日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和6年度は4月(ぬ)5月(岡)6月(す)7月(堀)8月(坂)9月(ぬ)10月(岡)11月(す)12月(堀)1月(坂)2月(ぬ)3月(岡)の順です。

978声 小川町で再会

2010年09月04日

連日の猛暑、引き続き。
半ば解せない心持で眺めていた、今朝の青空。
二日酔いの目に、染みた。
私の前に座って、煙草をふかしながら朝刊を読んでいる男。
こいつは、同級生。
そして、私たちがいるカプセルホテル。
ここは、埼玉県川越市。
私には、友人がいる。
そいつ等は、県外各地方で、暮らしている。
と言っても、関東地方内の話。
随分久しぶりに、昨夜、埼玉県は小川町で集まった。
それぞれの生活事情の為、集まったのは私を含め3人。
3人とも、小川町とは縁もゆかりも無いのだが、音頭をとった私の一存で、決定した。
それぞれの住まいの中間点及び、鉄道路線図を考慮しての選定であった。
個人的には、夏風邪の真っ最中で、生麦酒片手にゲホゲホ咳き込んでいると言う、
面目ない状況。
それに相まって、消化器系統全般の稼働率も甚だ悪く、食えない飲めない。
それでも、時折、胃から込み上げて来る内容物を、麦酒で流し込みつつ、杯を重ねる。
梯子の最後は、駅前のホルモン焼き屋で飲んでいたのだが、
夜も深くなった頃に辿り着いたのは、川越駅。
最終的には、私とWのみ、チェーン店の居酒屋の隅で、
酔眼朦朧となりつつ、ハイボールをチビチビ飲んでいる始末。
当然、終電など、とうに行ってしまい、カプセルホテルで一泊。
翌朝、二人して駅の立ち食いうどんを啜って、それぞれの帰路へ着いた。
男同士における久々の再会など、とりわけ、あふれる情感など感覚しない。
しかし、それだけで十分だ。

977声 養生は二の次

2010年09月03日

今日も、例外なく、雲一つなく、猛暑。
午後より、いわし雲の類が、チラホラ散見される。
しかし今朝、窓から赤城山を眺めると、その長い裾野の稜線が明瞭に見えた。
太陽から注ぐ陽射しからは、未だ盛夏の名残を感じるけれども、空気の方は、秋。
まさに、秋気澄む、と言った具合である。
依然として私が、風邪を引き摺っている。
しかし、そうそう風邪にも構っていられないので、どかどかと、
自らの用事をこなしている。
まさか、自分が風邪をひく事を予期していなかったので、
風邪の兆しが無かった頃に入れた予定が、山積している。
赤く腫れあがっている扁桃腺を、雑巾絞りにする思いで、枯れた声を出しながら、
その山の頂を目指している次第である。
平日は割と養生しやすい環境にあるが、週末に養生するのはちと酷である。
自分以外が遊び呆けている姿を想像する事で得る、焦燥感。
これが非常に、体に毒となる。
よって、養生は二の次。

976声 いっそのこと、革命

2010年09月02日

秋晴れ。
なのだが、一向に秋の気配は無く、炎天の酷暑が甚だしい。
風邪っぴきで、体調が頗る悪い身にとっては、
まさに地獄の業火に身を焼かれる思いである。
そして、気象庁の予報によると、明日土曜日の気温は今日よりも更に暑く、
日曜日はそれを更新する暑さになると言う。
もはや、戦意喪失と言う感がある。
私の場合、風邪が喉にきている。
よって、声がカラカラに枯れてしまった。
声が出ない事の煩わしさを、今、身をもって実感している。
例えば、電話。
携帯電話が鳴って、出るとする。
「あ゛い゛、ぬ゛ぐい゛です゛」
この様に、全ての音に濁点が付いてしまう。
「あれ、声、どうなさったんですか」
と、必ず相手が問う。
「じょ゛っ゛ど、がぜで」
このやり取りをしてから、本題に入らねばならぬのだ、毎回。
それに比べると、文章でのやり取りは、とても快適である。
こちらの状態を相手に斟酌されずに、用件のみを伝えられる。
この様な状況下で、電子メールの利便性を改めて実感した。
これを書き終えたら、ちと億劫ではあるが、近所のコンビニまで、
のど飴を買いに行こうと思っている。
しかし、別人の如く、ここまで声がかすれると、元の声に戻るのか、
いささか不安になって来る。
いっそのこと、コンビニでコーラでも買って、一気飲み。
喉に激烈なる刺激を与え、我が声に革命を起こせぬものか。
その荒療治が成功し、ブルージィーな声を手に入れた暁には、
ブルースマンとして、売り出そうかしら。

975声 初秋の病人

2010年09月01日

発熱、全身倦怠感、咽の痛み、胃部不快感、下痢。
これ等全て夏風邪の症状である、それが今、私の体で顕著に発症している。
気象庁の発表によると昨日、8月31日をもって、
東京都心で連日続いていた熱帯夜の日数が、
1994年に観測された47日を上回る、48日となった。
これによって、最多記録を更新し、今夏が異常に暑い夏であった事が証明された。
熱帯夜ったら、夜の気温が25℃以上なので、それがもう一月半も続いているってのは、
殺人的とまではいかないが、拷問的な暑さである。
体力減退の折、そりゃ、風邪にもなる。
私の場合は、特に咽。
今朝などに至っては、声がガラガラ。
会話していても、相手が私の言語をほとんど判別出来ないくらい、
声が枯れてしまっている。
続いて、熱による全身倦怠感。
そこに追い打ちをかけるのが、胃部不快感と下痢。
現在時刻午後6時30分。
寝床の横に白旗を立てて、すっかり降参。
蒸し暑い部屋で病臥している。
枕を胸にして腹ばいになって、ノートPCで、これを書いていると言った具合である。
風邪で寝込んでいる、夕方6時。
テレビのニュース番組などを、寝床からぼんやりと眺めていると、思い出す。
小、中、高の学生時代に、風邪で学校を休んだ日の事。
時期は異なるのだが、こうやって、ぼんやりと夕方6時のニュース番組を眺めていた。
子供も大人も、病人の心境と言うのは、どこか似ている。

974声 求め続ける

2010年08月31日

「風雲急を告げる」
と銘打った報道を、今日は何度となく目にした。
民主党代表選において、その出馬を濁していた小沢一郎前幹事長が、昨夜から一転。
一夜明けて出馬を表明した事から、菅直人現首相と小沢一郎前幹事長との、
一騎打ちの構図になった。
これによって、与野党を巻き込んだ政界再編が示唆されており、
政局は混濁の様相を呈している。
ってのは、今日の報道を見たままに書いた事。
テレビの中の政局が混濁しているのと、水槽の中の水が混濁しているのと、
私にとっては大差無いのかも知れない。
そこに求めるものは、極めて少ない。
では、何に求める。
生活状況から見て、私の場合それは本ではなかろうか。
では、何を求める。
読書傾向から見て、根底にあるのは孤独だと思う。
どこかに、作者の孤独を内包している作品に魅かれる。
テレビ、音楽、会話等あるが、私の場合は得てして、
本の中に求めるものがあるようだ。

973声 子供と夏の虫 後編

2010年08月30日

昨日続き。
現代においては、(私が子供時分もそうだが)カブト虫はペットとして、
ホームセンターなどで、人気を博している。
私は金を出して買った事は無いのだが、友達はペットショップで幼虫を買っていた。
それを腐葉土と一緒に虫籠に入れ、夏休みの宿題の課題である自由研究として、
成虫になるまで観察記録をつけていたのだ。
私の同年代でも、首都圏で幼少期を送った友人などは、
デパートでカブト虫を購入していたと聞く。
また、巷の専門店類では、珍しい外国産のカブトムシやクワガタが、
マニアの間で高額で取引されている。
「カブト虫などを、獲るのではなく買う」
ってのは、子供たちにとって、もはや当たり前の動機である。
先日、ホームセンターで見かけたカブト虫の価格は、580円であった。
私の子供時分も、それ位の価格だった記憶があるので、
ここ20年程で、カブト虫相場の変動は少ない様子。
これは、カブトムシ雄と雌、ペアでの価格である。
荷風の『断腸亭日乗』を読んでいると、日記の中に時折、
「白米一升 金参拾五圓也」
なんて、当時の物価が書き添えてある。
それに習って、(何故習うか分からないが、兎も角、思い出したので)、
この記事で言うならば、
「カブト虫(ペア) 金六百円位也」
と言う事になる。
我が祖父母の昔話によれば、カブト虫やクワガタ虫はその昔、
確かに子供たちの人気者であった。
しかし、大人にとっては、カブト虫やクワガタ虫の類は、
「害虫」として警戒されていたのだと言う。
理由は、果樹や木肌を喰い荒らしたり、その幼虫でも、根を荒らすから。
その為、これらを掴まえても、それは採集ではなく駆除、と言う事になる。
何れにせよ、カブト虫やクワガタ虫にとって人間とは、甚だ、迷惑な存在であろう。
私に至っては、子供時分に殺生したカブト虫及びクワガタ虫は、
その数何百匹にも及ぶ。
今でも、角を掴んで、足を宙にもがいているカブト虫などを眺めていると、
小波の如く、罪悪感が胸に去来する。

972声 子供と夏の虫 前編

2010年08月29日

今日、祖父母と話していると、話の分岐から、カブト虫の話になった。
この話は、祖父母と私の会話において、分岐しやすい話題の一つで、
学生時分から何度となく話している。
幼い頃の私は、カブト虫やクワガタ虫が好きだった。
と言う、孫の思い出話なのだが、祖父母はこの話が好きなのだ。
会話中に出て来る、カブト虫やクワガタ虫の呼称。
それが特徴的で面白い。
先ず、カブト虫は、雄が「カブト」で雌が「マグソ」。
次にクワガタ虫だが、ミヤマクワガタは「へータイ」。
それ以外は全部、「クワガタ」と呼んでいる。
これは、方言による地域変名なのだろうが、カブト虫やクワガタ虫は、
地方によって様々な呼称が付いているので、面白い。
私の住んでいる地域で変わった呼称と言えば、ノコギリクワガタ。
その小型なものは、(それが大きくなるのかは分からないが)
角(大あごの事)が湾曲しておらず、直線的になっている。
それを、「バリカン」と呼んでいた。
他にも、クワガタの雌は総称して「ブーチン」だった。
よって、ノコギリクワガタの雌ならば、「ノコのブーチン」となり、
ヒラタクワガタの雌ならば、当然、「ヒラタのブーチン」となる。
後は、カブトムシの雌には、「ブタ」と言う、
いささか申し訳ない呼称が付いていた。
人気のカブトムシの雄は、時々、全体が赤身がかっているものがいた。
コイツは、「赤カブ」と称され、より一層、子供たちの間で珍重されていた。
そして、赤身がかったものは、ノコギリクワガタにもいて、これも同様であった。
異常に蒸し暑い今宵は、橙色に輝く半月。
カブト虫は樹液を吸い、私は道草を食う。
紆余ならまだしも曲折、しつつまた明日。

971声 蝉の唄声

2010年08月28日

雨上がりの夜半。
クーラーを切って、窓を開けると、網戸。
雨宿りでもしていたのか、蛾や浮塵子のような羽虫が、
無数にしがみ付いていた。
中に紛れて、丸々太った蝉が、一匹。
さして気にも止めずに、翌朝。
寝床から網戸を眺めると、羽虫連。
綺麗さっぱり、見事に一匹も居ない。
蝉の奴も、近所の大樹を目指し、飛び立ったようである。
蝉の一生も、そろそろ最後のひと踏ん張り。
と言った、時節。
蝉の一生を思うと、つくづく、芸術家肌の生き方だと思う。
7、8年も土の中にうずくまっていて、漸く、地上に姿を見せる。
そして、孵化したかと思うと、地上ではせいぜい1月くらいしか生きていない。
その1月に、配偶と言う命題に挑むのである。
1月と言う短い興業期間の地上舞台に出演する為に、
8年もの下積み期間を要するのである。
否、下積みと言える活動はしていないから、只単に、
短い人生の時間を浪費しているだけかも知れない。
地下での膨大な時間の浪費こそが、あの特色のある力強い鳴き声となって、
地上に響き渡らせる。
その鳴き声は、地上に羽を伸ばせた歓喜の唄に聞こえ、時に、
自らの悲しい宿命に対する、悲哀の唄にも聞こえる。

970声 夏のレクイエム

2010年08月27日

立秋はとうに過ぎたのだが、食堂の席へ着くと思わず、
冷やし中華を注文してしまう。
食べ終えて、酷暑の街へ出れば、往来。
近頃、ひっくり返って行き倒れている蝉を良く見かける。
その死骸は皆一様に、腹の辺りが白く粉を吹いている。
食べ終えてから向かったのは、役場。
その裏口の棚。
誰が獲ったか、クワガタが一匹入っている瓶が置いてあった。
指で瓶を突いたが、反応は無し。
どうやらクワガタは、瓶の中でひっくり返って、死んでしまった様子。
それもそうだろう。
日光に直射している瓶の中には、萎れた葉っぱが一枚。
これじゃ、いくらなんでも、生きられぬ。
里は暮れて、月明かり。
秋虫の奏でる音色は、夏のレクイエム。
ってな描写は、野暮だね、やっぱり。
麦酒こぼしちまったよ、まったく。

969声 生活の中の習慣

2010年08月26日

毎日、書いている。
そして最近は、一日一句を自らに課して、下手な俳句を詠んでいる。
この日本人特有の、勤勉であり、ビジネス的な感覚。
を、ある種の創作人は軽侮するだろう。
「書きたい時に書きたい事を書く」
それが、文章創作における、「本当」の形。
習慣的に書いている文章など、愚の骨頂である。
と、ある種の創作人は軽侮するだろう。
しかし、習慣化の中で気付く事もある。
例えば、朝飯。
学生時分の頃は、朝飯抜きの生活をしていた。
それが社会人になると共に、朝飯を食べながら朝刊を読む。
と言う事を、自らに無理やり習慣化させた。
意欲的な行動ではないので、当然、朝飯など喉を通らない。
所謂、「口が不味い」と言う状態なのだが、それでも、
トーストなどを珈琲で流し込む。
朝。気持ち良く起きて
ほんとうに気持ちのよい一日を過ごす。
そのためにすべてはあるのだ。
気持ちのよい食事
気持ちのよい活動
気持ちのよい愛
気持ちのよい眠り
なんのいや気のない生活
そのためにすべてはあるのだ
と言う、山田かまちの詩を思い出して、頷きながらも、
ここ最近は、暑さの為に不快な寝起きの朝を迎えている。
従って、気持の良い食事、などは実現し得ないのだが、今朝の事である。
朝から陽射しは濃く照っているのだが、風にはもう秋の涼しさを感じた。
台所の窓を開けて、裏の田圃を眺むれば、蜻蛉が二、三匹、軽やかに飛翔している。
ふと思い立って、トーストではなく、昨晩の冷や飯に納豆をかけて、食べてみた。
これが習慣化している朝食の味に反して、意外に、美味い。
緑茶を啜りながら、秋を見つけた。

968声 群馬の伝統野菜

2010年08月25日

やはり、こんなにも違うものなのか。
改めてこう感じた事は、その「味」であった。
最近、夏に入ってから行きつけの食堂へ行くと、店のおばちゃんが、
私の帰り際、必ず胡瓜をくれる。
ビニール袋にどっさり、10本くらいの胡瓜。
近所の畑で朝採れた、自家栽培の新鮮な胡瓜なのである。
しかし、この胡瓜たち、形と色が、どれも見慣れない様相。
スーパーの青果売り場で見るような、細く真っ直ぐ伸びた胡瓜と違って、
太い身をぐにゃりと曲げている。
その色も、店頭に並んでいる、青々としたものでなく、全体的に薄く、
しかもムラがある。
その理由を問うておばちゃん曰く。
「じばいきゅうり」なので、そうなるらしい。
この「地這い」ってのは、文字通り、地面に這わせて栽培する方法。
当然、主流の栽培法ではないのだが、こちらの胡瓜の方が、
見た目悪くとも味が良いのだと、育ての親自ら断言していた。
確かに、齧ってみて感じるのは、普段食べている胡瓜よりも、瑞々しく、
畑の味とでも言おうか、胡瓜特有の青味が濃い気がする。
群馬県に限らず、全国では今、「伝統野菜」を売り出している自治体が多い。
「地産地消」なんて取り組みの一環として、注目を集めている。
私の住んでいる近所にも、「国分にんじん」なんて言う、伝統野菜が栽培されている。
数年前、何かの折に、「入山きゅうり」と言う、
旧六合村の伝統野菜を食べた事があるが、これも、味が濃くて美味しかった。
そして先日、キャンプに訪れた高山村。
キャンプも無事終了し、現地解散となって、独り山道に車を走らせていると、
田圃の畦道に、無人野菜販売所を発見。
ふと、食堂のおばちゃんの胡瓜を思い出し、路肩に停車して、胡瓜を一笊購入した。
「細長い瓜」ではなかろうかと思うほど、太くて厳つい胡瓜なのである。
帰って、塩で揉んでから食べると、これがまた予想通りに美味かった。
もしやと思って、ネット検索してみると、先程の「入山きゅり」と並ぶ、
「高山きゅうり」ってな、群馬が誇る伝統野菜だった。
次は銭湯ではなく野菜。
「群馬伝統野菜大全」
ってのも面白そうだ。
しかし、自らの野菜に懸ける思いから見るに、現実性は薄いと思われるが、
「伝統野菜」
これは面白くなってきそうである。

967声 遠くの桑原

2010年08月24日

遠くの空で、未だゴロゴロ言っている声が聞こえる。
先程まで、ひとしきり暴れまわっていた雷様は、
どうやら赤城山の方へ河岸を変えた模様。
幼き頃は、雷が随分と怖かった。
夏休みで祖母の家へ泊まり行っていた、子供時分。
夕方、私が轟く雷鳴に怯えて、部屋の隅でうずくまっていると、
決まって祖母が、声をかけてくれた。
「とーくのくわばら、とーくのくわばら」
この呪文の様な言葉を唱えると、雷様が早く違う場所へ行ってくれるのだと言うのだ。
藁をも掴む思いで、祖母と一緒にその呪文を唱えていた思い出がある。
当時はその呪文の意味など、皆目見当もつかなかった。
しかし、大人になった今から思えば、言葉から、大体の意味は推察できる。
この、「とーくのくわばら」ってのは、「遠くの桑原」の意ではあるまいか。
つまり、養蚕が盛んなりし頃、桑原ってのは、
群馬の田舎へ行けば必ず目にする光景であった。
雷様に対し、どこか遠くにある、だだっ広い桑原の方へでも、どうか行って下さい。
と言う一種の「おまじない」なのであろう。
今でも、群馬に生まれ育った子供たちは、
このまじないの言葉を言っているのだろうか。
もっとも、巷の小、中学校の多くは、今週末ないしは来週初めの始業式と共に、
新学期が始まる。
子供たちにとって、遠くの桑原へ行って貰いたいのは、
雷様ではなく、やり残しの宿題の方であろう。

966声 仲入りの様々

2010年08月23日

残暑。
と言うよりも、未だ盛夏といった様な暑さが続いている。
今日も、前橋市では最高気温が35℃を越えた模様。
寄席で言ったら、仲入りを過ぎも、延々と芸人さんが入れ替わり立ち替わりしていて、
一向にトリに辿り着く気配が無い状況。
これは想像しただけで、座っている尻が痛くなりそうで、辛い。
しかし、灯りを消して寝床に横たわると、外から聞こえる秋の虫の輪唱。
どうやら、日、一日と盛大になって来ているようだ。
着実に秋は近付いており、八月下席の寄席も、トリが出てきて終演を迎える。
日本の四季は古来から、そう言うプログラムになっている。
私などは、苛烈な夏の太陽の下で、今少しばかり汗水たらした方が良いのだろう。
と言うのも、先日検査した健康診断の結果が出てきて、
用紙に印字されている数値を見るに、反射的に、眉をしかめてしまう数値があった。
それは、「中性脂肪」の項目。
初めに言っておくと、基準値内で至って健康状態良好の範疇なのだが、
昨年対比が問題なのである。
昨年はその欄の数値、「47」と記載してある。
そして今年、その数値は「120」になっている。
およそ、3倍近く増えているではないか。
因みに、追い打ちをかける様に、血圧も上が若干高い。
この様に、著しい増殖を見せた、憎き中性脂肪を燃やす為にも、
焼きつく様な太陽の下で、運動ないしは労働すべきである。
否、そんな事をしていると、血圧がもっと上がってしまうだろうか。
この状況を受け、我が人生劇場においても、既に仲入りが過ぎているのでは。
などとは、決して考えないように努めている。

965声 ハイボールとランタン

2010年08月22日

かなかなの声に起こされたら、日暮れ。
どうやら、すっかり寝入ってしまった。
体の芯に色濃く残っているのは、疲労。
しかし、非常に心地の良い、疲労感である。
昨日、私が高山村の「みどりの村キャンプ場」へ着いた時刻は16時。
小一時間の遅刻である。
着いたらすぐに缶麦酒を開けて、3缶目を開ける頃には、
机の上には豪勢な夕食が並んでいた。
こう書くと、怠惰極まりない人間と言う印象だが、私もキチンと仕事をこなしている。
それは、「餃子の皮包み」と言う大役である。
その場は、オートキャンプ場のテントサイトだが、テントを張る人、
包丁を持つ人、コンロで火を起こす人。
これは皆、大人。
餃子の皮を包む人、これ皆、子供。
その中に、一人加わる大人が、私。
なんだか腑に落ちない仕事だが、テントも張れないし、包丁も持てない、
おまけに火も扱えないので、改めて考えると適職であった。
サントリー角瓶で作ったハイボールを飲みつつ、ランタンの光の下で書く、俳句。
四方から迫る秋虫の声、見上げれば一面の星月夜。
そんな静かな夜を堪能していた。
その折、子供たちたっての希望で、夜半に出掛けた、近所の天文台。
駐車場から天文台まで、足元がライトアップされ、幻想的な長い木製階段があるのだが、
如何せん、酔っ払っている状況。
息も絶え絶えに、杖付いて帰って来る始末。
翌朝も快晴。
テントから出ると、カブトムシやらクワガタが、そこらに這って歩いている。
子供時分の私なら、目の色変えて、虫籠に捕獲しているだろう。
それにしても、今回、カブトムシやクワガタがそこらじゅうの木で、
容易に発見できたのには驚いた。
それだけ、自然が豊かなのだろう。
私に至っては今回、ほぼ手ぶらで参加したのだが、キャンプ玄人たちのお陰で、
非常に快適かつ美味しいひとときが過ごせた。
それが、句に詠み込めたかどうかは、いささか不安である。
しかし、総勢5名の子供たち、全身で遊び回っていた姿をみたら、
そんな事は瑣末な事は、どうでも良くなってしまった。
それよりも、子供たちが順番で打つ西瓜割りの方に、夢中であった。
帰り際、一緒にキャンプをした男の子から手渡された、メモ帳の切れ端。
そこには、よれよれの平仮名で書かれた、五・七・五。
その脇には、お父さん、否、お母さんの似顔絵であろうか、
ニッコリと笑っている顔が一つあった。

964声 キャンプでハイク

2010年08月21日

準備。
ったって、久しくそう言う遊びをした事が無いので、明確な持ち物が思い浮かばない。
直ぐに思いつくものと言えば、やはり、クーラーボックスと缶麦酒。
先程から、クーラーの効いた部屋で考えているが、それぐらいしか出て来ない。
今日は、「第4回ワルノリ俳゛句ing」の当日である。
今回の行き先は、ちと異色で、高山村でキャンプをする事になっている。
否、俳句をしながら、キャンプをする。
俳句をするのに、わざわざ、深山分け入って米の煮焚きなどしなくとも良さそうなもの。
しかし、何処から湧いたか、「夏休みの子供等にも俳句を」と言う声。
そう言えば、私も昔から、「キャンプ」と言う遊びに、憧れを抱いていた事を思い出し、
「じゃあ」
ってんで、今回の運びになった次第なのである。
キャンプ場で俳句が詠めるか。
あまり難儀もせずに詠めるのではなかろうかと、安直に考えている。
子供たちは、まぁ、俳句などやらずとも、自然と戯れる方が良かろう。
なんて、器の大きい言葉を吐いている私は、甚だ、アウトドアが苦手である。
我が人生、テントで寝た事などただの一度も無い。
今日が初の、キャンプの素人なのだ。
それもあって、必要な持ち物が選定できない。
取り合えず、季語帳、メモ帳、短冊、半紙、衣服、缶麦酒。
までは揃えたのだが、そこから先が、どうも進捗しない。
しかしもう、出発の時間である。
「俳句会ってのは、蕎麦屋の二階かなんかでやるものだ」
ってな既成概念だけは、部屋に置いて行こう。
それでいて、さて、どんな句が詠めるか。

963声 暑さには熱さ

2010年08月20日

依然として、暑い。
残暑である。
報道では毎日、今夏の熱中症における死亡者の数が更新されている。
そんな折だから、巷のラーメン屋などは空いているかと言うと、
これがどういう訳か、混んでいる。
私の行きつけの食堂も、ラーメンを主軸としたメニュー構成の店なのだが、
夏日にわざわざ熱いラーメンを食べに来る人がいるかと思うと、これが結構居る。
お客さんの大半は、肉体労働従事者の方々。
近所で道路工事をやっている人や、隣の工業団地に勤めている工員の人たちなど。
私の斜向かいに座って、ラーメンと丼飯をかき込んでいる、御一行。
首巻タオルのおやっさんがかけているのは、サングラス。
一見、そう見えるが、あれは溶接作業時にかける遮光眼鏡であろう。
その隣で、大盛ラーメンを啜っているニッカポッカの兄ちゃんは、
全身が素焼きした土器の如く、こんがりと焼けている。
毎日、炎天から直射される日光の為に、焼けているのだろう。
そんな光景を目の当たりにして、暑さとがっぷり四つに組んで戦っている戦士たちは、
意外と「涼」を求めないものだな、と感じた。
日がな一日、クーラーの効いた部屋なんかに居る、事務系の人。
カーエアコンを最大目盛りにして、飛び回っている、営業系の人。
いわば、暑さから逃げ回りつつも戦っている人たちの方が、
ざる蕎麦だとか、冷やし中華だとかで、「涼」を求めているような気がする。
前者と後者。
どちらが熱中症になり易いかと問えば、私は後者と答える。
これからその説明をつけるのが、医学にも栄養学にも通じていない私なので、
ここはひとつ、描写を極めて抽象的にする。
暑さと見合って、「ハッキヨーイ」と相撲を取った場合。
土俵に残れないのではなかろうかと思う。
後者が、である。
前者は暑さと真正面からぶつかり、がっぷり組んで、行事の気合い、
「ノコッタ、ノコッタ」
となる。
それに対して後者は、真正面からぶつかる暑さを交わそうとするが、
体勢を崩して、あるいはまわしを取られて、押し出し突き出し浴びせ倒し。
ってな具合に、あっさりと暑さに負けてしまう。
現に、私は依然として夏バテ状態継続中である。
兎も角、暑さには熱さをもって制す。
と言う事を食堂から学んだ。

962声 街の中の存在 後編

2010年08月19日

昨日の続きから。
「こんちは」とか、「今日も暑いねぇ」など。
銭湯へ行けば、顔見知りになった番台のおばちゃんとも話すし、
近所の常連さんとも、二言三言は会話する。
現にそこでは、常連さん同士、
「そう言えばあの人最近来ないねぇ」
なんて、まさに今日問題になっている、近所の人の「存在確認」を示唆していた。
商店も然りで、毎日買い物に訪れていると、
「兄ちゃん、最近、近所に越して来たの」
なんて、店の大将と徐々に顔見知りになって行き、
知り合えば良き話し相手になってくれる。
帰郷した群馬では、こと私の住んでいる旧群馬町と言う田舎町では、
長寿者の存在確認など、造作もない。
毎朝、裏の田圃を散歩しているおばあちゃん。
時期が来ると、稲刈りに来るおじいちゃん。
こう言う地域のお年寄りの姿が見えなくなれば、隣近所で直ぐに、
「あれ、最近、どうしたんだろ」
って事になる。
反面、私などは、
「あそこん家のせがれはいい歳してまったく…」
などと、何か行動を起こせば、直ぐに陰口が近所を駆け巡るシステムになっているが、
それはここでは関係無い。
つまりは都市部に(高齢者を含む地域住民が気兼ねなく触れ合えるような)、
「公共の場」足り得る施設が減少している事。
そう言う名目の公共施設が在っても、機能していなければ、
つまり、実際に利用者同士が触れ合えなければ、元の木阿弥である。
そして、自治体での個人情報保護法におけるコンプライアンスの在り方。
所在確認の方法について、個人情報を保護を念頭に置きながら、
どの程度まで調査できるか。
その二点に、問題解決の糸口が有るのではなかろうか。
などと、私は何故、自らに余り関わりが無さそうなこの問題に対して、
真面目腐った意見を述べているのだろうか。
こう言う社会派風な一面を覗かせたかったのだろうが、それは勿論、
自らの「文章芸」として域を出ない話である。

961声 街の中の存在 前編

2010年08月18日

最近、新聞やテレビ報道などで見るに、
「所在確認の出来ない高齢者の方々」ってのが、多く居る。
と言う事が、各自治体で露見している。
小さい自治体。
つまり田舎の方では、百歳以上の長寿者の存在と言うのが、
地域で比較的知られている為、確認に困らない。
問題は、都市部。
団地や新興住宅が造成されている、ニュータウンの様な地域に至っては、
長寿者の存在確認が非常に困難になっている。
地域の繋がりが希薄。
住民の入れ替わりも激しい。
等の現状に、近年の個人情報保護の観点から、
自治体の側も立ち入った調査をせずにいる事が、
今回の問題に拍車をかけている。
ってな状況だと、報道で知った。
確かに、私も東京に住んでいる時分などは、
自宅マンションの隣部屋に、どんな人が住んでいるかなど、知らなかった。
むしろ、「知らない」状況を積極的に作ってさえいた。
勿論、他者との無用な摩擦を避ける為でもあるし、賃貸なので、
「仮住まい」としての、薄い近所付き合い、と言う心持でいた。
社会的に個人情報の在り方が問われ始めていた時代だったので、
玄関に表札さえかけていない住民も、少なからず居た。
引っ越しの挨拶などの風習は無いし、回覧版も、地域活動も無い。
マンション一階の玄関には、鍵付きのドアが付いており、
住民ないしは、住民の知人くらいの人の行き来しかないので、
その雰囲気は昼夜共に閑散としている。
しかし、私は買い物と風呂だけに至っては、
近所の商店街にある銭湯や商店を利用していたので、
そこでは、否、むしろそこのみで、近所付き合いをしていた。
丁度時間となりまして、この続きはまた明日。