日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和8年度は4月(坂)5月(ぬ)6月(岡)7月(す)8月(堀)9月(坂)10月(ぬ)11月(岡)12月(す)1月(堀)2月(坂)3月(ぬ)の順です。

915声 紫靴下

2010年07月03日

昨日、首都圏に出る所用があったので、早朝、高崎駅から新幹線に乗った。
これが丁度、巷の通勤ラッシュと重なってしまい、駅構内は背広と学生服の洪水。
揉みくちゃになりつつ、新幹線口の改札を抜けると、
在来線口とは打って変わって、人も疎ら。
一足先にお盆がやって来たかの如く、穏やかに閑散としている。
もっとも、お盆休みの時は逆に、在来線よりも新幹線の方が満席と言う状況も多々ある。
平日のこの時間帯。
新幹線の乗客の大半は、新潟、あるいは群馬から、首都圏へ通勤だろう。
毎朝、田圃の畦道を、車でのろのろと通勤している身としては、
いささか羨ましく思える。
今、私の通路を挟んだ隣の列、一番奥の席に座った、背広の男性。
歳の頃、40がらみと思しき、サラリーマン。
暗色に薄いストライプ、その細身の洒落たスーツが、いかにも「都会の男」風である。
組んだ足の先から垣間見える、派手な紫色の靴下。
その先に付いている、焼き過ぎたコッペパンを思わせる細い革靴が、
忙しなく微動を続けている。
彼の全身からは、どこか怜悧な、都会の雰囲気が醸し出されていた。
この紫靴下男。
徐に背広のポケットから取り出したのは、iPhone。
やはり、都会に生きる者は時代の先端を求める。
などと思っていたら、今度は茶の革鞄を、ごそごそ。
次に、テーブルの上に取り出したのは、何とも旧時代的で無骨なCDウォークマン。
慣れた手つきでイヤホンを装着し、聞き始めたのである。
彼の一連の動作を横目で見つつ、胸中、咄嗟につっ込んでしまった。
「iPhoneで聞けよ」
紛れも無く、携帯音楽プレーヤーとしては、
CDウォークマンを凌ぐ機能を備えている、iPhone。
何故、そのiPhoneで聞かないのか。
CDウォークマンに、深い思い入れがあるのだろうか。
はたまた、聞く音楽が、英会話教材や自作楽曲作品等の、特殊なものであろうか。
まさか、使い方を知らない。
いやいや、この紫靴下に限ってそんな本末転倒な事は…。
思いは巡り、新幹線は駆ける。
窓の外。
流れる風景に目をやっているが、気になって仕様が無い。
慣れない行動は、いやはや、疲れる。

914声 状況偽装

2010年07月02日

私は人の為に装ったのです。
3,4年前、東京は下町の路地をほっつき歩いていた時の事。
一寸歩き疲れ、往来の脇で何をするでもなく、独りぽつねんと突っ立って、休んでいた。
そこに丁度、小さなタウンバスが来て、私の前で停車するではないか。
開かれたドア、その先に見えるのは、無愛想な運転手の顔。
窓越しの客席から一斉に、猜疑的な眼差しが、
呆気に取られている私の間抜け顔に向けられる。
気が付いた時には、状況が既に瀬戸際。
横目で見ると、直ぐ横に立っている電信柱の影に、バス停。
「あっ、すいまんせん」
と一言、言えばこの状況を打破できる。
しかし惜しむらくは、そんな公明正大な心を、私は持ち合わせていなかった。
刹那に私の思考回路が神経に伝達した命令は、この状況の偽装であったのだ。
努めて取り澄ました表情で乗り込み、この行き先も分からぬバスは、また発車した。
数分後、行く予定も無い浅草で、闇雲にバスを降りた。
波の如く押し寄せる疲労感に、深いため息ひとつ。

913声 客に塩を送る

2010年07月01日

夏だから。
なのだろうか。
行きつけのうどん屋のつゆの味付けが、
いささか濃くなったように感じる。
その店は、立ち食いではないのだが、限りなく立ち食いに近しい店舗で、
カウンターの他、机が二つ置いてある座敷だけの、小さなうどん屋である。
平日客の大半を、近所の勤め人が締めており、皆、その滞在時間は10分程度。
とにかく客の回転が速く、「安い早い美味い」を地で行く店で、
私はとても重宝している。
その店の味が、最近、濃い。
もっとも、私のおろぼろげなる味覚なので、信憑性は怪しいが、
濃いと断言しないと、話の根幹が揺るいでしまうので、濃いのである。
健康には、盛夏でも塩分を控えた方が良いと言うが、
やはり夏は、塩辛い物を体が要求している。
だから、その店の濃い味のうどんが、以前にも増して美味く感じる。
それには、私が田舎者だと言う理由も、起因しているのかも知れない。
夏とは言え、体には悪い。
分かっちゃいるが、その店の塩辛いうどんの味に、知らぬ間に依存しており、
足が向いてしまう。
塩の依存性にも、馬鹿に出来ない力がある。
「敵に塩を送る」ならぬ、「客に塩を送る」と言う、
賢明なる店主の夏期戦略かも知れぬ。

912声 過去からの手紙

2010年06月30日

タイムカプセル。
それを彷彿とさせるのは、古本である。
古本を買うと、時折、発売時に折り込まれていたチラシやリーフレットを、
そのまま頁に挟まった状態で発見する。
特に文庫本に多いのだが、後世、賞を獲って名を成す作家の新刊本の告知など、
興味深い内容が多く掲載されている。
その中、「読者アンケート」の葉書も、高い頻度で発見する。
先も一つ、手を伸ばした文庫本の頁に挟まっていた。
これが、とても懐古的で思わず、頁を捲る手を止めて、まじまじと観察してしまった。
まず表面、まだ郵便番号が3桁の時代。
次に裏面、記入方式がマークシートなのである。
だから、用紙全体が心持、黄ばんだ様に見えるのは、
経年劣化でなくマークシート用紙と言う事になる。
高校受験や、大学入試センター試験などで、幾度となくお目に掛かっていた、
そして、余り良き思い出の少ない、あの用紙。
この葉書、今は無き、旺文社文庫から出てきた物である。
文庫は無くなれど、現在、旺文社は元気に営業している。
よって、この葉書に切手を貼って投函すれば、
宛先の「旺文社書籍局愛読者カード係」に届く事になる。
その係が無くなっていても、確実に旺文社までは届くのだろう。
出版業界隆盛の時代。
旺文社文庫には、他社と一線を画す玄人向け志向が垣間見え、
廃刊になった現代でも、古本屋で見かければ、手に取る事が多い。
内田百?の旺文社文庫シリーズは、未だに私の憧れである。
鉛筆でマークシートを記入して、投函して見ようか。
などと、葉書を眺めていると、酔狂な考えが入道雲の如く、もりもり増幅する。
「過去からの手紙」
なんて、一寸、オツなものではないか。
もっとも、旺文社の担当係の方は、迷惑するだろうが。

911声 狂と向き合う

2010年06月29日

夕立が盛んに降ってくれたおかけで、窓から弱く吹き込む夜風にも、
ひんやりと冷気を感じるようになった。
これで、今宵は連日の熱帯夜から、束の間の解放を得るだろう。
現在時刻は午後11時30分。
サッカー・ワールドカップ日本対パラグアイ戦の真っ最中なので、
今宵の閲覧者は著しく減っているのだろう。
我が部屋のテレビにも、それが映っており、試合は前半戦。
両者の一進一退の攻防が続いている。
8強進出なるか否か。
運命の試合を控えた今日は、日本列島全国的に、興に乗っていた。
その中で私は、「興」ではなく「狂」の事を考えていた。
「興に乗る」
大辞林を引くと、こう書いてある。
「おもしろさに心が浮かれて何かをする。興に乗ずる。」
では、「狂に乗る」とは、どういう事なのか。
辞書にその意は無い。
それならば、自ら「狂に乗る」と言う言葉を解釈し定義するしかない。
何故、そんな事を考えているのか。
それは、狂に乗ろうかと企んでいるからである。
その為、自らの「狂」と向き合っているのだ。
もう少し煮詰つまったら、その企画、「クレインダンス情報」に告知するつもり。
テレビのサッカー、今、短いホイッスルの音。
前半戦を、双方無得点で折り返し、賽はまた、後半戦に投げられる。

910声 つゆの冷麦

2010年06月28日

サウナ。
と割り切れればまだ良いのだが、この部屋、高温多湿による不快感が甚だしい。
扇風機でなく、クーラーを電源を押せば、直ぐに快適な室温になる。
と言う短絡的な方法を実践してしまうと、今夏を過す体力が培われないような気がして、
暑さに耐えている。
梅雨の熱帯夜は、ほとほと、不快である。
ここはひとつ、冷たい麺でも手繰り込んで手軽に夕餉を済まそう。
と思い立ち、勤め帰りにスーパーで、乾麺の冷麦を買って帰った。
台所に立ち、早速、冷麦を茹でようと鍋と笊を用意した時点で、気が付いた。
「めんつゆが無い」
茹でたての麺に、生醤油をかけて食べるのは、いかにも讃岐流であるが、
今、袋を開けようとしているのは、安物の乾麺。
喜ばしくない結果が、容易に想像できる。
なので、めんつゆも拵える事にした。
よくよく考えてみれば、こちらの方が、喜ばしく結果を招く確率が高かったのだ。
まず、冷麦を茹でる。
鍋の中、沸騰した湯に一束入れたのだが、なんだか、想像よりも麺が太い。
菜箸で掴み上げると、素麺の倍くらいである。
3,4分茹でて笊に開け、水にさらして粗熱を取る。
次は、つゆを作る。
先程の鍋の中に、醤油、水、ほんだしを入れ、かき混ぜながらひと煮立したら、完成。
硝子の器に氷水。
その中に冷麦を泳がせる。
そこまでは問題無く料理が進行していたのだが、つゆも冷たい方が良かろうと思い、
温かいつゆの中に、氷をどかどか入れて冷やす。
それによって、冷たくはなったが、当然の如く、つゆが薄くなってしまった。
それを補う為、醤油をどばどば入れので、もう何だか、只の塩辛い醤油と言う具合である。
「ずるずる、ずるずる」
とやって見たが、美味くない。
結果、半分残した。

909声 夏の薄麦酒

2010年06月27日

夏にはいささか薄い麦酒が合う。
と言うのは、極私的な見解であるが、そう思う。
近頃、街の巷では、やけに低価格な麦酒を提供している店が目に付く。
「生中1杯250円」
「飲み放題1時間に限り500円」
など、麦酒本来の実勢価格を下回ってしまうのではなかろうかと、
心配になってしまう価格である。
しかしそのからくりは、麦酒ではなく発泡酒。
その銘柄を、表示してある店もあればしてない店もある。
今宵は、得体の知れない舶来麦酒を4,5数種類買って来て、飲み比べた。
中でも、現在のワールドカップに因んで購入した、
南アフリカの「CASTLE LAGER」と言う銘柄の麦酒が、美味かった。
淡色のピルスナータイプで、味は薄い。
しかし夏は、そう言う麦酒の方が進む。
暑い国は、味の薄いビールが隆盛しているように思う。
ネットで調べたところによると、この麦酒も、
南アフリカでは支配的なシェアを保持しているらしい。
ひとしきり飲み終えて、風呂上がり夜風に当たりながら、読書。
同時並行で耳かきをしていたら、スルリと奥まで、耳かき棒が入ってしまった。
それで今、右耳が、いささか痛い。

908声 酒徒の週末

2010年06月26日

近頃、大いに盛っているのは、郊外に在る大型の居酒屋チェーンである。
週末の夕食時ともなれば、そのいささか収容数過多と思われる大型の駐車場に、
車が鮨詰め状態。
当然、店内も満席となり、針の穴を通す様に、苦労して駐車場の隅に駐車し、
いざ暖簾をくぐって見れば、待合室には夥しい数の待ち客。
ほうほうの体で引き揚げて行く客も、一組二組ばかりではない。
その客筋は、老若男女、大いに多様である。
徳利の酒を差しつ差されつやっている、老夫婦。
ししおどしの如く、ひたすら喉に麦酒を流し込んでいる、勤め帰りの背広連。
フルーツパフェにカシスオレンジ、食物も彩色なら衣装も彩色。
若い女性客は、話し声まで鮮やかな黄色。
食事が終わって、大人の長話にすっかり飽きている子供等が、店内で縦横無尽に鬼ごっこ。
それらの客が、坩堝の中で熔融する事なく混ざり合っている。
混然とはしているが、一体になっていない。
そこに生ずるのは、不協和音。
それでも、客の足を向かわしめるのだから、経営の創意工夫に気を使い、
そして何より、接客に気を使っているのだろう。
反面、市街に在る小さな飲み屋。
週末の夜と言うのに、暖簾を揺らすのは、湿った夜風のみと言う状況。
前者と違い、店に来る客筋は大半が酒徒である。
だから、落ち着いて酒と向き合う事が出来る。
こと酒を飲む事に関しては、これほど理にかなった店は無いと思う。
しかし皮肉にも、巷の酒徒の足は、こう言う店に向かないようである。

907声 サムライブルーに酔う

2010年06月25日

「えっ、観てなかったの」
なんて、私は昨夜、規則正しく寝ていた、と言っただけである。
それなのに、世間では非国民のレッテルを貼られかねない程、
祝勝ムードに包まれていた一日だった。
昨夜遅く、と言っても、日付は今日、朝方と言う事になる。
サッカー・ワールドカップ南アフリカ大会E組の試合、日本対デンマーク戦があった。
結果、3−1で日本がデンマークを下し、E組2位の戦績で決勝トーナメント進出を決めた。
次は、F組1位のパラグアイと、6月27日に対戦することが決定している。
朝からテレビを点ければ、サムライブルー。
会社での話題は、サムライブルー。
得意先での話題は、サムライブルー。
食堂で昼飯を食えば、若者が集まって喚き立てる話題は、サムライブルー。
夜、居酒屋で飲みつつ、私もこっそり、サムライブルーなんてカクテルを注文してみる。

906声 読むとちゃんぽん

2010年06月24日

私には、ちゃんぽん癖がある。
ここで言う「ちゃんぽん」ってのは、長崎方面ではない。
そして、酒場方面でもない。
では何かと言うと、読書方面の、ちゃんぽんなのである。
読書におけるちゃんぽんとは、端的に言えば、一定時間の読書中に様々な本を読む、
と言う事である。
つまり、読んでいる小説Aを切りの良い所で止して、小説Bに手を伸ばす。
小説Bも早めに切り上げてしまって、読みかけの詩集Cの栞を外す。
詩集Cを読み終えて、また、小説Aを読み始める。
と言った具合に、少しづつ、色々な本をつまみ食い、ならぬつまみ読みしながら、
読み漁って行くのである。
私は、飽きっぽい性格でもないし、酒に関しても、
あまり手の込んだちゃんぽんはしない性質なのである。
しかし、こと読書に関しては、そこら辺に転がっている本がどうも気になって、
ついつい手を伸ばしてしまう。
然るに、本のちゃんぽんは酒のちゃんぽんと違い、読み(飲み)過ぎて、
二日酔いになると言う心配が無い。
酒のちゃんぽんは、次第に自らが飲んだ酒の総量を不覚し、過剰に痛飲してしまう。
本のちゃんぽんは、それに比べ実に清々しい。
様々な本を、とっかえひっかえ読む。
その心持はまるで、ドラえもんの道具である、「どこでもドア」の扉を開け、
好奇の心を持って別世界を渡り歩いているようである。
中には、ほったらかしになって、二度読みしてしまう本や、
すっかり忘れていて二度買いしてしまう本が、無きにしも非ず。
何事もほどほどに、と言う点は、本も酒にも共通しているようだ。

905声 S君といた夏

2010年06月23日

「締め切りを過ぎているのに書けない」
と言う、悲痛な呻き声をあげている。
のは、私でなく、今日メールをもらった知人である。
その知人が、どの雑誌で何を連載している、とここで書くと、
編集者の頭に生えた角が、更に伸びてしまうと思われるので、ここでは控える。
と言っても、週刊月刊の商業雑誌などではなく、同人誌風の穏やかな雑誌なのである。
私が小学低学年生の時分。
夏休みに、毎日毎日、意気揚々と遊んでいる友人S君に聞いてみた事がある。
「S君、毎日遊んでいるけどさ、宿題はいつやってるの」
「宿題なんてやってないもんね」
「えっ、宿題やんないの」
「宿題はやる、でも、今はやらない」
「なんで」
「だって、今からやったらさ、始業式には、やった内容、ぜーんぶ忘れてるぜ」
「だからさ、始業式の直前で一気にやれば、ぜーんぶ頭に入ったまま、
新学期に行けるじゃん」
「S君、すげーな、なんで気付かなかったんだろ、オレもそうしよっと」
「なーそうだろ、じゃ早く、アイス食いに行こうぜ」
ってな具合にその夏、S君から画期的かつ効率的な、
宿題勉強方法を教えてもらった、私。
目から鱗が落ちる思いで、その日から、直ぐその勉強法を実践に移した。
しばし宿題を放擲し、一緒になって意気揚々と、夏休みを遊び暮らした私たち。
しかし、遊び癖が染み付いた子供が、土壇場で計画的に宿題をこなせるはずも無い。
結局は始業式前日、我家恒例の夏の修羅場。
その渦中で、泣きべそかきながら鉛筆を握る羽目になった、私。
当然、宿題内容が頭に入るどころの騒ぎではない。
新学期の補習授業で、S君とたんまりツケを払ったのも、今や良い思い出である。
そして今日。
連載の締め切りに喘ぐこの知人に、失礼ながら、ふと、あの時のS君を思い出された。
そのS君、こと遊びに関しては、天才的なユーモアを発揮する、
誠に痛快な子供であった。
キリキリと宿題を計画的にこなしていた夏休み
(そんな夏休みはほんの数回であるが)よりも、
S君といた夏休みの方が、濃く思い出に焼き付いている。
とは言っても、子供時分の私がS君方式に丁を張るなら、大人になった私は、
計画的コツコツ方式に半を張るだろう。

904声 断続的惰眠

2010年06月22日

昨夜の事。
風呂上がり、扇風機の前で横になって涼んでいたら、そのまま寝入ってしまった。
目を覚ましたのは、朝方午前4時ごろ。
4時ともなると、もう空が白じんでいる。
思えば、昨日が夏至である。
「いつ間にか寝てしまった」
意識朦朧としている中、咄嗟に悔恨の念が湧いたが、
やはり起き上がれずに扇風機のボタンを押すのが精一杯。
また、寝てしまった。
梅雨の蒸し暑い日々が続き、汗と共に体力も流れ出ているのだろうか。
そして今朝方、今度は屋根を強く打ち付ける雨音で起きた。
気付けば、土砂降り。
窓を開けて寝ていたので、周辺が濡れてしまった。
甚大な被害を被ったのは、投げ出してあった文庫本数冊。
窓を締める為、寝床から起き上がると、肩にズシリと圧し掛かる疲労感。
不規則かつ断続的な睡眠によって、疲労感が残ってしまったようである。
気弱に吠える、近所の犬の鳴き声を聞きながら、深いため息ひとつ。

903声 進ましめるもの

2010年06月21日

久しぶりに、ちと、休める。
などと、淡い期待を持っていたが、気付けばそんな期待など、泡の如く消えていた。
と言うのも、一昨昨日、一昨日、昨日と、3日に亘って、
第900声記念特別企画を更新していた。
この内容を事前に作成しておいて、後は、当日に掲載するだけ。
と言う段取りを考えていた。
考えていたのだが、それを実行に移す余裕なく、結局、当日になってカチカチと、
夜半にキーボードの音を響かせている始末。
今回の企画。
その主役は「バス停」と「寅さん」である。
つい先程、ひとっ風呂浴びて、麦酒を飲みながらテレビを点けると、丁度、
「男はつらいよ 柴又慕情」が再放映されていた。
観ながら改めて思ったのだが、「麦酒」と「寅さん」ってのも、とても相性が良い。
今日を出ると、次に一息付けるのは、第1,000声と言う事になる。
遂に1,000の大台に乗るのは、およそ3ヶ月後、10月頃の予定。
その時は何かまた、気の利いた企画を用意するつもりである。
その地点までまた、走って行かなければならないのだ。
時に速度を落とし、時に歩く事になっても、常に一歩づつ、歩を進めねばならない。
自分の足を進ましめるもの。
そんな事は、道中で考えれば良いや。
とりあえず、武者小路実篤の詩ではないが、「進め、進め」。

902声 第900声及び上荷付場バス停復元記念特別企画「寅次郎ハイビスカスと花豆」後編

2010年06月20日

こんばんは、お待たせ致しました。
なんだ、昨日見た顔ばかりだね。
いや、結構結構、ありがとうございます。
今日は、いよいよ最終回の後編をお届けいたします。
今までの回を見逃がした方、安心して下さい。
今日から読めば大丈夫。
実は、内容があるのはこの一回。
いやいや、さて、丁度時間となりました。
では、昨日の続きからはじめます。
最終回の、はじまりはじまり。
私が一緒に撮影に行ったのは、勿論、「寅さん」。
ったって、それは一体、どこのどちらの寅さんか。
「尾瀬の寅さん」
いや、今は引っ越して「信州の寅さん」。
でも、何れは「安中の寅さん」。
まぁ、ちとややこしい。
要は、折角バス停が復元したんだから、この寅さんとそのバス停に行って、
あの名シーンも復元してみようじゃないか。
ってのが、今回の企画の発端。
当日はまさに、映画のスクリーンから抜け出た様な青空。
山越え谷越え、辿り着いた上荷付場バス停。
その佇まいは、確かに映画の中にあった、あのバス停。
早速、バス停の中、寅さんに立ってもらうと、映画のワンシーンそのまま。
とまでは行かないが、眼前の風景と記憶の風景が交錯し、
どこか映画の中にいるような心持で、カメラを構えます。
濃い夏の日盛り、静まり返ったバス停で、いい大人が2人して映画のワンシーンを再現。
時折通る、坂道を上って行く車は、皆、減速しながら私たちの横を通り抜けて行きます。
丁度その時、坂を上って来る、一台のバス。
すれ違いざま。
バスに向かい、持っている団扇を振る、寅さん。
しかし、ここは正規のバス停で無いし、バスの方も路線バスでないので、
当然、停まる訳きゃ無い。
がっくり肩を落として、バス停に戻って座り込む、寅さん。
その光景は、まさに、映画の状況と酷似しておりました。
映画では、通過したバスが停まり、リリーがバスを降りて駆けて来ますね。
現実は、そう上手くは行かなかった。
静まり返ったバス停から眺める、山々の風景。
そこに四角いフレームが現れ、真ん中に浮かび上がってくるのは、「終」の文字。
そんな映像が、見えた様な気がして振り返り、寅さんの背中にそっとかける、ひと声。
「さて、行きましょうか」

901声 第900声及び上荷付場バス停復元記念特別企画「寅次郎ハイビスカスと花豆」中編

2010年06月19日

はいはい、押さない押さない。
昨日読み忘れた人は、ひとつ前の900声から。
昨日読んでくれた人は、どうぞそのまま。
では早速、はじめます。
なんでこの山間のバス停が、その名を全国に轟かせたのか。
はい、すみません、後の方が見えづらいようです。
前の方もう一寸、前へお詰め下さい。
はい、その辺りで結構でございます。
では、仕切り直して、はじめます。
それは何故かと言いますと。
映画「男はつらいよ」のシリーズ第25作。
「男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花」
そのラストシーンに登場したバス停とは、何を隠そう、
群馬県は旧六合村のこのバス停、「上荷付場」。
つまり、寅さん映画のロケ地だった訳なのでございます。
寅さんフリークなら、当然ご存じ。
寅さんフリークならずとも、はい、そこのお母さん。
いや、お嬢さんが、本当のお嬢さんだった頃、一度くらい観た事があるはず。
主人公の車寅次郎を演じるのは、勿論、渥美清さん。
マドンナ役のリリーを演じているのは、浅丘ルリ子さん。
ほら、覚えているでしょ、昭和55年公開のこの作品。
シリーズ48作の中でも、屈指の名作ですよ。
実は、このバス停に私、ついこの間、行って来た。
えっ、独りで、いや、独りじゃない。
独りで行ったって、つまらないじゃないですか。
この場に相応しい、面白い人と、二人で行って来た。
それは一体誰なのか…。
ってのは、また明晩。
この時間にこの場所で。

900声 第900声及び上荷付場バス停復元記念特別企画「寅次郎ハイビスカスと花豆」前編

2010年06月18日

さぁさぁ、お立会い。
ほら、そこの眉間に皺寄せて読んでるお嬢さん、
そんな遠くで見てちゃ見逃がします。
どうぞ、もっと近くで、皺を伸ばして読んで行ってください。
さてお立会い、映画「男はつらいよ」はご存知でしょうか。
えっ、何、知らない、そいつは勿体ない。
群馬県の人なら、尚更、勿体ない。
よし、今日は特別、浅野匠上じゃないけど腹切ったつもり。
今日は第900声記念で大サービス。
タダでお教え致しますので、どうぞ、最後までお付き合い願います。
群馬県は吾妻郡の六合村。
現在のこの村、今年の3月に隣町の中之条と合併して、中之条町。
この町村合併と同月、ここに一つのバス停が、復元されました。
廃線になり、朽ち果てていた、この「上荷付場バス停」。
それでも、忘れ去られてはいなかった。
合併に伴って全国から集まった、
「復元してほしい、残してほしい」
と言う声が、遂に行政を動かしたのであります。
そしてこの度、国の緊急経済対策交付金を活用して、
バス停を復元する事と相成った次第でございます。
ってのが、私がこの前新聞で読んだ、事の顛末。
ほら、鼻ほじりながら読んでるそこのお父さん。
群馬県の山奥にあるこの有名なバス停、心当たりはありませんか。
ひと昔、いやふた昔前の映画かなんかで。
では、なんでこのバス停が、そんなに有名で人気だったのか。
それは……。
丁度時間となりまして、この続きはまた明晩。
この時間、この場所で、お待ちしております。

899声 エコドライブ

2010年06月17日

今日は梅雨の中休みで、日本列島津々浦々、軒並み今年の最高気温を観測。
昼に入った行きつけの食堂では、お客さん皆、クーラー寄りの席の方へ集まって来る。
樹液に集まる昆虫でもあるまいし、密集しながらラーメンなんて啜ってるから、
逆に蒸し暑くなる始末。
こう暑いと、頭がのぼせ上って、注意力も散漫になる。
注意力散漫状態は、生活上、危険である。
中でも特に危険なのが、運転。
車のハンドルを握りながら、注意力を欠く運転をしている、ってのが一番危ない。
今日もやはり、所々で、それを見掛けた。
今日はいささか奮発して、その状態を三段落ち形式でご紹介。
まず初めは、運転中の携帯電話。
これはもう、老若男女、兎に角数が多い。
時折、運転中で無く、路肩に止めて通話している人があるが、
慌てて車を停めるから、車体が大幅に車道へ食み出している。
狭い道などでは大渋滞を引き起こし、これも事故を誘発する原因になりえる。
次に、運転中の読書。
これは携帯電話と似ているが、運転中で無く、信号待ちの停車中が多い。
配達中の小型トラック運転手などに多い気がするが、ハンドルの上で、
週刊誌を読んでいる。
慣れている風で、ハンドルと雑誌を巧みに操っているが、
今週号の漫画が、爆発的に面白かった時などが怖い。
運転手が雑誌に夢中になってしまい、前の車はとても怖い思いをする羽目になる。
最後が、運転中の食事。
お菓子やハンバーガーなどなら未だ許容範囲だと思うが、今日、
私が見た光景は前代未聞であった。
お昼時の信号待ち、ふと、隣車線に停車している車に目をやると、
一台の赤いハイブリットカー。
運転席でハンドルを握っているのは、サングラスをかけた、女性。
しかし何やら、片手で口に運んでいる。
体を浮かせて、手の先を追うと、そこには目を疑う女性の行動。
よりによってパスタ、である。
運転席と助手席の間に置いてあるのは、おそらくコンビニで買ったであろうパスタ。
器用にフォークで絡めとり、涼やかな顔して黙々と、口へ運んでいる。
運転中に間食で無く食事、それも、食べ方の難しいパスタを食べるなど、
自殺行為も甚だしい。
ハイブリットカーに乗り、エコに気を配っているようだが、
事故にも少しばかり気を配ってはどうかと思う。

898声 猫の八当たり

2010年06月16日

誠にもって、蒸し暑い。
畳の上に横たわり、扇風機の微風を受けている時は良いが、
一度、扇風機を止めれば、不快な熱気が纏わり付いてくる。
扇風機のプロペラは快調に回転しているが、どうも、我が頭の回転が著しく鈍っている。
虚ろに天井を眺めていると、やけに、浮遊している羽虫が目に付く。
「網戸に穴でも」
と思い、窓辺まで這って行き、窓の縁へ手を掛けてのそのそと立ち上がる。
湿気を吸って体重が増加してのではなかろうかと思われる程、体が重たく感じる。
「ヴャーゥオ」
闇にさんざめく蛙の声をつんざいて、猫が喧嘩している声。
ひとしきり喧嘩が済んで、また、闇に蛙だけがさんざめいている。
こう蒸し暑いと、猫も気が立ってくるのだろう。
あんなに暑そうな毛皮を着ていて、脱ぐ事が叶わないのだから。
おまけに蛙は、お構いなしに大合唱。
そりゃ気持もやさぐれて、仲間と居ても、お互いに八当たり。
自然と喧嘩に発展してしまうのだろう。
いささか、猫を気の毒に思い、網戸に不具合が無い事を確認し、一安心。
猫を真似て、四足歩行で寝床へ戻り、猫が茶を吹いている様な顔で、寝てみる。