日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和8年度は4月(坂)5月(ぬ)6月(岡)7月(す)8月(堀)9月(坂)10月(ぬ)11月(岡)12月(す)1月(堀)2月(坂)3月(ぬ)の順です。

3665声 ロスがない日々

2016年11月21日

「〇〇ロス」という言葉はまだ流行ってるのかしらん。

 

わりと聞いたのは「海女ちゃんロス」だろうか。クドカン脚本、能年玲奈(現在は能年玲奈改め、のん)主演の「海女ちゃん」放送終了後に、「もうあのドラマが観れないのね」と落ち込んだ人がいたというのだ。

 

僕も数年前は伊参スタジオ映画祭のような楽しくも大事なことが終わる度に「終わってしまった、寂しいな」と思ったりしたもので、もっと昔の若い頃は何かが終わる度に「ああ、もうあんな楽しい時間は来ないかもしれない」とどよーんとしたものだった。

 

ここ数年、多分鈍感になったからんだと思うけど、それ以外に「ひとつ終わればすぐ次があるから」と思うようになり、〇〇ロスを感じなくなった。これはこれで、恵まれているんだろうな、と思う。

 

あれもこれも出来なくなり、縁側でお茶を飲むくらいしか出来なくなった時に再び、〇〇ロスを感じるのかもしれないが。今のうちはまだすぐ次があるのだ。・・そう、次の仕事が、溜まった仕事が・・た・・たのしいな・・

3664声 ひかりのたび

2016年11月20日

澤田サンダー監督『ひかりのたび』

 

このタイトルを、覚えておいてほしいと思う。伊参スタジオ映画祭では毎年全国から映画シナリオを公募、中編短編の最優秀作品に賞金贈呈と映画化の手伝いを行うのだが、澤田監督はシナリオ公募始まって以来の「2度目の大賞受賞」となった。

 

その審査会では、作家の横山秀夫さんはじめ審査員の皆さんが「同じ監督に2度賞を与えるのは良くない」という意見を口にした。けれど、それを抑えこむくらいに、『ひかりのたび』のシナリオは良かった。僕もまた、ハッピーでもないし大きな動きがあるわけでもない、むしろローテンションながらふつふつと感情がほとばしり、田舎町のごく小さな人間関係を描きながら、2010年代の時代の空気も纏ったような・・そのシナリオに魅了された。

 

伊参スタジオ映画祭3日目、昨年の短編大賞作品・船越凡平監督『とっとこ将太』(この作品も、沢渡温泉で撮影され子ども目線の人情話にジンとくる良作です)の上映に続き、『ひかりのたび』が上映された。上映後の監督・キャストを壇上に上げてのトークは僕が司会をしたのだが、映画をはじめて観たキャストの一人がこう言った。「シナリオがすごいと思っていましたが、出来上がった映画はそれ以上でした」と。

 

めっかった群馬は、映画について言及する場ではなく、酒をちびりやってぽつらぽつら呟く場であるので(確かそうですよね)ここらへんにしておくが、この上映に留まらず、話題に上がる映画に育っていくに違いない。一般上映に向けてのクラウドファンディングも始まっているので、なんだか気になった方は読むだけでも読んでください!

 

『ひかりのたび』劇場公開プロジェクト
https://motion-gallery.net/projects/hikarinotabi

3663声 厚い掌

2016年11月19日

これ以上何を失えば 心は報われるの
どれほどの痛みならば もう一度君に会える
One more time 季節よ移ろわないで
One more chance ふざけ合った時間よ

 

何も見なくてもタイプできるようになっていた。伊参スタジオ映画祭2日目で上映した、山﨑まさよしさんが歌う『月とキャベツ』主題歌である。

 

今年はこの映画の上映から20年目の節目ということで、主演の山﨑まさよしさん、真田麻垂美さん、毎年来ていただいてるけど篠原哲雄監督、松岡周作プロデューサー、そして僕が大好きな映画『ぐるりのこと』『恋人たち』の撮影もしている上野彰吾カメラマンなどなど・・この映画に関わった多くの方にご来場いただいた。そして!上映後には山崎まさよしさんによるサプライズ生ライブも行ったのだ。へへへ・・すごいでしょ。

 

ちなみにこの2日目は『64(ロクヨン)』主演の佐藤浩市さんと原作の横山秀夫さんもゲスト来場、映画祭始まって以来の大賑わいとなりました。佐藤さんはまさに「映画にまっすぐに心血を注ぐ」人。横山さんは昨年まで映画祭のシナリオ審査でもお世話になっており、ふつふつと燃える創作の炎は、遠く離れた僕のお尻さえもチリっと燃やしてくれている。有り難いことです。

 

山崎まさよしさんはイメージそのままの気さくな方で、この日の夜に行った関係者懇親会にも来てくださった。お話しはしなかったが最後、「握手だけしてください」と手を出すと、くりっとした表情で握手をしてくれた。その手がね、グローブのように厚かったのだ。ああ、ギター弾きの手だな、と思った。同じく懇親会まで参加してくださった真田麻垂美さんは、とてもいい香りがした。スタッフ数人も言ってたから、相当いい香りだったんだ。映画祭は、まだ続く。

3662声 話すときりがない

2016年11月18日

第16回伊参スタジオ映画祭初日。今年は3日間の開催で、この初日のみ山の伊参スタジオから町へ下り、町中のツインプラザにて上映が行われた。歴代シナリオ大賞監督の新作短編もいい作品揃いだったが、なんといっても小栗康平監督を招いての『眠る男』『FOUJITA』の連続上映は伊参ならではだった。

 

難しい映画だから、と言われる事のある小栗作品。確かに宮本輝原作の処女作『泥の川』以外は全て、ドラマ的な映画とは一線を置く詩的な作品が多い。でも、少なくとも群馬県人であれば『眠る男』は3回は観て、それからものを言った方が良い。観れば観るほど、自分の背景で静かに流れ続けるような、そんな稀有な力を持つ作品だと思う。

 

映画祭3日目で上映する『ひかりのたび』という、僕が激烈お勧めしたい映画を撮った澤田サンダー監督は初日から来ていて、この『眠る男』は初観賞だったそうだが、「主人公が眠り続けて動かないことによって、より周りの人物や景色に注目が注がれる仕掛けですね」と言っていてなるほどと思った。『眠る男』を観て、一般的なドラマのように主人公の目線や心情で物語を追えない我々は、その映画の世界に形を与えられないまま放り込まれるのだ。それは言い方を変えれば魂の散歩なのだ・・・とか、話し出すときりがない。

 

小栗監督は、講演の中で『FOUJITA』でのCG効果について、メイキング映像付きの解説もしてくれた。早朝の霧霞む田んぼ、水面は太陽に照らされ鏡のように光を反射し、その畦を主人公である藤田嗣治が歩いていく。そんな抒情的なシーンも、人物は別撮影、背景も合成し色を変えるなど、徹底した絵作りが行われていた。そうか、小栗監督の徹底したイマジネーションは、CGによって(SF映画とは別の使い方で)補完されたのだと思った。本人は群馬の山中で畑も耕して暮らしているらしいですけどね、孤高の作家ですね・・・とか、話すときりがない。

 

映画祭は、まだまだ続く。

3661声 シナリオ

2016年11月17日

毎年恒例の、伊参スタジオ映画祭で販売する「シナリオ冊子」の印刷製本がやっとこ終わった。全国から応募された278本の短編・中編の映画シナリオの中から一次・二次・三次の審査を経て選ばれた17本ほどのシナリオが全編、冊子となって集約される。

 

このシナリオ冊子、予算の都合もあって、編集は上毛新聞社勤務の映画祭スタッフ、印刷・製本はスタッフの手を借りながらここ数年僕が行っている。印刷機は丸2日くらいフル稼働。とても大変なんだけど、このシナリオ大賞に関わることは自分にとってとても年々、重要な事になってきている。

 

シナリオ募集は2003年から始まったので、今年選ばれる作品を含めれば実に26人もの映画作家を誕生させるものになっている。中にはそのシナリオ大賞作品が一般の映画館で上映されたり、ぴあフィルムフェスティバルで賞をとったり、その後商業映画の監督としてデビューしたり、活躍が目覚ましい。個人的には、すでに「地方映画祭の小さな取組み」の域を超えて、「日本映画界における小さいけど確かな運動」に達しているんじゃいか、と思っている。

 

今活躍している歴代のシナリオ大賞受賞監督たちは、もとから才能を持っていたのか?それもそうだけど、僕が思うには、この映画祭を通して「1つの映画シナリオを映画として制作し上映する」という行為が、一人ひとりのその後の映画人生を歩ませるのだと思っている。何事もそうだけど、机上の才能は、本気でやって成し遂げる、には叶わない。

 

積み上がったシナリオ冊子をみて、今年もまた伊参スタジオ映画祭が始まることを覚悟する。今年は中之条を中心に撮影された『眠る男』『月とキャベツ』上映から20年ということで、スペシャルな3日間開催です。始まるよー。

3660声 スーパームーン

2016年11月16日

スーパームーンの晩は、

雲に隠れて残念だったってみんな言ってますよ。

 

僕が呟く。

 
実際に見たら、みんなに見えるのは同じ私よね。

でも隠れて見えなかったら、

10人いれば10通りの私がいるの。

中には本当の私よりも大きくて美しい月を

思い浮かべた人もいるはずよ。

だから、それはそれでいいのよ。

 

まだふくよかな明けの月が、そう答えました。

3659声 人に会える年頃

2016年11月15日

僕は友達が少ない。SNSで何人繋がっているとか、そんなことは関係なくて、「今夜(おちょこをくいっとする仕草をして)飲みに行かない?」と声をかける友人もいないし、仕事とボランティア以外あまり何もしていない。でも人が嫌いなわけじゃない。むしろ、好きな方だと思う。

 

この年になると、嫌な人とは無理に一緒にいることもない。財布は年中寒波が訪れているが、会って酒を飲む程度なら東京くらいまで行ける。うまが合う人はだいたいすぐにわかるし、会って数年たってより興味をもつ友人知人もいる。人に会う時に邪魔をしていた、あれだけ過剰だった自意識も、たまごの殻のようにぽろぽろと剥がれてしまった。

 

つまりは、会いたい人には、会いに行ける。
それはもしかしたら、人生において今がその機会のピークなのではないか。

 

あと5年もすれば逆に誰にも会いたくなくなるのかもしれない。あるいは、実際会う時間も機会もなくなるのかもしれない。でも今は、興味がある人に会いたい。そしてそれは、長年いいわけのように繰り返し言ってきた「ドキュメンタリーを作りたい」という興味にも繋がっている・・気がする。

 

来年は動くかもしれない。声かけたら断らないでね、寂しいから。

3658声 幸不幸てんこもり

2016年11月14日

最近の月半分は、21時に帰宅して23時に就寝。3時過ぎに起床し、ブーンと新聞代配。7時頃に帰宅し朝飯を食べ、9時位まで炬燵でうつらうつらして、再び仕事に出かける。そんな生活も、ある程度は慣れた。

 

朝飯終わりにはたまにNHK連続テレビ小説を見る。あれは週ごとに一区切りになるので、週の前半に問題が起きて、週の後半にめでたしになるパターンが多い。ので、わりと週の後半のみを見ることが多い。ドラマ内のいざこざすら見るのを回避する程度に、つかれているらしい。

 

一緒に炬燵に入った母は、テレビ小説のすぐ後に始まる韓国ドラマをよく見ている。今やっているのはパン屋の話で・・とは言っても、親が火事を偽装して殺されるとか、死んだはずのフィアンセが実は生きていて執着してくるとか、親子のように暮らした2人がほんとに親子だったとか、幸不幸がてんこもり、恋愛サスペンス人情コメディ料理ドラマなのだ。んな、アホな・・などと思いながら、わりと見ている自分がいる。

 

今までは、母と炬燵でテレビを見る時間もあまりなかった。母は、テレビ小説でも幸不幸てんこもりドラマでも、見ていてよく泣く。炬燵を出てテレビのとこのティッシュを取りに行くからすぐわかる。昔はこんな泣かなかったよな・・などと思いながら、うつらうつらしている自分がいる。

3657声 こめコン

2016年11月13日

「花ゆかり」。それが、中之条町のブランド米の名称。

 

群馬では、川場村の「雪ほたか」が有名だろうか。あれはあれで、道の駅で少し高めのおにぎりなどで売っているが、確かにおいしい。おいしいお米は最強である。

 

数年前より、中之条町ではブランド化の促進事業として、町内の生産者が作る米の中からその年一番おいしい米を選ぶこめコン、つまりはお米のコンテストを行うようになった。花の駅美野原のその会場に、初めて行ってみた。

 

野外ではポーン!という音と共にはじけた「ポン菓子」の無料配布や、その場で焼く焼き餅の無料配布が行われている。室内では茶碗一杯のご飯が提供され、地元農協が販売する「沢田の漬物」のほぼ全種を食べ比べできるコーナーもある。

 

メインのこめコンテストは、町長など審査員による審査だけじゃなくて、我々一般も参加することができる。10個の炊飯器が並べられ、中之条高校生物生産課の学生の手伝いのもと、ひとくちずつを試食し、最もおいしいものに1票入れるのだ。

 

米の違いがわかるって、カッコいいよね。僕はあんまりわからなかった。水かげんから炊き時間までピタッと合わせて炊かれるお米、甘さがあるなとか、気持ちモチっとしてるかなとか、確かに違いはあるものの、どのお米も美味しかったのだ。僕の予想は・・きちんと外れた。

 

繰り返すが、おいしいお米は最強である。おいしいお米を食べて、しみじみできる瞬間があるだけで、生まれて良かったニッポンに。とさえ思う。

3656声 夏休みの宿題

2016年11月12日

めっかった群馬に書き始めたのはいつからだったか。
抜井さんと堀澤さんは、ほぼほぼ一日の終わりに、
その多くは酒も飲んでいるのだろうが、きちんと書いている。
偉い偉くないではなくて、習慣化されているんだろう。

 

今月こそはと、僕も枕元に自分のPCを置きっぱなしにし、
寝る前の数分にパチパチしていた。11/11までは。

 

疲れたからちょっといいよね、とパスをして、
気付けば月末最終日である。ここまで酷いのは2度目か。
その他も、まるで「夏休みの宿題」のように、
月末頃になってヒーコラキーボードを打つ月が多い。

 

思えば実際の夏休みの宿題も、そうだった。変わらんのだ。
というわけで、今日以降の投稿は速読ならぬ速書になる。
月を跨いだ時もあるけどそれでなんとかやってきたのだから、
それはそれで才能ではないのか・・

 

などと思っているから、繰り返すんだいね。人間だいね。

3655声 背中で語る

2016年11月11日

アメリカ大統領選の結果で世はてんやわんやである。

 

めっ かった群馬で政治の話は御法度なので・・うそ、語る言葉をもっていないので書かないけど、リーダーシップについては少しは書ける気がするので書いてみるこ とにする。僕の周りにはいわゆる社長さん達もいて、仕事に限らず先頭をきって事を成している人たちがいるのだけれど、リーダーと言って一番に思いつくのは 築地魚河岸・山治の山﨑康弘社長である。(僕は一時期、今の会社で築地の山治から届く魚を吾妻の家庭に配達する仕事をしていた。ほんと何屋なんですか ね・・)

 

築地の中でも大手 の魚河岸の社長である。一方の僕は仕入れ量は目刺しまでもいかない程度の地方のペーペー顧客である。けれど、河岸に行ってぞんざいに扱われたことがない。 自らが売り場に立ち、声を枯らして魚を売っている社長。僕を見つけると、「おおー」と手を上げ社長のお母さんに言って紙コップに入れた温かいコーヒーをく れる。その見下さない態度は社員にも同じなようで、築地全体がそういう職場ということもあるかもしれないが、まるで家族のように社員に声をかけ、各々を ちゃんと見ている。その一方では世界をまたにかけ魚を流通させ、河岸の移転反対の声が高まった際には先頭をきって皆の意思を代弁し、常に先を見据えてい る。

 

つまりは、「部下やお客さんの立場まで下りてこられる柔軟な心をもち、けれど志は常に高みを見ている」ということに尽きるのかもしれない。そういうリーダーがいる場所には、「この人と一緒なら、自分はもっとやれるかもしれない」という気持ちが育つ。

 

優 しさと意思の高さ、そのどちらかだけだと「あの人俺等に優しくしてくれるけど、何がしたいかわからないんだよね」とか、「ずんずん先へ行こうとしてるけ ど、俺等のこと見てないよな」とか、愚痴が出てくる。そして彼はその自分のやり方を口で語るのではなく、一つ一つ実際の行動で示していくのである。それは 誇張すれば背中で語る、ってことかもしれない。一度、社長の車で築地界隈のお得意さんのところに一緒に回った時は、会う人会う人の彼に対する思いが熱く て、それは仕事や三社祭りを通して利益や気持ちを通わせてきた年月がそうさせるんだろうけど、「この人のためなら人肌脱ぐぜ」って気持ちが目に見えるんだ よね。そんな場所に立ち会うだけで、とても気持ちが良い。

 

何年たっても僕にそんなリーダーシップがとれるとは思わない。けれど、先を切り開いていく人はそういう人であって欲しいと思う。

3654声 おとなになるってどんなこと?

2016年11月10日

アーツ前橋で行われた展示「表現の森」の一部に、映像記録として関わらせていただいた。めっかった群馬のすーさんが観に来てくれたことを書いていて、それを読んだ時は嬉しかった。

 

この展示の参加作家さんである群馬在住の後藤朋美さん(Gottonさん)が挿絵を描いた吉本ばななさん著「おとなになるってどんなこと?」を、この展示の関連のコーナーで買った。吉本ばななさんの本はそこそこ読んでいて、中でも短編集の「デットエンドの思い出」「体は全部知っている」は、おじさんが読むには抵抗あるかもしれない吉本さんの本の中にあって、読まないのはもったいない名作だと思っている。

 

「おとなになるってどんなこと?」は、ちくまプリマ-新書から出ているエッセイ集で、この新書シリーズは「こどもたちに向けて、その筋の先駆者が、わかりやすい言葉で深いことを語る」シリーズなようで、この本でも勉強のこと、友達のこと、生死について、生きる意味などがこどもにも伝わるようなやさしい言葉で書かれている。でも、僕のようなずいぶんな大人が読んでも発見があるよい本だった。ページをめくる手をやさしく後押ししてくれるようなGottonさんの線画も良い。

 

発見があると言っても大半は「そうなんだよ」とある程度しったかぶれるものなのだが、自分では考えもしなかったことでひとつ心にひっかかった箇所がある。引用すると

 

「大人になるということは、つまりは、子どもの自分をちゃんと抱えながら、大人を生きるということです。」

 

子どもの頃の出来事がこの年になっても影響しているな、と思い当たることは多々あるのだけれど、今の自分の中に子どもの自分が《まだ》いるなんてことは考えたこともなかった。ああ、僕は(ある程度)子どもの自分を過去のものとして、そこにふたをしてやってきたのかもしれないな、と。(ある程度)と書いたのは、周りをみると僕よりもっと頑丈にふたをしている人は多い気がするからだ。自己啓発に興味はないが、このあたりのことは今後ぼんやり考えたいなと思った。ちなみに、僕が魅力的に感じる人の共通点もまた「子どもの自分をちゃんと抱えながら大人を生きている人」と言えなくもない。

 

あなたはどうですか?

3653声 ごちそうさま

2016年11月09日

新米が炊きあがる。

釜を開け、立ち上がる湯気。

茶碗によそり、食卓へ。

そこにはすでにこんがり焼けた秋刀魚がある。

まずはご飯を一口。

はふはふ言いながら、大根おろしに醤油を垂らす。

秋刀魚に箸を当てる。ぱりっと音がして身があらわになる。

大根おろしを乗せて、口に運ぶ。

じゅわっと脂が広がり、大根おろしが絶妙に押さえる。

すかさず、すかさずご飯を口に。

秋刀魚とご飯とが、輪になって踊る。

まあまあ落ち着けと、大根の味噌汁をすする。

秋刀魚、ご飯、味噌汁、秋刀魚、ご飯、たくわん、味噌汁・・

全てを、まんべんなく食べ終わる。

そのタイミングで運ばれてくるお茶。細くゆれる湯気。

ずずずとすする。もろもろが、すーっと下りる。

深呼吸ひとつ。

多面的にむかれた柿を口に運ぶ。ふに、ふに。

そうしてようやく、食卓から解放されて。

顔を上げると、窓の外には赤や黄色の紅葉。

ごちそうさま。

3652声 本気になる

2016年11月08日

風邪の治りかけということもあり、10月が急がしかったせいもある。

ここ数日やることなすことに身が入らない。

ここめっかった群馬も、なんだか以前のように言葉が繋がっていかない、気がする。

でも一番の理由は「本気でないから」だということも気付いている。本気でないと、そうなる。

 

せっぱつまった時に、人は力が出せるという。そうだろう。

僕は締切があって初めて動ける人間でもあるので、尻に火がつけばそれなりには動く。

そういう期限の問題ではなくて、日頃動けるかどうかには、本気かどうかが関係している気がする。

どんな些細な事でも、クリエイティブではなくルーティンワークな作業でも、嫌な事でも、

本気になればやれる。上達する。本気でないと、身が入らない、つまらない。

 

理想としては、気付いたら本気で手や頭を動かしていた、という状態が良いけど、

身が入らないことを本気でやってみる、という実験もある程度はうまくいく気がする。

若さとはつまり、本気の対象を移り変えながらその時その時にのめり込むことかもしれないが、

今本気になれるものがないとしたら、それだけ周りに気をとられ病んでいるのかもしれない。

 

「いつやるの?今でしょ」

一昔前にそんな言葉が流行ったなと思い出し、口に出してみたけど・・よけいに気が萎えた。

本気になれない時はそう、そのうち本気になれるさ、と特になにもしないという手もある。

などと申してもう眠い。昔も今も寝るのは好きだなー。今夜は本気で寝よう。

 

3651声 干し柿を揺らし入り来る吾妻線

2016年11月07日

はい、そうなんです。昨日商工祭においてごほうびの白菜などが当たるダーツ目的のために町民らの手によってむかれた柿は、翌日にはJR吾妻線中之条駅のホームに、駅員さんらによって干し柿になるべく吊されるのです。

 

たいして大きくない素朴な駅のホームに干し柿が連なる様子は、上毛新聞などで取り上げられることもあるのでご存じの方もいるかと思うけど、実は数年前からこのような仕組みが出来上がっていたそうです。それまでは、むくところも駅員さんがやってかなりの大事だったそうな。

 

手際よく柿に紐が結わえられ吊されている様子を撮影していると、話題は昨夜のテレビ東京のバラエティー番組の話に。中之条町六合出身のお笑いコンビ、M-1グランプリ出場も果たした「タイムマシン3号」の関太さんが、中之条町観光大使として六合を紹介していたのだ。関さんと僕は会ったことはないけれど同い年で、学生時代に多分どこかですれ違ってはいると思われる。その六合の紹介の一節、とても良かった。

 

尻焼き温泉に始まり、野反ライン山口での熊・鹿ランチ。喜久豆腐店で厚揚げを食べて関さんの祖母であるこね鉢職人の関千代衛さんも出演、京塚温泉にも入り、「白根の見える丘」に宿泊し、最後は僕も先日撮影に行った芳ヶ平が見渡せる絶景ポイントを紹介。熊・鹿ランチを常食していたかどうかはわからないが、彼の紹介は「観光大使になったから、今までは知らなかったけど紹介しまーす」というものではなく、実際自分の過去をさかのぼるような場所であるように思え、それが良かった。それくらい、六合は地理的にも人間関係的にも狭いということでもあるのだけれど・・

 

「故郷をPRする」とは何だろうか。僕の知り合いにも、町づくりを声だかに掲げ、あるいは自分のやりたいことをやっているだけさ、というそれぞれのスタンスでその地で発信している人は多い。なにか突飛なことはしなくてもいいと思う。ただ毎年恒例になるくらい、あまり無理なくしっくりと継続させていることに対しては、ある日外からブロガーなり取材なりが訪れて、世に広まっていくことは確かなように思う。

 

中之条駅の干し柿は、1ヶ月ほどして食べ頃になると駅利用者に配られます。残念ながらその御利益は、まだいただいたことがない。

3650声 人が集まる場所

2016年11月06日

秋まっさかりの日曜日。中之条町町内をはしごした。

 

まずは「商工祭」が行われているツインプラザ。お目当ては、柿の皮むきの撮影。柿の皮むき?

人が列をなして柿を求める。それを食べたり持ち帰ることはなく、それぞれが包丁片手に皮をむく、むく。

丸テーブルの上には皮が山積みになり、また人が列をなしてむいた柿を係に戻す。

そうした人はダーツに参加でき、白菜やらティッシュやらが無料でもらえる。皮むきの報酬だ。

「なんでそんなことをするの?」に対する答えは明日にとっておくとして・・

軽トラでの野菜売り、鮎の塩焼き、バーゲン、吹奏楽部の演奏・・商工祭は尋常じゃない人出だった。

 

次いで中之条町と渋川市の境近くに今年オープンした「うた種」へ。

僕が働く店が入っていた「ふるさと交流センターつむじ」で働いていた曽根原さんが、

長年使われていなかったレストランを旦那さんとリノベーションし開く小物販売とお茶の店だ。

今日は「もみじ祭り」というイベントで、はるカレー、Agenn、飯塚ファームといった

それぞれにファンがつくような店の店主が、野外、もみじの下に集まっていた。

お客さんにも見知った顔が多く、早くも人気店になりつつあるうた種を嬉しく思う。

ここも撮影目的があり行ったのだが、カレー・スープ・ケーキと平らげてしまった。

 

そして今日が開催最終日となった「秋、酒蔵にて」。

こちらも大変な混みようで、白いのれんの奥ではこのめっかった群馬の堀澤さんが

忙しそうに料理を皿に並べていた。その20種の料理が一度に味わえる御膳は先日食べた。

こちらは撮影目的ではなく、最後にもう一度器や皿、小物などの展示を見たかったのだ。

今回のテーマである凸凹。各作家が作るものはとても個性的で良かったのだけれど、

人の光と影を表わしたかったという、草と皮を使った森之手仕事家の桑原さんの作品が

良くて、彼女が作った皮のキーケースを買った。

 

中之条町は小さな町ではあるが、今日はこのように各所で人が集っていた。

無料で何かもらえる、安く買える、お気に入りの店が出る、毎年楽しみにしている・・

理由は様々なれど、いい天気と紅葉時期とも重なり、どの場所も幸せで満ちていた。

「人が集まる場所というのは、永遠に続くわけじゃないから、儚くていいんだ」

枝を離れ地に落ちる葉を見て、そんなことが脳裏に浮かんだ僕は、

確実に年を重ねているのだろう。

 

さあ、11/18-19-20は、僕が長年関わっている「伊参スタジオ映画祭」です。

3649声 六合の眺め

2016年11月05日

六合地区を北から南に流れる白砂川。吾妻橋から眺める北の山々は、派手な彩りではないけれど、確かに紅葉していた。

 

中之条町の観光映像を1年を通して撮影している。秋は、完全に出遅れてしまった。今は町なかで紅葉は見頃。ひとやま越えた六合ではすでに終わりかけているところも多い。後悔とともに、それでもと場所を定めてRECボタンを押す。橋の対岸にいくと、南には村道にかかる吾妻橋がかわいらしいサイズで望める。ふと見た時に見えた軽トラが1台通っていく様が良くて、さあ来い来いとビデオで待ち構えていたら、それ以降ずっと車が通らない。ええいならばと、回るカメラを放置し、自らの車でぶいーっと道を回り橋を通った。そういうカットはだいたいが使わないこととなる。

 

フリッツアートセンターで古書を扱うsuiranの土屋君から、「この本には僕が本を売る上で大切なことが全部書いてあるんです」と勧めてもらった詩人の長田弘さん著「なつかしい時間」の中に、「眺めの大切さ」という文章がある。一部を引用すると

 

【目の前の風景を眺めていて、気がつくと、自分の人生の風景を眺めている。そうした「思い」を深くするのが「眺め」です。】

 

という一節がある。雄大な自然を映像に撮る時に、その場で感じる感覚と映像に残るものの差があまりに大きく。これはカメラの性能というよりは映像の限界なのだろう、などと思っていたものだけれど、それだけではなくてそこには「その景色を見ている自分の心象」が残せない、ということが影響しているのかもしれない。それであればむしろ絵画の方が、それを残せるのではないか・・

 

などとぼんやり考えていたら、大きなくしゃみが出た。もう、そんな寒さだ。

3648声 命がたぎる

2016年11月04日

世では「君の膵臓を食べたい」なるタイトルの小説が流行ったらしいが(ハンニバルな内容でななさそう)、「鯨の膵臓」をもらって食べた。希少かつ高級品である。ごま油と塩をつけ口に含む。レバ刺しのような食感で、後に甘さがくる。美味しいのだけれど、言葉にしにくい味。鯨の本皮も食べさせてもらった。酢味噌をつけてペロリ。肉とも魚とも違う絶妙なあぶら感。

 

最近、地味な風邪をひいていて、体調が停滞していたのだけれど、それら鯨を食べた翌日はよく体が動いた。精がつく、ということなのかもしれない。バッと想像を広げれば、山で暮らす先人は熊でも鹿でも食べて精をつけた(今でも六合のてっぽうぶち(猟友会)の人は食べてるけど)イヌイットの人は、過酷な環境下においてアザラシも食べるらしい。そういった生命力のある動物の命を体に取り入れると、命がたぎる、ということを知っていたからではないのか。

 

ちなみに、僕個人で「これは効く」という食べものは、行者ニンニク。大量にもらった時に炒め物にしたら、翌日勢いがとまらなかった。人は年を経てそういった食べものに惹かれていくのかもしれない。そうだ思い出した、おならもとまらなかった。