日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和6年度は4月(ぬ)5月(岡)6月(す)7月(堀)8月(坂)9月(ぬ)10月(岡)11月(す)12月(堀)1月(坂)2月(ぬ)3月(岡)の順です。

4867声 ズリ這

2021年08月06日

先月ぐらいからズリ這をするようになり行動範囲が格段に広がった。オムツをもっこりさせながら、ロンパースからちぎりパンのようなムチムチの手足を出している後ろ姿がたまらない。ゴロゴロと転がったズリズリと這って、気の向いたところで、カーテンと戯れたり、クッションのチャックをずーっと弄ったり、両手をバタバタしながら奇声をあげている。そんな姿を飽かず眺めながら酒を飲んでいる。ほらほら飽きて泣き出した。

4866声 水浴び

2021年08月05日

先月ぐらいから娘のおでこや首筋に汗疹が。小さい頃にあまり空調の効いた部屋に居続けると汗腺が少ない子供になると聞いていたので、できるだけクーラーなしの生活を心掛けていたが、さすがに限界ということで、クーラーの効いた自分には少し寒いぐらいの室温に。ただ、それでも、娘は寝て起きると汗びっしょりになっている。故に、昼寝の後に水浴びをするのが日課に。これがことのほかお気に入り。浴室は西側に窓があり、午後の光が柔らかく包む。ペットボトルに水を入れて、高いところからボトボトとこぼすと、水しぶきがキラキラと輝く。キャッキャッと喜んで手を差し出す娘。そうだ、ゾウさんのジョウロを買おう。

4865声 絵本

2021年08月04日

娘を膝にのせて本を読む。まだ8カ月児の本の楽しみ方はダイレクト。ページを開くと、気に入った場所を触る、叩く。テンションが上がると両手をバタフライのように振って奇声をあげる。そして引き寄せて、舐める、噛む。故に幼児用の絵本は暑くて頑丈。そして防水加工。

4864声 休業

2021年08月03日

朝目覚めるも熱が下がらず。今は37.5度以上の場合の出社は禁止されているので、仕事も溜まっているが休みの連絡をする。不思議でもないが、休みの連絡をして少し寝ると、熱も下がってきた。今日は妻が2回目の接種なので、娘と留守番。スプーンを出すと、目をまん丸に開いて、前のめりにパクっと食いつく離乳食の時間がいちばん可愛い。歯もないので噛まずにごっくん。よく食べる。麦茶もストローで飲めるようになった。

4863声 副反応

2021年08月02日

昼食後から次第に怠くなる。午後から妻が出かけるので娘と二人。本を読んだり、遊んだりしていたが、いつもより億劫に感じる。熱を測ると38度越え。注射を打った左腕も1回目より遙かに痛い。夕飯は、お好み焼きの予定から温かい素麺にしてもらい、なんとか娘をお風呂に入れ、思い出せないくらい久しぶりにビアを飲まずに就寝。

4862声 コロナワクチン

2021年08月01日

コロナのワクチン2回目をGメッセで接種。なんとか職場にも家族にも迷惑をかけずにすんでホットしたような、これで明日から何か変わるのかという不思議な気持ち。Gメッセも多くの予約者が並び、駐車場に入るための渋滞が起きるほど。当初計画から携わったGメッセがコロナ禍で予約イベントが軒並みキャンセルの苦しい船出であったが、こうして県民のために活用されて感慨もひとしお。

4861声 大人になったな

2021年07月31日

1つの仕事が終わって、一緒に撮影に編集を共にしたKくんと2人、地元「さかえ鮨」でぷち打ち上げをした(ここでぷち、と書いてしまう自分がしょぼいなと思いつつ=酒飲んでる場合か?という意見に対する緩和剤としての、ぷち)。

 

食べ損ねていた鰻の蒲焼を注文。ご飯に乗せずに皿で頼むあたりが俺大人っぽい。鰻に、隣の刺身のわさびを多めに乗せて口に運ぶ。酒は、10数年前にこの店ではじめて飲んで感動した「兼八」をロックで。

 

Kくんは僕より一回りくらい若いのかな。頑張ってくれたからと伝票は僕のものにして、店を出た。めったにこんな機会はないが、そんなことをして夜道、「俺も大人になったな」という一般的に使い古された言葉を口にしてみた。聞いている人など誰もいないが、恥ずかしい。そのまま歩いて帰った。

4860声 もうすぐ雨は

2021年07月30日

今から出たら多分 あの橋のあたりで 僕ら会えるだろう
今から出たら多分 あの橋のあたりで うまく会えるだろう

 

「もうすぐ雨は」冬にわかれて

 

寺尾紗穂さんがボーカルをつとめるグループ・冬にわかれての曲の一節。何気ない描写でありながら、寂しさも優しさも描かれているこの歌詞、この曲がとても好きだ。

 

二十歳を過ぎたころにはもう「翼広げて大きな空へ飛び立とう」「涙のあとには綺麗な花が咲くだろう」みたいな漠然とした希望や美しさを歌う歌を受け付けなくなってきた。自分が根暗なのかどうかはわからないが、心が拒否する。2000年代に世間的にヒットした曲のたいがいは、そのような漠然とした思いを歌った歌が多かった気もする。

 

オリンピックで僕に限らずいくらかの人が感じているだろう違和感のひとつに「にっぽんやりました!金です!」とキャスターが満面の笑みで話した直後に、表情一転「コロナウィルス感染者が過去最高の・・」とシリアスに語り出す事のあのギャップがあると思う。漠然とした希望と漠然とした不安。

 

オリンピック選手の活躍を漠然とした希望、と書くことは間違っているかもしれない。けれど5年前もそれ以前も同じフォーマットで語られてきた変化のないその報道を見ていて、以前ほど自分が共感できないことに気づいた。それは僕の状況の変化もあるが、実は以前からテレビは「にっぽんやりました!」的な漠然とした希望を伝えていたに過ぎなかったのではないか、という気づきだった。

 

今までもこれからも欲する人はいるのだろうが、僕はもう漠然とした希望をあまり欲しないのだと思う。雨の中、今から出たらあの橋のあたりであの人に会えるような、僕が今立っている場所の延長にあるような、ささやかな希望がほしい。

 

もうすぐ雨は

4859声 鼻歌

2021年07月29日

寂しい夢を見た。起きた瞬間に内容は忘れてしまったけど。目覚めたらコンビニの駐車場にいた。コンビニの駐車場?昨日前橋での撮影が終わり、約束を過ぎているデータを漫画喫茶でパソコンを開いて作っては送り、家へ帰る途中に眠気やばいなとコンビニに車を停めたのだった。すでに明るくなっていた。赤城山が、雲で白く消えかかっていた。

 

今日になって、しばらくぶりにカーオーディオに合わせて鼻歌を歌った。よくやる行為だけど、しばらくぶりだと思い出すくらいそれをしないでいた。ぼくはわかりやすい性格なので、鼻歌が出るということは、気分が上向いてきたということだ。坂口恭平の歌声に合わせて歌を歌う。もはや鼻歌の域ではない。歌う。日中の炎天下、暑い。エアコンが嫌いなので、窓を開けて走る。対向車線を視野に入れながら歌を歌う。窓を・・閉めている、閉めている、閉めている、開けている、閉めている、開けている、閉めている、閉めている・・世の大多数はエアコン派だ。

 

鼻歌が出れば、大丈夫。

4858声 大学撮影2

2021年07月28日

何度目かの大学撮影。撮影仕事で大学に出入りするまで、大学生に関心がなかった。日頃の生活でも大学生との接点がない(残念ながら映画祭にも大学生スタッフはいない)。いざ接点ができると、関心が出てくる(大学生に限らず、僕はほとんどの興味のきっかけを撮影するから、という動機からもらっている)。

 

在学中に学生同士で合同会社を立ち上げ、映像制作を行っている学生もいる。ミラーレスカメラ複数、ドローン。撮影を行っている彼らを撮影するために(ややこしい)機材も見させてもらったが、僕よりもたくさん機材持ってるんじゃないか。煙を上げて爆走するバイクをドローンも駆使してかっこよく撮った映像も見せてもらった。僕の側の撮影チーム内で僕が「来年からは、僕らが出る幕なさそうだね。はっはっは」と笑うのは、ジョークではあるが実際起こり得ることだと思う。それが嫌とも思わない。

 

来月には、東北支援として現地へ行ってCMを作るという若者たちのために、リモートで映像の撮り方をレクチャーして欲しいという依頼をもらった。自分のことしか話せないのだが、「教える」ということも実は近年興味をもっていることの1つだ。今の二十歳前後はITネイティブ。映画やテレビではなくスマートフォンで映像も常に身近にある。参考にできる映像にもすぐにアクセスができ、撮ることについてもためらいがなく、センスが良い動画を作れる子も多い。

 

今日の撮影休憩中、僕らの撮影チームの僕より若い人たちに「俺が行ってた日本映画学校は、機材の勉強とか最初全然なくて、人間とは何ぞや、から始まるんだ」という話をした。それは、ジョークみたいな昔の話だなと思う自分がいる一方で、でも結局映像って(映像に限らずだけど)「人間とは何ぞや」だと思う(ちなみにその考えは、当時の理事長であった映画監督・今村昌平の理念)。アレンジは加えつつ、若い人たちにもそれを伝えていきたい。

4857声 本性が出ちゃうんですよね

2021年07月27日

北軽井沢にある「きたもっく」の撮影が続いている。キャンプ場の運営からはじまり(三次産業)、そこで使う薪の製造などをはじめ(二次産業)、ついには浅間のふもとに山を買い道を作り木を切りはじめた(一次産業)。世の中にある六次産業は、一次産業の農業者や林業者が商品を考え販売をはじめるという 一→二→三 という流れだが、きたもっくが模索しながら広げてきた 三→二→一 という流れは珍しく、大きな可能性を持っているという。そういったことを記録している。

 

もうスタッフのみんなとも距離が縮まってきて、今日は打ち合わせが終わった後にルオムの森にて美味しいアイスコーヒーをもらいながら雑談をした。甘いもの大丈夫?と言われてうんと頷くと、蜂の巣の中で濃くなっていく前の希少なはちみつをコーヒーに垂らしてくれた(きたもっくは、養蜂事業も行っている)。これがまたすっきりしたコーヒーに絶妙に合うはちみつで、もったいないからズズ、ズズとちょっとづつ飲んだ。

 

はちみつを入れてくれたYさんが「うちの会社って、仕事も家も自然の中だしスタッフ同士の距離が近いから、最初は外面だったスタッフも、やがて本性が出ちゃうんですよね」というような話をしてくれた。その本性は、嫌なものではなく、建前不要、本音で話せる関係ということだった。それにより言い合いになることもあるとのことだが、それを聞いて「とてもいい会社だな」と思った。

 

東京は今、幾重にも重ねられて何が本性だったかもわからない状況で溢れているのだろうか。北軽井沢は、風通しが良い。

4856声 それは日本画っていうんだよ

2021年07月26日

姪っ子(下)が中学校で美術部に入ったという。先日届け物をしに姉の家に寄ったら、壁に姪っ子(下)が描いたという立体物のドローイングが貼ってあった。うまいとは言い難いが、味がある。

 

夏休みになり、僕んちに遊びにくるというので、会社に出て行く前に居間に僕が所有する様々な美術関連の図録を広げた。中之条ビエンナーレ関係、アーツ前橋関係、太田市美術館・図書館関係、その他少々。そのほとんどが仕事により関わらせていただいた際にもらったり自分で購入したものだ。主に群馬に集中するが、いつの間にか僕も「アート」についてわりと詳しい方の人になってきた。そういうことを姪っ子(下)にも語りたいが、ウザい気もするのでやめておく。

 

帰宅すると母が「一番興味もったのは谷保玲奈っている人の絵だった」と教えてくれた。こんなに鮮やかな赤が出るのはなんでなんだろうみたいなことを、姪っ子(下)は母に話していたという。僕は谷保さんのアトリエに撮影に行ったことがある。魚・花・山・海、色鮮やかな谷保さんの絵は、鉱物を削った粉に動物由来の膠をまぜて、キャンバスに塗りこめることで生まれている。思わずLINEで姪っ子(下)に

 

「それは日本画っていうんだよ」

 

と送ろうと思ったが、なんとなく送らないままにいて、送るタイミングを逃してしまった。

4855声 濁流だ。分断だ。激突だ。

2021年07月25日

東京2020オリンピックが開幕。新型コロナウィルスのデルタ株の感染拡大。オリンピック開催反対だけど選手の頑張りに感動する人。仮に、うわべの世論をテレビとして、ストレスを抑えきれなくなった世論をツイッターとするならば。今の流れは濁流だ。分断だ。飲み込まれる前に電源をオフせよ。

 

深夜の帰社の車、かたや商店の手前でタヌキが飛び出してきた、急ブレーキ、タヌキだあれば絶対、ひ・・ひ・・ひかずに済んだー。その急ブレーキで、助手席の買い物袋からこぼれていたアボカドは勢いよく飛び出しダッシュボードに激突した。それで割れるほどアボカドは柔ではない。

 

・・というのが、世論はどうあれ今日の僕のハイライト。

4854声 あらゆる不安は

2021年07月24日

それほど気持ちのアップダウンがある方ではないと思うのだが、このところずっと気持ちが重い。体はもっとずっと前から重い。ほっとけー。一番の理由は「今抱えている仕事をすべてやり終えられるだろうか」であることは明白。やれやれ。仕事がないからと苦労している人たちがいることも知っているので贅沢な悩みだなと思いつつ、もう一つ踏み込めば「他者に迷惑をかけてはいけません」という幼少時代から抱えてきた性格につながっている気がする。迷惑をかけないために引き受けない、自分ひとりで抱え込まず他者の協力を通して完成させる、という選択肢もあって、後者は特にそれがやれるように関係も築きつつあるのだが・・やはり自分で抱える癖が抜けない。

 

「岡安さんて、コンビニごはんとかばっかインスタにあげてますけど、そういうのが好きなんですよねきっと」と言われた時にハッとした。自分ではもっといい暮らしがしたいけど現状はそれで我慢してます、っていうつもりだったけど、言われてみれば確かにそんな暮らしをず〜〜〜っと続けているってことは、今みたいな生活が自分にあっているのかもしれない。と思ったのだ。それを踏まえれば、このところに限らず例年ず〜〜〜っと仕事のことで重くなるこの生活のリズムというのも、自分で選択したものであり、それが合っているのかもとも思う。であるから、やれやれと思いつつも、あまり迷惑はかけずに、ひとつひとつ終えていこうと思うのである。麦酒も待っている。

4853声 大学撮影

2021年07月23日

今日は数年前から撮影で入っている大学のオープンキャンパスの撮影であった。若いひとたちは眩しいが、この大学の学生はなおさらに眩しい。もうすでに父親目線で彼らを見ていることに驚いたりもするのだが、僕が彼らくらいの頃はもっと全面に影を背負っていた。そんなカッコつけた言い方をよしにすれば、ショボかった。

 

「今の若い人たちは失敗することを恐れている」とズバリいった知人がいた。確かに、意識が高い若いひとたちにはその傾向があるように思う。SNSなどで自分の存在が友人たちと、その周囲とある程度共有されてしまっている今では、ひとつの失敗が大きなペナルティになるのかもしれない。そんなカッコつけた言い方をよしにすれば、皆いい子なのだ。

 

大きな嘘も小さな嘘もSNSなどで暴かれ、偽造され、それが実社会にも影響を及ぼす時代。大人たちが、旧時代の人がたちが「カッコわるい」ということも、若いひとたちはわかっている。だから僕らを反面教師として、どんどん先に行ってほしい気持ちもある。だけどまだ、いい背中を見せる機会はあるんじゃないかな、我々は。

4852声 ジャパスタリア

2021年07月22日

僕自身、ことあるごとに「日本映画学校卒」は口にするが、「群馬工業高等専門学校卒」はあまり口にしない。なにせそこで5年もの長期に渡って学んだ(というか、聞き流していた)機械工学は今なにも活用はされていないし、その学校で得たものはある程度の社会性とパソコン等の機材にとりあえず苦手意識は持たないという・・対機械との社会性みたいなものぐらいだから。

 

「あれ、高専卒だよね?」と言い合ったのは、JAPASTALIAの吉田幸二くん。みなさん知ってますかJAPASTALIA?高崎市のもてなし広場のそばに小さな工場をもち、高崎産小麦等を使って「生パスタ」を製造している。生パスタというとこねて伸ばして切ってという作り方もあるが、吉田くんとこでは押し出し式で製麺をしており、特徴として「柔らかすぎない適度な固さ」を持っている。

前から顔とやっていることは知っていたのだが、何かのはずみで「あれ、(お互い)高専卒だよね?」という話になり、その顔をよく見てみれば確かにおったわ彼J科(情報工学科)に。僕がずっといた学生寮にもいた時期があるとのことで、確かに、彼はその時は(も)わりと男前で、僕はひきこもり状態だったから(?)ほとんど話してはいなかったけど、見覚えのある顔だった。

 

JAPASTALIAでは、いろんな印刷物やウェブなどをいろんなクリエイターと関わりながら進めているとのことで、「生パスタの茹で方」の紙のデザインを僕に依頼してくれた。同学校卒と知った後だったので、急に距離が近い気がして「えーでも全部同じデザイナーでやった方が統一感出ると思うよ」とかずかずかと言いたい放題言わせてもらったのだが、それがむしろ良かったようで、その仕事を引き受け、きちんと試食用をいただき自分でも何度か茹でてみて、わからないことを吉田くんに聞いて内容に反映させ、おしゃれにクラフト紙で印刷をし、納品を終えた。

 

生パスタというと、ふにゃふにゃしたイメージがあり、僕はわりと苦手だったのだが、JAPASTALIAは確かな歯ごたえがあり、乾麺よりもソースに馴染む。いや、お世辞抜きで美味しいと思う。なにより彼もまた、高専で学んだこととほとんど関係ない仕事についている感が共感を誘って良い。なんの偶然か、こんな風に昔の馴染みと関われるのは、嬉しくもあったりする。

4851声 ビエンナーレ撮影

2021年07月21日

2021年は中之条ビエンナーレ開催年。2007年からの開催だからもう8回目の開催。その2007年、僕は趣味として(!)中之条ビエンナーレの撮影をしており、その時のインタビューでは山重徹夫ディレクターは「第1回目は点、今後続けていけばそれが線になり面になる。そうすれば人の目にも意識されるようになるのではないか」みたいなことを語っていた。であるとするなら、もう面は越えで立方体も越えて、多面構造である。むしろ、直線の境界も融解し地元と融合、目に見える形ではないのかもしれないが・・

 

はさておき、第8回にしてコロナ禍での開催となる今年は、9月からのお客さんありの開催だけではなく、映像にてその作品群を公開していこうという流れになっている。僕はその撮影を担当する。趣味としての撮影から関わり始めた身としては感慨深いものがある・・などと悠長なことは言ってられず、この夏は無我夢中な夏となりそうだ。

 

今日は、オープニング用のパフォーマンス映像の撮影を行った。パフォーマンスチームを率いるのは、それもまた中之条ビエンナーレきっかけで知り合い、すでに幾度となく撮影をしてきたDamadamtal。「美術祭において映像ができることは何か」ということを考えながら、多面構造でもアメーバ状でも、今ここにあるものを見せていくしかない。

4850声 生ききっている野菜

2021年07月20日

朝起きると、母親が熱くならない時間、つまりかなりの早朝に裏の小さな畑でもいできた野菜が、ざるに乗って台所のテーブルに置いてあることがある。今朝は、少し大きくなりすぎたきゅうりと、ぴかぴかに深緑・漆黒に艶めくピーマンや茄子が無造作に、ざるに盛られていた。スーパーに並ぶような足並み揃った野菜ではない、採れたてむき出しの野菜。

 

それを見て、俺よりも断然「生きているな」と思う。野菜を見て萎縮してしまうくらいなのだから、自分はきちんと生きていないのではないか、という漠然とした劣等感は、多分死ぬまで消えない。