日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和8年度は4月(坂)5月(ぬ)6月(岡)7月(す)8月(堀)9月(坂)10月(ぬ)11月(岡)12月(す)1月(堀)2月(坂)3月(ぬ)の順です。

3673声 堀さんの寿司

2017年12月02日

OPAのシンキチで毎週木曜日に堀さんが寿司をだすことになった。久しぶりの堀さんの寿司。カウンターいっぱいの7人が集まり、それでネタは終了とのこと。決して軽やかという握り方ではない。絶妙な力加減なんだろうけど、ギュギュと2回握って、ネタの前後をひっくり返し、さらに2回ムギュームギューって感じで、一個一個、魂を込めるようにゆっくり握る。寿司を食うというより、握る堀さんを見ている。シャリは甘めだが、はらりと口の中でほどける。ネタも美味である。シャリにパクチーをもさっと乗せた変りダネには感心した。パクチーは握れないから手渡しである。赤貝はまな板にぶつけないのね。高低があり強弱もある。美味でありライブである。また、楽しみが増えた。

3672声 機嫌

2017年12月01日

岡安くんは感じが良い。

偉そうなとこはなく、角張ったとこもなく(実際丸みを帯びている)

肩に余計な力も入っていない。私と正反対である。

私の母も感じが良い。いつもニコニコしている。

先日母にそのことを言ったら「感じが良いってそれだけで生きてる価値があるでしょ」といわれた。

2年ぐらい前に、堀さんが言っていた「40過ぎて不機嫌なのはみっともない」と。

今年もあと一月。せめて最後ぐらい機嫌よく行きたいものだ。と思っていた矢先に、違反切符を切られて凹んでいる。人生とは難しいものである。

3671声 暖房便座

2017年11月30日

今月の題名を4文字に揃えたのは、初日に男前牧水とつけてみて、なんとなくそのまま続けてみた、というだけのこと。

 

だけど先日、なにげなくトイレを見ていて「暖房便座」という4文字を見つけた。今時期大活躍、座って「うわっ冷た!」とならないための暖房便座。

 

暖房便座ほど、安心感と包容力があって、陰からそっと見守るようで、押し付けがましい自己主張がなく、語感がチャーミングで、人の話題に出ないものはない。そしてまた、このように1日分をかけて取り上げるほどのものではないものもない。

 

すーさん、師走は忙しそうですね。正月は今年も「お気楽俳句ing」は決行されるのかな。それがあったらそこで会いましょう。11月は岡安でした。

3670声 五年手帳

2017年11月29日

来年から、5年手帳を使おうと思っている。

きっかけは、ほぼ日刊イトイ新聞で販売する記事を読んだから。

 

38歳から42歳という人生の山場的な時期にあって・・って、文字で42歳って書くと恐ろしいな・・

 

二十歳の頃想像してた42歳って、仕事終わったらパチンコ行って、帰って奥さんと子供に無下にされながら日本酒煽って、アテの余りのシシャモを裏口のネコにやりながらタバコを吹かすようなイメージだったけど・・

 

それはどうでもいいけど、40歳を一応の節目と考えていて、ここ数年ののべーっと地続きな感じの暮らしを変えてみたいと思っているのだ。

 

5年後。この「めっかった群馬」はどうなっているのだろうか。堀澤さんは「シンキチ醸造所」が成功するもOPAの出店以降店を2店増やし手を広げた結果経営が難しくなり、オープン当初の若松町の店以外は閉め再スタートを計る頃で、抜井さんはそこそこ若いながらも体調不良で酒の量が減り、その代わりに創作意欲が湧いて3冊目の俳句本出版を間近に控えており、鈴木さんは仕事で重要な役職につくものの興味は釣りに比重が置かれ、仕事はできないが釣りはベラボーにうまい部下と日本全国釣り行脚に出ている頃だろうか。

 

割と不摂生な4人とも思うので、生きてるだけでOKかな。

3669声 股引哀歌

2017年11月28日

股引を穿く時は

靴下

股引

ズボン

の順だと

靴下の上に股引がきて気持ちが悪い

股引を先に穿けばいいのだけど

冬以外の習慣で

寝巻きを脱ぐとまず

靴下を履いてしまう

それでも最近は

ズボンの裾から股引が見えたとて

それでいいんじゃないと

靴下

股引

ズボン

の順は変わらない

ますます

オッサン化に磨きをかけている

3668声 恋乃病歌

2017年11月27日

今年の伊参スタジオ映画祭、個人的に一番テンションが上がったのは、映画の上映ではなくて『三つの朝』に出演したサニーデイ・サービスの曽我部恵一さんによる突発的ライブだった。

 

サニーデイ・サービスは、2000年頃にわざわざ北海道まで当時の友達と行った「第一回ライジングサン・ロックフェスティバル」を思い出させる。椎名林檎や電気グルーヴなどみんな知っているアーティストから、スリーミッシェルガンエレファントやナンバーガール、スーパーカーなど現在は解散した当時人気絶頂のバンドにまじり、曽我部さんの軽やかな歌声を聞いていた。サニーデイ・サービスは一時活動を休止していた時期もあったようだが近年はPVで精力的に若手映像作家と組んだりもし、若いミュージシャンからの支持も多い。

 

曽我部さん、見た目そのままに飾らない人だった。前日はライブだったとのことで機材を車に積んだまま中之条入り。誰かが「映画祭スタッフでファンがいるんですよ。歌ってくれたら良いなーなんて話してました」と言ってくれたらしく、「いいっすよ」の二つ返事。映画祭二日目のお客さんにカレーを振る舞う交流会の時にステージに上がり、ギター一本で歌ってくれた。

 

良いミュージシャンであるか否かはすぐにわかる。会場はサニーデイ・サービスを知らない人の方が多かったと思う。さらにカレーを食べながら談笑している人たちだ。けれど彼が歌い出すと、皆じっと彼の歌を聞いた。全2曲、2曲目の歌い出し前にはこんなことを言っていた記憶がある。

 

「僕が出た『三つの朝』を思った時に、この歌を選びました。僕たちがかかっている病の歌です。「Love Sick」」

3667声 映画誕生

2017年11月26日

伊参スタジオ映画祭シナリオ大賞2017は、

中編の部 大賞受賞『なれない二人』 樋口幸之助

短編の部 大賞受賞『あるいは、とても小さな戦争の音』村口知巳

に決まった。

 

前者は、お笑い芸人になれない二人が、舞台を踏む直前までを描いた物語。それぞれがそれぞれに問題を抱えドタバタして、最後同じ舞台に立つ、そこにカタルシスが生まれることを期待したい。後者は、審査員全員一致で大賞が即決した作品で、今年になって朝けたたましく鳴り響いたあの防衛サイレンを思い出させる社会性を帯びつつ、それを戦争映画ではなく生活映画として描くユニークさが魅力。どちらも来年の映画祭までに中之条町を中心に撮影され、映画祭で初上映の運びとなる。

 

そして昨年大賞を獲った川西薫監督『子供は天使ですか?』と根岸里紗監督『三つの朝』は無事に初上映を終えた。前者は、売れ時から外れ田舎へやってきた子役スターと、自称プロのヒモのダメ中年男とが関わり合うことでお互い前を向くまでの物語で、観終わった後にいい映画を観たなとほっこりできる良作だった。そして後者は監督こそ伊勢崎市出身の現役大学生であるものの他スタッフ役者はプロが揃い、むしろ関わり合いがうすい工場勤めの3人の女性のささやかな決断を描いた意欲作だった。

 

今年、「伊参スタジオ映画祭」のポスターを作っていて、何か言葉を入れたいなと思い、出た言葉は「映画、つくってます。」だった。それが胸を張って言える映画祭は全国を見ても希であり、今年またその実感を強くした。

 

ご来場いただいたお客様、映画関係者のみなさん、そしてスタッフや役場のみなさん、ありがとうございました。

 

3666声 前泣後笑

2017年11月25日

第17回伊参スタジオ映画祭初日が終わった。

 

見知った顔、尊敬する顔が、こちらから出向かなくてもこんな山の上まで来てくれるというのはとても嬉しいことだ。この映画祭の特徴として、リピーターは多いと思う。お客さんに限らず、関わった、関わっている若手映画監督は特に。今年の映画祭も、『月とキャベツ』を監督した篠原哲雄監督の作品以外は全て、シナリオ大賞という映画祭が行っているシナリオコンペの関連作で埋まってしまった。

 

その篠原監督の『花戦さ』とてもよかった。今日の映画祭上映が初見になってしまったけれど、多くの人に観て欲しい映画だった。出演者は野村萬斎、市川猿之助、佐藤浩市、佐々木蔵之介、中井貴一と豪華絢爛。佐藤浩市が演じたのは、父・三国連太郎も演じた千利休。利休と秀吉の話は有名だが、主役の野村萬斎演じるは華道家。刀の戦さではなく、花を使った秀吉との対決がクライマックスとなる。

 

チャンバラ時代劇であれば篠原監督ではなかったのかもしれない。「おんな城主 直虎」の脚本も務める森下佳子さんの物語と相まって、一つ一つのシーンを丁寧に重ねる篠原監督の手腕が冴える。なんにしてもクライマックスシーンが良い。

 

緊張があり、泣きがあり、笑いがあるのだ。まさにその言葉のままの展開なのだ。上映後のゲスト対談で聞いたところ、その笑いは原作にはなく映画で提案がされたシーンなんだそうだ。泣きて終わっても良い。けれど、その後にくる笑いのなんと魅力的なことか。

 

伊参スタジオ映画祭のシナリオ大賞(コンペ)の審査員は開始当初から先頭をきって関わってくださっている篠原監督。だが監督自身は脚本を書かない。

 

「僕は、頼まれた映画を作るだけです。職業映画監督ですから」

 

物語の創作から立ち上げる映画作家は良い。けれど、職業映画監督でなければできない仕事もある。明日はいよいよシナリオ大賞の発表の日。

3665声 雰囲気良

2017年11月24日

いよいよ明日から「第17回伊参スタジオ映画祭」。お客さんがお茶を飲んだり牛丼を食べたりする伊参ドーム・・とは名ばかりのビニールハウスのビニールを貼り、当日配るチラシを組む。半券代りの木札も400個用意した。それは1個1個時間をかけてスタッフ総出で手刷りで刷ったものだ。施設内の調理室では、交流会でふるまう名物カレーの野菜切りも済んだ。

 

映画祭にスタッフとして加わったのは2004年だった。僕含め役場の事務局以外はボランティアスタッフで成り立つ実行委員会。けっこうサボった年もあった。多くはないがスタッフの出入りもあり、正直言うと「このままだと映画祭の継続は難しいかもしれない」という時もあった。

 

ここ2〜3年で、新しいスタッフが加わった。それにより、今までいたスタッフが活気付いた。けれど新しいスタッフも、今まで残っているスタッフも、全員が全員映画好きというわけではない。それでも大変な思いもして映画祭の手伝いをする理由は・・

 

「いっしょにやるのが楽しいから」

 

なんじゃないかなと。単純に。

使命感とか義務感よりも、それが勝る場合があると思うのだ。

3664声 一日十年

2017年11月23日

SNSで一方的にフォローしている映画評論家の方が「世の中には埋もれた映画がたくさんある。『100歳の子供と12通の手紙』は観た方がいいぜ。俺はその年に「キネマ旬報」のベストテンに押したのだけど、『100歳の〜』を推したのは俺一人だった」という書き込みを読んだ。

 

さっそく検索するとその映画、amazonプライムで観られるじゃないか。便利な時代だ。僕は会ったこともないその映画評論家の方を根拠もなく信頼していて、何気なく見てみた。とてもいい映画だった。

 

持病により残り数日の寿命と判断された少年と、口の悪い宅配ピザ屋の中年女性の物語。女性は少年に提案する。「あなたが1日生きると、10才歳をとるの」と。幼い少年は翌日二十歳となり(そう思い込み)、病院内の少女に告白する。お涙ちょうだいのべたな展開ではなく、厳しい現実にいかに“活きたファンタジー”で向き合うか、という物語だった。

 

思えば、僕が好きな『八日目』しかり、『トト・ザ・ヒーロー』しかり、『オアシス』しかり。ダウン症、最愛の家族の死、脳性まひ。厳しい現実にふと、ファンタジーが入り込む。それが映画だからといえばそれまでだし、魔法が起きて何かが解決するわけでもないが、厳しい現実を悲観的に、真面目に、正しく受け止めるだけが生き方ではない。

 

気づけばもう11月も後半。1日を1日未満にしか感じられない僕に、1日を10年と思うことはできない。それでも『100歳の子供と12通の手紙』は忘れられない映画になった。いい映画を観たい。もっと。

 

 

3663声 灯油給油

2017年11月22日

昨夜は久しぶりに徹夜した。

午前4時にはストーブの灯油が切れたが、

すぐそばのタンクへ給油しに行くのが億劫で

立ちっぱなしで時々小躍りをして寒さをしのいだ。

 

日が登り、ストーブの灯油缶に給油をする。

ストーブに灯油が満タンに入っていると、

スイッチをつける前から心がなんだか暖かい。

 

同じように、

財布の中に諭吉さんが2〜3人いると、

ステーキでも東京でも何でも来いと、

心がなんだか暖かい。

 

であればそもそも、

心が幸せで満タンになっていれば、

毎日暖かく暮らせそうなものだけれど、

それが、一番難しい。

3662声 大福拡大

2017年11月21日

ほんの近所まで届けるものがあって、車を使うまでもないと歩きで。途中に食べようとあんず大福。左右のポッケがいっぱいだから、お尻のポッケに入れて歩く。で、忘れてたあんず大福のこと。

 

今取り出したあんず大福は、のべーーーって潰れている。腹に入れば一緒だし、心なしか大きくなった気がするので、それはそれで良しとする。

 

このあたりは今日初雪が積もった。

3661声 防寒古着

2017年11月20日

手帳の最後に

 

・回転寿司を食べない

・ユニクロで服を買わない

 

とメモがしてある。前者は、行くと食べすぎるということと、そのわりには美味しいわけではないということと、その値段があれば他でそれなりのものを食べられる、という理由からだ。メモに書くくらい行っていた時期があった。

 

後者は、僕は思春期からずっと服装にはこだわりがなく、最近のユニクロはシンプルで物もそんなに悪くないと思うので、めったに服を買わないのだけど買うとしてもユニクロ、というパターンだった。だけど、このままだとずっと服に自己投影のないまま老いるよね、と、他で服を買ってみよう、という意思表明だった。

 

前橋の国道沿いにある大型ブックオフ。ここは売り場の半分近くを古着が占めている。そこで1枚数百円の古着の中から漁りにあさって・・という元気はもうないけど、一応のブランド品としてまとまっている服の群れを見てみた。夏も1度、そんなことをした。

 

パタゴニア社製、ジャンパーのようなものがあった。買った後で気づいたのだが、それは雨対策のジャンパーだったようだ。パタゴニアが有名企業で、環境保護などにも一役買っていることくらいは知っている。6900円。どれだけ安いのかはわからないが、安いに違いない。

 

気に入った。あまり暖かくないけど、パタゴニアだからね。・・つまりはそのレベルなのである。諸々先立つ欲求の次には、洋服欲もそっと差し込んでいきたい。

 

メモに書いたことはつまり、「それ選んでおけば感動はないけど失敗はない。でもいつまでもそれでいいの?」という自問なのだ。

3660声 世界何周

2017年11月19日

年に1度行われる古タイヤ回収会に行った

昔乗っていた車のタイヤが8本も家にあったからだ

回収業者がいる町役場には長い車の列

古いタイヤが次々とトラックに積み込まれていく

あのタイヤは何万キロ走ったのだろうか

ここに集まったタイヤの走行距離を足せば

世界は何周できるんだろう

そんなことを考える程度は全然余裕なくらいに

車は進まなかった

2年後の正月には2ヶ月くらい休みをとって

海外を回ってみようかな

 

それはとても良い思いつきだと思った

3659声 映画祭前

2017年11月18日

伊参スタジオ映画祭は、ボランティアによる実行委員会で運営されている。

 

もちろん、映画祭の運営資金は町に頼るところが大きく、事務局も中之条町役場内にあり担当職員もおり、映画祭当日も企画政策課総出で駐車場係などを率先してやってくださっている。町や、役場職員への感謝は尽きない。

 

けれど、どのような映画を上映するかを決めるのは実行委員会で、映画祭の準備や当日の受付・会場・アナウンスや司会・進行も実行委員会がつとめる。映画祭の本柱となった「シナリオ大賞」というシナリオコンペの1次審査では、スタッフ総出で全国から送られてくる250本を越えるシナリオを読み込む。

 

今日は1週間後の映画祭のために、会場となる体育館の入り口作りや(衝立やカーテンを使って光が入り込まないようにする)イス並べ、休憩場所となる校庭にビニールハウスのような屋根をつけた。毎年の光景である。

 

僕にとっての映画祭は、生活の一部となっている。ボランティアであっても意志は変わらない。でも実行委員会の面々は、映画好き、とは限らない。もてなすのが好きな人、誘われたからなんとなく入ってそのままな居着いた人、それぞれが映画祭にむけて頑張っている。

 

年をとればとるほど、自分の時間を使って何かをすること、がいかに大変かがわかるようになった。幼い子どもの面倒を見て、家族の協力も得て、遠くから通ってくれる女性スタッフもいる。ありがたい。

 

一人ではできないことが、みんなの力を集めることでできる。ということは、何て嬉しいことなんだろう。

 

 

3658声 独唱個室

2017年11月17日

先日ふと、何を思ったか一人でカラオケに行ってみた。

 

地元の顔なじみのカラオケボックスでは恥ずかしすぎるが、そこは高崎、店員はもう二度と顔を合わすこともあるまいし(おおげさ)、時々はそんなおじさんもいるのではないかと思う。

 

2人以上と行くのとでは全く別物だった。まず、気兼ねがいらない。「これ好きな歌なんだけど、この人たち知らないから、よほどの歌唱力があれば聞くに耐えるけど、まずそうじゃないから早く終わんねーかなと思われるな」とか、「いやいやいや、今なおこの歌歌いますか、時代に変わらず評価される曲じゃなくて、あの一瞬の流行りだったこの歌を、あなたは音楽を聞かない人なんですね」とか、そういう気遣いがいらない。僕は、そういうことを考えなさそうで、実は案外考えてしまうのだ。

 

ふと行こうと思ったのは、サニーデイ・サービスの「桜 supper love」とYogee New Wavesの「CLIMAX NIGHT」を歌ってみたくなったからだ。前者は、僕が二十歳の頃から音楽好きの中で指示されてきたバンド。後者はめっちゃ若いバンドで、多分今の音楽好き10代は知っている。僕は若作りしているわけじゃなくて、SNSに流れてくるyoutubeに上がっている曲をたまにポチッと聞く。それで耳に残った2曲だった。歌いたい歌があるから歌いに行く。うまいか下手かは関係ない。一人だもん。

 

ただ、寂しい。とんでもなく寂しい。よほどの歌歌い好きなら別だが、寂しさに耐えられず採点ボタンを押してみた。低い。とんでもなく低い。若いころはいい点出した気がするが、音程など気をつけても採点が低い。違うさ、機械の採点が良し悪しじゃないのさ、心に響くかどうかなのさと意気込んでみても、聞く相手はいない。機械のキャーパチパチパチという効果音が響く。

 

もう、一人じゃいかない。歌の練習しよう、車の運転でもしながらね。

3657声 複雑世界

2017年11月16日

それから15年近くがたち、未だよくわからない客観と主観は、僕の仕事にとって欠かせないものとなった。

 

今編集している映像は、昨年からの引き続きでアーツ前橋で行っている「表現の森」。神楽太鼓奏者の石坂亥士さんとダンサーの山賀ざくろさんが、前橋市にある特養ホームに不定期で出向き、そこで滞在型のケアを受けているご老人たちの中に分けって、音をきっかけに演奏をしたり、させたりしている。僕はその様子をかれこれ6回くらい映像で記録し続けている。

 

演奏をさせると言っても、車椅子の老人多数、半数以上は1〜2ヶ月前に僕らが来たことも覚えていないらしい。耳が遠い人は多く、軽快な太鼓の音に反応を示さない老人もいる。

 

普通であれば、そんな老人たちとコミュニケーションをとらねばいけないとなったら、懸命に話しかけるか、身体に触れるか・・それは介護になりそうだけども、諦めることも仕方ないように思う。けれど、亥士さんのアプローチの仕方は明快で、言葉は一切介さず、わずかでも打楽器を触れる人に対してはその音に自分が出す音を共鳴させ、楽器が持てない老人に対してはその体内に音で触れようとする。

 

僕のそこでの役割は、かっこいいプロモーションを作ることではなく(そういうのは苦手)、その場で起きたことを、あるいは起きそうなことに対し適正な距離と向きでカメラを向け、じっと辛抱し、あるいはさっと切り替えて撮影していくことだ。そんな時に、子どもの頃から培ってきた・・のかもしれない客観的な目線、周りを見る・感じるスキルが役に立つ。

 

そうして撮ったものを、編集の段階で見返す。すると、その半分は撮った時の意図のまま受け止められる映像になっていて、半分は意図から外れ失敗していたりするのだが、ふと撮影時には気づかなかった動きや表情や言葉を見つけることがある。それが、たまらく楽しい。あとは、そうやって撮影や編集の段階での気付きを自分の主観でもって繋いでいく。何ももの申さない映像なんてつまらないから、一応は「僕はこのことをこう思いました」と提示することになる。

 

僕にとっての映像の面白さとはつまり、日頃しょぼくれた自分の目で偏見を持って、怠惰に見ている現実・世界というものを、もっと複雑であると認識し、そこから魅力ある何かを削り出す行為である。かっこつけて言えば。今年に入って、その一連にもっと磨きをかけたいと欲が出てきた。

 

2日にわたり思いつくままに長々と書いてみた。まだ、道は途中である。

3656声 一枚硝子

2017年11月15日

映像の面白さとは何だろうか。

実体験に基づき、変な角度から少し書いてみる。

 

主観と客観がどんなものか、実はよくわからないけど、物事を客観的に見ている方だと思う。心の底からどっぷり楽しんだり悲しんだりは苦手で、ここであの人はこう動いたから僕はこう動けばああなる、ということを無意識のうちに意識している事が多い。

 

これはどうやら、小学校低学年くらいからそうなったということに一昨年くらいに気付いた。ぼくんちは田舎町のよくある家庭だと思っていたけれど(いるけれど)真ん中の姉が不登校になり親と言い合いする機会がよくあった。長女が数年前に「あの頃わたしは構ってもらえなかった。嫌だった」と親に向かって話していて、なるほど長女は嫌なことを嫌とはっきり言う性格に育っている。では僕はその頃何をしていたのか、言い合いをする両親や姉二人をするりと抜けて、争いに加わらず一人外でぼんやり妄想していた気がする。

 

いかにすれば争いにならないか。その間違った対処法として、先に自分が謝ったり、場の空気を読む、いわゆる良い人、つまらない人になってしまったのだと思う。

 

そんな自分がひょんなことから映画学校へ行き、妄想する物語が陳腐で、ドキュメンタリーに興味を持つ様になったのは自然なことだったのかもしれない。人間を描くんだ、と意気込む人々の中にいると、それまでの曖昧な自分があたかも人間的になれるような気がしていた。

 

今でも思い出すのは、はじめて全力で取り組んだ卒業制作。宮崎県綾町で自然農を実践しているいわゆる人間味溢れた同世代の若者たちを滞在取材していて、場の空気を読むだけの僕は最初こそいい印象で撮影をしていたがすぐに行き詰まった。ありきたりの質問ばかりの僕に対して「私の何をとりたいの?」とすごんだみどりちゃんの雰囲気は今もなんとなく覚えている。

 

それでも渦の中にしばらく身を置けば一皮二皮はむけるもので、滞在終盤では「僕は撮りたいから撮る。それだけです」と開き直り、それは一部の対象には受け入れられうようになっていた。そして撮影スタッフや滞在する若者で囲むテーブルの上で、23歳の僕はとつとつとこう話していた。

 

「僕は今まで目の前にずっと硝子が一枚あるようなかたちで、目の前にいる人の輪郭がわからなかった。でもこの場所に来て、ここにいるみんなの輪郭がはっきりわかる気がする」

 

話しながら泣いていた。数ヶ月に渡り滞在撮影したくせに、完成した映像作品は散々たる出来だったけれど、僕にとってその数ヶ月間は必要なものだったのだと思う。