日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和6年度は4月(ぬ)5月(岡)6月(す)7月(堀)8月(坂)9月(ぬ)10月(岡)11月(す)12月(堀)1月(坂)2月(ぬ)3月(岡)の順です。

126声 肝と脳が官能的

2008年05月05日

休肝日を作れずにいる。
GWでさらに拍車がかかる。
今日は、ジャパン・ビアフェスティバル2008に行って、地ビールを沢山飲んで追い討ち。
肝機能がそろそろオーバーヒート気味な様子。

そして、この「日刊鶴のひとこえ」も休刊日を作れずにいる。
GWでも更新している。
脳機能がそろそろオーバーヒート気味。
にはなってない。
たいして脳を使っていないからである。

今日は官能的な、じゃなかった肝と脳の話だけれど、まったくこんな事ではいかんのう。
ね、たいして脳は使ってないでしょ。

125声 炎のファイター

2008年05月04日

今日も書き溜め。

そうそう、今年はオリンピックイヤー。
北京五輪の年である。
聖火リレーの件でなにやら一悶着やっているらしいが、
ともかくまぁ聖火のリレーが終わってっからやってほしい。

私はオリンピックなどのスポーツ関連は、あまり身を入れて観たりする方ではない。
なので、聖火リレーにも別に取り立てて興味は無い。
しかし、過去の聖火リレーで鮮烈に印象に残っている年があるのだ。

それは1996年。
アトランタオリンピックである。
その日、たまたまTVでオリンピックを観ていた。
ちょうど、最終聖火ランナーが聖火台へ点火する場面。
毎年の事、聖火台への点火者は直前まで秘密とされているので、知らないで観ていた。

走ってきたランナーが、暗い聖火台の前まで聖火トーチを運び、いよいよ大詰めで点火者に聖火が渡る。
「パッ」と一斉に当てられたスポットライトの中に佇んでいたのは、モハメッド・アリだったのである。

アリはパーキンソン病の震える手で聖火トーチを受け取ると、
ヨロヨロとそれでもしっかりと、最後の点火用トーチに火を付けた。
すると、トーチは仕掛けてあるロープをグングン上り、聖火台に投げ込まれると勢い良く聖火が燃え上がった。
燃え盛る聖火と、観客からアリに向けて送られる津波の様な拍手。
その時の会場の光景に胸打たれた感覚が、鮮烈な印象となって瞼の裏に焼きついている。

そんな事を思い出させるのは、今、寝巻き用に着ているアトランタオリンピック記念Tシャツ。
どこで購入したのか、もう忘れてしまったのだが約10年以上は着ている。
もうボロボロだが、プリントされている聖火を見ると、あの時のアリを思い出す。
リングを舞っていたチャンピオン・アリの様に、何者にも囚われずに無事に聖火が渡って欲しい。
北京でも、心打つ点灯を期待しているのだから。

124声 虎ディッショナル

2008年05月03日

さて、これを書いているのは実は2日なのである。
つまり昨日ね。

家を空ける予定なので、まとめて書いている。
今頃は東京に居るはず。
すました顔でどっかしらを彷徨っているはず。

住んでいた頃は、あまりそんな事は意識しなかったのだが、
たまに東京に行った時は終始「すまし顔」を装う。
今日は朝から満員の高崎線、それも始発からはるばる揺られて来ました。
ってな雰囲気が極力醸し出ないよう。
ましてや、最近群馬の銭湯を探し歩いている、などと言った「匂い」が出ないよう。

むしろ、駅に着いたらなんだか早足で歩いてしまって、
「知ってます風」なトラディッショナル人間になろうとしている自分がいる。
それはもはや、張子の虎ディッショナル人間なのである。
だから余計疲れる。

そう言えば子供時分の事。
よく親戚のおじさんなんかがGWの旅行から帰ってきて必ず、
「なっからおーごとしたなぁー、これじゃー疲れに行ったよーなもんだ」と言っていた。
最近、なんだか少し分かってきてしまった。

123声 ゲンナリズム

2008年05月02日

明日は3日。
GW渋滞のピークだそうで、今からヒヤヒヤ。

なぜなら、明日は朝から東京へ行く予定なのである。
電車で行くのだけれど、あの満員電車を思うといささかゲンナリ。
なんだか今年は、ガソリンの値上げも相まって、
電車利用客が大幅に増加するのではなかろうかと予測している。

乗り慣れていないせいか、満員電車に数分揺られているとグッタリ。
「人あたり」とでも言うのか、急速に疲労してしまう。
しかしそれでも、好き好んで出掛けるんだからしょうがない。
さて、はよ寝よ。

122声 黄金逃亡者

2008年05月01日

買ったまま読んでいない本が山積み、
いつか書こうと思っていた原稿は溜まり、
借りたまま観賞してないDVDが散乱。
コイツ等が、一挙に清算を求めてくるのがGW。

したがって、ヤツ等から逃れる為にどこか遠くに行ってしまわなければならない。
ここ数年、黄金週間は毎年逃避行型に進んでいる。
なんだかもう、慌しく夜逃げでもする様に、家をすり抜けてどっかしらへ行く。
転がり着いた先で、黄金麦酒を喉へ流し込むと、やっと脱走が成功した事に気付くのである。

生活に追われ私はもはや窮鼠に。
麦酒の酔いが回ってきた急速に。
落ち着くやっとありつけた休息に。

121声 暫らく定食の税率、人呼んで「暫定税率」

2008年04月30日

明日から暫定税率が復活、再度ガソリンの価格が上昇。
「そりゃかなわねぇ、じゃあ今日のうちに満タン給油だ」ってんで、
今日は朝からどこのガソリンスタンドも長蛇の列。
昼過ぎには、「在庫切れ」の手書き看板を持って謝っているってな始末。

こんな光景を、5・6年経ったら「オイルショック」の様に、
「ガソリンショック」なんて言って振り返って見るのだろうか。
もっとも、「あの時はまだあんなにガソリンが安かったんだ」などと言いながら見たくない。
しかし、どうなっているかは誰にも分からない。

実を言うと、毎朝一応日経新聞に目を通しているのだけれど、
暫定ナントカのナニがドーなっているのかさっぱり分からない私。
なので、文句の付け方もイマイチよく分からない。
まぁ、あまり知りたくもない。

120声 四角な見方が死角だった視覚的文章構成 後編

2008年04月29日

昨日の続き。

しかし時を経て、「まず視覚」と考える様になった。
それはWebに限らず雑誌などでも、ページを開いた瞬間、「読みづらい」と感じたら内容までは読み進めない。
かくいう私がそうだ。
いくら内容的に読みやすくても、視覚的に読みづらかったら元も子もない。

そして、整然と配列された文章には、そこはかとない雰囲気がある。
そう感じたのは、CDを買って歌詞カードを開いた時。
一曲ごとに、段落で分けられ綺麗に配列された歌詞。
その歌詞の内容はもとより、行間から漂う雰囲気が好きなのである。
私の知識が足りなくてうまい事説明出来ないが、「詩」の視覚的な技法に近い。

ただでさえ文字が読みづらいPCモニターである。
視覚的な読み易さを意思する事は必須。

そんな事は何も意識せず、自分の文章を「読ませよう」としていた青二才。
根本的センスが無いので、未だに「読みづらい」文章を載せている青二才。
毎日休まず書いてるけど、誰か「読んでんのかなぁ」と疑心暗鬼な青二才。
青二才のクセに偉そうな、この内容に言われる文句「いい加減にしなさい」

119声 四角な見方が死角だった視覚的文章構成 前編

2008年04月28日

安ホテルの堅ベッドで目を覚ます。
部屋の窓から見下ろす四階の景色。
朝焼けに染まった街は何食わぬ顔。
耳の奥には微かに残る昨夜の喧騒。

私は、この様に句読点を取っ払って配列を意識した文列を織り交ぜつつ、
文章を構成していく事が時たまある。
Web特有の文体だと思う。
って、「Web」などと言っているが何も分かってもいやしないのに、
「文体」などとこれまた何も分かってもいやしない。
しかし、そんな事はさておき。

随分と前の話。
Webサイト用の特集記事原稿を一通り私が書いて、デザイナーさんに渡した。
出来上がってきたページは、写真と文章が綺麗にレイアウトされた申し分無い出来栄え。
しかし、文書をよく見てみると、私がつけた句読点が綺麗さっぱり取っ払われていたのだ。
質問すると、「デザイン的に」と言う答えが返ってきた。

なるほど流石はデザイナーさん、文章を視覚的に見てページを作っていたのだ。
私は、文章は読み易い様にと観念的に考えていた事もあり激論10分の末、
何とか頼み込んでその記事に句読点を戻してもらった。
いささかスッキリ感は失われてしまったが、それで良いと思った。

よし、じゃあ明日へ続けてみようか、ねっ。
それじゃ、明日へ続く。

118声 構想「十石みそカレー」

2008年04月27日

地域のお祭りなんかでよく、1,000人鍋ってのがあるでしょう。
中華鍋のおばけみたいなので、豚汁なんかを2,3人で作って大勢に振舞ってるアレ。
アレを作った事がある。
去年のGWに。

そこに至った経緯は省いて話すけれど、場所は上野村である。
お祭りの目玉企画として、特産品の「十石みそ」と地場産の野菜だけで作る、肉要らずの「十石鍋」
ってな1,000人鍋を作って振舞った。

なにせ1,000人前なので、下ごしらえが大変。
前日に十数名でやって、野菜の皮むきだけで2時間なんて具合。
やってる人間の、手の皮が剥けて来る始末。

ぶっつけ本番。
具材を入れて味噌と水入れて、コトコト煮てりゃあなんとかなるもので。
と言っても、私が作ったんじゃない。
出来上がる頃には、会場のお客さんが鍋の前に長蛇の列。
アレヨアレヨと言う間に減ってゆく。

しかし、なんと言っても1,000人前。
最後の方は煮つまってきて、濃縮ドロドロ汁ってな様相。
ご飯にかけて食いたいぐらい。
鍋物ってのは、多く作れば多く作るほどウマイ。
なので、味の方はもちろん。

今度はカレーなんて良いかも、みんなでご飯を盛ってそれにかけてあげる。
名付けて「十石みそカレー」。
なんてどうカネー。

117声 IAF

2008年04月26日

世間は今日よりGWに突入した様子。
ってな訳で、日本各地でイベントが目白押し。
県内でも、緑化フェアの関連だとか地域のお祭りだとか、もう騒いでない地域を見つける方が難しい。

この地域のお祭りってぇのは、といつにも増して節をつけて書いてしまう。
と言うのも今日、赤城山の麓で毎年数回行われている落語会を観に行ったから。
講談と落語。
いや、やっぱりビールも落語も「生」が良い。
って、なんの噺じゃない話だったか。
そうそう、地域の祭り。

寄り道ばかりしているから、時間も文字数もデットラインを越えそうである。
デットラインなんて、ちょっいと小洒落た表現を織り交ぜて、とまた悪い癖が出る。
じゃあもう、地域の祭りの話は明日だ。

明日って言ゃあ(もう本線へ戻るのはあきらめて)、IAFの日だねそう言えば。
えっ、International Aikido Federation(国際合気道連盟)。
ちがうちがう。
なになに、Indian Armed Forces(インド軍)。
って何だいインド軍の日ってのは。
明日は、Isesaki Artist Festival(いせさきアーティストフェスタ)だよ、まったくおまえさんは。

116声 カップ関係との付き合い方

2008年04月25日

カップヨーグルトは、蓋を空ける前に手のスナップをきかせて「シュッシュッシュッ」と2、3回振ってから食べる。
そうすると、ヨーグルトが絶妙な加減の液状になる。

カップコーヒーゼリーは、蓋を開けて付属クリープを流し込んだら、「スッスッスッ」と賽の目にスプーンを入れる。
それから、クリープとゼリーをスプーンでよく混ぜる。
そうすると、コーヒーゼリーが絶妙な加減のコナゴナゼリー状になる。

つまりまぁ、そういう話。

115声 等身大の値打ち

2008年04月24日

唐突に、好きな寅さんの台詞をひとつ。
「男はつらよ」第18作「寅次郎純情詩集」より。

綾(京マチ子):「寅さん」

寅次郎    :「はい」

綾:「人間は、なぜ死ぬんでしょうねぇ」

寅:「うーんそうねぇ、まぁ何て言うかなぁ、まっ結局アレじゃないですかねぇ、
   あのこう、丘の上がね人間ばっかりになっちゃうんで、
   うじゃうじゃうじゃうじゃ、面積が決まってるから」
  「で、みんなでもってこぉやって満員になって、
   押しくらまんじゅうしてるうちに、なくなっちゃって」
  「で、隅っこにいるヤツが、《お前どけよ》なんて言われると、
  《あああー》なんつって海ん中へ《ポチャン》っと落っこって、
   そいで、《アップアップ》して《助けてくれ助けてくれ》なんつってねぇ、死んじゃうんです」
  「まぁ、結局そうゆう事になってんじゃないですかねぇ、昔っから」
  「うん、まぁ深く考えない方がいいですよ、それ以上は」

この重い質問に対して、歯切れ悪く不真面目に軽く答える車寅次郎。
「寅さんは寅さん」
だから良いんだ。

114声 それでも書く

2008年04月23日

「そんなの嘘だろ?」
自分に問いかけながら文章を書く。
「嘘も方便」
慌てて自分を正当化。

制約の中で物を書く時、脚色だとか誇張、推測と言った類の嘘を交えながら文章を作っていく。
「それでも書きたい」と、思うから書く。
「これでいいのだ!」と、思うから書く。

113声 深夜の瀬戸際本線を蒸気機関車は加速

2008年04月22日

宵っ張りで何かの原稿を書いている。
まぁこの「鶴のひとこえ」でも良いんだけれども。
そろそろ床に就かないと、いよいよ明朝起きられないだろうと言う瀬戸際の深夜時刻に差し掛かる。

「さぁ、終わったから寝よ」ってんで、布団を被って無理やり目を閉じても、
そう「ドラえもん」の「のび太」の様にすぐには眠れない。
どうも、気持の芯の方で焚き火を囲んだお祭り騒ぎが開催中。
つまり、気分が高揚していて目が冴えているって状態。

文章を書いている時ってのは、どうも心の中に炎を燃やしている様で、
書き進めて行くにつれドンドン火に薪をくべていく。
燃え盛る炎に比例して、原稿の進みにも拍車がかかる。
蒸気機関車人間と化している様である。
なので、終わったからと言ってすぐには寝れない。
燃え盛る炎を消火して、加速している機関車を止めなければならないのだから。

さぁ、今日も勢い良く燃えている焚き火の周りに、
祭りのハッピを着た人達がチラホラ集まりはじめて来た。
今日のところは早めに水をぶっかけてしまおう。
そして、深夜の瀬戸際本線を走る蒸気機関車の乗客たちに車内アナウンス。
「突然だけどお客さん、次終点だよ」

112声 癒しはそこにある 後編

2008年04月21日

それじゃあ、続きの出番。

どうしょうもないので、ヨタヨタと店先の花に水をくれたり、「空が青いねぇ〜」などと独り言をつぶやいたり。
遊びに来た近所の子供等に、お菓子を出したり。
まぁ、日がな陽だまりで番茶をすすりながら青空を見ていたのである。

ただ空を見ながらボーっとしてただけだが、「だ」が多いな、いやそんな事より、随分と癒された様な心持になった。
心身ともにね。

私たちは日々、花鳥風月より受動的な癒しを受けているけれど、それに気付かないだけなのではないだろうか。
むしろ、それに気付かなくなった時に癒しを求めるのでは。

厨房の沢庵をツマミ食いしながら、そんな風な事を一寸思ってみたり。

111声 癒しはそこにある 前編

2008年04月20日

近年、「癒し」ってのをそこらかしこで目にする。
旅行雑誌をめくれば、「癒しの温泉宿特集」なんてのを必ずやっているし、
TVをつければ「癒し系」なんて言われているタレントさんが出ている。
街へ行けば「リラクゼーションエステ」の店がひしめき合い、
山へ行けば「マイナスイオン」が発生しているとかしてないとか。

需要があるから供給する。
つまり、癒しを求める人が近年急増しているのだろう。
様々な癒し処に、能動的に癒されに行く現代人。
チト過剰なんじゃないかと思う。

と言うのも、本日の事である。
午後のやわらかな陽射し差し込む、和のカルチャースクール「ほのじ」厨房の隅。
二日酔いによって体内機能は七割方停止。
頭の中では、アセトアルデヒドが勢い良く鐘を打ち鳴らしている。
ってな具合なので椅子に座って、すっかり意気消沈。

今日はココまで。
最近何かと二部構成。
最大文字数ってヤツをね、オーバーしてしまうこの頃。
まぁ、鶴の「ひとこと」って言ってるのに、1000文字以上も書く方が悪いか。
じゃ、続きはまた明日。

110声 いつまでも変わらない人

2008年04月19日

あれはたしか去年の秋頃だったか、高崎にある楽器屋での事。

休日の夕方、私はその楽器屋にギターの弦を買いに行ったのである。
弦を買うついで、飾ってあるギターの一本が目に留まった。
別に買うつもりもお金も無いのだけれど、何故か音が出してみたくなり、近くにいた店員さんに試奏のお願いをした。

高いギターだけに音が良く、調子に乗って弾いていると、先程の店員さんも親切に色々と説明してくれる。
フムフム店員さんの説明を聞いていると、突然、「おいくつですか」とその店員さん。
「25歳」ですと私。
「もしかして何某保育園でしたか」と、畳み掛ける店員さん。
「そうですよ」と私。
「抜井くんでしょ、俺同級生の何某」と、目を丸くした同級生の店員さん。
「えっ」と、丸くなった目玉が転がり落ちる同級生の私。

その同級生の店員さんと会うのは、小学校一年生以来であるから、かれこれ約20年ぶりである。
私はまったく気付かなかった。
でも、その店員さんはすぐに気付いたとの事。
偶然に驚き、20年間変わってない自分に驚いた。

旧友との再会で昔を懐かしみながら、私はいつまでもポロポロとギターを鳴らしていた。

109声 さて、さて、さては文金高島田 後編

2008年04月18日

昨日の続きで。

しかし裏を返せば、その様ないささか怪しい気な、
もっと言うと微かに犯罪チックな匂いを漂わせているキャラクターの方が、宣伝広告効果が高いのだろうか。

そうかそうか。
すると、この「めっかった群馬」の「二代目鶴男」はどうか。
うーん。
現在、巷の店先に立っている人形と比べると、随分と「匂い」が足りない様である。

そうだ、文金高島田でも結ってみようか。
そんでもって、紅白粉を顔に塗ったくって。
よし、これで商売繁盛。
んな訳きゃないか。