは多分、唐辛子の種類なんじゃないかしらん。

 

久しぶりにその「後からものすごく辛いサラダ」を食べて、ひーひー言いながらもなんとか完食した。それでである、翌日、ふと、自分が、自分の口の中が、後からものすごく辛いあの感覚を求めていることに気づいた。食べたいのだ、辛くしたいのだ。それは、蒙古タンメンを食べても激辛ペヤングを食べてもリピートしたいとは思わない自分には初めての感覚だった。僕はこれを今後、「食的M(マゾヒズム)」と呼ぶことにする。あぁ、もう口のなかめちゃくちゃにして!・・・我ながらきもい!

 

辛いものが苦手な方には少しおすすめし難いが、タイ料理店「二パー」は名店です(夜は単品購入する店になります)。