日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和6年度は4月(ぬ)5月(岡)6月(す)7月(堀)8月(坂)9月(ぬ)10月(岡)11月(す)12月(堀)1月(坂)2月(ぬ)3月(岡)の順です。

4721声 巨大な機織り機

2021年03月22日

うちの隣にあるアパートには、西岳拡貴というアーティストが住んでいる。アーティスト・・ガチでそれをしている友人知人も多くなったので、こんなこと言っちゃいけないのだが、なんだかうさんくささも感じる呼び方である。自称アーティストという言葉は、いい意味で使われているのを見たことがない。・・が、そんなことはさておいて、西岳くんは、根っからのアーティストだと思う。

 

アートに関心がない方にも理解しやすいことだと、彼は「nakanojo craft project」を立ち上げ、仲間とともに「クラフトチョコレート」(カカオ豆の焙煎からはじめて、テンパリングと呼ばれる技術で練り上げて成形・凝ったパッケージ化までする)を作っている。そのチョコは中之条ガーデンズやつむじやスーパーまるおかで大人気。バレンタイン時はネットでの販売が売り切れになった。そして実際に、このチョコレートはワインやウイスキーが欲しくなる大人なチョコであり、とてもおいしい。

 

その一方では、それこそ中之条ガーデンズの什器を作ったり、そもそも中之条町に来るきっかけになった地域おこし協力隊としての中之条ビエンナーレの運営サポートで海外作家のアートをインストール(設置)したり。憎いくらいに(何の嫉妬?)なんでもやれる。

 

彼は今年度、前橋のアーツ前橋でも「あーつひろば」と名付けられたサポータープログラムを担当した。その成果物(実際は途中経過)は現在、アーツ前橋1階に展示されており、展示の補助になるための映像を僕が担当した。彼が行ったことは「アーツ前橋のサポーター(応援者)が持ち寄った様々なものを、1つの織物にする」こと。そのための、巨大な機織り機を、彼は独学で作ってしまった(そんな雑な説明で意味が通じるだろうか)。

 

アーツ前橋で起きた作品の紛失はニュースにもなってしまったが、展覧会がないこれからの期間、その「機織りワークス」は建物の外からでもご覧いただくことができるので、近くに言った際にはぜひ見ていただきたい。

4720声 ジュピター

2021年03月21日

「仕事は忙しい奴にやらせろ」という話を聞いたことがある。詳しくは忘れたが、忙しく動いているやつはより早く仕事を済ませるからだったような気はした。上司から部下にそれをやれば今時代的にはパワハラである。

 

がしかし、過去一忙しい(毎年言ってる気が)タイミングを見計らったかのように色々仕事のお声がけをいただく。内容によってはさすがにお断りすることもあるが、極力僕以外の誰かに回せないかとか、そのくらいならやれるかなとか考えたりはする。

 

たとえば、会社そばにある「カラオケジュピター」から、「看板を新しくするんすけど、デザインしてくだい」とLINEが届いた。そういうのは得意じゃないし、きちんとやるなら手順もあれこれある案件だが「やれる範囲で良い」とのことなので来た球をコーンと一度打ち返した。それが即採用、地元の優秀な看板屋塗装屋によってあっというまに看板になったという。

 

「全室24時間換気システム導入」それが、店名や営業時間のほかに入れてほしいという一言だった。ジュピターの大ちゃんは、カラオケ店を開けながらも道の駅八ッ場でハンバーガーを販売したりしてがんばっており、カラオケ自体もまだあきらめていない。今引き受けたのは、ちょっとでもその手助けになれたらという気持ちもあった。

 

今日、新聞代配(母体が新聞販売店)を終えてバイクそのままでつーっと見に行ったら、悪くない看板だった。そういえば、最後にカラオケに行ったのはいつだろう?

4719声 マスクをつけない子どもたち

2021年03月20日

アーツ前橋の「アート・イン・スクール」事業(前橋市の学校にアーティストが出向き何かしらを行う試み)ももう何年目だろうか。コロナ過の今、今年度は中止かなぁと思っていたが、前橋市立宮城小学校が好意的に受け入れてくださって、マスク等の対策をしながらアーティストたちと共に何度か足を運んだ。その報告としては、近々アーツ前橋から印刷物が出て、僕が担当させていただいた動画もそこから見ることができる。

 

で、その本動画とは別に、「関わった6年生の卒業式で何かをしよう」という話になった。アーティスト・中島佑太の発案により「今年は子どもたち同士もマスクの顔しか見ていないのではないか。マスクをとって口を見せて何かする動画を作ろう」という流れになり、結果学校の校歌を歌う子どもたちを2台のiphoneで撮影、編集して卒業式で流していただいた。

 

卒業式のあと、先生からは「見せることが出来ました!保護者は母校の校歌だからか子ども達のマスクなしの画像に感激したのか目頭を押さえている方が目立ちました。」というコメントが届いた。マスクをせずに、ただ校歌を歌う動画が心を打つ状況っていうのは普通じゃないが、それが普通になった今、そんな時間を作れたということがとても嬉しかった。

4718声 スイートフェンネル

2021年03月19日

アーツ前橋で3/21(日)まで開催されている「聴くー共鳴する世界」の展示撮影であった。とても良いと評判を聞いていたのでプライベートでも行きたいと思っていたが、展示撮影が初対面となってしまった。

 

アート分野ではなく、ドキュメンタリー界隈でも話題になった小森はるかさん、瀬尾夏美さんによる東日本大震災に関する人々の声の映像作品や、台湾におけるある人々の人生を環境音によって浮き彫りにするワン・ホンカイさんの作品など。まさに見応え・・聞き応えのある展示だった。

 

以前アーツで滞在制作をしたというスン・テウさんの作品は、前橋で暮らすベトナム人のタオ・ホアンさんの歌がアーツや市内各所で16時に流れるという作品。県庁そばのアジア食材店で16時に流れるその歌も撮影した。日本で暮らす心境を歌ったというその歌は日本語もまじっていて、どこか懐かしいメロディ、とても良い歌だった。食材店自体も僕にとってはとても新鮮で、インドカレー店のレジなどにおいてあるスイートフェンネルの大袋を買って帰った。

 

もうあと数日の開催だが「聴くー共鳴する世界」おすすめです。また、アーツ前橋では多文化共生に関する「イミグラジオ」というネットラジオを配信していて、その初回ではスン・テウさんの作品であるホアンさんが歌う曲も聞くことができる。ぜひ耳をすませていただきたい。

イミグラジオ

4717声 おはぎ

2021年03月18日

この調子だといつ墓参りに行けるかわからないので平日ながら母と姉を連れて父の墓参り。たった3人ではあるが家族そろっての外出は買い物以外は墓参りくらいなので、毎回印象に残る。そして「また墓参りか」と思ってしまう心持ちなので(実際は盆と彼岸しか行かない)日頃いかに日々を大切にしていないかを実感することとなる。

 

今年はさっそく、手を合わせながら(先日ここに書いた)庭について何もしていないことを父に詫びた。だからといって、これを境に僕が庭木の手入れをする姿は想像することができない。相変わらず、親不孝は続く。

 

帰りに車で母が「賢一は忙しいから、おはぎ食べてから仕事行けば」と言った。すかさず姉が「お父さんに備えてからでしょ。甘いもの好きだったよね」と返した。そう、父はまんじゅうやおはぎなどが大好きで(そこはあまり似なかった)よく食べていた。明日、ちょっと固くなったおはぎを食べることとしよう。

4716声 庭の木

2021年03月17日

仕事に追われている風な生活をし続けているので、家のことは母親と姉に任せっぱなしが続いている。近年は会社に泊まることも多く、家には朝飯と、風呂と寝に帰るだけ。土日に1日家にいたのは正月くらいではないだろうか。

 

庭の手入れは生前父の趣味であり仕事だった。その父も亡くなって10年以上が過ぎ、その手入れを継いできたのは母である。力仕事も含まれるので本来なら僕がやることなのだが、家にいないことで無言で母に押し付けている。

 

高く太く伸びた木がある。さすがに母には切れないし、僕にも切れない。このまま伸びて倒れでもして、隣の家を壊してはいけないと母はずっと不安を言っていた。ので、重い腰を上げて、知り合いの木こりに切ってもらうように連絡をつけた。

 

その際、母から「うちには何本の木があるか知ってる?」と聞かれた。庭付き一軒家といってもそれほど広くない。大小合わせて7〜8本だと思っていた。その正解として、母は手書きのメモを僕に渡した。

 

葉先が赤くなる木
バラの木
赤い実がなる木
さんしょの木
バラの木
白つつじの木
白もくれんの木
八重桜の木
つつじの木
やまぶきの木
赤いつばきの木
もも色つつじの木
巨木の木
もみじの木
(読めない)の木
もみじの木
きんもくせいの木
高い木
さらの木
さらの木
なんてんの木
さざんかの木
ぐみの木
つつじの木
しゃくやくの木
おにつつじの木
まつの木
つつじの木
ぼけの木
まつの木
もみじの木
西洋しゃくなげの木
さるすべりの木
うめの木
ゆきやなぎの木
(以下、母が自分で切った木)
きんもくせいの木
まつの木
まつの木
西洋しゃくなげの木
うめの木

 

驚くべきことに、そこには切った木合わせて40本の木の名前があった。全く知らなかったし知ろうともしなかった。それは、父が本当に好きで植えたり手入れしたりしてきた記録であり、父なきあとに母ができるかぎりの手入れをしてきた記録であった。

4715声 クレモモ

2021年03月16日

桃の一種ではない。昨年かそれよりちょっと前に中之条町に移住してきたアーティストの名前である。カナダ出身の男性・クレムさんと、たしか群馬出身のモモさん。男女によるアートユニット・クレモモ。

 

クレモモの魅力は「発想力」と「キュートさ(これは他にも言い方があると思うけどしっくりくるのはこれ)」。アーツ前橋のプロジェクトで小学校へ行ったときは、「編んで作品を作る」という美術教材を使って、筆やパラシュートを作っていた。パラシュート?編んだ籠に生卵を入れて、風受けもつけて、実際に校長先生にも断りを入れて、後者の三階から落とした。卵は割れなかった。また、中之条町つむじではクレモモ作の欠けた陶器を使ったイヤリングなども販売している。彼らにとっては全てのマテリアルは画材であり素材なのだ。

 

今日は、以前行った「旅ルミネ」というリモート旅に続き、彼らの活動の中継を担当した。地元でとれた杉の粉や粘土を使って、終始楽しい雰囲気で日常で使えるもの・使えないものを作っていく。

 

時代や社会に対峙し命を削るように制作するアートがある一方で、彼らが(ももちろん一生懸命ではあるが)作る楽しさやゆるさや鋭さは、いつもななめの方向からやってくるものであり、とても良いなと思っている。そういえば、今ビエント高崎にある「ビエントアートギャラリー」にて3/29(月)までクレモモの個展が行われている(土日月の午後のみ営業)。ふらっと立ち寄ってその楽しさに触れてほしい。

4714声 地方のデザイン

2021年03月15日

映像仕事の一方で、地方ゆえのこととも思うのだが「デザイン」に関する仕事が絶えない。といっても僕はデザインを学んだわけではない。そもそもは、中之条町のつむじでテナントを借りて飲食営業をしている際に、あまりにも暇で(?)知り合いのイベントや店の案内を作っていたことからだんだん仕事っぽくなっていった。今では観光ポスターや飲食店のパンフ、がん検診のお知らせや各種のぼり旗まで。一応はなんでも対応できるようになってきた。

 

地方ゆえに、と書いたのは、そもそもデザイナー自体がこの地域では少ない。印刷所は町に数件ずつあるが、長年いてもそこにいる人のデザイン性や仕事の様子は伝わってこない。ので、「誰かできる人いない?」ということで僕に回ってくるということは実際あると思う。が、だからそれをしていきたいというわけではない。であれば、地方ゆえに、地方でしかできないとまでは言わないが、地方の理を生かしたデザイン、を作っているデザイナーに惹かれるし、自分の仕事もそれに近づけていきたい。

 

今は、お隣高山村の「登山マップ」を作っている。過去別の人によって作られた登山マップを持って、できれば子持山、小野子山、中ノ岳、十二ヶ岳すべてを登り、それから作成をしたかったのだが(実際、仕事を引き受けたのはうんと前なのだが)結局はそのうち1つを登ったきりでの制作となってしまった。最前は尽くすがダメだなぁ。足を使わねば、地方のデザインは作れないのだから。

4713声 生きるように働く

2021年03月14日

今日は、東吾妻町に新しく店をはじめる人についていき、その場所を見て回った。ふとしたことで知り合って、新しい店の広告に関する協力をすることになった。あとで詳しく書くかもしれないが、料理キャリアも長いその女性が作る料理はものすごく美味しくて、体に負荷がない材料・作り方を徹底している。こういう人の料理は、マニュアルに沿ってアルバイトが作る料理とは真逆にあるような(そんな牛丼的なものも好きなので否定ではないが)心地よさがある。料理をすることが、息をすることと同じような、仕事でもあり、生活そのものでもあるような人。

 

なんてことを考えると、今年元旦のお気楽俳句ingで、このサイトの立ち上げ人である料理人の堀澤さんが、四万温泉で長年続く「一力鮨」で語った「この鮨がおいしいのは、大将が長年に渡って作り続けてきたからだよね。丁寧に何十年も作ってきたということが味に出ている」的な言葉を思い出す。思えば彼も、仕事でもあるが生活そのものでもあるような料理やビールを出す。

 

「この場所に惚れたの」というその店の予定地は、とても古いものが凛として集まっている不思議な場所だった。一歩外に出れば、岩櫃山から川原湯温泉に抜けるまでの、吾妻渓谷を挟んでの平地と奥の山々とが一望できる。彼女はまさに、生きるように働いている。僕はどうだろうか、生活における仕事の比重だけは重いが、大事なものが欠落している気もする。

4712声 森は生きている

2021年03月13日

北軽井沢に「きたもっく」という会社がある。

 

僕はインドアなのでその会社が運営する日本一の評価も受けたキャンプ場「スイートグラス」にも行ったことはなかった。きっかけは、一昨年八ッ場ダムのドキュメントを撮影する際に、アドバイザーとして「きたもっく」代表の福嶋誠さんと知り合った。一言でいえば人としてとても惹かれた。そこからきたもっくを知り、すごく感銘を受け、そんな縁から今年「きたもっく」が行っていることを映像に収めるという仕事に繋がった。

 

昨日今日と行われたのは、きたもっくの一連の仕事を知ることができるツアー。キャンプ場から倉渕方面に登っていく山を所有しているきたもっくには林業チームもおり、その山で切った木で炭や建築木材を作る。それらを使って、今キャンプ場では焚き火を囲みながら話し合いの場を創る「TAKIVIVA」という事業を行ったり、木材を使ってコテージを建てていたりする。ほか、非加熱かつ完熟(蜂がふたをした後に採取する)はちみつを作る養蜂をしたり、文化的なショップ兼ギャラリーである「ルオムの森」を経営したり。なにより、そんな多岐に渡る会社に自分の居場所を見出し元気に働いている若いスタッフがとても多い。

 

撮影はまだしばらく続くが、そうやって適材適所人が生き生きと働く人の循環、コロナ禍であってもお客さんがたくさんくるキャンプ場を中心としたお金の動き(理想が高くても稼げなくては実現できない)を見るとこの会社の強さはわかるのだが、人やお金が大きく動いているだけならディズニーランドも変わらない。「きたもっく」の魅力は、人やお金に加えて「100年規模の視野で山から財を分けてもらい、山を育てる」という自然との共生を大切にしているから強いのだと思う。・・そんなものまで映像に残せるのかどうか。インドアな僕の挑戦は続く。

4711声 魔法みたいに

2021年03月12日

2021年の3月11日の黙祷は、前橋市の小学校の教室の中だった。今日たまたま学校の撮影で、午後2時46分を迎えた。担任の先生は「みんなは覚えていないかもしれませんが、あの時生きれなかった子どももいます。あの時生まれた子どももいます。静かに、思いましょう」という声かけをした。そこにいた小学6年生の子どもたちは震災当時2才。もうすでに東日本大震災を知らない子どもたちが育っているということに、時間の厚さを思った。

 

夜ふとyoutubeを見たら、寺尾紗穂さんの自身のチャンネルに「魔法みたいに」という過去曲がアップされていたことを知った。音楽発信も時代とともに代わり、彼女は自分の過去作の音源を次々にアップしている。いちファンとしては嬉しい。そして僕はこの曲を聞くと、ある友人夫婦と、2011年直後にその夫婦が営んでいた八百屋にふと訪れた福島出身のMさん夫婦を思い出す。僕が撮影でその八百屋にいたら、Mさん夫婦がひょっこり訪れたのだ。

 

もしも2人が笑えるのなら 美しい時を歌えるのなら 欺く言葉に立ち向かえるよ 魔法みたいに

 

震災直後にMさん家族が僕の会社近所のホテルに避難してきたことで、僕はMさん夫婦と知り合った。どんなに大変な状況にあっても、Mさん夫婦とその子どもたちは、他の家族同様に、家族としてそこにいた。もちろん1人で色々なことに向き合っていた、向き合ってきた人もいたとは思うが、八百屋にて笑い合う友人夫婦とMさん夫婦をみて、当時から好きだった寺尾紗穂さんのこの歌の通りのことが、この2組の夫婦にもたらされると良いなと思った。

 

4710声 はれのひ食堂

2021年03月11日

あれから10年ということで、その年の5月に中之条町つむじで行われた「はれのひ食堂」について書いた文章を再掲載させていただきます(僕のzineにも掲載していますが、もとは活動報告として公開したものでした)。この時知り合った東北の方とは長いことお会いできていませんが、群馬の方たちの多くとはこの後も親交が続いており、この時知り合った方たちがいたから今の僕があると言っても過言ではありません。

=====

 

「実録 はれのひ食堂」
2011/5/7~8 中之条町「ふるさと交流センターtsumuji」で開催

 

1.

「ハレ」と「ケ」という言葉がある。
ハレ(晴れ)は結婚式等の儀式や祭、町や村の行事など「非日常」を指し、ケ(褻)はそれらを除いた普通の生活である「日常」を指す。昔の日本人は今よりも場が持つ特殊性・意義を大切にし、ハレにはハレの伝統を、ケにはケの慎みを守ってきた。

東日本大震災後、日常はハレを忘れ、ケを保つこともままならない状況となる。群馬県内でも一部で部分停電が決行、町は暗闇に包まれた。そして地震や原発事故は、東北の地に根付いていた地域文化を追いやった。震災から1~2カ月が過ぎた頃には、福島県相馬市・南相馬市で1,000年以上の歴史を持つと言われる「相馬野馬追」の開催も無理だろうと誰もが思っていた。(けれど、関係者・支援者の情熱により「相馬野馬追」は継続開催されている)

つらい状況にあるからこそ、めでたい非日常・ハレの日を作りたい。そしてそれは、地域文化に根差したものでありたい。「はれのひ食堂」プロジェクトは、そんな想いからスタートした。

 

2.

「はれのひ食堂」を開催するきっかけは、「ハッピーレストラン」という大型被災地支援イベントにあった。

「ハッピーレストラン」は、「株式会社ぐるなび」と「合同会社場所文化機構」が協力し、震災後避難生活を余儀なくされた人々、被災地で厳しい生活を強いられている人々に対し、一流シェフによる最高の料理と居心地の良い空間を体験してもらい、明日への活力へ繋げてもらおうという企画。他の炊き出しと大きく違う点は食事提供だけではなく“上質な時間”を体験してもらうこと。そのために、1度に30人以上の利用ができるレストランホールと巨大キッチンカーが“そのまま各地を移動する”キャラバン方式をとった。

その「ハッピーレストラン」の初めての開催場所として、ホテル・コニファーいわびつを主に約300人の被災者が避難していた地域にあった群馬県中之条町の情報発信施設「tsumuji(つむじ)」が選ばれた。場所が決まってから開催のゴールデンンウィークまで、殆ど時間はない。ぐるなび、場所文化機構のスタッフに加え、高崎市・東吾妻町・中之条町の有志からなるメンバー、高崎市・渋川市の青年会議所メンバー、中之条町役場職員などが集まり大きなチームを形成した。

食材集めから会場となる巨大レストランホールの設営、被災者の送迎やキッチンのホール係等、隅から隅までの業務を、協力し合い行った。開催直前には作業は深夜過ぎまで続いたが、スタッフの表情には疲労の中にも嬉々としたものがあった。「震災に対して、離れた群馬の地で何ができるのだろうか?」と思っていた者にとって、「ハッピーレストラン」や続く「はれのひ食堂」は、自分の力を他利のために活かせる場所だった。

「ハッピーレストラン」には3日間で避難者約300人が来場。一流シェフが作るフルコースの料理は、避難生活に疲れた人々に拍手で迎えられた。「震災後、はじめて酒を飲むよ。おいしい」と、緊張の表情を崩す人。ホール係を担当したボランティアと意気投合し、連絡先を交換し抱き合う人もいた。参加したスタッフは「おいしいものを食べ、上質な時間を過ごし満足すること」が、これほどの元気を与えるのだと実感した。そして、スタッフ自身もまた、参加した被災者の「ごちそうさま。ありがとう」とう笑顔から元気をもらった。

 

3.

「ハッピーレストランで使ったキッチンカーとレストランホールを使い、一般の人たちに向けた南相馬の郷土料理の販売をしよう」

準備の途中、主要メンバーである本木陽一からそんな声が上がった。料理を作り振舞うにはまたとない絶好の場所。「ハッピーレストラン」主催者からのOKは早かった。問題は、南相馬のお母さんたちが再度この場所で主体的に動いてくれるかどうかだった。

再度、森本さん、本田さん、松平さん等南相馬の3人のお母さんたちが避難している岩櫃ふれあいの郷を訪ねた。100人近くの食事を3食絶えず作り続ける3人は、あきらかに疲れきっていた。「鍋を振りすぎて手が上がらないの」腕に包帯を巻き付けた本田さんがつぶやく。重い空気の中、ゴールデンウィークに再度南相馬の郷土料理を作り、南相馬の魅力を皆に伝える催しをしたい旨を伝えた。すると3人から帰ってきた言葉は、「施設の許可が下りれば、自分たちがいない間も施設の調理が問題ないのであれば、やりたい」というものだった。

彼女たちは、辛い状況下にあっても受け入れを行った東吾妻町や関係者に対し深い感謝の気持ちを抱いていた。そして、強引な展開ではあったけれど、群馬でボランティアで関わったスタッフとも仲間意識を感じ始めていた。「自分たちを受け入れてくれた皆さんに対して、料理で恩返しができるなら」その言葉を聞いたスタッフたちは、胸を熱くした。もう、やるしかない。イベントの名前は、「はれのひ食堂」とした。

 

4.

それから、幾つかの困難を乗り越え、「ハッピーレストラン」の余韻のこる中之条町tsumujiにて、2日間限定の「はれのひ食堂」はオープンした。

鮭といくらを使った「はらこ飯」、芋がらと大根の煮びたし「弁慶」、スズキをアラごと煮込んだ「どぶ汁」などがずらりと並んだ。巨大キッチンカーの中では、南相馬のお母さんたちと共に地元中之条町等のボランティアが休みなく動く。「何かできることを探していた」という給食従事者のボランティアの手際の良さに歓声が上がる。新聞や町の広報で話を聞きつけた町内外のお客さんが列をなした。料理は贅沢にもバイキング制。被災者の支援活動をしながらも南相馬がどんな場所なのか知らなかったという女性は、「料理を通して南相馬を近くに感じることができた」と語った。避難生活を強いられている人もお客さんとして来店し、「ひさしぶりに、食べ慣れた味が堪能できてよかった」と満面の笑みを見せた。

 

5.

「はれのひ食堂」は両日完売の大成功。最後の完売の知らせを聞き、会場は拍手につつまれ、皆で喜び合った。調理の総監督を務めた料理人・堀澤宏之も胸を撫で下ろす。「はれのひ食堂」チームである南相馬のスタッフと群馬のスタッフとはすでにあだ名で呼び合う仲になっていた。抱き合い、泣くものもいた。別れの際は、これが最後の別れでもあるかのように騒いだ。

その2日間は、まさに文字通りのハレの日だったのだと思う。地震と原発事故によってその存在を失いかけた郷土料理という南相馬の文化・誇り。それらはその味を守ってきたお母さん達と支援する仲間によって再び表舞台に立った。広場にドーンと構えた巨大キッチンカーは非日常を象徴していた。けれど、郷土料理とそれを愛する人々の日常は、ここからまた、始まっていく。

4709声 トンネル

2021年03月10日

撮影で、東吾妻町の川中温泉から、旅籠へ。役場の方の車をついていったら、川原湯温泉から大戸方面へ新しくできたトンネルを通ることになった。はじめて通るトンネル。

 

それができるまでは山道をくねくね越えていったのに、山の中を一直線。はじめて通るからだろうが、ちょっと現実感がないような、不思議な感じだった。僕はトンネルを通る時にいつも思い出す漫画があって、それは藤田和日郎先生の『うしおととら』。主人公うしおの父親は、ぐーたらに見えてじつはキレッキレに戦える僧侶だったりするのだが、彼がいじめられっ子の青年にかける言葉を今も覚えている。

 

「トンネルってよ、嫌な時みたいだな。一人っきりで寒くてよ。でもな、いつかは抜けるんだぜ」

4708声 地元出身

2021年03月09日

今日は、東吾妻町での撮影だった。今月いろいろと抱え込んでしまっているので、この依頼を受けた時もどうしようかなと思ったら、人づてに「東吾妻町出身で、映像も撮れる若者」を紹介してもらった。お互いどんな人でどんな映像を撮るかも知らないうちに(一度会って色々話したが)彼と、その彼の友人で映画経験のある若者と、即興的なチームを作ってトライすることにした。編集はまるっと彼らに任せる予定。4〜5年前なら僕にはできなかった事かもしれないが、近年は一人で作らないことも意として行っている。

 

一人でも三人でも、そんなにうまくいかないのが撮影なので万事オッケーというわけではないが、地元出身の若者を見ているだけで面白い。この町に生まれて(多分)この町にいられなくて東京へ出て(現に今も東京でも活動しているのだが)コロナの影響もあり地元に戻り、地元の面白さを映像に残そうとしている若者。に、過去の自分を重ねることはないが(映像への関わり方が全く違うので)、そいういうUターンっぽい話は嫌いではない。撮影はあと2日続く。どうなることやら。

4707声 フレデリック・ワイズマンのように

2021年03月08日

前から撮影で何度か足を運んでいた、前橋市内の幼稚園の映像を作った。といっても、紋切り型のお遊戯会を撮影したりしたわけではない。いつでもとことん泥遊びができたり、その日やることをあらかじめ決めずに、園児がこれをやりたいと始めたらそれを見守り、時に園内に大きなトンネルが作りたいという雰囲気になったらそれを何日もかけて作らせて気づけば1階から2階までえらい長い紙のツギハギのトンネルができている・・という一風変わった?その園で起きていることを、主に保護者に伝えるために、ある程度自由に映像を作ってほしいという依頼だった。そういう幼稚園というのは今時代的であるとも思うのだが、一部保護者等からすると「こどもに好きにさせているだけ」と思われるらしい。

 

結果、園で起きたことを脚色なく撮影し意図的に繋いだドキュメント映像と、その映像を大学の児童教育専門の方も交えた大人たちで検証する座談会映像の2つを制作した。園庭の土をひたすら掘るこどもは、一見したら「なんでそんなことしてるの」と思わずにはいられないが、大学の先生はそれを「こどもが、人と対話するのと同じように、もの(ここでは土)と対話している」と解説してくれた。なるほどである。

 

今同時に進めているものでは、温泉のPR映像や、大学のPR映像、アウトドアや森林に関するPR映像や、美術に関する映像など様々なものがあるが、結局のところ僕が一番自分らしさを出せるのは「脚色なく撮影し意図的に繋いだドキュメント映像」なんだろうなとも思う。その極地には、美術館や刑務所、町そのものなどをテーマに人々の営みだけでドキュメンタリー映画を作ってしまうフレデリック・ワイズマンという監督がいたりもするのだが・・そういう話になると長く書いてしまうので、ここで辞めてしまおう。ただ数日前に、顔見知り程度だった美術館学芸員の方がワイズマン好きと知って話が盛り上がったので、なおさらこんなことを書きたくなった。

4706声 地下鉄のザジ

2021年03月07日

とはいえ、日曜日には日曜日らしいことがしたい。仕事を終えて帰宅後に缶チューハイをプシュっとし、手持ちのDVDを再生した。『地下鉄のザジ』。1960年の作品ながら熱狂的なファンをもつ不思議な映画だ。

 

パリに、おかっぱ頭の少女ザジがやってくる。2枚目きどりの叔父さんが出迎えるが、もう冒頭からひっちゃかめっちゃか。パリの街中をあちこち逃げ回るザジを追いかける叔父さん。いろんな変な人を巻き込みながら、シュールにシニカルに延々とドタバタ劇が続く。物語なんてあってないようなもので、酒を飲みながら観るのに適した映画だと思う(ただし、舞台が舞台だけにワインの方が合うなと思ったが)。

 

年をとるとどうも決まった形ややり方にハマりやすいものだが、翻弄されるおっさんたちを見てケタケタと笑うザジを見て、もっとひっちゃかめっちゃかな事をしても良いのかもなぁなどとぼんやり思っていた。疲れていたようで、映画のラストに行き着く前に僕は眠っていた。この映画、結局ラストはどうなるんだっけ?

4705声 沢渡のトイレでパンツを変える話

2021年03月06日

今月は多忙。会社泊が増えてきて、風呂に入らない日がある。今日の中之条町内での撮影は女性も多そうだったので、風呂入らずヒゲボウボウではいかんと(男だらけの撮影でも清潔感は意識しましょうね)朝家に戻り飯をかっこみ、シャワーを・・と思ったが集合まであと1時間あるではないか。曜日は土曜日ちょっとリフレッシュしたい気分だったので、パンツなどを持って沢渡温泉の共同浴場に向かった。

 

途中コンビニで持ち忘れた髭剃りを買って、移動時間を再考したら・・風呂に入る時間は12分しかない(最初から計算しろよ)。であるが沢渡の熱いお湯であれば12分は充分であると、道は戻らない。・・が、着いてみたら数少ない駐車場はパンパン。待ちの高齢者が温泉の外にもいた。下の川原の駐車場に車を停めて坂を登っていたら・・集合時間に遅刻してしまう。

 

即時判断で、川原の駐車場に車を停め、障害者用トイレにパンツなど着替えを持ち込み着替えを済ませ、顔を洗いつつヒゲを剃り(そんな使い方してごめんなさい。体は洗っていません)、もうしわけ程度に体にファブリーズを一振りした(真似しないでね)。集合時間にも間に合った。

 

沢渡のトイレでパンツを変える話は同時に、咄嗟の行動力と判断力の話。もうしません。

4704声 メキシコの味

2021年03月05日

撮影の昼飯は、チームのみんなでメキシコ料理の店に行った。前橋市の三俣町にある「幸せの扉 ボルデ」、僕ははじめて行く店だ。日本料理屋で幸せの扉などと店名についていたら足が一歩止まるが、メキシコ料理屋であればなんとなく納得してしまう。オーナーは日本人ながら店内一歩入ればメキシコ愛の強さが伝わり、メニューにはタコスやタコライスのほかケバブなどもあった(ケバブってメキシコ料理だったのか?)。

 

僕は、日本人を41年数ヶ月続けてきた。もう根っからの日本人である。ただし日本食以外にある程度、和製洋食と和製中華は食べてきた。でもその他、タイ料理やアジア料理、今回のような南米料理は食べ慣れてはいない。ので、とても楽しい。口の中に馴染みのない香辛料が香るだけで、うきうきしてしまう。ある程度日本人向けになっているとは思うが、幸せの扉が10センチくらい開いた昼飯だった。